薬禍

作者:皆川皐月

 頭上を電車が通る。
 高架特有の振動と走り去る光の帯が、あっという間に過ぎ去っていく。
 反響する電車の駆動音が、昨日と変わらぬ夜を天谷・砂太郎(は日々を生きている・e00661)に知らせていた。
 この時期の夜特有の湿気った空気は癖があるけれど、さして悪いものでもなく。
 そう、今日も何てことない夜歩き。
 行く当てのない足の適当さに従いながら、ふうーっと長く吐き出す煙草の煙。
「この辺り、何か店とかあったか?」
 細やかな独り言が、降下に響いた時だった。
 カリ。
 カツ。カツ。
 カッ、カッ、カッ、カッ、カッ―――……!
 ぶん、と砂太郎の首があった位置で何かが空を切る。
 尖った何かが走る音。迫る殺気。
 立て続けに振り下ろされる何かを、砂太郎は本能のままに避けて。
「っ、この!」
『ア』
 避けた最後の刃が高架の壁に食い込んだ隙に振り返った先、薄明りの中に浮かぶ髑髏。
 やや鼻を突く青臭さと腐敗臭、そして漢方薬に似た匂い。
 そして、ずるりと何かを引き摺る音。
『ア、ア、あぁぁ あ、ケル、ケ、ケルベロス――殺ス!!!』
「随分と物騒な奴だな」
 眼孔の奥で輝く血色と髑髏に、砂太郎は見覚えがあった。
 あれはいつか、ふと思い立って精神安定の漢方薬を作ろうとした日のこと。偶然切らした竜眼肉の代りに、丁度良いかと竜牙兵の一部を入れて起きた薬脱走事件。
 何であんなことをしたんだと己に問いただす暇も無く。
「ったく、やるしかないか!」
 再び振り下ろされた刃を、砂太郎はの錫杖が弾き上げた。

●蠢くモノ
 高く昇った月は煌々と。
 揃った7つの足音に漣白・潤(滄海のヘリオライダー・en0270)が振り返る。
「緊急の招集に関わらずお集まりくださり、ありがとうございます」
 集まった面々にサッと礼をするや、ヘリオンへと告げた潤がハッチを開いた。
 いつものファイルは無く、資料も無く。
 潤の手には一枚のメモ書きだけ。
「現在、天谷さんが一体の攻性植物に襲撃されています」
 予知に見えた高架下での襲撃。慌てて砂太郎に連絡を取るも、不通。
 幾度掛けても繋がらないということはつまり、一刻の猶予も無いということ。
「皆さんは急ぎ救援をお願い致します。私は全力で飛ばしますので皆さんシートベルトを」
 素早い指示と、続いたのは簡潔な現場や敵の話で。
「現場は高架下です。攻性植物の殺気のせいでしょう、周りに人気はありません」
 次いで渡されたメモ書き。
 簡潔ですがご参考までにと潤は告げて。
「彼の攻性植物は竜牙兵と同化したような特殊な個体のようで……天谷さん集中的に狙っているようです」
 起動したヘリオン。
 ベルトが全て閉められたのを確認して、最後。
「どうか、皆さんで一緒にお戻りください。無事の御帰還をお待ちしております」
 僅かな浮遊感が、飛び立ったことを知らせていた。


参加者
繰空・千歳(すずあめ・e00639)
天谷・砂太郎(は日々を生きている・e00661)
黒江・カルナ(黒猫輪舞・e04859)
西院・玉緒(夢幻ノ獄・e15589)
千種・終(白き刃影・e34767)
ナザク・ジェイド(甘い哲学・e46641)
名無・九八一(奴隷九八一号・e58316)
カミュ・アルマデル(唯一也・e61762)

