露に手鞠花

作者:七凪臣

●篠突く牙
 糸のような雨が結んだ露が、青い一片から零れ落ち、また一片、一片と辿り、最後は緑の葉を滑って地面に波紋を描く。
 或いは紅、白、そして紫。
 雨を色付かせる虹の彩。日に日に濃さを増す森林を背負ったなだらかな丘陵地は、紫陽花に見頃を迎えていた。
 雨にこそ艶増す花を愛でようと、生憎の日和にも関わらず、斜面を縫うように敷かれた道には無数の傘の花が咲き、所々に設えられた東屋では雨宿りがてら弁当を広げる人の姿も。
 花に飽いた男児は錦鯉が泳ぐ池を覗き込んで目を輝かせ、ハーバリウム作成体験会のポスターに惹かれた女児は『早く、早く』と親の手を引く。
 空を覆う灰色の雲のように何かと陰鬱になりがちで、様々が億劫になる梅雨の時期。心に彩くれる紫陽花園は多くの人出で賑わう。
 だが、この日。
 紫陽花園に禍々しい雨が降った。
 否、それは雨に非ず。
「オマエたちの、グラビティ・チェインをヨコセ」
「ゾウオせよ、キョゼツせよ!」
「ワレラがドラゴンサマのタメに」
 曇天を突き抜け飛来した牙が転じた異形の兵士は凶刃を振るい、清らかな紫陽花に血の雨を降り注がせる。

●或る梅雨の一日
『紫陽花の名所にも、多くの人が集まりますよね。デウスエクスに狙われたりするかもしれません……』
 懸念していたのは百鬼・澪(癒しの御手・e03871)。そしてリザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は澪の不安が現実となる未来を告げる。
 場所はとある紫陽花園。花を一望する物産館の一画でハーバリウム作成体験も出来る園は、雨にも関わらず多くの来客で賑わい、竜牙兵にとって恰好の狩り場。
「予知内容と現実に齟齬が出るのを防ぐ為、事前に避難勧告を出す事は出来ません」
 しかしケルベロス達が到着し戦端を開けば、竜牙兵の出現地点が変わる恐れはなくなる。となれば、避難誘導は警察などに任せて問題ない。
「皆さんは竜牙兵撃破に集中して下さい。今回は三体が相手です」
 ゾディアックソードを装備した破壊に特化した二体を、バトルオーラ装備の一体が盾となって支える竜牙兵の一団は、園中腹にある大きめの東屋付近に出現する。
「出店などもある開けた場所なのですが、その分だけ人も多いのです。ですが避難誘導は此方で請け負いますし。皆さんも周囲を気にせず、思い切り戦う事が出来るでしょう」
 そう戦いに必要な事柄を締め括り、リザベッタは話を真摯に聞いてくれているケルベロス達へにこやかな視線を向ける。
「折角です。無事に戦い終えたら、紫陽花園を楽しまれてはどうでしょう? ハーバリウム作成体験会なども楽しそうですよ。ね、ラクシュミさん」
「ハーバリウム、ですか?」
 不意に話を振られきょとりと瞬くラクシュミ・プラブータ(オウガの光輪拳士・en0283)へ、えぇ、とリザベッタは頷く。
「空のボトルにドライフラワーやプリザーブドフラワーを詰めて専用のオイルで……いえ、難しく考えなくていいですよ。花の美しさを瓶の中に閉じ込めた綺麗な置物です」
 体験会で作れるのはラウンド型の小瓶に、紫陽花をベースとして、好きな花を一輪だけ足せるものだと言い足して、リザベッタはケルベロス達をヘリオンへと手招く。
「ご案内します、雨の戦場へ。無事の竜牙兵撃破と、佳き一時を過ごされることを祈っていますね」


参加者
十夜・泉(地球人のミュージックファイター・e00031)
ロゼ・アウランジェ(アンジェローゼの時謳い・e00275)
御神・白陽(死ヲ語ル無垢ノ月・e00327)
フェクト・シュローダー(レッツゴッド・e00357)
蛇荷・カイリ(暗夜切り裂く雷光となりて・e00608)
春日・いぶき(遊具箱・e00678)
百鬼・澪(癒しの御手・e03871)
櫛乃・紅緒(雨咲フローリス・e09081)

