蔦に倣う

作者:天枷由良

●遭逢
 アンセルム・ビドー(蔦に鎖す・e34762)という青年を語るとき。
 “切っても切れない”関係にあるのが、一体の少女人形だ。
 彼が彼女を手放さないのか、はたまた彼女が彼を縛っているのか。
 どちらにせよ、アンセルムが過ごす日々の傍らに、必ず人形の姿があることだけは確か。
 二十四時間。四六時中。一年三百六十五日。……必ず、である。
 ゆえに、今日も今日とて、アンセルムは人形と街を歩いていた。

 そんな彼が、ショーウインドウ越しに可憐なドレスなぞを見てから路地を曲がると。
「やあ」
 何とも親しげに声を掛けてきた男が一人。
 どうも、と当たり障りなく返そうとしたアンセルムは、無言のまま立ち止まる。
 それは明らかに人でなく、しかも気味の悪いことに少し己と似た姿をしていて。
 そして――何に使うのか。マネキンを一体、とても愛おしそうに抱いていた。
「可愛いだろう? ……だけど、この子よりもっとステキなものを見つけてしまってね」
 気味の悪い男は、ゆっくりと近づいてくる。
 こつりこつりと、足音立てて近づいてくる。
「どうだい。よかったらボクの――」
 そして全身から蔦のような鉄線を覗かせて、微笑を湛えたまま言う。
「ボクの新しい『人形』に、なってくれないかい?」

●ヘリポートにて
「――という予知が現実になるまで、もう猶予はないわ」
 ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)が険しい面持ちで語りだす。
「急ぎましょう。アンセルムさんを無事救出するには――」
「皆の力が必要というわけじゃな」
 駆けるような語り口を制して、ファルマコ・ファーマシー(ドワーフの心霊治療士・en0272)が落ち着きを与えるべく言った。
 敵はダモクレスが一体。アンセルムを殺して『人形』にしようとしているため、救援のケルベロスが到着した後でも彼を狙い続けるだろう。
 獲物には穏やかだが、目的を邪魔する存在――つまり気に食わない相手には、躾の悪い子供のように酷く横暴で残虐な一面を見せる。罵声と共に浴びせられる蹴り技は強烈かつ正確で、回避はまず不可能だ。
「現場は街中だけれど、敵が何らかの策を用いたのか人気はなくなっているわ。皆は戦闘に集中して、確実にアンセルムさんを救出することだけを考えましょう」
 急ぎ簡潔に纏めると、ミィルはヘリオンへの搭乗を促した。


参加者
朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)
ベルベット・フロー(渇望のディレクター・e29652)
一之瀬・白(八極龍拳・e31651)
中条・竜矢(蒼き悠久の幻影竜・e32186)
アンセルム・ビドー(蔦に鎖す・e34762)
霧山・和希(碧眼の渡鴉・e34973)
マサズミ・アクトフィールド(自称座長・e36171)
仁江・かりん(リトルネクロマンサー・e44079)

■リプレイ


「……困ったな」
 アンセルム・ビドー(蔦に鎖す・e34762)は、半身の構えで人形を庇いながら答えた。
 かつて混沌の檻で出会ったものにしろ、目の前のそれにしろ、己と似た姿の敵は何故ここまで歪んだ殺意を溢れさせてくるのか。いくらデウスエクスとはいえど首を傾げたくなる。
「ああ、困らせるつもりなんてなかったんだよ」
 また一歩、距離を狭めながらそれは言った。
「だけど困っているところもステキだね。その顔で人形にして……ああでも、通り過ぎようとしたときの表情もよかったし――」
「悪いけど」
 この手合は、何処かで止めなければ延々と語り続ける。
 それが分かっているからこそアンセルムは敵を制し、そして断じた。
「期待には添えないよ。それにボクを人形になんてしたら、隣の可愛い子が嫉妬するんじゃないかな」
「ああっ! この子の可愛さが分かるなんて、やっぱりキミはステキな人だ!」
 参った。何をどうしてもそこに行き着くらしい。
「だからこそキミが欲しい! さあ、ボクの人形になってくれ!」
「……欲張るのはいけない事だよ?」
 片や熱を増し、片や冷ややかに。しかし言葉での応酬はそこで打ち切られて、二人は鏡写しの如く同じようなステップを踏んだ。


