決戦緑のカッパー~ザイカの代償

作者:ヒサ

 はー、と男性は疲れた息を吐く。その日の仕事を終え帰宅し夕食を済ませ、通いの家政士を帰した後に訪れた一人の時間。まず彼は、自室のソファに倒れ込んだ。
 仕事自体は順調だった。雇い入れている者達にも働きに見合った報酬を支払っている。が、妥協を嫌い部下を労う言葉も口にせず仕事に打ち込む彼を取り巻く人間関係は、決して良いものでは無かった。優しさが無い、手段を選ばない、業績と賃金だけは良いが仕事相手は弱みを握られているのでは、裏では何をやっているやら、等と噂される事も多々。実際には彼は悪事の類に手を染めているわけでは無いのだが、その噂の元となった人間性に対する評価は間違ってはいない。その為もあろうか、結構な年齢に達していながら未だ独り身だ──願望自体はあり、いつ家族が増えても良いような広い一軒家に住み、苦しい生活をさせずに済む程度には資産を有しているというのに。
 高い天井を見上げて彼は、寝間着に着替えなくてはと考える。が、動くのも億劫だった。仕事に明け暮れろくに趣味も持たぬ彼の部屋は高級感はあるが殺風景で、見て楽しめるようなものは特に無く、また、ストレスを抱えれば食べて解消するような生活をしており標準に比べれば幾分ふくよかな体は座面からはみ出してしまっていて、ずっと寝そべっているのも楽では無い筈なのだが。
「──ああ、見つけたわ」
 静かだった室内に不意に声が響いた。驚いた彼が派手に椅子から転げ落ちる。窓の方から声が聞こえた為に、彼はその勢いのまま廊下へ続く扉の方へと逃げつつ声の主を確かめる。
「き、きみは誰だ!?」
「あら、そんな事どうでも良いでしょう」
 現れたのはシャイターンの女。持ち上げた指に緑の炎を揺らめかせ彼女は言った。
「それよりも、おまえよ。おまえほどの財力がある男ならば、私が選ぶに相応しいわ」
 不穏を感じ取り扉から逃げようとする男性を、炎が包む。それは彼の身を焼き尽くし、代わりに出でたのは、巨躯に美しく輝く重鎧を纏い、派手な細工を施された一振りの剣を持つエインヘリアルだった。
「──やっぱり豪華な武具が一番よね」
 シャイターン──緑のカッパーは重装備の、横にも大きなエインヘリアルを見上げて微笑む。
「とはいえ何から何まで面倒見てあげるわけにもいかないの。自分のグラビティ・チェインくらいは自分で調達していらっしゃい。済んだ頃にまた迎えに来てあげる」
 期待しているわ、と笑う彼女を、エインヘリアルは餓えにぎらつく目で見遣り。
「承知した。……あまり待たせないで貰いたいがね」
「それはおまえ次第ね」
 彼が苛立ち交じりに応じる姿に、カッパーは満足げに目を細めた。

