藤のともしび

作者:東間

●静かな目覚め
 青々とした葉が茂るその下、複雑に入り組んだ枝の更に奥。地面すれすれの所で枝に引っかかっていたポラロイドカメラは、元の色を薄れさせるほど砂埃と蜘蛛の巣にまみれていた。
 誰か気付いたなら、哀れに思って拾い上げたかもしれない。
 しかし、ポラロイドカメラに近付いたのは蜘蛛に似た小型ダモクレスのみだった。
 心を持たない存在は、中に潜り込んですぐその体を作り変えていく。
 汚れていた表面は急速な変化と共に真新しい黒へ。
 両手で掴めていたサイズは、変形しながらぐぐんと縦に長く。
 全てが終われば、ポラロイドカメラがあった茂みはめちゃくちゃに吹っ飛んでいて、そこが神社の敷地内だからなのか、和風なシルエットが生まれていた。
『──……』
 ソレは暫し無言のまま突っ立った後──カシャッ、と音をさせた。

●藤のともしび
 茂みの奥深く、砂埃と蜘蛛の巣だらけだったポラロイドカメラが、ダモクレスに。
 誰かが落としてしまったのか、それとも心ない人がそこへ放っていったのか──クィル・リカ(星願・e00189)は僅かに目を伏せるが、すぐに顔を上げた。
「被害はまだ出ていないんですよね?」
「ああ。今から向かえば、生まれたてのダモクレスが最初に出会うのは君達になる」
 ケルベロス達なら、誰かが傷付けられる前に止められる。
 ラシード・ファルカ(赫月のヘリオライダー・en0118)は集まった面々に信頼を見せながら情報を伝え始めた。
 真っ黒な姿形は純和風。舞台に現れ、見えてはいるが『居ない』という扱いがお約束の黒衣に似ているという。大きなレンズが目で、真一文字の写真排出部分が口だろうか。
 攻撃は、真っ黒な腕から取り出したギザギザ刃による斬撃、心臓部からの光線、体中に隠した鋼色のミサイルの3種。回避と命中を得意としているようだが、対策をとって挑めば手こずる相手ではなさそうだ。
「それと、戦闘中、やたらとシャッターを切ってくるんだ」
「え? 撮影されるんですか?」
「そう」
「ポラロイドカメラだったからかしら?」
 不思議ね、と目を瞬かせた花房・光(戦花・en0150)に、クィルはこくんと頷き返す。
 敵は、カシャッとシャッターを切っては写真をシュッと吐き出すらしい。
 嫌でなければ撮られるままにして、戦いながら器用に、もしくは戦闘終了後に写真を回収すれば──と笑って言ったラシードが人差し指を立てた。
「大事な話はもう1つ。ダモクレスが現れる神社には一般開放されている庭園があるんだけど、そこの藤が今、見頃を迎えているんだ」
 幅も長さも『広々』の2文字が似合う藤棚、そこで長く垂れ咲く藤の真下には床机台があり、頭上に広がる藤色の世界を存分に楽しむ事が出来る。
 向かいにある池もなかなかの広さで、中央には樹齢ウン百年という立派な樹が。そこでも藤は優美に──そして逞しく咲いていて、樹全体に絡み付いて咲く様は瀑布のよう。その姿は水面に映り、それもまた美しいのだとか。
 まだ見ぬ光景にクィルは瞳を輝かせた。
 桜の後、今の季節を存分に彩る藤の花は、訪れた人々の心にその色を灯すのだろう。
 ──なればこそ。
「止めないといけませんね」
 藤色の灯りが絶やされないように。誰かのポラロイドカメラだった『瞳』の捉えるものが、無辜の人々が流す赤にならないように。


参加者
クィル・リカ(星願・e00189)
北郷・千鶴(刀花・e00564)
エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)
エリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)
ロストーク・ヴィスナー(春酔い・e02023)
サイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)
ヴィルベル・ルイーネ(綴りて候・e21840)

