相まつろわぬ蒼と紅

作者:譲葉慧


 ひどく疲れていた。そして暑かった。だから、放っておくとずるずると崩れてゆきそうな身体を引きずるようにしてここへやって来た。
 ひんやりした水底に沈むと、溶けてゆくようで、心地よかった。道行の間、使い古されてささくれた毛布が肌を擦るように、頭の中をちくちくと苛んでいた何かも、すうっと消えてゆく。
 煩いものが無くなって、やっと、自分に戻れたようだ。
 しばしの休息の後、『彼女』は水面へと浮き上がった。休息に費やした時間は僅かだとは判っていた。けれど、長い長い間の眠りから目覚めたような感覚が残っている。
 水から上がり、見上げた夜空には三日月が浮かんでいた。どうやらここは、峡谷に流れる川のようだ。生き物の気配はなく、聞こえるのは水の流れる音だけだ。
 だが、すこし離れたところから、厭な気を感じる。それは、なんといったか……そう、聖なる、と人間が呼びならわしているものだ。
 気に食わない。
 なら、壊してしまおう。『彼女』は即断した。
 手にした杖を掲げ、極々短い魔法式を詠唱する。
 杖の先端で紅い宝玉が昏く光り、同色の雷の渦を周囲へと顕現させた。谷がごっそりと削られ、土砂が川へと流れ込んでいる。
 壊して、壊れて、そして何も無くなってしまえばいい。
「みんな、みんな、壊れてしまえ」
 魔の雷に襲われた渓谷が見る間に形を変えてゆく様に、『彼女』の唇が、うっすらと笑みを形どった。
 力ある杖を携え、蒼い髪をなびかせて、鷲羽の猛犬を宿した少女は歩み出した。


 魔竜王の遺産を求めるドラゴン勢力の企みが明らかになり、阻止のためヘリポートでは大勢のケルベロス達が行き来している。
 そんな中、マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)は難しい顔で腕組みをしていた。
「暴走したケルベロスを救い出したい。手を貸してくれる者はいないか」
 少し前、封印されたドラゴンが相次いで目覚める事件があった。長きに渡る封印により衰えたとはいえ、強大な存在だ。
 討伐に向かったケルベロス達の中には、作戦を成功させるため大きな代償を払った者もいた。重傷を負った者、或いは、暴走して何処かへ姿を消した者……。
「阿蘇山での戦いで暴走した、柚野・霞(瑠璃燕・e21406)の所在が掴めた。彼女は宮崎県の高千穂峡に居る。だが、今、本人の意識は失われてしまっていてな……救出するには、交戦し、勝利して正気に戻すしかないのだ」
 そう言い、マグダレーナは高千穂峡の周辺地図、観光地図、写真などを取り出してケルベロス達に見せた。渓谷に流れる川が美しい景勝地であり、川に流れ落ちる真名井の滝が特に有名なようだ。
「霞は、真名井の滝のある渓谷から、北側にある神社に向けて移動する。グラビティで辺りを無差別に破壊しつつな。彼女を見つけるのは容易いだろう。時刻は夜中、巻き込まれる人はいない。戦闘、救出に専念できるはずだ」
 渓谷から始まり、遊歩道や崖を駆け巡りつつ、徐々に戦場が神社方向へと移動してゆくようだ。幾人かのケルベロスは観光地図に目を落とした。ケルベロスにとって、高低差も水深も戦闘の支障にならないが、戦いのイメージを掴もうとしているようだ。
「次に、霞の戦闘能力なのだが、暴走したケルベロスが常よりも戦闘力が上がるのは知っているな? 彼女の場合も例外ではない。真っ向から戦っても勝てなくはないのだが、こちらも只では済まんかもしれん」
 その言葉を聞き、霞の戦法やグラビティについて、矢継ぎ早に質問の声が上がるのを、マグダレーナは片手を上げて、やんわりと制止した。
「まあ待て。やりようはある。霞の力の出処は、手にした杖に封じられた魔らしいのだ。杖と霞を引き離せれば、杖に潜む魔からの支配力が薄れ、本来の霞の力に近くなるようだ。それが成功した後ならば、遅れはとるまい」
