向日葵の君

作者:七凪臣

●わたしは――。
 蝉時雨が隔てる外と内。
 生気溢れる学生たちが汗を流すグラウンドは、真夏の太陽に照らされ眩しい。
 ひっそりと静まり返る教室は、空間ごと季節に忘れられたように暗い。
 ――まるで、世界そのものが違うみたい。
 開け放たれた窓際に両肘をつき、愛笑は陰鬱な溜め息を吐いた。
 彼女の瞳は校庭の花壇に咲く向日葵と、その近くで柔軟体操をしている同級生へ注がれている。
 だから愛笑は気付かなかった、
「どうしたの?」
「え?」
 やけに耳につく蝉の鳴き声に紛れ、いつの間にか背後に人が立っていたのに。
「何に悩んでいるの?」
 見覚えのない少女だ。けれど生真面目そうな外見が、愛笑の警戒心を弱める。
「良かったら、聞かせて?」
 聞き上手な相手だった。いや、もしかしたら。こうして誰かに話したかったのかもしれない。
「私、上手く笑えなくて」
 笑顔が可愛い女の子になるよう『愛笑』と名付けてくれた両親は、愛笑が小学校に入学する頃には擦れ違いが増えていた。そんな両親に笑顔になって欲しくて、愛笑はいつも笑っていた。一生懸命、笑っていた。いつだって笑っていた。
「でもね。クラスメートの男の子に、お前の笑顔は気持ち悪いって言われちゃった。結局、両親も別れちゃったし」
「そうなの。だからあなたは笑えないのね。でも、誰かのように笑いたい?」
 するすると、言葉が引き出されていく。ずっと見ないふりをしてきた憧憬が、形を成していく。禁忌に焦がれるように。
「灯里ちゃん」
 もう一度、愛笑は校庭へ目を向ける。そこには陸上部のチームメートに囲まれ明るく笑うクラスメートがいた。
「灯里ちゃんみたいに可愛く笑いたい。そしたら……」
「そう。それなら灯里ちゃんの笑顔を、あなたが奪えばいいのよ」
 直後、愛笑の胸を巨大な鍵が貫く。
 その果てに、大輪の向日葵のように輝く――けれど瞳に感情の彩のない笑顔の少女が産まれおちたのを、愛笑は知らない。

●笑みの花
 日本各地の高校で、学生が持つ強い夢を奪い新たな同族をを生み出すドリームイーターがいる。
「今回、被害に遭ったのは崎谷愛笑さんという方です」
 ――笑顔の可愛いあの子のようになりたい。
 そんな憧れが狙われるかもしれないとシィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)が危惧した通りの事件を、リザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は粛々と紐解く。
「愛笑さんから産み出されたドリームイーターは強力な力を持ちます。ですが、『理想の自分への夢』が弱まるような説得ができたなら、弱体化させるのも不可能ではありません」
 例え理想の自分になれても、世界が変わるわけではない。もしくは、今のまま、ありのままの自分でも十分ではないか。
 愛笑の苦悩を慰めるようなものが有効だろう。しかし愛笑自身への説得ではなくとも、ケルベロス達が投げる言葉の意味は愛笑の心に残る。
「理想を追い求めるのは尊いことです。諦めてしまえば、閉ざされる未来もあるでしょうから。弱体化の程度、或いは説得の方向性。いろいろ慎重に考えて頂けると嬉しいです」
 笑えなくても構わない。
 しかし大輪の向日葵のように明るく、可愛らしく笑えるようになるのも、また素晴らしき事。
「肝心の戦闘に関する情報ですが……」
 動き出したドリームイーターは、灯里という少女を襲おうと教室を出て、昇降口まで降りて来る。
「この日は補講授業もないらしく。校庭には部活動中の生徒が沢山いますが、校舎内には目立った人影はないようです」
 敵は単独。産み出した張本人であるドリームイーターは既に姿を消し、配下も存在しない。
「昇降口付近であれば十分な広さもありますし、皆さんも問題なく戦う事が出来ると思います」
 と、そこでリザベッタが一度、話を区切った。そして深呼吸を一つ間に入れて、苦いものを口にするよう再び語り出す。
「他の誰かと、ドリームイーターを見間違える可能性はないでしょう。その、姿が酷く……アンバランスですから」
 薄青の半袖シャツに、紺のプリーツスカートを合わせた制服は学校指定のもの。その肩にかかる髪は黒く、重めで。前髪は少しでも顔を隠すよう、目の辺りまで伸びているのに。肝心の表情が、歪な程の笑顔なのだ。
「でも目は、笑えていないんです。だから、間違っても。皆さんが敵を誤る事はありません」
 ですから、どうぞ。
 これ以上は無用と、言葉を止め。リザベッタはケルベロス達を戦地へ運ぶヘリオンへと誘う。


