翡翠の泪

作者:小鳥遊彩羽

 ――とある、夜のことだった。
 人気のない浜辺で、玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は一人、波の音を聴きながら紫煙を燻らせていた。
 正確には、一人と、一匹。一頭。あるいは、魂を分かち合ったのだから、もうひとり――いずれにしても彼にとっての翼猫は、そういった物差しで数えられるような存在ではなかった。
 何を考えていたのか、あるいは、何も考えていなかったのかもしれない。今彼の目の前に広がる海はどこまでも遠く、深く。一歩足を踏み入れれば、容易く彼の魂を絡め取るだろう。尤も、そうするつもりなど微塵もなかったが。
 ――その時、不意に風の流れが変わったのを、煙草の煙が教えてくれた。
 はっとしたように振り返れば、陣内の目の前に、ひとりの美しい女が現れていた。
 翡翠の翼を背に、木香薔薇を頭に飾った、オラトリオの女。
 猫が威嚇するように翼を戦慄かせる傍らで、陣内は、信じられないような表情でその女を見つめていた。
 女は、まるで聖女のようなたおやかな微笑みを、陣内へと向けていた。
「……、な……」
 陣内は何かを言おうとした。だが、その先を紡げぬまま、立ち尽くす。
 知っている、顔だ。だが、どこかが、何かが、根本的に違う。
 本能的にそう気づいたが、身体が動かない。動けない――。
 そんな陣内に、女は微笑みを浮かべたまま、――全てを奪うための手を差し伸べたのだった。

●翡翠の泪
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)がデウスエクスの襲撃を受ける――切羽詰まった様子で、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)は招集したケルベロス達へその予知を告げる。
「急いで連絡を取ろうとしたんだけど、繋がらなくて。でも場所はわかっているから、今からすぐにヘリオンで向かうよ」
 一刻の猶予もなく、陣内が無事でいる内に何とか救援に向かってほしいと、トキサはヘリオンの運転席に飛び込んだ。
 そして、ヘリオンを飛ばしながらトキサは続ける。
「陣内さんを襲ったデウスエクスは、死神だ。でも、その死神が依り代としている女性は、どうやら陣内さんと縁の深い存在であるらしい。けれど、……陣内さんには酷だけど、陣内さんが知っているであろう人の人格は、残っていないと思って、戦いに臨んでほしいんだ」
 それでも何か、届けたい想いがあるならば届けてあげてほしいとトキサは言う。結末は変えられなくとも、その想いはきっと、胸の奥に閉じ込めておいて良いものではないから。
 死神の攻撃方法は、三つ。一つ目は、依り代としている女性の翡翠の翼から放たれる無数の光。二つ目は、髪に飾られた木香薔薇の香り――それを濃厚にしたものによる精神攻撃。そして三つ目は、死神の骨の尾による薙ぎ払いだ。死神は配下を連れておらず、戦いの舞台となる浜辺には、陣内と彼女の他には誰もいない。空は晴れている。灯りを持ち込めば尚安全だが、なくとも支障はないだろう。
 そして、トキサは陣内と『彼女』がいる浜辺の上空へ到着したと告げた。
「陣内さんにとっては、とても辛く苦しい戦いになると思う。けれど、彼のために来てくれた皆の力があれば、デウスエクスを倒し、彼を救うことが出来るはずだ。――頼んだよ」
 トキサはケルベロス達に後を託し、そして、地上へと続く扉を開いた。


参加者
エルス・キャナリー(月啼鳥・e00859)
琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
佐々木・照彦(レプリカントの住所不定無職・e08003)
鮫洲・蓮華(ぽかちゃん先生の助手・e09420)
月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)
比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)