■リプレイ

●発端
 音も無く降る雨を、花がしずしずと受ける。傘の花を咲かせ見まわる人からは、歓声と感嘆が上がる。静寂と賑わいが混然一体となって奏でる心地よいハーモニー。だが突如、牙のノイズが割り入った。
 しかし混乱が狂乱になるより早く、ロゼ・アウランジェ(アンジェローゼの時謳い・e00275)が雨の庭に舞い降りる。
 雨雫に濡れた美しい紫陽花、そして花咲く虹の笑顔。決して、奪わせはしない。
(「この地に満ちるべきは、恐怖や憎悪ではなく、笑顔や喜びであるべきだと思うから……!」)
「貴方がたのお相手は私達です!」
「「!?」」
「「!!」」
 凛然と響いた歌声に、返る反応は二つ。一つは虚を突かれた邪の驚愕と、救いの到来を知った無辜の快哉。
「死を撒くモノは冥府にて閻魔が待つ」
 東屋の影より飛び出す御神・白陽(死ヲ語ル無垢ノ月・e00327)の目算に迷いはない。
「潔く逝って裁かれろ――真昼の月と夜の月、どちらを見ていても、人は絡め取られ立ち止まるものだ」
 一時的に普遍的意識にまで拡大された己が存在を、ヒトの魂の総力と化した白陽は、その力を手に武具持たぬ一体へ差し向ける。
「、ッ」
 強襲に見舞われた竜牙兵の、瞳なき眼が焦点を結ぶ。されど竜牙兵が踏み出す前に、『夜明』の銘持つエアシューズの踵をこつこつと打ち鳴らした十夜・泉(地球人のミュージックファイター・e00031)が突進する。
 泉のまじないの意味を靴の送り主である百鬼・澪(癒しの御手・e03871)は察すると、頬に微かな笑みを象り隠密の帳を払い、彼らの居る前線へと彩に満ちた爆炎を送り士気の高揚を試みた――しかし。
「ちょっと人数、多過ぎたかしら?」
 加護を貰い損ねた蛇荷・カイリ(暗夜切り裂く雷光となりて・e00608)は、敵へと肉薄する仲間を数え、軽く肩を竦める。盾と矛を合わせて七、前のめりな布陣は支援強化にやや難あり。しかも澪はボクスドラゴンの花嵐を伴っているのだ。
 とは言え、前列を担う者らの練度は十分。
「でも、気にする事ないわよね。さぁ、一気に行きましょう!」
「強い攻撃で強く殴っていっちゃおう!」
 呵呵と笑って戦場を一直線、溜めた気力を超高速の刃に乗せるカイリを一拍後に追い、フェクト・シュローダー(レッツゴッド・e00357)も跳ねる。
「君たちは雨の神様を知ってるかな? 雨の水光に煌めく金の色、そこにあるだけで神様のオーラを感じる」
 曇天に虹を架けるように、最終決戦モードになっておいたフェクトが天翔けた。きらきら、きらきら。雨粒にフェクトの気迫が煌き――、
「そう、それこそが私! って、避けたらダメだよっ」
 けれど、惜しい。寸でで蹴りを躱されたフェクトはすぐさま姿勢を立て直し、次なる警鐘を鳴らす。
「あと、そっちの二体っ」
「お任せ下さい」
 フェクトの視野から風と抜ける竜牙兵を、春日・いぶき(遊具箱・e00678)はすかさず追う。
「聞こえて、いますか?」
 掲げた指先から、しんと霧が溢れ出し。見境知らずの未練となって、デウスエクス一団を包み込だ。
 直後、竜牙兵が一斉に牙を剥く。星のオーラが、気喰らう弾丸が飛ぶのはケルベロス陣後方。咄嗟に身を晒した花嵐がロゼを庇うのに成功するが、残りの波動はラクシュミを襲う。
「っ、……ゆくへなく、月に心の」
 やや斜め後ろでラクシュミが癒しを練り始めるのに合わせ、櫛乃・紅緒(雨咲フローリス・e09081)は花札を一枚媒介に花鳥風月の御業を繰る。
「すみすみて、果てはいかにか」
 芒に満月。象られる美しき光景は、人の心を捕らえて離さぬものとなる筈。
「ならむとすらむ……」
(「どうか、当たって……!」)
 視える命中精度は五分と五分。ならば幸運をと紅緒は必死に祈った。

