涼色レトロスペクト

作者:朱凪

●茹だる猛暑に
「でぃーぁ。なにしてるんです」
「……気が抜けたのと、暑いのとで、動きたくない」
「素直でよろしい」
 互いがよく利用する喫茶店でテーブルに突っ伏し、ぼんやりと告げるユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)に暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は苦笑する。
「だけど動いてもらいますよ。依頼です」
「……鬼なの」
「鞭には飴も用意するタイプの鬼でありたいと思ってるんですけどね?」
 からん、と氷が融けてグラスが鳴った。

●懐かし味の
「お仕事です」
 へらりと笑ったチロルに、『鬼なの』と言いたげな視線をユノが送る。
 それをいなして彼は言う。ヒールをして欲しいと。とある河川敷がデウスエクスによって荒らされてしまったからと。
「まあ俺はヒールもできませんし? 飴は用意してますよ、安心してください」
「……かき氷、だって」
 ヘリオンで出来た日陰でぽつりとユノが言えば、彼は肯く。
「懐かしい感じがしませんか? 俺は好きなんです。最近はふわっふわの氷とかもありますよね。縁日のガリッガリの氷の塊も、それはそれでオツなものですが」
 好きな方を選べるように手配しておきますね、と笑って。
「岩場がたくさんあるので、川遊びなんかは、できませんが。逆に言うと、たくさん岩場があるので、脚を浸したりして過ごすことはできると思います」
 もちろん、陽射しの下がしんどいひとは無理をしてはいけない。地元の方々に協力を要請して、『海の家』のような涼む場所も用意する予定だ。
 そして彼は、宵色の三白眼を細める。
「童心とまではいかなくとも、振り返ってみるのも良いかもしれませんね。──昔のこと、なんて」
 それからいつも通り、幻想を帯びた拡声器のマイクを口許に添える。
「では目的輸送地、懐かし味の誘う河川敷。以上。ちょっとさっぱり、しに行きましょう」


■リプレイ

「あついー! 無理!」
「無理ー!」「無ー理ー……!」
 響く人力やまびこに眠堂は思わず噴き出す。並んで腰かけた岩場の上、エトヴィンが我先にと流れに足を浸せば熱が浚われて、
「あ、ははっ!」
「ってあの飛沫が派手なんだけれども!」
 蹴った雫は陽射しの下きらきら、弾けた水滴は我が身どころか友人達にも降りかかる勢いで、慌てて千鶴が氷のカップを庇う──けど、その冷たさは心地良いから。
「世の中の道が全部水ならちょっと涼しそうやね」
「世の中全面水路化計画さんせー!」
 ウーリと眠堂も、それなら泳げない人にも優しく浅めでと要望する千鶴さえも水面を蹴り上げて、こどもみたいに、夏の下。
 それぞれの味をひと口頂戴、となるのも自然なことで。
「僕は濃抹茶にしてみたよ、甘過ぎなくていい匂い。はいミンミンあーん」
「ってえっちゃん多い多い! 食うけど!」
 緑の氷山をスプーンに表現して、それでもガリガリ硬めの氷を口に運べばほろ苦く。
「あ、やっぱうめえなー、千鶴ちゃんのは?」
「ざくざくたっぷり苺練乳! これぞって感じでしょ?」
「ん、確かに懐かしい味やねぇ……うちの黒蜜きな粉フレーバーもどうぞ」
 この味にはふわっふわやろ、と差し出した器の氷は、さふり、と耳にやさしい音で掬える真夏の雪。口に運べば苦味を帯びた黒蜜をまろやかに包むきなこがふわりと香る。
「うん、ミンミンの蜂蜜レモンもいい味だね」
 香る花の蜜に包まれた柑橘の酸味は、甘い練乳の中に苺の酸味が瑞々しい苺練乳とはまた違った趣だ。
 分けて味わって楽しんで、話して──でも夏の陽射しは待ってくれない。
「やべっ溶ける、」
「……っ!」
「ぐ、ぅ」
「あはは、大丈夫? ……ぅ」
 急いで掻き込んだ氷菓は、平等にお約束を連れて来て。
 見合わせた顔にまた笑みが弾けた。