「『緑のカッパー』をつかまえられそうよ」
 『炎彩使い』の一人の名を口にした篠前・仁那(白霞紅玉ヘリオライダー・en0053)が広げたのは、グレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)の協力によって得られた情報を記した紙片達だった。彼女はケルベロス達へ住宅街の地図ととある家屋の見取り図を提示し、メモ書きの一つへ目を落とす。
 現場の住所を告げてのちヘリオライダーは、高級住宅街に建つ一軒家に住む裕福な男性を狙い、件のシャイターンが現れる旨を伝えた。家は広いが男性は一人暮らし。夜、二階の自室でくつろいでいるところを襲われるのだという。
「今回は、急いで貰えれば、男性がエインヘリアルにされてしまう前にカッパーへ戦いを仕掛けられるかもしれない。ただ、あまり余裕は無さそうで」
 敷地を囲う塀を越え、家屋の傍に植えられた庭の木を登り、二階にある男性の自室の窓を叩き割り突入して貰うのが早そうだ。ケルベロス達であれば例えば翼が無くとも十分可能な運動だろうが、少なくとも壁を『歩く』のは急ぐには向かない──この間に多少騒がしくしたとしても、カッパーが気付いて迎撃に出てくる可能性は、余程手間取らない限りは無いと見て良いだろうし。
 あるいは敷地の門やら玄関の扉やらを薙ぎ倒しながら家の中を駆け抜けても間に合うだろうが、後の事を考えると控えた方が、家主の男性に対して優しいと思われる。なお、この時間には応対する家人が居ない為もあり、礼儀正しく訪ねるような余裕は無い。
「室内に入ったら、そのまま戦いに持ち込んで貰うのが良いでしょうね。男性は廊下へ続く扉の近くに、カッパーは庭に面した窓の近くに居るようだから、あなた達が敵の注意を惹いてくれれば、男性は自力で安全な場所まで逃げる事も出来ると思う」
 そこまで言ったのち仁那は、一拍置いて。
「……ただ、もしも、あなた達が到着するより先に男性が、殺されてしまったら。カッパーとエインヘリアルの二体を同時に相手にする事になるわ」
 エインヘリアルは生まれたて。飢餓ゆえに冷静とは言い難い状態にある為に、単体であればそこまでの強敵とはならなかろうが、その頑強な体と隙のない装備で以てカッパーを護り決して退かず戦うだろう。なので彼が参戦する場合、カッパーに逃げられる可能性が高まる事に注意が必要となる。
「だから、まずは男性の命を助けてあげて」
 とはいえ、そこまで成せた先こそが本番。
「その後は、カッパーとの戦いに集中して貰えれば良いと思う」
 決して容易い敵では無いが、ケルベロス達が力を尽くせば叶わぬ相手ではない筈だ。

 ケルベロス達の活躍により炎彩使い達はその数を減らしつつある。今回カッパーを倒して貰えれば、終わりはそう遠く無い筈だ。
「なので、お願いよ。どうか気を付けて、よろしくね」
 そう、ヘリオライダーは眼前のケルベロス達へ後を託した。


参加者
ウィゼ・ヘキシリエン(髭っ娘ドワーフ・e05426)
クーゼ・ヴァリアス(竜狩り・e08881)
ヒメ・シェナンドアー(白刃・e12330)
日月・降夜(アキレス俊足・e18747)
トライリゥト・リヴィンズ(炎武帝の末裔・e20989)
宝来・凛(鳳蝶・e23534)
グレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)
プラン・クラリス(愛玩の紫水晶・e28432)