●痛み
 ラクシュミが己が傷を殴り飛ばす。それでも全てを消し去るには遠く及ばず、いぶきが「お手伝いします」と緊急手術の準備にかかる。
「しつこい悪者は、神様にだって嫌われるんだよっ」
 両手の雷撃杖越しに伝わる敵の手強さ――というより、しぶとさにフェクトが唸った。
 ロゼの歌で気を引き、先手を取った攻勢。狙いは敵陣の盾の優先撃破。だが実力ではケルベロスを上回る竜牙兵の粘りは脅威。
 死を運ぶ影色の月に、死へ誘う淡色の影。二振りの刃を手にデウスエクスとの距離を『一足』で維持し続ける白陽が、目にも留まらぬ一閃を呉れた後の一瞬、鋭く発した。
「抜けられる!」
 ケルベロスの猛攻に晒されぬ竜牙兵の二体が、同時に反発しあう磁石のように駆ける。花を愛でも慈しみもしない足が、無造作に紫陽花の茂みを割った。
 近距離で組み合い、敵の自由の阻止を図る白陽の思惑は正しい。しかし彼の身体は一つ。
「……っ」
 挑発の台詞や仕草が咄嗟には思い浮かばず、癒しを成しながらいぶきが眉根を寄せる。『驚き』として効果的であったロゼの歌も、持続的な檻の役目は流石に果たし得ない。
 もし誰か一人でも破壊者たちの牽制役を担っていたら。強制的に気を引き寄せる『怒り』を付与出来ていたら。全員が包囲に気を配れていたら。心を一つに繋げ一糸乱れぬ連携を取ることが出来ていたら――。
 考えうる幾つもの『もしも』が全員の胸に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。だが『もしも』では何も変わらない。常に動く戦場にあって、今、成さねばならないのは。
「――、今度はっ」
 天使翼をはためかせ降らせた罪灼く光が竜牙兵らを捕らえたのに、紅緒が思わず安堵を漏らす。阻害因子を撒くのに長けた彼女の一撃により、敵の盾の動きが目に見えて鈍る。
 しかし未だ健在な二体は、無慈悲に紫陽花の首をころりころりと落とす。まるでそうすることが、ケルベロス達の心のダメージになるのを知るように。
「っ、貴方かたの、お相手は! 私達です!!」
 デウスエクスへ最初に告げた宣誓を、ロゼはもう一度、繰り返し、金色の六枚翼で鈍色の空へ飛ぶ。
 必死な表情は作らない。何故なら、彼女は『A.A』。人々に夢を届けるアイドル。
 無事に逃げ果せた紫陽花見物客の不安を拭い去るよう、笑顔で戦線に臨む。