参加者
アリス・ヒエラクス(未だ小さな羽ばたき・e00143)
朔望・月(桜月・e03199)
フィーア・シュトレール(ウェアライダーのミュージックファイター・e03369)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)
左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)
氷月・沙夜(白花の癒し手・e29329)
深幸・迅(罪咎遊戯・e39251)

■リプレイ

●灯
 幾つも並ぶ靴箱の狭間を、アリス・ヒエラクス(未だ小さな羽ばたき・e00143)が放つ殺気が駆ける。
 校庭が真夏に眩んだ分、昇降口の寂寥の影は際立つ。が、すぐさま馴染んだアリスの瞳に、階段から降りてくる少女の姿が映った。
 ――あの顔に張り付いたのは、虚構の仮面。眩しい笑顔の裏で、其の心は泣き続けている。
「不自然な笑みが、彼女の苦しみを現わしてるみたいだな」
 見上げる角度を小さくしつつ左潟・十郎(風落ちパーシモン・e25634)が呟く。
 眺める此方まで不安を覚える、酷く歪な笑顔だった。
「こっちもOKだぜ」
 キープアウトテープを張り巡らせた深幸・迅(罪咎遊戯・e39251)の声に、華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)はこくりと喉に閊えた唾液を嚥下する。
 敵――愛笑を象り、愛笑の心を宿す者は、もう目の前。
 だから、敢えて。灯は、姿勢を正し、お日様みたいに笑って。
「こんにちは。私、灯といいます!」

