幽廃暗夜の談

作者:皆川皐月

 ぎ、ぎ、ぎ、と徐々に柱が折れゆく音。
 ガラスが割れる音。いくつもの装飾が倒壊しては踏み潰されていく。
 生ぬるい夏の熱風が吹き抜ける此処は、夏限定の本格お化け屋敷――……だったもの。
 突如訪れた崩落に人々が逃げ惑い、悲鳴と怒号が響く中を息を切らして走る男が一人。
「はっ、……あぁ、くそっ!くそが!!」
 怒りのままに叫び散らしながら吊り上げた目をより鋭くした男は叫ぶ。
 目の前で転んだ子供は蹴り飛ばす。
 よろめいて来た女は突き飛ばし。
 誘導するスタッフの懐中電灯は奪い取り。
「こんなところで死ぬかよ!」
 もうすぐ出口。煌々と登る月が照らす先へ――。
 世とは無情。
「――あ!?」
 ドン、と鈍い音立て降った柱が男の腹を貫く。
 ちくしょう――声にならぬ悲鳴が、ぬめる血液として口を伝った時だった。
 拍手が三度。
『いいわぁ……すっごく良い!』
 ニタニタ醜悪な笑みで降り立った浅黒の巨漢に泥のような羽。
 ぼたりぼたりと垂れること厭わずに笑うそれが、血を吐き倒れ伏す男を指差して。
『最っ高よねぇ!!あぁぁーーーもうドキドキしちゃう!アンタみたいなクズ!』
 女性的な言葉を発す度に波打つ筋肉はひどく男性的。
 それとは逆に艶々と桃色に塗られた肉厚な唇をきゅうっと上がって。
『アタシが、このミチルがアンタを選んであげる。ちゃあんと生き残ってねぇ?』
「あ、あ……いや、だ……」
 拒否権ナ・シ・よ。
 言葉と共に振り下ろされたミチルの拳が、一回り小振りな頭を潰す。
 パンッ。ぐちゃり。ただ弾け飛び、変化も何も訪れず。
『……チッ。使えねぇ』
 先程までの興奮が嘘のように。輝いた瞳は泥のように暗く、吐き捨てるようなミチルの舌打ちだけが男への手向け。
 深いため息を落とし、シャイターンのミチルは踵を返す。まるで興味など無いように、もう二度と男だったものへ振り返ることはない。
 ふらり足向け探しなおすのは、“有望な素質ある戦士”。

●おばけだぞ
「筋肉おば……いえ、シャイターンの出現が予知されました」
 いつもの部屋。
 最近では慣れた手つきで資料を配れるようになった漣白・潤(滄海のヘリオライダー・en0270)と、氷揺れるアイスティーを並べ終えたクララ・リンドヴァル(本の魔女・e18856)が同時に席に着く。
 ありがとうございますっ、どういたしまして、と微笑みあう様子はただの少女。
 しかし、説明を始める姿と資料を見る目はヘリオライダーとケルベロスで。
「クララさんが危惧された通り、季節柄人の多いお化け屋敷で事件を起こすようです」
 シャイターンとは、ヴァルキュリアに代わり死の導き手となった種族。
 そのシャイターン達が手早くエインヘリアルを生み出そうと故意に建物を襲撃。崩落に巻き込まれ死にかけた人間の中から選定を行う悪辣な手法は、決して看過できない。
「事前の避難は……不可能、なのですね」
「はい。現場に事前に入ることは可能ですが、“人が多いから”襲撃が行われるので……」
「移れば移った方へ、と」
 クララの言葉に潤は静かに頷き返す。
 予知ずらさぬよう、ケルベロスが動けるのは早くても崩壊と同時。
「まず皆さんは潜伏し、襲撃発生後に今回の被害者 実川祥吾さん以外の避難誘導、及び避難経路確保の為のヒールや崩壊への対処をお願いいたします」
 話は進み、資料が捲られる。
 現場となる特設のお化け屋敷は廃寺風。
 和の趣溢れる幽霊仕掛けや生きているかのような人形、中で起こったことを口外にしない誓約書など、少しずつ恐怖を煽るポイントで人気が高いとか。
「特に崩壊が酷くなると思われるのは柱と天井です」
 元々古い家屋を移設したため、重い瓦屋根がネックになっている様子。
 しかし必要な部分に素早くヒールを施すことが出来た場合、スタッフへの避難誘導交代がよりスムーズになることは勿論、避難の安全性が増し早まる可能性が高い。
「そして実川が襲われるポイントはこの関係者用裏口手前の、ここです」
 資料の地図に、きゅっと赤丸。
 脱出直前で柱に圧し潰されたところでシャイターンが出現する。
「件のシャイターンの名はミチル。筋骨隆々ですが、扱うのは繊細な魔術です」
 花のような火焔、射抜く氷柱、砂を刃のように飛ばすものと芸達者。
 確実な撃破をお願いしますと礼をしたところで、一通りの説明が終了した。
「出来れば誰も、大きな怪我や亡くなったりせずの解決を……お願い致します」
 言外に含む件の人物の無事。
 お気をつけて、ではヘリオンへ――と潤が微笑めば、クララは静かに席を立ち。
「勿論……“不変”の魔女に、お任せください……」
 細まる紫眸が、夏日に朱く透けた。