■リプレイ

 違っていてもいい。
 紛い物でもいい。
 ただ、『また、会えた』――その想いだけが心を支配する。

「――凪、」
 涙で滲む視界に映る、『彼女』の微笑。
 耳元で響いた気がした声は、聞かなかったふりをした。
 香らないはずの黄薔薇が香り、玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)を呑み込もうとした、次の瞬間。
「――陣!」
 視界を覆った鮮烈な赤に、陣内は目を瞬いた。
 ヘリオンから降りて逸早く飛び込んできた新条・あかり(点灯夫・e04291)が死神の一撃を受け止め、眩む意識を払うように首を振る。
 その間にも、次々に仲間達が戦場へと駆けつけていた。
(「陣内様は凄い動揺されてるけど……一体あの美人な方はどなたなのかしら?」)
 テレビウムのアップルが凶器で殴りかかる中、琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)は思考を巡らせる。
 穏やかな笑みを浮かべる『彼女』に対し、淡雪が感じたのは不穏な気配。同時に皆で陣内を支えなければとも思いつつ、淡雪は前衛へと素早く紙兵をばら撒いた。
「偶には淡雪さんも真面目に働きますわよー!」
 そして格好良いところをあかりに見せるのだと、密かに決意を固めたりもしながら。
 テレビウムのテレ坊に皆を守るように伝え、佐々木・照彦(レプリカントの住所不定無職・e08003)は絡む砂を踏み締めながら竜砲弾を叩き出した。
 確かな手応えを得て照彦は仲間達を見やり、それから陣内へと目を向ける。
 敵の姿に覚えた違和感。陣内のらしからぬ動揺。
 ――『彼女』と陣内がどういう関係であるのか、照彦は確信こそ出来なかったが、予測するのはそう難しいことではなかった。
(「ほんでも、俺には判断がつかん」)
 どうすればいいのか。どうするべきなのか。
 すぐに答えを見出だせぬまま、場を満たす得体の知れない空気を払うように照彦は次なる手を打つべく構えた。
「凪、……おねえちゃん」
 穏やかな笑みを湛えながらも陣内へと純粋な殺意を向ける、空色の翼を持った天使。その姿を目の当たりにした比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)が落とした声にも困惑が混ざる。
 アガサの脳裏に蘇るのは、遠く幼い頃の記憶。
 自身を抱く腕と、ふんわりとしたいい匂い。あたたかな日差しの中、優しい歌声と共に感じていた柔らかな感触は、父と母のそれではなく――。
(「まさか、こんな形で再会することになるとはね」)
 あかりが放った轟竜砲が、戦いの狼煙のように噴煙を上げた。同時に、アガサも月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)へと満月に似た光の加護を託す。
 翡翠の翼、髪の木香薔薇。美しいひとだとイサギは思う。
(「命のあるうちに会ってみたかった……なんて感傷は私らしくないね」)
 刀が持つ魂の力。それを己の内に取り込みながらイサギは告げる。
「玉さん、斬ってもいいね」
 それは確認のようでもあり、『自分が斬る』という宣告のようでもあった。
「――白き真珠の輝きが、みんなの力を輝かせる!」
 詠唱と共に人魚姫のような姿へと変じた鮫洲・蓮華(ぽかちゃん先生の助手・e09420)が、魔力を込めた白き真珠の力を解き放ち、術式領域を形成する。
 白衣の裾を翻しながら尻尾を飾る輪を飛ばすのは翼猫のぽかちゃん先生だ。
「陣内さん……!」
「たまちゃ……様!」
 蓮華と同時に陣内を呼び、エルス・キャナリー(月啼鳥・e00859)は白砂に守護星座を描き出す。
 何故だか放って置けなくて、何故だか守らなければならないと、エルスは姉のような気持ちになりながら陣内を見つめる。
(「ほっとけないの。優しすぎるから、どうしてもほっとけない」)
 エルスの胸の奥に確かに灯るそれが、今ではないいつか、遠い世界で紡がれた縁の果てにあるものだとしても、彼の力になりたいという想いは偽りではない。
 凪、と。陣内が呆然としながらも確かに『彼女』の名を呼ぶのを聞きながら、あかりは静かに『彼女』へと呼びかける。
「はじめまして。僕はあかり。新条あかり」
 陣内が『彼女』に対して抱いている想いを知っている。だからこそあかりは自身の感情を表に出さずに、常と同じように振る舞いながら続けた。
「……悪いけれど。彼をあなたに渡すわけには、いかない」

