芽吹き

作者:藍鳶カナン

●芽吹き
 碧い空にも緑の地にも、瑞々しい春の息吹が満ちていた。
 青く霞む春の山々を望む草原を渡る道路沿いの道の駅、大勢のひとびとで賑わうそこには明るい歓声やひとびとの笑顔も満ちて弾けて咲き溢れている。
 花々で彩られた大きなアーチには『春野菜の祭典・ファーマーズマーケット』と綴られ、春花の歓迎を受けつつゲートを潜れば、その先に広がるのは春の大地の恵み溢れんばかりの青空市! 朝採りたけのこに始まり、明るい緑艶やかなアスパラガスにスナップえんどう、瑞々しい蕪や新たまねぎ、ほろ苦さで春のめざめをからだにくれるルッコラに菜の花など、いずれも飛びっきり新鮮な、生産者ご自慢の春の幸せが揃い踏み。
 春の大地の恵みがよりどりみどり、心のまま買い求めた春野菜で洒落たマルシェバッグをいっぱいにするのも幸せだけど、あちこちの店で春野菜の試食に振舞われる料理を摘まんで歩くのが何より楽しく、あちこちで幾つも歓声があがる。
 海老とアスパラガスのカルボナーラ、ルッコラとローストビーフの一口サンド、菜の花と照り焼きチキンのキッシュ。揚げたて熱々な新たまねぎのフリットに蕪がとろり蕩けそうなクリームシチューを母親にふーふーしてもらった子供が瞳を輝かせ、目を細めた父親が口に入れた朝採りたけのこの刺身の美味しさに今細めたばかり目を瞠った、そのとき。
 春の空から巨大な牙が襲来。
 祭のアーチを突き破って地に突き立った牙は三体の竜牙兵へと変じ、
『サア、シュウカクのジカンダ!』
『オマエたちのグラビティ・チェイン、ゾンブンにカりトらせてモラウ!』
『ゾウオとキョゼツをメブかせロ! メブいたソレも、ドラゴンサマのカテとナル!!』
 大地の――否、地球の恵みたるグラビティ・チェインを刈り取るべく、祭に集った大勢のひとびとへ大鎌を揮い始めた。
 春の息吹がたちまち、血の匂いに染めあげられていく。

●春息吹
 瑞々しい春の息吹。
 語られた予知の光景からも感じられるそれに心なしか上機嫌な攻性植物の様子に眦緩め、
「折角みんなが春の幸せを謳歌してるのに、グラビティ・チェインを刈り取らせるわけにはいかないよね」
 青空市に降る春の陽射しと祭に咲く皆の笑顔を想って黒木・市邨(蔓に歯車・e13181)が紡げば、セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)が頷いた。
「はい、勿論です。幸いにも市邨さんが春野菜のお祭りへの襲撃を警戒してくださっていたおかげで予知が叶いました。早速ヘリオンで現場へ向かいますので、皆さんに彼らの凶行の阻止をお願いします」
 事前の避難勧告は竜牙兵の襲撃目標を予知にない場所に変えてしまうため行われない。
「警察へは既に協力要請済みです。皆さんは竜牙兵が現れた瞬間ヘリオンから降下、即座に戦いを仕掛けていただくようにお願いします。彼らが一般人のことなど眼に入らなくなってしまうくらいに、派手な攻撃を」
 一般人の避難誘導はすべて警察に任せてください、とセリカは続けた。
 現場にケルベロスが到着次第即座に警察の避難誘導は開始される。
 全力で戦いを挑んで敵の気を惹き、撃破することに集中するのがケルベロスの役目だ。
「了解。自己強化とかは後回しで、まずは皆で全力攻撃だね」
「はい。まず肝心なのは敵の気を惹きつけ、応戦しなければと思わせることですから」
 確認するような市邨の言葉をはっきりと肯定し、セリカは改めて皆を見回した。
 出現する竜牙兵は三体、すべてが簒奪者の鎌を手にしている。
「三体とも前衛、クラッシャー二体、ディフェンダーが一体のようですね。一旦皆さんとの戦いが始まれば、敵は一切撤退を考えず死にもの狂いで向かってくると思います。油断せず全力で撃破をお願いしますね」