参加者
天津・総一郎(クリップラー・e03243)
ルース・ボルドウィン(クラスファイブ・e03829)
クララ・リンドヴァル(本の魔女・e18856)
グレイシア・ヴァーミリオン(夜闇の音色・e24932)
八久弦・紫々彦(雪映しの雅客・e40443)
今波瀬・遥日(空の向こう側・e43300)
沢渡・のあ(ネコの手・e45212)
九十九屋・幻(紅雷の戦鬼・e50360)

■リプレイ

●月もわらう
 宵。
 月の笑う夜とは思えないほど人が列成す門前。
 事前にルース・ボルドウィン(クラスファイブ・e03829)がスタッフへの説明と順番の手配を希望したお陰で、巡りは全て予定通りのタイミング。
 周囲に怪しまれないようにとの配慮から、一般客と変わらず簡単な説明と秘密保持の誓約書にサインをした沢渡・のあ(ネコの手・e45212)と今波瀬・遥日(空の向こう側・e43300)が、ケルベロスでは最後の二人。
「わー、本格的―!すごーい!」
「おっばけやーしきー♪おっばけやーしきー♪」
 移築されたからこその雰囲気は少女達の興奮を煽る。
 遠くに聞こえる悲鳴もお化け屋敷だからこそ。聞いてしまえば余計にそわそわ落ち着かないけれど。
 楽しみだね!と囁き合っては微笑みあったところで、意味深に微笑むスタッフが開錠の合図を送る。
 ぎぃー……と開いた、先。
 いってらっしゃいませと聞こえた時には、轟音と共に門が閉じられていた。
 一方。
 一足先に誘われたグレイシア・ヴァーミリオン(夜闇の音色・e24932)は、下げた明かりを点灯させ図面に視線を落とす。
 今まで擦れ違ったのは、古そうな武者鎧に、机の中央で不穏に煙昇らせる線香。
 何故か畳の上に広げられた恨めし気な顔の女が描かれた掛け軸に、部屋いっぱいに張られた梵字の札。
 そして今、甲高い音立て軋む廊下を行く。
 左右びっちりとしまった襖はまるで壁の様ながら。
「こうも涼しいと、クーラーいらずで電気代の節約にもなるねぇ……?」
「あぁ、そうだな。……ほう。多少傷んではいるが、良い柱だ」
 不思議としっとりと涼しい空間に冗談めかして呟けば、返ってきたのは八久弦・紫々彦(雪映しの雅客・e40443)の少し嬉しそうな言葉。
 見遣れば、事前にルースから配られた見取り図片手に太い柱を撫でている。
 建物に明るくないグレイシアでも分かるほど、頑丈そうな柱。いっそ大黒柱かと見紛うほどの。
 ただ……――下段に深々食い込む大斧さえ無ければ。
「ねぇそういう傷って……っ、なんて言ってる場合じゃないか」
 話を振ろうとした直後、轟音。
 みしみしと軋む音。悲鳴。怒号。慌しい足音。そして―――。
「はっ、……あぁ、くそっ!くそが!!」
 叫ぶ実川が走り去る。
「お仕事開始、だねぇ」