■リプレイ


 新たな犠牲を出さぬ為、彼らは夜を急ぐ。空を舞い得る翼で先行出来る者も居はしたが、三名だけでは危険に過ぎる。敵を下手に刺激し救うべき男性の身に万一があっても拙いと、彼らはまず補助に回った。
 暗い庭を先行し駆け抜けるのはウィゼ・ヘキシリエン(髭っ娘ドワーフ・e05426)。最短距離を記憶済の日月・降夜(アキレス俊足・e18747)がそれに続き、光量を抑えた照明を携えたグレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)が後続への伝達を担う。
 建物の手前に到達したところでクーゼ・ヴァリアス(竜狩り・e08881)が降夜を抱え上げ、青年が投げた梯子が目指す窓下に掛かったところで別れる。木を登っていた数名が垂れた梯子に飛び移った。
 壁を叩く衝撃は大したものでは無い。夜気に散る音を捨て置いて、彼らは二階を目指す。宙に舞うクーゼが一度皆の様子を確認したのち、窓を蹴り破る。
 室内の者達が驚いている隙に、中へと飛び込む。ヒメ・シェナンドアー(白刃・e12330)を連れた宝来・凛(鳳蝶・e23534)が彼に続き、すぐさま敵へと迫る。魔環を放つべく尾を振るう瑶を、カッパーが放った緑炎が制した。
 室内を駆け抜けたヒメは、廊下へ続く扉の前にへたり込んでいる男性を背に庇うように立ち、二刀を抜き放つ。状況が飲み込めぬ様子で少女の背を見上げる男性の傍に駆け寄ったクーゼが彼へ手を伸べ助け起こした。
「怪我は無さそうで何よりだ。動けるかい?」
 その様子を見咎めた敵へは、グレッグの手を借り室内へ身を滑り込ませたプラン・クラリス(愛玩の紫水晶・e28432)が声を発した。
「セクシーな格好だね。わたしも負けてられないな。──さあ、わたしを見て?」
 青年が御した加護の矢により破呪の力を孕んだ魅了の術が獲物の意識を、肉体を、侵す。
「そう。邪魔をするのね、ケルベロス」
 同族の仇を示す名を呼びカッパーが口の端をつり上げる。されど笑みは冷たく、暗色の瞳は為すべき事のために動く意思を灯す。仇討ちよりも選定を。誰を失おうとこの日までずっと、そう続けて来たように。
「当然。アンタらの身勝手で悪趣味な選定なぞ許しておけるわけが無いやろ」
 セイに護りを任せたトライリゥト・リヴィンズ(炎武帝の末裔・e20989)の蹴りがカッパーを襲う。不敵に笑んで敵を睨む凛がそれに合わせ凍気纏う弾を撃つ。
「ここは引き受けるからすぐ逃げな。まだ死にたか無いだろう?」
 手裏剣を放つ降夜が、驚愕のあまり立ち竦む男性を顧みる。行けと言うよう動いた手に、男性が我に返ったらしき表情をした。
「走れるね? 逃げるよ!」
 それまでは己が護るから大丈夫だと、クーゼが男性の手を引いた。
「クーゼサン、気を付けて!」
 危ない目に遭わせる気など無いけれど、凛はそう声をあげ彼らを急き立てる。
「ああ。皆、ここを頼む!」
 彼らの背後で扉が閉まる。そこへ至る路は、シュバルツをはじめ残った者達で塞ぐ。追撃などは許さぬと。
 計画が成らぬことに僅かな逡巡を見せた敵の思惑を全て潰すべく。窓前に立ったウィゼが彼女を見上げ、近くにあったスタンドライトを突きつけた。
「カッパーおねえ。もう暫く、あたし達に付き合って貰うのじゃ」
 終わりの時まで。言い尽くすよりもと少女は、空いていた手で置き時計を掴み上げる。
 敵と見定めた女へと、体全体を使って両手の調度を投げつけた。


