翠雨

作者:藍鳶カナン

●翠雨
 瑞々しい新緑を艶やかに潤す初夏の雨。
 翠雨――この時季ならではの名で呼ばれる雨が、大阪の街並みに降りそそぐ。
 耳を澄ませばようやく、さあと鳴る雨音が聴こえる程度の優しい雨。濡れていくのも心地好いくらいだが、銀杏並木の大通りでは次々と色とりどりの傘の花が咲いて、明るい黄緑の葉を茂らせた街路樹の銀杏達は扇めいたその葉に次々と透明な滴を結ぶ。
 新緑の葉に、ひとびとの傘に、柔らかな歌を響かすように降る雨滴。
 雨雲は薄く、ゆえに淡く陽の光も射していたけれど――そこへ何の前触れもなく、巨大な影が落ちた。
「あれは……!」
「おい、また出たんか! 逃げるで! デウスエクスや!!」
 忽然と姿を現したのは、巨大攻性植物『サキュレント・エンブリオ』。
 美しい巨大花を思わすそれは薄い青に胎児のごとき影が透けて見える肉厚の花弁を幾つも持ち、その下部では先端を刃と成した無数の根をうごめかす。
 既に幾度も大阪市街への出現が報告されている巨大攻性植物。
 翠雨のなかに突如現れたサキュレント・エンブリオは思うさま根を揮い、銀杏の樹々を、大通り沿いの街並みを薙ぎ払った。無論その根の刃にかかるのは樹々や建築物のみならず、逃げ惑うひとびとも一気に斬り払われ、噴き出す血ごと命を吸い上げられた。
 新緑を潤す翠雨が、サキュレント・エンブリオを潤す血の雨に染まる。

●青雨
 瑠璃の瞳が霧雨のごとき憂いにけぶったのも、一瞬のこと。
「街路樹の緑が潤されるのは歓迎ですけれど、攻性植物を潤わせるわけには参りません」
 雨降る日の巨大攻性植物出現を警戒していた藤守・千鶴夜(ラズワルド・e01173)が強い決意を双眸に宿せば、星空めくローブを纏ったシャーマンズゴーストがこくりと頷いた。
 爆殖核爆砕戦以降、大阪城周辺に抑え込まれていた攻性植物達。
 大阪市街への攻撃・侵攻を開始した彼らの目論見は拠点の拡大だと思われる。放置すれば緩やかではあるだろうがゲート破壊成功率が減少するのは間違いなく、何よりも、一般人に被害を強いることになる。看過など出来はしない。
「だね。千鶴夜さんのおかげで事前の予知が叶ったから、このサキュレント・エンブリオが魔空回廊を通じて出現する場所も時間も特定できてるし、ひとびとの避難に関しては警察や消防に協力要請済み。だから――」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)はケルベロス達を見回して、ぱたりと狼の尾を揺らす。
「あなた達は敵が出現次第即座に戦いを仕掛けて、その撃破に全力を集中して欲しいんだ」

 銀杏並木の大通りに出現する巨大攻性植物『サキュレント・エンブリオ』。
 その最大の特徴は全長7mに及ぶ巨躯だろう。
「魔空回廊を通じて現場上空に出現、地表近くまで降りて浮遊しつつ移動するみたいだね。大通り周辺は中高層の建築物が多いし、あなた達ならこれらや銀杏並木に街灯とかも足場や足掛かりに使って戦えると思う。何せ敵がでっかいからね、こっちも立体的に攻めてく方がいいかなって」
 雨が降る中での戦いとなるが、ケルベロス達なら足を滑らせることもない。
「建物の屋上から飛び降りての急襲や、銀杏の樹上からの狙撃……といった具合ですわね」
 星宵の衣装越しにさらりとホルスターを撫でる千鶴夜。
 彼女の言葉に、そんな具合、と軽く笑み返して遥夏は言を継ぐ。
「敵は明確に飛行してるわけじゃないからね、地上からでも攻撃は可能。だけど戦場になる市街を立体的に活かせれば、地上からのみの攻撃よりも有利に戦えると思う。但し、相手の攻撃で建物や銀杏や街灯も破壊されるだろうし、一箇所に留まるんじゃなくて、足場を飛び移って駆けめぐるような戦いになるんじゃないかな」
 敵は刃状の根で辺りを薙ぎ払い、斬り払った獲物達の血ごと生命力を吸収する。
 また、麻痺を齎す無数の雷を広範囲に降らせたり、水の礫を弾丸のごとく連射して相手の勢いを削がんとするという。
「で、護りが堅いから恐らくディフェンダー。ドレインもあるから結構しぶといだろうね。市街への被害は避けられないから、出来るだけ、短期決戦での撃破を目指して欲しいんだ」
 市街への被害はヒールで修復可能。
 ゆえに、周囲へ気を配るのではなく敵の早期撃破に全力を傾けるべきだろう。
「心得ました。それでは、一般人の避難については警察や消防の方々を信頼して、私達は、ケルベロスとしてひとびとの信頼に応えるために――参りましょうか、皆様」
 淑やかにそう笑んで、千鶴夜は仲間達を促した。
 さあいこう。新緑を潤す翠雨を、ひとびとの血の雨に染めぬために。


