●ひと
眼下に広がる街の残骸を翡翠葛の目が望む。
ひとつふたつと瞬きの後で手にした女の面をそろりと顔に付けると、ほほ、と笑う声がした。
「良し哉、良し哉。楽土に劣らずされど当たらず。ほんにここは過ごしやすい……」
褒めたのはこの廃墟となった街の有様だ。未だ残る戦場の爪後に穏やかな言葉を紡ぐ怪鳥――大願天女の名を持つビルシャナの菩薩は、瓦礫となった部屋の片隅で傍らに見える歪みに視線を投げた。
それは雲の切れ間からぽっかりと見える月の様な隙間だった。中には不思議そうに怪鳥を望む少年の顔がある。
「すがる者……なんと多き事か」
零した言葉に寂しさを混ぜた怪鳥だったが、すぐに少年へ柔らかな微笑みを向けると扇を向けた。
「あなたの願い、叶えましょう」
告げた怪鳥の指先が、つ、と伸び、その手首に光輪が生まれて緩やかに先へと降りていく。
ふと、伽羅の香りが仄かに昇った。
「ひとは営みを良しと言えども、その心はやはり満たされぬ虚――悲しき者ですね」
ならば、こうして掬い上げたものの中に我らの血肉となるものが在れば良し、無ければそれも良し。可も不も混ざり満願の中に満たされればよい。
「さあ、生まれなさい」
告げた言葉には祝福の色が見える。
ほろほろと灯り、月の穴へと落ち始めた光を望むと、大願天女はそろりと女の面をずらした。その合間から見える嘴は、緩く光を返している。
この世は『衆合無(カタルシス)』に至るまでの暇(いとま)。
それまで生まれて、たあんと殺すと良い。
●葦
大願天女の暗躍。
昨今動向の激しいビルシャナのひとりである、かのデウスエクスの尻尾が見えたのだと、ギュスターヴ・ドイズ(黒願のヘリオライダー・en0112)は告げた。その一端を掴まえられたのは、筐・恭志郎(白鞘・e19690)の調査のおかげだという。
「大願天女の本体を探そうと動いていたら、デウスエクスの襲撃で放棄した街で目撃情報があって。それを元にギュスターヴさんに予知してもらったんです」
「そのおかげで今回は被害者が出る前に動ける。礼を言うぞ」
その言葉に擽ったそうな顔をした恭志郎は、ギュスターヴに視線を送ると話を進める様に会釈する。
促されたギュスターヴが話し始めたのは、大願天女の本体の居場所についてだった。これまでは幻影にて人々を惑わし、新たなビルシャナを生み出そうとしていたデウスエクスは、廃墟となった街のビルに潜んでいるとわかったのだ。
ギュスターヴの予知では、大願天女が幻影を飛ばして被害者と接触している所に介入できそうだという。いつもならば被害者がビルシャナとなってしまった後に介入していたが、今回はビルシャナとなる直前に接触できる。邪魔が入ればビルシャナへの変化をかける事は難しい。
「幻影の起こす事件では大願天女本体を狙う事は出来なかったが、今回は逆に本体しかいない。ここで撃破できれば大願天女の起こしていた事件を終わらせられるだろう」
つまり、この一戦で仕留めるのだ。
その為に集めた情報を、恭志郎は集まったケルベロスへと告げていく。
「元々オフィスビルだったそこは窓や出入り口が崩壊していて侵入は簡単です。ビルシャナの所までは簡単に辿り着けますが、問題はその後、ですね」
「ああ、開け過ぎている、という点だな」
言葉を継いだギュスターヴは、見えた物から描き出した見取り図を広げると、そこには障害物が無いのだと告げた。つまり、ドアも無く窓も無い。あるのはコンクリートの壁と瓦礫のみだ。奇襲をするには不向きであり、するのならば相手に気取られぬ様にする工夫が必要だ。
「もちろん、こだわらずとも正面からもいい。その場合は声掛けでこちらに意識を向けさせる形だな」
被害者がビルシャナとなる前に接触出来るという事は、相手の願いを聞きいて力を与える直前に介入する事になるので、今回は被害者を庇う必要はない。万が一、様子を見すぎて被害者がビルシャナとなってしまった場合は、大願天女から他者の殺害による願望充足を教えられない限り、ビルシャナの力を使っての実行はしないだろう。もちろん大願天女を倒してしまえばビルシャナの力は消える為、まずはかのデウスエクスの討伐を優先すべきだ。
「奇襲か正攻か。どちらにしても敵の能力を聞いてからですね」
