氷蓮、咲く

作者:朱凪

●仄暗い冥府の海より
 サルベージ、という言葉は知っていた。
 海難救助。あるいは引き上げ作業。海から掬い上げる行動。それが、死神によって冥府の海から死者を引き上げる事象を示すということも。
 けれどきっと、解ってはいなかった。
「ただいま! ちょっと久し振りになっちまったな、父さん、母さ──」
 そこは、鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)が『天国に近い場所』と呼ぶところ。
 彼が事故で喪った両親を想い、ひとつ墓石と見做した石を据えて家族へ語らう、森の奥の隠れ家。
 いつも通りに声を掛け、その墓石に被る落ち葉を払おうとした右手が、強張る。肩の上に乗っていたファミリア・アカが、緊張してぴっと背筋を伸ばす。
 ふわり、薄鈍色のローブが翻る。術士であった『彼女』の気に入りの装い。彼にとっての『彼女』の面影。
「あら」
 声を零して、彼と同じマンダリン・ガーネットの瞳がゆっくりと瞬く。それは彼の狐の耳にもよく馴染んだ声音。
 もう、二度と聞けないと心から信じていた音。
「ヒノト」
 柔らかく、柔らかく、『彼女』は笑う。彼の記憶の中と、違わぬ笑顔で。
「うそ、だ──」
 震える喉から落ちた声は、目の前の現実を拒絶する。彼は教えられて育ってきたのだ。
 『彼女』は、『彼』と共に交通事故で死んだのだと!
「嘘だ……っ」
「いいえ。教えたはず……術士はまず己の目で視、耳で聴いたことを信じなさいと」
 なんて、ね。妖しく光った双眸、うっとりつり上がった口角。彼を迎え入れるかのように開いた両手は、優し気に。けれどぱきり、ぱきりとその中心に氷の蓮が花開く。
「人間の死は、美しい……。さあ、ヒノト。あなたも共に『こちら』へいらっしゃい」
 きっと彼は、解ってはいなかったのだ。
 こんな『再会』が──起こり得ることを。

●氷蓮、咲く
 まだ間に合うと告げる声は厳しく。
 暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は鉋原・ヒノトの危機を伝えた。
「彼が辿った道を、予知で『追い駆け』ます。それでも、到着するのは彼らがあいまみえた直後になると思われます。どうか、Dear。彼を助けてください」
「行こう」
 ヘリポートへと集まった仲間に向けて、ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)も肯く。
「敵は1体。おそらく──彼と縁の深い方……いいえ。縁の深いその方の肉体を奪った死神であるかと思います」
「、」
 彼の説明にユノの目が丸くなる。それを見てチロルもひとつ、苦い表情で肯いた。
「……彼にとってつらい戦いになるかもしれません。Dear達にも酷なことをお願いしている自覚はあります。……けど、だからこそDear達に彼の傍に駆けつけてあげて欲しいんです。お願いします」
 元よりひと目を避けた秘密基地のような場所だ。ひと払い等の配慮は不要。ケルベロスであるならば、木々の茂った森の中であろうと戦闘に手間取ることもない。
「視た限りで『彼女』の使う術は、氷の花。おそらく、相手の身体に咲いて、命を吸い取るものであると思われます」
 人間の死は、美しい。
 そう告げる敵の技に相応しい死の彩り方であると言えるだろう。他にもまるで芸術を誇るかのような攻撃をしてくることは想像に難くない。
 意を決したように視線を交わすケルベロス達へ、チロルはもう一度頭を下げて、それから幻想を帯びた拡声器のマイクを口許に添えた。
「では、目的輸送地、『天国に近い場所』。以上。……どうか、お気を付けて」


参加者
鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
落内・眠堂(指括り・e01178)
相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)
ラランジャ・フロル(ビタミンチャージ・e05926)
ティノ・ベネデッタ(ビコロール・e11985)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)