 その瞬間だ。
 地獄の番犬達が、群れ成して飛んできたのは。
「番犬部、参上!」
「――――!」
 蹴りを放つ間際だった二人が、揃って跳び退き間合いを取る。そうして開いた空間へと真っ先に降り立った一之瀬・白(八極龍拳・e31651)は、傍らに和装のビハインドを呼び寄せつつ、紙兵を撒き散らして吼える。
「貴様がうちの部員を狙う頭の悪い変態じゃな!」
「本当に真っ昼間から裸のお人形を持ち歩いてるんですね! 変態さんですね!」
 続いて来た仁江・かりん(リトルネクロマンサー・e44079)が、赤いランドセルのようなミミックを伴って敵をずびしと指し示せば、マサズミ・アクトフィールド(自称座長・e36171)は憐憫を含めた視線で敵の姿を眺め、やたら芝居がかった調子で言葉を継ぐ。
「成程成程。確かによく似ている。嗚呼、然し乍ら彼の人生(モノガタリ)にダブルキャストは不要。姿形しか真似ることができぬ三流役者には、速やかにご退場願いましょう」
 仰々しく右脚を引きながら頭を下げれば、興奮と愉悦に満ちていたダモクレスの表情は苦々しいものに変わった。
 一方で、アンセルムの顔にも困惑が浮かぶ。
 別に変態呼ばわりの相手との相似を指摘されたからではない。見上げた空から、まだ両手でも数え切れないほどのケルベロス達が此方に向かっていたからだ。
「助けに来たぜ、アンセルム!」
「先生! 僕もお手伝いにきました!」
「……皆、どうして……」
 立花・恵と夜歩・燈火が言ったところで、ようやく発せられた疑問を聞きつけたケルベロス達の多くが、薄っすらと笑みを浮かべた。
「なに、友達じゃないか。駆けつけるのは当然さ」
「それとも、俺達じゃ不足かな?」
 堂々と言い放つイブ・アンナマリアの後、ノル・キサラギが少しだけからかうように尋ねれば、アンセルムは慌てて首を左右に振る。
「ならば助太刀させてくれ」
 防護結界を張りつつ、フィスト・フィズムが戦列に加わった。
「それにしても、妙な変態に狙われたものだな」
 ムフタール・ラヒムは杖を手に、いつでも治癒術を使える態勢でダモクレスを見やる。
「本当にな」
 玉榮・陣内はアンセルムに目を向けた。
「……え?」
「ん?」
 暫し視線を交えてから、陣内は「ああ、こっちが本物か」と呟いて眼前の青年に光盾を纏わせ、身体を反転させる。
「え、ちょっと待って玉榮今のどういう――」
「助けに来ましたよー! アンセルム殿ォォォッ!!」
 問い質す間もなく、一際大きな叫びが路地に轟いた。
「あれどっちだ! ああ裸マネキンの方ですよねイヤー! 人形よこせやゴラァァ間違えたァァオイル寄越せオイルオイル寄越せヤァァァッ!!」
 常軌を逸したケルツェ・フランメの突撃は、軽くいなされてビルの壁を終着点に迎えた。
 途端に訪れた静寂の中、ぱらぱらと細かな瓦礫の落ちる音だけが響く。その源を忌々しく見つめるダモクレスを眺めて、中条・竜矢(蒼き悠久の幻影竜・e32186)は近くにいた仲間へ耳打ちするように囁く。
「……人形のおかげで見分けはつきやすいですが、マネキンは趣味が悪くないですか?」
「何いってんだい」
 答えたのはベルベット・フロー(渇望のディレクター・e29652)。
「そもそも、いい大人の人形遊びそのものが痛々しいったらありゃしないよ。……あ」
 しまった、と“人形遊びするいい大人”にしか見えない彼に視線を向ければ、アンセルムは空笑い。
「ごめん」
「いや、うん、その」
「アンちゃん、しっかりしてください!」
 棒立ちの友人を励ましてから、朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)は元凶たるダモクレスを睨めつける。
「アンちゃんを愛でたくなる気持ちはとてもよく理解ります!」
「ちょっと」
「けど、それは一人の人間としてです! 人形にするなんてやり方は……そのやり方だけは、絶対に認めない!」
 本気で怒っているからこそ、本音もぽろりと溢れてしまったのだろう。敵意を剥き出しに吼える環の姿がやけに頼もしく見え、ふっと息を漏らしたアンセルムの身体からは余分な力が抜けていく。
 片や、ダモクレスの苛立ちは増すばかり。
「……困ったな」
 ほんの少し前の本人から台詞を模倣して――その場でマネキンを抱いたまま、錆びた有刺鉄線のようなものをアンセルムへと差し向けた。
「危ない!」
 咄嗟に反応したイッパイアッテナ・ルドルフと、その相棒であるミミックが盾になろうと立ちはだかる。
 だが、蔦の如く伸びる錆鉄は獲物にも盾にも辿り着く遥か手前で、空を裂いて来た光の弾に弾き飛ばされた。
 その一撃が誰の発するものであるか、アンセルムはよく知っている。彼もまたこの場に駆けつけてくれたのだと察し、姿を探し求めたアンセルムは――最も親しき友の鬼気迫る様相に、名を呼ぶことすら躊躇った。
「……お前如きに、やらせるものか」
 艶の無い真っ黒なライフルを突きつけて、霧山・和希(碧眼の渡鴉・e34973)は呟く。
 ちらりと動かした瞳には親友が映った。けれど彼が無事でいたことへの安堵より、彼の姿を模した敵を一刻も早くこの世から消し去らねばという使命感が、より多く心に湧き出る。
 それを冷たく、鋭い矢のようにして。
「消えろ、紛い物(イミテーション)!」
 吐き出した刹那、ダモクレスの足元が爆ぜた。