 早々に戦いを終えられれば春野菜の祭典も再開されるだろう。
 春の大地の恵みがよりどりみどりのファーマーズマーケット、そこでケルベロス達も春の幸せを謳歌していってくれれば、きっと関係者達も歓ぶはず。
「ああん、勿論見逃せませんなの、マルシェバッグぱんぱんにお買い物してしまうの~♪ お料理で試食もいいけど、もっとシンプルな試食もあるかしら~?」
「あるんじゃない? 瑞々しい蕪のスライスとか、さっと湯がいたスナップえんどうとか」
 尻尾ぴこぴこな真白・桃花(めざめ・en0142)に応える市邨の声も柔らかに弾む。
 きっと春野菜を齧れば瑞々しい甘さも口中で弾んで踊るだろう。
 春の息吹を鮮やかに芽吹かせてくれるそれを楽しみながら、買い求めた春野菜達でどんな料理を作ろうか考えるひとときは、間違いなく幸せなものだから。
「それじゃあ、春の幸せを謳歌するため、まずは一仕事といこうか」
 穏やかな笑みを湛えて、市邨は仲間達を見回した。
 誰もが曇りない笑顔で、春の息吹をこころにからだに芽吹かせられるように。


参加者
イェロ・カナン(赫・e00116)
ロゼ・アウランジェ(アンジェローゼの時謳い・e00275)
藤守・千鶴夜(ラズワルド・e01173)
鈴代・瞳李(司獅子・e01586)
スプーキー・ドリズル(シーファイア・e01608)
アーティラリィ・エレクセリア(闇を照らす日輪・e05574)
黒木・市邨(蔓に歯車・e13181)
レオンハルト・ヴァレンシュタイン(ブロークンホーン・e35059)

■リプレイ

●息吹き
 碧い空から緑の地をめがけ、巨大な牙が降り落ちた。
 春の息吹と花々に祝福された祭典のアーチを突き破った牙はたちまち竜牙兵へ変じたが、彼らが春野菜の祭典に集ったひとびとへ意識を向けたのは僅か数秒の間だけ。
 彩り芽吹く春には無粋な輩の出現と同時に空から光風を突き抜け降り立って、
「――場違いだ、今すぐ帰れ」
 黒木・市邨(蔓に歯車・e13181)がそう告げるが速いか白きアームドフォートから爆ぜた数多の焼夷弾が一気に炎の幕を躍らせ、スプーキー・ドリズル(シーファイア・e01608)の竜の息吹も炎の波濤となり竜牙兵達を呑み込めば、イェロ・カナン(赫・e00116)が彼らの足元へ振り撒いた不可視の地雷が一斉に爆発。更に、
「どうぞ私と一曲、踊ってくださいな!」
「私達がお相手いたしますので、早急に御退場くださいませ」
 爆音の余韻を華やかに貫いたロゼ・アウランジェ(アンジェローゼの時謳い・e00275)の歌声が敵群へ呪縛の奇蹟を顕して、宵と白夜が彩る裾が跳ねる間も見せずに一瞬で太腿から抜かれた藤守・千鶴夜(ラズワルド・e01173)のリボルバーが竜牙兵達に制圧射撃で舞踏を強いる。
「挨拶代わりには十分すぎるほどだな。さあ、収穫されるのはお前達だ、竜牙兵ども!」
「我らも派手にいかねばのう。竜王の不撓不屈の戦い、括目して見よ!!」
 派手にケルベロスたる名乗りをあげんと意気込めど、咄嗟に巧い口上が思いつかずにいた鈴代・瞳李(司獅子・e01586)も攻勢の波に乗り、彼女が顕現させた黒き太陽の光が敵群へ降り注ぐなかでレオンハルト・ヴァレンシュタイン(ブロークンホーン・e35059)が両手の扇をぱちりと鳴らし、戦舞のごとく幾重にも身を翻して全方位に迅雷を迸らせれば、
「黒光と迅雷の対比が見事じゃのう! ならばここに、我が無限の向日葵を!!」
 真打登場とばかりにアーティラリィ・エレクセリア(闇を照らす日輪・e05574)が一斉に咲き誇らせた数多の向日葵、彼女の頭上に咲くそれも含めた花は己が花弁を刃と成し、鋭い夏花の驟雨を竜牙兵達へ降らしめた。
