さよならの代わりに

作者:秋月諒

●梔子堂
 八重咲きの梔子には実はならぬという。それでも美しいでしょう、と笑っていたのが女の主であった。一重であれば実が残り、何かと使えるというのに白く美しい八重の花を好んだ。ダンスのお誘いとして受け取るのが夢なのだと笑った。無邪気な主は無邪気なままでいられぬのを知っていた方でありーー母となりこの世を去った。
「お屋敷を譲り受けて何か商売をしろと言ったところで、商売の才能が私にあったかどうかも分からぬでしょうに」
 ため息は風に揺れる。甘い風だ。
 今年も、この地の梔子は早くに咲いたらしい。店にも甘い香りが遊びに来る頃だろう。屋敷の一角を貰い受けた文具店は手紙を主に取り扱う。さよならの代わりにと、受け取った便箋で思い立ったものだ。嫁入りを見送る己よりは幼かったというのに、随分と大人びた言葉であった。
「さて、そろそろ新しい便箋もいれるべきかな」
 春が来る。気の早い梔子も咲いているのだ。花柄も良いだろう。小さな庭に水をやり、店へと戻る店主の後ろ。お屋敷にあった忘れられた倉庫の中で、一つの変化が起きていた。
「ガ、ガガ」
 小型のダモクレスにより、機械的なヒールの施された芝刈り機がギュイン、とその刃を回しだす。古びた倉庫の扉を壊し、機械的なヒールによって作り変えられた芝刈り機型ダモクレスは繋がる先を無くしたコンセントを振り回しながらーー叫んだ。
「バッサーイ!」

●さよならの代わりに
「……まず、芝刈り機は伐採じゃないような気がするんですが」
「レイリちゃん気になるのそこかー」
「ですよ。気になります」
 こほん、とひとつ咳をして、レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)は集まったケルベロスたちを見た。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます。関東にて、放置されたままになっていた古い芝刈り機がダモクレスになる事件が発生することが分かりました」
 幸いにも、まだ被害は出ていないがダモクレスを放置すれば、グラビティ・チェインを得るべく街中へと向かっていってしまうだろう。その先にあるのは明確な虐殺だ。
「現場に向かい、ダモクレスの撃破をお願いいたします」
 現場は、梔子堂と言われる少し変わった文具店の背にある雑木林だ。元々は梔子堂を含めた土地には大きなお屋敷があったらしいのだが一人娘がお嫁にいった際に、土地の権利を梔子堂の店主に譲り、色々あって今は店の裏は雑木林になっているのだという。
「昔のお屋敷では、お庭だったそうです」
「雑木林レベルのってなると広いねぇ。戦闘になることを考えればありがたい、かな」
 三芝・千鷲(ラディウス・en0113)の言葉にレイリは頷いた。
「はい。戦うには問題の無い広さかと。現場は雑木林の奥にあった古びた倉庫から少し離れたこの区画になります」
 古びた石像が置かれている、東屋のあった空間だ。屋敷の住人がいた頃に倒壊の危険があったからと取り壊されたもので、今は古びた石像があるだけだ。
「芝刈り機型ダモクレスは一体。電気式だった時の名残のコンセントを振り回し、鋭い刃を使っての走行、突撃、超音波などの攻撃を行います」
 その攻撃力は高く、攻撃には毒が絡む。
「機械的なヒールを受け、その大きさは人間の大人ほど。戦闘になるまでは移動音は静かです」
 戦いになれば一気に騒がしくなる。店の裏ということもあって、迷い込んで来る人は少ないだろう。
「お店の方への説明と、周辺地域への避難指示につきましてはお任せを。皆様には、ダモクレスの撃破をお願いいたします」
「それと、無事に終わったら梔子堂に遊びにいきませんか? というのも、店主さんが1日、お休みにするそうなのでもしよければとお誘いをいただいたんです」
 梔子堂は手紙を専門に扱う文具屋だ。レターセットに、様々な色のインクなどを扱っている。
「手紙、ね」
「千さんは手紙に興味あるんですか?」
「うーん、そうだな。連絡手段の一つとしか認識してなかったからある意味、興味はあるかな」
 まぁ、手紙も色々ありますので。と言って、レイリはケルベロス達を見た。
「ダモクレスの撃破を、お願いいたします。お屋敷と一緒にあった芝刈り機さんが、人を襲うなんて、きっと似合いませんから」
 屋敷が、その終わりの時を迎えるまでの日々をきっと守ってきたものだ。
 虐殺を紡ぐ未来など、似合わない。
「では、行きましょう。皆様に幸運を」