「後手に回るのは厄介だが、負けられないね総一郎さん!」
「だな!そっちは任せたぜ!」
 九十九屋・幻(紅雷の戦鬼・e50360)と天津・総一郎(クリップラー・e03243)が足向ける方向は真逆。
 見つけたお化け役スタッフに避難誘導を任せながら走る総一郎の前を、小柄な鍔広帽ときらきら輝く背の高い銀髪が。
「クララ!グレイシア!」
「……!天津さん、そちらは」
「大丈夫そうな感じ?」
 任せてきた!との言葉にクララ・リンドヴァル(本の魔女・e18856)とグレイシアは頷き返して。
 更に前を走る実川を見失わぬよう、三人は走る。
 片や、避難誘導はスムーズに運ぶ。
「危険な柱は内陣二柱、右向拝柱。天井は外陣の大梁に亀裂。あと段木の抜けが」
 先に入りぐるりと見回るだけ見回った紫々彦の指示は的確に。
 多少出た専門用語だが、挙がった柱に赤丸を付けた見取り図と共に示されれば誰もが迷わず散開する。
 ざっと図面に目を通したルースが周囲を見、頷き一つ。
「じゃあ俺は右向拝柱と、段木……入った時の階段か?そっちは頼んだぞ」
「あぁ、任された」
 互いの送り出しに見送りは要らず。
 ルースは人波に沿いながら。紫々彦は人波を縫うように、先行した三人を追う。
「さぁて風雷さん、いきましょうか」
「わんっ!」
 ふるり震えた相棒の丸尻尾。
 静かに息吸った遥日がマインドリングから生成するのは光の御旗。
 風雷の一吼えと守護の心が輝きをはためかせれば、怯え逃げ惑う人への道標に。
「私たちはケルベロスです!慌てず落ち着いて避難して下さい!」
 遥日の白翼羽ばたく度に織り成されるは淡七色。
 人々の頭上で軋み、今にも月覗きそうだった外陣の大梁をヒールして。
 遥日の微笑みは温かく、洗練された所作と輝きが人々へ勇気と諭しを与えゆく。
 並び立ったのあも抱えていたメイを天井へ送り出し、涙零す幼子へ微笑みを。
「大丈夫♪のあたちがいるから、安心してね♪」
 ふわり裾翻す様は姫君然と。
 にゃぁん♪と頭上からウイングキャットのメイが幻想的な羽ばたきとのあの歌が重なり、不安定な床が堅牢さを取り戻す。
 ルースと共に人の出入口へ出た幻が、段木の罅割れを癒しの拳で殴り飛ばした。
「よし、これでもう安心だよ」
「こっちも終わった。っと……ゆっくり順番だ!出入口は逃げないぜ!」
 押し合いの無い様、ルースは誘導の手を緩めない。
 割り込みヴォイスによる低く通る声に胸撫でおろした人は数多いたことだろう。
 その時だった。
 降る小石。ずるりと滑る、巨大な鬼瓦。
 ルースのミストが伸ばされる直前、怯えしゃがんだ少女目掛けて降ったそれを幻が片手で掴み取る。
「きゃっ……!」
「させないよ!――こいつは、こうだ!」
 怪力王者。
 オウガゆえの、細腕から想像もつかぬ剛力に息を呑む人々へ幻はニッと笑い返して。
 癒し宿す右拳で豪快に殴り飛ばせば、確実なヒールが瓦を元通りに収めていた。
 わぁ!と上がる歓声の中、到着したスタッフへ全てを託し二人はヒール終えた遥日とのあと共に実川と仲間の下を目指す。