■リプレイ

●在ってはならないいのち
 ポラロイドカメラ。シャッターを切れば、その場で撮ったものがすぐ『写真』となって見られるアイテム。聞いた事はあれど普段見る事はない、珍しいもの。
「……壊してしまうの、勿体ないです」
 でも。
 クィル・リカ(星願・e00189)は砂利でいっぱいのそこを滑るように駆け、跳んだ。
「人を傷付けるもののままにしておけませんね」
 炎纏った蹴撃は嵐のような勢いで機械兵を撃ち、数メートル後退させる。
 直後、体勢を整えようとしたその体を北郷・千鶴(刀花・e00564)は空間ごと斬った。墨の如き黒髪が、翼猫・鈴の起こした清風でふわり揺れる。
 そこに在る事すら知られず、ただ色褪せるばかりの日々を過ごしていたポラロイドカメラ。新しい生を得た結果、平穏を写すのではなく乱す存在へと成り果てたのならば──。
「心苦しさはあれど、此処で止めましょう」
 仲間達の言葉にヴィルベル・ルイーネ(綴りて候・e21840)は頷き、2人の仲間が貼り巡らせていくテープを捉えつつ、護りの雷壁を編み上げた。
「ある意味この国らしい敵だよね。なんだっけ? 付喪神? 捨てられて怒った祟り神の方かな?」
 和風な姿形、その生まれ。
 小型ダモクレスが絡んでいなければ、畏敬をもっていざ鎮めん──となる所だが。
『……』
 体のあちこちを『開け』て放ってきたのは、祟りには程遠いミサイル群。
 間に割り込んだロストーク・ヴィスナー(春酔い・e02023)は、衝撃で僅かに緩んだ白手袋をきっちりはめ直し、エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)と笑みを交わす。グリツィーニヤ──陽を透かした藤は、確かにともしびのようだろう。
「せっかくの春の色だ、散らさずに守りたいな」
「だな!」
 エリオットは一瞬で見抜いた箇所へと激しい一撃を見舞った。続いた圧を纏う星の蹴撃は寸前の所で躱されるが、箱竜・プラーミァのブレスが真っ黒な体を呑み──カシャッ。
『! !!』
「まあ」
 プラーミァが見せた迫力あるキメ顔に、花房・光(戦花・en0150)が感心した様子のまま、機械兵の傷へと刀を突き刺す。と同時に『口』からシャッと飛び出した1枚が宙を舞い、
「っと」
 ラウル・フェルディナンド(缺星・e01243)の手が、ぱしりと捕まえた。ラウルは後で渡すと箱竜の主に笑み、共に戦線へ加わったサイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)は、半眼で機械兵を見る。
「このカメラ野郎、既視感あんだよなあ……やたら撮影するとこが、何か」
(「……カメラ好きの知り合いが、いるのかな?」)
 エリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)はパチリと瞬きし──足下の影から無数の蝶を生んだ。針を持った蝶の群れは針雨の如く。機械兵の細い足に、パキリと亀裂が走った。