■リプレイ

●使用上の注意をよく読み
『オアアアアアッッ!!』
 躊躇いなく殺意だけで振り回される鎌状の葉。
 薄葉のそれが与える痛みと、四方八方から全て別の生き物のように襲い来る厄介さに天谷・砂太郎(は日々を生きている・e00661)は舌打ちする。
「ちっ。昔のツケとは言え、めんどくさい事になっちまったな」
 鋭い刃の一閃に頬が切られる。
 それでも砂太郎はゆっくりと息を吐き、前を見据えて。
『ケル、ケ、ケルベロス!殺ス殺ス殺ス殺ス!!』
「こいつ、こんな強かったっけ? つーか、どこでこんな力付けてきやがったん、だっ!」
 建御雷神の先端に集わせた稲妻を振るい、竜眼肉もどきを打つ。
 人気が無い事は幸いと思う反面、このままで居ればいずれは押し負ける。
 それだけは避けねば。
 砂太郎が視線鋭く周囲を伺い、せめて場を変えようかと考えた、その時――。
「今度は、完全にわたしの貸しね」
 聞き慣れた女性の声。
 咄嗟に振り返ろうとした砂太郎の肩を声の主――西院・玉緒(夢幻ノ獄・e15589)のしなやかな足が容赦なく踏み付け、飛んだ降下の天井で摺り上げた叛逆ノ顎を燃やす。
「……ふふ。お返しが楽しみだわ」
 色付いた唇撫でる指先も微笑みも艶やかに。
 潤むチェリーピンクの瞳の奥、美しく嗤う玉緒に躊躇いは無い。
 爪先燃えるピンヒールが頭蓋から肋骨まで滑るように焼き、更に竜眼肉もどきの枝葉に火を灯す。
『イッア、ア、アアア!』
 突如現れた玉緒の一蹴は鋭く。与えられた痛みに竜眼肉もどきは叫び上げる。
 軽やかな着地に揺れる胸の色香を隠す事無く女豹のポーズで微笑んだ玉緒に、砂太郎が髪をくしゃりと混ぜた。
「もう貸し借りは無いと思ってたが、ひょっとして俺に惚れたとか?ははは」
「あら……――じゃあ、どんな素敵なお返しをしてくれるのかしら?」
 楽しみねと一枚上手に微笑むのは玉緒。
 見知った顔の友同士であるからこそ、軽い言葉には軽い言葉が基本。
 そんな玉緒のいけずもまた、今の砂太郎を落ち着けるには十分すぎる。
 と、血の滴ったままの頬と腕が光の盾で止血された。
「因果応報、自分で蒔いた種とは言いますが……」
「そうね。被害が外に行ってしまう前に、しっかりと片付けちゃいましょうか」
 高架で木霊する三つの足音と二人の声。
 並び立ったのは黒江・カルナ(黒猫輪舞・e04859)と繰空・千歳(すずあめ・e00639)。驚いた顔の砂太郎に二人は会釈と微笑みを。
「鈴……遠慮はいらないでしょうし、どんどんいくわよ」
「おいで――」
 小さな足で走り出した鈴を追うように、カルナが影へ一声。
 にゃあ、と聞こえたのはどこからだったか――気付けば竜眼肉もどきの背に大猫の影。
『……?!ギャッ』
 実態無き影ながら骨刻む爪痕だけは確か。
 重ねられた鈴のエクストプラズム斧が傷跡を石のように重くする。
 竜牙兵のようで、その実攻性植物である竜眼肉もどきは正に異形。
 間近で見れば見るほどの異形に、溜息がいくつか。
「……いや、本当に、何でこんな事したんだ」
「三人の言う通り自業自得……と言ってしまえばそれまでかも知れないけど、」
 カチンと置かれた照明が照らし出す、ナザク・ジェイド(甘い哲学・e46641)と千種・終(白き刃影・e34767)の影。
「お待たせ。無事かな?」
 滑るような走りから、短い呼吸。
 ズドン、と低い音で肋骨打ち据えた終の小振りな拳と言葉。
 そしてナザクの星の涙が描く優しい星座陣は言葉と裏腹の優しい輝きは確かなもの。
「砂太郎さんは、一回、反省するべき……」
「無事で良かった」
 溜息と共に三重に紙幣を撒いた名無・九八一(奴隷九八一号・e58316)。
 戦場特有のヒリつく空気も何のその、ひらり手を振り竜眼肉もどきへ星光の飛び蹴り決めたカミュ・アルマデル(唯一也・e61762)が揃えば、準備は万端。
「すまん、助かる」
 礼なんて短い言葉で十分――。

