恋獄

作者:藍鳶カナン

●夏咲
 輝くように鮮やかなイエローやオレンジ色の花。
 鮮烈な夏そのものみたいなマリーゴールドの花が咲いたなら、この気持ちを伝えようって決めていたの。
「私、先生が好きです!」
 眩いマリーゴールドの花を溶かしたような夕陽の輝きが届く高校の中庭、色づく陽射しを受けてひときわ鮮やかさを増すマリーゴールドが咲く花壇の前で、千夏は男性教師に日毎に募る恋心を告白した。けれど男性教師は困ったように笑み、
「ありがとう。だけど、いつも同じ返事でごめんな。生徒は恋愛対象にはならないし、俺は来春に愛する女性と結婚する」
 あたかも数十回は繰り返したかのように滑らかに、それでも真摯な答えを返し、夕暮れの中庭を立ち去った。そう、千夏の告白はこれが初めてではなかった。
 存続の危機にあった園芸部を救って、千夏に希望をくれたひと。
 顧問になった男性教師が勧誘を手伝ってくれたおかげで部員が増えて、皆と一緒に色々な花を育てて。この気持ちが恋だと気づいた時、この世で一番大好きな花、マリーゴールドが咲いたら告白すると決めた。
 だから、先月最初のマリーゴールドが咲いた時から、幾度も告白を繰り返して。
「……いいもん。明日また新しい花が咲いたら告白するんだもん。先生が結婚しちゃうまでチャンスはあるはずだもん……」
『頑張り屋さんね』
「違うの。そうやって前向きになってなきゃね、悲しくて悲しくて、先生と結婚するひとに嫉妬して嫉妬して、苦しすぎてどうにかなっちゃいそうだから」
『先生が誰と結婚するのか知ってるの?』
「うん。うちの学校事務の――……って、あんた、誰!?」
 気づけば知らない誰かと会話していたことに気づいて、千夏は思いきり振り返る。
 誰もいない中庭に佇んでいたのは、知らない制服を着た女の子。
『あなたからは初恋の強い思いを感じるわ。私の力で、その初恋実らせてあげよっか』
 何かを応える間もなかった。
 なぜなら、そう微笑んだ女の子――ドリームイーター『ファーストキス』が、千夏の唇を奪ったから。意識が蕩けるようなキス。千夏の瞳が陶然と潤んだ瞬間、彼女の胸に鍵が刺し込まれた。頽れた千夏の傍らに、腕にマリーゴールドの花束を、胸にはモザイクを抱いた、千夏に良く似た姿のドリームイーターが誕生する。
 満足げに笑み、『ファーストキス』は新たなドリームイーターに命じた。
『さぁ、あなたの初恋の邪魔者、消しちゃいなさい』

●恋獄
「随分と可愛らしいこと。ですけれど……千夏さん本人は、日毎煉獄の炎に焼かれるような心地でいらっしゃるのでしょうね」
 甘い蠱惑を燈す双眸を細め、艶やかな唇に思案気な指先で触れて。
 夏咲きマリーゴールドにまつわる事件を危惧していた四十川・藤尾(馘括り・e61672)がそう紡げば、だろうね、と天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が相槌を打った。
 各地の高校に現れ、高校生の強い夢を奪って強力なドリームイーターを生み出さんとするドリームイーター達のひとり、『ファーストキス』。
 今回彼女に初恋を拗らせた強い夢を奪われたのは、男性教師に恋する園芸部員の千夏だ。
「千夏さんから生まれたドリームイーターは、男性教師の婚約者、つまり学校事務の女性を襲撃するつもりでいる。けど、退勤する時間を待ってるのかな、今からヘリオンを飛ばせばドリームイーターがまだ中庭にいる間に捕捉できるから、あなた達はヘリオンから直接その中庭に降下して欲しいんだ」
