ロング・ウェイ・ホーム

作者:砂浦俊一


 土砂降りの雨だった。
 買い物帰りのミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)は雨を避けるために、川沿いの遊歩道の真上にかかる橋、その下へと逃げ込む。
「遠回りはやめて、さっさと家に帰るべきでしたね……」
 うんざりするほど暑い日が何日も続いていた。川沿いの道を歩けば少しは涼しげだろう、と彼女は考えていた。しかし遊歩道を歩いているうちに黒雲が空を覆い、すぐに土砂降りの雨になったのだ。
 濡れた髪をハンカチで拭っていた彼女は、こちらへ駆けてくる人の姿を見た。
 自分と同じようにここで雨宿りをするのだろう――そう思った彼女だが、ある違和感。
 駆けてくる黒いゴシックドレス姿の少女は、人の気配をしていない。
 そして、その顔は――。
 直後、豪雨の中を突き抜けてきた少女は、ナイフを手にミリムに襲いかかった。
 初撃は避けたが、持っていたトートバッグが裂けて夕飯の材料が地面に散らばる。襲撃者と距離を取るように脇へと跳ねたミリムだが、身構えることもできない。さっき見えた少女の顔は、ミリムがよく知る人物と同じ。胸の鼓動が早くなる。
「私はアニー……? 私、お家帰りたい……でもお家帰っちゃいけない……お腹、空いた……」
 ミリムに背を向けたまま呟いていた少女が、ゆっくりと振り返った時。
 再び見たその顔に、ミリムは愕然とする。
「やっぱり、あなたは……!」
 目を見開くミリムの前で、少女はナイフで自らの腕を傷つける。指先からしたたる血は、何匹もの吸血コウモリへと姿を変えて宙を舞う。
「ねえ……私、お腹が空いているの……」
 そして吸血コウモリの群れがミリムへと襲いかかる。


「皆さん、大変な事態なのです! ミリム・ウィアテストさんが、屍隷兵の襲撃を受ける予知があったのです! 急いで連絡を取ろうとしたのですが、連絡がつかなかったのです……もう一刻の猶予もありません、ミリムさんが無事なうちに救援へ向かってほしいのです!」
 最悪の光景を予知してしまったのか、ウェアライダーのヘリオライダーである笹島・ねむはの顔は真っ青だ。
「屍隷兵の名はヴァンパイアロード・アニー・アリジシーク。武器は手にしたナイフ、他に自らの血を吸血コウモリに変化させて襲わせたり、触手状に変化させて攻撃してくるのです。配下は連れてきていないのですが、単独でケルベロスを襲撃するほどの敵、油断禁物なのです」
 緊迫した顔で念を押してくるねむの言葉に、ケルベロスたちの身にも緊張が走る。
「場所は、川沿いの遊歩道。頭上には川を渡るための橋がかかっているのです」
 続けてねむの背後の液晶モニターに、地図と現地の写真が映し出される。
「戦闘には十分な広さなのです。遊歩道には川への転落防止用の柵がありますが、敵の攻撃で川に落とされたらバッドステータスの【ずぶ濡れ】は避けられません。ですが現地は土砂降りの雨、橋の下から出て戦えばすぐに【ずぶ濡れ】になるでしょうし、着替えは用意しておいた方が良いと思うのです。他に雨で足元が滑りやすくなっている点、ミリムさんとの合流が1~3分ほど遅れる可能性もある点、これらにも注意が必要なのです」
 最初から【ずぶ濡れ】覚悟の、雨中の救援作戦になるだろう。
 何にせよ到着次第加勢できるよう、準備は整えておきたい。
「ミリムさんを救えるのは皆さんだけ、どうかこの屍隷兵を撃破して欲しいのです!」
 ケルベロスたちを乗せたヘリオンが発進シークエンスに入る。
 機内でケルベロスたちは一様に思う、ミリムよ無事でいてくれ、と。


参加者
イピナ・ウィンテール(剣と歌に希望を乗せて・e03513)
ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)
伊予野・仇兵衛(這い寄る契約獣・e15447)
ノルン・コットフィア(星天の剣を掲げる蟹座の医師・e18080)
夢見星・璃音(彼岸のゼノスケーパー・e45228)
夜巫囃・玲(泡沫幻想奇譚・e55580)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)