■リプレイ

●囚
 視て聴いたことを信じるのならば──あの日から信じていたものは、虚偽でしかなかったのだろうか。
「あなたも共に『こちら』へいらっしゃい」
 目の前に佇むその姿は、紛うことなく鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)の母、君嶋・弥咲そのひとで。
「また、一緒に……?」
 母さんは、もしかして、本当は、今も、今までも、生きて──、
「ヒノト、無事か?!」
「ッ! ティ──」
 伸ばしかけた手を、友の声が打った。
 振り向いた彼の横を鮮やかな橙色が走り抜け、風を斬る巨大な槌がヒノトを襲わんとしていた氷の蓮を叩き割った。間隙を与えずユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)が杖を振るい、駆けつけた仲間達の前へと雷の壁を築いた。
「ヒノト大丈夫?」
「皆?! どうしてこの場所が?」
 ティノ・ベネデッタ(ビコロール・e11985)とイズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)、他にもたくさんの仲間たちが一様に不安げな、あるいは申し訳なさそうな表情で彼を見、雷壁の蒼白い光を受けて藍染・夜(蒼風聲・e20064)が複雑な──失敗したような笑顔を向ける。
「……来て、しまったよ。だが、君の想いも心も、決して穢させはしない」
「、そうか……助けに来てくれたんだな。ごめん、巻き込んだりして」
「ごめんじゃないよ!」
 翳りのさしたヒノトへ、ぎゅ、と両手を握り締めたイズナが急いで首を振る。そして、「その、苦しかったり、つらかったら……」言葉に迷う。
 ──ううん、苦しいに決まってるよね……。
 それでも、彼女には告げたい台詞があった。
「わたしたちを頼ってくれていいんだからね……!」
 ヒノトの大切なひと、なんでしょ?
 ぽつり問う彼女の傍から「おぅ」軽く顎を上げるのは相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)。鋭い眼光が、真摯にヒノトを見据える。
「アイツはよ、お前さんと縁深い奴だってんだけど。親か何かか」
「……!」
 短くはない時間、言葉を探した。それでも舌はうまく動かず、ヒノトは小さく肯いた。
 「……そうかよ」吐き捨ててるかのようなぶっきらぼうな声音で竜人は彼に背を向ける。彼の回答に紗羅沙(e40779)はくしゃりと顔を歪め、アリシスフェイル(e03755)も思わず瞼を伏せる。
 ──そんな再会、私だって予想もしたくない……。
 彼女と思い同じく、ティノの手も少し震える。けれど。
 髑髏の仮面で表情を覆い、『竜鳴』を構えて竜人が言う。
「お前さんは生きることだけを考えてな。アイツは、俺が殺す」
 低い声が宣する。弾けるように顔を上げたヒノトの前で『彼女』を射るティノの視線も、揺るがない。迷いはない。だからアリシスフェイルは祈り、紗羅沙は唇を噛み締めて悲しみと決意と共に誓う。
 ──どうか、彼が望む形での決着を。
 ──お守りします、……お傍で、心を護るひとりとして。
 友を案じる藤(e20564)もただ、願うよりなかった。
 ──どうかどうか、これ以上……親友が傷つくことがありませんように。

「相手が誰であれ」
 すいと衣擦れ。落内・眠堂(指括り・e01178)がゆるりと目許を和らげ、友に言う。
「お前の背は、いつでも護るよ」
「そうだよ! ヒノト、後ろは任せてほしいの!」
 ゆらゆら尻尾を揺らしてエルピス(e16084)も声を張る。
「いっぱい、いっぱい、思うこともあるかもしれないけど、思うこと沢山吐き出しちゃってほしいの。だってワタシはヒノトの相棒だもん!」
 えっへんと胸を張った彼女の瞳が、不意に優しい光を帯びた。
「……後悔しないようにしてほしいから」
 ──愛する子を遺して逝った母。……果たしてなにを想ったのか。
 相棒の言葉に瞳揺らす狐の子を、我が子のように気に掛ける藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)にとって、それは胸を締め付ける寂寞。けれど、判っていることもある。
「ヒノト。お友達は選ばなくてはいけないわ……早く『こちら』へいらっしゃい」
 パキ、ピキキっ──……。
「母、さ──」
 『彼女』が静かに告げると同時、彼の心臓の上を狙って中空から生み出される、氷の蓮。縫いついたように動かない足、そこへ伸ばされた手。
 己の身で彼を抱え込むが速いか、かそけきひび割れの音を立てながら景臣の背に蓮の花が彼を蝕んで美しく咲き誇る。
「景臣っ……!」
「っ、……きっと、少なくとも」
 ヒノトの悲鳴に、彼は淡く笑う。
「ヒノトさんの好きだった母上殿ならば、あなたを彼岸へ渡らせたりはしないでしょう」
 そして彼が体勢を立て直し『彼女』へ向き直ると同時、ふわりとその周囲に炎の蝶が舞い上がる。彼が護る為に顕現した神域──スクトゥム。蝶は華と化し気力を癒していく。
 同時に、眠堂が放った御業が敵の身体をわし掴んで締め上げる。
「惑わされるな。あれは、死神だ」
「ええ。彼の、母上殿の思い出を踏み躙ろうとした罪。そう簡単に償えると思わぬ事です」
 凜と言い放った景臣の言葉に、初めて『彼女』、否、その死神は表情を歪めた。
 ──イニティウム・アルス……。
 ラランジャ・フロル(ビタミンチャージ・e05926)は湧き上がる怒りに、地獄の炎が身体を巡るのを感じる。
「ひとの大切な存在の体を利用する死神ってのは、全く酷い趣味ッスね……その姿で、本物を汚すようなコトさせて……俺許せねェっス!」
 怒りに任せた蹴撃はすんでのところで死神のローブを掠めるに留まった、が、体勢を崩した背に「うん」淡々と声が届く。敵の瞳が捉えたのは、フェンリル(e00797)の傍らで口を開いたグリムの姿。
「その身体は俺の大事な友の、大事な人のものなんだ」
 ……だから、返してやってくれ。
 ごぉっ、と噴き出されたブレスをまともに喰らいながらも、死神はローブをはたいてその残滓をこともなげに払い落すと、穏やかな笑みを脱ぎ捨てて口角を吊り上げた。
「この美しさを理解しないものは、要らないの」
 開いた両手の間に、氷の花が咲き開く。