「気合い入れて行くぜ!」
 男性が連れ出されてしまえば、巻き込む心配をせずとも良くなる。思い切り跳んだトライリゥトが、敵へと棍を振るった。
 肩を打たれるもカッパーは飛び道具を操り応戦する。退く彼を追う凶器の前に身を晒した白い少女がその刃を食い止めた。
「ありがとな」
「ヒメ、傷は」
「大丈夫よ。グレッグは皆の事をお願いね」
 その衣裳を朱く染めて彼女は微笑む。刀を握る痩身はその意思で以て苦痛を制し二刀へ破魔の力を漲らせた。応えグレッグは頷いて、攻め手へと向け加護の弓を引く。
 飛び道具が孕む毒は、脅威と呼ぶには弱いものだと少女が言った。踊る如く軽やかに攻め来る敵の歩みを阻むべくプランが竜砲を撃ち放つ。
 褐色の影が舞い、熱纏う刃を振るい血華を望む。纏う彩は熱を眩ませ揺らめいて──獲物の命を速やかに刈り取るべく、殺意をくゆらせる。
「させんよ」
 緑炎に肌を焦がす事を許してなお凛の瞳は強くきらめく。華奢なその身は盾となる為に。何故なら、後ろへ通しては危険だと痛覚が叫んだ。命を狩る為だけに放たれる敵の攻撃を、脅威だと誰もが悟る。
「目をそらしちゃいやだよ」
 だから、獲物を狙う如き目を眩ませる為。プランの白い肢体がしなやかに艶めいた。
「あなたの目をわたしに見せて。わたしをみせてあげるから」
 紫水晶の瞳が甘く笑って蠱惑する。今この時、ただ一人の異形の女の為に形作られたその吐息が、熱が、力を宿して標的を呪縛する。
「すまない、待たせた!」
 ほどなく、翼で風を打ちクーゼが再び窓から室内へ戻って来た。
「あの人は?」
「庭の隅に避難して貰った。距離としては十分な筈だ」
 眼前の敵を取り逃がさぬ限りは、件の男性に危険が及ぶ事は無いと見て良いだろうと彼は言う。
「わざわざ戻って来るなんて」
 嘲るような敵の声は、ケルベロス達には聞く価値も無い戯言に過ぎない。
「──ところにより極寒にご注意下さい、ってな」
 室内を舞う炎の熱に、降夜の技が真っ向から抗う。白く凍てつく音が走り、彩の無い瞳が鋼めいて静かに瞬き、標的の傷を見定める。
 眉をひそめ、それでも余裕を失いはせぬとばかりに笑む敵が、彼らを見遣り手を翻す。知らぬ動きに凛が警告を発した。牽制するようにウィゼの手が毒薬を放つ。冷やされた空気が再び熱を宿されて、その原因である敵の刃が高速で回り緑に灯る。
「させはしないさ」
 その狙いは、執拗に敵の動きを鈍らせに掛かる射手か、かの肉体に痛みを刻む中衛か。探る事は無為とばかりまず、クーゼの刀が放たれた凶器の勢いを減ず。刃は彼の腕を裂いたが、逆側から迫るもう一つはマントで絡め取るようにしていなした。
「すぐに手当を……」
 血の色が床を汚す。彼の傷を案じつつも平静にと努める癒し手の声を背で聞いた。影色の小竜と共に皆を気遣う青年へ、有難いと託して彼は微笑む。それから視界の隅に翻るマントの傷みに気付き。直せるだろうか、等と後の事をちらりと考えた。