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
藤守・つかさ(闇視者・e00546)
砂川・純香(砂龍憑き・e01948)
安曇野・真白(霞月・e03308)
輝島・華(夢見花・e11960)
詠沫・雫(海色アリア・e27940)
鴻野・紗更(よもすがら・e28270)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)

■リプレイ

●八重の地
 気の早い梔子が、花を咲かせているようだった。淡い花の香りは、緑深いこの場所によく似合っていた。大人ほどの大きさへと変じた電動芝刈り機が動けば大きな影が東屋の跡地にできた。古びた石像よりも大きな影は、小さな駆動音と共に揺れる。前に進もうとしているのか、硬い足音が詠沫・雫(海色アリア・e27940)の耳に届いた。
「お屋敷と芝刈り機……。常に共にあったなんてなんだか盟友みたい、なんて、ちょっと大げさでしょうか」
「ずっと一緒にやってきて、ってやつだよな」
 頷いたラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)の目に、電動芝刈り機のダモクレスが動くのが見えた。こちらを『見た』か。分かりやすくギュイン、と刃が回り出す。
「確かにこれは、動き出したら騒がしいって感じだね」
 息をついた三芝・千鷲(ラディウス・en0113)が、視線を後ろに向ける。店までの距離は十分だがーー。
「音は届くやもしれませんね。ですが……」
 それより先に行かせなければ良いだけのこと。
 静かに紡いだ鴻野・紗更(よもすがら・e28270)は、口元に微笑をのせた。
「手紙を専門に扱う文具店とは珍しゅうございますね。特別感あふれるお店があるというのに、悲劇は起こせますまい」
 万全の態勢でデウスエクスを撃破するといたしましょう。
「ガ、ガガ」
 電動芝刈り機のダモクレスが、刃を回す。乾いた土が飛び、尾のようにコンセントを揺らしたダモクレスがーー吠えた。
「バッサーイ!」

