おじいさんの時計

作者:そらばる

●動かなかったはずの柱時計
「……ほんとうに、おうち、こわしちゃうの?」
「ああ。もう誰も住めないからね」
「おじいちゃんの時計も?」
「あれももう、大昔に壊れたきりで、修理しようもないだろう。こんな山奥から運び出すのも大変だからなぁ……」
「……」
「さ、早く帰ろう」
 父親に促され、男の子はとぼとぼと洋館を後にした。
 雑草が伸び放題に繁茂するその足元の草むらを、奇妙な物体がすれ違ったことには、父子共に気づかない。
 物体は、こぶし大の球状の宝石だった。蜘蛛のそれに似た機械の足を忙しなく動かし、山奥に佇む寂れた洋館の内部へと難なく侵入を果たす。
 内部は完全に無人。広々とした玄関ホールの中央には、天窓からの明かりに照らし出されるように、大きな柱時計が据え付けられていた。
 木製の立派な意匠だ。だがずいぶんと古ぼけていて、振り子も針も動かない。
 蜘蛛もどきは迷いなく古時計の中へと、吸い込まれるように入り込んだ。カチカチゴトゴト、部品が組み替えられているらしきくぐもった音が続いたのち、……カチンッ!とひと際大きく響いた音を最後に、時計は完全に沈黙した。
 止まっていたはずの長針が振れ、重々しく十二時を指した。
 ボーン……ボーン……ボボーン……ボボーン……。
 時を止めていたはずの時計は息を吹き返し、深みのある音色を屋敷中に響き渡らせた……。

●偽りの時を刻んで
「取り壊しを目前とする山中の洋館に置き去られた古時計が、ダモクレスと化してしまう事件が発生いたします」
 戸賀・鬼灯(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0096)は、集まったケルベロス達に予知を語り聞かせた。
 幸い被害はまだ出ていないが、放置すれば多くの人々が虐殺され、グラビティ・チェインを奪われてしまうだろう、と。
「主を失った時計を利用する、か。やりそうだとは思ってたけど、さすがデウスエクス、趣味が悪い」
 犬曇・猫晴(銀の弾丸・e62561)は皮肉っぽく肩をすくめた。
 鬼灯は静かに頷き、愁眉を寄せつつケルベロス達に頭を下げた。
「事が深刻化する前に現場に赴き、ダモクレスの撃破をお願い致します」

 敵は柱時計型のダモクレスが1体。配下はいない。
「こたびのダモクレスは、古時計の姿をほとんどそのまま保っておりますが、中身は完全に機械的に作り変えられております」
 家電の残留思念のようなものを受け継いでいるらしく、グラビティもそれらしいものになっている。時報音を激しくかき鳴らす、針をグルグル回して時間の感覚を狂わせる、カチコチカチコチと歯車を鳴らして自分の躯体を調整する、といった感じだ。
「こちらの洋館は、所有者であるご老人が亡くなったために取り壊しが決定しているようです」
 柱時計がダモクレス化するのは、当日洋館を訪ねた所有者の息子と孫が山を下りようとしている最中。
「まず手始めに彼らの命が狙われるのは必定。どうか皆様のお力で敵を討滅し、来る悲劇の阻止を、お願い致します」


参加者
ヒルダガルデ・ヴィッダー(弑逆のブリュンヒルデ・e00020)
メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)
コマキ・シュヴァルツデーン(翠嵐の旋律・e09233)
篠・佐久弥(塵塚怪王・e19558)
朧・遊鬼(火車・e36891)
智咲・御影(三日月・e61353)
犬曇・猫晴(銀の弾丸・e62561)
エトワール・ネフリティス(翡翠の星・e62953)