●糸口
『……、ナに?』
 唐突な明朗快活な挨拶に虚を突かれた夢喰いの足は、階段を降り切ったところで止まった。その隙に獣のしなやかさで回り込んだ十郎が、白いセーラー服の背へ治癒阻害のカプセルを投射し、前のめりに鑪を踏んだところをアリスが鋼の拳で待ち受ける。
『っ、ケルベロス!』
「驚かせてしまいましたか? すみません!」
 詫びる割に、灯の態度は矢張り変わらず。また面食らった敵へ灯は邪気なく笑い、グラビティで実らせたリンゴをシィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)へ手渡す。
 途端、爽やかな香気と光の粒に弾けた果実はシィラを包む。昂る意識、先鋭化する眼差し。与った恩恵に身を揺蕩えたシィラは、灯の翼猫のアナスタシアが羽ばたくリズムに合わせアームドフォートを構えた。
 薄闇を裂く白光を、リノリウムの床が反射する。正面からの直撃ではなかったが、肩口を掠られた少女の顔が、更に歪む。
 苛々と腕を振り払う仕草で、彼女の手に巨大な鍵が生まれる。しかしその前に朔望・月(桜月・e03199)がはらりと紙兵を撒き、月が伴うシャーマンズゴーストの夏雪の爪が夢喰いを襲う――これが、実質決定打。
『なに、これっ』
 裡を穿つ怒りに、無の眼が鈍く光った。このまま夏雪を襲いたい。だが己が攻撃は夏雪へ届かない。邪魔だ、邪魔だ。
『消えて』
 形を成したばかりの鍵をモザイクに変え、夢喰いは自身を癒し浄める。その様と、迅がすぐさま竜の砲弾で足を止めに掛かるのを見止め、氷月・沙夜(白花の癒し手・e29329)が、ぽつり。
「勝ちは、決まりましたね」
 灯らの足元に守護星座を耀かす沙夜が発した言葉に、これが初陣となるフィーア・シュトレール(ウェアライダーのミュージックファイター・e03369)の胸は沸く。策は万全。そしてフィーアの家族である白き箱竜、ユキが自らの属性をアナスタシアへ注いだ瞬間、ケルベロス達の陣は盤石となった。
「ご両親が好きで、とっても頑張ったんですね」
『え?』
 また、灯が不意打ちを仕掛ける。ただし、今度は言葉と想いの。
「ご友人のように可愛く笑いたいと願ったのは、もし自分がそんな風に笑えていたら、ご両親が別れる事はなかったのではないか――そう、考えているのではないですか……?」
 沙夜に引き継がれた『笑顔』の理由に、笑顔の貌が固まった。
「どうすればご両親が別れずに済んだのか、今となっては誰にも分かりません。だから、自分のせいだと責める必要はない筈です」
『ッ、知っタ気に、ナッて!』
 夢喰いが声を荒げたのは、沙夜の指摘が愛笑の中に凝る澱に触れたせい。幼い頃から抱えた最も柔らかい部分を突かれ、まずは反発が顔を擡げたのだ。
 でも。
「ご両親に笑顔になって欲しくて笑っていた愛笑さんの想いは、凄く大切で尊いものだと思います」
 それは優しさの顕れで、優しさは魅力だと情感豊かに語るフィーアに、夢喰いは早くも怯む。
 その間隙を、十郎は見逃さない。
「君は、ご両親を思うのと同時に。どこかで笑うことが名と共に与えられた使命の様に感じていなかったか?」
 大人の男の問いに、少女は鍵を振り回しながら後退る。だが十郎とて、逃がしはしない。
「だけどその名は。君が自然と笑えるよう、心から幸せであるよう。そう願って付けられたのだと――俺は、思う」
『う、ウルさい! そんなの、ソンナノッ』
 夢喰いの唇から、荒いモザイクの吐息が漏れる。苦しい、苦しいと叫ぶように。
 唐突に暴かれるのを、愛笑が拒絶しているのか。或いは、愛笑の心が溶けてゆくのを、夢喰いが阻もうとしているのか。若しくは、もっと別の。ケルベロス達に理由を知る術はない。故に、アリスは殊更ゆっくり、しかし胸を張って愛笑へ告げる。
「自らが傷付き打ちのめされようと、誰かの為に笑顔であろうとした貴女は、気高い人なのでしょう」
(「望む夢と、訪れる現。其の乖離に人は苦しむもの……。ただ、貴女は。人より、優し過ぎた」)
「だけれど……其れは。自分の心を殺し続けるのと同じだわ」
 未熟を自認し、高める事を怠らぬアリスだからこその慰撫。
 ――上手く笑えなくていい。
 ――長く傷ついて来ただけ、休んでいい。
 ――誰が責めるものでもない。
「優しい貴女。少しくらい、肩の力を抜けばいい」