 他の生徒は殆どおらず、ケルベロスが現れればドリームイーターはケルベロスと戦う事を優先するから、警察と連携してその間に残る生徒や教職員を避難させると遥夏は続けた。
「だからあなた達はドリームイーターへの対処に専念して。かなりの強敵だよ」
「ええ。強敵なことは疑いなく。ですが、相手を弱体化させる方法がありますわよね」
 遥夏の言葉に頷いた藤尾は確信をもって笑む。
 以前に藤尾が相対したのは『フューチャー』に生み出されたドリームイーターだったが、今回の『ファーストキス』に生み出されたドリームイーターの場合、千夏の夢の源泉である『初恋』を弱めるような説得が成功すれば、敵の弱体化が叶う。
「千夏さんが初恋を拗らせてるのはさ、先生への恋が叶わなければ自分の生涯の恋がそこで終わっちゃうって思いこんでるのが大きいんだよね。それは違うんだって、今後幾つだって彼女は恋ができるんだって気づかせてあげられればベストだと思う」
 たとえば、自分の初恋は叶わなかったが、その経験があるからこそ、今は幸せな恋をしている――という者がいれば、自身の恋愛について語るのもよいだろう。
 千夏の心に寄り添い、そんなあなただからこそきっと次は素敵な恋に出逢える――と話を展開できればそれもよし。
「他にも初恋の幻想をぶち壊す的な方向性もアリだけど、これはやりすぎると千夏さんが『もう恋なんかしない!』ってなっちゃうから、できれば避けて。ある意味心を殺しちゃう事かもしれないし」
 また、皆が方向性のバラバラな説得を試みれば、相手を混乱させるだけ。
 逆に、皆の説得の方向性が統一されていれば説得力が増すはずだ。
「ただ戦うだけなら確実に苦戦するし、説得も成功するかは未知数。だけどあなた達なら、最善の勝利を掴みとってきてくれる。そうだよね?」
「ええ。皆様の御力があれば勿論それが叶いましてよ」
 嫣然と皆へ微笑んで、どうぞ宜しくお願いいたします、と藤尾は淑やかに一礼した。


参加者
閑谷・レンカ(アバランチリリー・e00856)
眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)
ルードヴィヒ・フォントルロイ(キングフィッシャー・e03455)
ゼルダ・ローゼマイン(陽凰・e23526)
ヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)
凍夜・月音(月香の歌姫・e33718)
四十川・藤尾(馘括り・e61672)

■リプレイ

●煉獄
 劇的に彩られた空だった。
 夏の夕暮れは空を輝く橙に染めて、芸術家が気侭に筆を揮ったような雲は眩い朱金の光と昏い薄鈍色の影で混沌を描くよう。だが夕空から斜陽の光に身を躍らせ、降り落ちる先にも狂おしいほど鮮やかな橙や黄が輝き咲き誇る。
 鮮烈な夏そのものみたいなマリーゴールド。千寿菊、あるいは万寿菊の名が示すとおりに延々と咲き続け、限界を迎えれば全て枯れ果てて。生命の歓喜も悲哀も、眩い光も昏い影も綯い交ぜにするようなその様が、四十川・藤尾(馘括り・e61672)の心を恍惚に染める。
 ――まるで、灼き焦がれるような、恋そのもの。
 咲き誇るマリーゴールドに彩られた高校の中庭へケルベロス達が降り立った瞬間、ひとり佇んでいた少女が振り返った。腕にマリーゴールドの花束を、胸にモザイクを抱いた少女は此方を一瞥するなり眦をつりあげ、
『邪魔しにきたんだね、ケルベロス――!!』
「攻撃! 前衛に来るわよ!!」
