嘘憑きのキミ

作者:朱凪

●声の呼ぶ方へ
「ミクリさん、もう大丈夫っす?」
 ベーゼ・ベルレ(ツギハギ・e05609)は樽型ミミック・ミクリさんを見下ろして問う。
 ミクリさんはガッシャガッシャと鋭い牙を噛み合わせて応じる。大丈夫だ、と言っているようにも、何度目だ、と呆れているようにも見える。
 けれどその応えが返ることにベーゼは安心しつつ、道を往く。

「たすけて……!」

「……え」
 そこは長旅の途中。彼にとって土地勘のない道。
 声が聞こえたのは、その道の端、鬱蒼と茂る森の奥。
 駆け寄ったベーゼの目の前で、涙を浮かべる仔兎の少女が、胞子のような粘性の蔦に絡み付かれ、転んだ。
 その小さな身体が、そのままずるずると森の奥へと引きずり込まれていく……!
「待っ……!」
 彼の声に、少女が顔を上げ、夢中で彼に向って細い手を伸ばした。
「たすけ、て……いたい、いたいよぉ……!」
 ずるずる、ずるずる。
 暗がりの森の奥へと、少女は連れて行かれる。
 きっと攻性植物。それは判る。踏み出したはずの脚は想像以上に重い。見ればミクリさんがズボンの裾に噛み付いて、必死で身を震わせて──恐らく、首を振っていた。
 強くなってきたとは言えど、デウスエクスに対してひとりで立ち向かうのは無謀だ。
 でも。
「くまさん、くまさん、たすけてよぉ……!」
 涙声が、遠くなる。
 助けを呼んでいる時間は、ない。
 ベーゼはそっとミクリさんを撫でて──そして振り切り、森の奥へと駆け出した。

●嘘憑きのキミ
「ハガネ! ──Dear達も、集まってくれたんですね、ありがとうございます」
 ヘリポートに駆け付けた暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は、招集に応じてくれたケルベロス達の姿を見て、少しだけ表情を緩めた。
 ベーゼ・ベルレへ迫る危機の予知。
 襲われた少女を放っておけない、実に彼らしい行動。
「攻性植物が相手だよね。……早く行こ」
 ヘリオンのタラップに既に脚をかけて、ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)が言う。
 けれど、チロルは宵色の三白眼を翳らせた。
「……はい。敵は間違いなく、攻性植物です。……ですが」
「なに」
 語尾も上がらぬまま、歯切れの悪い彼の言葉にユノは僅かだけ眉を寄せて首を傾げる。
「兎の少女のことを、先に伝えてありますよね。……新たに判った事実がありまして。あの女の子……それ自体が、攻性植物なんです」
「……うそ」
「そう、『嘘』。『被害者の女の子』なんて、最初から居ない。声も、涙も、血すら流す、……『疑似餌』なんです。名は『うそつきヌップ』。既に何人もを食い殺しています」
 彼女を助けるべく駆け寄ったベーゼは、絡みついた蔦から引き剥がすことができず、そのまま己も締め上げられ、消化液によって食い殺される。
「じゃあ、助けようとした子を、ころさないといけないの」
「そう、なります」
 沈痛な面持ちでチロルが顔を伏せ、ユノは「……ひどい」ぽつりと声を零した。そして、がばっとその身体をヘリオンの中に飛び込ませる。
 それを思わず目を丸くして見つめたあと、集まったケルベロス達へとチロルも表情を引き締めて振り返った。
「……ええ。急ぎましょう。そして、彼の支えになってもらえると、幸いです」
 そして幻想帯びた拡声器を口許に添え、彼は言う。
「目的輸送地、嘘憑きの森、以上。……どうか、ご無事で」


参加者
アイン・オルキス(矜持と共に・e00841)
ダレン・カーティス(自堕落系刀剣士・e01435)
ジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
ベーゼ・ベルレ(ツギハギ・e05609)
ラランジャ・フロル(ビタミンチャージ・e05926)
ピリカ・コルテット(くれいじーおれんじ・e08106)

