菩薩累乗会~あるいは邪気でいっぱいの海

作者:土師三良

●籠城のビジョン
「本当に私を連れて行ってくれるの? めんどくさい俗世から隔絶されたゲーム天国に……」
「ああ、本当だとも」
 二人の女が砂浜で言葉を交わしていた。
 一人は二十代の半ばといったところ。整った顔立ちをしているが、目の下の大きな隈がすべてを台無しにしている。
 もう一人のほうは容貌から年齢を推し量ることができない。
 ビルシャナなのだから。
「もっとも、ゲーム天国ではなく――」
 ビルシャナは腕を水平に伸ばし、海原を指し示した。
「――ゲーム城塞とでも呼ぶべきものだがな」
 海面に水飛沫が上がり、彼女が言うところの『ゲーム城塞』が姿を現した。
 それは亀に似ていた。
 だが、本物と亀と見間違う者はいないだろう。全長は二十メートルほどもあり、甲羅の上には砲台が備え付けられているのだから。
「あれがおまえのためのゲーム城塞。闘争封殺絶対平和菩薩に導かれて我らに加わったオスラヴィア級戦艦竜のうちの一頭だ」
 ビルシャナがそう言ったが、女はまともに聞いていなかった。隈の上の目(寝不足気味なのか、半眼になっている)を興奮に輝かせ、歓喜の叫びをあげている。
「おおおぉぉぉーっ!? すごい、すごい、すごぉぉぉーい! あたし、あの鋼鉄の亀ちゃんの中で、ずっとゲームに浸っていられるのね! もうカレシからのメールや電話に煩わされることもないのね! もうゲームのために有給を取らなくてもいいのね! まあ、有給なんて、とっくの昔に使い切っちゃったけどぉ!」
 叫んでいるうちに彼女の隈は見えなくなった。
 血行が改善されたわけではない。
 羽毛に隠されたのだ。
 そう、その女はビルシャナと化していた。
「ふん。愚かな女め」
 新たなビルシャナを蔑みの眼差しを向けて、最初のビルシャナが小声で呟いた。
「これがゲームならば、こいつは使い捨てのアイテムといったところだな。憎き敵キャラであるケルベロスを誘き寄せるための……」

●音々子かく語りき
「あいかわらず、ビルシャナたちは『菩薩累乗会』を推し進めているようです」
 ヘリポートに召集されたケルベロスたちの前にヘリオライダーの根占・音々子が現れ、そう告げた。
 菩薩を次々に地上に出現させ、その力を利用して更に強大な菩薩を出現させ、その力をまた利用して更に強大な菩薩を出現させ……というサイクルを繰り返すのが菩薩累乗会だ。サイクルの果てにあるのは、菩薩の力による地球制圧。
 実に恐るべき計画であるが、それを根本から阻止する方法は現時点では判明していない。出現した菩薩の活動を妨げ、進行を食い止めるしかないのだ。
