魔竜顕現~闇の紡ぎ手

作者:白石小梅

●魔竜顕現
 熊本城の跡地を、吹き荒ぶ風が撫でる。
 火花散ったいくさの跡に、残るは瓦礫と灰燼ばかり。
 それを睥睨するかの如く、天守のあった場所には宝珠が浮かぶ。
 空間を切り取り、領域を呑み込まんとしている宝珠の名は、ドラゴンオーブ。
 しばしの静寂の後、宝珠はゆらりと妖しい力の帯を伸ばし始める。
 番犬の布陣を打ち破り、その身を捧げた同胞たちの、健闘と犠牲を称えるかの如く。
 瓦礫の中へと埋まった、コギトエルゴスムへ向けて。
 十九の宝玉は溢れんばかりの力に満ち満ちて、輝きと共に侵空竜エオスポロスの姿を取り戻していき……。
 硝子を砕くようにその姿を打ち破った。

 そして漆黒の竜鱗に星の如き輝きを纏わせた四翼の竜が、ゆっくりと起き上がる。
 新しき己を世界に焼き刻むが如く、その周囲に竜語魔法陣が無尽に迸らせて。
 光を呑む蒼き炎と、闇を裂く紫電の中、それは咆哮する。
 其の名は『魔竜クリエイション・ダーク』。

 今、滅び去った廃墟の上に。
 いずれ劣らぬ魔性を得た、十九の魔竜が舞い降りる……。

●熊本周辺、簡易拠点
「熊本城決戦時に避難活動に当たっていたケルベロスにより熊本市民はその九割以上が安全圏に脱しました。決戦の際、撃墜された方の収容も間もなく完了いたします」
 望月・小夜(キャリア系のヘリオライダー・en0133)は言う。
「熊本城決戦は、全体として我らの勝利と言ってよいでしょう。我々は侵空竜エオスポロスの過半数と廻天竜ゼピュロスを撃破。敵は魔竜王の遺産『ドラゴンオーブ』を出現させながらも、竜十字島への転移に失敗しました」
 目標に手を掛けつつも奪取にしくじったことは、敵にとっては痛恨の極みだろう。
 しかし小夜の表情は硬い。
「ですが、危機的状況は継続中です。ドラゴンオーブは周辺に『時空の歪んだ空間』を生み出し、その内部を禍々しい力で満たしつつあります。それが充ちた時、宝珠はまだ市内に取り残されている数万人を巻き込んで、熊本市を時空の狭間に崩壊させます」
 だが最悪の予知を語りつつも、小夜はそれ以上の危機を伝える。
「その時……宝珠からは、魔竜王の後継者となるべき強大なドラゴンが生み出されてしまうのです」
 場に流れるのは、沈黙。
「……これを阻止しなければなりません。時空の歪みへ突入し、ドラゴンオーブを奪取、或いは破壊しなければ」
 決戦を生き抜いた『覇空竜アストライオス』、『喪亡竜エウロス』、『赫熱竜ノトス』、『貪食竜ボレアース』の四体は、すでに宝珠を狙って時空の歪みに突入している。
 すぐに戦力を再編して後を追わねばならないのだが……。
「実は、決戦においてこちらの布陣を破ったエオスポロスたちが、宝珠の力によって『19体の魔竜』として現地に顕現いたしました。彼らは宝珠を守るべく、時空の歪みへの侵入者を待ち受けているのです」
 こちらはこの魔竜どもを抑えつつ時空の歪みの内部に突入し、その内部に陣取るアストライオスらと対決しながら、宝珠を奪取或いは破壊して脱出しなければならない。
「それが今回の作戦……いえ、危険かつ成功率の低い無謀な行いです。ですが幾度、重力子演算装置に選択肢を叩き込んでも、現状、これ以上の作戦は導き出せないのです」
 小夜は、己の無力をそう自嘲する。