 霞が持っている杖を引き離す……? それはどういう意味だろうか? ケルベロスが意味を図りかねているのを尻目に、マグダレーナは続ける。
「戦場では皆、役割を分担するだろう? その役割の中に、特定の部位を狙えるものがあるな。その方法で幾度か攻撃を命中させれば、霞は杖を手放すはず。その後は武器由来のグラビティも使用しなくなりそうだ」
 それが通常の作戦では使わない戦法だけに、煮え切らない様子の者もいる。マグダレーナはそれと気づき、そちらを顧みた。
「方法はもう一つある。霞は神社を目指しているが、早急にそこへ誘導してしまう方法だ。神社の敷地内では、彼女の力が低下する。杖と引き離した時ほど劇的ではないが、それでも交戦直後より戦いは若干有利になるだろう」
 正面対決、杖狙い、神社への誘導、どの方法を取るかはお前達次第だ、と言い、マグダレーナは高千穂峡の資料を回収すると、ヘリオンの搭乗口を開け、ケルベロスを中へと促した。
「さあ、搭乗してくれ。今の所人的被害はないが、無差別に暴れる霞をそのままにしておくわけにはいかん。ひとたび命が失われれば、もう取り返しがつかんのだ。命と、そして霞自身もな。だからそうなる前に迎えに行く。お前達ならば完遂できるはずだ。では、行くぞ!」


参加者
戦場ヶ原・将(エンドカード・e00743)
ミツキ・キサラギ(剣客殺し・e02213)
羽丘・結衣菜(マジシャンズセレクト・e04954)
佐藤・非正規雇用(全てを呑み込む黒・e07700)
リサ・ギャラッハ(銀月・e18759)
レイチェル・アーヴァンベルグ(あなたのために鐘を鳴らす・e19960)
ステラ・アドルナート(明日を生きる為の槍・e24580)

■リプレイ


 細い三日月のささやかな光に見送られて、ケルベロス達は高千穂峡付近へ降り立った。ドラゴンとの戦いで暴走し、行方知れずとなった柚野・霞がこの地に居るのだ。
 霞の居場所の詳細は伝えられていなかったが、その理由はすぐにわかった。降下直後まで聞こえていた鳥の鳴き声が、夜の闇に溶けるように消えていき、ほんの一時不自然な静けさが訪れたかと思うと、紅い雷が夜の世界を照らしたのだ。そして雷光の後を追い、轟音が響き渡る。雷に打たれ、渓谷が崩れ落ちているのだろう。
 あの紅き渦雷の中心に霞は居る。雷鳴と轟音の只中、ケルベロス達は揺れる大地の上、刻一刻と形を変えつつある渓谷へと走った。
 削げ落ちた谷に半ば埋め立てられた川の縁で、霞は立っていた。崩れた土砂に叩きつけられている滝の流れが散らす飛沫とともに、彼女の蒼く流れる髪が煽られ踊っている。ケルベロス達に背中を向けていた彼女は、ゆったりと振り返った。
 無事そうじゃないか。ミツキ・キサラギ(剣客殺し・e02213)が、霞の姿を見た時浮かんだのは、そんな感想だった。
 暴走する直前、ドラゴンと交戦していた霞は、恐らく重い傷を負っていたはずだが、目の前の霞にはかすり傷一つない。暴走し、自我を失っているのに無事というのも語弊がありそうだが、それも、必ず霞を取り戻し連れ帰る、というミツキの半ば確信めいた意思が土台にあるが故だった。
 霞の手にした杖の宝玉が放つ紅光が、彼女の肌を照らし、魔の光に染められた肌は、その内奥からあたかも血色が滲み出ているかのように艶めいている。
 その佇まいこそ元の霞からかけ離れてはいるが、ステラ・アドルナート(明日を生きる為の槍・e24580)の見たところ、怪我もなく、身体の何処かが蝕まれている様子もない。ならば霞の心さえ目覚めればよいだけだ。