「今回、活動が確認されたのは『芸夢主菩薩』。ゲームにどっぷり浸ってる人たちをビルシャナ化しちゃう菩薩です。こいつの勢力が強まったら、多くの人々が現実とゲームの区別をつけられなくなり、次々とビルシャナ化してしまうかもしれません。なんとしてでも阻止してください」
 このチームが担当するビルシャナの名は持田・マチエ(もちだ・まちえ)。二十六歳の会社員。重度のゲーマーでありながらも社会性をオミットしない程度の理性は(ぎりぎりのところで)持ち合わせていたが、ビルシャナと出会ったことで、その理性も吹き飛んでしまったらしい。
「厄介なことに、皆さんの相手はマチエさんだけじゃないんです。芸夢主菩薩は皆さんのことを警戒しているらしく、各ビルシャナに助っ人をつけてるんですよー。しかも、二人! いえ、一人と一体と言うべきですかね。一人は『ケルベロス絶対殺す明王』なるビルシャナ。もう一体は――」
 音々子は思わせぶりに間を置いた。
「――戦艦竜ですよ、戦艦竜! 亀みたいな形をしておりまして、『オスラヴィア級戦艦竜』と呼ばれています!」
 ずっと前からオスラヴィア級戦艦竜は海底で侵攻準備を整えていたらしい。しかし、スパイラル・ウォーによって多くのドラゴンが音信不通になったため、目的を失い、定命化を迎えてしまったのだという。
「オスラヴィア級戦艦竜は館山市の海岸近くの海面にぷかぷかと浮かんでいて、その甲板というか甲羅の上の居住ブロックの中にケルベロス絶対殺す明王とマチエさんがいます。どのようなセンサーを有しているのかは判りませんが、オスラヴィア級戦艦竜はハイパーステルスモードのヘリオンも探知できるようなので、直上からの降下はできません。皆さんは付近の海面もしくは砂浜に降下し、泳ぐなり飛ぶなり乗り物を使うなりしてオスラヴィア級戦艦竜の砲撃をかいくぐり、甲羅の居住ブロックに侵入してください」
 マチエを説得することができれば、人間に戻せるかもしれない。だが、その前にはまずケルベロス絶対殺す明王を倒さなくてはならないだろう。ビルシャナが二体とも死んだ場合(あるいは明王だけが死んで、マチエが人間に戻った場合でも)オスラヴィア級戦艦竜は菩薩の制御を失い、海底に帰っていく。つまり、オスラヴィア級戦艦竜の撃破を試みるのであれば、ビルシャナたちは後回しにしなくてはいけないということだ。
「オスラヴィア級戦艦竜を無理に倒す必要はありませんよ。放っておいても、定命化で死んじゃいますからね。とはいえ、厄介な敵であることにかわりはありません。皆さんが居住ブロックで二体のビルシャナと戦っているあいだも、戦艦竜は攻撃を続けてくるでしょう」
 オスラヴィア級戦艦竜は自分の甲羅の上にいる者にも攻撃を加えることができるのだ。
「三体もの敵を相手にするのは大変だとは思いますが――」
 音々子は皆の顔を見回し、おなじみの言葉で締めた。
「――大丈夫です! 皆さんならできます!」