●死守
 そして小夜は、出現した魔竜たちを描いたスクリーンを指す。
「私から皆さんにお願いしたいのは『魔竜クリエイション・ダーク』の迎撃です」
 19体の魔竜どもは時空の歪み周辺を固めている。時空の歪みへの突入部隊を援護しつつ、魔竜担当班が全ての魔竜へ同時攻撃を開始。突入班が撤退してくるまで最大30分の間、その場で時間を稼ぐのだ。
「魔竜たちの力は覇空竜アストライオスに比肩し得るものです。クリエイション・ダークは無数の竜語魔法陣を同時展開して周囲を薙ぎ払う強大な竜……少数戦力での撃破はまず不可能です」
 魔竜は目前の敵を排除すると、他の魔竜の救援に向かう。すなわち、どこか一か所でも崩れると、連鎖的に全戦場が崩壊……突入部隊は撤退路を失い、殲滅されるだろう。
「しかし生まれたばかりであることが幸いしたのか、魔竜どもはケルベロスが一人でも健在ならばその場で戦い続ける為、時間を稼ぐことは可能です。そこで、支援班として皆さんの後方に予備戦力を配置するよう手配します」
 魔竜担当班の壊滅が確定した場合、その魔竜の戦場に後方待機の支援班を投入。交代して時間稼ぎを継続するのだ。それはつまり、魔竜担当班が持ちこたえる可能性は薄い、ということでもある。
「なお、支援班の作戦によっては予備戦力を一点集中して魔竜を撃破し、撤退時の突破口を作る作戦も考えられます。その場合は、支援班と力を合わせて魔竜の撃破を狙うことになりますが……それは他の魔竜への支援や突入班の戦力を削る諸刃の剣でもあります」
 いずれにせよ、魔竜担当班に求められるのは、仲間のための盾の役目。
 壊滅が半ば前提の作戦の中に、自ら跳び込んでいく覚悟だ。
 全てを言い終え、小夜は俯く。
「作戦とは名ばかりの無謀ですね……しかしそれでも行くという方がいるならば……私も皆さんと共に、三度、熊本の地へ飛びましょう」
 小夜は顔を上げ、無言のままに視線が絡み合う。
「私は、ヘリポートにてお待ちしております。覚悟の出来た方は……出撃準備をお願い申し上げます」


参加者
ギヨチネ・コルベーユ(ヤースミーン・e00772)
セルリアン・エクレール(スターリヴォア・e01686)
リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)
夜殻・睡(氷葬・e14891)
篠・佐久弥(塵塚怪王・e19558)
ノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)
結城・勇(贋作勇者・e23059)
ユグゴト・ツァン(パンの大神・e23397)

■リプレイ


「魔竜、か。また大層なものが出てきたね……今後のためにも頑張らなきゃ」
 ヘリオンの中、セルリアン・エクレール(スターリヴォア・e01686)が言う。
「今回は、時間稼ぎっすけど。別に倒してしまっても、いいんすよね」
 篠・佐久弥(塵塚怪王・e19558)は、軽く茶化す。
「打倒なんて考えちゃダメよ。作戦全体の継続が最優先なんだから」
 リリー・リーゼンフェルト(耀星爛舞・e11348)の生真面目な注意に、結城・勇(贋作勇者・e23059)はおどけて見せた。
「わかってるがよ。ここで大逆転。悪い竜をやっつけちまうのが、勇者ってもんだよな」
「確かに。邪悪な竜は勇者様に討伐されるべき。されど此度は耐久戦。受け止めきれる愛だとよいが」
 ユグゴト・ツァン(パンの大神・e23397)はため息をつき、逸る気持ちを鎮めて。
「ん。改めるぞ。俺たちは全員、突入班の為に時間を稼ぐ。目標は30分だ」
「勇者という柄ではありませぬが、味方の盾となるのは慣れたこと。お任せを」
 夜殻・睡(氷葬・e14891)がそうまとめ、ギヨチネ・コルベーユ(ヤースミーン・e00772)は深く頷く。
 本当は、皆わかっている。
 ただ、強大な怪物と相対する覚悟を胸に、意気を燃え立たせているのだ。
 ノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)は、目の端で微笑む。
(「ああ……地獄はまだ遠い。此処に居る者も、他の仲間も。死なせてたまるかよ」)
 そう。
 彼らは、全霊の力と、絞り出した知恵と、燃える覚悟を以って。