●撮って撮られる、そのせつな
 光る水が華になり、氷る一筋が鉄の体を貫いた瞬間、きらきら毀れ落ちた狂弾の驟雨が機械の四肢を穿つ。
『──!』
 大きな目に映った姿に予感を覚え、クィルとラウルは表情を変えた。連続して聞こえたシャッター音の後に放出された写真を咄嗟に掴めば、写し足りないのなら心行くまで撮ればいいと雄弁に語る笑みと、撮られる心構えの成果たる、キリリと煌めく星空のような双眸が浮かび上がる。
「んん……写真を撮るのは好きなのですけど、撮られるのはあまり慣れませんね……」
 けれどこれは良く撮れている。せっかくですし、記念ですしと、無くさないよう懐へ仕舞い込めば、
「次はルネッタも一緒に格好良く頼むぜ?」
 同じく仕舞ったラウルの前方、翼猫・ルネッタがミモザのリング纏う尾をぴん、と立て癒しの風で後衛を包み込んだ。
 それと入れ替わるようにサイガはオウガ粒子を解き放ち、前衛陣の感覚を一気に高めていく。同時に痺れをかき消す煌めきの中、千鶴は手にした愛刀で地面を穿った。
「剣と成りて、斬り祓い給へ」
 涼やかな声で力を紡げば、それは機械兵を足下から斬り裂く菖蒲の群れへ。鈴の爪もきらりと閃き、1人と1匹が見舞った清く鋭い一撃は機械兵に反撃の機会を与えない。
「行くぜエリヤ、ローシャ!」
「うん、にいさん……!」
「プラーミァもおいで。ねえ君、次は受けてもらうよ」
 光が稲妻奔る突きを見舞った直後、食らい付いたオーラの弾丸がバキリと破片を散らし、愛らしい小動物の魔力弾が亀裂を深めていく。空高くから落とした氷河の斧は狙い通り機械兵の頭を撃ち、駐車場に沈んだ黒い体を、箱に飛び込んだプラーミァが更に沈めていった。
『──!』
 その体がバネのように跳び上がる。宙でぐるんと一回転した機会兵の上腕がパカリと開き、取り出されたのは殺る気に満ちた一降りの刃。シュタッと着地するその刹那、カシャシャと音がして。
「さてどんな写真が納まっているのやら。ふーん、こういう感じか」
 舞い降りた1枚を掴んだエリオットが見たのは、写真の中にいる自分が浮かべる僅かな笑み。プラーミァがサッとくわえた1枚──ニッコリピースと普段通りの微笑は、ロストークとエリヤの元へ。
「目眩まし、でもなさそうだね」
 本当に撮影するだけとは。ダモクレスとなっても変わらない性質にヴィルベルは頷き、再び癒しと加護をもたらす雷壁を編んだ。エリヤは雷壁に囲まれながら写真を仕舞い、改めて敵を見る。
「楽しい写真、もっと撮りたかったのかな?」
「かもしれないね」
 アスファルトを蹴った機械兵の刃と鈴の爪が激突する。その間もシャッターの音は響いていて、火花が散った直後、翠の目は大きな『目』と視線を交えるとにこり笑った。
「じゃあピースでもしてあげよう。ぴーすぴーす」

●終わりのとき
 ──そういえば。ある意味これは、『彼』の遺作になる。
「大切にするから格好良く撮ってよね」
 瞬間、待ってましたと言わんばかりのシャッター音が1回。
 『口』から写真が飛び出したのを見てから、クィルは脚に流星を纏って跳んだ。機械兵の真上から叩き込んだ星の蹴撃は、砲弾のような威力で黒い脚の自由を削ぐ。
 ふらり立ち上がった細い体を、今度は振り上げられた鋼鬼の拳が殴り飛ばした。
 寸前、刻まれたシャッター音。
 飛び出した1枚の紙。
 拳の主であるサイガは『おぉ』と目で追い、キャッチしてすぐに後ろへと跳ぶ。光が空帯びた斬撃を見舞う中、着地と同時にぴらりひっくり返すと嬉しげに口の端を上げた。
「ふぅん? 中々分かってんじゃん」
 迫り来るが故にぼやけていた拳と、その向こうから撮り手を射抜く不敵な瞳。臨場感にも溢れていて悪くない。その視界に地獄の炎が映る。
「黒炎の地獄鳥よ、我が敵を穿て!」
 エリオットが地面を蹴った瞬間、解き放たれた炎の怪鳥は一瞬で機械兵の全身を穿ち、軌跡すら見せない羽ばたきの後、エリヤの生み出した影蝶達が一塊となって舞い注ぐ。
『──! ──!』
 呑まれていく機械兵に声はなく、シャッター音が幾度も刻まれていた。
 その都度駐車場に舞う写真は戦闘中ならではの一瞬やその瞬間に応えた表情、敢えての自然体であったりと様々だが、命のやりとりをしているのでなければ、もっと色んな表情や風景が切り取られたのだろう。
 ここにある庭園で咲き誇る藤の花言葉の1つは、歓迎。
 しかしあれは──あの存在は、決して歓迎される事のない招かれざる客だ。
「斯様な目覚めは、あってはならぬ事。どうかゆっくり、お休みなさい」
 千鶴の握る刀がバチッと雷を帯び、白と桃の珠連なる鈴のリングが宙を翔る。
「どうか次の生では、そのレンズに平穏を焼き付けられますよう」
 一瞬で見舞った突きとリングの強打に機械兵が僅かに動きを止め──カシャリ。飛び出した1枚へ咄嗟に手を伸ばせば、そこには翼を広げて舞う鈴の姿があり、千鶴の瞳が一瞬だけ和らいだ。
『……!』
 撮り続ける間も一撃を食らわせようと動くその胸に、輝きが集束していく。
「光線か!」
 ラウルが声を上げた瞬間に放たれた一撃は目映く、熱い。けれどそれから仲間を守ったロストークの微笑は、決して崩れなかった。
「折角の春だよ、そろそろ眠らないと」
 頼もしい姿にラウルは一瞬平時の微笑を浮かべ、それを鋭い笑みに変えてすぐ機械兵に迫る。止めようと突き出された両手を弾き飛ばして、とん、と拳の先をみぞおちに当てた。
「ほら。今なんかシャッターチャンスだぜ?」
 格好良くな。そう言って中心を貫く一撃を叩き込めば、それに同意するような声が『ニャア』と清らかな風。一瞬遅れて聞こえたシャッター音の後、空を舞った1枚をサイガが掴んで──笑った。
「あっは、さっすがヒーロー」
 写真越しでもわかる程の激しい一撃は、戦闘後に。
 刹那生まれた黒薔薇が機械兵の全身に絡み付く。ヴィルベルが喚んだ黒薔薇は、有無を言わさぬ勢いで機械兵を締め付けていき、その機を捉えたロストークが両肩を機転としたX字の斬撃を刻みつけた。
 藻掻く体から、ギイギイと音がする。それは声を持たぬ機械兵が上げる悲鳴のようだったが、クィルは伏せかけた目に悲哀を滲ませ、かすかに微笑む。
「あなたの『目』が、誰かを傷付けないうちに」
 おやすみなさい。
 静かに、水華が咲いた。

