踊れ絡繰り阿鼻を喚べ

作者:シノザキ景

●冥府の種
 それは忍び寄る夜闇のような女だった。
 全身を黒衣で包み爪の先まで漆黒の手套で覆ったその指先で、ふわりと柔らかな羽毛——ビルシャナに触れる。首筋から耳元まで戯れに撫で上げると、手にした小さな何かをビルシャナの耳に押し当てた。
 球根のように見える、なにか。
 しゅるんと伸びた根が耳の穴に滑り込んだかと思えば、球根は音も無く耳の中へ……頭の中へ引き込まれて消えた。
 一瞬の静寂。そして——、
 ゆらり、ビルシャナが歩きだす。
 彷徨うように、ゆぅらり、ゆらりと。それでいて確固たる目的へ向かうようにまっすぐと。
「そうです、お行きなさい。行って、存分に搾取しなさい」
 満足げに見送った女は踵を返し闇に消えたが、ビルシャナはそのまま衝き動かされるように賑わう街中へ突っ込んでいく。
「我が、教義を——、ぎ、グぐ、グ……っ!」
 夕暮れの駅前。買い物や帰宅で行き交う大勢の人々を前に、しかしビルシャナの口から常のような宗旨が説かれることはなかった。ただ目に入った人間を殺す。
 動く生物に反射的に爪を振るうかのように氷環を放つ。甲高い悲鳴に振り向き炎を羽ばたかせる。目が合えばもはや言葉にならぬ奇声を喚きたてて襲いかかる。
 殺し。奪い。吸い尽くして。
 グラビティ・チェインをその身に取り込み、集め、溜め込んで。

 殺戮の騒ぎを遠く背に聞きながら、黒衣の女はそれでいいのだというように独り頷く。
「……そう、そして」
 還るべき次元の裂け目へ踏み入るそのとき、女の色の無い髪がさらりと流れ、やはり色の無い唇が薄い弧を描いているのが垣間見えた。
 声も立てず、女は笑う。
「ケルベロスに殺されてきなさい」

●芽吹く紅
「もうお察しっすか? さすがっす!!」
 任務に名乗りを上げたケルベロスたちを見る黒瀬・ダンテ(オラトリオのヘリオライダー・en0004)の眼差しは、今日も憧れに満ちている。
「この黒尽くめ女はどうやら死神みたいっす。なんか企み始めたんすかね……。けど急務はそっちじゃなくってビルシャナのほうっす」 
 あの球根のようなモノ。云うなれば『死神の因子』だろうか。その因子を埋め込まれたデウスエクスはひたすらに人を殺しグラビティ・チェインを集めようとする。それは遠くない未来の話。むろんケルベロスとしては看過できない。
「ただし、ただ倒せば良いってんじゃないのが今回の厄介なトコっす」
 死神は死した魂を『サルベージ』し使役する。デウスエクスが死ぬ前にグラビティ・チェインを多く獲得すればするほど、死神にとってはより強力な手駒になる算段だ。
「なので皆さんにはビルシャナが人を殺す前に早急に倒して欲しいっす。ビルシャナが、グラビティ・チェインを得る前に!」
 現場は鹿児島県鹿児島市のとある駅前。
 ロータリーもあり開けていて戦闘に支障は無い。だがその広い空間には老若男女、大勢の一般人が居るのも確か。殺戮者に騒然とするのも想像に難くない。無策ならば群衆はパニックにも陥りかねない。
「ビルシャナは殺すことしか考えてないっす。だから逃げはしないっすけど、より殺し易い標的を狙い、より人が多いほうへ向かう可能性は捨てきれないっす」
 万が一隣接の商業ビルへ踏み込まれれば、人の密度も高く被害を防ぐことは困難。被害者の数は一気に跳ね上がってしまうだろう。

「もうひとつ、大事なのは『死神の因子』っす」
 それはデウスエクスを暴走させるにとどまらぬ、死神の周到な策。
 ダンテが顔をしかめて告げるには、宿主が死ぬと因子である球根が芽吹く。彼岸花のような花が咲き、骸は何処かへ——おそらく死神の元へと消え失せてしまうのだ。
「だからって倒さないワケにはいかないっすよね。ならどうすっか。……そう、さすがお察しっすね!」
 骸回収の目印とも云える花を咲かせなければいい。デウスエクスの死と同時に因子も破壊されれば、芽吹くことはできない。
「そのためには、締めは敵の残りの体力をどーんと上回るダメージぶちかまさないとダメなんす。オーバーキルっす。ビルシャナのトドメだけじゃなく、中の因子も一発でブチ壊さなきゃいけないんっすから」
 容易くはない。けれど、我が事のように拳を握って語るダンテの瞳は変わらぬ輝きを宿している。
「出来るっすよね! なんたって皆さんは……ケルベロスなんすから!!」
 陰謀をひとつずつ潰していけば、その先にいずれ敵の本懐が視得てくるだろうから。信じて疑わぬ眼差しが、一同の背を見送った。