参加者
クリームヒルデ・ビスマルク(自宅警備ヒーラー天使系・e01397)
ビスマス・テルマール(なめろう鎧装騎兵・e01893)
アジサイ・フォルドレイズ(絶望請負人・e02470)
琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)
小車・ひさぎ(二十歳高校三年生・e05366)
軋峰・双吉(黒液双翼・e21069)
椿木・旭矢(雷の手指・e22146)
二階堂・たたら(あたらぬ占い師・e30168)

■リプレイ

●海の上で
 海原に漂う巨大な甲羅に向かって、旧式の高速漁船が突き進んでいく。
 くたびれた船体は無数の文字で覆われていた。まるで耳なし芳一だが、記されているのは経文ではなく、激励のメッセージだ。
 メッセージの送り手は、この船を提供してくれた地元の漁業組合の面々。
 そして、受け手は船上のケルベロスたち。
 そのうちの一人である竜派ドラゴニアンのアジサイ・フォルドレイズ(絶望請負人・e02470)は舵輪を手にして前方の巨大甲羅を睨んでいたが、視線をふと横に向け、小車・ひさぎ(二十歳高校三年生・e05366)を見た。
「今日はいつもと感じが違うな」
 そう呟くアジサイに対して、ユーラシアオオヤマネコの人型ウェアライダーであるひさぎは微笑を返した。
「判る? 猫耳を収納して、人間の耳にしてるんよー。耳に水が入ると、後で大変だか……あっ!?」
 ひさぎは微笑を消して、巨大甲羅を指さした。
 いや、オスラヴィア級戦艦竜を。
「攻撃が来るっ!」
 甲羅のそこかしこから無数の光弾が撃ち出された。天を目指して一直線に伸びるかと思われたそれらは不可思議な原理で折れ線を描き、高速漁船に向かってくる。
 ひさぎの声に応じて舵輪を回しかけたアジサイであったが、回避は不可能と悟り、咄嗟にヒールドローンを展開した。
「突っ切るぞ!」
「ローカルシェルシールド合体展開、サザエ&アワビシェル・ガイアイギスッ!」
 アジサイが叫ぶと同時にレプリカントのビスマス・テルマール(なめろう鎧装騎兵・e01893)も叫んでいた。何十ものサザエ型とアワビ型のパーツがどこからともなく現れ、組み合わさって全身鎧になり、あるいは盾になり、あるいはバリアを生み出していく。ご当地の貝類の『気』とでも呼ぶべきものを利用したグラビティ『ローカルシェル・ガイアイギス』だ。
 彼女に続いて、サキュバスの琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)が『百花桜乱(ヒャッカオウラン)』の呪文を詠唱したが――、
「この身が朽ち果てようとも、彼の者たちを守りなさい! ひゃっかおうりゅあっ……』
 ――思い切り噛んでしまった。船体が激しく揺れているので、下手をすれば、舌も噛んでいたかもしれない。
 それでも『百花桜乱』は問題なく発動した。桜の花が舞い散り、何人かの仲間たちの防御力が上昇していく。
 その『何人か』に含まれる人派ドラゴニアンの椿木・旭矢(雷の手指・e22146)が仲間たちに警告を発した。
「衝撃に備えろ」
 次の瞬間、空中で折れ線を描いていた光弾群が船に集束した。
 その後にやってきたのは『衝撃』どころではない。船は木端微塵になり、ケルベロスたちは一人を除いて海に放り出された。
 しかし、戦意を喪失した者はいない。このような展開は想定済みだ。相手は戦艦竜なのだから。
「ホント、戦艦竜ってのはデカいねぇ」
 ヴァルキュリアの二階堂・たたら(あたらぬ占い師・e30168)がバスターライフルを構えた。彼こそが放り出されなかったただ一人のケルベロス。海の上を走っている。いや、翼を展開し、海面に足裏がつく程度の高度を維持して飛んでいるのだ。
「ケルベロスの中には、あんなのと正面切って戦った人もいるんだよね?」
「うむ。俺の初めての任務は戦艦竜との戦いだった」
 戦艦竜を目指して泳ぎながら、オラトリオの軋峰・双吉(黒液双翼・e21069)が頷いた。
「相手は『華蛇』という奴で、あの亀野郎ほどデカくはなかったが――」
 片手で水をかきつつ、もう片方の手でバスターライフルを突き出す。
「――強敵だったことに変わりはない」
 二丁のバスターライフルが続け様に唸りをあげ、光弾と光線が発射された。前者は双吉のゼログラビトン、後者はたたらのバスタービーム。
「まあ、強敵だろうがザコだろうが、今回はスルーですけどねー」
 オラトリオのクリームヒルデ・ビスマルク(自宅警備ヒーラー天使系・e01397)がメタリックバーストを発動させた。水面下のオウガメタル『アダマス』からオウガ粒子が放出され、クリームヒルデとひさぎ、ボクスドラゴンのナメビスの命中率を上昇させていく。
「おねーさんたちのターゲットは――」
「――ビルシャナだけだから!」
 ひさぎが後を引き取り、水面から飛び上がった。戦艦竜を射程距離に捉えたのである。
「鳥の口車に乗っけられちゃったドラゴンなんぞに用はないぜ!」
 甲羅の一角にスターゲイザーを打ち込むと(ポジション的には戦艦竜は後衛だったが、この時点ではビルシャナたちがいないので近接型のグラビティを阻まれることはなかった)、ひさぎはそのまま落下した……が、海にまで落ちることはなかった。相手に投じた鉤付きのロープに掴まっていたからだ。
 彼女がロープを伝って登っている間に――、
「とはいえ、無傷で帰すつもりもないが」
 ――旭矢が翼を広げて甲羅に飛び乗り、着地ざまに指天殺を見舞った。
 その指が引き抜かれた頃にはひさぎもロープを登り終えていた。