●芝刈り機パワー
「来ます」
 先んじて告げたのは、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)だった。瞬間、鞘のままの刀を振り上げ浅くーー抜く。
 ギン、という音と共に衝撃が前衛を襲った。
「コンセントですか」
「バッサイバッサイ!」
「……まぁ、色々あるが」
 半ばため息交じりのそれを、は、と吐き出した息で最後にすると藤守・つかさ(闇視者・e00546)は手の中のスイッチを押す。
「お前が刈るのは芝だろ、伐採ってなんだよ」
 カラフルな爆発が、後衛の後ろに生まれた。光と同時に、体に力が入る。すぅ、とひとつ息を吸い、輝島・華(夢見花・e11960)は前を見た。唸る機械の前、薙ぎ払うコンセントの一撃を受けた仲間を。
「大丈夫ですの?」
「えぇ。問題なく」
 応えたのは、景臣だった。こちらも、と静かに応じた紗更が手に武器を落とす。
「ん、じゃぁ。次はこっちから、だな」
 よし、とラルバは顔をあげる。ふいに、鉄の香りに混じって花の匂いがする。
「梔子、いい香りだな。芝刈り機が雑木林、それにせっかくの梔子や人々も刈っちまう前に止めないとな」
 腕はぴりぴりと痛んでいた。先のの一撃の所為だ。だが動けない程ではない。膝を折る程に重いこともなく、だからこそ青年は尾を揺らす。戦場に向かう、踏み込む竜の少年の覚悟を乗せて。
「行くぜ……!」
 前へとーー行く。
 た、と蹴り出したラルバに、芝刈り機が面をあげる。
「お店も大事な思い出も刈り取らせはしません! ここで止めてみせます」
 ブルーム、と華は呼ぶ。ライドキャリバーは少女の声に頷くより先に敵へと走った。激しいスピンを叩き込めば、僅かに砂が舞い上がる。一瞬の砂塵の中、華は雷鳴纏う杖を掲げた。
「紗更兄様」
 紡ぐは回復と共に破壊の力。届けられる力を視界に安曇野・真白(霞月・e03308)は芝刈り機を見た。衝撃に僅かに身を揺らし、けれどギュイン、と動く刃も勢いも健在だ。
「フォルティカロさまがおっしゃる通り、芝刈り機はバッサーイではございませんね」
 真っ直ぐに見据えた先、上がる砂埃に真白はぐぐっと拳を握る。
「ここは、しかと止めませんと」
「ガ、ガガ!」
 それは応えか、唸り声か。
 ギュン、と再び前に出ようとする芝刈り機に真白は半透明の御技を展開させる。滑走は不可視の力に絡め取られ、空を切った刃を視界に景臣は行く。
「!」
 暴れるように芝刈り機が腕から逃れる。受けたダメージを散らしきれぬまま、だが避けようと身を滑らせる。ーーだが。
「人の生を刈ってしまう前に、さよならを告げると致しましょう」
 刃は届く。
 突き出された刃は雷の霊力を、鋼の中に散らす。ギン、と腕に返る硬い感触に、かかりましたね、と景臣は言う。
「ガ、ガガガ!?」
 制約がひとつ。
 小さく火花が散り、暴れるようにその身を回した敵に景臣は間合いを取り直す。距離は適度に。盾としての役目を全うする為に、男は軸線に立ちーー見た。
「参ります」
 響くのは雫の声。
 砲撃形態へと変じたハンマーから、竜砲弾が撃ち出されたのだ。高い命中力を持って打ち出された一撃が、芝刈り機の正面を叩く。衝撃に、ぐらり、と鋼は揺れた。一瞬、見えた光は火花か。
「メルは回復を」
 手に次の武器を落とし、雫はボクスドラゴンに告げる。頷いたメルが翼を広げれば、次の砲撃が響いた。
「いくぜー!」
 ラルバだ。
 ガウン、と重く続けて落ちれば火花が散る。欠け落ちたのはその身の破片か。鋭い鋼を飛び越え、前衛に立ったラルバの横を、と、と紗更は抜ける。踏み込む足音は軽く、けるように身を前に。
「多少手荒になりますが」
 紗更の手元が、揺らぐ。空間が、空気が揺れる。それは身に宿したグラビティ・チェインが掌へと集められた証拠。
「! バッサ……!」
「――失礼致します!」
 触れた瞬間、ガウン、と爆発的な力が生じた。直接叩き込まれた力に、鋼が軋む。ガ、と落ちたのはさっきまでの声では無く内部の軋みだ。
「三芝、敵の弱体で頼む」
「仰せのままに」
 さて、と前に出た千鷲の刃が雷の霊力を帯びる。ゴウ、と唸る空気を耳に、魔女は空を舞う。空にてひらり、と身を返し、落ちた影に気がついた鋼に微笑だけを返しーー砂川・純香(砂龍憑き・e01948)は落ちる。
 ギン、と流星の煌めきを帯びた一撃が、芝刈り機に落ちた。ギ、ギギ、と軋む音が戦場に響き、鉄が熱を帯びる匂いが花の香りに混ざる。
「梔子堂、良い名ですこと。幸福を冠するこの場も、芝刈り機さんとお屋敷の思い出も……壊されぬよう」
 すぅ、と息を吸い、静かに純香は言った。
「為せることを」