 これより……敗北する。


 天を覆うが如く迸る、蒼き無尽の紋様。
「まずいっす。一撃がマジで重いっすよ……! これが単攻撃じゃなくて、列攻撃だってんすか……!」
 紫電を帯びながら空中を走る閃光。
「集中的に前衛を狙うつもりだ……! オレが牽制する。皆は回復を……!」
「ああ。俺たちで食い止めるぞ。いざ囀れ、天の燕……再起せよ!」
 番犬たちは、全霊の癒しを集中し、守護の力を結集する。
 だが。
「初手より守りに押し込まれておりまする……! 隙を作らねば、これ以上は……!」
 大地に黒き竜陣が輝いて、黒針が爆裂する。
 闘いが始まって、三分目のことだ。
 綺羅星の舞う夜空ような魔竜……『クリエイション・ダーク』は、己の力に酔いしれるように、悠然と天を仰いだ。
「……そんな。こんなのって……」
 震えかける手を抑え込んで、リリーは慈雨を降らせている。
「四人は守護に全ての力を回したはずだ……なのに……」
 癒しの霞を舞わせるノチユの眼前には、加護と癒しを集中させた四人の護り手。
 ほんの三分で、その全員が血塗れになって片膝を付いていた。
「くそっ! まるで無視かよ! 竜は勇者が好物だろぉが!」
 勇とユグゴトが蹴りかかるも、魔法陣が障壁のように二人を弾く。
「この程度では気を引くにも値せぬというか。つれぬ男だ……」
 二人を一瞥もせず、魔竜は天へと咆哮する。己が名を、告げるように。
(「これが……魔竜っすか……」)
 大地に滴る己の血を眺めながら、佐久弥は気付いた。
 否、全員がすでに、気付いている。残酷な事実に。

 30分という時間は、危険を承知の博打を打たねば、届かぬ果て。
 全列を可能な限り同数に分け、仲間が倒れ行くのを切り捨てつつ。
 命中も定かならぬ中、全力の攻撃を叩き込み。
 敵がそれを無意味にする時間を使って、次の生贄を立てて行く道。
 だが自分たちは持てる全てで、正面から耐久戦に臨んだ。
 八人が全力で耐えるならば、確かにこれは最上の布陣の一つ。
 だがそれを選んだ時。
 奇跡の逆転の可能性は潰えたのだ、と。

 嗤う膝で立ち上がった前衛を、冷酷な視線がねめつける。
 その時だった。
「いやー! ぬるいっすね! 魔竜とかご大層なこと言っといて、こんなもんっすか? なんだかんだ、前と大して変わってないんじゃないっすか?」
 佐久弥が、わざとらしく軽薄に笑ったのは。
「そりゃ強いでしょうけど。俺たちを一撃で蹴散らせるってわけじゃないんすね。前に闘った戦艦竜は、強くって……」
 それは、滑稽にさえ映る強がり。だがその意図を解した仲間たちは、身を切るような想いで走りだしていた。彼から離れる方向へと。
 身の程知らずの小虫に、我が力を試してみようか。
 魔竜の瞳は、そう語っている。
「……てわけで、行くっすよ! 悔しいなら、俺を止めてみろ……!」
 佐久弥は拳を握りしめ、たった独りで走り出す。地獄を燃やして大地を踏み抜けば、吹き上がる溶岩が魔竜の足を焼く。
 そして……己の周囲に黒球が無数に浮かんでいるのを見た。
 紋様が輝きながら、周囲が崩壊していくのを。
(「……ああ。一番に、怖い光景晒しちまうっすね……俺の背を見る人がいるってのに」)
 黒球はひと際強く輝き、空間を呑み込む。佐久弥の、体を巻き込んで。
 爆縮する重力球の乱舞の中で、紅い霞が迸る。
 そして佐久弥の姿は、血溜まりの中に崩れ落ちた。