■リプレイ

●古時計は蘇る
 親しんだ洋館を後に、うつむきがちに車に乗り込もうとしていた父子は、静かな山中に突如鳴り響いたプロペラ音にぎょっとして顔を上げた。
 それと同時、間近に次々と人影が着地し、父子は抱きしめあうように硬直してしまう。
「間に合ったようだな」
 父子の無事の姿を確認し、ナノナノのルーナを伴った朧・遊鬼(火車・e36891)は小さな安堵の呟きを零した。
「あ、あなた方は……」
 父親の霜介は相手がケルベロスと気づいたらしく、すぐに警戒を解いた。
「ミスタ近衛木、お願い」
「頼むぞ」
 メアリベル・マリス(グースハンプス・e05959)の凛とした言葉と、ヒルダガルデ・ヴィッダー(弑逆のブリュンヒルデ・e00020)の不敵な笑み、そして仲間たちの目配せに応えて、近衛木・ヒダリギ(森の人・en0090)はしっかりと頷き、父子のもとに歩み寄った。
「おれたちはケルベロスです。あなたが管理されている洋館に、今、デウスエクスが……」
 そつなく父子に説明するヒダリギの声を背に、ケルベロス達は件の洋館へと急いだ。
「じじ殿と共に過ごした大切な時計が異形と化すのを見られないよう、急いで対処しないとな」
 呟きつつ、真っ先に駆け込んだ智咲・御影(三日月・e61353)が玄関の扉を開け放った。
 正面に佇んでいるのは、見上げるほどに背の高い柱時計。天窓からの斜光に浮かび上がる、古めかしい意匠と歳月を経た風格は、どこか神々しささえ帯びて見える。
「あらまあ、立派な時計じゃないの」
「大きなのっぽの古時計……歌にあるとおりね」
 コマキ・シュヴァルツデーン(翠嵐の旋律・e09233)とメアリベルが各々に感心した声を上げると同時、
 ……カチンッ! 歯車が噛み合う音がホールに響いた。そして、
 ボーン……ボーン……ボボーン……ボボーン……。
 深みのある音色が屋敷中に響き渡り始める。
 すなわち、ダモクレスへの変化が完了したのだ。
 コマキはやるせなくかぶりを振った。
「建物も素敵だし、ちょっともったいないけど、仕方ないわねえ」
「やっぱり屋敷の中の戦いになるっすね。特に準備がいらないのは楽っすけど、少し周囲に気を配りながら戦ってみるっすか」
 篠・佐久弥(塵塚怪王・e19558)は二振りの鉄塊剣を手に隙なく構えを取る。
「想い出のものに入り込むなんて、良い趣味してやがるよ、ほんと」
 皮肉げに呟きつつ、全身にグラビティを漲らせる犬曇・猫晴(銀の弾丸・e62561)。
「人の思い出を踏みにじり、その上、命まで奪おうなんて。随分と酷い話だなぁ」
 まぁ、デウスエクスは大抵、いつもそうなのだけど。ぼやきつつも、喰霊刀を構えるヒルダガルデの口許には相変わらずの笑み。
 息を吹き返した古時計を見上げ、エトワール・ネフリティス(翡翠の星・e62953)は回顧する。森の奥で老エルフと共に暮らしていた日々を優しく刻んでいた針の音。高らかに鳴る時を告げる音。見上げるほどに大きな、古めかしい時計。ずっと大好きだった、だから。
(「――見届けたい」)
 まっすぐな眼差しが見つめる先で、奔放に動いていた時計の長針と短針が、十二時を指して重なり合った。