 長銃のトリガーは引かれていない。
 和希の内で極限まで高まったデウスエクスへの敵意が、より原始的で明確な殺意として形を成したのだ。
 その威力は凄まじく、ダモクレスはただ耐え忍ぶことだけを強いられる。幾人かの仲間達ですら顔を覆ってしまうような熱風が路地を駆け抜けて、それがようやく終わろうかという頃には、マサズミの引き起こした鮮やかな爆発とベルベットの振り撒くオウガ粒子が、戦場を騒がしく飾り立てた。
 光の粒はやがてぽつぽつと落ちて肌に染み入り、色とりどりの爆煙は風に変わって背を力強く押してくる。そのまま一歩、二歩と跳ねるように足を進めたアンセルムの元からは竜を象った炎が飛び立ち、マネキンを抱いたままのダモクレスを呑み干していく。
「ッ……屑共が、ボクの邪魔を――」
 厭悪の矛先は“ステキな人”でなく、それを取り巻く数多のケルベロス達。歯噛みして唸り、憎しみで満たした目を向けるダモクレスだったが、今度は間近で炸裂した竜砲弾が言葉を奪った。
「サポートは任せてください!」
「いっぽ! ぼく達も行きますよ!」
 砲撃の名残燻るドラゴニックハンマーを右手に構えた竜矢の陰から、ミミックを連れて飛び出したかりんも超鋼金属の塊を振り上げる。
 ガブリと齧りつこうとするミミックこそ避けられたものの、小さな身体を一杯に使って振り抜かれた超重の一撃は敵を捉えて、建物の外壁に打ち付けた。
 そこへ直上から、数機の小型無人機が形成する高電圧の障壁が落ちてくる。
「ベルベットさん、やっちゃってください!」
「任された! ドカンと行くよ!」
 顔を形作る地獄を揺らめかせて、環に応じたベルベットが大戦斧を手に高々と跳んだ。
 藤の蔦や枝を束ねて作られた得物に刻まれた“破嵐”を意味するルーンが微かに光を放つ。大上段に構えられた刃は、渾身の力を込めて振り下ろされる。
「ドッカ―ン!」
 至極単純な叫びと共に、障壁ごと打ち砕く一撃がダモクレスの額を打った。
「必殺……ベルタマ☆ダイナミック!」
 ぼそりと呟く技名は、どうにも垢抜けない。
 ただ、敵が機動力を奪われた瞬間を狙って斧撃を叩き込むという方策は理にかなう。勢いのままに両断するまではいかなかったものの、痛烈な技を受けたダモクレスの顔には、まるで仮面が割れたように大きな亀裂が縦断していた。
「なんだよ……なんなんだよ、お前達は!」
 零れ落ちそうになった目を片手で押し込めて、ダモクレスは声を荒らげる。
 しかし誰からか答えが返るより先に、水瀬・和奏の撃ち出した無数の弾丸がダモクレスの周囲を取り囲んで――。
 否、それは幻影に過ぎなかった。必死に全てを避けようとする敵は、何もない空間でただ踊り狂っているようにしか見えない。
 つまりは隙だらけだ。
「月と共に、惑えっ!」「刮目しろ!」「雷弾結界(カラドボルグ)!」
 恵の弾丸が、ムフタールの雷撃が、そして雷纏ったノルの一撃が次々と炸裂していく。
 十字の結界が伸びる最中、イブも五線譜の上を跳ねるようにして空へ翔け上がり、一転鋭く落ちて蹴りを叩き入れる。
 その豪脚に後ずさることもままならず、マネキンを抱き竦めて立つダモクレスを、ウイングキャットの爪やミミックの撒く偽の財宝が襲った。