 翡翠の翼から放たれる光が後衛を灼く。
 盾として無意識に身を晒しながらも、陣内は未だ『彼女』に対して何も出来ずにいた。
 背中の古傷が鈍く痛む。
 仲間達から託される満月に似た光が、心の奥底を揺さぶってくる。
 陣内は、『彼女』が何故命を落としたのか、その本当の理由を知らないまま、『彼女』が死んだという事実だけを抱えて今ここにいる。
 失われたままの記憶が歪められて、自身の手で『彼女』を殺したのだと錯覚する。
 満ちる光に呼び覚まされた衝動が、『彼女』を殺した。冷たくなった身体を火の中へ送って、もう一度殺した。
 ――白い骨を砕いて、また殺した。
「……いやだ」
 もう殺したくないという、魂の声。
 そんな、歪められた苦しみすらきっと愛おしいもののひとつなのだろうと、影の斬撃を繰り出しながらあかりは想う。
 これが最後であろう逢瀬だから、陣内が前面に立って攻撃を受け止めるのも、制するつもりはなかった。
 けれど、同時に。
『彼女』が彼を奪おうとするならば刺し違えてでも護ってみせると、あかりは心に決めていた。
 ただ一つ、願うのは。
(「どうか彼を、連れて行かないで」)

 月光に照らされた水面のように、陣内を含む前衛を取り巻く光の粒子の煌めきは、狼森・朔夜が導いたものだ。
(「死神のこの手の所業は、何度も見てきたはずだけど……」)
 今度の相手は、いつにも増して来るものがあった。だが、とにかく万が一にも陣内を失うことがないよう、朔夜は精一杯の支援の手を伸ばす。
「行ってこい。でもって、ちゃんと帰ってこいよ」
 皆と共に陣内を守ろうと、尾方・広喜は常と変わらぬ笑みを浮かべながら、鮮やかな青色の風を起こし背を押して。
「そう易々と知人に手を出されるわけにはいかんのでな。やることはやるから安心してくれ」
 神崎・晟はそう言って、ヒールドローンの群れを飛ばす。
(「あんなに取り乱した玉榮さんの姿は初めて見ます……大切な人、だったんでしょうか」)
 自分に出来ることは限られている。けれどどんな形であれ、陣内にとって悔いのない結果になることを願いながら、玄梛・ユウマは自らが傷つくのも厭わず盾として力を尽くした。
「……人が死ぬのは忘れられた時よ」
 守護の魔法陣を描きながら、黒住・舞彩は静かに陣内へと告げる。
「あれは死神。他人の空似みたいなものよ。見た目が似てるだけの、別人。……それを本人のように、なんて。その人を本当に死なせる気?」
 死神が誰の姿をしているかは知らない。だが、陣内が珍しく動揺しているのを見て、親しい人なのだろうと察することくらいは出来た。
 だからこそ、放っておくことは出来なかった。
「別人を本人と思うなんて、忘れたようなものでしょう」
 オウガメタルの粒子で視界を拓きながら、アンセルム・ビドーは静かに問う。
「キミが戦わないなら……キミを守るために、別の人が戦うよ。……それでもいいのかい?」
 言葉少なだったけれど、大切な思い出として伝え聞いた『彼女』と向かい合う陣内の表情に心臓を鷲掴みにされながらも、遠之城・鞠緒は想いを歌に変えて紡ぎ上げる。
 夜風に乗せて響かせるのは、失われた愛しい想いを謳う歌。翼猫のヴェクサシオンもまた、鞠緒の想いに応えるように、陣内の翼猫に寄り添って蒼い翼を羽ばたかせていた。
 死神の行為は死者への冒涜であり、到底許されることでかない。
(「……とは、言っても。対峙する本人としちゃ敵と割り切れるものじゃない、よな」)
 ならば最大限のサポートをと、ナザク・ジェイドは遥か遠い平行世界に生きる紫百合と灰色翼のオラトリオの力を用いて、皆を癒す。
「大切な方ならバ、なお、死神に利用されるままではいけまセン」
 黒鎖を操りながら、エトヴァ・ヒンメルブラウエも真摯な想いを紡ぐ。
「……もしも、吐き出すべき言葉があるならバ。届けるならバ、それは――」
 今しかないのだと、エトヴァは願うように守りの光を重ねた。
 例え、悲劇で終わった物語だとしても。
 全てが悲しいだけではなく、陣内にとって大切な想い出のはずだから。
 だから、彼が全てを悲劇にすることのないよう、七宝・瑪璃瑠はただ祈る。
 いつか、彼が楽しかったことも、美しかったことも思い出せるように。
「兄様、たまにいの悲しみに、おやすみなさいをしてあげて!」
 そのいつかを護るために、瑪璃瑠は大切な兄であるイサギに想いと願いを託す。