●愁
「確かにコイツはまだ酒も飲めねえガキだがよ、この背丈になりゃ、親の言葉がすべてじゃねえんだ……!」
 音速の槌風が巻いて竜の如き鳴き声が轟き、速度乗せた重量を死神へと降り抜く。
「何より──曲がりなりにも親の姿を模したテメエがガキを殺そうとしてんじゃねえよ! 殺すぞッ!」
 竜人の単純で短絡な殺意の源は、彼の心根があまりにも純粋であるからだ。親が子を、あるいは子が親を殺す、そんなことを、認めたくない。それが仲間のことであるなら、なおのこと。
 大きく軋んだ身体、けれどまだ笑みを浮かべるマンダリン・ガーネットに、勲(e00162)は「……少し前にさ」吐息混じりの声を零す。
「『両親の墓前に挨拶に行きたい』って言ったらアイツ、泣きながら俺に礼を言ったんだ」
「……それが、なにか?」
 死神は冷徹な微笑みすら浮かべた。「もう必要ないわ。『母』はここにいるのだから」。そしてヒノトへと向き直る。
「思い出しなさい。貴方は偉大なる術を受け継ぐ存在であることを」
 教えたでしょう? 紡がれる冷気。言葉そのものが呪いであるかのように動きの鈍る彼を含む、前衛の仲間達すべてを氷の藤の蔦が呑み込む。
 『決して離さない』、そんな意味を持つ花。僅かばかりの苦手意識と共に、夜の『葬月』が断ち斬り氷片の散りしきる中、踏み込みと同時に放つ斬撃が月の弧を描いた。
「……『思い出せ』? ……いい加減にするッス! あンた如きが、お母サンを語るんじゃねェっスよ!」
「ああ。アイツはずっと拠り所にしてたんだよ、家族の存在を。だからこれ以上、アイツを傷付けてくれるな」
 ラランジャの咆哮と共に繰り出された竜気纏う槌の一撃に加えて、勲の電霆纏う拳が叩き込こまれ、「……ッ!」細い死神の身体は鬱蒼と茂る下草の上へと崩れ落ちた。
 薬液の雨を喚びつつ、護朗(e11656)も心を同じくする。許せはしない、死者への冒涜も当然だが、ヒノトを悲しませたことが。
 親の姿をした死神。もしも、僕なら。思えばこそ、どうしても心配が募る。視界が潤んだのを感じて慌てて擦るクィル(e00189)へ、「くーちゃん」リティア(e00971)の双眸が告げる。悩まずただ葬るなんてできるわけはないから。
 だからこそ彼を支えると。
「……そうだね」
 守護星座を描けば、長い尾羽のエルレも淡い癒しの風を送り届けた。

