●争い疲れ
進学校の学生寮の一室。
「あ~あ、疲れた。テス勉なんてやめてゲームしたいなぁ」
さっきまで学習机に向かってテキストを開いていた男子学生が、ごろんとベッドの上に寝転がる。
「なんでテストの総合点に順位つけて張り出すんだろう。勉強でまで競争しなくて良いのに」
彼の呟きは、最初こそ誰もが共感できそうな愚痴であった。
しかし。
「勉強に限らず、他人と結果を競い合う競争なんて、全部全部やめちまえば良いのに。競争かあるから、負けた奴が傷つくのに。色んな競争を繰り返して育つせいで、大人になっても自分に自信を持てなくなるんだ、他人の方が自分より優れているからって最初から諦めてしまって、真の実力を発揮できなくなるんだ。そうに違いない!」
男子学生の論理は、余りに極端に過ぎる。
「実力テストも、体育祭も、就活も全部なくなれば、落ち零れなんて生まれない、平和な世界になるんだろうなぁ……」
男子学生が、そんな都合の良い妄想に耽っていると、
「素晴らしいですな」
どこからともなく称賛の声がした。
「君の考えは、闘争封殺絶対平和菩薩の心に通じるものがあります」
そう木魚をぽくぽく叩きながら言うのは、袈裟を着た巨大なフクロウ——『カムイカル法師』だ。
「戦いや競争がなければ、人は戦う事も競争する事もなくなり、心穏やかに生きそして死に絶える事ができるのです」
カムイカル法師はそんな上滑りの教義を説いて、男子学生へ慈悲を垂れる。
「さぁ、闘争封殺絶対平和菩薩の教えを受け入れ、共に戦争と競争の化身、暴虐たるケルベロス達を迎え撃ちましょう」
カムイカル法師の言葉には、やはりと言うべきか『闘争封殺絶対平和菩薩』の加護が働いている。
「ようし、僕もやってやるぞ! 平和を勝ち取る為なら戦争も辞さない、競争をなくすためなら命すら惜しくない!!」
なればこそ、無理やりに争いを忌避する心を肥大させられた男子学生は、みるみるうちにビルシャナと化してしまった。
「おそらく、すぐにケルベロスが襲撃してくるでしょう。ケルベロスこそ、平和の敵、必ず打ち倒さねばならない、悪の権化なのです」
カムイカル法師が表情を引き締めて言うなり、彼の傍らに銀のダモクレスが姿を現す。
「無論、闘争封殺絶対平和菩薩の配下であるワシと、恵縁耶悌菩薩の呼びかけに応えて協力してくれた、この者も君を守るでしょう」
銀の翼を有し、手には黄金の書を携えたこのダモクレス、去年の聖夜略奪事件を起こした輝ける誓約が1体、『輝きの書』である。
●平和の為の戦争?
「ビルシャナの菩薩達が最近企て始めた『菩薩累乗会』について、更なる動きが判明したでありますよ」
小檻・かけら(油揚ヘリオライダー・en0031)が説明を始める。
『菩薩累乗会』とは、強力な菩薩を次々に地上へ出現させ、その力を利用してもっと強大な菩薩を次々喚び出して、いずれは地球全土を菩薩の力で制圧せんという内容だ。
「『菩薩累乗会』を阻止する方法は……ごめんなさい、まだ判っておりません……ですが、このまま手をこまねいて見ている訳には参りません」
ケルベロスが今すぐやるべきは、次々出現する菩薩が力を得るのを阻止して、菩薩累乗会の進行を食い止める事だ。
「現在、活動が確認されている菩薩は『闘争封殺絶対平和菩薩』」
世界平和や競争の無い世界を求める人間を標的にし、人間の生存本能まで無くさせて人類を滅亡させんとする、恐ろしい菩薩だ。
被害者は、世界平和や競争の無い世界を純粋に求めているに過ぎないが、その結果がどうなるかまでは考えが至っていないとみえる。
加えて、完全平和の為にはケルベロスを撃退しなければならぬという、ある意味矛盾した考えを闘争封殺絶対平和菩薩が配下『カムイカル法師』から刷り込まれていて、ケルベロスが現れたら問答無用で襲い掛かるだろう。