●藤色ともれば
 春の空気はエリヤの表情をふわふわさせ、頭上の藤棚に視線はやや上向き固定のまま。
「おいエリヤ」
「なに、にいさん?」
 藤色の下に咲いた振り向き笑顔は、エリオットの持つデジタルカメラにパシャリ。そんなエリオットの表情は、藤色の滝に見惚れていたロストークの目にきらりと留まって。
「ローシャ、エーリャ!」
「ん?」
「え?」
 撮り手が違えば写真も違うが、浮かぶ表情の柔らかさ温かさは、撮り手が撮り手だからこその良い笑顔。今度は3人で一緒に写ったの見てみたいというエリヤの声に、エリオットはカメラと一緒に用意していた自撮り棒を取り出す。
「こうか?」
「2人とも、ほらもっと」
「わぁ」
 ロストークが2人をぎゅっと抱き寄せる。
 画面の中に映るのは、豪壮な藤の滝と──心底嬉しそうな笑顔が3つ。

「どうよ? かっこよーく戦う俺ってのはキソコレにも無いんじゃねえの」
 サイガは1枚の写真を顔の横に翳してみせ、戦闘中を思い出してくつり笑う。
「アレと兄弟にすんなし。ていうかこれズルイぞ、職権乱用だ!」
 口を尖らせていたキソラは思わず文句を──待て、これではあまり遠いとも言えないのでは?
 そんな賑やかな空気を頭上でさざめく藤がそっと撫で、変えていく。キソラの微妙顔を晴らした藤は海のようで、波を逆さに見る心地。色と房になって咲く様は、サイガにとっては眠気もたらす布団が如く。
「おっマジでベッドある」
「床机台な、ベッドじゃねぇぞ」
 触発されてかのポラロイドカメラを手にキソラは釘を刺し、写しては出し、の操作に暫し夢中になった後、ふと周りに目を向け──カシャッ。無言で交わった視線。浮かぶにんまり笑い。
「ふふん、こんなトコはデウスサンには撮れへんし? さあまだ撮るぞ」
「っざけんな男前に撮り直せや」
 ひらり揺れる紙片に浮かぶのは、あのデウスエクスには逆立ちしても撮れまいという大欠伸、キソラだからこそ撮れた瞬間。
 藤の天蓋の下、シャッター音は互いの満足がいくまで繰り返され──褪せぬ輝き浮かべた四角い世界が、1つ2つと増えていく。