 多様に重なり、軋む呪詛。ケルベロス達が成したそれは、敵が自在に舞うことすらも許さなくなりつつあった。傷を癒す事は叶えど、身を縛る鎖は断ち切り得ぬカッパーを、彼らは確実に追い詰めて行く。じっと敵を見据えるウィゼの技ゆえに、出血に冷える体を暖めるための炎すら、既に朧な揺らめきへと。
 一つずつを確実にと、積み重ねて行く。今回間に合った事を、決して無駄にしないように。今この場で護れるものを、それから、多くの人々の未来を護りたいと、彼らは。
「ボクはこっちよ」
 白い影が風となる。緑纏う女の視界を侵して、敵を護らんとする熱をヒメの刀撃が吹き散らす。刀が抱く緋の色が流星に似て閃けば、敵の肌が鮮血に染まる様がはっきりと見えた。
 カッパーの色とは対を成す如き命の色。それすら肉体を襲う凍傷に暗んで重く、凝りを払うよう回される刃には降夜が肩を竦めた。
「おっかないな」
 嘲るでも無く、倦むでも無く、青年は淡々と暗器を御した。捩れ空気を裂くそれが敵の環刃を打ち歪ませる。金属が擦れて、血に鈍り。為すための手すら、折り取る如く。かの女の思惑も矜恃すらも打ち砕くために。
「てめぇらに焼かれた人達はもっと痛かった筈だ! まだそんなもんじゃない、逃げられるなんて思うなッ!」
 得物を振るうトライリゥトの声は、瞳は、彼女らの手に掛かった人々を想い、痛みを堪えるよう揺れた。彼らのためにも負けられないのだと、青年の決意は強く。成すべき事をまた一歩、進めるために彼らは此処に居る。
「悪いけど、手を貸して」
「構わない、任せてくれ」
 凛の肌を染める血は彼女自身のもの。依頼に応えてクーゼが彼女を緑炎から護る。負担を分散して、誰も倒れず済むように。主の声に応えシュバルツが治癒を為し、グレッグの獄炎は穏やかに蒼く盾の加護を結ぶ。
 塞げる傷は都度塞いでいる。けれど傷の記憶は肉体を蝕み、友と力を分かち合う者達は特に色濃い疲労に喘いだ。補うようにヒメが駆け、彼らは盾役四名の利を活かし、叶う限りに仲間達を護り続けた。し損じれば被害は大きく、幾度も続けば危険だと気を張って、されど臆する事無く彼らは苦痛に身を供す。
 とはいえ己を顧みぬわけでも無く防御に注力する彼らが、立ち止まらずに済むように。癒し手達は懸命に皆を支えた。敵の護りを砕く力は既に攻め手の皆に分け終えていて、敵はそれを破る力を持たない。対照的に自身を顧みる事のない全力で敵が振るう炎と刃は重い痛みを強いる脅威だが、拡散する事無く一人一人をとされれば、それは最早対処し易い単調さ。
 グレッグ自身が攻めに出る隙は、全くと言って良いほどに見出せぬ状況が続いていたが、その分他の者達が集中出来る状況が調うならば、それで良いと。不覚を取れば盾役達とてただでは済まない緊張下で、狭まらざるを得ない前衛達の視界を補うべく、彼は治癒と警告の声を届け続けた。小竜達の護りと蒼い炎の色は静かにけれど確実に、皆の負担を軽減する加護を絶えること無くもたらした。
 そう護られる中で、応えるべく動くのは攻撃役達。白く翻るプランの指がカードを引いて、薄紅の唇が微笑み破滅を謳う。辺りが凍え騎兵が喚ばれ、澄んだ姿とは裏腹に残酷なまでに標的の腹を貫き抉る。そしてそれで終わる筈も無く、降夜が振るう凶器が追い打ちを掛ける。
「──っあ、ああぁ……ッ!!」
 脳を揺らされ、衝撃のあまり身が傾ぐままに床を転がり跳ねたカッパーは、幾重にも続く苦痛にとうとう悲鳴をあげた。余裕など既に無く、常人ならば折れて動かなくなっていてもおかしくないような脚でそれでも体を支え、退かぬとばかり前へ。何故なら退路は今も塞がれていて、その理由であるケルベロス達は、未だ誰一人欠けてはいないから。ウィゼの投擲が彼女の歩を鈍らせて、反撃とばかり女が放った刃は少女の肌を斬ったけれど、瑶の術や螺旋の力、炸裂した意思の力の作用によって鈍り曇った刃物では、少女に膝を折らせる為には最低でもあと一度は傷をつけなくてはならない──そんな事を、ケルベロス達が許す筈も無いけれど。トライリゥトの鎖が獲物を取り巻くように音を鳴らし、鋭く弧を描いたそれが疲弊に喘いだカッパーの隙を突くよう斬撃を浴びせた。
 慎重に、丁寧に、危うい局面などはほぼ無いままに戦いを進めるケルベロス達とて、いつまでもは保たない事は解っている。だから元凶を排すべく、怯む事無く体を張る仲間達をこそ護るべく、彼らは決着を急ぐ。
「──おいで」
 戦場となったがゆえに荒れて、天井に据えられたそれを除いた照明のことごとくが壊された薄暗い室内に、紅い色が灯った。凛の喚び声に応じて出でた炎の蝶が、敵の視界を焦がして盛る。
「『炎彩』だなんてふざけんといて。アンタらのは『災』いやないの」
 紡ぐ敵意はきらきらと、焔と同じに熱を持ち輝いた。
「鎮める前に、焼き尽くしたる。その彩と一緒に、全部ぜんぶ燃えてしまい」
 踊る業火は、華蕾。咲き初めのそれは、檻にも似た。罰すべき女を取り巻き、血に濡れた髪を、肌を、唇が紡いだ呪詛の声すら、炙る。
「カッパーおねえ」
 死に瀕すシャイターンを見つめ、人にする時と同じように、敬意で以てそれを呼んだ少女は。
「さようならじゃの」
 ただ事実を告げる如く無垢な声で、静かな瞳で、死に行く女へ手向けを贈った。