 ステラはふふ、と短く笑った。まったく、顔に似合わず無茶するんだから、と、今は眠っているだろう霞に向けてごち、ゲシュタルトグレイブを暴走する力の源である杖へと向けた。今まで手向かいする者を貫くためだけに在ったその槍先は、今宵、仲間と無辜の民を守る為に身を削った友を護る活人の刃として目覚めるのだ。
 30人近くのケルベロスに囲まれた上、刃を向けられても、霞は自分から攻撃を仕掛けることもなく悠然と構えている。真意は定かではないが、ケルベロス達の反応を愉しんでいるようにさえ見える。
 そんな中、全身を覆う黒装束のケルベロスに率いられた一団が動いた。黒装束の人物は目の部分に開いたのぞき穴からリア充を呪う眼光を迸らせ、赤黒いオラトリオの翼をばばっと広げて、ずずいっと霞の前方に立つ。
「ドラゴン相手に頑張った辺りは流石俺達が誇るエースの一人! ですが、そろそろ戻ってこないといけませんよ! ……あと、スタイル良くなったからっていきなり自信満々にそう言う露出高い服着るのはよくないと思います。警備室の警備意識が問われますよ、ええ!」
 服装へのダメ出しを始めた黒装束の彼(らしい)をフォローするように長い銀髪の青年が言葉を継いだ。
「うん、本当にね。かすみんいないと、指揮も試合も大変なんだよ! そろそろ帰ってきて、一緒に頑張ってもらわないと。あと、胸のサイズはともかく、俺は普段の方がかわいいと思うかな」
 彼らは霞と共に旅団Security Corpsで戦技を切磋琢磨する者達だった。かけがえのない仲間と共に還る為、そしてまた共に戦いの道を究めるために迎えにきたのだ。
 何だかんだで二人の話が容姿へと向くなか、一団から、6枚の金色の翼を持つ少女が、ふわりと降り立った。彼女の足元で崩落した土砂が、流れを撓められ濁った川へ落ちてゆく。元の高千穂峡の姿からは程遠くなった情景が、彼女の心にちくりと痛みを残した。霞はこんな、破壊の為の破壊を喜ぶような人ではないはずだ。共に戦場に立ったのだ。だから知っている。
 彼女の側で、磁器のような滑らかな肌と、繊細に輝く黒髪の青年も破壊の痕を痛まし気に見、霞へと目を向け、彼女の思いを言葉として解き放った。
「お前に誰も傷つけさせない、何も壊させはしないさ! だから、目をさませ!」
 目を覚まして、と少女も心の中で追唱した。霞はいつもいつも私を励ましてくれた。支えてくれた。だから、今度は私達があなたを支える番。想いを歌に乗せて眠れる魂へ、目覚めの呼声として。
「……絶対、連れ戻します!!」
 ああ、と青い龍鱗を持つ男が応じた。そうそういつまでも霞を魔に委ねたままにしておくわけにはいかない。霞の帰りを待つ者達は一日千秋の思いで居るだろう。為すべきことは迅速に、だ。
「とっとと連れて帰るとしようか」
 彼の言葉が合図であるかの如くに、『警備室』の警備員達は戦を研鑽する者ゆえの、一糸乱れぬ動きで陣形を敷いた。
 蒼い髪、真紅の瞳、めりはりのある体型。髪、瞳、果てには体型までもが変わりながらも、それでも残る霞の面影に、戦場ヶ原・将(エンドカード・e00743)は、我知らず口を開きかけ、紡ぐ言葉を選べないままに、言葉の欠片をただ呑み込んだ。
 霞が行方不明と聞いた時はショックだった。特別な関係ではないけれど、当然のことだ。霞のことは嫌いなわけではない。そう、嫌いなわけではないからだ。だが、将がそうやって繰る心の裡を、霞の面影は揺さぶった。
 本当にそれで良いのかと誰かに問われたような気がした。将とて、この想いの正体くらい薄々分かってはいたのだ。恥ずかしいと想いをはっきりと言葉にすることを躊躇うばかりに、自分に言い訳を重ねているだけなのだと。
 束の間、将と霞の目が合った。将の視線を受け止め、霞は笑った。その冷ややかな様は、決して将の想いを感じていないからではない。