参加者
アルフレッド・バークリー(殲滅領域・e00148)
ゼノ・アーヴァンス(戯ける白狼・e00592)
戦場ヶ原・将(フューチャライザージェネ・e00743)
辻・ラッカ(カワイイの探求者・e01752)
アーティア・フルムーン(風螺旋使いの元守護者・e02895)
レオナール・ヴェルヌ(軍艦鳥・e03280)
ユーフォルビア・レティクルス(黒翠往渡雲・e04857)
ジルカ・ゼルカ(ショコラブルース・e14673)

■リプレイ

●逢魔時
 西の空に朱が滲む。
 街は炎に包まれる。
 ——否、炎のごとき真朱に染められていく。
 美しい夕陽に目を細め、大多数は未だ何も知らずにいる。だが世界の護り手、番犬たちは今まさに燃え上がらんとしている殺戮の火種を嗅ぎつけていた。
「やだアレなに?」
「ぅわ、バ、バケモノ!」
 駅前の人混みのなか、現れた異形に気付いた者はまだ少数。しかし、
「いくぜ! オープン・ザ・ゲート!!」
 タタンッと足音も高らかに駆け込んできた人影が右手を掲げるやいなや、空気は一瞬で張り詰めた。人々の顔は青ざめ、心は一様に恐慌で占められる。
「逃げろ!!」
 強烈な精神波を放ったその人、戦場ヶ原・将(フューチャライザージェネ・e00743)のひとことで人々は一斉に逃げだした。
「巻き込まれたら怪我するよ!」
 辻・ラッカ(カワイイの探求者・e01752)の声音はざわめく渦中でも明瞭に届き、退避のうねりは群衆みなに伝播していく。
「でも逃げるって、ど、どこに? どっちに!?」
「知るかよッ! とにかく逃げろ!」
 パニックに囚われながらも人々は指示通り一心に逃げる。けれど具体的な導きも無くワケも分からぬ大多数は思い思いの方向へ。押し合いぶつかり合い右へ左へ逃げ惑う。
「ん〜、視界に入らない場所がいいんじゃないかな?」
 ケルベロスを捨て置いてまで姿の見えぬ人を狙いはしないだろう。ユーフォルビア・レティクルス(黒翠往渡雲・e04857)は周囲を見渡し首を捻る。駅構内、ビル内、脇道、大通りの角を曲がるだけでも死角になり得るが、実際どこへ導くべきか。
 ここは戦場になってしまうから。
 人々に意図が伝わればと願いつつ鋭い殺気も迸らせる。
 場に殺界が重ねられ、人波は駅前から遠ざかろうと徐々に放射状に流れはじめる。だが恐怖を煽られたのみの群衆は我先にと手近な道へ殺到し、道の大小を選ぶ余裕も無い。

「よぉ。俺らと遊ぼうぜ、死神の木偶の坊サンよぉ!」
 にこりと人好きのする微笑の傍らにギラリと鋭利な刃物を携え、ゼノ・アーヴァンス(戯ける白狼・e00592)はオルトロスのロキと共にビルシャナに対峙する。
 阿鼻叫喚の地獄絵図。
 真の其れに比べればまだ何も始まってもいないに等しい。けれど、だからこそ。
「始めましょうか」
 火種を消す戦いを。
 英国紳士ばりの優美な式礼の一方で、アルフレッド・バークリー(殲滅領域・e00148)の唇はそっと囁いた。exterminate、——殲滅せよ、と。
 柔和な表情のそのなかで瞳だけが冷えている。悟りだか何だか開いたところで球根ひとつに抗えぬ、所詮その程度かという乾いた思い。
 中空に浮かび上がった硬質な青——『Device-3395x』は、少年の意図に呼応し容赦無く怪鳥に突っ込んでいく。
 貴方が何者であったのか。
 その本望は何だったのか。
 もはや教義を説きもしないのは、無我に到ったのではなく傀儡に堕とされたがゆえ。
「だとしても」
 陣頭に進み出たレオナール・ヴェルヌ(軍艦鳥・e03280)は、奥歯をきつく噛み締める。
「人を殺戮せんというのなら……俺の敵だ」
 誉れ高き父よりの得物を強く強く握り締め、わななく心ごと断つかのように簒奪の鎌で鎧をも打ち破る。
 黒騎士は進路を塞ぐべく立ち続けるが、統率無く四方八方に人が散った現状で敵が全周囲どちらに進路を取るかは判然としない。
 退路を競い奪い合う一団で騒ぎが起きたのはそのときだ。
 転倒した老人に躓き、踏み、よろけて起きたドミノ倒し。大勢が激しく倒れ込む動きに殺戮の鉤爪が向いた。将らも咄嗟に抜刀したが、怪鳥にまず刻まれた痕は回避の足を止めるもの。手番を阻害する術はまだ……与えられていない。
 番犬たちが息を呑んだ。
 肌がヒリつく。大気が凍る。
 黒光りする爪の先に生まれた氷の粒がみるみる蒼白い戦輪と化し、遠方から凍てつく帯を引いて放たれた。

