疎星と斜月

作者:犬塚ひなこ

●連なる珠星
 ――お前さえ居なければ。
 怨嗟の言葉が暗い部屋の中に響き、縛られた青年は身体を震わせた。
 彼の目の前には異形の鳥の姿をした男が佇んでいる。見下ろす視線は氷のように冷たく、恨みの念が色濃く見えた。
「お前が僕の連勝記録を止めた。もう少し、あと少しで目標を達成できたのに」
「連勝記録……?」
 青年は目の前のビルシャナ自体に心当たりはない。
 だが、その言葉から自分が嗜んでいる連珠の棋戦のことではないかと思い当たった。すると異形の男は恨みの籠った声で語り始める。
「お前に復讐する為にこの姿になったんだ。僕のことを歯牙にもかけていないお前は僕がどれだけ苦しんだか知らないだろう? お前さえ居なければ僕は最強だったのに!」
 ビルシャナは青年の傍に近付き、胸倉を掴む。
 ひ、と青年が小さな悲鳴をあげたのは、同時に巻き起こった魔力の炎が彼の肌を焦がしたからだ。軽い火傷を負った青年にニヤリとした笑みを向け、ビルシャナは言葉を続ける。
「これからお前には僕が味わった苦しみを痛みとして与えてやる。安心しろよ、ひとおもいには殺さない。じっくりと苦しませてやるからな……」
 その言葉に青年は息を飲んだ。
 そんなことの為に自らを異形に落としたのか、とは言えなかった。青年を見つめるビルシャナの瞳には底知れぬ深い闇の色が揺らいで見えた。

●逆恨みの月
「皆さまは連珠っていう競技を知っていますか?」
 連珠とはルールを設けた五目並べの競技だ。雨森・リルリカ(花雫のヘリオライダー・en0030)は何処かから借りてきた連珠のルールブックを示しながら、今回視えた予知について語った。
 加害者はユウリという青年ビルシャナ。
 理不尽で身勝手な理由での復讐を望んだ彼はビルシャナを召喚し、その願いが叶えば己の身体を明け渡すという契約を結んでしまったようだ。彼は現在、棋戦で初めて敗北した相手である青年を攫って縛り上げ、誰もいない自宅の奥に潜んでいる。
 このまま放っておけば被害者は死に、加害者も心身ともにビルシャナになってしまう。どうか事件を解決してほしいと願い、リルリカは詳しい状況を語る。
「ビルシャナは独り暮らしで周囲も空き家が多いみたいなので、物音で騒ぎになることは心配しなくても大丈夫でございます。鍵は締まっていますが、お家のこの辺の窓を思いっきり破って突入してください!」
 リルリカは紙に描いた簡単な図を皆に見せ、侵入経路を伝えた。指定された窓から入ってすぐの扉を開けばビルシャナが今まさに青年を傷つけようとしている場面に出くわす。
 敵は復讐の邪魔をする者の排除を優先するだろう。
 相手は被害者を苦しめて復讐したいと考えているので、戦闘中に青年を攻撃することはない。だが、自分が敗北して死にそうになった場合、道連れで殺そうと攻撃する場合があるので注意が必要だ。

 また、融合してしまった人間は基本的にビルシャナと一緒に死んでしまう。
 ただ可能性は低いが彼が『復讐を諦め契約を解除する』と宣言した場合、撃破後に人間として生き残らせることもできる。
「でもでも、この契約解除は心から行わなければいけません。『死にたくないなら契約を解除しろ』という利己的な説得では救出はできないのです」
 助けるには戦闘中に呼び掛け続けて相手の心を動かさなければならない。しかし、理不尽な復讐を願うような彼に正論や諭すような言葉は通じないだろう。
 説得はかなり難しいのでそのまま撃破する方向でも致し方ない、とリルリカは悲しげな瞳で語った。
 すると、話を聞いていた遊星・ダイチ(戰医・en0062)が神妙な面持ちで呟く。俺も連珠はやったことがあると話した彼は深い溜息を吐いた。
「敗北したことへの逆恨みか。……何が引鉄となって怨恨を抱くか分からないものだな」
 自分も同道すると告げたダイチは覚悟を抱き、腰に提げた銃にそっと触れた。
 そして、リルリカはケルベロス達に願う。
「渦中のお二人を……いえ、一人だけでも助けてあげてください。それが出来るのは皆様だけなのでございます!」
 憎悪から始まった出来事をどうか、静かに終わらせて欲しい。
 仲間達に思いを託した少女は戦いに向かう者の背をしっかりと見つめて送り出した。


