『スチールファング』ザイレンマイレン

作者:弓月可染

●ドラグナー
 女の周りを、ホログラムめいた無数のウィンドウが取り囲んでいた。
 彼女が宙に手を伸べ指を走らせるたび、それらに表示された内容が更新されていく。
 SF映画で手垢がつくほどに使い古された、近未来的な光景。
 だが、映画と違うのは、ここが竜十字島で、女がドラグナーである、ということだ。
「さぁ、見つけたわよ……」
 暫時手を止め、窓の一つを凝視していた女――中村・裕美がにたりと笑う。
「お前達、この場所に向かいドラゴンの封印を解きなさい……」
 彼女の背後に控える、黒い肌と翼、そして縦に並んだ紅眼を備えたドラグナー達。
 それら多くの異形へと眼鏡越しに視線を走らせ、『竜性破滅願望者』はもう一つの、そして最後の指示を与えた。
「そして、封印から解かれたドラゴンに喰われ、その身のグラビティ・チェインを捧げるのよ……」
 ――全ては、ドラゴン種族の未来の為に。

●『スチールファング』ザイレンマイレン
 険しい無人島の山中。
 生い茂る森の中、ケイオス・ウロボロスと名付けられた四体の異形がギィ、ギィと鳴いていた。
 いや、それは単なる鳴き声ではない。彼等もまたドラグナー。邪悪なる知性を持つ者であるならば、こんな場所でただ意味もなく鳴いているはずがない。
 果たして、それは人間の理解できない言語で編まれた呪文であった。詠唱が進めば進むほどに、場の空気は張り詰め、変質していく。
 野鳥や森の小動物は、とうに逃げ去っていた。
 やがて。
 ずん、と大地が揺れ、彼らが取り囲む一点が大きく盛り上がり、ひび割れて。
 そして、一匹の百足が一気にその姿を地上へと現した。
 立ち上がれば四階建以上にも届くであろう、巨大な百足としか言いようもない存在。
 だが、明らかに百足と違うのは、その肌がまるで中世の甲冑の様に、鋼の外皮で覆われているという事だ。
 そして何より、それが発する威圧感は、この鋼の百足が最強種族――ドラゴンに連なる存在であることを雄弁に物語っていた。
 真珠のような瞳が、ケイオス・ウロボロスを捉える。
 次の瞬間、鞭を振るうように素早く伸ばされた身体の先、鋭い牙を備えた顎が、四体のドラグナーを一度に屠っていた。

●ヘリオライダー
 クラト・ディールア(双爪の黒龍・e01881)をはじめとしたケルベロス達が危惧していた、ドラゴン勢力の動向。その軍団は惑星スパイラスに閉じ込められたと言えど、竜十字島を拠点とする一群は依然として脅威であった。
 そして、ついにドラゴンの新たなる活動が開始されたのだ、とアリス・オブライエン(シャドウエルフのヘリオライダー・en0109)は告げる。
「大侵略期に、オラトリオなどに封印されていたドラゴンが、まだ数多く残っていたんです」
 その居場所を探し当て、封印を破ってドラゴンを戦力化する。確かに、実現すれば脅威となることは間違いなかった。
「不気味なドラグナーが、封印を破るべく儀式を行っています。おそらく、この儀式を止めることはもう出来ないでしょう。私達が辿り着いた時には、もう復活儀式は完了していると思います」
 飢餓状態にあるドラゴンは、ドラグナーすら食い殺してしまうだろう。そのまま放置すれば、次は人間を殺しグラビティ・チェインを奪うため、人里を襲うに違いない。
「ですから、すぐに叩かないといけないんです。幸いなことに、復活するドラゴン――ザイレンマイレンはかなりの飢餓状態で、定命化も始まっていますから」
 戦闘が長引けば、グラビティ・チェインが枯渇し戦闘力が落ちる可能性が高い。となれば、やはり発見次第戦いを挑み、最初は持ちこたえて時間を稼ぐのが有効だろうか。
「ザイレンマイレンは、鋼の要素を取り込んだ、百足のような姿のドラゴンです。全身が鋼鉄ですから、攻撃も防御も並ではありません」
 細長い体だが、それだけに体長は長い。尾だけで立ち上がれば、四階建か五階建にも相当する高さになるだろう。その高さからのブレスと打ち下ろされる顎が、ザイレンマイレンの武器だ。
「飢餓で弱体化していると言っても、かなりすばしっこく動けるようです。体が大きいので、見失うことはないと思いますが……」
 ロデオの様に取りつくことも可能だろうが、長時間キープするのは難しい。時には森の木々も足場として利用しながら、攻撃を加えていく事になるだろう。
「定命化が始まっている以上、どれだけ復活させても一時しのぎです。ですが、放置は絶対に出来ない相手ですから」
 よろしくお願いします、とアリスは一礼する。
 どうか、無事に帰ってきて下さいと、そう祈りながら。