●優しさを注いで
 何れは誰かが、何かが。
 愛笑に笑みを齎してくれる筈。其れが何時になるかは、まだ分からないけれど。
「……偶には気長で居たっていいでしょう。だって貴女は、真面目で頑張り屋過ぎるもの」
 澄んだ湖水のようなアリスの瞳にまっすぐ射抜かれ、歪な笑顔の眼が不思議そうに瞬いた。
 ぱち、ぱち。繰り返される睫毛の動きに合わせ、ちらちらとモザイクが散る。
「私も笑顔を心がけています。無理して笑ってたこともありました。でも、そんな時は。ユキが全身で叱ってくれました。悲しんでくれました」
 六花を飾る青いリボンを揺らし癒しを振りまき続ける箱竜をぎゅっと抱き締め、フィーアも身を乗り出す。
 実体験で知る、笑顔を維持する困難さ。誰かを想うことは尊いけれど。
「無理はダメです。身近にいる大切な人が、気にしてしまうから」
 『身近』という単語に夢喰いの口元に皮肉が浮かぶ。もしかしたら、今の愛笑には『身近』と思える相手がいないのかもしれない。
 そう気付いても、フィーアは懸命に言い連ねる。
「自然と出て来る笑顔はすごく素敵なことだから」
 アリスと同じように。一度、ゆっくり休んで欲しいと。周りも自分も、大切にして欲しいと。
「もし自然と笑えるようになったら、満開に咲く向日葵みたいな笑顔が見られるような。そんな気がするんです」
『気ノセいかモシれなイデしョっ!』
 愛笑を導くかの如く、晴れやかに笑ってみせたフィーアに仮初めの鍵が飛ぶ。しかし主が害を被るのをユキが許さない。
 そして解かれた感情の拘束も、すぐさま夏雪が仕掛け。その献身に背を押されるよう、月は夢喰いを通して愛笑へ共感を訴える。
「自分はどんなに望んでも頑張っても届かないのに。いとも簡単に手に入れたように見える他者は羨ましくて……奪ってしまいたいとも、壊してしまいたいとも想ってしまいますよね」
 明るい世界から吹き込む風に桜色に彩付いた髪をふわり遊ばせ、月は一度、瞼を落とす。
 ――僕にも、分かる。かつての僕も、そうだったから。
 されど目を開くのと同じに、月は暗がりから浮上した。
「奪って手に入れるものは、愛笑さんがそうありたいと頑張ったものよりも。ご自身に馴染まないのではないかと思います」
 決めつけにならぬよう、押し付けにならぬよう。
 細心の注意を払い、夢喰いの――愛笑の顔色を窺い、月は一言一言を過去の自分に似る少女へ染み渡らせてゆく。
「憧れはそのままに、少しだけ肩の力を抜いてみませんか? 憧れだけではなくて、愛笑さんが少しでも幸せだなって感じられるものへ目を向けてみませんか?」
「そうそう。誰かの笑顔を奪ったって、そりゃお前のモンじゃねぇよ」
 女たちが親身になる中、迅は敢えて突き放すように言い切った。だが、それさえも否定ではない。肯定へ繋げる為の、エッセンス。
「誰かを思って行動を選択するってのは、言うのは簡単だけど実際に行うのはとてつもなく難しい。だのにお前は、それが出来る」
 出来過ぎるから、疲れる。
 疲れているのに考えてしまうから、見失ってしまう。
 この場の誰より重ねた齢の分だけ知り得る摂理を、迅は大人の目線で愛笑へ知らしめる。最初から上手くはいかないのは当たり前。
 だから、だから。
 休め、と。
 休めば見えて来るものもあるから、と。
「そうですよー。私だって、オヤスミしてたことありますもの!」
 ね? と。拳が見舞える距離まで間合いを詰め、悪戯するようにえいっと殴りつけ、灯はからりと笑う。
 両親がいなくなった後、寂しさのあまり灯は、無理に強くなろうとした。無理をしたこともあった。けれど、周りの友達がいっぱい優しさを呉れた今は。心から楽しくて嬉しくて、灯は笑えているのだ。
「愛笑さんの笑顔は、優しい心の顕れ。上手い下手なんて関係ありません。大事な意味があったって、思います。けど、頑張り過ぎは禁物です。だから、ちょっとだけ。お休みしましょう?」
 以前のものより、ずっと素敵だと思える笑顔を灯は耀かせる。そうしてそぅっと、愛笑の心へ直に響かせるよう、囁いた。
「大丈夫です。頑張った笑顔も、価値がない訳じゃないって思います。きっとご両親にも何かを残したって……私は、信じます」
『ッ!』
 零す不安を変えたみたいに、ほろほろはらはらと夢喰いの貌からモザイクが落ちる。
 信じる、信じたい。
 嗚呼、本当に。何かを残せていたら――。
「少し俺の話にも付き合って貰おうか」
 信じる期待を、十郎も継ぐ。
 幼い頃の記憶がない十郎。憶えている『最初』は笑う事も泣く事も出来やしなかった。
「感情を表に出せば怒られる、と。失くした過去が、そんな風に刷り込んでた。愛笑とは逆だけど、息苦しさは似てると思わないか?」
 気付くと夢喰いが耳を欹てていた。そこに救いを求める愛笑を視た十郎は、表情を和らげ優しさを注ぐ。
「その名は。君が自然と笑えるよう、心から幸せであるよう願って付けられたんじゃないかって。こんな俺が思うんだ」
 心無き言葉は気にするな。願いや努力は、事情を知れぬ者がケチをつけて良いものではない。
「揺れる気持ちは押し込めちゃいけない。心の声にきちんと耳を傾け、大事にして欲しい。そこから芽吹くものも、きっとあるから」
「そうです。大事なのは笑顔ではなく、貴女自身。周りを思い遣れるその心は、上手な笑顔より尊いものなのです」
 笑顔の魅力を否定せず、シィラはそれ以上の尊さを愛笑へ説く。
 シィラの願いは、ただ一つ。愛笑には自分とは違う道を歩んで欲しい。亡き母になりたいと思い乍ら、代替存在として扱われ。知らず「わたし」という自己を失くして虚構を演じ続ける自分とは。
「愛笑さん。自分を肯定しましょう?」
 己を持たぬ灰の娘が、希望を紡ぐ。
「そしたらきっと心から笑えますよ。それは人から奪ったものより何倍も魅力的な筈」
 シィラの痛みを、愛笑が――夢喰いが知る由もない。だのに心震わす言葉に、虚ろな眼からは涙が溢れかけていた。
「あなたの優しさも努力も、とても尊いもの」
 皆で縒り合わせ紡いだ想いを沙夜が最後の糸にする。沙夜自身も、周囲を安心させたくて笑顔でいる事を選んでいるのに。
(「……でも、皆が思い描く私とは全く違う私を笑顔で全部隠そうと思ったのも、本当の気持ち」)
 こんな自分が愛笑を説得する資格はないかもと思いはしても、沙夜は言う。
「でも、あなたの感情も想いも、もっと大事にしてもいいのです。辛ければ、泣いても構わないのです」
 沙夜だけではない。ここにいる多くの者が、自身の抱える闇を棚に上げ。愛笑の心を軽くしようと笑む。
「そうすればいつか。心から笑える日が来るのだと。私たちは思います」
 その時、夢喰いの頬を遂に涙が伝う。それは雪解け水のように美しかった。