 癒しの力で整えた水場を背景に、赤い苺と黄色のレモンへシャッターを切る。
「ナユタさん、はいピース!」
「は、はい」
 既に何枚目だろう。ナユタと涼し気なふたつのかき氷の画像を確認して、三角は満足気。
「折角可愛い女の子が一緒だからね。『夏の風物詩!』っと。しかしかき氷の味付けが全部同じって本当なのかな……」
 SNSへの投稿を済ませて告げる彼の言葉に「えっ」カップを持つナユタの手がわなわなと震えた。
「お、同じ味というコトは、わたしの食べているコレはなんなのです……?」
 食べ比べてみても、苺とレモン、それぞれのすっぱさを感じられるような?
 首を傾げる彼女の傍で「わわっ溶けるの早い!」ふわふわ氷を急いで掻き込んだ三角が、襲う頭痛に顔をしかめるから。
 ナユタは得意げに子供体温な掌を差し出した。
「ふふ、それはですね、」
 ──思い出の味は、きっとそれぞれ。

「んーーー、んまーい!!」
 最高のきらきら笑顔で叫ぶスバルの隣で、年下のヒナキの方が落ち着いた様子。
 もはや毎年の恒例行事、けれど夏の氷がひんやり、甘いシロップがじんわり染み渡る感覚は──そしてこうして笑み交わせる時間は、決して決して、悪くない。
「はい、どうぞ」
 ガリガリの氷を選んだ彼に、ふわふわの氷を差し出せば「わ、くれるの?」と瞳輝かせるのも想定内。礼を述べてひと口掬えば、
「……うまっ」
 舌の上でふわっと溶けてこれはこれで美味しいと絶賛した彼は、スプーンに自ら選んだ氷を掬ってどうぞと差し出した。
「……こっちも美味しい」
 彼女の人形のように整った口許にうっすら微笑が浮かぶのを見て、スバルも相好を崩す。
 きっとこんなに美味しいのは、きみが隣に居るからだって知ってるから。
「あー、ずっとこの時間続けばいいのに」
「また、一緒に行きましょう」
 来年も。

 かつての縁と、満月の夜の震えを収めた細腕の礼に。地域貢献にもなるからと。
 誘った側のオルンは注ぐ陽光に黒い耳をへたり倒した。
「……暑い、ですね……」
 先を行くレイラは、岩場で素足をせせらぎに晒す。
「んー、気持ちいー! オルンもど?」
「か、川に足を浸すんですか」
 普段の彼ならとんでもない。だけど彼女の言葉に惹かれる気持ちも抗いがたく。熱で霞む思考で、少しでも涼しくなるならなんでもいいと倣えば、手の中の宇治抹茶の氷も相まって。
 ほぅ、と息を吐く彼に悪戯気な声が掛かる。
「ほらオルン。こっちも食べてみ?」
 さふっと口内を冷やしたのは、やっぱこれがイチバンっしょ、と彼女が選んだ苺味──。
「……っ、」
 すっかり食べてしまってから気付いたその味に、じわっと頬に熱が上がったのを覗き込んで「やっぱ暑いのダメなんだ?」と彼女は笑った。
「かき氷、こぼしてんよ?」

 ぱしゃん。
 蹴った水音は、いかにも涼しくて。
「うむ、夏の音だ」
 いつもより背の丸いキースにイェロは笑う。
「寒いトコ生まれだもんなぁ、キースは」
 すっと消えてなくなるブルーハワイに、ガリリと音も楽しいレモンの黄色。交換しようかと掬ったひと匙に、
「シロップが実は全部同じ味なんだって、ホントかね?」
 ふとイェロが首を傾げ、キースの目が猫みたいに細められた。
「ならば目を瞑って食べ比べてみるのはどうだろう」
 零された台詞に、もっともだと肯いた彼へ、──ぱしゃっ。
「うわ冷て、」
 目も瞑る前に蹴り上げられた雫はきらきらと、あっという間にシャツは水玉模様。けれど、竜は嬉しそうに口角を上げる。
「俺にもかけて良いぞ、涼みたい」
「言ったな」
 せせらぎに水飛沫、笑い声。
 それらはかつて熱砂に親しんだ者にも温かくて、静寂の水辺に触れた者にも涼しい、癒しの音色だ。