●手の鳴る方へ
『アタシが、このミチルがアンタを選んであげる。ちゃあんと生き残ってねぇ?』
「あ、あ……いや、だ……」
 大きな拳が実川の頭を壊さんとした、時。
「させねぇよ」
 両腕を前に構えた総一郎が滑り込む。
『あン?』
「させないよ、って言ったんだよぉ」
 ミチルが細い眉吊り上げた横から、拳目掛けた鎖が矢の如く飛ぶ。
 咄嗟にミチルが鎖を払い落そうとするも、グレイシアは逃さない。生き物のように鎖蠢かせるや、易々とその手を躱して甲を貫いた。
『ッ、アンタ達まさか!』
「こんばんは……ケルベロスです」
 油断なく、日々と変わりなく。
 恭しく裾を抓んで礼を取るクララを、泥濘の如く淀んだ瞳が睨め付ける。
『ったく、碌なのが……ん?まぁーーー!!良い男が三人も!』
 一瞬の緊張。
 双方睨み合い、機を窺おうとしたはずだったのに。
 ミチルの黄土色の声にクララは眉を寄せ、総一郎とグレイシア、紫々彦の背筋が僅かに冷えた気がした。
 この時騒めいた男の勘は間違いではなかったかもしれない。
『いいわぁ!とっても!死にかけクズよりアンタ達よぉ!そこの女は要らないけど!』
「まぁ……奇遇ですね。わたし“不変”のリンドヴァルも、あなたを倒しに参りました」
 僅かに火花散る。
 ちらりとクララが視線向けた先では、柱に貫かれた実川が浅く呼吸している。
 滴る赤は先程より広がっていて。――急がなければ。
 目配せすれば三者共に思いは同じ。予定通り、現状四人で出来る最良を。
「前は任せた、グレイシア」
「ん。さぁて、オネエさん俺と遊ばない?」
『やぁだもぉーー!寡黙イケメンも年下っていうのもイイわよねぇ!!』
 紫々彦の眉間の僅かな皺とグレイシアがきゅっと唇を噛んだのは同じタイミング。
 多少の軽口を叩けど、ミチルの目は決してふざけていなかった。
 だからこそグレイシアは勢いよく花の炎を光と化した身で打ち破り、紫々彦の縛霊手から三枚繋がった紙兵が軽やかに飛び出していく。
 その隙に、総一郎とクララは幽かに呻き声上げる実川へ駆け寄り頷き合う。
 迷わず開かれるクララの魔導書。
「天津さん、お願いします」
「任せろ、よ!」
 怪力無双の効果を最大限に使い、太く重い柱を総一郎が抜き取ると同時にクララが読み上げる禁断の断章。
 淡く輝く魔術言語が実川の傷口を覆いあり得ぬ速度で細胞を活性化。本来では死んでいた細胞さえ生まれ変わらせれば、瞬く間に傷が癒えてゆく。
「立てますか?」
 クララが静かに声を掛ければゆっくりと輝きを取り戻す実川の瞳が、突如見開かれた。
 手を差し出すクララの背を指差し、叫ぶ。
「ひぃ?!殺される!」
「っ、させねぇって言っただろ!」
 真正面から飛んできた花の氷を、総一郎の拳が打ち砕く。
 投げつけたミチルはと言えば、惜しかったと言わんばかりに舌打ちを零していた。