■リプレイ


 ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)は夏の暑さを忘れた。雨で濡れたせいではない、襲撃者の顔こそが彼女に寒気を走らせる。
「あなたはヒナ……声と顔だけでもわかる、帰る家だってあるはず。なのに、どうして友だちの私を襲うの? どうして……?」
 ミリムは剣を構えるものの、切っ先を相手に向けることができない。
 アニーと名乗った少女はミリムの問いには答えず、ナイフで自らの腕を傷つけた。指先から滴る血は、何匹もの吸血コウモリへと姿を変える。
「ねえ……私、お腹が空いているの……」
 直後、吸血コウモリの群れがミリムに襲いかかる。全身防御で耐えるミリムの体に牙をたてて蹂躙した後、吸血コウモリの群れは血飛沫となって散り、彼女の全身を汚した。
「あなたを食べても……いいよね」
 ミリムは顔を守る両腕の隙間から、ナイフを手にしたアニーが飛びかかってくるのを見た。橋の下から飛び出し、ミリムは暗黒縛鎖でアニーの動きを止める。土砂降りの雨が彼女を汚した血を洗い流すが、それには傷ついた肌から流れる血も混ざっていた。
「あなたはヒナ、行方不明になっていた私の大切なお友だち……教えて、何があったの?」
 悲痛な表情で問うミリムだが、アニーは滴らせる血から再び吸血コウモリの群れを生成するのみ。
(戦わなければやられてしまう……でもっ)
 迷うミリムを狙い、吸血コウモリの群れが飛び立ち――だが、その時。
「剣を構えるのです!」
 激しい叱咤とともに、イピナ・ウィンテール(剣と歌に希望を乗せて・e03513)が翼飛行でミリムの前に降り立つ。吸血コウモリの攻撃を引き受けるとともに、牽制のバスターライフルを撃つ。続けてノルン・コットフィア(星天の剣を掲げる蟹座の医師・e18080)の変転療印が、ミリムを自分の傍らまで移動させた。
「大丈夫? 皆で助けに来たわよ」
 豪雨の中で微笑むノルン、その上空には旋回するヘリオン。ケルベロスたちを降下させたヘリオンは、戦闘を避けるため戦場から急速離脱する。
「我らが店主の危機、いざ助太刀致す! なんてね」
「ミリム王のお尻を狙っていいのはボクだけだからね!」
 降下する勢いも乗せて、狐面をかぶった夜巫囃・玲(泡沫幻想奇譚・e55580)はスターゲイザー。伊予野・仇兵衛(這い寄る契約獣・e15447)はマルチプルミサイルを敵めがけて撃ちまくる。
 ミサイルの爆発の中から飛び出たアニーは、真っ直ぐにミリムを狙って駆けた。
「すべてを滅ぼす闇の力……我が意思のもとに、彼の者に永遠の眠りを与えよ!」
「雨で濡れるぐらい、どうってことないわ!」
 そこへ夢見星・璃音(彼岸のゼノスケーパー・e45228)の【終焉に導く大いなる闇】とローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352)のフォートレスキャノン。突撃を阻む横殴りの直撃弾に、アニーは川の方へとよろめいた。
「ミリムに近づくな!」
 リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)が構えた砲撃モードのドラゴニックハンマーからは光弾が放たれ、アニーを遊歩道の柵へと叩きつける。
「……ひどいことするのね。私、お腹が空いているだけなのに……」
 柵にもたれかかり俯くアニー、その顔はケルベロスたちには見えない。離れた距離は5メートルほどだが、ミリムの目には彼女の姿があまりにも遠くに見えた。