 この地には色々な者達が集っている。霞の友、戦友の他にも、同じケルベロスを助けるために立った者、過去に暴走した仲間を救われ、己も救いの手たらんと誓った者、霞と共にドラゴン戦に臨んだ者……。
 その笑みは、将の想い、そしてこの場に集った仲間達の想いも全て『感じ取った』上でそれを嘲る、霞に宿る魔の浮かべた笑みだったのだ。
 燃え上がるこの想いの名は何というのか。もはや問わず、将はエアシューズで走り、跳んだ。それが戦いの皮切りとなった。


 紙で出来た小さな人型が、相次いで戦場に舞った。心もとなげな薄様に見えるが、災いを退ける守護の呪が籠められている。
 霞は多彩な技を仕掛けてくるとのことだった。その中でもケルベロスが警戒しているのは、紅雷のもたらす痺れだ。痺れに侵された身体は、時折自由を奪われる。暴走中の霞相手に手数を減らすのは、避けたいところであった。
 実のところ、霞は近接した相手に痺れを解く守護を消し去る魔術も繰り出すのだが、ケルベロスに何らかの加護がない状態では、その効果は薄くなる。守護の技を手厚く仲間に施すのは、痺れへの対策と同時に、その魔術を、守りの堅い近接戦闘中の仲間達に誘発させる目的でもあった。
 その目算通り、杖を構えた霞は、周囲のグラビティ・チェインを糧に、翼持つ巨体の犬を召喚した。それは、その牙と爪とで手近なケルベロス達を襲い、紅光に溶ける様に消えた。
 この魔術は、暴走する前の霞も使用していたが、共に戦ったことがある者達には、杖から力を得た猛犬の挙動は殺戮の本性を更にむき出しにしたそれであるのが感じられる。
「本当、よくやったよな、柚野さん」
 佐藤・非正規雇用(全てを呑み込む黒・e07700)は、自分の放った守護の人型を猛犬に裂かれ、今一度放つ準備を整えていた。仲間を助けるために、霞はあの紅光の猛犬に自我を譲り渡すような危険を冒したのだ。自分の身も大事にして欲しいとは思うが、取り返しは付く。付けて見せる。仲間全員の力でだ。
 霞は寄せる攻め手を杖でいなし、或いはかるく跳んで躱している。露わな胸元が動きに合わせて揺れ、衣装の裾からは太腿の付け根ぎりぎりがちらりちらりと覗く。
 位置取りをしている非正規雇用の目にも、見えそで見えないその様は良ーく見える。だが、目まぐるしい戦場ではなく、然るべき場所……例えばダンスホールとかで、じっくりとチラリズムを堪能したいところだ。
(「それにしても、普段と違ってたゆんたゆんじゃな」)
 同じころ、奇遇にもレオンハルト・ヴァレンシュタイン(医龍・e35059)も眼福にあずかり、そんな感想を抱いていた。ケルベロスの暴走時の変化は人それぞれらしいが、霞の体型変化と衣装は一体何が作用してのことだろうか。もしかして本人の願望……?
「ゆくぞゴロ太、まずはあの杖を引き離すんじゃ」
 思考がずれかけ、気を取り直すように彼はオルトロスのゴロ太へと声を掛ける。暴走状態の霞の力は計り知れないが、その力は杖が、正確には杖の宝玉に封じられていた魔が源なのだ。
 霞の手から杖を離しさえすれば、彼女の自我に侵食する魔の干渉を弱めることができる。その為には杖を持つ手を狙い撃ちする必要があった。狙い撃ちは、距離を取った上で命中精度を上げたケルベロスだけしか仕掛けられない。当然、身体の何処かに当てるよりも難易度は高く、支援や補助なしの素の状態では、ままならない作戦だ。
 レオンハルトは、自分は守りを固め、霞に接近しながら、後方にいるであろう、マグナス・ヒレンベランド(ドラゴニアンの甲冑騎士・en0278)に声を掛けた。
「マグナス殿、援護を頼む!」
 その声に応じ、オウガメタルの銀色の輝きが幾度も閃いた。マグナスと共に、後方援護に徹する多数のケルベロス達が放ったのだ。オウガメタルの粒子を含む光は人の知覚に干渉し、感覚を人ならざる段階まで引き上げ命中精度を上げる。