参加者
天矢・恵(武装花屋・e01330)
ムスタファ・アスタル(同胞殺し・e02404)
西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
ナクラ・ベリスペレンニス(オラトリオのミュージックファイター・e21714)
詠沫・雫(海色アリア・e27940)
アミル・ララバイ(遊蝶花・e27996)
鵤・道弘(チョークブレイカー・e45254)

■リプレイ

●憤りの念
 薄暗い室内に硝子の割れる音が響いた。
 部屋の奥で空気が張り詰める気配を感じ取りながら、鵤・道弘(チョークブレイカー・e45254)は扉へと駆け出す。
「悪ガキの相手も年長者の仕事ってな、相手してやろうじゃねぇか」
「ああ、行くぜ」
 道弘の声に頷きを返し、天矢・恵(武装花屋・e01330)は部屋の扉を蹴破った。
 それと同時に視界に入ったビルシャナ目掛け、恵は蹴りを見舞う。更にアイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)が蜜繞の力を解き放ち、敵の気を引いた。
「其方はお願いします」
「分かった」
 アイヴォリーの願いに応え、ムスタファ・アスタル(同胞殺し・e02404)が被害者とビルシャナの間に割り入る。ムスタファは青年の腕を引いて立ち上がらせ、その間に遊星・ダイチ(戰医・en0062)が彼の腕を縛っている縄を切った。
「正夫、手伝ってくれ!」
「はい、お任せください」
 ダイチは西村・正夫(週刊中年凡夫・e05577)を呼び、青年を外へ連れ出していく。
 それは一瞬の出来事。ケルベロスの手際は見事だった。
 詠沫・雫(海色アリア・e27940)とアミル・ララバイ(遊蝶花・e27996)は保護された青年への射線を遮る形で布陣し、ビルシャナを見つめる。
「ひとまず危機は去りましたね」
「そうね、後はユウリくん……あなただけよ」
 動揺した様子を見せる敵は此方を睨み返し、慌てて身構えた。
「お前ら、誰だ。なぜ僕の名前を知っているんだ?」
 するとナクラ・ベリスペレンニス(オラトリオのミュージックファイター・e21714)が自分達はケルベロスだと告げ、総ての事情は知っていると話す。
「なぁ、ユウリ。何で悔しいんだ?」
「……アイツは、僕の華麗な連勝記録を止めた! 完膚なきまでにだ!」
 敗北した時の憤りを思い出したのか、ユウリはナクラに鋭い視線を向けた。その怒声を聞いた恵は軽く首を振り、考えを巡らせる。
(「だから殺す、か。勝負師の風上にも置けねぇガキだが……」)
 目を覚まさせてやる。
 裡に強い思いを仕舞い込んだ恵は仲間達に目配せを送った。道弘とムスタファは相手が此方に襲い掛かってくると察して身構え、アミルとアイヴォリーも気を引き締める。そして、雫は思いを言葉にした。
「連珠を理由に相手を傷つけようなんて、連珠に対する冒涜です」
「何だと!?」
 更なる怒声が部屋に響き渡り、冷たい憎悪が周囲に広がる。
 その瞬間、戦いの火蓋が切られた。