 迅が翔け星と化し、月は竜の咆哮を投じ。
 夏雪の爪に意識を奪われた夢喰いに勝算はなく。せめてもの意地でユキを沈黙させこそしたが、弱体化も著しく。
 沙夜に浄められた前線は、見る間に歪む命を狩り尽くす。
「……眼前にうつるもの。それだけが総てではないわ」
 銀の残滓を廊下に叩き付け、弾ける鋼の粒子を目くらましに駆けたアリスは夏服の脇腹を切り裂き。
 十郎が迅と月が付与した縛めを強化したのを見止め、灯はシィラへ導きのリンゴを託し、倣ったフィーアも最後の加護をシィラへ授けた。
 アナスタシアが爪を研ぐ。満ちた力にシィラは淡く笑み。
「わたしが、わたしで、在るために」
 持てる銃の全てに火を吹かせ、シィラはシィラだけが持ち得た力で悪しき夢にさよならを告げた。

●ひなたの花
 向日葵の花言葉は『憧れ』。誰でも理想の自分になれたら、世界はどんなに素晴らしいか――俯く沙夜の顔を、愛笑は迅の膝で休みながら見上げる。
 向日葵は太陽に向かい咲く花。月は「もしかしたら、幸せだと思う方向に太陽があっただけかも」と可能性を唱え、アリスは「君がまた咲き誇れる時が来るとしたら、貴女だけの太陽が顔を出した時」と長い道のりを示す。
 つまり、ここが終わりではない。明日は続き、未来は更にその先。
(「どうか、前を見て。足を踏み出して……」)
 ケルベロスに迎えられ魔の眠りから解き放たれた愛笑をみつめ、フィーアはそっと祈る。
 努力では変われぬ事もあるけれど。努力しないと始まらない事だってある。
「起きられるか?」
 己が問いに頷く少女の瞳にある光に、十郎は安堵と羨望を胸に呟く。大人になれば覚えてしまう立ち振る舞い。されど抑圧された箇所は、やはり歪み。
(「俺はもう、見つけられないんだ。失くした欠片を」)
 だからせめて、この少女だけでも。
「じゃあ、しゃきっと立って。帰りましょっか?」
 終えた戦に纏う気配をがらりと変えた迅が、愛笑を支え起こす。
 名と体。そぐわぬ様を揶揄る者が少なからずいる。
 ――どうかこの子の名が、これ以上の呪縛となりませんよう。人は変わる生き物。願いも、また。
(「まぁ。変わらないものもあるけどね」)
 その不器用さこそ、人の愛おしき部分であるのを迅は知る。

 私、これからも頑張りますと愛笑は不器用に笑っていた。
 少し休んだ彼女は、いつか夢を叶えるかもしれない。
「これで一件落着ですね!」
 弾む毬のように駆けてきた灯の朗らかさに、窓辺に佇むシィラもいつもより柔らかく笑み返す。
 わたしも、成りたい。誰かを演じずとも、価値ある存在に。
(「いつか心から笑ってみたい……」)
 朧な願いを抱える眼差しの先には、太陽と憧憬の花――空仰ぐ向日葵が咲いていた。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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