 それは、凄まじい暴虐だった。
「……立て直すぞ。前衛の回復を頼む。リーゼンフェルト……!」
 沈黙を破ったのは、気力を高めて自己回復を図る睡。リリーは、ハッと我に返って。
「あらゆる悪意を風に乗せ……地獄の咢は開かれん。されど放たれし矢は、巻き上がる炎は、大地の壁に阻まれる……全ては星の御心のままに!」
 謳われる歌は、竜に対抗するように紋章を描いて前衛を癒す。ノチユがそこに鎖の癒しを重ね、ユグゴトはチェーンソーを振りかざして牽制に走る。
 そして、勇は……。
「まだ使ってはなりませぬ……!」
 組み付き、注意を引こうとした彼の動きを制したのは、ギヨチネ・コルベーユ。
「正面からの耐久を選んでしまった以上、我らの命を繋ぐは癒し手……! しかし後衛があれをまともに受ければ二発で落ちましょう」
「だが! 前衛が次で全滅するよか、マシだろう!」
 その時、雷が降り注いで、二人の会話を分断する。
 執拗に人数の多い前衛を狙う魔竜。稲妻は睡の足を撃ち抜き、彼を墜落させる。
 飛び退いた勇は、舌を打ちながら爆炎を飛ばして。
 火傷の傷だらけで受け身を取り、ギヨチネは起き上がった。走り寄るセルリアンを、優しく制して。
「なりませぬ……あなた自身に癒しを集中せねば前衛は、持ちますまい」
「一人に集中すれば、二人崩れる。それでは意味がないよ」
「……そうは、させませぬとも」
 そう言って、ギヨチネは身を翻した。足を引きずる睡の前に、一人、立ちふさがって。
「コルベーユ……!」
 その意図に気付いた睡が、柄にもなく僅かに声を荒げる。
「我が身は、輩の盾となり! 我が魂は一切の官能の故に照り映える!」
 雄叫びと共に、ギヨチネは大地を踏みしめる。
 彼の後ろに、白い茉莉花で彩られた盾が現れ、優し気な蔓が睡を包み込んでいく。
「この身が倒れようとも……ここを抜かせはせぬ!」
 己の全てを盾となし、ギヨチネは世界の終りの如く降り注ぐ蒼炎に呑まれていく。雄叫びと共に癒しの力を振り絞る中で、茉莉花の盾が焼け落ちて行く。
 そして炎が絶えた時。灰燼と化した瓦礫の中から、睡は立ち上がった。
 爆炎に呑まれたギヨチネの姿は、消えていた。

 前衛に残るは、二人。これで全列は同数だが、確実にズタボロの前衛を狙ってくる。この状況で誰かが前に出ては、敵にとっては的が増えるだけ。ポジションの移動は、まだ不可能だ。
 遂に勇が、魔竜の足元に食らい付いてその注意を引く。魔竜は、煩わし気に足元をねめつけた。
 セルリアンが時の進みを呪いながら、空を断つ。
(「残り六人。今は何分だ……このままじゃ魔竜は支援班まで貫いて、戦線を突き崩しかねない」)
(「考えろ。今ここから。どれだけ時間を伸ばせるかを……!」)
 睡とセルリアンの瞳が、交錯する。
 中・後衛は土埃や擦り傷に塗れていても、まだ十分に闘える。対して前衛はもう持たない。ならば。
「巻き込まれて無駄に共倒れるのは避けなきゃならない。敵が結城の誘いに乗れば、俺が行く」
 そう言う睡に、セルリアンは頷いて。
「前衛を狙うようなら……俺だね」
 それが二人の、身を賭けた大博打だ。