 光湛えたカプリブルーの双眸を瞠った閑谷・レンカ(アバランチリリー・e00856)が皆の注意を喚起すると同時、花束の一閃で夕陽より眩い炎の花嵐を迸らせた。烈しい炎と熱波。
「これは……大層な御挨拶ですこと」
「感謝する、藤尾。――推して参る」
 灼熱の嵐をガイスト・リントヴルム(宵藍・e00822)の分まで受けた藤尾の脇から馳せた竜の武人が揮うは冴ゆる剣閃、だが太刀風を劈き出づる翔龍は飛び退る敵を追尾するも身を捻って躱され、されど僅か生じたその隙に、眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)が撃ち込んだ気咬弾が辛うじて指先に喰らいつく。
 此方の正体を看破したのは眼力で識る命中率ゆえだろう。そして事前情報のとおり戦いを優先するのは、
「生まれた時から『ケルベロスと遭遇したら戦え』って刷り込みでもされてんのか?」
「そんな感じだよね。じゃあやっぱり手を緩めるわけにはいかないや」
 こりゃ説得も骨が折れそうだ、と呟く弘幸に頷いて、狙いを研ぎ澄ませた黒き鎖を一気に奔らせたのはルードヴィヒ・フォントルロイ(キングフィッシャー・e03455)、だが命中率優先で精鋭スナイパーが放った猟犬縛鎖も身軽な敵の足首を捕えるのがやっと。
 敵を弱体化させねば相当厳しい――と皆が改めて痛感した瞬間、金色を帯びた斜陽の光に銀色きらめく細雪が舞った。前衛陣の超感覚を幾重にも研ぎ澄ます粒子を解き放ちながら、凍夜・月音(月香の歌姫・e33718)は千夏そっくりの姿持つ敵、ドリームイーターをひたと見据える。敵の裡にある、千夏の初恋の夢を。
「あなたの初恋の先生はとても誠実な人ね。きちんとあなたの告白に向き合っているもの」
「いい初恋をしたのね。掛け替えのないそれを棄てろだなんて、言わないわ」
『……え?』
 月音が舞わせた銀の雪に癒しの雨を、彼女の言葉に己の想いを添わせてレンカが笑めば、敵の瞳が戸惑いに揺れた。だがその戦意はまったく揺らいでいない。長く伸びる黄昏の影に紛らせた白銀の矢を射ち込んで作った隙にゼルダ・ローゼマイン(陽凰・e23526)も二人の想いに己が心を重ね、
「私の初恋も叶わなかったわ。だけど、恋した気持ちはちゃんと私の中に残っているの」
 ――嬉しかったことも、楽しかったことも、幾許かの、悲しみも。
 主の想いを打ち込むよう飛びだした柚子色テレビウムがトンカチを揮えば、
「――!!」
 制止する間もない主従の連携に藤尾が息を呑む。敵が躱したのが幸いだった。
 怒りやトラウマ、催眠等、説得に影響を及ぼしかねない印象がある状態異常攻撃は避けて欲しいとヘリオンの中で皆に願ったのだが、ゼルダは聞き逃していたらしい。だが強敵との戦いと説得を並行せねばならぬ現状、再度説明するための言葉を練る余裕もなく。
 この上は、それらが今回の説得に影響せぬよう祈るしかない。
「ヴィルトさん、後衛の方々をお願いいたします!」
「おうよ、引き受けたぜぃ!」
 夏の夕暮れの光も影も色濃くするような黄金の果実の輝き、藤尾とヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)のそれが中衛と後衛に加護を燈した途端に、今度は花束からぞわりと溢れだした毒の根が襲いかかってきた。
 毒槍の驟雨のごとき攻撃に果敢に跳び込むテレビウム、
「助かったぜ、あるふれっど。しかしこいつは口を挟むのも一苦労だな」
