菩薩累乗会~生きるために重ねる罪

作者:雷紋寺音弥

●越えた一線
 夕暮れ時の街を抜け、狭山・春人(さやま・はると)は冷たいアパートの扉に手をかけた。
「ただいま……」
 返ってくる言葉などないと解っているのに、それでも挨拶をしてしまうのは悪い癖だ。そんなことを思いつつ、春人は殺風景な部屋の中に使い古した鞄を放り投げると、その中から一枚の茶封筒を取り出した。
「はぁ……とうとう、やっちまったなぁ……」
 封筒を持つ手が震えているが、無理もない。この封筒は、そもそも春人のものではなく、そして中身は現金だ。学校で行われた給食費の徴収。それに乗じて、クラスメイトの持ってきた集金袋の一つを、中身ごと失敬してきたのだから。
 他人から、金を盗まねば暮らせない。そう思わせてしまう程に、春人の暮らしは豊かではなかった。病気がちで入退院を繰り返す母と、そんな母を捨てて女を作り逃げて行った父。家の中にさえ助けになる者は誰もおらず、もはや我慢の限界だったのだが。
「やっぱり、母さんが知ったら悲しむよなぁ……」
 金を手に入れても、浮かんでくるのは自責の念ばかり。こんなことなら、勝手に一人で餓死でも孤独死でもすればよかった。そんな投げやりなことを考えたときだった。
「うわっ! な、なんだ……!?」
 突然、彼の目の前に、羽毛に包まれたビルシャナが現れた。驚く春人だったが、ビルシャナはそんな彼に構わず微笑みかけて。
「恵縁耶悌菩薩は『ええんやで』とおっしゃいました。あなたの罪は許されたのです。さぁ、心を罪から解放し、恵縁耶悌菩薩の羽毛に抱かれましょう。恵縁耶悌菩薩の羽毛はふわふわで、とても気持ちが良いものですよ」
「ええんやで、か……。そうだよな。これは、生きるために仕方のないことだったんだ! それに、この羽毛……こんなに温かいものに触れたの、どれぐらいぶりだろう……」
 自責の念に押し潰されそうだった春人の心は、ビルシャナの甘事に抗うにはあまりに脆すぎた。そのまま羽毛に顔を埋め、春人は徐々に自らもビルシャナの姿へと変わって行く。そして、そんな彼の頭を撫でながら、恵縁耶悌菩薩の配下であるデラックスひよこ明王は忠告した。
「おそらく、すぐに、ケルベロスが襲撃してくるでしょう。ケルベロスは君の罪を償わせようと襲い掛かってきます。ですから、君は戦わねばなりません。勿論、恵縁耶悌菩薩の配下たる私も共に戦いますから、勝利することは簡単ですよ」
 加えて、自愛菩薩の力により新たに配下とした、ボディガードもつけてやろう。そう、ビルシャナが告げると同時に、いつしか部屋の中には和装姿の螺旋忍軍の女性が現れていた。

●偽りの懺悔
「召集に応じてくれ、感謝する。先日の自愛菩薩に続いて、ビルシャナの菩薩達が引き続き、恐ろしい作戦を実行しようとしているようだ」
 その名も、『菩薩累乗会』。強力な菩薩を次々と地上へ出現させ、やがては地球上の全てを物量によって制圧する。実に恐るべき作戦だと、クロート・エステス(ドワーフのヘリオライダー・en0211)は集まったケルベロス達に改めて語った。
「この『菩薩累乗会』を阻止する方法は、残念ながら現時点では判明していない。俺達にできることは、出現する菩薩が力を得るのを阻止して、菩薩累乗会の進行を食い止める事だけだ」
 現在、活動が確認されている菩薩は『恵縁耶悌菩薩』。罪の意識を持つ人間を標的とし、自らの羽毛の力で罪の意識を消し去る事と引き換えに、その存在を自らに取り込んでしまうという菩薩である。被害者は罪の意識に苛まれ自責の念を抱いている人間で、配下のビルシャナである、デラックスひよこ明王達が送り込まれているようだ。
「ビルシャナ化させられた一般人は、自分を導いたデラックスひよこ明王と共に自宅に留まり続けている。そこで羽毛に抱かれ続けることで、罪の意識から逃げ続けているようだな」
 このまま放っておけば、やがて罪の意識から逃れる代償に、羽毛に魅了された彼らは恵縁耶悌菩薩の一部とされてしまうだろう。そうさせない為にも、出来るだけ早く事件を解決する必要があるのだが……なかなかどうして、厄介な状況になっているとクロートは告げた。
「デラックスひよこ明王の言葉によってビルシャナ化してしまうのは、狭山・春人という中学生だ。どうやら、実家の貧しさに耐え兼ねて、出来心からクラスメイトの給食費が入った袋を盗んでしまったようなんだが……」
 そんな彼を守るように、部屋にはデラックスひよこ明王の他、自愛菩薩と協力関係となった幻花衆という螺旋忍軍まで現れている。これらの敵を排除し、更に春人を説得するとなれば、かなり骨が折れる戦いになりそうだ。
「ビルシャナの内、デラックスひよこ明王の方は、身体に纏っているひよこを投げ付けて攻撃してくるぞ。春人の方は、ビルシャナとしては特に変わった攻撃を仕掛けてくるわけでもない。幻花衆にしても、一般的な螺旋忍者と同じグラビティを使用するようだが、所詮は下級戦闘員だからな。一応、ビルシャナ達を守って戦うようだが、先にビルシャナが倒されれば、任務の失敗を悟って撤退するはずだ」
 どの敵を、どのタイミングで相手にし、どの敵から倒すかによっても結果は大きく変わってくるだろう。3体のデウスエクスと同時に戦うのは負担も重く、一瞬の判断ミスが命取りにも成り兼ねない。
「生きるために、悪事に手を染める、か……。それが日常になってしまえば、人は簡単には戻れないからな」
 そうなる前に、春人が人を辞めてしまう前に、なんとか救い出して欲しい。彼がいなくなれば、そのことで涙を流す者もいるのだと。
 最後に、それだけ言って、クロートは改めてケルベロス達に依頼した。