 援護はそれだけに留まらない。金色の髪と緑の瞳のオラトリオの少女は、目の前の時空を、霞の至近と繋げ、まるで側に添っているかの仕草で攻撃を仕掛けた。ドラゴン相手に頑張り過ぎた友の姿は、彼女にとっては、ありえたかもしれない自分の姿でもあった。だから、一緒に帰るべき場所へ帰るのだ。
「でももう大丈夫、みんなと一緒に迎えに来たわ!!」
 霞の周りに、歪んだ空間の干渉が残り、その動きを阻害する。彼女に相次いで放たれた攻撃の幾つかは、同様に攻撃を回避する霞の動きを留め、順調に狙い撃ちのための状況を整えていた。
 そのケルベロス達の意図を悟ったのだろう、霞に宿る魔はうっすらと浮かべていた笑みを崩し、杖を確りと持ち直した。それは図らずも、作戦の順調な展開を示していた。
 今ならば、当てるのが難しい技を仕掛けても大丈夫かもしれない。羽丘・結衣菜(マジシャンズセレクト・e04954)は、ケルベロスチェインを手繰り寄せ、そして霞に一気に差し向けた。
「かすみん、私ね」
 地を走る鎖は変幻自在に軌道を変え、踊るように跳ね、避けかねた霞に絡まった。攻撃が完全に入った手応えを感じる。
「私ね、最近成長したんだ」
 結衣菜は霞だけに向けてそっと呟いた。戻って来てくれたら、そうしたら、褒めてくれるかな。
 紅光の元、霞は纏わりつく鎖を振り払った。その間も絶え間なく仲間達の攻撃が彼女に向けられている。その様に、結衣菜は眠る霞の魂にあと少しで手が届くだろう、そんな予感を覚えた。
 大人数による盤石の支援と攻勢の只中で、霞の手元に幾度かの攻撃が命中した。傷ついた手元が握る杖の動きは覚束ない。後一撃だ、この戦場に居る全ての者がそう悟った。
 霞とてその例外ではない。杖が使えなくなりつつある今、狙うのはやはり、将やミツキ、杖を狙い仕掛けて来る者達だ。ぶれる杖は刀へと変化し、将へと刃を伸ばす。本来近接用の技が魂を求め自在に獲物へ飛ぶのもまた、魔の仕業によるものだ。禍つ者が振るった厄災の刃はしかし、求める魂に至る前に阻まれた。
「霞さん、戻ってきてください」
 喰霊刀の刃に貫かれながら、リサ・ギャラッハ(銀月・e18759)は霞の濡れた真紅の瞳を覗き込んだ。背から突き出た刃からは血が滴り、魂を食おうと妖刀は蠢くが、それらには構わず、リサは瞳の奥の奥を見つめ、蒼い髪ごと、かるく抱きしめる。抗う魔の暴れる痛みを越えて、リサは微笑んだ。かつて霞は自分を助けてくれた。今の私もきっとあなたと同じ。
 長く思える一瞬が過ぎ、霞は跳んで身を離した。その着地点目がけて、レイチェル・アーヴァンベルグ(あなたのために鐘を鳴らす・e19960)が追いすがる。
 戦いの中、仲間達の声かけに対する霞の反応は一貫して冷笑じみたものだった。杖に宿る魔がそうさせているのだとレイチェルにも分かっていた。もしあの酷薄な笑いが常なら、彼女を救うための仲間がこんなにも集まるわけがない。
 本当の霞の心情が一切見て取れないのは、それだけ昏く深い闇に彼女の心が囚われ塗りこめられているからだ。声が出せない。指一本動かせない。自分が仲間を傷つけているのを止めることができない。それはどれだけ辛く苦しいことなのか。
(「あなたを助けて見せるよ。それが主人公の役目だから。私は主人公なんだもの」)
「あなたには、こんなにも助けてくれる人が、帰りを待っている人がいるんだよ!」
 レイチェルは、側に虚無を呼びだした。触れたものを虚無の果てへと追いやる、禁呪の産物だ。不可視故に回避しづらいそれは、不安定な速度で霞に飛来し、彼女の存在力と衝突した。
 レイチェルの強烈な一撃で、霞の身体が揺らぎ、距離を取ろうと後ずさった。その行き先を、ミツキのガトリングガンの偏差射撃が捉える。間断なく放たれる弾丸の嵐は、とうとう霞の杖を弾き飛ばした。拾い直されないようにと、リサが杖を回収し、完全に霞と分離する。