「ビルシャナ化させられた一般人は、己を導いたカムイカル法師と共に自宅へ留まり続け、ケルベロスの襲撃を待ち構えてるでありますよ」
もしもこの戦いでケルベロスが撃退されてしまえば、平和の名を借りて人類を滅亡させようとする教義が、急速に広まってしまうだろう。
そうさせない為にも、出来るだけ早く事件を解決して欲しい。
「さて、皆さんに倒して頂きたいのは、派遣されたカムイカル法師と、カムイカル法師によって開眼した元人間ビルシャナ、そして輝きの書の3体であります」
カムイカル法師は、敏捷性に長けた『平和祈念珠』を鞭のように伸ばして、広範囲の敵複数人に破壊力抜群の痺れを齎す。
また、『過去帳斬りつけ』で敵1人を凍てつかせるべく頑健性に満ちた斬撃を仕掛けてくる。
一方の元人間ビルシャナは、『分厚い問題集入り鞄』をぶん回して攻撃してくる。
理力に長け、敵単体の身体を打ち据えて自然治癒力を鈍らせる、射程自在の斬撃グラビティだ。
「それに加えて、『争滅焔』なる魔法もありますね。敵単体を燃え盛る炎に巻き込む、敏捷に秀でたグラビティであります」
他方、唯一のダモクレスである輝きの書だが、量産型ダモクレスでありながら決して戦闘力は低くない。
「輝きの書は、翼についた一対の砲口からバスターライフルに似た射撃をしてくるでありますよ」
ポジションはカムイカル法師がクラッシャー、元人間ビルシャナがスナイパー、輝きの書はジャマーである。
「世界平和は良い事ですし、行き過ぎた競争も止めるべきでしょう。しかし、競争自体は生物の本能の一つであります。競争が全く存在しなくなれば、生物は次代に子孫を残す事すらできなくなり、滅亡の一途を辿るでありましょうね」
かけらはそう私見を述べてから、尚も補足した。
「ですが、カムイカル法師が戦場にいる限り、闘争封殺絶対平和菩薩の影響力が強いせいで元人間ビルシャナの説得は不可能であります。彼の救出を目指すならば、先にカムイカル法師を撃破するか撤退させる必要がありましょう。ご注意くださいませ」
参加者 | |
---|---|
槙島・紫織(紫電の魔装機人・e02436) |
タンザナイト・ディープブルー(流れ落ち星・e03342) |
荊・綺華(エウカリスティカ・e19440) |
如月・環(プライドバウト・e29408) |
ミミ・フリージア(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・e34679) |
月白・鈴菜(月見草・e37082) |
天羽・蛍(突撃戦闘機・e39796) |
ルクシアス・メールフェイツ(この世の全てに癒やしを・e49831) |
●
学生寮の一室。
カムイカル法師と元学生ビルシャナ、そして輝きの書は、8人が突入するなり攻撃を仕掛けてきた。
「行くぞ、戦争は先手必勝だ!」
「はい!」
到底、厭戦主義とは思えぬ号令をかけて、カムイカル法師が向かってくる。
バチーン!
伸びた念珠が耳障りな音を立て、後衛を一気に薙ぎ払う——かに思えた。
だが。
「こりゃあ中々大変そうな状況だな……気張んぜ、シハン!」
間一髪、如月・環(プライドバウト・e29408)が、ウイングキャットのシハンと手分けしてメディック達の前へ滑り込み、代わりに怪我を負っていた。
シハンは、俺様気質だが環の良い相棒として彼の意思をしっかり汲み取り、輝きの書の太ももを爪で引っ掻く。
「は、味方護るんだって命がけ、ッスからね!」
数珠による痺れへ耐えながら、ニヤッと笑う環。
「色んな人間と、競って、強くなって……それがあるから、今俺は! ここでケルベロスを出来てんだ!」
ドゴォォォン!