●亀の上で
 他のケルベロスも次々と甲羅にあがり、足下に攻撃を加えつつ、あるいは仲間にエンチャントを施しつつ、走り始めた。目指すは、甲羅の中央にある居住ブロック。
 しかし、体の上を我が物で走り回るケルベロスのことを戦艦竜は放置しなかった。前部に備えられた長大な砲身の角度が垂直になり、エネルギーの塊を真上に打ちあげる。当然のことながら、空を狙ったわけではない。実体なき砲弾は空中でUターンし、ケルベロスめがけて落下した。
「おーっと!?」
 落下地点で声をあげたのは、たたら。
 しかし、ダメージは受けなかった。浮き輪をつけたテレビウムのアップルが跳躍し、自らの小さい体を盾にしたのだ。
 非常に強烈な一撃だったらしく、アップルの顔文字の両目の部分はグルグル模様に変わっている。同じ攻撃を受ければ、確実に消滅するだろう。
「ありがとう!」
 グッロキーなアップルに礼を言いながら、たたらは仲間たちとともに疾走し、居住ブロックに突入した。
「ケルベロス、殺す!」
 殺気に満ちた大音声が皆を出迎えた。
 同時に斬撃も。
 声の主は、厳しい顔付きをした女型のビルシャナ。ケルベロス絶対殺す明王。
 斬撃を放ったのは(誰にも命中しなかったが)刀を手にしたビルシャナ。この場所を『ゲーム天国』と信じて疑わない持田・マチエ。
「ケルベロス、殺す! おまえも殺せ、マチエ! こいつらはおまえの敵だ!」
 指示になってない指示をマチエに送りながら、明王は氷の輪をケルベロスの前衛陣に飛ばした。
「判ってるわ!」
 マチエが刀を構え直した。
「絶対に殺してやる! あたしのゲーム天国を守るために!」
「絶対に殺す? 大きく出たもんだな。俺ァ、慎ましいから、絶対に倒れないなんて言えねえや。でもな――」
 双吉がマチエの横を素早くすりぬけ、螺旋掌を明王に打ち込んだ。
「――『俺たち』は絶対に負けないぜ」
「じゃあ、慎ましい双吉さんに代わって、おねーさんが宣言しておきましょうかねー」
 クリームヒルデが翼を広げ、オラトリオヴェールの光を前衛陣に放射し、氷の輪に付与された状態異常をキュアで消し去った(メディックのポジション効果によってキュアの効果は二倍になっていた)。
「絶対に誰も倒れさせませんよ! 凄腕ヒーラーと呼ばれた、このおねーさんの目が黒いうちは!」
「ほう。凄腕ヒーラーなんて呼ばれてるのか。たいしたもんだ」
 感嘆しながら、アジサイがルーンアックスの『黒砕』を振り下ろした。こちらも狙いは明王。
「ええ、呼ばれてるんですよー……ネトゲの中でね」
 小声で付け加えるクリームヒルデの横で旭矢が『雷の手指(ライノシュシ)』を発動させた。五指を思わせる形状の雷が天井を破り、明王を鷲掴みにする。
 もっとも、当の旭矢はその様子を見ていない。彼はマチエだけを見ていた。真剣な眼差しで。
「言っておくが、その明王もこの亀も守る価値のある奴らじゃないぞ」
 眼差しばかりでなく、声音も真剣だった。
「それとゲームが好きなのはべつに構わないが、彼氏とのコミュニケーションゲームもちゃんとやれ」
「そうですわ」
 紙兵を散布しながら、淡雪が頷いた。
「彼氏と話し合って、仲を深めて、結婚して、専業主婦になっちゃえばいいじゃない。そのつもりがないのなら、私がその彼氏さんの新しい恋人に立候補したいくらいよ。貴方のようなダメ女を見捨てない優しい彼氏さんなんですから」
 本気で言ってるわけではないのだろう。しかし、冗談を言ってる顔にも見えない。目が死んでいる。
 それに気付くことなく、クリームヒルデが話に乗ってきた。
「いいですねー。おねーさんもその彼氏をNTRしちゃおうかなー」
「つまらんお喋りはやめろー! 殺ぉーすっ!」
 明王が怒声を発すると、無数の光弾が四方の壁を貫通してケルベロスたちに命中した。戦艦竜の攻撃は居住ブロックの中にも届くらしい。
 しかし、その程度のことで怯むケルベロスではない。
「お喋りが聞きたくないのなら――」
 明王とマチエの間に割り込むように立ち回りながら、ビスマスがメタリックバーストで仲間たちを癒した。
「――耳を塞げばよろしいのでは?」