 そして魔竜の首は、後衛を向いた。
 ノチユとユグゴトが火焔を帯びて蹴りつけるのにも構わず、黒い魔法陣が大地を走る。
 終われる後衛めがけて爆針が走る刹那、リリーを突き飛ばしたのは、睡。
「……っ! 睡さん!」
「リーゼンフェルト。俺とあいつで二分稼ぐ。その間に、全力で結城を癒せ。それで」
 中・後衛を、ほぼ無傷で残せる。とまでは、言えなかった。
 爆裂した黒針がその体を貫いて弾き飛ばしたからだった。

 ノチユが火焔を叩きつけるのも、これが幾度目か。痛みになら慣れた。無為にも思える足掻きにも慣れてきた。
「でも……目の前で仲間が倒れて行くのをただ眺めるのは……慣れないな……」
 その視線の先には、セルリアン。
「随分と手間取ってるね。そんなに巧みに竜語魔法を繰りながら、まだ自分たちを全滅させられないのかい? もうすぐ10分だよ?」
 刃を翻しながら、竜の鼻先で彼は囁く。
「この間にも、仲間が君たちの大事な宝玉に近づいている……もしかしたら、奪取しちゃうかも? 君が自分たちに手こずっているせいで、ね!」
 魔竜は咆哮し、その激怒は空間を喰らう黒球となって彼の身を取り囲む。その中で、最後の護り手は振り返った。
(「みんな……後は、頼んだよ」)
 そして、断たれる空間の中に、血煙が舞った。


 残るは、四人。
「回復完了よ! 勇さん、まだいけるわね!」
「任せろ……! そっちは前へ出な! 前後で、引きつけるぞ!」
「これで奴は狙いを見失う。さあ、行こう」
 ノチユとリリーが、力を組み替えて前衛に走る。中・後衛にユグゴトと勇を残して。
 天からの雷鳴が大地を抉り、その一撃に腕を撃たれたのは……ユグゴト。
「……っ。ようやく、か。生まれたばかりの赤子の気を引くのは、骨が折れる……」
 前に出てきた二人は倒れにくく、中・後衛は一人ずつ。おまけに怒りの呪いで狙いを散らされ、攻撃を受けた者には回復援護を集中できる。
 また、敵は遂にここにきて呪いが煩わしくなったらしい。全身を白光する魔法陣で包み込み、積み上げた呪いを浄化する。攻撃は全列に散り、僅かな小康状態が出来上がる。
 その間、数分。
 だが、その時間も長くは続かない。やがて敵が狙い定めたのは……。
「俺だよな……へっ。そう来なくっちゃ」
 膝を付きながら、勇は口元を吊り上げる。
 魔竜は苛立ちに顔を歪ませながら、天に炎の陣を描いていく。
「はは……異天ってのを繰り出す価値もないってか? ホントは知ってるさ……俺は勇者を騙る、ただの凡愚だってな」
 自嘲しつつも、彼は全神経を研ぎ澄まして魔竜を睨みつける。
「でもな。これから負ける時でも、あいつに続けって言われる倒れ方すんのが……勇者の心意気だ! 見せてやるぜ! 似非勇者の負けっぷりを!」
 咆哮と共に、勇は思念を解き放った。降り注ぐ火焔に呑み込まれて行きながら、魔竜の周囲に花火の如く、幾度も幾度も爆裂が咲き乱れる。
 やがて、その爆破が止まった時。
 勇者の姿は燻る炎の中に沈んだ。