「悪いが、テメエを鉋原に殺させはしねえ……!」
 それは俺の我儘だと、竜人の投げたバールをかろうじて氷の向日葵を生み出して相殺し、死神は傾ぐ身体を足を踏み締めて耐える。
「ヒノト……判るでしょう、貴方なら……」
 伸ばされた白い手。
 彼のために迅い決着をと、誰もが望んだ。そのために火力に特化した。
 更には駆けつけた仲間達が回復に尽力してくれたお蔭で、命を徐々に削る敵の策は完全に封じられたと言っていい。
 それでも当然、癒えぬ傷は蓄積していく。傷付く母、戦い続ける友。
「……っ」
 まるで悪夢だ。それが己のために繰り広げられていると、ヒノトは痛いほど知っている。長いマフラーを巻いた小柄なタマでさえ彼を背にして唸りをあげ、護る意志を示す。
「死神と言えど母の身体、切り裂かれるのを眺むるは辛いやもしれぬ。目を背けても良い」
 夜に静かに落とされた声が、ヒノトの肩を震わせる。「だが、」夜は続ける。
「君はきっと、護られるだけを良しとしないだろう」
「……うん」
 判っている。あれは『母』ではないと。
 判っているのに、ヒノトにとっては『母』でしかなく、腕が、頭が、心が鈍る。
 覚悟を決めることができず、仲間への回復支援しかできずに居た彼の肩にそっと触れて、眉を寄せた眠堂が言う。戦闘のさ中、繰り返された言葉。
「……酷なことを言っている。でも、……あれは死神なんだ、ヒノト。あの手の招く先には死しかねえんだ」
 黒の瞳が、ひたと見据える。彼の痛みは、他人には到底知り尽くせないのかもしれない。それでも寄り添わせてほしい。
「お前自身が知っている、優しい思い出を信じてやりな。それこそが紛うことなき、母の姿だろう」
 ──どれ程の悲しみがあったとしても、生きていれば先へ歩み出せる。
「お前の手を取るために俺たちが居る……だからこうして追って来たんだ」
 一緒に、帰ろう。
「眠、……っ?!」
「ヒノト?!」

 天地が回った。
 軋む頭痛の中、突然靄が晴れて閃いた記憶。九年前。思い出。あの日。忘れた時間。
 朦朧としていた当時の自分の視線の先。
 蒼い焔に巻かれた生家、傍らに立つふたつの人影は──見たこともない表情の、『彼女』と『彼』だった……!

「ヒノトさん!」
 景臣の大きな手が彼を現実に引き戻す。続く頭痛にこめかみを押さえながら、恐怖と怪訝を滲ませ彼は『彼女』を見据える。
「……あの時の母さんが、お前……なのか……?」
「ふふ……いつの、ことかしら」
 交戦の中でも浮かべていた、にぃ、と口角を吊り上げる笑顔。その度に胸を掻き毟る違和感と嫌悪の理由が今、彼の中で符合する。
「なら……なら、父さんは?!」
「共に来なさい、ヒノト……そうすればぜんぶ、解るわ」
 うっとり告げられた言葉に、ラランジャは「ヒノトさん!」腕を掴んだ。
「姿は、お母サンそのものなワケだけど、でも、中身は違うんス。……違うんスよ……!」
 ヒノトの告げる『あの時』は、彼にしか判らない。母との思い出を取り戻したかのようなそぶりに、ラランジャが泣きそうになる。この再会が本物であったなら、どれだけ喜ばしいことだっただろうと。
 ティノも彼の前へと立ち塞がり、背筋を伸ばし見上げた。
「ヒノト、かの人は、人の……おまえの『死』に、美を見出すような人か?」
 そして敵へと向き直り、砲の先を定める。
「悔しいが、おまえの過去はなにも知らぬ。だが、今この状況を『己の目で視て、耳で声を聞いた』なら、なにをすべきか、解るはずだ」
 彼を護り守らんと今、ここに集った友がたくさんいることをティノは知っている。
「だからヒノトと縁深い者でも、連れて行かせはしない。それは僕の、騎士の矜持──偽物であるなら、慈悲もない! 縫い止めろ、世界を航る黒の舟」
 空気を打つ強烈な衝撃が自身をも襲う、時を乱す砲撃、叛逆の時界──アサルトパルス。
 震える圧の中、ロッドからネズミへと転じたアカが彼の耳を引っ張っては肩へと走り回る。その姿にヒノトは「そうだな、」笑った。
「……ああ。教え通りに視て聴いたことを信じるよ。お前は、死者を弄ぶ死神だ!」
 きっと眦に力を籠めて杖から雷迸らせ、決意を叫ぶ。

「俺、母さんの身体を解放したい! ……頼む。皆の力を貸してくれ……!」

 ぎりと歯噛みする死神の前で、仲間達へと癒しを送りつつ悠仁(e00349)が呟いた。
「借り物の言葉で騙せると思った時点で、『お前』では人を模すには力不足なんだろうさ」

「──緋の花開く。光の蝶」
 開いた掌からふより浮いたのは緋蝶──シャルラハロート。イズナは微笑む。
「氷の蓮、とっても綺麗だね。でも、わたしの蝶々も綺麗でしょ?」
 術を編んで相殺しようとした指先が、間に合わない。夜が刀を構える。
「軛から解放し汝が身を天地(あめつち)に還さん……!」
 神速の飛翔の軌跡が宵闇を裂く、宵隼歌。
「……ぁ……!」
 遂にイニティウム・アルスの膝が崩れ、そして、立ち上がれない。
 ラランジャを始めとして仲間の視線がヒノトへ集まる、その間隙を竜が奔った。
「アイツのためを思うならよ、素直に俺に殺されてくれや!」