元学生ビルシャナへ届けと熱い魂の叫びを上げた瞬間、環の背後から爆煙が立ち昇る。
赤青緑と大層鮮やかな爆発が、前衛の士気を否が応でも高めた。
「ばすてとさま……なんとか、持ち堪えましょう……」
すかさず荊・綺華(エウカリスティカ・e19440)もばすてとさまへ声をかけ、スナイパー2人の前に身を躍らせて、負傷を丸々肩代わりする。
「天におられる……わたしたちの父よ……み名が聖と……されますように……」
信心深い綺華は、一心不乱に天へ祈りを捧げて、ばすてとさまや環の怪我を癒した。
同時に、前衛陣へ守りに優れた英霊の加護も齎す。
ばすてとさまはぱたぱたと清らかな翼を羽ばたかせ、前衛の異常耐性強化に努めた。
「うおおおおお!」
元学生ビルシャナは、なりふり構わず鞄を振り回して前進してきた。
すると、テレビウムの菜の花姫が、ミミ・フリージア(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・e34679)の前に飛び出し、重い強打から主を守った。
「ふむ……こやつら、変な教義を広げるビルシャナとはひと味違うようじゃのぅ」
ミミは決意も新たにドラゴニックハンマーを振り下ろし、砲撃形態へと変化させた。
「じゃが、こやつらをこのまま帰すわけにはいかぬし、学生は返してもらわねばの」
狙い澄まして撃った竜砲弾は、見事に輝きの書の足首へ着弾、動きを鈍らせるには留まらぬ大怪我を負わせた。
輝きの書も、巨大な魔力の奔流を砲口より発射、後衛から布陣を突き崩そうと全力で反撃してくる。
「競争を無くしてしまったら……待つのは戦争です」
と、憂いを帯びた面持ちで呟くのは、ルクシアス・メールフェイツ(この世の全てに癒やしを・e49831)。
「負けられません……伝えるまでは!」
ルクシアスは部屋全体を使って美しい舞を披露。
花びらのオーラを降らせて後衛の傷を治すと共に、神経を蝕む痺れを消し去った。
「こんなちょっとの油断でデウスエクス化させられるんだね。やっぱりビルシャナは恐ろしいな」
天羽・蛍(突撃戦闘機・e39796)は、菩薩の加護の力を目の当たりにして、その怖さを素直に憂いた。
「このままビルシャナを放っておいたらさらに被害が加速しちゃうし、今は場当たり的な対処しかできてないけど、こっちからも反撃する手段を探さないとね」
大局的な視野から次の一手を考えつつ、機敏に飛びかかって輝きの書へ肉薄する蛍。
高速演算によって見抜いた輝きの書の構造的弱点——下腹部へ痛烈な一撃をぶち込むと、その極薄装甲ごとバキバキに破壊して、
——ガラガラガシャン!
遂には、輝きの書を床に墜落させ、死に至らしめた。
「平和。そう、お前が求めるのは『ビルシャナの平和』ですね。ならタンザ達は『地球の平和』の為に競争を始めます」
タンザナイト・ディープブルー(流れ落ち星・e03342)は、元学生ビルシャナへ拙い物言いながらはっきり戦線布告する。
「贅沢な悩み、と思うのはタンザの心が狭いですか?」
誰にともなく問いかけて、地獄の炎弾を放つタンザナイト。
「でも皆が競争に参加出来るという事自体が、文明を創り守った先人の尽力故だと思うです。それが日々こうしてデウスエクスに脅かされる今は特に」
彼の熱弁は感情に訴える力を持っていたが、残念ながら体力を奪う筈の火球は、あっさりとカムイカル法師に避けられる。
本当ならパラダイムロストをぶつける筈だったが何故か叶わず、血襖斬りへの繋ぎに使えるのがフレイムグリードだったのだ。
「医療従事者として、命を救うための『時間との競争』や『病原菌との戦い』まで否定されるのはたまったものではないですよぉ」
口調こそゆるふわではあるものの、実に含蓄のある意見を述べて競争の必要性を訴えるのは槙島・紫織(紫電の魔装機人・e02436)。
「そもそも生命の発生からして、卵子への精子同士の競争ですし~。食事も、他の生物に勝利して得た血肉を食している訳ですぅ」
紫織は連綿たる生命の真理について説きながら、ゲシュタルトグレイブを構えて突撃。
「『生きること』は、それ自体が戦いであり、競争なんですけどねぇ」
稲妻を帯びた超高速の突きをカムイカル法師へ仕掛けて、貫いた鳩胸から神経を麻痺させるべく電撃を通した。
「……人間を殺さなければ生きられないデウスエクスが造る争いの無い平和な世界……」
月白・鈴菜(月見草・e37082)は、カムイカル法師に対して痛烈な皮肉を浴びせると、
「……最後には屠殺される家畜として全てを諦めて生きるのなら、辛さすら自覚出来ないでしょうし争いも起きない……」
闘争封殺絶対平和菩薩の理想をそう論じてから、法師へ向けて掌を翳す。