「だが、敵味方の状況を見極めるという点では常の戦いと相違あるまい」
 庇われた弘幸は零距離まで間合いを詰めるも渾身の蹴りを敵の跳躍で躱され、けれどその着地の瞬間を狙ったガイストの蹴撃がドリームイーターの膝下に炎の軌跡を描く。穿たれた毒の疼きは押し殺せても、亡き娘も年頃を迎えていたなら恋の懊悩に身を焦がしたろうかと思えば胸のざわめきは抑えがたく。
 ――なればこそ、彼は仲間達の言葉に誰よりも耳を澄ます。
 眩く燃え立つ花の嵐、その彼方に咲き誇る花壇のマリーゴールドを見れば、大丈夫、との言葉がルードヴィヒの口をついた。花は幾つも咲いていくから。
 丹精込めてキミが咲かせたあの花々のように、
「先生に恋して育った想いは、キミをきれいに咲かせ彩ってくれるから」
「ええ。千夏さんも、初恋を糧に今度はもっときれいな恋の花が咲くはずよ」
 朱金の陽射しに月を閃かす彼の斬撃に続き、流星の煌きを連れたゼルダが降り落ちる。
『今度? 今度なんて、あるわけ』
「ないとは言わせませんわ。御存知でしょう? マリーゴールドには多年種もありますの」
 敵の反駁に言の葉を被せたのは藤尾、辛い冬を越えて咲くのは罪かしら、と嫣然と笑み、
「いずれにせよ、お相手の方を殺したとて、背の君は千夏さんを抱いてはくれませんよ」
『……っ!!』
 解き放った美貌の呪いの魔力は苛烈なモザイクの炎に相殺されたが、油膜の虹色のごとくぎらつきながらも美しい、混沌に輝く炎に瞳を細めた。
 ――ああ、なんて。

●恋獄
 逢魔が時が近づいていた。
 彩の混沌に輝く炎、毒の根の驟雨、燃え盛る炎の花嵐。自陣へと襲い来るそれらに癒しで抗うレンカは、後衛へ燃え広がった炎へ二重の浄化を孕む清らな雨を降らしめる。
 火消は早めが肝心、気づいた時には抜け出せなくなっているんだから――と嘯くけれど。癒しの雨でも心に燻る炎は消せやしない。叶わぬ恋だとてそう簡単に棄てられやしない。
「……私も恋をしていたわ。生涯をかけて愛し抜こうと思った人」
 失くした時の悲しみときたら、まるで空が崩れ落ちてきたかのよう。
 だがレンカは今ここに立っている。棄てなくていい、忘れなくていいのと訴え、
「それを抱えたままで、別の幸せを見つけることは出来るはずなのよ」
「そうよ、今の気持ちも無駄なモノなんてひとつもないわ。千夏さんなら」
 彼女の言葉を継いだゼルダが、私と違って、想いを伝える勇気をもった千夏さんなら、と言い募った瞬間、
『別の幸せなんて、あるかも分からないのに――!』
 凄絶な混沌の炎がレンカめがけて迸った。けれど、
「あるふれっど!!」
 万色きらめき爆ぜる猛威すべてを引き受け、彼女を護り抜いたテレビウムが消え果てる。
 分からないって決めつけるにはまだ早いぜ、と電光石火の蹴撃で敵を退かせ、
「ゼルダ、大丈夫か?」
「大丈夫。大丈夫よ、弘幸くん。お婿さんには後でまた逢えるもの」
 弘幸が気遣えば、小さな婿と同じ柚子色に彩られた己が身を掻き抱いたゼルダもすぐさま攻勢に舞い戻った。狙い澄ました縛霊手の一撃に咲く霊力の網が、強く煌いて。
 ――眩しいや。
 夏の夕陽も、皆の想いも。
 数多の毒の根に穿たれながら小さくそう笑んで、ルードヴィヒが撃ち込むのは猟犬縛鎖の次に命中率に優れた神殺しの星。もういないあの子に恋した気持ちが今も胸の裡で鮮やかに咲くから、次の恋を探して、と自分から言えはしないけれど。
 それでも。
 恋したなら嫉妬に煩悶するのだって自然なこと。本当に好きなら相手の幸福を祈れなんて綺麗事は言わないわ、と敵の許へ真っ向から月音が跳び込んだ。