参加者
ティアン・バ(死のかたち・e00040)
ゼレフ・スティガル(雲・e00179)
雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)
星野・優輝(戦場は提督の喫茶店マスター・e02256)
市松・重臣(爺児・e03058)
シルヴィア・アストレイア(祝福の歌姫・e24410)
二階堂・たたら(あたらぬ占い師・e30168)
荒城・怜二(闇に染まる夢・e36861)

■リプレイ


 等加速度直線運動。重力に導かれたケルベロス達が、空の果てから落下する。
 だがそれは、ステルスの恩寵を失う事と同義だ。本能のままに荒れ狂うザイレンマイレンとて――いや、本能のままだからこそ、上空から迫る敵意に気付かぬ訳がない。
 もたげた百足の頭。無数の牙が蠢く口より放つ、無数の鉄片踊る濁流。先行する四つの影を、ミキサーじみたブレスが呑み込んで。
「敵機直上、急降下!」
 星野・優輝(戦場は提督の喫茶店マスター・e02256)と共に無数の戦場を駆けた白き軍服も、その全てを防げはしなかった。
 経験の浅い者であれば一撃で意識を失いかねない傷。だが、彼は躊躇わない。
「先手必勝、ここで決める!」
 自由落下の勢いもそのままに、百足の足にしがみつき体勢を崩した。無論、敵もされるがままではなく、この不遜なる挑戦者に一撃を与えんと身を捩らせる。
 だが、その意図は果たされない。
「やっと、見つけた」
 ティアン・バ(死のかたち・e00040)が流星の如く降り注ぎ、レースに甲を飾られた華奢な脚で百足の胴を強かに打ち据える。
 降下した八人と二体のうち、頭上からの接近戦を選んだのは僅か二人と一匹。弱体化までの持久戦を選んだ彼らの中で、第一の盾たる優輝はともかく、ティアンの選択は異質だった。
 そして、その疑問への答えは。
「――ころしてやる」
 その小さな唇が紡いだ音は、あまりにも。
「全部なげうっても、お前だけは、此処で」
 常のぼんやりとした瞳はどこにもない。常の気怠げな面持ちはどこにもない。ただそこには、呪詛を紡ぐ舌と、敵を追う眼だけが在って。
「唸れドラゴニック・パワーよ、俺達の……地球の敵を撃て!」
 だが、そのか細い声は、轟く砲声によって遮られる。荒城・怜二(闇に染まる夢・e36861)の担いだ禍々しき大槌は、今は大砲の様にその形を変えていた。
「封印から目覚めたばかりで悪いが、今度は永遠の眠りだ」
 見上げれば、十メートル近くの高さから見下ろす鋼の眼。レプリカント――ダモクレスにとってもそれは悪夢に違いない。
 けれど。
「負けはしない。ドラゴンが相手でも、皆と力を合わせれば」
「ああ、みんな生きて帰るぞ!」
 怜二の声に、力強く優輝が応えるのだった。