■リプレイ

●触れ合わぬ指先
「くまさんっ……!」
「っおれが……っ、今、たすけるから……!」
 周囲は薄暗く、脳裏で警鐘が鳴り響く。これ以上はいけない。判ってる。でも。
 諦める、なんて。
「ベーゼ!」
「!」
 木々を震わせるほどの声に咄嗟に振り向き──ベーゼ・ベルレ(ツギハギ・e05609)は己の表情が「み、皆ぁ……」緩むのを抑えられなかった。
 仲間達の姿と、跳ねるように追いついた、「ミクリさんも……」相棒の姿に。
 駆け寄る中にペリドットの瞳を見付け、彼は知る。
 ──見つけて、くれたんだ……チロルとハガネが……!
 だから、彼は涙を浮かべる兎の少女へと身を翻した。
 これでたすけられる、皆と一緒なら。
「きっときっと、キミを救うことが、」

 ゴゥッ!!
「きゃあああっ!」
「──え?」

 彼の顔の傍を巨大な螺旋手裏剣が過ぎて、少女を斬り裂いた。ひと息遅れて、風圧が彼の頬を薙ぐ。
 少女の肩から溢れ出る紅の意味が理解できずに居るうちに仲間達の足音が彼に追いつき、そして追い抜いて布陣した。ベーゼと、少女の間に。
 それはまるで、護られるかのような位置取り。
 護る? 誰を。違うよ皆、護らなきゃいけないのは──、
 ひょう、と流星の蹴撃が少女の身体を打ち抜く。
「ベーゼさん、聴いてください。あの子は、……いいえ。あれは、敵なんです」
 攻撃を与えた反動は優雅にスカートに弧を描かせ、乱れた息を整えることすら、静謐に。シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)の感情を纏わぬかのような灰の瞳が、華奢な肩越しに向けられる。
「そ、そうっすよ、攻性植物で、敵で、」
「違う。俺達が言ってるのは、あの兎そのもののことだ。……あの姿も、あの言葉も、全ては『そう見せてる』だけ。倒さなきゃならねえ相手なんだ」
 手に戻った手裏剣を振り血を払って、グレイン・シュリーフェン(森狼・e02868)も言葉を重ねる。
 「え? ……え?」その蒼穹色の瞳の翳りに戸惑い、視線を巡らせればジゼル・クラウン(ルチルクォーツ・e01651)の胡桃色の双眸が揺れることなく彼を見据え、中衛の仲間達を淡い翠が包む。
「いたい、いたいよぉ……どうして……っ?」
 少女の悲痛な声。更に巻き付くように延びた蔦が突如ケルベロス達へと襲い掛かる、のをアイン・オルキス(矜持と共に・e00841)の『V.R.B.S【OW】』の輝く刃が叩き斬った。
「あれは、私の護り救うべき存在ではない」
 温度を感じさせない言葉に一瞬、ベーゼの呼気が止まる。「ベーゼさん!」鮮やかな橙の髪を跳ねさせて、ラランジャ・フロル(ビタミンチャージ・e05926)が彼の腕を掴んだ。
「あんな見た目してるッスけど、それがあいつの狙いッス。こうやって助けを求めてくるのが疑似餌、目的は助けに来た人を食らうコト……」
 そこで一度、彼は息を呑む。そしてまっすぐ、ベーゼの瞳を見つめた。
「あいつは! ベーゼさんの優しさにつけ入って襲ってきたんス!」
「っ……!」
「人間そのままな疑似餌を創り出す敵だなんて、すごいよねっ! こんな子のピンチを見せつけられたら、思わず助けちゃって当然だよ~!」
 ラズベリー色の瞳を輝かせくるくると両手を広げて回りながら殺神ウィルスを振り撒いてピリカ・コルテット(くれいじーおれんじ・e08106)は普段通りの表情で笑う。「けど」。
「実際に被害が沢山出てるわけだし、やっぱりこの子は嘘つきなんだ……!」
「そーゆーコト」
 胸が悪くなる話だよなぁ、と。「いやぁああぁあっ!」目にも止まらぬ早撃ちで少女の身体に銃弾を見舞いダレン・カーティス(自堕落系刀剣士・e01435)は息を吐く。
「ワリィが、こんな度が過ぎる悪趣味を笑って流せるほど俺も大人じゃーないんでな。……ケジメはきっちりと付けて貰うぜ」
「い、たい、たすけて……くまさん……っ!」
 じゃあ、じゃあおれ達は。
 おれは。