『ざぁんねん。体育会系イケメンのイイとこ見れたからいいかしらっ、と!』
「俺と遊ぶって言ったよねぇ……!」
 跳躍したグレイシアの一蹴を砂の刃で受け流したミチルが嗤う。
『年下の嫉妬、美味しいポイントよぉーー!』
 まるで全てが悪ふざけの様に。
 しかし一挙手一投足が侮れぬと、再認識させられた瞬間だった。
 腰を抜かした実川は呼吸短く怯えが酷い。逃す隙があるのかと、歯噛みしかけた時。
「眠るのならば、その憎悪ごと――……委ねなさい。眠りなさい」
 甘いソプラノ。
 遥日が振るう輝きの御旗が翻り、嫌な空気を霧散させるように声が響く。
 穏やかな声の耳慣れぬ古歌はグレイシアと総一郎の傷口を塞ぐと同時に力を漲らせて。
 歌う遥日の横を、一陣の風が抜けた。
「っるる、わん!」
『このっ子犬!!』
 白銀の刃に渦巻く風と稲妻の一閃。
 捻り躱したミチルの拳を足場に、風雷の一刀が袈裟に奔る。
 鋭く着地し姿勢低く。いつでも駆け出せる姿勢の風雷は呻くミチルから目を離さない。
『増援ってこと?群れて嫌な奴らだこと!』
「えへへ、おまたせー♪」
「みゃあ!」
 軽やかなのあのステップで生み出した星を蹴り込んで。
 主人とステップ合わせたメイも、カスタード色の尻尾躍らせリングをシュート!
『次から次へとぉっ』
「雷光団第一級戦鬼、九十九屋 幻だ。手合わせ願うよ!」
 波のように畳み掛ける連携は終わらない。
 踏み込む幻はするりと刃を抜く。薄明りに輝く鋼は紅の、艶やかな玉鋼。
「さあ勝負!」
『女とやり合う趣味は無いんだけどぉ!』
 月光一閃。
 叩き込むように打ち込まれた拳を打ち上げ滑るように斬れば、血を滴らせたミチルが間合いを取る。
『フッ、やってくれるじゃないのよぉおおおお!!』
 意図して作っていたであろう化けの皮が、とうとう剥がれた。
 ぎろりと眼光鋭く唸るミチルが構える。
『アタシの邪魔、してんじゃねぇぞ!』
「邪魔ではない。私達の目的は阻止だ」
 かつりと紫々彦の革靴が床板を鳴らせば、縛霊手の祭壇から紙兵が飛ぶ。
 合流した仲間の頭上へ飛んだ三枚ずつの紙兵が柔らかに輝くや、癒しと加護を齎した。
 激突するシャイターンと番犬。
 その背後、ぶつぶつと文句を言う実川は這っていた。
「なんなんだよぉ!ちくしょぉ……ちくしょぉ……」
「なぁ……肝は冷えたか?クソ野郎」
 這い後退る実川に影が被る。見上げれば遥か頭上にルースの鋭い青眼。
「ひぃ?!」
「オカマに狙われるのはお化け屋敷より恐ろしかろうなぁ……さぁ、とっとと行け!」
「は、はいぃぃ!!」
 わああと叫びながら、実川は這っていたのが嘘のように走って逃げた。
 これで後顧の憂いは無い。
「本当に怖い物でも教えてやるとするか」
 引き抜いた喰霊刀がうすら哭く。