●さよならの代わりに
「しかし……このように広く、嘗ては愛された庭で仕事をしていた芝刈り機が、人を襲うようになってしまうとは、何とも皮肉でございますねえ」
 突撃を受け止め、紗更は静かに息を吐く。
 火花が散り、花の香りが熱へと変わった。戦場は熱を帯びていた。踏み込めば高く響く駆動音は芝刈り機の鳴き声に近いのか。
「ーーっ」
「ギ、ガガ!」
 雫の蹴りが、空を切った。星型のオーラが空に消え、瞬間、敵がこちらを向く。焦ることは無かった。命中率が30%を切るまで同じ攻撃を使うと決めていたのだ。星型のオーラが空に消え、だが敵に制約は十分についた。理力への耐性はそれなりにあるようだ。
「ガガ!」
 ぴょん、と跳ねた芝刈り機が一気にその刃を動かした。ギュイイイン、と高い音と共に鋭い超音波が放たれる。行き先はーーやはり後衛か。迫る一撃に、た、と地を蹴る音が重なる。
「させないぜ!」
「ええ」
 ラルバと景臣だ。そしてサーヴァント達が庇いに入り込めば、衝撃は眼前で消え去る。代わりにキン、と重ねた加護が砕けた音がした。
「ブレイク、ですか」
 言いながら景臣は前を見る。血が指先に溜まっていたが、それだけのこと。分かっていて踏み込んだのだ。この攻撃であれば優先してかばう、と。振り返れば受けた傷が多かったが、それでも膝を折ってはいない。
「回復しますの」
 華の声が響く。気がついたように、芝刈り機が動き出す。突破を狙う気か。は、と落とした息ひとつ、暗器を放つ。ギ、と一撃が敵の刃に食い込んだ。
「ガガ!?」
「卑怯技も得意でしてね」
 庇いに立ったその場所から、一気に踏み込むのは敵の間合い。フェイントから一気に叩き込むのは得物を砕く一撃。瞬間、剣戟に銀色の華が咲く。
「ギ、ギィイ!?」
 欠けたのは、どちらであったか。
 欠け落ちた破片に、青白く爆ぜた光に、あぁ、と景臣は告げる。
「これが弱点でしたか」
「ーーそう、それならば」
 繋ぐ一撃は純香の手から。やればできると信じる心が力へと魔法へと変わりーー一撃となる。ゴウ、と唸る一撃は同時に冷気を呼び込んだ。舞い上がった砂が一気に地に落ち、ガ、と上がる声を、それでも前に出ようとする芝刈り機を純香は見る。
(「行きたいのかしら」)
 屋敷の方へ。
 それがグラビティ・チェインを求めてのことか、違う何かであるのかは分からない。あの芝刈り機はダモクレスによって改造されこの姿になってしまったのだから。
「癒しを……」
 華は紡ぐ。前へと向かう為の力を。
 猟犬の鎖が描き出した癒しの陣は前衛に、は、と息吐き前に出る仲間の姿を見る。怪我は皆あったが、回復を受ければ動ける範囲だ。敵の攻撃は流石に真正面から受ければ重い。毒もあったが、重ねた加護と細かな皆と一緒に紡ぐ回復で対応しきれている。
「あと少し、です」
 戦場は加速する。
 敵の狙いが前へと踏み込んでくることであれば、こちらも踏み込む。傷はそれぞれにあったが、動くには十分。敵の動きを止めることを選んだのだ。勿論絶対では無い。だが、一瞬の隙。動きが止まればそれだけで踏み込むには十分だ。
「止めます」
「押しとどめますの」
 雫のガトリングガンが火を吹く。威力で選んだ攻撃は深く重く届く。傾ぐ鋼の影が揺れれば、右です、と雫は告げる。頷き、熱の中、真白は地を蹴る。軽やかに空に踊り、纏うは流星の煌めき。敵が逃げようともそこはまだ真白の間合いだ。ガウン、と重い蹴りが、落ちた。
「ギ、ガガ!」
 芝刈り機が揺れる。傾ぐその身に、た、とつかさが踏み込んだ。接近に気がついた敵がゴウ、と重い刃を動かし、突進するーー筈だった。
「ガ!?」
「捉えたみたいだな」
 ならば、とつかさは言う。間合いにて叩き込むのは絶空の一撃。刻み、絡めた制約が深く、落ちる。
「バ、サ……」
「芝刈り機、前は庭をキレイにするために頑張ってたんだろうけど、人の命まで刈るのはストップな」
 少年の砲撃が、鋼を撃ち抜いた。竜砲弾に芝刈り機の刃が砕け、コンセントが落ちるのをラルバは見る。
「どうぞ、おやすみなさいませ」
 二度目の砲撃は、紗更から。
 ガウン、と重い一撃に、地面を荒らす刃は完全に砕け芝刈り機のダモクレスは崩れ落ちた。