敵の手の内を知ってこそ、立ち向かう対策が立てられる。
恭志郎の言葉にギュスターヴは手帳を捲ると、大願天女は敵の心を惑わせたり、心の傷を抉る事があると告げた。その上で戦闘では最大限にその効果が発揮される位置で立ち回るという。
「つまり、より術を掛けやすい場所で動くという事、ですか……」
「そういう訳だ。行けるかね」
言ったギュスターヴが恭志郎を望むと、黒願のヘリオライダーは悪戯っぽい笑みを浮かべる。その言葉に恭志郎は首を振ると、自身の得物をひと撫でした。
「ご心配なく、俺はケルベロスですから」
縁に合わずとも合い交えても。最前をもがいて得られる様に。
その先に、物言わぬ者の忘れ難き黒い慈愛があろうとも。
「ならば頼もう。君らは希望だ、よろしく頼む」
黒龍はそう告げると静かに手帳を閉じた。
参加者 | |
---|---|
メイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026) |
ロベリア・エカルラート(花言葉は悪意・e01329) |
エステル・ティエスト(紅い太陽のガーネット・e01557) |
筐・恭志郎(白鞘・e19690) |
カシス・フィオライト(龍の息吹・e21716) |
ヴィクトリカ・ブランロワ(碧緑の竜姫・e32130) |
ラヴェルナ・フェリトール(真っ白ぽや竜・e33557) |
野々宮・くるる(紅葉舞・e38038) |
●邂逅
からころと石を蹴る音が聞こえる。
静寂の中に落ちた一音に淡く輝く昼間の月を覚わせる円の中へ、つつ、と触れようとしていた翡翠葛の爪が止まった。
「そこまでじゃ! 鳥のバケモノめ!」
響いたのは溌溂とした少女の声だった。
持ち主であるヴィクトリカ・ブランロワ(碧緑の竜姫・e32130)は、ゆるりと振り向いた大願天女を睨め付ける。
(「ここで会ったが百年目、引導を渡してやろうぞ」)
藍の瞳に静かな闘志を潜ませたヴィクトリカはこの機会を逃すまいと気合を入れた。そんな彼女の後ろから会釈と共に声を掛けたのはメイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)だ。
「御機嫌よう、『直接』お会いするのは初めてだね。……まあ、次に会うことなどないのだけれど?」
彼の言葉には明確な敵意が見えたが、怪鳥は長く柔らかそうな睫毛で瞬きをひとつ返すだけだった。いかにも白々しい様にロベリア・エカルラート(花言葉は悪意・e01329)は口を歪ませる。彼女自身、大願天女の事件に関わった事は無いが、こんな相手の様子から好きになれそうもないなとつくづく思う。
「上から目線で人様をビルシャナに変えようなんてやつは、ここでケリを付けるしか無いね」
「ああ、必ず勝って見せる。それだけだ」
応えたカシス・フィオライト(龍の息吹・e21716)は、かなりの強敵と聞く怪鳥に自身の攻撃がどこまで通用するのかと僅かながら憂虞するも、考えても詮無い事だと切り捨てて前を向いた。
同じ様に心配を抱えていた野々宮・くるる(紅葉舞・e38038)だったが、縁あるカシスの様を見て深呼吸する。今回は身近な仲間がいるのだからと自分に言い聞かせれば不思議と心強くなった。その気持ちを持って怪鳥へと視線を向けたくるるは改めて声を上げた。
「こんな廃墟に何か御用なのかな? それより私達と遊んでくれない?」
「……異な客人です。この私に願いではなく遊びの誘いとは」
ともすれば嘲りにも取れた言葉は棘を感じなかった。それどころか慈愛に満ちた面差しがある――そんな怪鳥が告げた願いという言葉に、ラヴェルナ・フェリトール(真っ白ぽや竜・e33557)はふるりと首を振った。赤い瞳の少女が拒絶を見せたのは真実を知っているからだろう。
「……人の願い……悪いことに使うの……嫌い……」
「……貴女は何一つ叶えはしない。それは、切なる願いをただ歪める呪いでしかありません」
呪い。はっきりとした筐・恭志郎(白鞘・e19690)の言葉に怪鳥の翡翠葛の瞳が揺れる。それはどこか心配をする母親の目に似ていた。