参加者
芥川・辰乃(終われない物語・e00816)
藤守・千鶴夜(ラズワルド・e01173)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
鮫洲・蓮華(ぽかちゃん先生の助手・e09420)
パトリシア・シランス(紅蓮地獄・e10443)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
グレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)
ヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)

■リプレイ

●翠雨
 水と緑の匂いが胸に満ちた。
 翠雨に潤される銀杏の新緑が結ぶ雫を浴びながら、星空の裾を揺らし、ダブルジャンプも活かしてアリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)は青い蝶のように樹々の梢へ舞い上がる。
 振り仰げば薄い灰銀の雲の空、雨降る空間が歪み油膜めく虹色が揺らいだ瞬間、巨大攻性植物『サキュレント・エンブリオ』が姿を現した。途端に胸奥を刺した雷雨の記憶が指先を震わすけれど、翠雨の先に遥か空と海、青の境界を幻視する。
 大丈夫。今の私には護る力があるもの。
「海原沈み深き底、天空昇り遥か果、累ねた涯の青を鏤める――蒼界の玻片」
 彼女が敵の先手を取れたのは、きっと誰よりも意識が張り詰めていたがゆえ。
 殲滅の魔女の物語を呼び覚ませば途端に前衛陣の足元に輝く六芒星、昇る光が青と白煌く幾重もの護りを築けば、流れに乗ったヴィルト・クノッヘン(骨唄葬花・e29598)が翠雨の世界へ三重に咲かせた蓮花の護りも芥川・辰乃(終われない物語・e00816)が放った紙兵も皆を支えるために舞い吹雪く。
 新緑と鮮麗な蓮花の護り越しに敵を捉えた刹那、
「獲れますわね。参ります!」
 藤守・千鶴夜(ラズワルド・e01173)は銀杏の梢から跳躍した。相手はその巨躯に見合う強敵ではあるようだがドラゴン程の難敵ではないらしい。狙撃手としてなら千鶴夜は持ち技全てで100%超の命中率を確保可能、ならば足首にも靴先にも星を煌かせ、地表近くまで降りてきた巨大攻性植物へ流星となって降り落ちる。
 淡い青に透ける花弁が貫かれた刹那、
「逃がしはしない……確実に捉える」
 純白の翼で滞空していたグレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)が急降下。
 一気に敵の下方へ滑り込み、白銀の流体金属を靴先まで伝わせた脚で根元を穿ち機動力を削ぎ落とせば、
「いくよぽかちゃん先生! ハートキャッチでキャットリングだ!」
 機を掴んだ鮫洲・蓮華(ぽかちゃん先生の助手・e09420)に応えたのは白あざらしもといウイングキャット、だが放つ技は通常のキャットリングでなく、世界で唯ひとり蓮華だけが揮える技。
 赤いハート煌くリングが巨大な敵の周囲にハートの軌跡を描き数本の根を捕えれば、間髪容れず翼猫は後衛へ羽ばたきを贈った。あざらしの雨合羽が翻る。
「その手があったか……。要るなら次は用意するから、今日はそのまま頼むぞ、空木」
 雨に舞う鎖で中衛に幾重もの守護魔法陣を描きつつ、御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)が黒き毛並みを雨に濡らすオルトロスを見遣れば、紅き剣を咥えた神犬は果敢に巨大な敵へと踊りかかった。