 お待たせ、と差し出した爽やかな白群。
 流れに晒される赤い果実を眺めていた征十郎へ、に、と笑った春がひとつ果実を抓み水気を切って練乳氷の上に置けば、赤と白の対比が、
「すごくお洒落です……!」
「美味そうだろ」
 思わず拍手した征十郎に、なんてことないようにひと口目を差し出して。いただきますと頬張った味は馴染み深い本物の苺練乳。お返しに差し出す白群は、ラムネ味。
 遠慮なくと食いつけばガリガリ音を立てるそれは、
「やっぱ雪とは違うよな」
 最後にかき氷を食べたのはいつ? そう口をついたのは、失くした記憶の断片に雪の気配を感じたから。春の言葉に征十郎も目を細める。
「……わかりませんが、このラムネの味は酷く懐かしく思えました」
「、よかったな」
 思わず声が漏れたのは驚きと、嬉しさで。
 ラムネの味が懐かしいってひと口の記憶、思い出せたじゃん、と。
 笑う舌は、空の色。

「やぁ、お嬢さん……『明治時代』振りかな」
 くすりと笑ってスプーキーが先日の礼を述べればユノも返して。
 座った岩場で、ばさりと夜色の翼を陽射しから護るように彼女の頭上へと差し広げた。
「実は軍人は傘を差すなという規則があってね、隠れて重宝してたんだ」
 瞳瞬いて「これは」ユノはその翼に空いた陽射しを幾筋か通す穴に触れる。
「それは銃創。ケルベロスになる前……軍役中に戦場で負ったものだよ」
 粗削りの氷は檸檬味。口に運び笑う彼に「つよい翼だね」少女は告げた。
「いい、な」

 ご機嫌さが匙を進めさせたから。
 エルトベーレが「うっ」と心配、もとい期待通りにこめかみを押さえて、ドミニク、否、ニコラスは思わず笑ってしまったけれど、
「なンかもうお約束すぎ──ッぐ、」
 釣られて掻き込んだコーラ味の氷に同じ洗礼を受け、同じように笑われて。
「こういう時は、かき氷の魔神を追い払わなくちゃ!」
 撃退法はこうするんですよ、と彼女は彼を抱き締める。包み込むように、慈しむように。
 与えられるぬくもりにじんわりと痛みは遠のいて、胸に募るあたたかさに目を細めて彼がぽすりと頭を預ければ、その背を彼女はさする。
「どうですか? 痛いの、治りました?」
 優しい声音に、気恥ずかしさよりも名残惜しさが打ち勝って。
「……もうちィと経たんと、わからンわ」
 告げる彼に、彼女も微笑む。
 ──魔神さん魔神さん、……良ければもう少しだけ、居てください。

 レモンの風味の氷を齧れば遠い海の向こうが脳裏を閃いて。
「柑橘香る粗削りの氷菓を、グラニテというの」
 オルテンシアの呟きに、橙味の匙を咥えてヒコも応じる。異国の氷菓に興味はあるが、
「案内頼んで直に行くほうが早いかね」
「んん。手引いたところで甘味も面白味もまるで足りない、なんて苦情が飛んできそうよ」
 口直しのそれは、バジルなどを添え爽やかさを楽しむもの。
 娘はくすぐったそうに笑み、林檎色の双眸が悪戯気に彼を窺う。聞き役ばかりでは終らせないわよ、と。
「その甘味好きの由来くらいは問うても?」
 果たしてその問いの対価次第──と誑かしたいところだが、大層な理由は無い。
 口角上げ、ヒコは氷をひと口。
「『人と喰う甘味』が好きでな。特に旬のモンは想い出まで含め味わっておきたい」
 いい好みしてるわ、と笑う娘を、苔色の双眸が射抜く。
 さて──その氷菓は美味いかい?