 盛大な力の乱舞、続け様に炸裂したケルベロス達の範囲攻撃はまさしく怒涛の波で、
『マサカ、モウけるべろすガやってクるトハ……!』
『ソレなら、オマエたちのクビからカりトるマデ!』
 瞬時に熱り立った竜牙兵達は最早警察に避難誘導されていく一般人達も目に入らぬ風情。遮二無二で斬りかかってきた彼らを更なる範囲攻撃が迎え撃てば、
「ここからが本番じゃぞ、まずはこのクラッシャーから各個撃破じゃ!」
 姿も得物も揃いの竜牙兵達も識別可能、間髪容れず蔓草を奔らせたアーティラリィがより多く被弾した敵クラッシャーを強烈に縛める。
 心得ましたと瑠璃の瞳で標的を捉えた刹那の銃声、流れるような早撃ちで千鶴夜は大鎌の刃ごと敵の頭蓋を正確に撃ち抜いて、
「ポラリス! 桃花さん! 皆さんの回復をお願いいたします!!」
「合点承知! だけどきっと足りないからフォローよろしくお願いしますなの~!!」
 続けて声を響かせればすぐさま星のあかりを掲げたシャーマンズゴーストが祈りを捧げ、真白・桃花(めざめ・en0142)も自由なる光を解き放った。だが、主と力を分け合う神霊と皆より力量の落ちる桃花だけでは両者がメディックでも回復量の不足は否めない。
 けれど、
「大丈夫です! いざという時には私もたっぷり癒しを歌っちゃいますから!」
「ん。傷が嵩んできたら俺と白縹も回復に回るつもりだから、任せて」
「なら、油断は禁物だけど心配も無用だね。皆の力があれば僕らは誰一人欠けず、勝てる」
 現役アイドルが揃えた技は皆を支えるための絢爛たるメドレー、輝く未来へと導くロゼの歌が敵の刃を鈍らせにかかれば、彼女を狙う斬撃をイェロが防ぎ、硝子のボクスドラゴンの突撃と同時に黄昏色の男は黒の靴音鳴らして流星となる。
 己を含め仲間の多くが斬撃耐性やヒールを備えているとなればスプーキーも笑みひとつ、即座に愛銃を翻し、敵勢の刃の間を翔けめぐる跳弾射撃で標的を撃ち抜いた。
 集中攻撃の一部は敵ディフェンダーに阻まれたが、
「さあ、それでいつまで保つかな?」
「春野菜がお待ちかねだしな。食べ物の怨みの恐ろしさ、集中講義で学んでもらおうか!」
 白き砲台から焼夷弾、機械の左腕からは麻痺弾と数多のミサイルを正確無比な狙いで放つ市邨が竜牙兵達を翻弄し、不敵な笑みとともに瞳李が叩き込んだ絶対零度手榴弾が幾重にも氷を奔らせる。
 繰り返し戦場に満ちる力は敵への逆風、味方への追い風。
 勢いのまま駆けたレオンハルトが跳び込んだのはアーティラリィを狙った刃の前、激しく彼の血がしぶくが、次の瞬間には後方から躍りかかったオルトロスが敵を斬り裂き、
「ナイスじゃゴロ太! アーティ殿、怪我はないかの?」
「えぇい、調子に乗っておらんで集中せい! じゃが……」
 八重歯をキラリと覗かす彼の笑みに反射的にアーティラリィの声音が跳ねたが、ひっそりありがとうなのじゃと続けて揮うは偉大なる雷神の斧。ルーンの輝きと絶大な威力を乗せた一撃で彼女は竜牙兵を粉砕、消滅させた。
「まずは一体、だな。次はキミの美技も見せてもらおうか、レオンハルト!」
「無論じゃ、我が美技の冴えを見よ!!」
「わあ……! 私も負けませんよっ!!」
 花色の双眸を細めた瞳李が続け様に解き放つのは銀に煌く流体金属の粒子、前衛陣を癒し幾重にも超感覚を覚醒させるそれを受けて、レオンハルトは竜王の名に恥じぬ火炎の息吹を迸らせる。炎の輝きに重ねて展開された魔法陣から現れたのは光の書。
 ――時の奇跡にて、語り謳うは貴方の軌跡。
 眩さを増す輝きの中で金の髪と春色の薔薇を踊らせ、ロゼが予言の詩を読み解けば、時が凍てつき氷結晶の花々が咲く。お見事と小さく笑ったイェロの手許で小さな音がした瞬間、