「その歳ならそれが醜く思えるのかもしれないけど……あなたは、良い女よ」
『良い、女?』
「ええ。一度で枯れるには惜しいほどに」
 鋼の鬼纏う彼女の拳をドリームイーターが片手でいなした瞬間、眼を瞠った敵の脇腹へと藤尾の気咬弾が喰らいつく。苦悩と嫉妬に塗れる千夏の様が少女から女へと羽化する蝶にも思える藤尾、そして恋は女を磨くと確信する月音の言葉は、誰が聴いても心からのもので。
 今だ、と機を掴んだ弘幸が口を開いた。
 この恋が全てだと思える、そんな相手に出逢えたのは紛うことなき幸福。けれど、それが実らぬなら終わりと断ずるのはあまりに潔すぎる。
「高校を卒業すりゃ視野も世界も広がる。沢山のひとにも出逢うだろう」
 もしかすると、新たな恋にも。
「自分の可能性を、未来を否定するには早すぎる歳なんじゃねぇか」
『でも……っ!!』
 攻め手は緩めない。零距離から繰り出す地獄の業火を纏う蹴撃が今度こそ敵を捉えるが、反撃のモザイクとともに迸った声は反駁というより力の源を弱められるのを恐れる響きで、
「――安心なさい。恋も花も同様に手をかけ四季が巡れば、必ず咲きますよ」
 強引に身を割り込ませた藤尾は、凄絶な混沌の炎に混沌の水宿す身を焼かれつつも言葉を紡ぎだす。眩い癒しを凝らせたレンカの気で苦痛と炎を払拭され、己が咎人の血でも癒しを重ね、挑むような笑みを覗かせた。
「誰より、千夏さんのその手が御存知でしょう?」
 落ちた花も糧として、より強く、美しく、咲き誇るのですよ。
 重々しく首肯したガイストが言を継ぐ。口下手な自覚も、『をとめごころ』を解するには程遠いとの自覚もあれど、其方の生はまだまだ長い、と告げた言葉も、
「其方の三倍程生きている我とて、再び恋情を抱く事が無いとは言い切れぬ」
『!!』
 少女の姿の敵に目を見開かせた言葉も、妻子を得て喪って、歳を重ねて人生の白秋に差し掛かった彼だからこそ、誰よりも深みを持って相手に届く。
 今までずっと、よく頑張ったわね、と微笑む月音の、
「だからきっといつか運命の人と出会えるって、私が保証するわ」
「新しい明日に会いに行きましょう? 未来が貴方を待っている」
 強気な笑みを咲かせるレンカの、二人の言葉が左右から扉を開くよう。
「娘よ、前を向け」
 扉から溢るる眩い光へと、ガイストの言葉が背を押して。
「今の気持ちを糧に、花開く未来へと歩むのだ」
 力強い導を贈ると同時、竜の武人は透徹なまでに冴え渡る剣閃を奔らせた。
 太刀風を劈き生ずるは輝く翔龍、鋭い爪牙がドリームイーターを喰い破った刹那、眼力で視える命中率が劇的に跳ね上がる。弱体化だ。
「っしゃ! 流石だねぃ、姐さん達も旦那達も!!」
「うん! やったね!!」
 快哉をあげたヴィルトが神速の稲妻で敵を貫いたのに続いて、ルードヴィヒもまた瞬時に神速の風を織り上げた。思い描いたならさあ動け、考えるより速く奔らせた一陣の風が鋭い刃となってドリームイーターの胸を穿てば、舞い散ったモザイクの彼方、花壇の傍に倒れる本物の千夏がふと瞳に映った。
 こいつは僕らが倒すから、世界に還っておいで。
 初めての恋は特別だけど。
 ――恋は全部、特別なものだから。

●昇華
 夏の夕空が茜色の輝きを帯びた。
 それにも劣らぬ鮮やかさで咲き誇るマリーゴールド達の許には、幾度もまっすぐに想いを伝え続けた少女が横たわる。小さな棘がゼルダの胸をちくりと刺す。
 ――娘でも良かったの、傍にいられたら。