「……あの子を、……ころさなくちゃ、ならないんすか?」

●痺れる手
 ぽっかりと空いてしまった欠落に、
「ああ。同じ偽モノでも、私と違って随分と心の機微に聡いようだ」
 響くジゼルの声は、いつも通り平坦で。「──小さき隣人たち、」喚んだ淡い光が仲間達へと更に降り注ぐ。戸惑うベーゼの服の裾を引いて、ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)はその顔を見上げた。
「困ったらいつでも、ちからになる。僕達は、仲間だから」
 「……!」かつて彼が彼女に伝えた言葉。「こんな言い方」と、紡ぐ続きは静かに。
「きみには、重荷でしかないって、判ってるけど。でも、言わせて。……きみの苦しさを、僕らにも、背負わせて」
 彼らの姿を気遣わし気に見遣って、けれどグレインは星辰の剣を振り下ろす。同時に迸る降魔の一撃が、仔兎の少女へと喰らいつく。
「せめて。その姿で命を奪うような真似、これで終わりにさせてもらうぜ」
「きゃあぁあっ! ど、うして……どうして……っ?」
「グレインっ……!」
「ベーゼさん落ち着いてくださいッス!」
 甲高い悲鳴にベーゼの大きな体躯が勝手に動く、それをラランジャが必死で押し留めた。
「逆に言えば! 今目の前には、痛い目に遭ってるコはいねぇんスよ!」
「……っ!」
 ぎ、と奥歯が鳴る。仲間達の言葉は判る、解る、でも、呑み込みたくない。相反する思考が心臓を叩いて呼吸を乱す。
 護らなくちゃ。誰を? 止めなくちゃ! なにを?
 みんなみんな、……わかってるのに!
「くまさん……っ、とめて、そのひとたちをとめてよぉ……いたい……いたいよぉ……っ、くまさんは、つよいでしょ……っ?」
「お、おれ、」
「──喧しい。少し黙っていなさい」
 蔦に搦め取られた少女がしくしくと泣くのに、銃弾の雨がリボルバーからガドリングからそして腰に備えた移動砲台から容赦なく降り注ぐ。Jackpot!──オオアタリ!
「────ッ!!」
「……わたしがわたしで在るために」
 ふぅ、と硝煙の燻る銃口を吹くシィラの冴えた瞳が、白いドレスに数多の穴を開けた少女を流し見る。ニセモノ、がらくた、空虚な声。それらが己の過去に重なり、振れ幅の少ないはずの彼女のココロを揺さぶる。
 しかし、銃を降ろすわけにはいかない。
 ──それがわたしの責務だから。
 かたかたと小さく震える指先には、気付かないふりをして。