「よっしゃあ、勝てたな!」
 訪れた静寂を破ったのはトライリゥトの快哉。疲労に乱れる吐息が緊張を緩め、遂げたと各々が知る。
「皆、お疲れ様だ」
 風を切り汚れを払った刀を、クーゼが鞘に納める。大事に至った者は居らず、一番の被害はといえば、荒れきったこの部屋だ。
 物の少ない室内ながら、形あるものの殆どが壊れ尽くして酷い有様だった。ただ、同様に割れたり焦げたり歪んだりした壁も床も、それから扉も、原形は留めていた。抑えられる被害は抑えきったと言える。ヒールを用いれば、修復もすぐに済むだろう。
「内装を替えるのは嫌がられるかもしれんのが困りものだが」
 室内を見回し降夜がごちる。少なくとも統一感はあった調度は、持ち主の拘りの結果だろうと、彼は家主の事情を慮った。
「窓くらいは修理してしまいたいなぁ。替えるにしても完了までの間、雨風に困るだろうし」
 とはいえ硝子を蹴り割った張本人の言はもっともで、彼らはひとまず空間を仕切る建材類へ、危険が無いようにと治癒を施した。
「彼は無事かしら。下手に動かず待っていてくれたらありがたいのだけど」
「ああ、そうじゃ。報せてやらねばのう」
 継ぎ接いだ窓からヒメは庭を見下ろす。扉の具合を確かめていたウィゼがそのまま廊下へと続く道を開けた。

 ついでに近隣の部屋の状況を確認しつつ、彼らは正規の玄関口から庭へ出た。件の男性は、夜の冷え込みゆえに蹲ってはいたものの外傷などは無く、無事は容易く確認出来た。
 幸いな事に、精神面も健常を保てていたようだ。が、その心根こそが少しばかり癖が強いために、数言の会話を経ただけで、凛の口がやや尖る事となった。悪気が無い事は判ったので、彼女も追及はしなかったけれど。
 男性は、命を救ったケルベロス達に礼をせねばと言った。が、金銭を支払えば良いのだろうといった態度が不遜だった。男性についてを彼らは予め聞き知ってはいたけれど、これでは、と改めて。グレッグが溜息を一つ吐いた。
「少なくとも俺は、俺のためにあの敵を追っていた。あんたが『無事』なら、それで良い」
 好かぬ人柄とはいえ、彼もまた護られるべき、日常に生きる『人』。言い捨てた声は冷たい色をしたけれど、それでも救うべき命を救えた喜びが、その奥には灯っていた。
「わたし達も、やり遂げられて嬉しいの。だから、喜ばせてくれたら嬉しいな」
 くすり、小さく笑んだプランが男性を屋内へと誘う。問題の室内を、一度彼に見て貰わねばならない事だし。

 そうしてまた少々揉めつつも、全ての後始末を無事に終えてのち。
 家を辞する段になりケルベロス達は、最後に一度男性を顧みて、別れを告げた。
 見送りは不要だと既に伝えていたために、これで最後という時。
「…………世話になった」
 震えて聞こえたのは、窓を揺らす風の音ゆえか、慣れぬ事だったためか。ケルベロス達の背に届いたのは、逡巡の末に勇気を振り絞ったような、つたないけれどもきっと彼にとっては精一杯の──感謝が込められた、男性自身の言葉だった。

作者:ヒサ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年5月23日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 9/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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