「……そう思ったから、私は悔いが残ってしまったのね」
 大切なものを溢れんばかりにくれた師父。恩を返すことも恋心を伝えることもできぬまま迎えた永劫の離別が今も痛みを齎すけれど、あの頃の自分を識るヴィルトに悟られぬよう、毅然と敵を見据えて時をも凍らす弾丸を叩き込む。
 時空凍結弾が鳩尾を穿つのに続き、弘幸が練り上げた気咬弾が氷ごとドリームイーターの腹部を喰らって突き抜けた。先程までとは段違いの手応えに自然と口の端に登る笑み。
 確かオレンジのマリーゴールドの花言葉は、予言と真心。
「花はちゃんと分かってんじゃねぇか、その真心が届く相手が見つかる予言を」
「巧いこと言うねぃ、眞山の旦那!」
 開いた風穴を斬り広げるのはヴィルトの絶空斬、絶大な戦闘力を誇っていた敵との戦いを凌ぎ切り、その弱体化に成功した今、戦場にはケルベロス達への追い風が吹くばかり。
 破綻に恋した哀れな小鳥、その恋を核にした獲物を追いつめて。
 首を擡げそうになる衝動を咬み殺すことすら悦楽に変え、涼やかな麗貌に蠱惑的な笑みを咲かせた藤尾がその美しさの呪縛で敵を捉えた刹那、
「ガイストさん!」
「無論、逃さぬ」
 同僚が作った一瞬の隙を掴んだガイストの両の手で、双の如意棒が百節棍に変わった。
 圧倒的な破壊力を乗せた怒涛の乱打が敵を打ち倒した瞬間、茜空に跳んだルードヴィヒが鮮烈な流星となって追撃する。途端、ドリームイーターの胸でモザイクが輝きを増したが、咄嗟にロングジャケットを翻した彼は月光の斬撃で混沌の炎を相殺した。
 あの子が愛した世界を護るために、僕は、負けない。
「やるじゃないルーイ!」
「へへー。弱体化した相手ならこれくらいはね!」
 頼もしさに破顔したレンカが凝らせたのは治癒でなく攻撃の魔力。跳ね起きて飛び退った敵の懐へ滑り込んだなら、長い指の先に強く輝く魔力を相手の胸元へ叩き込む。咲き誇るは鮮血でなく、万色きらめくモザイクの曼珠沙華。
 恋は地獄だなんて、まさに至言。盲目にさせるくらい激しくて厳しくて。
 ――けれど多分、千夏は解っていて眼を逸らしていただけだと思うから。
 眩い夕陽の光にナイフが煌いたのは一瞬のこと、色濃い夕暮れの影にするり紛れた月音は相手に気づかれるよりも速く、ドリームイーターの首を掻き切った。
 マリーゴールドは恋の嫉妬で狂い死んだ女の生まれ変わり。そんな神話もあるけれど。
「でも、あなたまでそんな運命に殉ずる必要は無いの」
 命尽きて薄れて消えゆく夢の少女。その先に見た現の少女へ、月音は微笑みかける。
 あなたは良い女よ、千夏。
 どんなに辛くても、好きなひとの前で泣くことは無かった。
 ――抱きしめて、頭を撫でたいくらい。

 花壇の傍で、千夏の唇が小さく震える。
「……明日、明日こそ、きっと……」
 ――先生に、お祝いを言わなくちゃ。
 もうすぐ目覚めるだろう千夏の唇がそう紡ぐ様を見て、藤尾の眦が緩む。心から綺麗事を為せる心境に至ったわけではないだろう。けれど、拗れた想いがほどけて、区切りをつけて前へ進まんとする気持ちが少女に萌したのだと感じられたから。
 月音に頭を撫でられ、マリーゴールド、大切にしてね、とレンカに語りかけられた千夏の唇が綻んだ。勿論、藤尾の笑みも綻んで。
 ――ほんに、随分と、可愛らしいこと。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年8月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。