●梔子堂
 戦いが終われば無事に、梔子堂での買い物となった。店主は、あの場の石像に傷がないことをつかさから聞くとひどく嬉しそうな顔をした。
「どうぞ好きなだけ見ていってください。あぁ奥の棚も開きましょう」
 書棚に収められた封筒は、宛らひとつひとつが本のようだ。物珍しさに紗更は小さく笑みを零す。
「さまざまな手紙は見ているだけでも楽しいですね。気に入ったものがあるといいのですが」
「手紙かあ……柄じゃねえかもだけど、何か買っていってみようかな」
 折角これだけ種類があるのだ。どれがいいだろうか、と悩みながら、ラルバは装飾の施されたペンや便箋を見る。
「さよなら、でも悪くねえけど……オレは元気だぞーとか、ありがとうって送るのもありだよな?」
 思い浮かべたのは、ひとりだ。
「その方が相手も喜びそうな気がするんだ」
 呟いたラルバに、勿論、と店主は頷いた。
「手紙は、きっと想いを乗せるようなものでしょうから」
「想い、想いか……」
 選んだのは己の翼と似た色をした便箋。
「……届かなくても、書くのはありかな」
 笑顔の師の顔をふと思い出し、話したいことが幾つも浮かんだ。
 背丈ほどまである書棚の横を抜ければ、硝子張りの棚が目に入る。色とりどりの硝子瓶はインクを収めた色だ。
「尊敬するお姉様への遅くなった誕生日プレゼントを探したいと思いまして」
 棚に刻まれた梔子に、旅団のお兄様を思い出しながら華は小さく笑った。梔子は好きな花だ。
「誕生日ですか。それは良い。インクの瓶もありますよ。一色からセットのものもあって……」
 セット、と零した少女の目に、ちょこんと並ぶインクの瓶が見えた。全部で7つ。7色のインクは差し込む日差しに鮮やかな色を写していた。
「このインクのセット、綺麗なのでこれを頂けますか?」
 日々に彩りを添えられたらと。
 笑みを零した華に、店主は微笑んで頷いた。
「他には何かございますか?」
「自分用に梔子のレターセットなどありますでしょうか。あとこのお店の事など聞かせて頂けたら嬉しいですの」
 視線をあげた少女に、ぱちと瞬いて店主は笑った。
「店のこと、ですか。ふふ、そうですね、昔、本を書くのが好きな女性がいたんですよ……」
 内緒話をするように店主は華に語った。