 暑いなー! と氷が削れるのを眺めながらアラタが笑う。
「縁日ってあんまり行けてないけど、暮洲は何度も行ってたりするのか?」
 見上げるチロルは「ええ、好きですよ」と瞼を伏せる。似合うなと笑う彼女の後ろ、届いた声。
「ええト……ブルーハワイをくだサイ、ふわふわデ」
「あっおんなじ! わたしはガリガリ氷のブルーハワイ、下さい」
 やってきたのはエトヴァと、
「メイ!」
「あっアラタちゃん!」
 偶然行き会って瞳輝かせるふたり。オススメを求めたアラタには、嫌いでなければと果肉乗せたマンゴー。メイの青は、
「わ、まるで今日の青空と入道雲みたいになったよ。良ければあなたもどうですか?」
 練乳の白を添えれば夏空模様。「でハ、少シ」とエトヴァも彩り加え、それぞれもう一度、せせらぎのもとへ。
「この国の夏ヲ、焼きつけテ……絵葉書にでも仕立てましょうカ」
 川に浸けた脚は心地良く、周囲の木立からは蝉の声。氷を口に運べば冷たさと甘さが染み渡る。深く息を吸い込んだエトヴァのすぐ傍で、
「雪みたい……!」
 喜色の弾ける声は、ロゼのもの。彼女は軽く口許を押さえつつもふふりと笑う。手には陽を反射してきらきら光る氷に大好きな苺と練乳。
「私の一番大好きな組み合わせなんです。じわっと広がる甘酸っぱい苺と、あまーい練乳のコラボがたまらないのです! あら、」
 あなたの味も──と惹かれたのは、その青に『彼』を彷彿としたから?
 良ければひと口、分けっこしませんか? 少女の問いに、青年は喜んデと微笑んだ。
 日陰の岩場で、メイはユノとアラタと、舌鼓。
「えへへ、美味しい」
「ふふ、甘い~冷たい~♪」
 ガリガリ氷も食感が面白くて好きだとアラタが言えば、メイも力強く肯いて。
 それから、そうだ、と声を零した。
「あのね、前にお父さんに葉っぱの船の作り方を教わったの。一緒に作って流そうよ」
 冒険に漕ぎ出す船みたいに、私達ももっと夏の思い出、作りたいね。
「はー、生き返るな」
 願い乗せた船を見送りグレインが言う傍でチロルも肩の力を抜く。
 隣に並んだイジュの氷はふわふわにグレープの鮮やかな紫苑色。
「最近はバタフライピーのかき氷なんてのもあるんだって!」
 青色がレモンで紫色変わると言う彼女に、
「……甘いんですか?」
「わたしもどんな味か気になるけど、柚子食べてるひとには言われたくないと思うよ!」
「この苦味がいいのに」
 がりり噛む彼の氷をひと口くださいな、と掠めとる賑やかさにグレインはブルーハワイをひと口、目を細める。岩場や河と言えば修行を思い出す、と。
 厳しくはあったけれど、楽しくもあった。
「上には姉弟子が居て。これがぐいぐい引っ張るというか振り回されたりもしてな……」
 口角を上げイジュを見れば察した彼女もわざと膨れて。
「あんたはどうだったんだ?」
 ああ言うからには浮かぶものもあったんだろ、と遣る視線はチロルに。
「……俺もそんな親友が居ましたよ。引っ張られて縁日に行って、かき氷を食べました」
 三白眼を細め、彼はそっと傍らの拡声器を撫でた。

 溶けちゃう、春乃。
「暑いけど溶けちゃだめよ、アルさん」
 這うような悲鳴を上げるアラドファルに手を引かれ、小屋の屋根の下に逃げ込んで。
 普段はふたり一緒のふわふわ派。だけど今日だけはと選んだガリガリのブルーハワイ。
「涼しい色になってる?」
 べ、と出した舌は青く。
「ねえねえ、わたしも赤くなってる?」
 なんてやりとりに思い出す。薄めたかき氷シロップを好んで飲み過ぎていた昔。
「姉上に体が青くなると言われて。……とても怖くなり、あれ以来飲んでない」
 ふ、と口角を上げた彼に、けれど春乃はきゅっと眉を寄せた。
「おねえさんからの言葉なら信じるもん。飲めなくなっちゃうのは仕方ないよ」
 そんな彼女が可愛くて。春乃は、と訊けば彼女は首を傾げた。
「家族と一緒に行った夏祭りで、氷が溶けたあとのかき氷飲んでたかな?」
 それからね、と紡ぐ想い出は尽きることもなく。

「ガキの頃に食わなかったのか?」
 苺シロップたっぷりの氷を口に運んで目を丸くしたシズネに、ラウルは少しだけ眉を寄せてラムネ味をひと掬い。
「イタリアにはグラニータって氷菓があるけど、子供の頃に食べた事はないかなぁ」
 舌の上で溶けた氷は、暫時夏の暑さを忘れさせてくれる。
「おめぇのこーーーんなちっちぇ頃は、どんな遊びをしてたんだ?」
 川面に掌を近付けて示す片割れにラウルは淡く微笑み、
「かき氷や線香花火を楽しむような他愛ない遊びって、ほとんどしたことがないかも」
 晨昏の橙をひたと見据えた。
「だから君と出逢ってから……子供の頃出来なかった事を楽しめるのが嬉しいんだ」
 少し言葉を呑んだシズネは、にかりと笑った。
「じゃあじゃあ! これからもっと、遊びを教えてやる!」
 オトナになったら遊んじゃいけないなんてそんな決まり、ねぇからな! と絡めた指は、温かかった。