「さぁて、続いて派手に散ってくれるのはどっちかな」
「それは勿論、こっちだね。捕まえておいで、蔓、草」
 残る竜牙兵二体の足元で地雷が爆ぜ、プリズムめいた氷片の煌きごと捕えるように光風を貫いた市邨の緑蔓が深手の一体を絡めとった。彼の緑達に咲く花は可憐なスノーホワイトと明るいプリムローズイエローの春の彩、
「こんな芽吹きの歓びを分かち合える相手なら、飛び入り参加も歓迎されたろうにね」
「ええ。春の恵みの歓びも分からぬ輩となれば、この場から消えていただくのみです」
 春彩の花々に眦を緩めて緑の大地を駆けるスプーキー、編み上げ靴の踵の蝶から光の粉を散らす千鶴夜、攻撃手の破壊力と狙撃手の的確な狙いを乗せて両者が妖精靴から撃ち込んだ幸運の星、敵の鎧も骨の躯も穿つそれらが戦場の風を加速させる。
 弛まぬ猛攻でたちまち標的の全身に罅が奔る。
 だがそれでもなお怯まぬのが竜牙兵、風ごとスプーキーの胴を斬り払わんとした刃を己が身で受けとめた男は、イェロ! と上がった声に果実色の眼差しで応え、力を解き放つ。
 ――顔を上げて、前だけを見ておいで。
 その眸が硝子玉ではないことを証明して。
 何処か甘やかに、されど悪戯に挑むような彩も乗せてイェロが前で並び立つ仲間へ満たす波動。それがスプーキーの視覚へも重なれば、彼方にいるだろう竜牙兵の主まで見霽かせる心地がした。
「君達の主にも……この星の春を愛でる心が在れば佳かったのに」
 憐れみを滲ませた声音に重なるのは迷いなき銃声、双頭銃口から奔った深紅の弾丸は竜の走狗に血でなく林檎飴を思わす鮮紅を咲かせ、その首を落としてすべてを霧散させる。
 途端に残る一体が大鎌を揮わんとしたが、それより速く掣肘を加える銃声ひとつ。
「御安心くださいな、不意打ちなど決してさせません」
「ああ、こっちに隙ができると思ったら大間違いだ!」
 ――ジャックポット。
 狙撃手の眼差しで戦場を見渡し、そう微笑んだ千鶴夜の白銀の銃口から昇る硝煙、彼女の銃撃で足を潰された竜牙兵めがけ瞬時に縛霊手を向けた瞳李が眩い巨大光弾を撃ち込めば、幾重もの痺れで敵の刃が空を切った。
 機を逃さぬ一斉砲火で瞬く間に追い詰められる竜牙兵へ、
「最後の一体だとて、容赦はせぬぞ!!」
 高らかに宣言したアーティラリィの一撃。自陣最高火力のルーンディバイドが標的の肋を派手に砕けば、流星の煌きとともに飛来したロゼが追撃する。
「ふふ、足癖が悪くてごめんなさい?」
「いいんじゃない? 元気溌剌な女の子は素敵だと思うよ」
 蹴撃を加えた少女の言葉に柔く笑み、市邨は敵の命をほどいて解き放つ術を織り上げた。
 今すぐ帰れと言いはしたが、帰投して出直して来られても困るのだ。
 ――春夏秋冬、七のいろ。ようこそ、彩る夢幻へ。現を離れ、良い旅を。
 竜牙兵を抱いた虹の円環が弾けて、春から夏へ、秋から冬へ。煌きとともに過ぎる世界の廻りの環へその命を連れていく。もしも再び生まれて来ることがあるのなら。
 君達も、春の息吹の歓びを知る者達で在りますように。

●芽吹き
 癒しに潤され、祭典のアーチが甦る。
 幻想の花ひらひらと舞うアーチを潜って駆けてくる南国の花を見れば市邨は破顔して、
「市邨ちゃんも桃花ちゃんも、おつかれさま!」
「ただいま、ムゥ。さあ、いっぱい楽しみにいこうか」
 頬へのキスで迎えてくれるムジカ・レヴリスの頬にも微笑みでキスを返し、
「市邨さんとムジカさんは今日もらぶらぶですね! 私も桃花さんとらぶらぶしますよ!」
「ああん、そんなのめろめろになっちゃうに決まってるの~♪」
 きゃあきゃあとムジカと抱き合う桃花にロゼがほっぺちゅーをしたなら、勿論彼女からもお返しほっぺちゅー。いつもの擽ったさに笑みを咲かせて、いざ、春の恵みの祭典へ!