「くそ……ッ!」
 苦し紛れに突き出されたダモクレスの片腕から、白青の鎖が伸びる。
 しかし彼の欲する獲物へとそれを届かせるには、立ちはだかる者の数が多すぎた。ベルベットや白を始め、多くの仲間達に守られたアンセルムの身体には、まだ髪の毛一本ほどの傷すらつけられていなかった。
「――ッ!!」
 言葉にならない叫びを上げて、遮二無二放たれた錆鉄の蔓がベルベットを締め付ける。
「ぐっ……」
「邪魔なんだよぉッ!」
 力づくで戦場から引っ剥がさんとばかりに、蔓が空に向かってしなる。だが――。
「……捕まえた、と思ったでしょ?」
「ッ!?」
 ベルベットは宙に放り投げられず、蔦は溶かされるように曲がって地に落ちる。
 同時に、ダモクレスは胸を掻き毟りながら膝を折った。錆びた鉄線から伝わった地獄の炎が、その身を内から焼き焦がしていたのだった。
「今のうちだよ!」
「任せてください!」
 環が反応して声を上げ、燈火の強化術を受けながらパイルバンカーを手に駆ける。
 雪さえも退く凍気を帯びた杭で胸を穿った瞬間、空からはマサズミの撃ち出した魔法の矢が雨あられと降り注いだ。
 模造品であるが故か、マネキンを守ろうと抱き込んだダモクレスの背に突き刺さるそれが役目を果たし終えて消えれば、矢継ぎ早にミミックを伴ったかりんが襲い来る。
「いっぽ、しっかり押さえておくのですよ!」
 主人の命に応じたミミックが足元に齧りつき、トラバサミに捕らえられた獲物の如く逃れる術を見出だせないダモクレスの腹に、ありったけの重力を込めた獣人の掌底が打ち込まれる。
 もはやどちらがマネキンなのか分からないほど、ダモクレスは力を失くした四肢をバラバラに振り乱して地を転がった。しかしガラクタ同然になりながら、標的を人形にする――ひいてはアンセルムを殺すという使命だけで動くそれは、個の力で抗いがたいほどの大軍に甲斐甲斐しく挑み続ける。
 その最中、吐きつけられた罵詈雑言にアンセルムの顔が険しくなった。
 彼を守ろうと背に庇う多くのケルベロス達は、それに気づかぬまま再び猛攻をかける。蹴りを打とうと不用意に跳び上がった隙を突き、白の傍らに漂うビハインドが無数の鎖で敵の四肢を掴み取った。
「不用意に飛び上がるから、そのような目に合うのじゃ。――ぬ゛ん゛っ!!」
 動けぬ敵の懐に入り込んだ白の手が、練りに練られた気を叩き込む。浸透したエネルギーは体内を駆け巡り、ダモクレスの腸から血の代わりに無数の機械部品を吐き出させた。
「砕け! 竜の一撃!」
 続けざま、竜矢が大きく禍々しい鉤爪に変じた右手で切り裂く。
 裂け目から零れ落ちるダモクレスにとっての命は、死の訪れを計る砂時計の粒。それも残り少なく、誰の目にも勝敗は明らかであったが、ケルベロスの攻め手が緩むことはない。
「……」
 じっと敵を見据える和希。その周りに沸々と現れた闇と光の落とし子達が、儚げな軌跡を残しながら飛び、ダモクレスを覆い尽くしていく。
「っ、あああああッ!」
 苦しむというよりか、幼い子どもが駄々をこねるように喚いて、自らを破滅に導こうとするそれを振り払ったダモクレスはアンセルムに突撃した。
 当然、仲間達は彼を庇おうとする。だが片腕で皆を制して、アンセルムは迫る敵を追い返すように蹴り上げる。彼らしからぬ粗野で乱雑な足技ですら避けられず、再び地を舐めたダモクレスはしつこく立ち上がろうとするが、そこには刀を手に微笑を湛える伊織・遥が、いつの間にかじっと佇んでいた。
「どけよ!」
 蔦が伸びる。それを遥は容易く切り払う。幾度か剣戟が響いた頃、敵は虚ろな瞳で座り込んだまま動かなくなってしまった。
「……アンセルムさん」
 振り下ろせば全てが終わるはずの刃を収めて、遥は道を譲る。
 追随して多くの仲間達が得物をしまい込むなか、アンセルムだけが一人、ダモクレスへと近づいていく。片腕に抱かれた少女人形の髪が、珍しいことに少し乱れていた。
「ちくしょう……お前達が……お前達さえいなければ!」
 不意に正気を取り戻したのか、この期に及んでダモクレスはまだ恨み節を吐く。
 それがどうにも――古い記憶を呼び起こす。
「……」
「お前達なんか人形にする価値もない屑なのに!」
「……めろ」
「死ね! お前達なんか皆、死んでしまえ!!!」
「止めろ!!」
 薄汚れた怒気を孕んだ叫びが、戦場に木霊していく。
 仲間達を睨めつけていたダモクレスの目が、ゆっくりとアンセルムに向けられた。
 ……醜い面だ。
 傷のせいではない。
 好き放題に暴れておきながら、拒絶されたことに怯えを示すその様が、醜い。
「そんな姿で……そんな言葉を吐くんじゃない……!」
「あ、あぁ……」
 微かに震えるダモクレスから、錆鉄の蔦が伸びてきた。
 頼りない。まるで赤子が縋るような力のない鉄線を払いもせず、アンセルムは少女人形に蔦を纏わせて兎の姿に変える。
 兎は音もなく跳ねて、ダモクレスの頭を刎ねた。
 ごとりと音がして転がる、その塊と目が合う。
「……失せろ。その面、二度と見せるな……!」
 荒々しく脚で踏み抜かれると、それは形を失くして消え去った。