「待ってくれ!!」

 場を裂いた咆哮。びたり、槌が止まる。
 吼えた狐は一転穏やかに、どこか泣きそうに、告げた。
「……ありがとう。でも、俺に任せてくれないか」
 真摯な声音に、小さく舌打ちをひとつ。竜人は身を引く。
 ヒノトが膝をつく『彼女』の前へと進み出る。向けられる己と同じ色の瞳。
「ひの、と」
「……っ」
 零された声に、揺らぐ。歪みそうになる口許を、必死で引き結ぶ。
 開いた両手が震える。心臓が暴れる。呼吸が乱れる。
「……火人、」
 鎮めたのは、背に添えられた温かな掌。
 定まらなかった瞳が、真名を呼んだ夜を見上げる。振られる首。それではいけないと。
 周囲を見遣れば、気遣う視線がいくつも返る。彼が苦しむのならばその手を血だまりに差し出すことを厭わぬ友たちのそれが。
「……うん」
 ひとつ、肯いて。
 両の手に集める、己のエネルギー。紫電として顕現するそれは伸びて、槍を成す。
「……穢身斬り裂くは双の閃雷!」
 エテルナライザー。
 両親から継いだ術を強引に改良したもの。永久に高みへと誓う術──けれど今ばかりは、貴女を高いたかい、天国へと送るために。
「……っ……!!」
 灼き斬る十字をその身に刻み、『彼女』は完全に地に伏す。
 仮面に表情を隠したまま「……馬鹿野郎」竜人は背を向け、場を後にした。

 虚脱するように『母』の傍に膝をつき、その手を両手で握り額に当てる。もう置いて行かないで欲しい。でも、繋ぎ止めることは叶わないから。
「……おやすみ、……母さん……」
「────、」
 逆の手が持ち上がり、彼の頬へと伸びて「!」氷を成す。気色ばむ仲間を「待って!」イズナが止めた。ヒノトの双眸が、大きく見開いたまま固まっていたから。
 ぱたりとその手が落ちたとき、彼の髪には一輪の氷のカンパニュラが咲いていた。

●啾
 霞のようにその遺体が消えて、しばらくのち。
 立ち上がったヒノトは、仲間へと振り返った。ひとりひとり名を呼び、深々と頭を垂れて心からの感謝を伝えた。
「皆の支えがあったから向かい合えたんだ。この恩は忘れない……本当に、ありがとう」
 全員の心掛けがあって、戦場となったその場所に大きな被害はない。ある程度それぞれの手で以て場を整え、仲間達は散っていく。
 周囲を見遣れば目につくひとつの石に、景臣が穏やかに告げた。
「ヒノトさん。宜しければ、ご挨拶をしても?」
「……ああ、きっと母さんも喜ぶ」
 微笑みを湛えて、景臣が手を合わせる。それに勲と夜、眠堂とティノも続く。
「……『初めまして』。貴人方のお子さんには、いつもお世話になっております」
「──弥咲さん、つったか。ヒノトを、俺の大事な友人をこの世に生んでくれて有難うよ」
 約束する、コイツは必ずアンタの代わりに俺達が守っていくから。
 その誓いを見つめるヒノトに、藤が言う。
「向き合うって言ったヒノトは、強いよ……けどもう、終ったんだ。もう、……いくらでも泣いていーよ……」
 マンダリン・ガーネットの瞳が瞬いて。
 我知らず、髪に未だ咲く氷の花に手を触れる。その冷たい感触に──視界が大きくぶれて歪んだ。
「……っう……」
 熱い雫がひと筋──そこからはもう、止められなかった。
 誰からともなく、彼に寄り添った。フェンリルがぽんぽんと叩くその背に、夜が再び掌を添えて柔らかく呼ぶ。
「……火人、君嶋火人」
 本当の君に還れる場所で、大切な名を何度でも呼ぼう。だいじょうぶだと。きみはひとりではないのだと伝えよう。
「……ぁああああああああああああッ!!!!」

 おおきくなったわ、いとしい子……あいしてる、これからも、ずっと。

 それは『彼女』の最期、彼にだけ聞こえた声。だけどきっと、信に足りる『母』の言葉。なぜなら遺された花がそれを示す、──『ありがとう』。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年5月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 3
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