●絡繰りの戦い
 ボーン! ボボーン! ボン、ボボーン!
 ひと際激しい時計の音が大音声で鳴り響く。複数の音色が重なり合うように忙しなく、力強く、聴覚を圧迫する暴力的な音の洪水。
「これしきの威圧、問題ないっす。血潮よ燃えろ、加速しろ――」
 餓者髑髏、以津真天。二本一対の鉄塊剣を変形合体させ、電離血漿大刃・灼血を繰り出す佐久弥。プラズマ化した炎血が噴射され、古時計の体内を蹂躙していく。
「臆している暇はないぞ、ほら」
 軽装の鎧に変化した臆病なオウガメタルを勇気づけ、ヒルダガルデは嬉々として時計の外装に鋼の拳を抉り込んだ。
「おじいさんの思い出の品を壊してしまうのはもったいないわ。でもそんなこと言ってられないわね」
 実に残念、とばかりに零しながらも、メアリベルの放つ炎弾は容赦なく敵を打ち据える。
「思い入れのあるものに乗り移ったダモクレス……大切な思い出を壊すかのような所業だな」
 エクスカリバールを構え、苦く呟く遊鬼。
「早く止めねばな」
 バールの鋭い先端が木製のフレームを穿った。が、柱時計はその姿をかき消し、損害を最小限にいなした。
 離れた場所に再出現した古時計を狙い澄まし、圧縮されたエクトプラズムの霊弾が正確な軌道を描いて襲い来る。
「嬉しいか、哀しいか。でもまずは少し落ち着いて、おれ達にもその音、聴かせてくれ」
 御影の問いかけに答えるように、霊弾に打ち据えられた時計はボボン……と悲しげにも聞こえる音色を奏でた。
 カチコチカチコチ。秒針が加速する。長針と短針がでたらめな速度でぐるぐると回転する。
 じっと柱時計を見据えていたエトワールは、くらりと眩暈を覚えた。
「あれは……お爺さまの大時計……?」
「しっかり! 癒すも呪うも魔女の得手よ!」
 コマキはすかさず大地より惨劇の記憶の魔力を抽出し、後衛に癒しの死霊魔法を施した。Sylvan Lythaliaの占いにより強化された浄化能力が、仲間たちの眩暈を祓っていく。
 エトワールははっと我に返ると、
「……じゃないっ。あれは、敵!」
 自分の頬を両手でぺちんと叩き、迷妄と躊躇いを振り払った。
 降り注ぐグラビティ。時計は姿を消しては現れ、ケルベロス達の攻撃をいなしつつ対抗してくる。
 その姿をじっと目で追っていた猫晴は、足の裏にグラビティを溜め、蹴り出す瞬間、一気に放出してみた。それは物凄い初速となって猫晴の体を前方へと押し出すも、瞬間移動のような芸当には結びつかない。
「駄目か……鍛錬を積めばあるいは……」
 ぼやきつつ斬り込んだ剣鉈は空の霊力で敵の損傷を的確に斬り広げた。
「面白いこと考えるっすね。俺も見習いたいっす、明日から」
 佐久弥は感心しつつ、明日から本気出す、という誓いの心を爆発させた。増殖された不浄に動きを阻害され、古時計は足元から噴出する溶岩から逃げきれない。
 カチコチカチコチ。古時計の内部で歯車が忙しなく動く音。ダモクレスの体内が自己整備されていく。不浄はほとんどが祓われ、刻み込まれた傷も消え、瞬く間に古めかしく厳めしい姿を取り戻していく。
 武具に炎を纏わせながら、眉をひそめる遊鬼。
「存外に手こずりそうだな……」
 献身的なナノナノは主の懸念を慰めようとするかのように、ハート型のバリアを一生懸命輝かせるのだった。