 無事に再開された青空市は春の歓びも皆の笑顔も溢れんばかり。芽キャベツとたけのこが欲しいのとロゼが瞳を輝かせて辺りを見回せば、
「ふふふ~。はいロゼちゃん、可愛くあーんして? なの~♪」
「可愛く!? ええと……こうですかっ?」
 早速桃花が試食品を確保。ファンに見つかれば大騒ぎ間違いなしの『あーん』をしてみたアイドルがぱくりと食べたのは半切り芽キャベツのバターソテー、熱を通した芽キャベツの甘さとほろ苦さがバターに絡む様は絶品で、
「美味しいお野菜スイーツが作れそう! 芽キャベツとたけのこのクラフティとか!」
「ク・ラ・フ・テ・ィ……!」
「たけのこで杏仁豆腐もできるかな、なんて!」
「た・け・の・こ・あ・ん・に・ん……!」
 是非味見してねとロゼが続ければ、桃花の尻尾がぴこぴこぴっこーんと跳ねた。
 瑞々しさが透けるようなたけのこの刺身を口にすれば、清しい春の息吹と爽やかな甘味が千鶴夜の口中で花開く。確かにスイーツも作れそう、と先程聴こえた仲間の言葉に笑み、
「ポラリス、荷物持ちお願いいたしますわね」
 迷わず買い求めれば、こっくり頷いたシャーマンズゴーストがたけのこ入り紙袋を抱え、千鶴夜の後にひょこひょこ続く。ころころ愛らしい新じゃがも吟味した先で出逢ったのは、山と積まれた新たまねぎ。
 揚げたて熱々のフリットを試してみれば熱い甘味が溢れて満ちて、新じゃがやたけのこと合わせた味噌汁に大葉と合わせた掻き揚げに、幾つものレシピが千鶴夜の脳裏を駆け抜け、夕餉の献立に春の息吹を添えた。
 食卓を囲むたびに父は美味しいと言ってくれるけれど――。
 今夜はきっと、特別な笑顔が見られるはず。
 濃厚なクリームと一緒に蕩ける蕪のシチューに、梅だれを絡めたさらさらしゃきしゃきの新たまねぎ、甘くて瑞々しい春の恵みに瞳李は大きく瞬きし、
「何を食べても美味いな……! アッシュはどれが好きなんだ?」
「ん? 俺は割と何でもいけるからなぁ……色々入った料理なら言うことなしかね」
 素直な感嘆を見せる恋人の様子に軽く笑ったアッシュ・ホールデンがそう返せば、途端に素直が引っ込んだ。
「お前だけじゃなくて、留守番の野菜嫌いのために作るんだからな!」
「はいはい、野菜嫌いのあいつのためな。そんじゃ苦味がなくて、確り火を通す――」
 瞳李はそう言いつのってみたけれど、アッシュはますます愉しげに喉を鳴らす。それでも彼が新たまねぎや春キャベツと案を挙げてくれればつい素直にふんふんと聴いてしまうのが少しだけ悔しくて、けれどやっぱり、心地好い。
「さて、我らもいくとしようかの。戦いの後は美女とのデートに限る」
「まったく調子のいいことじゃのぅ……。じゃが、それも悪くないか」
 やはり八重歯をきらりと覗かせたレオンハルトが嘯けば、満更でもないアーティラリィの機嫌も上向き、春の息吹に満ちた祭を渡る足取りも軽くなる。
 薔薇色に透ける生ハムにたっぷりクレソンを包んだ試食を頬張れば、脂の甘味に爽やかな辛味と苦味がピリッと冴えて、
「美味い! 春のクレソンは最高じゃのう! アーティ殿は何がお好みかの?」
「春野菜なら、新じゃがや春キャベツが一番馴染み深いかのぅ?」
 山盛り買い求めたレオンハルトが振り返れば、春キャベツと甘夏のコールスローを試したアーティラリィが柔らかなキャベツの甘さと柑橘の甘酸っぱさが混じりあう様に頬を緩めたところ。勿論こちらもお買い上げ。
「のう、夕餉をともにせぬか? 帰ったら早速振舞おうぞ」
「ふむ……では余は春キャベツを使ったロールキャベツなど振舞おうかの」
 話が纏まればその足元で、小さく嬉しげに神犬が吠えた。
 瑞々しい春息吹に満ちた青空市場はファーマーズマーケット、つまり春野菜の生産者達が集まり彼ら自身が農作物を売る場だから、この市のおすすめは? なんて訊こうものなら。
「そりゃみんな『うちの農園のが一番!』って言うに決まってるっすよね……!」