「征け、はち!」
 市松・重臣(爺児・e03058)のオルトロスである八雲が一声鳴いて、自らの傷も顧みず強大なる敵へと飛び掛かる。そして、その後を追う様に重臣から発せられた光が、百足に食らいつく者達の傷を癒していった。
「流石にドラゴンよな」
 戦いが始まって二分少々。二回目のブレスは、またも前衛へと浴びせられていた。
 守りに徹したからこそ耐えてはいるが、おそらくサーヴァントは長くは持つまい。そう知っていてなお、愛犬には攻撃を命じていた。
「――儂の、我等の意地を通してみせよう」
 その後、自分が穴を埋める覚悟はとうに出来ている。この先には通さぬ、ただその思い一つを持って、老雄は戦場に在ったのだ。
「のう、若いの」
「は――我ながら甘ちゃんですがね」
 これ位なら目が醒めますよ、とゼレフ・スティガル(雲・e00179)はほろ苦く笑った。
 地獄の炎が血を滾らせる。灼け付く様な衝動。ドラゴン。舞い上がっている、と理解できてしまう。
 四十路を迎えてこれか、という自嘲。成程、まだまだ若かった。
「何分、不惑には程遠くて」
 懐の小瓶を放り投げ、戦場に薬剤を撒き散らすゼレフ。粗いやり方だが、何人もを一度にカバーするならこれが一番効率がいい。
「まあ、老いも若きも意地の見せ処ですねぇ」
 右手に提げた大長巻と、左手に抱えた大型ライフル。しかし二階堂・たたら(あたらぬ占い師・e30168)が選んだのは、ぞわりと蠢く黒い液体であった。
「ここを通せば、一般人の被害は計り知れないですから」
 視界に留まらぬよう回り込み、袖口から滴らせたそれを百足へと向かわせる。いや、滴るというよりも溢れ出ると言った方が近い、大量の残滓。
「もう一度眠って貰いましょう――ずっとね」
 全てを呑むのは無理だとしても、足の一・二本ならば容易い。がば、と大きく広がったスライムが尾に近いそれへと取りつき、動きを封じていく。
「こんな大きいやつ、野放しには出来ないよね」
 雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)の操る鎖が描いた守護の魔法陣は、既に鉄片によって掻き消されている。
 だが、それは織り込み済みだ。真に彼女が恃む相棒は、細い鎖ではなく、左腕だけで握った一振りの大剣なのだから。
「大侵略期とは時代が違うって事、教えてあげるよ」
 腕力に遠心力を重ね、力任せに叩き付ける。それは、盾たる役割を全うすべく彼女が選んだ挑発行為。鉄塊同士がぶつかる鈍い音が響く。
 そして、その音を合図としたかの様にタイミング良く響き渡るサウンド。
「さぁ! ここが私達のステージだよっ!」
 ピンクのギターをかき鳴らすシルヴィア・アストレイア(祝福の歌姫・e24410)。ギター一本なれども腹に響くメロディと、突き抜ける様に明るいヴォイス。
 剣も槍もそれなりの訓練は積んでいる。けれど、本当の『武器』はそれじゃない。
 みんなを勇気づけたい。絶対に守りたい。それだけで戦いに身を投じたケルベロス・アイドルは、存分にデコった特注マイクを手に歌うのだ。
「私の歌を聴けーっ! ……なんてね」


 五分少し前。三度百足が齎した破片の豪雨は、先に倒れた八雲に続き、怜二のミミックである柘榴をも霧散させていた。
「柘榴っ……!」
 だが、それに心を乱すだけの贅沢は、怜二には許されていなかった。務めを果たし百足の意識を惹きつける前衛達。嘗て培った指揮官としての思考が、作戦は順調だ、と告げている。
「それでも――耐えるだけの必要はないだろう?」
 すらりと長い足を思い切り振り抜いた。生まれ出でるは幾つもの星、靴に宿った理力の精髄。妖精が運ぶ幸運のスターは、竜の護りを幾分か和らげて。
「ほ、その意気じゃ」
 くつりと喉を鳴らした重臣が身を躍らせる。癒し手としての仕事は変わらずとも、その動き方は明らかに従前との差を見せていた。
「そら、儂を喰らいに来い」
 肩を並べる僚友を癒すのは、SNSに貯め込んだちょい悪ご隠居エピソード。書き込んだ内容までは相手に伝わらない事になっている。一応。
「生ける以上、食は不可欠よ。――然れど、人々の未来と平穏は譲れぬ」
「気合入ってますねぇ、ご老体」
 やかましいわ優男、とどやす声を聞き流し、たたらは手にした大口径ライフルを異形の竜へと向ける。
 胆の括り具合は見事なものだ、と思った。重臣だけではない。この強敵に立ち向かう誰も彼もが。
「自分も覚悟決めますか。柄じゃあないんですが」
 狙いをつけるのも束の間、デカブツには当たると割り切って引鉄を引いた。一直線に伸びる魔力の光線。幾分か減衰すれども、その光は金属の肌を食い破って。
 ふと、たたらは数刻前の占いを思い出す。
「……そういえば、さっきの結果は『死と破滅』、でしたっけ」