●今再び、時を止めて
 事実、古時計は思いのほか厄介な敵だった。時報音による威圧と針による幻惑が、夥しいまでにケルベロス達を攻め苛む。歯車の自己調整を行えば、積み重ねた状態異常をかなりの割合で無為に帰される。
 ケルベロス達は治癒に気を張らざるを得ず、今一つ精度と攻め手を欠くこともしばしば。
「確かに厄介だが……逃すものかよ」
 ヒルダガルデは剿滅のローゲにより自身の不浄を祓うと、歯ごたえのある戦いを愉しみながら、抜群の精度と火力を誇る斬撃を敵に浴びせた。呪詛を載せた美しい軌跡が古時計を鋭く斬り裂く。
「古いものは職業柄重んじるけど、ダモクレスになったなら話は別ねー」
 仲間の体調に気を配りながら、コマキは治癒と強化を途切れさせることなく仲間に行き渡らせていく。遅まきに合流したヒダリギも治癒に加わり、力を合わせて陣営を維持していく。
「思い出に惹かれたか? だけど、それはお前が触れて壊して良いものじゃない。返してもらおう、その時計」
 古時計内部のダモクレス本体に呼びかけながら、御影は非物質化した斬霊刀で汚染破壊の一撃を放つ。古時計を切り刻む本意ではない手応えに、かすかに苦い表情になってしまう。
「きついな……もらうぞ」
 度重なる戦傷に小さく顔を歪めつつ、果敢に踏み込む猫晴。斬り裂いた敵の傷口から噴き出す返り血に似たエネルギーが、自身の傷を癒していく。
 じりじりと消耗していく双方の陣営。戦いを重ねるうちに、古時計は強烈な火力を叩き出す前衛への警戒を強めていった。度重なる針の幻惑に、佐久弥は奥歯を食いしばる。
「頭くらくらするっす……でも負けないっすよ」
 やればできると信じる心で果敢に踏み込み、時計のど真ん中に凍結の魔力を叩きこむ。ドンッ。強大な衝撃が、古時計を吹き飛ばさんばかりに押し出した。
 遊鬼は周囲に氷を思わせる青い鬼火を複数召喚した。
「さぁ、俺が鬼だ。精々綺麗に凍りついてくれ」
 【言霊遊戯】氷鬼。それは遊鬼の意思紐解いた秘術。エクスカリバールに纏いついた鬼火は、触れた瞬間敵を芯から凍り付かせた。
 古時計の動きをつぶさに観察していた猫晴は、だしぬけにその懐に飛び込んだ。
「ちゃんと相手を見なきゃ、こんな目に合うんだよ」
 魔叩。相手の呼吸に合わせて繰り出すシンプルな打撃が、古時計を圧倒する。
 互いの命を削りあうような、終わりの見えない攻防。しかし限界は不意に訪れる。
「ずっと永い間、見守ってくれていたのだろうに。こんな終りを迎えるのは、淋しくはある、が」
 霊を憑り集め縒り上げ、霊刀を生み出す御影。
「人を傷付けることも、望まないだろう――きみも」
 御影は間合いを瞬時に埋めた。霊鳴。エクトプラズムを纏う霊刀が敵を鋭く斬りつける。夥しい呪いの縛めが、古時計の動きを鈍らせた。
 古時計は慄く如き震えを帯びながら、カチコチと歯車の音を響かせ……ガチンッ! 噛み合わせに失敗したらしき不快な金属音が、治癒を断ち切った。
 ケルベロス達は一斉に動いた。痺れたように動けずにいる古時計へと、猛烈なグラビティが降り注いでいく。
「カタチあるものはすべて壊れる。哀しいけどそれがさだめ」
 ビハインドの『ママ』に足止めを任せ、メアリベルは黒い渦から巨大な蜘蛛を生み出していく。
「アナタはここで終わり、大きなのっぽの柱時計さん。断末魔を打ちなさい」
 リトル・ミス・マフェット。グロテスクな大蜘蛛が粘着質の糸で縦横無尽に巣を張り巡らせ、古時計を絡めとっていく。
 コマキの淡く血の透ける瞳は、爬虫類の如く縦に割れた瞳孔を鋭く細めた。
「棘の無い薔薇は無い、恐ろしさの無い魔女もまた然り! 生と死の垣根に立つ女、その末裔を甘く見ないでッ!」
 Fragile Thorn。指で描き出したのは、棘を意味する三番目のルーン『スリサズ』。指先から放たれたエクトプラズムは細く長く、水引細工のようにイバラの形を成しながら古時計に巻き付く。舞い散る花弁が魔力の銃弾の如く苛烈に襲い掛かる。
 エトワールは翡翠の杖をしゃらりと鳴らして、沢山の星型を描き出す。
「お星さまとの鬼ごっこ。キミは逃げ切れるかな?」
 大小様々な無邪気な星屑たちが、瞬間移動を繰り返して逃げる古時計をどこまでも追いかけて、追いかけて。子供のような疲れ知らずの鬼ごっこ。響くのは、ひどく無邪気で楽しげな声。
 猛攻に打ち据えられ窮地に追い詰められた古時計を目前に、ヒルダガルデのよく躾けられた二振りの喰霊刀は飢えたように狂暴な気配をにじませた。
「良いぞ、許可する。存分に喰らい尽くせ」
 笑み含みの主の「よし」を得て、二刀は嬉々として敵へ襲い掛かった。暴走する喰霊刀より繰り出される究極奥義が、凄まじい衝撃で古時計の芯を穿つ。
 カチッ、カチカチカチカチカチ!
 歯車が激しく音を上げ、針は急速に時を戻し、そして全てはぴたりと静止する。
 古時計の巨体は大きく傾ぎ、部品同士がぶつかり合うひどい不協和音を奏でながら、横倒しに床に沈んだ。