 気付けばラクシュミは、拳を固めたまま意識を失っていた。されどケルベロス側の癒し手を退けるのに成功したデウスエクスも、盾を喪っている。
 勝利の女神は、ケルベロス達に微笑みかけていた。
 それでも泉の貌は険しさを増す。
「澪さんから、離れて下さいっ」
 蹂躙を諦めない竜牙兵たちの次なるターゲットは、癒しも操る澪だった。並ぶいぶきでも花嵐でもなかったのは、彼女の余力が最も少ないからだろう。
 久々に共に参じた戦場。不謹慎だとは思いつつも、他に見知った顔も多く、泉の胸は喜びに満ちていたのに。
 懸命に駆け、澪の正面に立つ位置を泉は維持しようとする。が、彼は破壊者。守りを担う者らのように、庇う事は出来はしない。口惜しさに胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。けれどそんな泉を癒すのは、やはり澪。
「大丈夫ですよ、泉さん」
 重い斬撃を横合いに食らいながらも、澪は淡く微笑んだ。
「これが私の役目です」
 外の世界を病院の窓の向こうに眺めるしか出来なかった頃には、望みようもなかった事。飴色の髪を剣圧に揺らしても、澪は『今』を謳歌する。
「だから泉さんは、全力で」
「――分かりました」
 頷き泉は、慈悲の蹴りに殺意を上書き、竜牙兵を襲う。
「まったく! ドラゴンの先兵だか何だか知らないけどっ。こんな暑っ苦しい時期に出て来るとは、いい度胸よね」
 ともすれば沈鬱になりそうな雰囲気を、年長者の面目躍如でカイリのはっぱが吹き飛ばす。
 人を導くケルベロスといての誇りを持つ女は、暗闇さえ払う勢いで狙い定めた竜牙兵へ迫る。
「人に手を出す狂骨共は、私が焼き尽くして微塵に砕いてやるわ!」
 カイリが握るのは、何の変哲もない木刀だ。しかし短くない年月、振り続けたそれは霊力を宿し。カイリの相棒として空を断ち、敵を薙ぐ。
「私もカイリちゃんに負けないんだよ! 神様修行の成果、見せてあげるんだからっ」
 目指せ、全知全能。私を崇めろー! と気概を揮い、フェクトも天を翔け、真っ直ぐに地上へ駆ける。
 曇天に流れ落ちる箒星。今度は的確に竜牙兵の身を真ん中に捉えて、貫き砕く。
「では、当初の予定通り。手早く、済ませてしまいましょう」
 不運の連なりのような結果で癒しの選任が欠いた現状、それが最も事態解決への早道といぶきも早々に腹を括る。
 いぶき自身、回復は得手だ。とは言え、後手に回ったら押し切られる可能性も否めない。
「押し切り返すまで、ですよ」
 刹那主義の男は、待たせている相手の笑顔をふと想い。今生きることを誓って握る十字柄のナイフに、竜牙兵の姿を映し取った。

●決
 まるでロゼの周囲だけ雨が止み、金色の花園と化したようだった。
「運命紡ぐノルンの指先。来たれ、永遠断つ時空の大鎌」
 一族に伝わる時空の伝承詩。豊かに紡ぎあげられた果て、喚び出されたのは光纏う大鎌。
「――あなたに終焉を」
 音も無く一閃。天の川の軌跡を残したそれは、竜牙兵の永遠の命を絶ち、余韻は鎮魂歌となって世界に溶ける。
「ッ!?」
 唯一となった竜牙兵が驚愕に虚眼を瞠った。いつの間にか己が間合いに白陽がいたのだ。
「死に染まれ――」
 皮肉と自信を綯い交ぜにした笑みを口の端に浮かべた男は、腰の後ろに交差させていた二刀の得物を旋風が如く払い、魔を祓う斬撃と成す。
 戦いに賭した時間そのものは決して長くない。むしろケルベロスが狙った通りの短期決戦になったといえるだろう。
 しかし彼らの足元には虹色の花弁が散り、余波を被った東屋は屋根の一部が崩れていた。
「壊されてしまっても知りませんよ? ミッツメ、参ります」
 苦さを打ち消すよう、泉が加速する。より早く、より重く、より正確に。ありとあらゆる無駄を省いた動作は、デウスエクスにとって線の軌道。破の理を追求した一撃に、竜牙兵の剣を持たぬ腕が飛ぶ。
「タダデハ滅ビヌッ」
「そうはさせません」
 澪を道連れにしようとする重力帯びた剣閃は、いぶきが意地で身代わる。
「我が身模するは神の雷ッ!」
 竜牙兵の死角から猛然と迫ったカイリは、疾走の最中に自身の肉体を零子分解し、そこを起点に創生の雷を呼び起こす。
「白光にッ、飲み込まれろぉッ!」
 然して雷そのものとなった一刀が、爆ぜる。雷鳴が轟き、稲妻が曇天を翔け。背から切り裂かれた竜牙兵は、力なく前へと鑪を踏む。
 畳み掛けられる――足を止める策は不十分なれど、すかさず判じたフェクトは杖に念じて魔力で刃を象った。
「割れるのは、海だけじゃない」
 名付けて、神様の断海。嘗て海を割ったとされる聖人に准え、フェクトは竜牙兵目掛けて奇跡の刃を振り下ろす。
 衝撃にデウスエクスの骨格が、ぐしゃりと歪んだ。
 戦いはもうすぐ終わる。確信を胸に、しかし澪は癒しを謳う。
「今は春べと、咲くやこの花――花明、賦活」
 もう誰にも倒れて欲しくはないと、いぶきへ打ち込まれた薄紅色の微弱電流は傷口に花のように咲き、細胞を活性化させて瞬く間にダメージを消し去った。
(「牙も、血の雨も。この場には、もう不要」)
 ――お引き取り、頂きましょう。
 澪の祈りに花嵐が波打つ鬣を靡かせ竜牙兵へと体当る。勢いに負けた骨が、また一本、抜けて地に落ち砕けた。バランスを失して、もたつく骨の脚。そこへいぶきの紫眼が襲う。
「……?」
 魔力を秘めた瞳に見つめられ、竜牙兵の正気が揺らぐ。
「では、此方で行かせて貰いますえ」
 はんなりと風雅に柔い口調に反し、紅緒が結んだ決意は確か。無垢な眼差しで敵を見据え、最適解を選び出し。いぶきが仕掛けた罠で雁字搦める為に、ふるりと翼を震わせ光の雨を竜牙兵へと降り注がせる。
 竜牙兵は混沌の水底に堕ちていた。そこへロゼが三日月を薙ぎ、白陽が七ツの影と月を抜く。
 終焉は静寂。
 鍛錬に鍛錬を重ねた末に会得した白陽の一閃に、最後の竜牙兵は崩れ落ちる砂の城のように砂塵と化して、紫陽花を彩る雨に溶けて消えた。