 次の瞬間、巨躯を震わせたサキュレント・エンブリオが無数の雷を降り注がせる。
 眩い稲妻の雨、前衛に降る雷が建物も街灯も銀杏も砕き、皆と息を合わせられず出遅れたパトリシア・シランス(紅蓮地獄・e10443)が位置取っていたビル屋上も砕いたが、
「叩き落としてやるわ!」
 駆動音を唸らす相棒とともに敵めがけて降下、紅く煌く縛霊手の一撃を喰らわせる。
 だが、クラッシャーとはいえライドキャリバーと力を分け合うパトリシアではこの巨大な敵を墜落させるほどの衝撃を撃ち込むことは叶わない。ましてや相手はディフェンダー。
「やはり相当な護りの堅さだな……だが、それなら此方も矛を研ぎ澄ますだけのこと」
 蒼き鉦吾に蓮が触れた途端、雨をも彩る七色の爆風が前衛陣の背を押した。
 瑞々しい翠雨の中に雷雨が、弾雨が烈しく荒れ狂う。だが明確な分担が功を奏し短時間で加護を敷き終えた中衛陣も攻勢に出れば自陣への追い風も加速する。
「皆で敵を包囲、というのは難しいでしょうか?」
「無理だと思うわ。もし包囲できたとしても簡単に突破されるんじゃないかしら」
「あの巨体相手じゃな。俺達は存分に動き回って攪乱するほうがいいと思う」
 頭上で旋回する白きボクスドラゴンに頷き、癒し手として紙兵を舞わせつつ言う辰乃。
 だが、彼女がダブルジャンプで跳び渡ったカフェの屋根から跳躍したアリシスフェイルが敵の真横から流星の蹴撃を喰らわせれば、即座に敵上空に舞い上がったグレッグが巨大花の芯へ絶大な加速を乗せた竜の槌を叩き込む。
 平時には決して見せぬ天使の翼で飛翔するグレッグの戦いぶりはまさしく縦横無尽、その様にヴィルトは雨滴を散らすように灰白の竜翼を震わせた。
「俺ももっと翼の機動力を活かすべきかねぃ」
 敵がこれほど巨大なら通常ポジションのままでもかなり自由な飛翔が叶う。立体的攻撃を明確にイメージせずただ建物を飛び移るだけならば、地上から何mか高いだけの平面移動と然して変わらないのだ。
 彼の絶空斬を弾き飛ばした刃の根で、サキュレント・エンブリオはそのまま前衛陣を薙ぎ払う。全面硝子の三階建てショールームが砕け、硝子とともに前衛陣の血も降りそそぐが、痛手は青と白煌く護りが軽減。
「雨は癒し。決して傷つけるものでもなく。汚すものでもなく……!」
 癒し手の浄化を乗せ、銀の雨のごとき流体金属の粒子を辰乃がビル屋上から降らせ、
「っと! 自分のはともかく敵の射線に建物を入れないってのは無理っぽいねー!」
「ええ。元々一般人の殺戮だけではなく、市街の破壊も目的のうちなのでしょうね」
 銀杏から叩き落とされた蓮華は落下しつつバスターライフルから凍結光線を放って跳躍、死角となるビル群の隙間の非常階段に飛び移った千鶴夜は、大通りの向こうで星のあかりを掲げたシャーマンズゴーストが祈りを捧ぐ様に安堵の息をつく。
 命に関わる危機が頻発し、市街も滅茶苦茶に破壊されたとなれば、人々の間にもこの地を放棄しようという動きが広がるはず。そうして敵勢力は支配域を拡大するつもりなのだ。
 白銀の銃口で捉えた標的、その花弁に透ける胎児めいた影に千鶴夜は眉を顰めた。あれは幾つもの報告書でサキュレント・エンブリオ撃破時に放出が確認されている胞子なのか。
 或いは、胞子とは別にまだ何か秘密があるのか――というのは穿ちすぎかもしれないが。
「いずれにせよ、看過する訳にはいきませんわ」
 眼前の相手のみならず、敵勢力の侵攻作戦そのものに、掣肘の一撃を。