●用法用量を守って
 とは、問屋が卸さない。
「あっそうだ。天谷、後でピンクのアレ奢れよ」
「いいわね、アタシもピンクのアレで良いわよ?」
「私にも後で一杯奢りなさいよ」
 思い出したように笑ったカミュが手を打てば、しれっと流れに乗る玉緒とナザク。
「お、おい待て。俺は……」
 そう、礼には感謝というのが人の性。
 見返りあってこそのなんとやらである。
「そうよね、終わったらお酒って素敵だわ」
「……飲みに行くなら付き合うよ」
 楽しみだわ、と手を打つ千歳は見目とは裏腹に酒豪。
 助け船を出すかと思われた終も、折角だからとなんとなく流れに乗ってしまえば、砂太郎の逃げ道はどんどん消えていく。
 このままでは財布の危機。首の皮一枚も残さず、いっそ身包み剥がれかねないのでは。
 ハッとした砂太郎が勢いよく最後の砦、カルナを見た。
「あの……打上げをされる場合は、私がアイズフォンを」
 お役に立ちます、と一生懸命告げたカルナの純粋さは清いもの。
 その輝きも、今の砂太郎にはさっくりと刺さるだけ。
「だああもうっ!俺はピンクのアレも酒も奢らんぞ!」
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
 砂太郎渾身の拒否は、木霊した竜眼肉もどきの咆哮に上書かれた。
 無慈悲。こんな時ばかりタイミングよく無慈悲。
「いいからちょっと黙ってろ!!」
 正直言えば砂太郎自身すっかり忘れていた竜眼肉もどきが憎くなる。
 苛立ちのまま叩き込まれた電纏う手加減攻撃もどきが竜眼肉もどきを殴り飛ばす。
『グ、グ、アアアアア殺ス!』
 最初からだったかもう本当に精神安定剤の見る影もない。
 控えめに言って、なんか酷い。
「塵も残さず弾き殺す」
「まったく、そんなので苛立っちゃだめよ」
 先程とは打って変わって嫌悪感を剥き出しにしたカミュの表情。
 ふふと微笑む玉緒の言葉は砂太郎かそれとも竜眼肉もどきへか。
 声音同様に嫋やかに、そして惜しみなく晒すシルエット美しい足が軽く床を蹴ると同時、エアシューズ燃やすカミュの足跡は炎の軌跡。
 先行した玉緒目掛けて振り下ろされた薄刃は、柔らかな身が蝶舞うように避け。
「しかも焦ってもだめ。そういうのは嫌われちゃうわよ?」
「世界を置き去りにする感覚、これが!」
 薄明りに微笑む玉緒の唇は紅色。
 容赦なく叩き込まれた玉緒の鋭い踵落としと、ニッと笑ったカミュのグラインドファイアが、竜眼肉もどきの頭蓋を燃やし罅を刻む。
『オ、オオオオオッ、オアアッ!』
 ごぼりと竜眼肉もどきの纏う異臭が立ち込めた直後。
「鈴、行って!」
 咄嗟に千歳が呼んだ可愛い相棒の名。
 同時に吐き出された茶褐色の禍ツ吐息。
 瞬く間に高架下に立ち込めたそれは、想像を超える速さで砂太郎達前衛を覆う。
 喉を焼くような、腹に石詰めるほど重い異臭。
 蝕む毒を肩代わりされた砂太郎は改めて油断なく構え直す。
 思いの外、奴は厄介らしい。

 幾度斬りあったか。
 砂太郎も、その傷を肩代わりし続ける鈴と千歳は誰より傷深い。
 それでも、締め上げられた傷が痛むたび、蝕む毒に胸焼けるたび、支えてくれる後ろの声は頼もしい。
「毒は私が。名無、そっちの傷」
「ん。お任せ、ください」
 ナザクが操る紫電の杖先、集う薬液に電の刺激与えれば綺麗に弾けて毒流す雨と化す。
 頷いた九八一が袖下から伸ばした鎖が描く守護方陣が焼け付く喉を僅かに癒して。
 手当は常に万全に。癒しの術は惜しみなく。
 ナザクと九八一。顔見知りだからこそ出来る連携は、今この場で最も輝いていた。
 傷癒えた鈴がぴょんと跳ねれば、りゃんと対の玉鈴が鳴る。
 薄汚れてしまった目出度い色の注連縄は、もう気にしない。
 全うするのは姉の様な千歳とヘリオンでした約束だけ。
『ガアアアアア!!』
「悪いけれど勢いに乗せるわけにはいかないわ。ね、鈴」
 千歳の言葉に籠る“一緒に行こう”の意味は鈴が一番よく知っている。
 すらり閃いた千歳の鋼が描く白銀三日月。芳醇な黄金色の鈴の牙。
 対なるその美しさは、汚れた夜には高くつく。
 深々と斬られた竜眼肉もどきの肋骨が、甲高い音を立て高架下に散った。
『イ゛ア゛ァァァァァァアアアア!!!』
 濁った声。
 しかしてその声を心配する者も無く。
「災いの芽となる者には、ここで朽ちて頂きましょう」
 すうっと冷えゆく濡羽色の瞳。
 生き物のように、一種蛇のように素早く蠢いたカルナの鎖がとうとう竜眼肉もどきの刃を絡め取る。
 ギチ、と軋む鎖はもう幾重にも。
 時折麻痺毒に振るえる竜眼肉もどきの命も、そう長くはないことを番犬の感が告げて。
 戦場ゆえに入り乱れる中、終の目が細まる。
「見えたよ――」
 吐息の様な囁き。グっと力込めたエアシューズで、奔る。
 配管を飛び越え縦横無尽、足着く全ては床に同じ。
「“そこ”だね」
 回り込むは真後ろ。
 独楽のように振るわれた終の足が、強かに竜眼肉もどきの米神を蹴り飛ばす。
『―――ッッ!!』
 強打に悲鳴さえ上がらず。
 ごぼりと顎の骨から零れた茶褐色の腐敗薬液は、流れていない血のように。
 そして、終と同じく見極めようと静かに集中していたカミュが動く。
「確実に仕留める。2度は無い!」
 指先滑らせるのは筝――所謂、琴。
 ぃん、と爪弾き奏でるカミュの復讐心は心蝕む闇に似る。
「……隅々まで澄み渡る絶望に、沈め」
『ア、ア、い、いやだ――……イヤ、ア、ア、イヤダァ……!!』
 恐怖は、闇は、いきるものを等しく喰う。
 白骨が己を引きずり込まんとする高架奥の闇から逃れようと、必死にケルベロスへ這い寄って。

