此岸の畔にて

作者:譲葉慧


 新たな日を告げる先駆けの茜が、わずかに地平線を染めている。
 しかし、夜の闇は、まるで名残惜し気だともいうように、辺りに並ぶ倉庫を未だ黒く染めている。光に抗いせめぐその様は、夜中の真闇よりも良からぬものが潜んでいそうな気配すら漂わせていた。
 そして、実際にそこにはデウスエクスが潜んでいたのだ。
 銀の髪を持つ黒衣の女と、鋼で出来た機械仕掛けの骨格を持つ人型だ。彼らの間にあるのは敵意のみだったが、もう全ては終わっていた。
 容易く機械の人型の背後をとった黒衣の女が、丸っこい何かを人型の首の後ろから捻じ込んだのだ。それは見る間に身体の奥深くまで根付いてゆく。
「それはもう、あなたの一部です。あなたが死ぬまで、共にある。グラビティ・チェインをその身に蓄え、ケルベロスに殺されるまで……さあ、道行は短いものとなるでしょうが、お行きなさい」
 黒衣の女の言葉に、人型の意思とは裏腹に機械仕掛けの骨格が反応した。倉庫の先の高炉へと、勝手に足が向かう。彼が黒衣の女を見ようと何とか振り返ると、既に彼女は朝焼けがもたらす影に紛れて去ってしまっていた。

 機械仕掛けの人型は、ぎくしゃくとした動きで、製鉄所へ向かっていた。その挙動は、下手な演者が操る人形のごとくだ。
(「さっき埋め込まれたものは一体何なのだ。伝達系が乗っ取られてゆく……」)
 その証拠に、遅々として進まなかった歩みが、だんだんと早まってきている。彼の意に反する歩みにも関わらず。
(「……グラビティ代謝機構も乗っ取られた」)
 陽は既に昇りきり、製鉄所の高炉が見える場所に辿りつくころには、動きに違和感がなくなっていた。製鉄所で働く人間の、グラビティ・チェインを感じとり、彼の内から激しい飢えが湧きあがって来る。
 それは、デウスエクスである彼にとって、未知の衝動ではなかったが、気味の悪い違和感ゆえに、黒衣の女に埋め込まれたもの由来であることは分かっていた。
 どうしても、何があろうとも、今直ぐ渇きを満たさなければならない。そして、きっと、どれだけ貪っても満たされることはないだろう。
 一人、今の状態で人間を狩っても、時を置かず討伐のケルベロスが現れることが目に見えているのに、退く分別が働かない。と言うより、頭の分別と身体の動きが完全に分かれてしまっている。
「おのれ……おのれ……」
 黒衣の女を呪う呟きを繰り返しながらも、既に彼の身体の方は、襲い掛かった人間を手にかけており、ついで流れ込んだグラビティ・チェインに歓喜すら覚えているのだった。


 今日の空は一面を覆う雨雲に阻まれ、空色の欠片も見えない。ヘリポートでは、マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)が駐機したヘリオンの側で腕組みをし、雲の流れを見ていた。
 ヘリポートへやって来たケルベロスを見つけ、マグダレーナは空から地上へ視線を戻した。
「死神の小細工を潰すのに手を貸してくれる者はいないか?」
 死神。死者を連れ去り、使役するデウスエクスだ。最近は専ら他のデウスエクスを狙っているようだ。マグダレーナの言う小細工も、その企ての一つらしい。
「場所は某海浜地帯にある製鉄所だ。死神に『死神の因子』を埋め込まれたダモクレスが現れ、製鉄所で働く人達を虐殺しようとするのだ。阻止しなければならん」
 マグダレーナはケルベロス達に海浜地帯の地図と、製鉄所の地図を見せた。ダモクレスが現れる場所と予定進路が書き加えられていた。進路の最後は高炉だ。
 休みなく稼働する高熱の炉が破壊されれば、より多くの被害が出るだろう。
「虐殺によりダモクレスがグラビティ・チェインを得た後にケルベロスに倒される。そいつをサルベージすれば、戦力増強になる。それが死神の狙いだな」
 そこで、誰かが軽く息を吐いた。ため息という程あからさまにではないが、ほんの僅かに憂鬱が混じっている。
 人死には出なかったとしても、討伐したダモクレスが死神に連れ去られれば、やはり死神にとって利ざやは減ったが漁夫の利に変わりない。
 マグダレーナは、息の聞こえた方へ頷いて見せた。
「ダモクレスが死神の戦力になるのは業腹だな。だが、対抗手段はある。死神の仕込んだ『因子』を破壊すれば、死神による回収を防げるのだ。ダモクレスを瀕死にまで追い込み、重い留めの一撃をぶちこんでやれ。ダモクレスと一緒に『因子』も破壊されるはずだ」
 もし、ダモクレスを倒した時に『因子』が破壊されなかった場合、ダモクレスの死体から彼岸花に似た花が咲き、死体ごと消え去ってしまうとも、一応な、と念を置いて、マグダレーナは言い添えた。
「次に、戦うダモクレスだな。人型だが、金属製の骨格と配線が露わになっているから、ロボットと言った方が表現としては近い。自我はあるようだが、とにかくグラビティ・チェインを得る事に執着しているぞ。高炉を破壊するため、接近しようとするだろう」
 製鉄所地図に記された、ダモクレスの予測動線をマグダレーナは指でなぞった。人的被害を抑えるには、この動線の途中でダモクレスを止める必要がある。
「そして、ダモクレスの戦法だが。大量殺戮を狙う割に、戦法は守り重視の堅実なもののようだ。これが元々持っている性なのかもしれん」
 曇り空の灰色が、更に濃くなり、ぽつりぽつりと雨も降り始めた。それを頃合いと見たように、マグダレーナは話を切りあげ、一通り質問を募ったあと、本降りになる前にと、ケルベロス達を搭乗口へ急かした。
「死神であれ、ダモクレスであれ、デウスエクスにくれてやる物など何もない。代わりに『死』をくれてやれ。強欲者にはそれが似合いだ。頼んだぞ!」