「……けひひっ、店主。あの屍隷兵に心当たりは?」
 サイコフォースによる敵の武器封じを試みながら、玲はミリムに問う。
「彼女はヒナ・セフィラ……連絡がつかなくなって、数年ぶりに会えた、お友だち。それなのに……屍隷兵だなんてっ」
 答えたミリムの顔は、血の気を失っている。
「……なんてことなのっ」
「そんな……あれがミリムの友だち? なんとかして正気に戻せないの……?」
 悲痛な顔でローレライはナパームミサイルをばらまき、黒影弾を撃つリリエッタはミリムの言葉に衝撃を隠せない。
「音信不通からの、突如の襲撃……嫌なものね。ミリムをやられるわけにはいかない、支えるわよ」
 サーヴァントには回復役を指示し、ノルンは前衛へとスターサンクチュアリ。
「……戦いにくい相手なら、私たちに任せていただいても構いませんよ?」
 自らに幻夢幻朧影を用いた後、イピナはミリムの様子を見た。
「彼女はヴァンパイアロード・アニー・アリジシークだ。何があったかは知らないけど、ボクはミリム王を守るよ。つまり、あの子を倒す。いいね?」
 仇兵衛もまたミリムに問いかける。
「……大丈夫、やれます。いえ、やります!」
 そう答えると、ミリムは前へと駆け出る。仇兵衛のスパイラルアームをアニーが避けた瞬間を狙って正面から挑む。両者の得物がぶつかり合い、細かい刃の欠片が散る。
「あなた、お友だちが多いのね……うらやましい。私には、コウモリたちだけ」
 哀しげなアニーの言葉に、ミリムは胸を深く抉られる。
「違う、ヒナ、あなたの友だちはここに――」
「あなたも、あなたのお友だちも、みんな食べて、あげる」
 吸血コウモリの群れがアニーを中心に渦を巻く。この渦にミリムが巻き込まれる前に、璃音が時空凍結弾を撃ちこんだ。
 アニーが怯んだ隙にミリムは後方へ跳ねて距離を取り、璃音は安堵の息を漏らす。
「ヴァンパイアロードって、ゲームだと相当手強いよね……油断できないな」
 それが親友と同じ姿ならば、ミリムにとっては強敵どころの話ではない。


 距離が開けばアニーは吸血コウモリを放ち、これを掻い潜って近づく相手にはナイフを鋭く突き出す。
 相打ち覚悟で前に出たミリムはアニーへと溜め斬りを浴びせる。だが浅い。アニーは豪雨の中でも軽やかなステップで後方へ跳ねる。
(親友だとしても、今のヒナはデウスエクス、そう思っているのに……私、迷っている?)
 ミリムは剣を握る己の手に目を向ける。彼女が視線を逸らしてしまったその時、アニーは空中へ自らの血を散らし、吸血コウモリを生成する。
「シュテルネ、ミリムの護衛につけ! アニー、私は食べごたえがあるわよ!」
 サーヴァントに指示を出しつつローレライは敵の注意を引く。彼女は吸血コウモリの群れの真っただ中を突っ切ると、奪われた体力の分だけドレインスラッシュで奪い返す。
「けひひっ。やっぱ迷ってる?」
 ミリムに声をかけた後、玲は狐面を外して微笑みを見せた。
「大丈夫です。答えが出るまで私たちが護りますから」
 言った後で玲の顔は真っ赤になる。お面がないと人見知りするタイプの彼女はすぐに狐面を被り、前衛で踏ん張るローレライの下へ駆けた。雨を斬り裂くように一直線に走り、鞘に納めた刀を抜き放つ。刃に妖力を纏わせた無数の斬撃、名付けて冥界時雨。
「玲さん……きゃっ」
 素顔の玲に励まされたミリムは、直後に臀部に走った衝撃に軽く悲鳴を上げた。仇兵衛が尻を叩いたのだ。
「仇兵衛っ」
「腑抜けてるから、お仕置きだよ~」
 べーっと舌を見せると、彼は水飛沫を飛ばして跳躍。エアシューズを履いた足でアニーへ蹴りかかった。立て続けの攻撃に、吸血コウモリを生成する余裕もないアニーはナイフを振り回して守勢に回る。
「大技を使われる前に仕留めたいわね……イピナ!」
 彼我の動きを見定めたノルンは、敵後方へと回りこんだイピナへとメタリックバーストをかけた。
「闘気を、力を乗せて……ぶつける!」
 練り上げた闘気を乗せた打撃がアニーの全身を打つ。アニーの手からナイフが弾かれ、弧を描くそれは濁流と化した川へと飛んでいく。
 全身の痺れに動きの止まったアニーにケルベロスたちはさらなる攻撃を仕掛ける。だが体を小さく縮こまらせた彼女のドレスの内側で、何かが不気味に蠢いた。
「私……もうお家に帰れない……お腹もぺこぺこ……もう我慢できない……今すぐあなたたちを食べなくちゃ」
 アニーの上着の袖から、スカートの中から、ドレスの合わせ目から、先端が顎状になった無数の触手が繰り出された。アニーの血から生成されたそれらは、ケルベロスたちに絡みついて牙を突き立てる。
 絶えぬ食欲を満たすために、異形のバケモノへと変わり果てたその姿。ミリムは言葉を失い、唇を噛みしめた。
「わわっ、みんなやられちゃうよ――ミリム?」
 咄嗟にスチームバリアを張ったリリエッタは、ミリムの顔を見た。彼女の唇は端が切れて、血が流れている。
「そんなにお腹が空いているのなら私を食べなさい! 私だけを、食べにきなさい!」
 胸の奥底の悲壮なまでの決意は、叫びとなってミリムの喉から迸った。