●敗北と前進
 容赦なく襲い来る氷の魔力が番犬達に迫る。
 だが、それを察知した匣竜のカマルとメルが衝撃を受け止めに入った。アイヴォリーと道弘を守ったサーヴァント達をムスタファと雫が視線で褒める。
 ニーカも頼むよ、と告げたナクラに答えるようにしてナノナノも翼をはためかせた。
 その隙にアミルが痛みを受けた匣竜達をチャロと共に癒し、誓いの心を熱に変えた恵がビルシャナに反撃を打ち込む。
「これから一生負けたままでいいのか」
「良いはずがない! だから僕は奴を殺すんだ」
 同時に告げられ言葉に相手は首を振る。すると恵はこのままでは心に棘が残る、苦しみは晴れることなく続くのだと諭した。
「お前を連珠で負かした相手を殺せば二度と連珠ができねぇ」
 つまりは一生勝てないままだと話した恵に鋭い視線が返って来る。先程の魔力が激しいことから、ビルシャナの秘めた能力がかなり高いことが分かった。
 道弘はアームドフォートの主砲を敵に差し向け、一斉砲撃を撃ち放つ。力に頼るなどまだまだ甘い。そう考えた道弘の一閃が敵を貫いた。
「お前さんの受けた苦しみは、痛みで代替できちまうほど軽いもんなのかよ?」
「彼は貴方のことなど気にも留めていない。今の儘では復讐にすらならないのですよ」
 アイヴォリーも道弘に合わせて魔法光線を撃ち、二人はビルシャナに問う。彼女達の声に更なる憤りを見せる敵に対し、ムスタファは縛霊の一撃を見舞いに駆けた。
「ふと思ったのだが、お前あの男を殺した後は連珠はしないのか?」
 一閃を放ちながらムスタファは問い、ほら、と持ち寄った珠を放り投げる。その鋭く尖った爪で掴めるのかとビルシャナの手足を示した彼は黒の瞳でその姿を見つめた。
 ぐぬぬ、と呻いた敵は答えない。
 ナクラは紙兵を散布しつつ、己も思いを投げかけようと決めた。
「そんな姿になって相手を怨む程、連珠が好きだからだよな?」
「そうね、連勝は大変だったでしょ。勝ち続けるには本当の実力が必要だもの」
 ナクラの声に続き、アミルも青年の気持ちに寄り添う。きっと彼は自分達では想像もつかないほどの努力をしているはず。すると、アミルの思いに一瞬だけビルシャナの動きが止まった。其処へナクラが更に言葉を掛ける。
「あいつを殺したらお前の相手をする者は居なくなる。その意味解るか?」
「……」
 ユウリは様々な問いに対して押し黙った。そして、雫は次の一手を打ち込むために地面を蹴る。その際、雫は先程の言葉の続きを紡ぐ。
「一生懸命努力して強くなった貴方自身が連珠を穢しているの」
「違う、僕は……穢してなんかいない!!」
 雫が放った流星めいた蹴撃が怒号と共に振り払われる。吹き飛ばされかけながらも何とか体勢を立て直した雫はメルに援護を願い、身構え直した。
 翼風が前衛に襲い掛かって行く中、ニーカとカマルが再び庇いに入る。敵を怒らせてしまっているようだと察した恵は相手の説得の難しさを改めて知った。
 それでも諦めたくはないと願うアミルは魔力を紡ぎ、癒しの燕達を召喚する。
「ねぇ、こんな所であんなぽっと出の男の為に連珠の時間を無駄にするの?」
 彼を痛めつけてる暇なんてあなたには無いはず、と懸命に伝えるアミルの瞳は真剣そのものだ。しかし、このままでは戦いにおいて押し負けてしまうかもしれない。
 アイヴォリー達がそう感じた時、援護に訪れていたアラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)が黄金の果実をみのらせ、忍足・鈴女(にゃんこマスタリー・e07200)が攻撃補助に入った。
 ダイチも正夫に被害者保護を任せた後、仲間の回復にまわる。
「アラタは愚かだなんて思わない。どれだけ悪く、滑稽に見えたとしてもそれでも真剣で、必死な想いがそこにはあるから」
 嘲笑うことなんて出来ない、とビルシャナに語るアラタ。鈴女も思いを言葉に変え、ふたつの意味で助けたいと願った。
「勝ち続ける事は時に毒となる。現状に甘んじて向上心を無くすからでござる」
 今迄勝てる相手としか戦っていなかったのでは成長できない。負ける事で得る物もあるのだと話す鈴女達に、ダイチは深く頷いた。
 道弘は青年の心に近付けると信じ、復讐から思いを遠ざけようと試みる。
「……本当の復讐ってのはよ、全く同じ場面を用意してやるもんだ。想像してみろよ。大きな会場で、連珠盤を挟んでよぉ」
 狙い澄ませた一手に相手の顔がすっと歪む。それこそが最高の一撃。
 そう思わないかと聞く道弘の声にユウリの表情が僅かに変わった。そんな気がした。
 そして、戦いは巡ってゆく。
 ムスタファ達は攻撃を仕掛けるビルシャナに応戦し続けながら、其々の思いを向けていった。足元には先程の珠が転がっている。
「勝ち続けたかったんだろう? 格闘でもTVゲームでもなく、ただ一つ、連珠という物で。ならもう一度その珠を、相応しい手で拾え」
 怒りを、憎しみを、自分の好きなもので相手に叩きつけてみろ。
 ムスタファにも過去、同じような経験があった。兄とした格闘技の敗北が悔しくて悔しくてたまらなかった。だが、自分は投げ出さなかった。
 彼にも原点を思い出してもらえたらと願うムスタファの思いは強い。
 雫は稲妻の突きで以て相手の動きを鈍らせ、ビルシャナを見つめた。
「負けて苦しいということはそれだけ連珠が好きだということです。そんな貴方に連珠を、そしてその手を汚してほしくない」
 きっと貴方の手は連珠のためにある。それを忘れないで、と雫は話す。
 恵とナクラは少しずつではあるが相手の気持ちが揺らいでいると感じ、
「復讐も殺害もビルシャナとの契約も辞めねぇか」
 人に戻って連珠で再戦して、お前の強さを示せばいい。次は勝てる、とあるかもしれない未来を示した恵。
「相手を失うって事は、連珠が打てなくなる。ユウリの連珠を殺すって事だ」
 悔しさも憎しみも勝ちの喜びも全部連珠があったからだと諭すナクラ。
 やり直せるのだと語る二人に同意し、アミルは優しく微笑む。髪のビオラを揺らし、夕闇色の翼をそっと広げた彼女は、自分はユウリの次の挑戦が見たいと言う。
 超えてはいけない一線がある。それが勝負事の世界なら尚更。決着はその勝負事でするのが常だ。そうよねチャロ、とアミルは相棒に問い、ユウリにも呼び掛ける。
「早く連珠の続きをしましょ。あなたは強いんだから」
 対するビルシャナは無言のまま。
 殺すことは手っ取り早いかもしれない。けれど屈辱や苦しみを思い知らせたいのなら、連珠の勝負によって地を舐めさせなくてはならない。
 それでこそ真の復讐、真の勝利となるはずだとアイヴォリーも伝えていき、核心となる質問を向けた。
「……貴方の本当に望むことは、何?」
「僕の、やりたいことは……」
 ユウリは一度、攻撃の手を止めて考え込む。此処で彼が契約の解除を決めたならば救うことが出来る。皆が固唾を飲んで見守る中、ビルシャナは顔をあげた。
 そして――。
「連珠の棋戦、リベンジ……いや、違う……。ただひとつ、アイツを殺すことだッ!」
 怒りと憎しみに染まった復讐への声が響き渡った。