参加者
芥川・辰乃(終われない物語・e00816)
チーディ・ロックビル(天上天下唯我独走・e01385)
エデュアルト・ブライネス(惻隠の羽根・e01553)
天月・光太郎(満ちぬ暁月・e04889)
野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)
ヨル・ヴァルプルギス(グノシエンヌ・e30468)
ジュ・ダグラス(羽虫・e37252)
遥禍・カ無た(描き続ける理由は・e56797)

■リプレイ


 陽が昇りきった朝の空は、すっかり晴れあがっていた。薄く刷かれた雲が、水気を帯びた風にあっと言う間に運び去られていくのが、わずかな雨の名残のようだ。
 ケルベロス達が見はるかすのは、製鉄所の中でも最も目立つ高炉だ。少々錆びた色を帯びた炉は、機能一辺倒の不愛想さで空に向け真っ直ぐ立っている。それは、光が満ちた空の淡い水色と一切混じり合うところはなく、己はただ己なのだと言わんばかりにも見えた。
 遥禍・カ無た(描き続ける理由は・e56797)の手が、タブレット端末の真っ白な画面をそうっと撫で、広がる光景の輪郭と色彩のあらましを描いた。そのかたち、色がカ無たの喉と唇をふるわせて、音、すなわち言葉へと繋げる。
『高炉と、製鉄所……絵になる光景、ですもの。是非、守り切らなければなりませんね』
 広げた羽根で風を受け止めていた、エデュアルト・ブライネス(惻隠の羽根・e01553)が首を下へと傾げ、カ無たのタブレット上の世界と紡がれた言葉に応えた。
「ああ、綺麗に晴れているからね。風も、これから良くなるよ。その前に、一仕事片づけてしまおうか」
『ええ、ええ。無事に勝ったら、記念に絵を、描いて帰りたいものです、ね?』
 見上げるカ無たに、目の端に微かに笑みを含んだ目配せをしてから、エデュアルトは製鉄所の全景へと目を戻した。仲間達も製鉄所の様子を伺っているが、とりわけ芥川・辰乃(終われない物語・e00816)は、仲間の後ろに控えめに立ちつつも、静かな眼差しで地形をくまなく確認している。
(「地形は説明を受けた通りですね。製鉄所内へ入る人ばかりなのは、勤務交代のためでしょうか」)
 辰乃は人の流れを目で追った。それはダモクレスの推定移動経路とほぼ重なっているようだ。既に得ている情報と状況に寸分たがいが無いならば、作戦と齟齬は出ないはず。
「戦場は出来るだけ高炉から離れた場所に……ここからだと、このルートを通るといいかもしれません」
 先導する辰乃に続き、ケルベロス達は製鉄所敷地内へと踏み込んでゆく。出会った人に避難を呼びかけながらも、その足取りは緩めない。
「あわてずあせらず、ね! ケルベロスがきましたので、ごあんしんくださいな!」
 走り抜けるケルベロスからの短い警告に戸惑う人を振り返り、野々宮・イチカ(ギミカルハート・e13344)は、あっちへ! と避難する方向を指し示した。目指す所が出来た人達は、その方角へと避難してゆく。
 程なく推定移動経路へ合流したケルベロス達は、ダモクレスが来る方角へ向けて、移動を始めた。出会ったのは、出勤中の人達ばかりだ。高炉をはじめとした建物内に留まっているはずの夜勤明けの人達に警告が届くまでに時間差はありそうだ。
 だがそれも、戦場に人を寄せず、その戦場でダモクレスに引導を渡しさえすれば、問題にはならない。
「始まったら、お願いします」
 辰乃はヨル・ヴァルプルギス(グノシエンヌ・e30468)へそっと呼びかけた。羽根のように歩むヨルの、ひっそりと閉じた瞳と唇の代わりに、彼女の長い睫毛と、連れている人形の微かな動きが、肯と応える。シャドウエルフである彼女の殺気により、戦場に近付く者はいないだろう。
 ダモクレスの姿を求め、ケルベロスは前進を続ける。もうすぐ戦いだ、前線で刃となるイチカは足を速め、仲間達の前へと歩み出た。その横顔に、エデュアルトは問いを投げかける。
「心配ごとでもあるのかな、イチカ」
 不意にエデュアルトに問われ、イチカは想いを隠すように、にっこりと笑った。
「この事件、いつもいい気がしないんだ。表には出てこない死神と」
 そこでイチカは言葉を切った。続く言葉は討伐対象であるダモクレスのことだろうと、エデュアルトは察したが、黙してイチカの意思を待つ。
 討伐対象こそダモクレスだが、襲撃を意図した者は死神だ。死者をサルベージして使役する彼らは、より強力な『死んだ』デウスエクスを得ようとしている。これは『死神の因子』を埋め込んだダモクレスを操って人を襲撃させ、結果ケルベロスに倒されることまで見越した、死神のサルベージ計画なのだ。
「もしかしたら、心を得られたかもしれないダモクレスと」
 ややあって返って来たイチカの言葉に、ああ、とエデュアルトは得心した。彼女はレプリカントだ。だからこそ、意思を奪われたダモクレスに思う所があるのだろう。しかし、穏やかに笑みつつも、返す言葉が直ぐに浮かんでこなかった。
 死神の便利な道具と化したダモクレスは、生きている今も、討伐され死んだ後も、道具でしかない。壊れているか否か、違いはそれだけの単なる『モノ』。
 伝える必要はない考えだ。だが、上っ面を繕う慰めの言葉など、もっと必要はないだろう。
「死神連中も飽きないもんだ。何考えてるか分からんが、やつらの好きにさせてはおけないな」
 ごく自然にやり取りを引き取って、天月・光太郎(満ちぬ暁月・e04889)がごちる。屈託のない言葉は、それぞれの思いを知った上で言っているようにも、全く気付いていないようにも取れる。それは光太郎自身の天性によるものなのだろう。
「不可解ですけれど、まずは目の前のことからですね」
 辰乃は前を見据える。守りましょうか、営みを。人の姿が見えなくなった路を、ケルベロス達は尚も進んだ。