それはか弱き者を守る様なものだろうか。それこそ大願天女らビルシャナにとって人は葦の如きか弱さであろうが単純な葦ではない。
「『考える葦』である人の強かさをお見せしようじゃないか」
独り言ちたメイザースの前に進み出たのは、それまで静観していたエステル・ティエスト(紅い太陽のガーネット・e01557)だった。
この期に及んでまだ『願いを叶える』という怪鳥――大願天女を危険な存在と認めるエステルは苦々しい思いのままで相手を睨め付ける。その唇から出たのは意外な言葉だった。
「せっかくですから、私の大願も叶えてもらえませんか?」
「良いでしょう、あなたの願いは――」
「……お前ら、ビルシャナの絶滅が望みだ!」
烈火の柘榴と見紛う程に焚けた瞳がエステルの叫びを刃と変えた。
ひり、と肌が痛む。削ぎ焦がす気迫は殺す意志だ。明らかな敵意の刃を他のケルベロス達からも得たらしい怪鳥は、小さく頷いて息を吐く。
「いいでしょう、叶えて差し上げます。あなたの死をもって」
死んでしまえば、その苦しみから解放されるでしょうから。
その言葉に誰もが得物を構えた時、後光にも見紛う鮮やかな怪鳥の翼がケルベロス達の前に現れた。
●苦杯
瞬きの間に渡った雷がケルベロスを守る壁となる。
「この障壁が皆を護ってくれる、安心してくれ!」
カシスの言葉の後で今度はメイザースの手が伸びた。その腕には義憤の女神の名を持つ彼岸花の攻性植物が這い、黄金の果実を宿すと聖なる輝きで前衛の身を包み込んでいく。
その恩恵を受けて飛び出した恭志郎は、天高く飛び上がると虹の輝きと共に落下した。大願天女の肩口を捉えた一撃の後に、エステルの魔力咆哮が相手の動きを止めた。
刹那、ロベリアが叫ぶ。
「イリス!」
呼び掛けたビハインドはその手の鎌を握り締め周囲へ力を渡らせた。次いで飛来していくのは周りの瓦礫――荒れ狂う石の雨に合わせて、砲撃形態へと変化したロベリアのドラゴニックハンマーが轟音と共に竜砲弾を解き放った。
光と爆音は土煙を呼び、ようやくそれが収まった後には耐える様に身を縮めた大願天女の姿があった。
やはり一筋縄ではいかない。
改めて周囲へ視線を走らせ敵の位置を確認すると、幸いな事に今は相手の後方に窓などの逃げ道はないと知った。だがグラビティで建物を破壊しての逃走も考えられる以上、万が一に備えて包囲の位置取りを取りたい。
同じ様に位置を確認したくるるはその身を空に踊らせると、牽制する様に流星の煌めきと重力を宿した飛び蹴りを胴体に叩き込んだ。
その衝撃に怪鳥の身が傾いた所へ、ラヴェルナの得物が向けられる。
「強い、のは……分かってる。だから……私は…みんな、守るの……集中…する」
告げたラヴェルナが煌めくエネルギー光弾を解き放つ。
正攻法の真っ向勝負を仕掛ける。地形上の優位性が無い以上、ケルベロス達は小細工は無用と判断を下した――ならばもう少し癒し手を築くべきであった。
真正面からの攻防の中で、ふと最初に違和感を感じた恭志郎は、大願天女の力に押されつつある現状を知った。それが相手の過剰な力のせいだと判断し自分に手中させようと眼前の怪鳥へ声を投げる。
「願いを叶えましょう、と人に囁くならば。俺の願い、貴女には分かりますか?」
「……あるのならば叶えて差し上げましょうか」
涼やかな言葉の後で翡翠葛の目が瞬く。その仕草に恭志郎はかつて大願天女に拐かされた幼い娘の赤く潤んだ瞳を思い出していた。しかし、あの子とは違うこの嫋やかな仕草の中に潜む嘘――誰かの願いをこれ以上壊されない為にと、心に誓って掴んだ機会を逃がす訳にはいかなかった。
なのに、予想以上の力に晒され削られていく体力に、ヴィクトリカ一人では回復が間に合わず、それぞれが自身を叱咤しながら戦場を駆けていく。攻防の危うさにケルベロスが防戦へ回るかと思い始めた時、大願天女の扇がつつ、と動いた。
伽羅の香りは黒々と立つ。
喉奥を撫でる様なそれでいて引き裂く様な。
最前列を襲う芳香の暴風に囚われたのは恭志郎だった。
「あなたの願いは何でしょう」
渇望、羨望、願望、欲望。
望みとするもの、欲するもの、求めるもの。
ありとあらゆるものに『欲』というものは忍ぶ。潜むとも言えるその六欲は生きとし生ける存在(もの)であれば必ず持ち合わせるものなのだから、ただ溺れ浸して今生に溢れるも良し哉ではないか。