「かき氷、かぁ」
 ふわふわの苺練乳をひと匙。子供の頃は毎日食べてたなぁと告げる隼に、ジョゼはティーシロップに練乳をかける手を止めた。
「うちのかき氷器は手動式のレトロなヤツでさ、きらきらした氷が器に降り積もる様を横から見てるのが、俺も地デジも大好きで」
 どこに仕舞い込んだかなと言ったあたりで、隣の娘の瞳がほんのちょっとのお怒りと隠し切れないきらきらを浮かべているのに気が付いた。
「勿体ない、宝の持ち腐れにも程があるわよ!」
 だって、と彼女は指折り数え出す。
「この氷菓がいつでも作れたら、暑い毎日がどれだけ楽しくなる事か……! 西瓜味の氷にチョコチップとか! 餡と白玉を添えた焙じ茶カキ氷とか!」
 どうしよう、夢が無限に広がる……! 頬を両手で包む彼女が可愛らしくて、彼は笑う。
「じゃあ早いとこ押入れから発掘して、キミ専属のかき氷屋さんを始めなきゃだ」

 脚をせせらぎに晒し、そういや、と万里はすぐ隣の一華の瞳を覗き込む。
「一華の実家のあたりはこんな川もあったって言ってたよな。やっぱり子供の頃は、川遊びとかしたの?」
 甘くて優しい桃の味の氷をしゃくり、そうですね、と彼女は昔を振り返る。
「川。川は、小さい頃の……わたしと父の、釣り場でした」
 言って、彼女は小さく笑った。
「餌無しで釣れてこそ武士、なんて父の言葉に乗って……」
「……いや、武士でも忍者でも餌なしでは釣れないのでは?」
 思わず万里も突っ込んでしまうけれど、おっとり笑みを映す一華の双眸に、つられたように笑み返す。
 同じように過去のことを語らうことが、彼にはできない。
 ──けど、一華とこうして新しい思い出を作っていけてるから。
 今は振り返る必要も感じなくて。伊予柑味の氷を噛んだ。
 彼女の昔を聴く今このときが、彼にとって新しい思い出の一頁だ。

 件の頭痛にかぷるぷる震えるミクリさんの姿に微笑しつつ、ベーゼはレモン味の氷に匙を刺す。
「……おれは……ゆうかんなクマじゃ、ないから」
 自分と自分がしたことを見ないフリして、ずっと逃げきたんだと。
「僕も、同じ。向き合おうとしたんじゃない。消そうとしたの」
 苺味の氷を齧り彼女も言う。ずるいの、と。思い掛けない返事に目を丸くして、そっか、と彼は呟く。きっとみんな、どこかで同じ。
 「でも」逃げても追い駆けてくるだけで変わらないから。
「だからこそおれは、おれに出来るコトをしたいんだ。……今までみたいに、これからも」

「わたくしね、故郷では、お祭りに行ってはいけなかったの。代わりにデザートをかき氷にして貰ってもやっぱり淋しくて、良くやけ食いしましたねえ」
 ころころと笑うアイヴォリーの声は明るく。けれどその横顔に夜は少し、目を眇める。
 一線画された郷の巫。それは遠い囃子を昏い座敷で聞いた己の少年期とよく似ていて──夜はほとんど無自覚に己の器のふわふわ氷の宇治抹茶をひと匙、彼女に差し出した。
 彼女は少し目を丸くして、それでも「いただきます」と口に含む。途端にふわりと舌に広がる優しい甘さと冷たさに、とろりとショコラ色の双眸が緩む。
 幾ら食べても足りることのなかった、儚く融けて消えゆく氷。
 ──けれど貴方がくれる一匙だけで今、とても満ちる気がするのです。
 彼にもそれを感じて欲しくて苺練乳の氷を差し出せば、夜の清光色の双眸が同じ気持ちを語って返した。
 不完全で欠けた器にも染み入る──其れが『心』なのだと、そう。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月16日
難度:易しい
参加:36人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 5
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