 誰も人のいない、しんと静まり返った製鉄所内の道路。ダモクレスがいたのはそこだった。高炉からの距離は開いている。全くの策なしで製鉄所に突入したならば、もっと高炉近くでまみえたはずだ。
 加えて、ヨルの放つ冷たい殺気が、人払いをしている。しかし……。
「いやちょっと、これ超テンション下がるんっすけど? もーだだ下がり!」
 鋼の枠組みと配線コードで象られた人型ダモクレスを指さし、チーディ・ロックビル(天上天下唯我独走・e01385)は大声で叫んだ。
「俺様を褒め称えるギャラリーがいねぇとかクッソ萎えるわー。何でてめぇは折角のギャラリー様襲っちゃうわけ? 俺様は深い悲しみに包まれた! 今日耳裏の寝癖と髭の角度が微妙なのもてめぇのせい! ソッコーブチのめす!」
 変わらない速度で向かってくるダモクレスに、チーディは地獄の炎をまとった一撃をしかけた。小細工一切なしの正面からの一撃は、鋼の体躯にいなされた。この角度では有効打ではなさそうだ。
 然程強そうには見えないが、流石に支援なしの状態で確実な打撃を与えるのは難しそうだ。ダモクレスは前へと進む。戦場を移動させながら高炉へ近づくつもりだろうか。
(「炉。おまえも、火に惹かれるか」)
 ジュ・ダグラス(羽虫・e37252)は、横ざまから跳びダモクレスの足を蹴りつけた。蹴りに秘められた重力が、ダモクレスの軸足を捉え、足取りがぶれる。体勢が崩れたダモクレスに、ジュは言葉なき問いと、願いを籠め、その目を見据えた。
(「私では、だめか」)
 ケルベロスの秘めるグラビティ・チェインは多い。上等の贄は、探さずとも目の前に居るではないか。
(「先に行かず、立ち止まってくれ」)
 戦の宿命の下にある者たちの胸に宿る炎は、この先に在る溶けた鉄の熱よりも熱く、触れた者を焦がすだろう。
(「私たちの中の鎖に惹かれろ。私たちの中の、戦意の火に惹かれろ」)
 おまえの渇望を満たせるのは私たちだけだ。そうではないか。
 ダモクレスの目に灯る渇望の光がいや増した。少なくともジュにはそう見えた。
 ジュが間合いを取ると同時にダモクレスに影が落ちた。光太郎の蹴りが真上から襲いかかり、ジュと同様にダモクレスの動きを鈍らせる。
 この界隈に残る獲物はケルベロスだけだ。喰らいたければ、全力で抗うこの獲物を屠らなければ満たされることはない。明らかなその事実を、ダモクレスは二人の攻撃を食らうことで改めて突きつけられたのだ。
 次いで、エデュアルトの放つ砲撃が着弾する。その衝撃もまた、ダモクレスの身の躱しを阻む一撃であった。相手の隙を生み、攻撃の確実性を上げる。それは、一対一では敵わない相手への手堅い戦術だ。