それは生きる者ならば即ち当たり前の事。
「私は欲を良し哉、としているのです。それが救いとなり暇の手助けとなるならば、それこそ良き縁となりましょう」
ビルシャナの尊顔が微笑みを結ぶ。その様に恭志郎が口を開き掛けた時、周囲に炎が爆ぜた。
それはかつて青年が見た地獄だった。
喉の渇きを、体の痛みを、心の疲弊を蝕み燃え尽きさせた――自分が死んだ――と思った記憶。怪鳥によって貫かれた腹を伝い、地獄と呼ばれる焔が内臓を焼いている。
苦悩をより集めた腸(はらわた)への苦痛。
蝕む焔。歪む赤。一方的な暴力、熱い、燃える、腹が、胸が、己が。
息ができない。
「迦陵頻伽よ、お鳴きなさい」
「うあああああああああああああああああ!!!」
惑う幼子が咆哮する。
鮮血に、清らかに、横暴に、愛おしく。
恭志郎の腹を地獄が舐めた。
●落鳥
ともすれば泣き出しそうになる。
そんな感情を奮い立たせながらヴィクトリカは何度も癒しの力を解き放った。弄られる仲間の姿を目に焼き付けたくは無かった。
「人を誤った道に導いて何が天女じゃ! 貴様に惑わされ、苦しんだ人々に代わり天誅を下してやるぞ!」
片膝を付いた恭志郎へヴィクトリカの癒しの力が揮われると、今度はカシスがメビウス・ロッドを繰って癒しの雨を展開する。
「俺も支えるから」
そんなカシスの言葉にヴィクトリカは頷くと唇を引き締めて前を向いた。
最前線ではラヴェルナがロベリアのビハインドと共に戦線の維持に努めていた。元々盾役として庇う意志を貫いていたおかげで、仲間達のカバーは出来ていたがラヴェルナの体力を大幅に削り続けていた。おかげで回復に手数を裂き始めた事は痛手になっている。誰もが立て直しが必要だと思った時、再び伽羅の芳香が解き放たれた。
まずいと直感したラヴェルナが動くその前に、素早く伸びた幻覚の牙が少女の視界を覆っていく。次いで感じたのは痛み――腹を貫く激痛に少女の視界が歪んだ。
けれども意識だけは捨てられない。
「大……丈夫……、みんなは……出来るだけ……守る」
「ラヴェルナ!」
叫んだのは誰の声だったのか。
崩れ落ちた少女の体を支えるには程遠く、彼女の白髪が雪解けの様に散った。
牙に囚われたのは彼女だけではない。貫かれた自身のビハインドの姿にロベリアは喉の奥から出かけた悲鳴を噛み殺した。悲鳴を止められたのは消えながらも首を振る双子の姉の姿が見えたからだ。
それは自分に構うなと言う様に、されど消える事を惜しみ抗う様で。首を振ったのはロベリアにこの戦で強くあれと望むからだろうか。
「うん、わかってる」
独り言つ妹は滲む視界を振り払い、その手に地獄の焔を生んだ。
「燃え滾れ私の地獄。ロバ耳王の呪いはこの手の中に……さあ。溶けろ、沸き立て! 切り刻め!」
吼える。悪意の黄金が。
燃える。変幻自在の刃と炎が。
沈み行く暁の刃を従えて風切りの音と斬撃が舞った。その切っ先に一度呻き声を上げた怪鳥にロベリアは笑う。
「逃さないよ? さあ、君が縋るものは何なのかな……?」
「すがる……それこそ不要と、笑いましょうや」
言った大願天女はぽたりと落ちる己が血潮を余所に穏やかに口を開いた。
「そも我らは永久に生きる者、あなた達はさだめて終焉する者。全ては諸行無常(カタルシス)までの暇(いとま)となれば、この瞬間も賽の河原の児戯にも等しいと言えましょう。ならば、己の想いを些細でも叶えた方が幸せでありましょうや」
故に多少の散華も仕方無し。可も不も混ざり満願の中で満たされれば良い。
「命は、そんな風に……簡単に……」
消えていいものではない。
平穏を求めるくるるだからこそ紡げた言葉は、捻じ曲げられて得た願いの末にある不幸を悲しむものだ。しかし、そんな心を知らず怪鳥は無慈悲に力を向ける。
荒い息の間に言葉を漏らしたくるるの身は限界が近かった。それ故だろうか、彼女の瞳が翡翠葛の瞳が交わるとぞわりと悪寒を感じる。それは慈愛とはかけ離れたデウスエクスの瞳――次の瞬間、少女の目に映ったのは猛り狂う赤い炎だった。