●赤照
 悲鳴を上げる暇も無い。ただ一瞬、喧騒が途絶えただけ。
 呻く息に冷気が白く揺らめいた。この痛みは群衆の一人が受けるはずだったもの。振り向かずとも肩代わりしたレオナールには解った。一般人ではひとたまりもない。
 どさりと倒れる、何体もの音。遅れて漂う鉄錆の臭い。思い出したように避難の騒ぎが再燃する。
「悔やんでいる時間はないわ」
 そこへ沈痛な空気を裂いて一陣の風が舞った。
 影のごとく刃を操り怪鳥の胴を、翼を、幾重にも掻き斬る。初手で己が穿った毒弾をも更に深く抉り込んだアーティア・フルムーン(風螺旋使いの元守護者・e02895)は、ふと柳眉を顰め視線だけを巡らせた。
 脇目も振らず逃げる人波から取り残されたのか、幼子が母を呼び泣き叫ぶ声が聞こえる。
「今度はあの子がっ!!」
 ゆらりと振り向いた敵の挙動をユーフォルビアは見逃さない。同様に、炎を喚ぶかのように翼手を掲げた怪鳥の視界にするりと割り入ったのは、ジルカ・ゼルカ(ショコラブルース・e14673)だ。
「こういう役回り、不慣れだケド……」
 チラと相手を睨め付けた少年の、華奢な肩がかすかに震える。目線を遮り正対してみれば赤錆色に濁った瞳と目が合った。
 怪鳥は一転してジルカへと矛先を変えた。嘴を打ち鳴らし喚き立てる耳障りな声が衝撃と化し襲いくる。
「大丈夫か!?」
「……こ、のぐらいっ、俺だって……!」
 脳が揺らぐ残響に抗い、少年は己を飾る蔦からもいだ果実をかじった。自身のためとうそぶきながらも、既に配った前衛に続き、後衛のみなに分け与えるのも忘れない。豊かな果汁が喉を潤し、濃い酸味に身が洗われる心地がする。
「遊び相手間違ってんなよ、この節穴が」
 甘い容姿に微笑を乗せて、しかしゼノが発した声は常より低く、平淡な口調が突き刺さる。
 全員揃っての本格的な開戦を待ってはいられない。貼り付いていた笑みがふつりと消え、手招き代わりにひらひらと揺らしていた刃の切先が一転して鋭く閃く。
「牙狼絶刀流・弐ノ型、【霧時雨】」
 懐深く肉薄し、それでいて霞のように淡く削ぐ。戯れ嘲るその刃筋はすなわち、挑発。
 ギィンッと怪鳥の爪に弾き飛ばされるもそのままくるりと身を翻し、白狼は「へえ」と口元に再び薄い弧を刻んだ。
「さすが……雑魚と違って楽しませてくれんじゃん」
「待たせたな、次は俺のターンだっ!」
 そこへ次々に駆けつけてくる誘導班たち。人払いの手札は切り終えた。一帯の屋外から護るべき人の姿は失せ、あとはアタックのフェイズのみ。往く道も抱く願いも何もかもまっすぐに、将は前だけを見て突っ込んでいく。煉獄などではなく、未来への扉を拓くため。
「ライズアップ!!」
 掲げたカードから光が零れ、溢れて、はち切れた眩い閃光が世界を刹那、白く灼く。凝縮した光は神々しい剣と成り、駆けた勢いそのままに異形の胴に叩き込まれる。
「やったジェネかっくい〜〜♪」
 稚い歓声と共に立て続けに敵を襲ったのは目にも止まらぬ跳弾だ。直進型の友とは対照的に、ラッカはガードレールを跳び越え電柱を蹴り、宙返りも交えて踊るように戯るように引き金を引く。
 一見ぞんざいに見えた乱射の弾道は、ビルの外壁で跳ね返り車に弾かれ空き缶を貫いて角度を変え、計算尽くで或る一点へ……倒すべき異形へと収束した。