 やがて残ったのは放り出されたマネキンと、僅かばかりの錆びた蔦。
 その一方を手繰り寄せたアンセルムは、仲間達に目を向ける。
(「……みっともないところを見られちゃったかな」)
 だからこそ戸惑って、皆何も言わないのだろう。
 そう決めつけて目を伏せ、自嘲めいた微笑みを滲ませるアンセルムの元に――真っ先に駆け寄るべきは、やはり彼だ。
「……所詮は紛い物です」
 ぐっと近づいた和希が、アンセルムを見上げて言う。
「似ているのは、上っ面だけに過ぎませんよ」
「……うん、似てるだけ、だよね……」
 そう返すものの、まだ言葉も仕草もぎこちない。
 また沈黙が訪れて、時間だけが過ぎていく。

 ――このまま二人を放って置くと、日が暮れても神妙な空気のまま、全員で路地の一角に立ち尽くす羽目になってしまいそうだった。
「似てると言っても、よく見るときみのがイケメンだぜ」
 静寂を裂いたのはイブだ。ともすれば口を挟むべきか否か、思案の末にとった彼女の行動は、アンセルムへの助け舟となった。
「……どうせ見るなら――ボクじゃなくて、この子を見て!」
 ずい、と押し出された少女人形はいつの間にやら身なりを整えられて、いつも通り小奇麗な姿でイブの、そして仲間達の瞳に映る。
 同時に張り詰めていた空気が解れて、やっぱり彼はこうでなくちゃと苦笑するケルベロス達は、どっと堰を切ったようにアンセルムの元へと押し寄せた。
「え、あの、みんな、ちょっと」
「間に合ってよかったです。怪我とかは無いですよね?」
「大丈夫大丈夫。むしろボクを庇ってくれた皆のほうが――」
「本当ですかー……?」
「そんな舐めるように見なくても、本当に大丈夫だって」
 左右から竜矢と環に見つめられて、狼狽えるアンセルムの背をフィストが叩く。
「しかし良かったな、人形にならなくて。……皆もな」
「うむ。人形になぞされては、諸々の借金返済が滞って困るところだったのじゃ」
 これで気兼ねなく労働に勤しめるのう、と白が笑う。
 アンセルムも笑う。勿論、若干苦々しいものを含めながら。
 しかし、その微妙な表情にすら和希は安堵を覚える。
 そしてようやく取り戻した穏やかな顔で。
「帰りましょう、アンセルムさん」
 人の輪の中に立つ親友へと、呼びかけるのだった。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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