●青雨
 淡く陽射しを透かす灰銀の雲から降る翠雨、それは変わらず優しいけれど。
 賑わいが絶えた寂しさに、あるいは街を蹂躙される悲しみに。
 ――まるで、誰かが静かに泣いてるみたいだ。
 一般人は避難したが市街は次々破壊されていく。蓮華は建物の屋上や壁を蹴り戦場を飛び渡り、ファーストフード店の立体ロゴから思いきり跳躍、光のドレスめいて煌く流体金属を凝らせた拳で敵の厚い花弁を突き破った。直後、
「危ない!!」
 淡い青に透ける花を蹴りつけダブルジャンプで空へ舞い上がり、蓮華はグレッグめがけて迸った水礫の弾雨を受けとめた。ディフェンダーは反射的に仲間の盾となる。特定の仲間や攻撃に対象を絞ることは叶わないが、水礫の凄まじい威を護り手としてだけでなく防具でも殺せる彼女が庇えたのは幸いだった。
「ありがとう、助かった」
 短く告げてグレッグは一気に滑空、次いで敵が根を揮うよりも速くその脇をすりぬけると見せかけ、ファミリーレストラン前に高く聳える看板の支柱を掴んで瞬時に旋回。鋭い回し蹴りの要領でブーツの靴先から撃ち込んだのは、星でも虹でも花でもなく、時空凍結弾。
 完全に翻弄された巨大攻性植物の数多の花弁の奥までも弾丸は翔けぬけて――大きな花を派手に散らして凍てつかせた。
 頑健や理力の攻撃は幾つか弾かれてきたが、
「……成程、これか」
「どうやら、敏捷攻撃へは対応しきれないようですわね」
 弱点を皆へ報せると同時に閃く千鶴夜のリボルバー、正確な速撃ちが幾つもの根を砕けばその瞬間、雨降る空に強く煌く星。
「確かに、かなりいい当たりがするのだわ!」
「それなら、俺からはこれをお見舞いしよう」
 銀杏の頂から跳んだ空、そこからアリシスフェイルが流星となって巨大花を直撃すれば、強くアスファルトを踏みしめた蓮が地上から噴き上げる勢いで放った御業が、小山のごとき巨大攻性植物を鷲掴みにする。
 間髪容れず溢れた輝きは辰乃の指輪の癒し、光が蓮華の盾となれば、
「今です、鮫洲さん!」
「ありがと芥川さん! あいにく蓮華は敏捷攻撃用意できなかったけど……!」
「氷を撃ち込んでくれるだけで充分ありがたいぜェ、鮫洲の嬢ちゃん!!」
 アリシスフェイルの流星と蓮の御業、ジャマー二人に一段と機動力を削がれた敵を蓮華の凍結光線が貫き、敵の真上から翼で急降下したヴィルトが、雨を金色に煌かす神速の稲妻で氷ごと巨大花を穿った。
 凄いわね、とパトリシアの唇から感嘆が洩れる。
 戦う前に摺り合わせをと考えていた。
 だがパトリシア以外の面々はヘリポート上空にいる間に相談と打ち合わせを終えており、現地入りしてすぐに何名もが市街の立地把握にかかったため、摺り合わせという二度手間を取らせるのは憚られた。それに、どのみち。
 誰とも心を繋がぬ彼女が土壇場で何とか摺り合わせをしたとしても、綿密な相談と互いの心を重ね合った仲間達と同等の動きや連携は望めない。だが、相棒となら話は別だ。
「さあ相棒、一緒にアレを燃やし尽くすわよ!」
 炎を纏うライドキャリバーの突撃に併せて焔の魔弾を撃ち放ち、巨大な敵へ雨にも消えぬ紅蓮を燈す。
 同種のものでも個体差があるだろう。だが眼前の個体の弱点は見極めた。
 弱点を主軸に据えた猛攻勢、これには然しものサキュレント・エンブリオも小山のごとき巨躯と頑強な耐久力を加速度的に削られていく。雨合羽を靡かせる翼猫の爪も神犬が咥えた紅の剣も深々と花弁を裂き根を落とす。
 だが、それでも巨大攻性植物の反撃と破壊は止まらない。
 数多の雷撃、信号機を粉砕しコンビニエンスストアを破壊したそれが後衛陣を襲ったが、辰乃は全身を貫いた痺れを予めヴィルトが重ねてくれた黄金の果実の輝きで克服して、翼で舞って癒しを注いでくれる箱竜に微笑んだ。
「私も、最後まで皆さんを支えますね」
 翠雨に重ねて仲間へ降らせる銀の雨、攻勢を加速させる流体金属の煌き。
 ――護りましょう。ひとびとの営みと、命を。