 浮き上がった胞子が、少女と蔦を包み込む。けほけほと苦し気に咳き込む姿に「ったく、本当によく出来てやがるぜ」グレインの右目の下に皺が刻まれる。
「熱いの行くッスよ!」
 地獄の業火を纏った身の丈ほどの鉄塊剣を叩き付ける、狙う先は地に根を張る蔦──だがスナイパーのポジションに居ない彼の狙いは定まらず「いやああっ!」仔兎を巻き込んだ。
「んん、やっぱ本体だけ狙うってのは難しいッスね」
 流れる血も、響く悲鳴も、すべて嘘だと判っている以上、ラランジャは怯まない。
 それよりもなによりも彼の身に宿る地獄の炎が、彼を突き動かす。
「俺、怒ってるんスよ! 人の優しさにつけ込んで自分だけが利益を得ようなんて、なんの詐欺ッスか!」
「あァ……一体、何人をそうやって食って来やがったんだ?」
 瞬足で詰めた間合い、業火を引き裂きダレンの雷電帯びた剣先が仔兎のドレスを衝く。
 優しさが踏みにじられる、そんなことが認められて良いわけがない。
 彼らを後押しするように桜色の翼を羽ばたいて、ブレスを見舞うプリムの巻き起こす風の中、こっくりとアインとジゼルも肯く。
「一度でも敵として相対するならば、オルキスは容赦しない。例えそれが少女の姿であろうとも。非情であろうとも。駆けろ……オーキスッ!」
「然り。同じ偽モノなら、容赦をする必要もないさ」
 雷の馬に跨って蹂躙する──鎧装機馬オーキスの、蹄の痕に残る雷撃を集めるかのように突き立てた『Spiritamber』から迸る轟雷が鮮烈に場を灼いた。
 弾ける残滓に「、ぁ……っ」少女の小柄な体躯が痙攣して、その口からはごふっと鮮血が溢れ出す。
「どうして……? ひどい、ひどいよぉ……いたい、いたい……どうしてこんなこと、するの……? ひどいよ……いたいよぉ……っ」
「、」
 じくりと。
 疼く胸のまんなかに少し掌を当てて軽く首を傾げ、ジゼルはくしゃくしゃと顔を歪める、チョコレート色の毛並の彼をそっと窺う。砂の廃墟でからっぽだったココに『答』を得た。あの時の仲間達の言葉を、彼女はもちろん、今も憶えている。
 なりたい自分を叫べば、いつかほんとうになるかもしれない。
 ──そう諭してくれた彼にも、なりたい自分があるのだろうか。
 身を呈して仲間を庇う彼の傷は、決して浅くない。その冬の曇り空色の双眸には未だ迷いが過るけれど。
 ──私が知るケルベロスの中で、彼以上に優しく勇敢な者もいないというのに。