●正しくお使い下さい
 しかして、それは上手くいくはずもなく。
「……して欲しいの?良いわよ」
 ゴリ、とその頭蓋を踏みつける影あり。
 艶やかな体躯を惜しみなく晒す、玉緒だ。
 ど、と容赦の無い鳩尾蹴りで肋に爪先を掛け蹴り上げる。
 続く膝蹴りは顎。ステップするように二度目の膝が顎砕く。
「ぶち込んで――」
 打ち上がる竜眼肉もどき。悲鳴すら上げることを許さない、玉緒の連撃は終わらない。
 細く薄い背に輝く極彩の蝶羽が、より艶やかさを増し。
「あ」
 集中して爪先に集わせた豊富なグラビティチェインが背骨を砕く。
「げ」
 達人の如き膝の一蹴が顎を蹴り上げること、三度目。
 もう灯火薄い眼孔に、女は微笑む。
「る」
 容赦なく躊躇いなく、叩き付ける音速の膝蹴りが、舗装路にどうと竜眼肉もどきを叩きつけた。
『ア、あ、アア―――……ァ』
 ナザクの白い指先が手繰る光りが、小さな刃へと変じ。
 フッと淡い微笑みから投擲する手は鋭く。
「昔から、メスは投げるものと相場が決まっている」
 とん、と見事眉間を射止めた一刀に竜眼肉もどきの身が崩れていった。

 高架に詰めていた暑い空気が夜風に押し出される。
 ガタンタタンと流れゆく電車から零れる光の帯が、戻ってきた日常の証。
「敵、沈黙、しました。お疲れ様、です」
 肩の力を抜くように息を吐いた九八一が縛霊手とケルベロスチェインを収める。
 続くように各々武器を収めていれば、砂太郎が皆へ勢いよく頭を下げた。
「すまん、助かった」
「天谷ごと吹き飛ばし……は、やめとくよ」
「はい、反省しているのなら」
 ね、と微笑みあったカミュと九八一が砂太郎の肩を叩く。
「ピンクのアレな」
「僕は、ノンアルコールを」
 二人の笑顔は爽やかだった。
「おいおいおいおい待てって今そういう感じじゃあ」
「そんなに構えるな。ちょっとお高めのロゼシャンパンで手を打ってやる」
 いいっていいって軽やかにナザクは奢りの方向へ。
 何がいいんだ!と嘆く砂太郎などなんのその。ナザクの口笛さえ軽やかだ。
「いやあ楽しみだ。まぁ、僕は飲めないけどね」
「ロゼも良いわね!どれにしようかしら……ふふ、遠慮はしないわよ」
 少し悪戯っぽく笑いあう終と千歳は楽し気に。
 千歳が楽しげなことが嬉しいことが嬉しいと、鈴はぴょこぴょこ。
 和気藹々とし始める周囲に、足音を忍ばせた砂太郎がじわじわ後退していると――。
 ざっ、と立ち塞がる美しいシルエット。
 くいっと眼鏡を上げた玉緒の微笑み……という形の、無言のお強請り。
「……ファイトです」
 カルナの応援と、ひっそり使われているアイズフォンに砂太郎が崩れ落ちた。

 ちくしょう……!
 砂太郎の嘆きが高架に響く。

作者:皆川皐月 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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