「どんなに格好悪くても、最後に勝って帰る事が出来るなら、それでいい」
 不沈艦の加護を身に宿らせ、優輝は駆ける。既に将校服は泥に汚れ、破れていた。
 しかし、その腕に這わせた黄と紫の花は、未だ鮮やかに咲いている。
「かかって来い、俺がお前の相手だ」
 度無しの眼鏡の向こうに見据えた竜の姿。握り締めたナイフをうぞうぞと動く関節に突き刺し――力任せに引き裂いた。鉄板を無理やりに斬った様な、確かな手応え。
「この水平線に、勝利を刻む!」
「……勝利か。そうだね、勝利だ」
 その叫びに、ゼレフは一人ごちる。もう一度、火を灯しに来た。そう、斜に構えてはいたものの。
「ああ、お互い生きたかった、それだけだな」
 鋼の嵐と、全てを溶かす高熱。相手は違えど、いざ相対すれば何ら違いはなく――一歩踏み外せば命を失う暴力がそこに在る。
 ならば。
「退く道なんてとうに無く。征く道も、帰路すら前に在る」
 魔力で編んだメスを飛ばし、ざくりと裂かれたシエラの背を縫い合わせる。およそ少女の肌にする治療ではないが、今は気にする余裕がない。
 そしてシエラもまた、そんな事は気にも留めていなかった。薄れたとはいえ、どうせ身体中傷だらけだ。背の痛みとて、右腕を苛むそれに比べればどうという事もない。
 全ては。
 穏やかに過ごす日々、その為に。
「いくよ、ザイレンマイレン」
 真っすぐに、弾丸の様に。華奢な少女は戦場を疾る。その手には風を纏いし大剣。触れるもの全てを斬り裂く、それは吹き荒れる烈風。
 駆け抜けよ少女、逆巻く風が閃く様に。
「どんな護りだって、貫いてみせる!」
 鋼の胴体に、確かな傷を刻んで。

 腕時計が七回目のアラームを鳴らす。
 予想以上の善戦である。この時点まで、ケルベロスの脱落者を出さず戦線を支えきった事は、称賛されるべきだろう。
 だが、天秤は動く。
「……言っただろう。俺が、お前の相手だ……」
「優輝どの!」
 攻防の結節点たるたたらを狙う百足。しかし鋼の牙は届かない。優輝が、その前に立ち塞がったからだ。
「俺は、皆の盾だから……!」
 無理に割って入ったのが祟ったか、まともに『噛み潰され』、捨てられる優輝。ごろごろと転がって、彼はそのまま動きを止める。
「そんなっ……!」
 シルヴィアの絶叫。しかし次の瞬間、彼女は自分の声を押し殺す。噛み切ったか、唇の端から流れる血。
(「ううん、私は」)
 悲鳴の代わりに紡ぐはメロディ。

 ――魂よ響け、この世界中に。

 歌声に合わせて、五本の光剣が魔法陣を描く。
 その中心に立つシエラを眩い光が包み、刃の吐息で全身に刻まれた傷を消し去って。

 ――未来を掴むため、さぁ、闇を祓おう。

「私は、みんなを勇気づけるアイドルなんだから!」
「さもあらん。それが儂らケルベロスよ」
 歌声に耳をそばだてていた重臣も、またスマホを手に、自分自身のいい話でなんやかんやと自らの傷を癒す。
「寝覚め早々なれど、貴様には二度寝の幸福をくれてやろう」
 この鉄火場で、何とも羨ましいものよ、とまで言ってのけるのは、流石の歳の功か。
(「勇気づける、か」)
 一方、その歌声を、どこか遠くの世界の出来事の様にティアンは聴いていた。
 生きて還る。
 ああ、多くの仲間達が口にしたその誓いを、誰が否定できようか。
 けれど。
 構うものか。
 構うものか、己の何が犠牲になろうとも。