「あれは懐かしくも愛おしい、君の記憶のひとではない」
 同胞達から疑似満月の加護を受け、喰霊刀が捕食した魂のエネルギーを取り込んで。
 自らの力を高めながら、イサギは陣内へと問いを重ね続ける。
「彼女は死んだ。死んだものには二度と会えない。どんなに希っても不可逆の摂理だ」
 陣内に言葉が届いているのかどうかは、今のイサギにとってさしたる問題ではなかった。
「偽者、まやかし、死人。――ならばあれは斬ってもいいモノだろう?」
 陣内の想いがどうであれ、『彼女』を斬るのが己の役目であることに、変わりはないのだから。

 濃厚な薔薇の香りに目が眩む。同時に、蓮華は背後に白い人魚の気配を感じた。
『――あの人も……死んだら、大事な人と永遠に一緒にいられるのよ……?』
 伸ばされた細い手が、するりと頬を撫でる。その、ひどく冷たい感触に、蓮華はぶんぶんと首を横に振った。
「違う! 死んで叶えられる願いなら、あの人はここに、今を生きてなんかいない!」
 眩い光のドレスのようなオウガメタルの粒子を纏い、蓮華は死神へと向けた拳で幻を振り払う。
(「あんまり傷つけたくないけれど……それでも……!」)
 そうして、呆然と佇むだけの陣内へと振り返った。
「陣内さん、ダメだよ! ここで終わらせなかったら、きっと後悔する……!」
 彼が愛していたものが、誰かを不幸にしたら。それは本当に悲しいことだと蓮華は想い、ゆえに願う。
「……お願い、死神から救ってあげて」
 照彦が抱いていた違和感は、迷いだった。
 敵、彼、自分――その全てに対する答えの出ない苛立ちが、照彦にがむしゃらに力を揮わせていた。
「なぁ、タマちゃん。俺は、生者に鞭は打てん。生きてる子のが大事やからな。だから、今、目の前にいる子の事に精一杯になってくれ」
 照彦には背を押すことも、倒せと説得することも出来ない。何故ならこれは、彼自身の問題であるから。
 だから、愛する人が生きていること、それを大事にしてほしいと。言葉にすることこそなかったものの、照彦はただ願う。
 そして願わくば、陣内がもう一度『彼女』に花を手向けてくれることを。
「逝った人は帰らない……帰っても、元のその人じゃなくなるの。デウスエクスに操られるより、ちゃんと行くべき所へ送りましょう」
 かつて存在した旧世界の闇が記された魔導書の禁断の断章を紐解きながら、エルスは静かに陣内へと告げる。
 理性ではわかりきっていても、感情に逆らえない時もある。その気持ちは、当人にしかわからない。
 過去に寄り添うことは出来ないから、陣内が抱えている想いがわかるなどとは言えないし、もしも自分が彼と同じ立場になったとしたら、惑わされずにいられる自信はエルスにはないけれど。
 だからと言って、このまま黙って見過ごすなど出来るはずもない。
 誰かが為さなければならないのなら、代わりに為す覚悟もエルスにはあった。
 誰よりも優しい陣内の悲しみが、これ以上深まることのないように。
「正気に戻らない様でしたら……陣内様の大切な姫を我が家へ連れ帰りますわよ!」
 半透明の御業を解き放ちながら、淡雪は叫ぶ。それは淡雪なりに発破をかけたつもりであり、陣内と、そしてあかりを見る目は優しいものだった。
(「私にも守りたいモノが出来たら、此処まで強くなれるものかしらねぇ……」)
 アガサはわざと陣内にルナティックヒールをぶつけ、そうして、それでもまだ動こうとしない彼の胸倉を掴み上げた。
「――あれは凪じゃない!」
 震える声で、アガサは叫ぶ。今にも泣き出しそうな瞳で、陣内を睨めつける。
「自分の手で、きっちりケリをつけろ!」
「……っ、」