●斜陽
 もはや片手で捻り殺せる弱者は見当たらない。
 殺戮の標的は自ずと辺りで唯一動く生物、ケルベロスに絞られる。鉤爪が振るわれるたび、鋭利な氷輪が戦場を駆け巡った。
 強靭なる盾として凍てつく暴威に身を挺しながらも、レオナールのはらわたはふつふつと熱く煮えくり返る。
「死者の尊厳すらも踏みにじるんだね、死神という存在は……!」
 番犬たちに取り囲まれた害獣にもう、行く道は無い。いや、はじめから未来など与えられてはいないのだろう。殺すも殺されるも思惑通り。
 真に鉄槌を下したいのは貴方ではないけれど。風よ集えと男は叫ぶ。叩き潰せと集め束ねる。
「その、背後の思惑ごと……葬らせてもらうッ!」
 ごう、と轟く風塊を振り下ろせば、震撼する大気が啼いた。
 弾けた爆風に煽られつつもアルフレッドが機銃砲を固定する。覗く照準でビルシャナを捉えながらも、その背後に蠢く別の影を見据えるように瞳を眇めた。
 死神。
 生死の境を超える不気味な存在。いつかはじかに刃を交える日が来るのだろうか。
 死臭に群がるだけの魚とは一線を画した高位なる存在は、大人しげな少年の胸裡に細波を生む。それは懸念であり、気概であり、そして少しだけ——……。
 放った砲は痺れを誘う電磁を帯びて絡み付く。土煙の中でギァァと鳥が苦悶に鳴き、いにしえのまじないを紡ぐ桜色の唇が思わず止まった。
 独自の救済を説いていたはずの悟りの使途は今、奇声を発するだけの禽獣に成り下がった。自己を喪い他者の駒として操られる。こんなのって、あまりにも——。
「哀れだよ……」
 ぽつりと小さく呟いて、ユーフォルビアは唇を噛む。たとえ何者であろうと、こんな末路を目の当たりにしては、せめてと願わずにはいられなかった。
 できればどうか、最期ぐらいは。
 ただ、それを叶えるには倒す他に道は無いとも識っている。紡ぎ上げた石の呪詛を絡ませて、少女は決意と共に仄蒼いオーラを解き放つ。
「あんたに義理はないケドね、恨み言くらいは伝えておくよ」
 加療の合間にツと羽毛を撫で上げたのはジルカの指先だ。
 小首を傾げて見上げれば闇色の髪が白磁の肌にサラリと流れる。悩ましげに指先を往復させて「ねぇ?」と囁きかける甘美な妖術はしかし、ばさりと翼手に振り払われた。
「……もう、こういうのも感じないのかな」
 羽根箒で追い払われた心地で少年の頬が小さく膨らむ。
 一方、己の関心事に目を光らせ続けるアーティアの眼光は鋭い。
 埋め込まれた『死神の因子』とやらに興味は尽きない。回収し調査したいと知的好奇心が訴える。
 地を蹴り高く跳んだ女は、空中で更に高く跳び上がって怪鳥を見下ろした。脳内で瞬く間に展開される計算式。落下と共に頭部へ狙い定めた一撃を繰り出す。
 幾度かの試行の末に叩き出した、部位を狙う高い精度。ブラックスライムで毟り取った羽根を払い捨てる彼女に、すすす、と寄って来たラッカが通り過ぎざま告げていく。
「あたま狙ってもとくに変わった反応無いみたい」
 試行に賛同はすれど、狙撃はスナイパーの独壇場。少年は拳を握って応援し横目で注視するしかなかったのだ。
「手応えかなんかは?」
 やはり気にしていたらしきゼノに問われ、アーティアは首を横に振る。
「高速演算で正確な位置でも出せれば良かったんだけれど……」
 弱点を求める公式で導き出される解は弱点だものね、と軽く肩を竦めてみせた。然して落胆する必要も無い。探求はいつだって手探りだから。
 存命での摘出が不可能と判ればあとは明快、『因子』ごと葬るのみだ。
 頃合いか、と探り合うみなの気配にアルフレッドが首肯する。ダメージもある程度溜まってきたと見て、一同の攻撃の手は揃って弛められた。
 番犬が殺さぬ程度にと手加減しようと、怪鳥は変わらず命を刈りにくる。そしてその矛先は次第に一人へと偏りつつあった。刻み付けられた怒りは増幅し、灼熱の火鳥がゼノを襲う。
「む……無理して倒れないでよね!」
「いーからこのゼノさんに全部任せとけ!!」
 うら若い薔薇の小悪魔に投げつけられた薄紅の霧と言葉は刺々しくもやわらかく、立てた親指で返礼を返す。黙っていれば儚げでさえある細身の青年は、望むところだとばかりに炎熱に立ち向かい続けた。