「ある意味では平和で争いのない世界なのかもしれないわね……」
掌より放たれた『ドラゴンの幻影』が、法師の全身へ燃え移り、火勢を強めた。
「わらわの力見せてやるのじゃ。こんなのはどうかのぅ」
最後はミミが強化した猫のぬいぐるみを渾身の力で投擲。
ぬいぐるみと思えぬ重みのある連撃を喰らわせて、遂にカムイカル法師を絶命させた。
●
「法師達が負けた……これだから争うのは嫌なんだ!」
独り生き残った元学生ビルシャナは、恐慌をきたして叫んだ。
「わらわ達が倒した敵を見ていれば、いずれそなたも同じような最後を迎えるか……」
彼を黙らせるべく、軽く脅すのはミミだ。
「う……」
「よしんば生き長らえて完全なビルシャナになっても、今までの生活と変わらんと思うの」
不安そうなビルシャナを見て、尚も続ける。
「わらわは勉強も運動もやったほうがいいと思うのぅ。文章や図式など読み解ける能力があれば、色々と知ることができて、将来を楽しく過ごせるのじゃ」
これは社会人ならば誰もが頷く真理であり正論だ。
「それに、自分に何も誇るものがないのは寂しいのじゃ」
ミミの持論に、誇れる得意科目や特技の無いビルシャナは何も言い返せない。
「娯楽をより楽しむには、勉強とて役に立つかもしれんの。それに競争がなければどんな娯楽もつまらぬものばかりになりそうじゃしな」
至極当然である。テレビゲームに限定せずとも、カードゲームしかりボードゲームしかり、複数人で遊ぶ娯楽には必ず勝ち負け——即ち競争がある。
「世の中、様々な競争があればこそ、技術が発展して便利になっていったのじゃ」
これも想像に難くない。技術や学問の研磨を促す一番の理由は競争相手の存在。
人より優れた結果を残したい、沢山の人に認められたいという見栄や闘争心が様々な方向へ作用して文明を発達させたのだ。
なればこそ、ビルシャナも納得せざるを得ない。
「平和になっても何の娯楽もない世界なんて、嫌だ……」
ミミの根拠のある口撃の効果は上々だ。
「自分の思想を声高に叫んで世間の考えを歪めようとするのは『競争』ではないのか?」
タンザナイトは、ビルシャナの多くが起こす布教活動について糾弾するも、果たして無理やりビルシャナ化させた法師や戦意高揚させられた元学生ビルシャナに当てはまるかは微妙なところ。
「そもそも貴方の言う『競争』……テストも体育祭も就活も全て、参加は『義務』ではなく『権利』。やらなくても死ぬ訳ではない」
それでも、ビルシャナの極端な競争回避思考に対して、しっかり論理の穴を突く辺り、タンザナイトの理解力の深さを窺わせる。
「当然学校をやめ、自然の中で自給自足で生きる『競争をしない』生き方も選べる。不便にはなるが『競争のない社会』などそんな物でしかない」
そこまで言うと敢えて一拍置いて、巧みな弁舌を揮うタンザナイト。
「貴方は日々の生活に疲れているだけ、平和を叫ぶよりも今は少し休み、『自分の平和』を見つけるべき」
「……そっか、僕に足りないのは全てを捨てる覚悟だったのか」
少なからず衝撃を受けて、ビルシャナは立ち竦んだ。
「競争が無くなれば、落ちこぼれも居なくなる……それは確かに事実です」
タンザナイトに負けず劣らずの饒舌さで説得に挑むのは紫織だ。
「ですが、それは『全てが落ちこぼれと同じ位置から進まない』故にそう見えるだけ」
現に小学校の運動会などで時折見られる順位をつけない徒競走にしても、表面上順位をつけないだけで、児童の運動能力の差が実際に縮まる訳では当然ない。
児童の心を無闇に傷つけまいと寄り添ったつもりかもしれないが、その分児童の努力や能力へ対して大々的に褒める機会をわざわざ失くしているとも言えよう。
「競争に勝った『能力ある人』は、そうして得た成果……技術や発想を、他者へと還元することもできるわ。あなたが普段使っている文明の利器も、そうやって生まれてきたのよ」
紫織は懇々と勝者が齎す公共の利益について説いた。皆が日々不自由なく暮らせているのは、数多の勝者がたゆまぬ努力を続けて様々な技術や知識を世に送り出してきたお陰なのだ、と。
「競争は、前に進む力。その否定は、生物そのものの否定です」
紫織がきっぱりと言い切るのへ、ビルシャナも感じ入って、
「成る程、今僕の生活に必要な物は全部……何らかの競争に勝った人が生み出した……能力ある人が競争に勝って結果を残すって大切なんだ」
目を開かされた思いで頷いた。
ちなみに、綺華の説得は競争の必要性を説く真意こそ皆と同じでも、カムイカル法師の煽動に似た印象を与え、継戦宣言と受け取ったビルシャナから攻撃を食らってしまった。
「まず聞きたいんだけど、テストがなければどうやって理解度を計るの?」