 そして共に、仲間への支援を重ねる。カ無たは、大きな筆で、間合いを取る仲間達の背後に、可愛らしい動物を描き出す。その色彩の妙はカ無たの喉元にたゆたう混沌の水を映し、活き活きと弾むような勢いある筆致は、動物たちが今にも絵から飛び出して味方として参戦するのではないかと思う程だ。
 着々と足固めを進めるケルベロスに対し、ダモクレスは腕に仕込んだ砲頭から、曳光する弾を放った。素直な軌跡を描いて跳んだ弾は、咄嗟に軌跡を遮ったヨルに着弾し、一挙に燃え上がった。護りの態勢を取っているお蔭で、致命弾とはならない。仲間達のほとんども、ダモクレスの攻撃に耐えうる装備を整えているようで、同様に致命打を受ける可能性は低そうだ。
 と、ヨルの背後によく知っている気配が添い、そよぐ風が燃える炎の油臭さを和らげる。ウイングキャットのケリドウェンの翼の羽ばたきだ。身体の炎は残っているが、ヨルの周りに留まる清らかなそよぎは、炎とせめぎ合っている。いずれは炎を消し去ってくれるだろう。
 炎の返礼は炎にて。ヨルはすっと腕を差し出した。掌で踊る炎が、竜の形へと変化し、大きく成長したかと思うと、ダモクレスへと体当たりを仕掛ける。
 攻撃の命中力を上げるための手立ては整いつつある。次に確保したいのは攻撃力だ。ダモクレスに埋め込まれた『死神の因子』は、大威力の攻撃で止めをさす事で、宿主と共に滅ぼすことができるのだ。加えてこのダモクレスは慎重に守りを固めている。その守りを抜ける攻撃を仕掛けるためには、準備が必要だ。
 辰乃は爆破スイッチのボタンを押した。音を立てて爆発するとりどりの色合いが近接戦闘中の仲間の士気を上げ、爆風の勢いはそのまま、一手一手の攻撃に乗るのだ。一度に全員を支援することは難しいが、地道に続けることで実を結ぶはずだ。
「俺様からの出血大サービスだ、有難く貰っとけ! あ、てめぇ血ぃ無いの? そういや血色悪そうだもんなあ!」
 チーディは一足で距離を詰めダモクレスの懐に入り込むと、至近で伸びる如意棒の突きを食らわせた。体勢を崩し気味のダモクレスに入った一撃は確かな手応えがあった。ちなみに実は如意棒は結構長く伸びるのだが、彼はそういう細かいことは考えていない。とりあえずその脚力で間合いに入りぶちのめす。それが彼のジャスティスだ。
 幾度かの攻撃に晒されたダモクレスは、攻撃の手を緩めた。自己防衛機能を起動したらしく、損傷が回復し、彼の武器である両腕の配線が光を放つ。予知情報によれば、それは恐らく、ケルベロス達の加護を強制的に消し去る力を持つはずだった。
 厄介な光だ。早々に消し去るべく、ヨルは身に纏うオーラの力を拳へと集中させ、機を窺う。
 このダモクレス、実際相対してみると、中々にしぶとい相手のようだ。戦況を見るに、決着には今少しの時間が必要となりそうだった。