 陽光を受けた色は透けるように輝いて、重なった房同士が優美な色をより深くする。花も陽射しも零す藤棚に風が吹けば、頭上で催される舞いはゆらゆら愛らしい。
「綺麗だ」
「ああ」
 ただただ魅入られる藤色の散歩道。疲れを彼方へやったヴィルベルが零した言葉に、ナディアは短く同意を示しながらスマホのレンズを真上に向ける。床机台に寝転んでずっと眺めるという贅沢に惹かれるが、人目がある以上は我慢の2文字。
 藤の天蓋を映したレンズが次に映したのは、緑を彩る藤の流れ。美しく鮮やかな様を瞳とレンズに焼き付ける隣、ヴィルベルもまた大瀑布を瞳に映し、記憶に刻みつけた。見頃を過ぎればこの水鏡は藤色の花片に染まるだろう。
「散り際も美しくありたいね」
 あのカメラのように最期まで己らしく在る。何気なく呟いたそれに、そうだなぁと軽い調子の相槌が返った。
 華麗な生き様を成すのは容易ではないと知っていても、いずれ訪れる『必ず』を思うと、心は願うものだ。
「──そう在れたら、素敵だな」
「本当にね」
 瞳に藤が映る。心が、紫へと浸ってゆく。

「この樹は何百年生きてるんだろう。いずれ、この藤が先に枯れちまうのかなあ」
 絡み合い、寄り添う色濃い緑と楚々とした藤色。命の力強さ感じさせる光景に、シズネはぽつり。静かに零れた言葉にラウルは柔く笑み、隣から水面を清らに染める色へと目を向ける。
「……たとえ藤が朽ちても、老樹に逢いに春に命芽吹くよ。何度も、何度だって」
「そっか。それならきっと、樹だって藤に逢うために長生きしてるんだろうな」
 春に出逢い、別れ、次の春にまた緑が芽吹き藤色が零れる。何百年も前から共に在るのだろう、強くて優しい彩が心に燈った。
「ねえ、シズネ」
 春の優しさを、歓びを心に咲かせてくれる此の花のように、君を幸う彩になれたら嬉しいと。シズネがくれる温もり、紡ぐ言葉ひとつひとつ全てが、ラウルに柔らかな光を燈す命の色だ。
 優しく細められた薄縹色に橙の目は僅かに驚きを見せ、表情を綻ばす。
 笑うともっと見たい、と思って。触れると、離したくなくて。
 その度に心に幸せの花を咲かしてくれる存在はとっくにもう、彼が望む彩になっている。
「なあ、ラウル」
 互いの色を心に燈す2人の向こう、緑と藤が、風にそよいだ。

 藤棚を通って降る陽光。時折流れるそよ風。
 隣には大切な人。仲良く喉を鳴らして羽を伸ばすリンと絹。
 一面に広がるのは、幸いを謳う藤色。
「この春もこうして――揃って花の彩りを楽しむ事が叶い、嬉しゅう御座います」
 自然と表情緩めた千鶴の言葉に、眼差しに、雪もいつも以上に幸せそうな笑みをふんわり咲かす。
「ええ、私も――今年もまた皆で揃って花を愛でる一時を得られ、この上なく幸せです」
 藤色の花が持つ言葉の解釈は多々あるが、2人の気持ちはぴたりと同じ。
 願わくは、この先も末永く共に在れますように。
 その想いは、幸いを焼き付ける2人の頭上で揺れる藤色のように、これからもきっと──永遠に。

 初めて2人一緒に藤を見た時、次の年も、その次の年も共に見たいと願った。
 そして今、その通りになっている。
「ね、ジエロ。3年目……ですね。一緒に藤を見に行くの」
「3年目、だねえ。またこうして君と来られて良かったよ」
 手を繋いで行く庭園は陽を浴びて輝く藤色で満ち、初めて見た時と同じ願いが花言葉と共に生まれていく。そんなクィルとジエロの視線を、水面一面にその色を映す藤色が奪った。
「綺麗だねえ。ずっと見ていてくなってしまうな……」
「すごいね、水まで藤色に染まって、咲き誇っているみたい」
 1年目、2年目、3年目。それから。
 クィルは寄り添い、繋ぐ手にきゅっと力を篭める。
 白い手から伝わった力と同じだけ、ジエロも想いを篭めて返した。
 何度見ても。
 何年目であろうとも。
 共に見る藤色はきっと、色褪せない。

作者:東間 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年5月6日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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