蛍は開口一番、無邪気な笑顔で率直な問いを投げかける。
「え……テストの順位張り出しだけを失くすとか……意味ないか」
しどろもどろになるビルシャナへ、間髪入れず追い討ちをかける蛍。
「ゲームだって勉強してライバルと競い合っているから、負けないように良いものができるんだよ」
「それは……確かに。新作ソフトやハードの売り上げ競争も争いに違いないか……」
「もし競争を全部無くしたら、何もしないでこれで良いやで皆成長して、自信だけ一人前なのに、大人になる段階で知っておくべきことを知らない、何もできない大人ができる」
蛍は、競争のない世界は人々が堕落すると論じた。
「……競争が無いなら……どれだけ頑張っても誰も褒めてくれなくなるでしょうね……」
そして、鈴菜は人々が何故堕落するかについて語った。尤も、鈴菜でなく彼女に台本を託した某落ちる男の考察だが。
「……良い結果にはそれなりの苦労も伴うものだけど……他者との比較……つまり競争が無いのなら努力もその結果も認められずに大した価値は無い事になってしまうわよ……?」
実際、人間が研鑽を積むのは他人に認められたい承認欲求故である。そして自尊心を何より満たせる賛辞は他人との比較、即ち競争の結果に他ならない。
短くない人生で何かに打ち込む為のモチベーションを保つには、何らかの形で他人と競うのが手っ取り早いのである。
「そしたら食物や機械を作れる人もいない、何もなくなるよ。そんな世界で暮らしたいのかな?」
「い、いや……」
蛍の問いへビルシャナが首を横に振る。蛍や鈴菜の語る争いなき世界に絶望感すら覚えたからだ。
「それに努力は後で自分を助けてくれるよ」
蛍の主張は短いが解り易く、彼女の心根の健やかさが看て取れた。蛍自身、努力の報われた経験があるのだろう。
「……例えば好きな娘から……他の誰かと同じように扱われて満足……?」
鈴菜は、ありとあらゆる競争を失うデメリットについても解説する。
「え?」
「……自分の事を一番好きになって欲しいと思って頑張るのだって競争じゃないかしら……?」
好きな娘と結ばれる事自体が、もし数多の恋敵を蹴散らした結果であるならば、それは競争の勝者と呼んで差支えない。
だが、恋の鞘当てを不要な競争としてこの世から消し去ったら、好きな娘の心を射止める手段すら失ってしまう——鈴菜はそう言いたいに違いない。
「そんな……争いが無くなると彼女が出来なくなるなんて……」
鈴菜、もとい台本の斬新な視点による説得は、ビルシャナを大いに動揺させた。
「争い合うのは確かに俺も好きじゃねえ。でも俺にだって超えたい相手や、憧れている人だっている!」
環は敢えて飾らない言葉で、競争が自己実現の手段としていかに素晴らしいものかを熱弁する。
「そのために、追いついていずれ追い越すために! 目標を持った人間同士で高め合うのは悪いことじゃねーッスよぉッ!」
「目標……!」
環の大喝を浴びて、はっとするビルシャナ。
「僕にも何か目標があれば、競争へ前向きに取り組めたのかな……」
最後は、ルクシアスが穏やかな声で尋ねる。
「貴方は私達と平和の為に戦っているつもりなのでしょうか?」
「も、勿論」
「ですが、きっと違います。よく給食の残り物の為に、じゃんけんをしてどちらが貰うか決めた……そんな覚えはないですか?」
頷くビルシャナを見て、ルクシアスは断じた。
「あれも立派な競争です。ではそれが無ければ……? きっと直接的な喧嘩になります」
「あ……!」
つまり、人は幼い頃から他者との不要な衝突を避ける術、いわば社交術を学んでいる事になる。
「そう、正しい競争を省いた先に待つのは、不毛な戦争だけです」
愚かな奪い合いを避ける為に生まれた平和的な競争まで否定しては、却って人の心を荒ませ、剥き出しの敵意や私欲がぶつかり合ってしまう——悲しそうに訴えるルクシアス。
「私達と貴方との戦いも……同じく不毛です。私は、貴方と戦いたくありません。だから……元に戻って下さい!」
元学生ビルシャナは、ケルベロス達の真情が篭められ、尚且つ解り易い根拠や例示のなされた説得を、何とか飲み下したようで。
「僕、もう競争から逃げない。正しい競争を勝ち上がってみせる!」
ようやく菩薩の呪縛から解放され、人間に戻る事ができた。
作者:質種剰 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2018年3月29日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 4
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