「人間ぶりっ子がお上手だこと。ご褒美に鉛玉をあげましょう」
「いや……っもう、もう……やめて……!」
 舞い踊るようにしなやかに銃口を向けたシィラの台詞に、大きな瞳から涙を零し血だまりの中に蹲った仔兎の悲痛な声が胸を穿ち、哀願の視線がダレンの脚を瞬時鈍らせる。
 ──ったく……的確に人間の良心ってヤツに訴えて来やがるぜ……。
「おねがい……こわい、こわいよぉ……!」
 ふわふわの柔らかな髪。華奢な腕がしゃくりあげる頬を擦る仕種に、真綿で喉を締め付けられるような息苦しさが募る──けれど!
 ギリッ、と奥歯を食い縛り、ダレンは笑う。不敵を、装って。
「見てくれだけに惑わされるほど、ガキでもないんでなっ!」
 一閃。綺羅を纏うその刃の軌跡は、迷いをすらも断ち切るように。それは己のために。
 そして昏い道に立ち竦む、仲間のために。
「そうだ。貴様の蛮行を許すとでも? 一時の情で見逃すなど、あってなるものか」
 シィラの冷気纏う銃撃と、アインのが鋼竜の鉄槌が更に少女を追い討つ。みしり、と嫌な音を立てて地面を跳ねるように転がった少女の細い体躯。白いドレスを泥にまみれさせて、それでも仔兎は震える手をピリカへと恐る恐る伸ばした。
「た、すけ、て……」
 常になく眉を寄せて、ピリカも胸の前でそっと拳を握る。
 ピリカはかわいいものが大好きだ。ヌップのような子とはすぐに仲良くなりたがったことだろう、……普段の彼女なら。
 ──泣いたり苦しんだりしてる子を攻め立てるのは、やるせないよ……でも!
「その涙も命乞いも、私達を騙そうとする攻撃なんだよねっ? だったら、遠慮も手加減もいりません! 優しい人を食べちゃう悪い子には、ケルベロスがおしおきですよっ!!」
 ──わかってる。
 ──わかってる!
 ──わかってるんだ、頭では!
「……っ!!」
 視界が潤むのを気の所為だと誤魔化すことすら、できないまま。
「ッごめん……!」
 突き出した毛むくじゃらの手が少女の小さな身体を打ち飛ばす。蔦が巻いたまま、胞子を散らして少女の身体が転がって、ベーゼは勢いのまま膝をついてきつくきつく瞼を伏せた。
 ──『ほんとうのキミ』だって、たすけてって泣いたハズなのに!
「今度こそ届くって、間に合ったって、おもったのに……っ!」
 大きな掌が、土塊を掴んで潰す。その手に残るのは、幼い仔兎の柔い肌、細い骨の感触。震えるその背に、攻撃を加えた彼自身の方こそ血反吐を吐くかのように告げた台詞に、過去の記憶が脳裏に閃き、思わずグレインはチョーカーへと指を添えた。
 延ばした手が、届かなかった。
 その痛みは……知っている。くるしいほどに。
 けれど。
 だからこそ。
 グレインは「ベーゼ、」首を振る。
「ここに、傷付く『誰か』は居ねぇんだ。だけどあんたが迷うなら、最期は請け負うぜ」
 彼にとって護り通したいのは、今この場においては仲間に他ならないから。
「……これ以上、奪わせねえ。……コイツの、ためにもな」
 一瞥をくれるのは、満身創痍で恐怖に瞳を震わせる仔兎。
「そうだ。倒さねば犠牲は増えるのは目に見えて明らかであろう」
 はっきりと言い切ったアインの言葉が、ベーゼを打つ。けれどまだ、顔は上げられない。
 その傍に、ピリカがそっとしゃがみ込む。
 ──頭では敵だと判っていても、愛情の対象が苦しみ息絶える姿なんて……。
 シィラとラランジャ、そしてダレンの視線も彼へと注がれる中。ざり、と彼の傍に一歩を踏み出し、ぴん、とジゼルがカプセルを弾いてみせる──それは、殺神ウィルス。
「敵は合理的で、鋭敏で、……そして狡猾だった。それだけの事だ」
 キミが悔やむ必要はない。そう紡がれた言葉に咄嗟に顔を上げた彼の目に飛び込んできたのは、ずらりと並んだ牙。
「みみみミクリさんっ?!」
 飛び跳ねるように飛び退った彼の鼻先で、ガチン! と打ち合わされた牙が鳴る。容赦のないその音は聴き慣れた、
 ──……ああ、臆病者、だって。
 相棒の伝えんとすることを知るともなく理解して、そして「ジゼル、」彼は笑う。
 それは泣きそうな、きっと情けないカオだったけど。
 自分の臆病さを、仲間に尻拭いしてもらうなんて、もっと情けないから。
 彼の決意を知ってジゼルはカプセルを握り潰し、瞼を伏せて下がる。
 覚束ない足取りでベーゼが向かうのは、うそつきなキミの許。ぼろぼろになった耳は垂れて、恐れと悲しみを浮かべる仔兎の少女。
「くまさん……ねえ、やだよくまさん、おねがい、たすけて……たすけてよぉ……っ」
 血と涙と泥で汚れた顔をくしゃくしゃにする少女の頬を、毛むくじゃらの掌がそっと拭う。そして額に添えた掌から伝えるのは、21グラムの弱さ。
 それは、最後の祈りであり、最期の願い。
 癒すべきものには気力を与え、そうでないものからは奪う、──いのちの重さ。
「く、──……」
 すぅっ、と眠るように崩れ落ちた少女は、きっとほんの僅かだけ、軽くて。