●思い出と共に
「おつかれさま。永い時間を刻んだ大時計さん」
 今まさに命尽き、消え尽きようとしている古時計に、エトワールはちょこんと頭を下げてお別れの言葉をかけた。
「ねぇ、輩よ。君はまだあり続けたいかい?」
 戦傷を癒す前に、佐久弥はヒダリギの肩を借りながら、光の粒子に変じ始めた古時計の前に歩み出た。廃棄物を同胞と認め、静かに言葉をかける。
「もしも君がまだ人とあり続けたいというのなら、俺と共に行こう」
 けれども愛された記憶と共に眠りたいのならば、止めはしない――。
 言葉を持たぬ時計は答えるすべを持たない。ただ、ボン……と小さく最後の音色を一打ちすると、粒子と化して消えていった。……幾星霜の時を刻んできた三本の針だけを、その場に残して。
「終わったな……」
 安堵に肩の力を抜く遊鬼。
「なに、まだまだ。館がひどい状態だ」
「取り壊しが決定しているといっても、このままだといい気分はしないわねえ」
 ヒルダガルデとコマキが手早くヒールを振りまき始める。戦いの痕跡をそのままにしては工事業者も危なかろうし……何より、古時計に関わった人々の思い出を、少しでも元に戻してやりたかった。
 他の仲間たちも次々に修復に加わった。
「一度、帰ろうかな……」
 エトワールはコマキのヒールを手伝いながら、湧き上がった郷愁をぽつりと呟く。老エルフの顔と大時計を見に、近いうちに帰郷するのもいいかもしれない。
 やがて修復が終わる頃、霜介、一星父子が屋敷に姿を現した。戦いの騒音がやみ、屋敷が治癒の輝きに満ちたことを見てとり、自ら引き返してきたという。
 感謝に堪えない様子の霜介と、複雑に黙り込んでいる一星の前に、メアリベルと御影は一本のネジを差し出した。
 ホールの隅に発見した、ひどく錆びたネジだ。グラビティの痕跡がないところを見ると、おそらくダモクレス化する際に不要と弾かれたのだろう。ダモクレスに侵食されずに済んだ、奇跡の一本だ。
「柱時計さんの形見、大事にしてあげて。……モノは滅びても思い出は消えないわ」
 メアリベルは一星に語り聞かせた。同じように立派な柱時計と共に、幼少期を過ごしたこと。その柱時計が屋敷と一緒に焼け落ちてしまった今も、思い出だけは忘れていないこと。
「どう言えばいいのか、難しい、けど……」
 御影はネジを、一星の手に握らせた。
「悔いのないようにするといい。きちんとお別れを告げる、とか。自分自身の思うように」
 口をへの字に閉じ結んでいた一星は、途端に顔をくしゃくしゃにして泣き出し始めた。ネジを握り締めた手を顔に引き寄せて、おじいちゃん、おじいちゃん、と切ない嗚咽を繰り返す。霜介がその肩を抱き、息子の悲しみを見守った。
「ミスタ霜介も忘れないであげて。こんなカタチになってしまったけれど……アナタが覚えている限り柱時計の寿命は尽きない」
 メアリベルの言葉に、霜介は強い瞳で深く頷き返した。
 それを見届け、メアリベルは満足げに踵を返し、ママと手を繋いで童謡を口ずさみながら洋館を後にした。
(「あの子はお別れの時がきたのを皆に教えてくれたのかもね」)
 泣きじゃくり寄り添う父子。その姿を遠目に、声をかけそびれてしまったか、と猫晴はぼやいた。交渉をかけるなら後日に回すべきだろう。
「尤も、余計なお世話と思われるかもな」
 洋館を買い取りたい、と声をかけて、今の彼らが頷くかどうかは五分五分か。
 そんな風に物思いながら、猫晴は誰にも気づかれることなくその場を立ち去った。
 祖父との思い出を胸に、その死を悼む無垢な泣き声を、心地よく聞き届けながら。

作者:そらばる 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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