 攻防が繰り広げられる中、ダモクレスが疲弊してゆく。歪む鋼の骨格に、所々焼き切れた配線……それは外見だけで容易に判断できた。グラビティがもたらす様々な不調から立て直す術を持たない彼は、十重二十重の戒めを受けているも同然だった。
 損傷個所をなぞるような光太郎の斬撃や、ジュの持つ惨殺ナイフの抉りが、不調の度合いを拡げ、追い打ちをかけている。ケルベロスの仕掛けたグラビティの炎に包まれ、さながら生ける松明と化したダモクレスの身体からは、刻一刻と体力が喪われていっていた。
「終幕はもうそろそろではないのかな」
 ダモクレスの様子を具に観察していた、エデュアルトの一言に応じたのはヨルだった。人形を介さず話しているが、変わらずその唇はかるく結ばれたままだ。
「そうですわね。もう幕引きの時間、わたくしたちは舞台袖へと退くといたしましょう」
 二人の遣り取りを受け、仲間達も留めの一撃に備え、それぞれの動きに移行した。
「滅多にやらねえ大盤振る舞いだ! 派手に決めろよ!」
 光太郎は、接近戦中の仲間へ、爆破スイッチで爆風を起こした。とりどりの爆発は、色同志のコントラストも鮮やかに、爆風は、その勢いのまま勝馬に乗るための激しさだ。
「Xioa, Fidra, Urqria, Dydalia――」
 遠き星の言葉で、ジュは光を喚ぶ。蛍のような淡い光は、攻め手であるイチカの腕に宿り、力の脈動をもたらした。
「俺様サイキョー! けど、チーターは兎を狩るにも全力を尽くすっつーからな!」
 チーディの脚の炎が轟と燃え上がり、不死なる者を灼く地獄の炎が彼の全身へと廻った。
 弱りながらもダモクレスは、腕に仕込んだ吸命の刃で斬りかかってくる。その執念の刃の前に踏み込んだのは、辰乃だ。胴に食い込む刃を無理矢理に引き抜き、押し返す。
「皆さんの盾となることが、より多くの命の盾となることに繋がるならば」
 押されたダモクレスは、一歩、二歩後じさった。
 今だ――間合いと体勢と、絶好の一瞬。イチカとチーディ、攻め手の二人は最後の攻勢をかける。回転する腕が、ダモクレスの胸板を貫き、地獄の炎で灼々と燃える斧が、肩口から袈裟懸けに斬り伏せた。
 力を失ったダモクレスは、鉄骨か鉄パイプが地面に落ちたような無機質な音を立て、崩れるように倒れ、それきりだった。
 曲がった鉄くずと焦げたコードの山。ああ、これはがらくたそのものだね。『亡骸』に向けて、エドュアルトは乾ききった視線を向けた。


 損傷した道路や倉庫をヒールした後、製鉄所は支障なく業務を再開した。避難していた人も戻り、辺りは日常へと立ち返ってゆく。
『死神の因子』は破壊され、サルベージは起こらなかった。ヨルは彼岸花に似ているという、『因子』のよすがを感じ取ろうとしたが、死の気配はこの地からもう去ったようだ。いつかは謎が解けるのかもしれないが、それはいつのことになるのだろうか。

 製鉄所の出口に向かいながら、イチカは、ダモクレスの最期を思い出していた。何故か見届けなければと思ったのだ。そして今、不思議な感情に囚われていた。
 操られた末の非業の死だった。にも関わらず、彼は中空を見つめ笑みを浮かべていた。その眼差しは死神に向けられたものだ。何故なら、その笑みはどんな言葉よりも雄弁に語っていたからだ。「ざまを見ろ」と。
 それは、もしかしたら、心の萌芽ではなかったか。だとすれば、彼とわたしの違いは何だったのだろう。そう自問し、イチカは直ぐに思い直した。違いなど……ない。わたしだってもとは、こうだった。彼は未来を選ぶことができなくなった。自由意思を奪われて。
 そう、これが、怒ってるって気持ちだ。
 名も知らないダモクレスによりもたらされた怒りの感情を抱き、イチカは製鉄所の外へ出、帰還の途へと就いた。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年7月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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