 定めていた撤退条件は、達した。
 耳をつんざく雷鳴の中、お互いがどこにいるかもわからない。
 ノチユは、胸倉から信号弾を取り出すと、天に向けてそれを放った。
「これで終わりだ……もう、逃げてもいい」
 彼は呟きながら、走る。
 足掻くように闘っていた、ユグゴトに向けて。
 激突し、二人が押し倒れると同時に、彼の背を蒼い炎が焼いた。
「何を庇っている……撤退信号を出したならば、逃げよ」
「もしかしたら……僕たちが少しずつ積み上げたものが……意味を持つかもしれない……次に来る仲間の、役に立つかもしれない」
 そう言いながら、彼の背から赤黒く焼けた血が、滴り落ちる。
「そう思ったら……間抜けだね。逃げ遅れちゃった……それだけ、さ」
「愚か者……」
 そしてノチユの体は力なく崩れ落ちる。
 ユグゴトはその体を優しく脇にどけて、上着を掛けた。
 空を仰げば、彼が伸ばした紅い筋。
 遠くから、仲間たちの気配がしていた……。

 魔竜の目には、もはや嫌悪さえ宿っている。
 まだ来る気か。お前らは正気なのか。と。
「……助けが来る。逃げても、誰も文句は言わないわ。みんな、立派な勇者だった」
 リリーが言う。残るは二人。これはもう、闘いでも何でもない。
 だが、それでも。
「不便よな……針の孔ほどでも逃げ道があると、頑なに力の扉は開かぬ。我に依らず、己の力でそこから道を開けということか……」
 ユグゴトは、疲れたように自嘲する。そして、一歩を先に踏み出して。
「己の影に嘲笑われる無様は晒すまい。我ら二人で二発を稼げる。ならば、何をかいわんや。先に行くぞ」
 ユグゴトが走る。咎人の血を呪いと変えて放ちつつ、無謀な道を。だがその足元にはすでに黒き魔法陣が走り始めて。
「皆、願わくば、この地獄の如き現世で再会しよう……!」
 その言葉を最後に、ユグゴトの体は爆裂した黒針の中へと消えた。

 そしてリリーは、振り返る。救援に走りくる、支援班を。
「みんな! 守りに入っちゃいけない! アタシたちの轍を踏まないで! 誰が倒れようと、固まらずに攻撃を散らして!」
 彼女はその中に、燃え盛る飫肥城を共に闘った男を見つけていた。
「援護するぜ、退がれ!」
「……サイガさん。ごめんね。今回、助けは必要ない……アタシも、みんなに続くわ!」
 制止を振り切り、少女は走る。仲間たちを、絶望の稲妻に巻き込まぬために。
「こっちを向け、魔竜! これが、アタシたちの意地よッ!」
 翻った長刀が、電撃を迸らせた。しかしその金色も、瞬く間に魔法陣より侵食する紫電が喰らい尽くしていく。
 魔竜はため息を落とすように鼻を鳴らした。
 そして紫の雷電が迸り、一つの闘いの幕が下りる……。


「……っ」
 千切れた時計に手を伸ばすセルリアンの傍らに、焼け焦げだらけの巨漢が膝を付いた。
「これが……我らの、稼いだ時間でございます……」
 そう言って彼は、そっと時計を差し出した。
「ギヨ、チネさんか……無事、かい?」
「あは、は……それ、聞くんすか? その、姿……で?」
 片膝を引きずるギヨチネの背に、血油に塗れた少年が背負われていた。
「勝てなかっ……すね……」
 血を吐いて笑う佐久弥の隣から、ふらりと現れるのは、睡。衣服は血に塗れ、体からは血の気が失せつつも、彼はどうにかセルリアンを背に乗せる。
「他の、みんな、は……」
「わからない……撤退時に、拾ってもらえることを祈ろう」
 遠ざかる剣戟の響きと魔導の爆音を背に、四人は這うようにその場を脱する。

 魔竜クリエイション・ダークに挑んだ八人の闘いは、こうして潰える。
 血に濡れた硝子の向こうでは、時計の針が十八分目を告げていた……。

作者:白石小梅 重傷:セルリアン・エクレール(スターリヴォア・e01686) 篠・佐久弥(塵塚怪王・e19558) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年7月20日
難度:難しい
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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