 被害は最小限に抑えられたと庭園主はケルベロスへ笑顔で感謝を告げ、しかし申し訳なげに次の招きを約束するチケットを差し出す。ヒールでは景観を損ねてしまう恐れがある。庭園を整える人員を確保する為に、ハーバリウム作成体験会が中止になってしまったのだ。
 だが。
「皆さんが来て下さらなかったら、お客様は二度と晴れやかな気持ちで紫陽花を眺められなくなったでしょう。ありがとうございました」
 最も大事な人命は一つも損なわれなかった。
 花は、また咲く。
 愛で慈しんでくれる人がいる限り。

●花
 ついでだからと庭園修復の手伝いを申し出たケルベロス達は紫陽花の庭を東奔西走。 降り続く優しい雨で身を浄めれば、心は童心へと返るよう。
「やっぱり神様には青薔薇だよね。ゴーバリウム!」
「ゴッド・ハーバリウムの略ね。それはら私は赤薔薇にしようかしら。情熱の赤!」
 フェクトとカイリは、イメージしていたハーバリウムを互いに思い描いて、想像をぶつけて苛烈な戦いを繰り広げる。
「ふふ、創造は神様の十八番! 負ける気がしないね……」
「あら、私だって手先は器用なつもりなのよ」
 年齢は倍ほど違うのに無邪気に言い合うフェクトとカイリに、澪の貌にも「あらあら」と笑みの花が綻ぶ。
「きっとどちらも甲乙つけがたいですね」
「澪さんはどんなハーバリウムを作るつもりだったのですか?」
 すっかり傷は癒えたが、未だ心配そうな眼差しの泉に訊ねられ、澪の頬には甘やかな朱が差す。
「紅の紫陽花に、花嵐とお揃いのニーレンベルギアの花を合わせてみようかと」
 嗚呼、対比の色の何と美しい事か。
 脳裏に姿を描き、目を細めた泉は紫陽花の園を見渡す。一通り修復を終えたら、澪を誘って探索してみるのもいいかもしれない。