●雷雨
 星空の裾を色濃く濡らし、雨が肌身を伝えば、心まで雨の香に染まりそう。
 反撃と破壊とともに大通りを進む巨大攻性植物。戦場の移動に合わせアリシスフェイルがビルの谷間を跳び渡り、タワー式立体駐車場の頂に降り立った、瞬間。彼女を含む中衛陣を雷雨が打ち据えた。
 脳髄まで眩ますような雷が、心に故郷が壊滅した雷雨の夜を閃かす。
 奈落へ落ちるような感覚。立体駐車場から落下した身体は銀杏に受けとめられ、
「ヴェルフェイユさん!」
「ポラリス! アリシスフェイルさんを!」
 銀杏並木を妖精靴で跳び渡る辰乃が振りまいてくれる花の浄化、星空纏う神霊が癒し手の浄化を乗せて注いでくれる祈り。身体の痺れは消えたのに心は恐怖に鷲掴みにされたよう。
 今と同じ季節の五稜郭。あの狐は確かにこの手で斃したのに。
 けれど。
「行けるだろう? アリシス。今のあんたなら」
「――行けるわ。前を向いて、いきたいもの」
 翼で翔けぬけ様に掛けられたグレッグの言葉に、彼女は跳ね起きた。空高く舞い上がった彼が巨大花へ時空凍結弾を撃ち込むと同時に対角線上から挟撃、巨大鋏を分けた両手の刃で喰らいつく勢いで揮う絶空斬。その姿にヴィルトは瞳を細めた。
 何があったのは知らないが、過去を乗り越えんとする様が眩しくて。
 雨に濡れるうちに己も過ぎた日へ思いを馳せそうになるけれど、それが何の、どのような日であったのかは――。
 満身創痍の巨躯が血の糧を求めて刃の根を躍らせる。
 銀杏と街灯を跳び渡る千鶴夜は、
「ただでさえ雨で髪が傷みそうなのに、血の雨なんて論外ですわ」
 己を薙がんとした根を流星の煌き燈した靴で踏みつけ軽やかに跳躍し、ダブルジャンプも乗せてひときわ高々と舞った。そのまま敵を跳び越えかけたところで、濡羽色の髪と藤簪を鮮やかに翻す。
 ――ジャックポット。
 振り向き様の銃撃。花を貫いた弾丸がまた一本根を潰した。
 これまでも盾や武器封じ等でドレインの効果減に努めてきたが、千鶴夜が刃の根を相殺し他の後衛陣も護り手がその盾となったなら、
「敵の回復量は焼け石に水程度だと思います! 今のうちに!」
「りょーかい! いっくよー!」
「ええ。畳みかけてしまうのだわ!」
 凛と響いた辰乃の声と彼女の銀の雨に背を押され、流体金属を纏った蓮華の拳が花を突き破り、アリシスフェイルの蹴撃が炎の軌跡を描く。
 外壁を抉られたビルでクリアランスのプレセールを報せる垂れ幕、敵に燃えあがった炎で生まれた風にそれが翻った、刹那。垂れ幕の陰でビルの窓辺を蹴った蓮が跳躍した。
 風に煽られる浮遊感は一瞬。降る雨より速く敵へ落ち、
「……来い、くれてやる。代わりに刃となれ」
 詠唱とともにその身に降ろすは古書に宿る思念、彼の姿に重なった赤黒い影の鬼が剛腕を揮えば、敵の巨躯を呑んだ雷の嵐が透ける花に光を奔らせ、その芯に真上から影が落ちた。
「お前が齎す雨は、この地には不要なものだ」
 革手袋に包まれた手でグレッグが振り落とすのは竜の槌。
 絶大な威力のそれは巨大攻性植物に残る命のすべてを凍結して叩き潰し、力尽きた巨躯が一斉に光の粒子に変わる。
 霧散する光に紛れ、胞子が溢れだした。雨に影響される様子もなく舞い上がる。
 拡散を防ぐための手掛かりが掴めないかとヴィルトはその様を注視したが、
「そりゃ、注視するだけで掴めるならとっくに誰かが掴んでるってもんだねぃ」
「あちらにすれば重要な侵攻手段でしょうしね。そうそう隙は見せちゃくれないわ」
 雨にも重力にも逆らうように舞い上がって飛散した胞子には、採集を試みたパトリシアの手も届かなかった。きっと何処かで他の植物にとりつくのだろう。
 ――だが、今この地にあった危機は取り除かれた。

 ここは大阪。だけど今は日本の多くが雨降り模様の季節。
「雨は嫌いではないが……帰ったら本の手入れをしないとな」
「わかります。湿気は書物の大敵ですものね」
 守護魔法陣で幾つもの街灯を修復する蓮の独り言が耳に届けば、辰乃が笑みを零す。店は違えど互いに古書店に縁深い者同士。考えることは同じだ。
「アリシス、足元気をつけて」
「うん。……ありがとなのよ、グレッグ」
 大きな硝子片を脇へ除けたグレッグは、返った言葉が今の礼だけではないと気づいて柔く笑み返す。アリシスフェイルの六芒星の光と青と白の輝きが立体駐車場を甦らせるのを瞳に捉えつつ、蓮華は夢魔の霧を解き放った。ビルを抱擁した癒しが、幻想の花を咲かせる。
 この地に賑わいが戻りますように。
 いつかきっと、大阪城の脅威もすべて、取り除いてみせるから。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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