●反発と結末
「契約は解除しない! 絶対に!」
 翼を広げた敵はケルベロス達に鋭い眼差しを向け、徹底抗戦の意思を見せる。
 説得は失敗だと気付いたナクラだったが、終わりではないと信じたかった。恵もまだ彼を人に戻したい、その心に光が射して欲しいと願い続けている。
 敗北は己の欠点に気づける機会であり、改善すれば強くなれるはず。
 それだというのに目の前の彼はたった一度の敗北に拘り過ぎている。鳥になっては連珠もうてまいというのに。
「勿体ねぇな」
「その胸の苦しみを思い知らせるためならば幾ら穢れようと構いません。けれど、ならば、殺すのは悪手でしょう」
 恵の呟きに続き、アイヴォリーは真っ直ぐに告げる。
 その間も番犬達は攻撃の手を緩めずに戦い続けていた。甘美な黄金色の魔力がアイヴォリーの指から零れ落ち、カマルとメルによる体当たり、そして道弘の怒號が飛び交う。
「何で分からねぇんだ! 自分から未来を捨てやがって……!」
 怒りを激しい雷に変えた道弘の力が敵を貫き、動きを阻害する。其処に生まれた隙を突いたムスタファが敵の前に踏み込んだ。
 誰もが心の奥底では解っていた。もう、彼は救えない。
 ムスタファは静かに祈りを込める。例え悪心に捕らわれた哀れな男だとしても、せめて最期は人らしく送ってやろう、と。
「お前の怒れる魂に、安息のあらんことを」
 偽りの一撃からの暗器による毒が見舞われ、敵の身の自由が奪われた。ナクラはニーカも攻撃に入るよう告げ、魔鎖を掲げる。
「俺は歌を手放すなんて死んでも無理。ユウリ、お前に連珠が殺せるか?」
 猟犬めいた動きで戦場を走る縛鎖が標的を絡め取る。ナクラにとってはこれが最後の問いであり、彼に送る言葉でもあった。
「煩い、黙れ! 黙れぇ!」
 暴れながら激昂するユウリは苦しみもがいている。
「とても、悲しい悲鳴です……」
 雫は胸の痛みを感じつつも杖を掲げ、魔法の矢を解き放っていった。
 アミルは最後の癒しをチャロやカマル、メル達に任せ、自らも攻勢に入ってゆく。
「ユウリくん、あなたの怒りは全部受け止めてあげる」
 だから正しく全てを終わらせよう。人に戻ることが叶わなくとも、アミルはその怒りを最後まで見届ける心算だった。
 そうして、アミルがブラックスライムを操る中でアイヴォリーも翼から聖なる光を放つ。彼が抱いた罪を洗い流すかのように光は舞い、戦場を淡く照らした。
「殺したい程の執着は、まるで恋の妄執のよう」
「……直ぐ、零れちまいやがるんだ。ったく」
 アイヴォリーと道弘が独り言ちた思いからは悲しみが感じられた。仲間達の声を聞いた恵は覚悟を決め、ユウリへの止めを狙う。
 人を辞め、力を望んだのならば己が選んだ道の果てを見せてやらねばならない。
「手加減はしねぇ」
 引導を渡す汚れ役も引き受ける心持ちで恵は一振りの刀をその手に召喚した。
 斬華一閃。神速の一刀で以て敵を斬り伏せた恵は確かな手応えを感じながら、誰にも聞こえぬ声で囁いた。
 繋がるかもしれなかった未来を――お前を救えなくて悪かった、と。