「……ごめん……おれ、……たすけるって、言ったのに」

 消え入るように告げた彼には断末魔の瞳が宿っていて。
 けれど、なにも映し出されはしなかった。
 そこに『被害者』は、存在しなかったのだから。

●あたたかな掌
「……終ったな」
 少しの、沈黙のあと。
 アインがぽつりと告げたのを区切りに、ベーゼは集まったケルベロス達に深く深く、頭を垂れた。
「みんな、本当にありがとうっすぅ」
 一緒に止めてくれて。
 立ち向かってくれて。
「えへへっ! ねっねっ、ヌップちゃんももう苦しまなくていいですよねっ! ……あっ、あれっ?」
 つらいのはきっと、彼の方だからと。いつも通りにみんなに元気をプレゼント! しようとしたピリカの視界が潤んで、思わず彼女はぐしぐしと擦った。
「へ、へんですね!」
 そんな彼女にハンカチを差し出すシィラの傍で、ラランジャも「ベーゼさんは優しいッスね」気を抜けば歪みそうになる口許を引き結ぶ。彼の優しさと、敵の手口の卑劣さに、いろんな思いが渦巻いて溢れ出してしまいそうで。
「ベーゼさんはなにも、ほんとなにも、悪くねぇんス。疑似餌になってたコは、いなかったんスから」
「まあそれに、……これは仮に、の話だが」
 彼の言葉を継ぐように、グレインも穏やかに告げる。
「もしあの姿が誰かを模した姿だったとしたら、……そいつは救われたんじゃねえか」
「……っ」
 それは消せない可能性。そして真相はもう二度と、解りはしない。
 ぽん、とダレンがベーゼの背を軽く叩いて、ひらり手を振る。
「苦々しい戦いだったが意義はあるさ。少なくとも、もう誰も騙されねぇ」
 ……それで充分さ。そう告げた彼の言葉も、間違いのない真実だ。

 めいめいに散る帰り道。がっちゃがっちゃと歩くミクリさんの後ろを歩きながら、ベーゼは「……ユノ、」隣の姿にぽつりと零した。
 向けられたまっすぐなペリドットに、へらり、笑う。
「おれ、カッコ悪いっすね。いつまでも……弱っちいまんまだ」
「……、」
 脚を止めた彼を振り返り、ユノはそっといつかのようにその目尻に手を伸ばそうとして、──そこに落ちた、熱い雫に。
「……僕が止めるなんて、……偉そうに、言ったのに」
 ゆるりと手を引っ込め俯いて、ぽふ、と彼にしがみつく。「ゆ、ユノ?」少し驚き慌てた彼は、その肩が小さく震えていることに更に目を丸くした。
「……僕ら、うそつきだね……っ」
 震える声音で告げて顔を上げた少女は、ぼろぼろと大粒の涙を零して。
「ごめんね、ベーゼ。それでもね。……僕は、こうして誰かをたすけようって、動くきみがいい。きみが傷付いてるのに、ひどいよね。でも、だって」
 僕は、きみに助けられたから。
「……ユノ」
「ベーゼ」
 向けられた胡桃色の瞳の奥に光る琥珀を宿す娘が言う。
「私も同じだ。あの時、キミやグレイン、ユノ達がいなければ私は此処にいなかったろう。そして今日も、キミは『いつか』の『誰か』を救ったのかもしれない」
 ──それはとても、誇らしいことだと、私は思う。
 その言葉は真摯に、じんわりとキズだらけになったココロにも染み入るように。
「うぅうううっ」
 彼は込み上げるあたたかいものが溢れ出してしまわないように懸命に瞬きを繰り返して。
 そして、いつものようにへにゃりと笑った。
「おれは、まだまだ弱っちいまんまだけど、……でも」

 でもまだ、……歩いていくよ。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年7月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 5
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