 自信満々な生産者達に千世・哭も破顔し、照り焼きチキンの甘辛さと菜の花のほろ苦さが堪らないキッシュや飛びきり瑞々しい朝採りたけのこを木の芽味噌が彩る手毬寿司に舌鼓。試食だけでなくお買い上げも忘れずに。
 元気一杯ぶんぶん手を振る哭に手を振り返して、彼を満面笑顔にした手毬寿司をイェロも摘まんでみた。頬張れば溢れだす、木の芽とたけのこの瑞々しい芽吹きの息吹。
「うわ。びっくりするほど美味いわコレ。ほら、キースもひとつ」
「ん……確かに。こっちもどうぞ。驚きの美味だ」
 交換とばかりにキース・クレイノアが差し出した試食品は蕗の浅漬け、齧ればしゃきっと弾ける食感が楽しく、爽やかな香りとさっぱりした味わいが堪らない。
 菜の花を真剣に吟味する硝子の小竜の様子に笑い合い、蕗を煮物にするなら、とイェロがお弁当の歌を口遊んだなら、アスパラベーコンも欠かせないなとキースが艶やかな翡翠色へ手を伸ばす。軽く潰した空豆を丸めた一口コロッケを齧ればほっくりと空豆の風味が溢れ、たけのこと一緒に炊き込みご飯もいいな、なんて名案がイェロの胸に浮かんで。
 おにぎりにして、皆にお裾分けしたいから、
「ね、一緒に作ってくれる?」
「もちろん、俺も一緒に作る」
 覗き込めば、返るのはほどけるように柔らかな笑み。
 春の幸せをぎゅっと、真心と一緒に。
 瑞々しいスナップえんどうをさくりと齧れば、ぷっつりと弾けて爽やかな緑の風味と強い甘味が溢れだす。
「莢の糖度は12度、豆はもっと行くよ!」
「並のフルーツ以上だね、家庭菜園だとこうは行かないな」
 胸を張る生産者にスプーキーは相好を崩して、あまーいと瞳を輝かせた子供が父母の袖を引く様に瞳を細めれば、その先にロゼと桃花の姿が見えた。
 まずは戦果を見せ合って、頼みごとをひとつ。
「後は新作スープに使う野菜が欲しいんだけど、何かおすすめはあるかな?」
「わ! 新作ですか?」
「普通のお店ならセロリって言うとこだけど、ここならこれ! なんてどうかしら~?」
 おすすめと言うよりはどうやら桃花がスープで食べてみたい野菜。ぽふんとスプーキーの口に入れられたのはカリッと香ばしく素揚げされて軽く塩を振られた試食の品、齧れば熱々ほくほくの甘さとほろ苦さが広がるその春野菜は、
「アーティチョークか……!」
 別名カルチョーフィ。美味しく咲かせてあげて欲しいの~と尻尾ぴこぴこで期待されればお任せあれと笑み返し、大きな蕾の野菜をお買い上げ。
 揚げたて熱々の新たまねぎフリットに、春キャベツと甘夏のコールスロー。
 それらもムジカに輝く笑みを咲かせたけれど、
「市邨ちゃん、これいっぱい欲しい……。だって、日本酒がアタシを呼んでるノ……!!」
「お酒。成程ムゥらしいや、うん、好きなだけ買ってこうか」
 蕗味噌を乗せたすらりと白いウドのスティックを齧った彼女が竜尻尾の先までぷるぷると震える様には市邨も笑み崩れずにはいられない。蕗味噌のほろ苦さと瑞々しいウドの風味と食感が身体の裡に春の息吹を満たしてくれるよう。
 明太マヨネーズを乗せたアスパラガスが口中でぱきりと鳴る様にも笑い合い、フリットが美味しいならきっと天ぷらも、と新たまねぎを手にすればタラの芽にも目移りし、
「コレも天ぷらにすると美味しいんでショ? アタシにも作り方教えて!」
「そうだね、一緒に作ろうか。試食も幸せだけど、おうちで美味しく食べよう、ね」
 好奇心一杯に瞳を輝かす彼女と指を絡め、心惹かれるままに春をたっぷり抱えて。
 芽吹きの幸せと、何より幸せな君の笑顔を、連れ帰る。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年5月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 0
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