「……此処は、季節の花等如何でしょう?」
「花か……どうしようかな」
 自ずと綻んだ唇でそう告げれば、僅か悩むようにゼレフが眉を寄せる。笑みを零して、僕もどの子にしましょうか、と手を伸ばす。
「ふふ、年甲斐もありませんが、貴方の為だけの文通用に……なんて」
「なに、僕にも送ってくれるって? 果たし状だったりしないよね」
「おや……僕からの恋文より果たし状をご所望です?」
 戯れるように浮かべられた微笑に小さく笑い、その手元を覗けば素朴な白と支子色。
「これはまた可愛らしいのを選んだね」
 其れを見て漸く、ゼレフはひとつを選び取った。それは棚の端に飾られていたレターセット。窓枠の蔦の影が差し込むそこで咲く可愛らしい花。
「これなんてどうかな」
 それは四季の花を漉き込んだ、柔らかな和紙のレターセットにそれらを抱くような草色のインク。
「其々の色彩を連れて、季節が終わって始まるみたいに。いつかまた返事が届く様に、そして、また会いたくなる様にってね」
「……ふふ、なるほど。確かに……こんなお手紙を貰ったらまた会いたくなっちゃいそう」
 手紙は心を贈り、季節を巡る。
「――まるで、喜びを運んでくれるよう」
 この店の名を冠する花の様に。
 柔らかに紡いだ言の葉に、梔子の香る風がふわり滑り込んだ。少しばかり揺れた髪をそのままに、純香は便箋を眺めみる。
 手紙は言葉に想いをのせて飛ばす鳥。選ぶ便せんに、こころを散りばめてみるのもいい。口元、溢れた笑みを隠すことなく。手にした便箋を眺め見れば、じっと棚を見つめたままの千鷲の姿が見えた。
「三芝さんに、気になるのありました?」
「正直、色々ありすぎてびっくりの方が大きいかな」
 キミは? とかかる声に、探している所なのだと紡いだ純香の目に青い花が見えた。
 青い勿忘草の咲く便箋。
「……」
 苦笑ひとつ、吸い寄せられるように選んだ便箋を手に取った。
 手紙と言っても、様々な種類があるらしい。見知ったサイズの封筒の他に、ちょこんと置かれたリボンは便箋にかけるものだという。
「手紙、か……。あまり手紙でのやり取りはしたことないけれど。せっかくの機会ですもの、誰かに書いてみましょうか」
「それは嬉しい限りですね。お相手など決まっていますか?」
「相手? ふふっ、ひみつ!」
 雫の少し悪戯っぽい言葉に、店主はふ、と笑みを見せた。
 ミュゲが足を伸ばしていた。上の方にある便箋が気になるのか、むーっと伸ばした体がまたひょこん、と縮む。
「ミュゲは何がいい? 夜空、か……お前は本当にその柄が好きなんだな」
 ひとつ笑い、つかさはどうする? とレイヴンが視線を向けた先、手にはシンプルな便箋が収まっていた。インクは茄子色に。レイヴンは同じシンプルな便箋に、黒のインクを手に取る。
「そういえば、親族の誰かに送るのか?」
「んー? そうだなぁ……毎日……は流石に無理だけど、気が向いたら、恋文でも書くさ」
「恋文……という事は」
 手が止まる。ぱち、と瞬いたレイヴンが口を開く。
「俺にか?」
「あんた以外の誰に書くんだ?」
 眉を寄せて息をつけば、つかさの目に忙しないレイヴンの尻尾が見える。ふ、と落ちた息は笑みだったか。
「さよならの代わりになる事もあるだろうけど、これから先を綴るのも存外に悪くないと思うからな」
「……楽しみに、してる、ぞ」

 梔子に縁がある話というと、梔子に掛けて、口に出せない想いを梔子色の便箋にしたため手紙に託す、という話を聞いたことがあるのだという。
「梔子色といいますと、白便箋になりますでしょう?」
 特別な色ではありませんから托すには、と思った真白の横、白か、と夜が視線を上げる。
「俺は白の紙を用いることが多いな。インクの色で遊べて面白いし、白はどんな彩にも染まれる、可能性を秘めた色だから」
 白は君の色でもあるね。
 ふ、と笑った夜に真白は小さく瞬く。ぱち、ぱちと金の瞳は揺れてほう、と息をついた。
「藍染さまに伺うと、とっておきなものに聞こえてくるのが、不思議ですの」
 小さな驚きを乗せた瞳に笑みを零し、俺が梔子と手紙から思い浮かべるのは、と夜は戸棚に視線を向ける。
「俺が梔子と手紙から想起するのは言葉は飛び去っても文字は残る。そんな格言」
 ラテン語を唇に乗せ、夜は静かに笑みを浮かべた。 記憶から落ちてしまっても、手紙を開けば懐かしく蘇る日々の彩りは柔らかく温かいことだろう。
「さぁ何を探そうか」
「真白は万年筆が欲しいのです。そしてその万年筆で使うインク」
 甘い花の香りが髪を揺らす中、梔子堂での楽しい時間は後少し続きそうだ。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年4月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 1
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