 力の源を断たれ、霞の放つ殺気が衰えたのを、戦場のケルベロス達は感じ取った。加えて、近しい者達には霞の表情に人としての感情が戻りつつあるのも。
 あと少しだ、あと少しで霞を取り戻せる。
「かすみん、戻ってきて!」
 結衣菜の言葉が霞の耳を打つ。
「あなたは優しい人。誰かを守れる人で、他の人に夢を与えられる人だ。だから――」
 霞は未だ表情はあやふやなままで、結衣菜の方へ首を巡らせた。
「こんなところで暴れていちゃだめだ」
 声に戸惑いながらも、霞はケルベロス達へ攻撃を仕掛ける。しかし、翼持つ猛犬は、杖の失せた今、緒戦程の威力を持たない。将はフューチャーカードの中から一枚を選んだ。ドラゴンが顕現し、炎を吹きかける。
「霞ッ! 聞こえてんだろう! 勝手にどっか行っちまいやがって。梅雨が明けたら海に行くぞ。祭りにも行く。秋ンなったら仮装行列に付き合え。クリスマスと初詣もだ! ……ああ、くそ。くそッ。よくも俺にこんな小っ恥ずかしいこと言わせやがったな!」
 将の言葉に、ステラは満面の笑みを浮かべた。とうとう言ったね、けれど遅すぎる位だ。
「ハハッ……! そりゃあ最高だ! 聞いたかい、かすみん!? これは、意地でも無事に帰って来ないといけないねェ!?」
 ステラは、ジュデッカの氷で成る竜をその拳に宿した。技巧や小細工、それら余計なもの全てを排し、真正面から拳を放つ。
「戻って来い! 霞――!!」
 拳は霞を穿ち、霞はくずおれた。……ように見えた。だが、拳が捉え、食い破ったのは、杖から離れても尚霞に取り付く魔の残滓だ。生と温もりから見放された地へと連れ去られ、霞の中から異形の魂は完全に消えた。


 意識を失った霞を、リサは桃色の霧で包み込み癒した。長い緑色の髪の薬師の女性が小さな傷まで丹念に手当し、霞の傷は綺麗に消えた。周囲の地形も、応援に来た仲間達がヒールし、徐々に復旧していっている。
「おおーい!」
 非正規雇用は、眠る霞へと抱きつこうとして、さすがにミツキに阻まれた。ちゃんとヒールが終わるまで待ったのにと宣う非正規雇用にミツキはやんわりと首を振った。
「アルバ、セクハラは止しておきましょう」
 そう言われても、ご褒美を欲しそうな非正規雇用に、リサは、澄ました様子で霞さんから貰ってくださいと返す。
 あれは多分、うやむやになるんじゃろうなあ、とは思っても年の功なので口にせず、レオンハルトは霞の様子を伺った。胸元は慎ましくなったが、やはり元の霞の方が魅力的だ。それが本当の自分なのだから、当たり前と言えば当たり前か。
 近しい者に霞を任せ、集ったケルベロス達は三々五々帰途につき始めていた。そんな中、将は霞の近くに寄るでなく、さりとて帰るわけでもない中途半端な場所に立っていた。
 血色の戻った頬、さらりと流れる蒼みがかった黒髪、そして魔を封印した証、蒼色に戻った宝珠のあしらわれた真鍮の杖。霞は将の知っているいつもの霞だ。数歩近寄りさえすれば、触れられる、それなのに。
 ふいっと踵を返し、将は足早にその場を去った。振り返ることもせず、障害物を避けることもせず真っ直ぐに。
 ……また会えて、よかった。そのたった二言の短い言葉が言えない。言えるわけがない。恥ずかしすぎて。
(「素直じゃないな。けど、らしいと言えば、らしいかな」)
 将の頑なな後ろ姿をステラは見送り、自分も帰途につく為翼を拡げた。
「……おかえり、親友」
 呟きを残し、ステラは飛び立つ。待ち人達へ吉報を運ぶ光の翼が、夜空の三日月よりも明るく、輝いた。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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