 押し花に使うという綺麗に形が残った花を、ロゼとあぽろは拾い集める。ロゼはそっとそっと、あぽろはひょいひょいと。その手つきは、ハーバリウムを作る時もきっと同じ。あぽろは器用に、ロゼは不器用なりの一生懸命さで。
(「ロゼは、薔薇。他の花を歯牙にもかけない――」)
 七色の小花の中央に座す一輪の高貴をあぽろは思い描き、傍らの横顔に重ねる。
 自分とは正反対の彼女。果たして自分はロゼに釣り合っているのだろうか?
 過る一抹の不安。けれどそれは、ロゼ本人のイメージと笑顔が払拭してくれた。
「真っ白な紫陽花の花に優しく包まる一輪のキンセンカ。雨の花に添える、太陽の橙。うん、やっぱりこれがあぽろちゃんかな」
 どんな花も太陽がなければ咲けはしないと、ロゼに雨雲の向こうの耀きに映し見られてしまえば、あぽろの裡には歓喜が込み上げる。
「俺はロゼをイメージして作ろうと思ってんだぜ」
「わぁ、素敵! 並べたら、私たち瓶の中でも仲良しね」

 戦いの後の一時を、きっと楽しみにしていたろう。そんないぶきの申し訳なさを他所に、結弦は雨の茂みと戯れても愉快そう。
「また来れるんだよねー? その時は赤味のある紫陽花に、白藤かなー」
 いぶくんと交換するから僕の家の花をあげちゃうんだー、と想像を紡ぐ姿は屈託なく。ハーバリウムの完成形は思い描くだけで、いぶきの中の『宝物』の位置を占める。
「いぶくんは何を選ぶのー?」
「鈴蘭、でしょうか。好きなんです。花の見た目が」
「可愛いよね、僕も好きだよー」
「えぇ。愛らしい真白は、貴方みたいだなって、最近思うんです」
 他愛ないようで、特別な言葉の応酬。でも、続いた結弦の花言葉の問いへは、いぶきは『内緒』を貫く。
 考えない予定でいた。けれど結弦に似合いの花と思えば意識してしまう。
 ――でも。貴方の幸せは、僕が作るつもり。
(「なんて、なんて」)
「いぶくん、照れてる感じ?」
 言わずとも表情で、体温で、雰囲気で伝わる不思議。一人の幸せが呼んだ、もう一人の幸せ。二人分の幸せは雨空にも虹を架ける。
「勿論、僕の幸せも貴方が作ってくれるんだって、信じて疑っておりませんし、ね」
「当然! 僕はいぶくん専属幸せクラフター結弦ですからねー」

 一通りの手入れを終えた紫陽花の庭を、褐也と紅緒は一つ傘で歩く。
 褐也が、弱いばかりの愛でられる花を好まないのを、紅緒は理解していた。だが彼は、恋人の花は好きだと言って紅緒に幸福を呉れた。
「けど。やっぱりウチはこっちの方がええわ」
 不意に、褐也の手が紅緒の髪に咲く万華鏡に伸ばされる。存外力強い指先を、花に結んだ雨雫が濡らす。
 何時の間にか地に転がる傘。されど濡れるのも厭わず、紅緒は褐也に添う。例え彼の手が、花を散らしたとしても――。
「紅緒にとって、褐也さんが大切な人で在り続ける限り。何度だって、褐也さんの為に万華鏡は咲きますえ」
 例え褐也が過去を、安寧を赦せなくとも。紅緒は、千代に八千代に。
 柔らかな紅緒の想い。だのに、何故か。褐也は餓える。
「オレにとっても紅緒は一番愛おしい人なんよ」
 我が色に染めようとすればするほど、醜くしてしまいそう。
「此処に、居ります。だから、もっと……」
 ――貴方の愛で、花染めて。
 紅緒は望めど、褐也は惑う。
 ――いいのだろうか、本当に。
 出ぬ答は後回し、褐也は紅緒を抱きしめる。
 紅緒の温かな愛情と、褐也の狂おしいまでの愛情。
 未だ交わり得ぬ二人の愛の形を、今は雨と紫陽花が一つに包んだ。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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