●連ならなかった未来
 あと少し、ほんの少しだけ心が近付ければ救えたかもしれない。
 過った思いは余所に遣り、ムスタファは亡骸を見下ろす。転がった白と黒の珠はいつの間にか割れ砕けていた。
「終わったか」
 被害者の青年は怯えてはいたが傷ひとつなく、正夫がしかと守ってくれていた。現場から離脱した彼は今頃無事に家に辿り着いている頃だろう。
 倒れたビルシャナは目を見開いたまま怨嗟の表情を浮かべ、事切れている。
 ユウリが拘ったのは自分が負けたということ。
 たとえば正論ではなくとも、過去の敗北は何かの間違いだと宥めてやれば、契約は解除されたかもしれない。或いは彼にとっての正解を導けなくとも、此処に集った全員で言葉を投げかけ続けたら声も心も届いたのだろうか。
 されど全ては過ぎたこと。後悔は尽きないが、これが現実だ。
「……なんて、哀しい結末でしょうか」
 メルを抱いた雫は思わず亡骸から目を逸らしそうになったが、これが彼の結末なのだと思い直して堪えた。道弘は奥歯を噛み締め、どうして、と呟いた。
「ったく、最後まで救えない奴だったな」
 其処から零れ落ちた声は乱暴にも聞こえたが、憐憫と悔しさが交じっていた。
 アミルは死したユウリにそっと近付き、せめてこれだけでも、と瞼を閉じさせる。チャロは何処か苦しそうな主をじっと見つめていた。
 鈴女もアラタも、そしてダイチも静かに結果を受け止める。
「一回負けたら、後は勝利だけ。そう思えてたらユウリも……」
 ナクラは荒れた部屋をゆっくりと見回し、これじゃ掃除も出来ないと肩を竦めた。彼が生きていたら告げてやりたいことがあった。一緒に謝ろうと背を押してやりたかった。
 だが、最早何も叶わない。
「敗戦は無駄じゃねぇ。新しい世界が始まる兆しだってのに」
 恵は未だ暗闇に包まれた窓の外を眺め、遠い目をした。
 今宵、ひとつの世界が終わってしまった。それでもケルベロス達はやるべきことを果たしたのだ。誰も責められることなどない。ビルシャナさえ関わらなければ、と行き場のない思いを抱えた仲間達は静かな弔いの思いを胸に抱く。
 アイヴォリーはユウリが感じていたであろう思いについて考え、ちいさく呟いた。
「――ああ、わかる気がします」
 どこか似ていると感じた、或ることを思い浮かべた彼女は俯く。
 それほど憎んで、憧れたものを手にしたいのならば他にも道があった。醜い妄執を抱えてでも歩き続けた先に届く可能性がある。
 そう思えばきっと、人生も連珠と同じくらい悪くないゲームだったはず。
 しかし、その想いを伝えたい相手にはもう二度と思いは届かない。酷く冷たい夜の最中に暫し悲しい沈黙が広がった。
 闇夜を見上げてみても、其処には星も月も見えないままだった。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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