●世界の上で
 明王は『ケルベロスを殺す』という意志に突き動かされているが、ケルベロスたちもまた強い意志を持って臨んでいた。
 その意志に従って、ケルベロスは戦艦竜の攻撃に耐え続け、仲間を癒し続け、明王を攻め続け、そして、ついに――、
「くぉ!? ……ろぉす!」
 ――ナメビスのボクスタックルを胸板に受け、明王が力尽きた。
「ちょ、ちょっと勝手に死なないでよ! あたし一人でこいつらと戦えっての!?」
 と、明王の死に動揺を見せたマチエであったが、すぐに気を取り直した。
「あ! よく考えたら、一人じゃなかったわ。まだ亀ちゃんが健在だもの!」
 彼女の声に応じるかのようにエネルギー光線が天井を突き破って落ちてきた。
 落下地点にいたのはアジサイ。しかし、直撃を受けたのはビスマス。盾となったのだ。
 その一撃で彼女がダウンしていないこと(貝型バリアによって、ある程度のダメージは軽減されていた)を横目で確認しつつ、アジサイはマチエに語りかけた。
「おい、二代目浦島太郎。いいことを教えてやろう。ゲーム機だのスマホだのといった精密機械はな、潮風や海水に弱いんだ」
「んなこたぁ、言われなくても知ってるわよ!」
「ほう、そうか。じゃあ、簡単に思い浮かべることができるよな。壊れて動かくなったスマホを握りしめたまま、この亀に乗って海を行く自分の姿が?」
「……」
 言葉に詰まるマチエに向かって、アジサイはたたみかけた。
「いやはや、すっげー楽しそうだなぁ。まさに海の覇者って感じで。しかし、貴様は本当に『覇者』たることを望んでいるのか?」
「それに、この場所は――」
 マチエの反応を待つことなく、淡雪が口を開いた。
「――電波もまともに届きませんわよ。オフラインだけじゃ、一月も経たないうちに飽きるんじゃないかしら」
「うんうん」
 クイックドロウでマチエを牽制しつつ、ひさぎが何度も頷いた。
「イマドキのゲームには高速で快適な通信環境が必須だもんね」
「ネットに繋げることができず、しかも室内にいるのが自分だけとなれば――」
 旭矢が追撃した。降魔真拳を打ち込むという形で。そして、残酷な事実を告げるという形でも。
「――対人ゲーム系は全滅だな」
「べ、べ、べつに構わないわよ!」
 マチエが我に返り、反撃すると同時に反駁した。
「ネット環境がなんだっていうの!? あたしは硬派な孤高の求道者タイプのゲーマーだから、DLCもアップデートも対戦相手も攻略wikiも……い、いらない! 本当にいらない!」
 もちろん、その言葉を真に受けるケルベロスは一人もいなかった。
「求道者とやらにも息抜きが必要なんじゃないのか?」
 と、双吉が言った。
「だけど、散歩もできないような狭い亀の中じゃあ、息抜きも難しいだろうなぁ」
「てゆーか、この亀、もうすぐ死んじゃうんだよ」
 身も蓋もない事実をたたらが突きつけた。
「はたして亀の死骸がゲーム部屋として機能するのやら……実に見物だねえ。まあ、誰も見ないけど」
「仮に死骸がゲーム部屋として機能するとしても――」
 と、ビスマスが話に加わった。
「――そこにずっと居続けるのなら、これから先に発売されるであろう面白い新作ゲームは絶対にプレイできませんよ。それでいいんですか?」
「……」
 またもや言葉に詰まるマチエ。『硬派な孤高の求道者』を気取る彼女といえども、いつかプレイするかもしれない未知のゲームへの望みは断ち難いらしい。しかし、誰がそれを嗤えよう? ゲームに限ったことではないし、マチエに限ったことでもない。多くの人が曖昧模糊とした望みを抱いて生きている。いつか観るかもしれない未知の映画に、いつか読むかもしれない未知の本に、いつか聴くかもしれない未知の音楽に、いつか食べるかもしれない未知の料理に、いつか出会うかもしれない未知の人々に。
 世界を『衆合無(カタルシス)に至るまでの暇(いとま)』と見做しているビルシャナからすれば、その『暇』の中で人々が抱く望みなど無意味なものなのかもしれない。
 しかし、ケルベロスの目の前にいる女はもうビルシャナではなかった。いつの間にか、全身の羽毛が抜け落ちている。
 元ビルシャナの彼女にひさぎが近寄り、そっと手を取った。
「……帰ろう?」

 ケルベロスたちは海岸を目指して泳いでいた。
 漁船で突進していた時と違い、マチエが一行に加わっている。
 淡雪の背中に縛り付けられた状態で。
「これって、溺れないための配慮? それはありがたいんだけどさ……どうして、マニアックな縛り型なのよぉー!」
「亀だけに亀甲縛りですわ」
 マチエの抗議を涼し気に受け流す淡雪であった。
「その亀さんはというと――」
 たたらが首をひねり、後方の戦艦竜を見た。
「――やっぱり、追ってこないみたいだねぇ。よかった、よかった」
 そう、戦艦竜はケルベロスを追撃しなかった。明王が息絶え、マチエが人間に戻ったたことによって、菩薩の課した戦闘プログラムから解放されたのだろう。
「しかし、敵とはいえ、同情するぜ」
 双吉も戦艦竜を見た。巨大な甲羅はゆっくりと海面下に消えようとしている。
「死に際にゲーム部屋扱いされるなんてよ」
「そうだな」
 静かに同意を示しつつ、旭矢も後方に視線を向けたが、もう戦艦竜は見えなかった。
 代わりに別の物が見えた。
 海面を漂うFRPの破片。その表面には、薄れかけた字で『がんばれ!』と記されている。
 そう、破壊された高速漁船の一部だ。
 クリームヒルデが振り返り、同じものに目をやった。
 そして、すぐに正面に向き直り――、
「じゃあ、もう一頑張りしちゃおうかー」
 ――泳ぐペースをあげた。

作者:土師三良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年4月6日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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