孔雀の炎がくるるの身を舐め、がくりと崩れ落ちさせる。そんな姿に焦りを見せたカシスの隣でヴィクトリカは息を飲む。倒れた仲間の姿に幼い少女の心が冷え始めるにはそう時間はかからない。
――だめじゃ、これは。このままでは。
「我が名を以て命ず。其の身、銀光の盾となれ!」
一筋の光の様に強く響いた声は最前列を守る者へ癒しと守る力を渡らせた。顔を上げたヴィクトリカが見たのはマーシュの花の咲く髪を揺らして支援するメイザースの姿だ。
「大丈夫さ、だから顔を上げてレディ」
その言葉に少女は瞬きをする。
そうだ、戦線を支える自分がしっかりしなくてはどうするのだ。
「慈悲深き蛇神ケツァルコアトルよ、我がもとに降臨し給え。我は求める、貴方の偉大なる奇跡を……!」
叫んだヴィクトリカが呼んだ輝く有翼の蛇は最前列のケルベロスへ光を満たして再び戦場へと後押しする。
その姿を自分は守らねばならない。
●空白
幾度も切り結ぶ間に周囲の瓦礫は赤く染まり黒々と焼け焦げ、泥沼の様な様相を呈していた。
何度目かわからぬ肉薄にエステルは血に塗れた顔のまま吠えた。
「この戦いには負けない。おまえ達は横暴すぎる!」
低い姿勢から打ち上げた打撃は、螺旋の力を翼腕の折れた大願天女の身に刻んでいく。それでもまだ倒れぬ相手にエステルは小さく舌打ちをして流れる汗を払った。
確実に相手へのダメージは重ねているが、怪鳥の口はなおも甘言を紡ぐ。
「あなた達は、何を……望むのです……何を、捨てるのです……」
得るならば捨てねばならぬ。捨てるならば得る事は無い。
ころりと零れる大願天女の言葉にメイザースは己が胸に浮かんだ思いを振り返った。自分もまた叶うなら、果たせなかった彼岸にいる愛弟子との『約束』を果たしたいとの願望はあるが、それが死者への冒涜であり、己が進んだ道を否定する事であると知っている。
叶わぬ願いすら糧にできるからこそ、人は人なのだろう。
それを零してしまえば恐らくは――再びケルベロス達へと伽羅の芳香が解き放たれる。そうして現れた牙は立つ事で精一杯だったカシスを捕らえると、その腹部へと深々と突き刺さった。
新たな鮮血が散り青年の身が崩れる。
怪鳥の哄笑が渡った。
倒れた仲間の姿にロベリアは改めて笑みを作ると自身の得物を握り直した。絶望に染め上げられる事の無い笑顔は彼女の中に不屈の炎を燃やす。
最前を守り続けたラヴェルナ、平和の中だからこそ命を尊んだくるる、必死で仲間達を支えたカシス――崩れ落ちた三人の前で自分が心を折る訳にはいかない。
戦場は荒れ、仲間の体力も残り少ない。それでも大願天女を仕留めるならば猛攻の手は休められない。
ならば決着の瞬間は。
その時は唐突に、そして確実に捉えられた。
度重なる攻撃に大願天女の身がよろめいたのだ。その一瞬を捉えた恭志郎は地を蹴ると怪鳥の懐へ滑り込む。
「これで終わりだ……!」
「……良いでしょう」
それがあなたの大願ならば。
不意に零した言葉の後で、大願天女の瞼が閉じる。
一閃された護身刀が斬り付けたのはくるるが与えた胴体の傷。白刃の軌跡が美しい円を描いた瞬間、真っ二つに分断された体が七色の羽根と共に散っていく。後に残った静寂は緩やかな午後の光――終わったのだ。
ケルベロス達が傷だらけの体を引き摺り、仲間の無事を確かめようと歩き始めるとふと笑みが零れた。
生きている。それだけでよかった。
この世は『衆合無』に至るまでの暇――ならば、衆合無へ至ればどうなる?
経文の様な言葉の意味を、ケルベロス達はのちに知る事になる。
作者:深水つぐら |
重傷:カシス・フィオライト(龍の息吹・e21716) ラヴェルナ・フェリトール(白竜は楯と共に・e33557) 野々宮・くるる(紅葉舞・e38038) 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2018年4月6日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 13/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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