「私を殺して。さあ、今すぐに」

 胸の傷から溢れ出す、あおぐろい地獄の炎。倒錯した妄執は、生けるものへの呪詛となってダンス・パートナーを縛り付ける。

 ――お前だけは、ティアンが此処で、死んでも殺すから。


「逃げ切れると思ったが……まあいい、儂が倒れても皆が成すじゃろうよ」
 ドラゴンに追われていた重臣が、遂に大顎に捕えられ、牙を突き立てられる。それと前後して、腕時計が十回目の――十分経過のアラームを流した。
 そして、間断なく降り注ぐ鉄片のブレス。一帯の地形を変える程の剣林弾雨は、倒れた重臣や避難に手間取っていた優輝をも容赦なく巻き込んで。
「ごめんっ……!」
 横目に詫びるシエラ。そうなると判っていて、しかし最早救出する余裕はなかった。
 時間経過で、確かにドラゴンの動きは鈍くなりつつあったが、そのブレスの威力には大差がなかったからだ。
「でも、最後まで食い下がってみせるから」
 飛び掛かり、剣の重さ頼りに回転を加える。身体よりも大きい得物を、ぶん、と振り切って。
「だから、封印だなんて言わないさ。今度こそ、完全に終わり、だよ」
 斬、と斬り上げる。先程とは明らかに違い、その手応えは革を断つ様な感触だ。
「これだけ遅いなら、しっかり狙えるか」
 怜二の内でひしめく螺旋の力。だが、ここでものを言ったのは、敵と同じ竜の力だ。巨大なる鈍器をバトンの様に取り回し、肩に担いで大きく開いた砲口を向ける。
「一度では倒れまい。二度でもそうだろう。――だが」
 八人と二体が、力を合わせ立ち向かうなら。
「『人』は、どんな高い壁だって越えられる!」
 荒れ狂うエナジーが砲弾となり、槌の先端から撃ち出される。向かう先は、狂乱し天を衝かんとする竜、その顎だった。

 十二分。
「喰い足りなきゃ暴れたくもなる、か」
 餓鬼の様だ、と敵の無様を嗤うゼレフ。その手には大剣、指呼の距離には鋼の肌。
 無論、支援が薄まる事も、刺し違える危険も承知の上。ノーガードで殴り合う覚悟は出来ている。
「……ああ、無様さ」
 己が因縁ではなくとも、竜相手に這ってでも喰らいつく。
 それで良い、と思った。
 無性に軽く感じる身体。ぼやけた琥珀の世界に、万の色彩が重なって。
「さあ思い出せ、自ら選んだのは――」
 剣を突き立てる。逃がさない、と呟いた。ゼレフの視界が、焔に染まる。
「負けないよ。喉がかれたって歌うのを止めない!」
 一方、唯一残された支援役であるシルヴィアもまた、彼女の戦いを続けていた。弦を掻き鳴らす指先に感覚はとうに無く、喉の調子を慮る余裕もない。ケルベロスでなければ、とうに倒れていたに違いない有様だった。
 それでも。
「負けないよ。だって――だって、私は癒し手で、歌姫なんだから!」
 凄惨なる戦場。しかしシルヴィアは、そこから視線を逸らさない。
 アメジストの瞳は、彼女が歌う紅よりも強き意思を湛えていた。

 そして、十六分が過ぎた。
 ゼレフが腹を貫かれ、怜二が二度のブレスの前に倒れた。シエラとたたらは辛うじて耐えているが、ティアンはもう、精神の力だけで立っているに等しい。
「やれやれ、神様が都合よく助けてくれたりはしないようで」
「神なんて要らない」
 たたらのぼやきを切り捨てて、ティアンが再び前に出る。満身創痍ではあるが――全身を地獄の炎で覆ったとて、最早次の攻撃には耐えられまい。
「もう何もなくしはしない。あれを、殺す。それだけだ」
 ザイレンマイレンも明らかに弱っていた。逃げなかったのは理性を失っているからに過ぎない。それ程までに、彼らは竜を追い詰めていた。
 だから、彼女は身を賭した。
 けれど。

「――約束、だったな」

 生きて、還ると呟いて。
 手にした斧を、自分を狙い迫る百足の眉間に叩き込み。
 そして跳ね飛ばされ、離れた大木に打ち付けられる。
「……覚悟決め過ぎですよ。けど、思い出しました」
 この場に在るのは神の恩寵に縋る民ではなく、不条理な運命を打ち砕く地獄の番犬なのだから。
 全身に絡みつくグラビティ・チェインの奔流。次の瞬間、彼の姿は消えていた。いや、目に留まらぬ速度で跳んだのだ。ザイレンマイレンの両目、その正面へと。

「自分の占い、まるで当たらないんですよねぇ」

 ティアンが砕いた眉間の傷に、たたらが流れる様な三連突きを放つ。それが、止め。地響きを立てて倒れ伏した大百足は、やがて土煙の中に溶けていった。

作者:弓月可染 重傷:ティアン・バ(灼き跡・e00040) ゼレフ・スティガル(雲・e00179) 星野・優輝(戦場は提督の喫茶店マスター・e02256) 市松・重臣(爺児・e03058) 荒城・怜二(闇に染まる夢・e36861) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年6月5日
難度:難しい
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 14/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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