「数年ぶりに会えて、『今まで何処行ってたの?』『久しぶり』って言いたかった……でも今のあなたはヒナ・セフィラじゃない……アニー・アリジシークっ、私があなたを楽にします!」
 構えた剣の切っ先はもう震えていない。瞳はただアニーだけを見据えている。
「店主の覚悟、受け取ったよ。けひひっ」
「あなたがそう決意したのならっ」
 玲は喰霊刀を、イピナは霊力を纏わせた手刀を振り、触手を斬り払っていく。
「ミリム……ダメ。友達殺しなんて、しちゃダメだよ」
 泣き出しそうな顔のリリエッタは、考え直すようミリムを促す。
 だがリリエッタの肩にローレライが手を置き、首を左右に振った。親しい者を自分の手で殺める辛さ、ローレライには痛いほどわかる。彼女自身も過去に経験のあることだった。
 ミリムの表情は変わらない。決意が揺るがないことを察したリリエッタは唇を噛みしめ、ローレライとともに触手の排除に動いた。
 斬り払われた触手が宙を舞う中、璃音は無貌の従属を放つ。
 直後、アニーの全身が震え出し、苦しげに呻き出した。
「……やめて! あんなことを思い出させないで! 私は、お家に帰ろうとしていたのに! なのに、なのに!」
 触手の動きも勢いを失う。この好機、逃せない。
「リリム王、しくじったらお尻ぺんぺんだ!」
 篁流射撃術【死憑雨】、敵直上からの数多の弾丸、そして仇兵衛自身も突撃する射撃技がアニーの全身に降り注ぐ。触手が斬り裂かれ、アニーの体もコマのように回転した。
「ミリム。後は、好きになさい」
 ノルンの変転療印が、瞬時にミリムの体を攻撃に最適な位置へ移動させた。そこはアニーの懐、絶好の間合い。ミリムの剣が緋色に輝く。
「……私、お腹が空いているの。あなたを、食べたいな……」
 アニーはミリムに抱きつき、一本だけ残っていた触手を肩へと噛みつかせる。だが触手の牙はミリムの肩には刺さらない。もう、それだけの力もアニーには残されていない。
「さようなら、ヒナ……っ」
 裂き咲き散る斬撃、ありったけの思いを込めたこの一撃が、アニーの胸に緋色の牡丹を咲かせた。
「嗚呼、お家が見える……私、お家に帰っても、いいの……?」
 それがアニーの最期の言葉になった。
 絶命したアニーをミリムはきつく抱きしめる。
 やがて遺体は塵となって散っていき――彼女の着ていたゴシックドレスのみが、残る。
 ドレスを胸に掻き抱いて、ミリムは遊歩道に膝をついた。彼女の号泣は土砂降りの雨の音によって掻き消される。
 そんなミリムを璃音は傘を開いて雨から守ってやり、ノルンが頭からバスタオルを被せた。
「私たちケルベロスは万能ではありません。全てを救う事は、できません。それでも、なってしまった者を倒すことはできる。きっとヒナさんもミリムさんに送られて幸せじゃないかしら……私は、そう信じます」
「いつまでもそのままだと、風邪をひくわよ?」
 イピナと仇兵衛は雨に打たれるのも構わず、ミリムをじっと見守っていた。玲の狐面からは涙がこぼれ、雨と混ざって流れていく。
「これ……以前、彼女の好物だって聞いていたから」
「ミリムの友だち……弔って……あげなきゃね」
 ローレライは持参したペロペロキャンディーをミリムに手渡し、その手にリリエッタが自分の手をそっと添えた。
(……今は皆さんの為にも前を向かないと)
 バスタオルで顔を拭い、ミリムは立ち上がる。
「皆、助けに来てくれてありがとう。長い、本当に長い帰り道になってしまったけど……ヒナを家に帰してあげられる」
 戦闘終了の通信を受けて迎えに来たヘリオンが遠くに見える中、ドレスを掻き抱くミリムは精一杯の笑みを仲間たちに向けた。

作者:砂浦俊一 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 3/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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