「はっ!」
『はぁああああっっ!!!』
 幻が鋭く繰り出した一刀を、ミチルの一喝が弾くや取られたのは胸筋見せつける様なポーズ、サイド・チェスト。次の瞬間、足元で砂が沸き立ち。
『ふんっ!』
「っ、と」
「ぅ、わうっ!」
 襲い来る砂刃をグレイシアと風雷が切り払う。
「わ!ムキムキだー♪」
 くすくすと微笑み零すのあの剣先に集う物質の時凍らせる弾丸はハート型。
「いっくよー!」
「みゃーう!」
 青い凍結のハートが飛ぶと同時に飛び出したメイが爪を振るう。
『遅いわよぉ!』
 ニンマリと笑うミチルのフロント・ラット・スプレッド。
 堅牢な筋肉に爪は立たず、氷掠めたハートは震える筋肉を止めきれない。
 しかし。
「やられっぱなしじゃないから」
「楯突くなら打ち込むのみだな」
 至近。
 頬の血拭ったグレイシアの一声に呼応したのは震えるほどの冷気。
 紫々彦が振り上げた鯨泳ぐ一杖。明かりに照らされた宝石の青白い輝きが、真っ直ぐにミチルを指す。
『アンタ達……!』
「動けなくしてあげるねぇ」
「耐えられるか?」
 触れた傍から麻黒の肌に氷花が咲き、逆側頭部を釘生えた釘抜きが打つ。
『カッ……、ぁ』
 揺れる脳。ブレる視界。
 咄嗟にグレイシアから逃れようと腕を振り払うも、戦いの最中で幾重にも捕まったグラビティチェインと氷の重さにミチルは舌打った。
 ケルベロスの存在もその活躍も重々承知していた。帰って来なかった同胞とて知っている。しかし。しかし、自分は上手くいくと思っていたのに!
「集中、切らない方がいいんじゃねぇか」
『ッ、?!』
 背後。
 低い声が、ミチルの耳を打つ。
「あぁそうだ……知ってるか?命の行動原理はふたつ、」
 つ、と浅黒い胸筋に突き立てられた黒爪。
 なぞる指は似たように浅黒いが、悍ましい何かを宿していた。
「“愛”と“恐怖”だ」
『アァァァァアアアッッ!!』
 ごきり。
 身の内が軋む。この痛みは、鍛え抜かれた筋肉を通り越し、内の、最も内側の、骨を掴んでいた。
 ミチルの太い絶叫。
 するりと離れたルースの手には血の一滴さえ付いてはおらず。骨圧し折った“おまじない”など、余程の術者でなければ感じることさえ困難で。
「お大事に、な」
 細まる青眼は一瞥与えただけ。
 ヒュゥ、と空気抜ける喉。立っているのもやっとであろうミチルは鬼の形相。血の滴る唇は、薄明りにも分かるほど赤々と。
「行きはよいよい、帰りは――……ご機嫌よう、あなた」
『っ、小娘ぇ……!』
 ぐわんと捻じ曲がった世界は、本で満ち満ちていた。
「お気をつけて、“それ”はしつこいですよ」
『は?……っ、な』
 笑った主は本の間に夢と溶けて。
 ミチルの背には、巨漢と自負する自身を遥かに凌ぐ――否、天井さえ狭いと言わんばかりの大男。
「―――ぉ、」
『ちくしょう』
 ど、と有無言わさず降り注ぐ水晶の刃が、浅黒い肉を引き裂いた。
 彼の幻は、夏の夜の蜃気楼が如く。

●ないないの、夜
 影すら残さず消えたミチルへ、柔らかな茶の手袋が一つ。
 血痕さえ残らぬ場への一瞥はクララなりの餞別だった。

 事が済み修復も終え、折角だからと八人一緒に廻ったお化け屋敷は中々の。
 じんわり足元から這い寄るような恐怖にのあとメイがほぼ同時に悲鳴を上げていた、と微笑みあう余裕があるのは歴戦のケルベロスだからこそか。
「そいえば、お部屋回ってて時にのあさんが突然手を繋いできてびっくりでしたー」
「うん?のあ君は私と手を繋いでいただろう?」
 不思議そうな顔をした幻の言葉に、けろりと笑っていた遥日の瞳が瞬く。
 それじゃあ誰が?途中で変わった?いや、最後まで。
 と、その時。
「あ、あのね!のあ、メイ抱っこしてたから誰とも手繋いで無いよ!」

 静寂に聞こえるのは夏虫の声。
 騒めく夜はまだ続く。

作者:皆川皐月 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月17日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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