●残照
「今だ! フィニッシュムーーーヴ!!」
 牽制じみた剣戟のあと、着地と同時に将が叫ぶ。
 相手を「読む」のもゲームの鉄則。ふらつきはじめた敵の様子に逸早く気付いた観察眼で、疲弊がこれ以上進まぬ頭打ちだと判断を下した。
 最小の残り火を、最大の力で粉砕する。今がそのとき。
 ……悪いな、ビルシャナさん。
 せめて安らかに。思わず洩れた囁きは届かずとも、「終わり」は届けられる。そう、これでゲームエンド。
「まっかせちゃってー!」
 応えて躍り出たラッカがアスファルトを蹴った。鼻先が触れそうなほどの間近に迫ると、現実が有無を言わさず目に飛び込んでくる。
 羽毛は血塗れ、砂塵にまみれ、凝固しへばりついている。袈裟も破れ羽根は千切れ、折れた片翼は垂れて地に引き摺られている。
「キミの悟りを聞きたかったけど……」
 張り付いた死だけが視える。彼が見出した世界の彩りを訊くことは叶わない。
 少年の、強く握り込まれた拳が震える。爪が食い込む痛みなんかより、もっと痛む場所がある。
 けれど目を伏せたのは一瞬だけ。すぐに顔を上げ、鳥人の前後左右全身にくまなく、持てる技巧のすべてを叩き込む。衝撃を浴び雷に打たれたように硬直した怪鳥の真正面で向き合うと、少年はふわりと明るく微笑みかけた。
「大丈夫。キミの魂だけは……救ってあげる」
 指先で、トン、とひとつ胸を押す。ゆぅらり揺れた鳥人の躯は、そのままゆっくりと傾いでいく。
 間髪入れず間合いを詰めたのはアーティアだ。天つ空より降ろした螺旋の風を纏い順風を負う疾風のように。
 倒れた相手の眼窩から耳へと貫き通す、その軌道を脳裏に描いて振り下ろされた刃をしかし、眼球に切っ先が触れる寸前でピタリと止めた。
 編み出した秘技は滅すべき相手のため。死骸に鞭打つためではない。
 刃を納めて見下ろした骸は、通常となんら変わらぬ『ビルシャナ』だった。剣戟を交わした冥府の手駒とはまるで違う。ラッカの妙技で汚れは払われ傷は隠され、爪も嘴も黒曜石のように艶やか。洗い立てのようにふんわりとした羽毛は日向の匂い。
 辺りに因子の残滓と思われるものも見当たらない。万が一にも芽吹いたら……と闘気を保ち身構えていたユーフォルビアの肩からも力が抜ける。
 もう、何も起こらなかった。
 真紅の華が咲くことも無く、ビルシャナはこれ以上、何者にもならない。
 最後の最期には自分自身に戻れたのだと思えば、張り詰めていた少女の表情もいくらか緩む。
 アルフレッドが骸の頭を割る際には何人かは顔を背けたが、徹底的に探ってみることに異論は出ない。これといったものは回収できなかったものの、「できない」と判明したその情報はひとつの成果だ。
 じっと見届けたレオナールは、最後に手を合わせつつ心に誓う。
「貴方の死を穢した者は、必ず見つけ出すから」
 ゼノは一般人の遺体にマントを被せ、彼方から近付いてくる警察のサイレンを待つ。騒乱と静寂を経て、街もやがて本来の姿を取り戻すだろう。
 降下してくるヘリオンのライトに照らされ、ジルカは夕陽が沈みきった空に気付いた。夜気に白くけぶりはじめた吐息に囁きを託す。
 ……おやすみなさい。
 朱は消えた。あとには忍び寄る夜だけが残り、その闇は静かに深まっていく。

作者:シノザキ景 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年11月20日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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