 陣内へ向けられる皆の言葉は、どれも彼を心から想い、案じているからこそのもの。
 ――それでも。
「……いやだ。できない」
 陣内には、出来なかった。
 自分の手で為さなければならないと、頭ではとうに理解していた。そして、これが最後になるということも。
 多くの仲間達が力を尽くし、想いを寄せて、守ってくれていることも。
 誰よりも大切な少女が、己のために傷ついていることも。
 それらをわかっていても、――尚。
 どうしても、心が、自らの手で『彼女』を傷つけることを許さなかった。
「……殺さないでくれ」
「……言うと思った」
 絞り出された懇願に、イサギは吐き出す息に艷やかな笑みを交えて。
「そのまま目を閉じて耳を塞いで、蹲って泣いていていい。……私は、何であろうと斬れるんだよ」
 情がなく、ゆえに胸が張り裂けるような狂おしい想いを、知らないからこそ。
「だめだ。殺さないでくれ。殺したら、本当にもう二度と、」
 陣内がどれほど駄目だと願っても、斬るなと請うても、イサギの心には響かない。
 迅速に、確実に、『敵』をこの世から消す――ただ、それだけのことだった。
 そして、瑪璃瑠から月光の力を受け取ったイサギの放つ一刀が、白銀の軌跡を描いて『彼女』を斬る。
 何であろうと斬れると、イサギは思っていた。
 誰を斬ったとしても、後に残るものはなにもないと思っていた。
 だが、手応えを感じた瞬間。
 イサギは何故だか、胸が痛むような心地がした。

(「……こんなん、何度も死ぬようなもんやないか」)
 一瞬。
 一閃。
 斬られた『彼女』を見つめる照彦の眼差しも、苦痛を受けたかのように歪む。
 だが、陣内が抱いている想いはそれ以上だろう。それを思えば、口をついて出た言葉は半ば無意識のものだった。
「オッサンは、もう見んでええとも思うねん。あれは死神や。でも、外は違う。……それを飲み込めへんでいい。夢やったって、最初からなかったって」
 いっそ本当にそう思うことが出来たなら、どんなにか楽だったろう。
「……ずるいわ、ほんま」
 今まさに仮初の命が潰えようとしている『彼女』から目を逸らさずに、照彦はぽつりと落とした。
(「おじさん、おばさん。あなたたちの娘を、あたしたちは今殺そうとしている」)
 ずっと可愛がってもらっているのに、恩返しどころか酷いことをしようとしていると、アガサは胸の内で陣内の父と母に詫びながら、彼の実家に今も飾られている写真を思い出していた。
 今よりも若い、陣内の両親。そして、子供の頃の彼と、彼の姉――凪が笑顔で並んでいる、家族の写真を。
「……ほんと、ごめんなさい」
 どれほど謝っても足りない。けれど、謝ることしか出来ない。
 いつしか、アガサは両の瞳から、大粒の涙を零していた。

 イサギに斬られても尚、『彼女』は微笑みを絶やすことなく。
 自らの血に塗れながら、ゆっくりと手を伸ばす。
 その指先が陣内へと触れるより先に、あかりが最後の距離を詰めていた。
「――陣、」
 願うように。
 祈るように。
 あかりは唯一人の名を紡ぐ。
(「汚すなら、僕一人の手で充分だ」)
 自らの血で七色の薔薇を咲かせながら、あかりは静かに告げた。
「辛くても、その目に焼き付けていて」

 ――ねえ、凪さん。
 陣はあなたを追い続けたよ。
 追憶の中でも、生活の中でも、深い海の底までも。
 本当は、彼もあなたと一緒に逝きたいって願ってるのかもしれない。
「でも、僕はあなたに彼を渡すわけにはいかない。彼のためにも、あなたのためにも」
 そのためなら、何を失っても構わない。
(「……だって、」)
 彼は皆の、『あけもどろ』なんだから。

「――、」
 死神の依り代となっていた『彼女』の唇が微かに動き、白い指先があかりの頬を伝って落ちる。
 そして、『彼女』の亡骸が、夢幻の如く消えてゆく。

 終ぞ言えなかった言葉は言えぬまま。
 かつて守れなかったものが再び目の前で失われ、掌から零れ落ちてゆく。
 けれど、陣内は一つだけ、取り戻したものがあった。
 自らの翼や花に劣等感を抱いていた姉に、綺麗だと一生懸命伝えようとしていた自分に。
『黒い毛皮に緑の目、蛍みたいに綺麗ね』
 そう言って微笑んだ彼女の姿を、ようやく取り戻したのだ。
 ――やがて、全ては在るべき場所へ。
 死神の消えた砂浜に、寄せて返す波の音と声のない慟哭が静かに響いていた。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 9
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