参加者
相良・鳴海(アンダードッグ・e00465)
神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)
四辻・樒(黒の背反・e03880)
据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)
月篠・灯音(犬好きの新妻・e04557)
影渡・リナ(シャドウフェンサー・e22244)
黒岩・白(すーぱーぽりす・e28474)
櫻田・悠雅(報復するは我にあり・e36625)

■リプレイ

●静謐なる幻花
 夕暮れ時の色に染まる下町。古ぼけたアパートの一室を訪れたケルベロス達だったが、果たして彼らを待ち受けていたのは、歓迎する類の言葉などではなく。
「……っ! 伏せろ!?」
 神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)が叫ぶのと、彼の身体に無数の氷結が降り注ぐのが同時だった。
 幻花衆。自愛菩薩の配下となった螺旋忍軍の女が、問答無用で攻撃を仕掛けて来たのだ。
「来ましたね、ケルベロス。彼らは人を憎んで罪を許さぬ、非道なる存在です。さあ、春人君。彼らを排除しなければ、貴方は再び罪人として裁かれてしまいますよ?」
「わ、わかってるよ、そんなこと!」
 部屋の奥に立つデラックスひよこ明王に扇動され、春人もまたケルベロス達に攻撃を仕掛けて来た。相手を傷つけるような武器こそ手にしていないが、ビルシャナ化した春人の言葉は、それ自体が相手を惑わせる武器となる。
「ねぇ……僕は悪くないんだよね? 君達も、僕のこと許してくれるよね?」
 問い掛けるようにして紡がれる春人の言葉が頭の中で反芻されれば、周囲の仲間達の顔が、倒すべき悍ましき敵の姿に見えてくる。
「ふふふ……その調子です、春人君。さあ、貴方達も我がひよこの羽毛に全てを委ねなさい。そして、全ての罪が浄化される世界に至るのです!」
 春人に続き、デラックスひよこ明王もまた、全身に纏っていたひよこをケルベロス達に向けて解き放ってきた。雪崩のように襲い掛かる黄色い洪水。その様は、確かに見ているだけであれば、実に愛らしいものであったのだが。
「ちょっ……! な、なんなんッスか、これ!?」
 身体を張って仲間の盾になろうとした黒岩・白(すーぱーぽりす・e28474)が、瞬く間にひよこの海に埋まってしまった。
 全身を擽られるような、こそばゆい感覚。それに身を任せてしまったら最後、待っているのは春人の二の舞。
 このままでは、ミイラ取りがミイラにされてしまう。一刻も早く春人を救出したいが、しかしまずは邪魔者を排除しなければ、こちらの言葉も届かない。
「灯、後ろは任せた」
 とりあえず、今は戦闘に集中すべきと、四辻・樒(黒の背反・e03880)はそれだけ言って、稲妻の霊気を纏った突きを繰り出した。刃と共に閃光が爆ぜ、敵の動きが鈍った隙を突いて、月篠・灯音(犬好きの新妻・e04557)もまた白い霧を降臨させ。
「背中はこっちに任せるのだ。……降り立て 白癒」
 春人の言葉やひよこの群れによって惑わされし仲間達の心から、甘言や羽毛の誘惑を取り去って行く。見せかけの優しさで誑かせる程、ケルベロス達の覚悟は柔ではないと言わんばかりに。
「辛い境遇に置かれているのがわかるだけに、このまま終わらせたくないよね」
「ええ、そうですね。私も、手遅れという言葉で終わらせるのが嫌いなんですよ」
 影渡・リナ(シャドウフェンサー・e22244)の言葉に、据灸庵・赤煙(ドラゴニアンのウィッチドクター・e04357)が静かに頷く。姿形こそビルシャナと化してしまってはいるが、それでも助け出せる見込みがある者を、このまま死なせてしまうのはしのびない。
「お喋りはそこまでだ。まずは、邪魔な螺旋忍軍を排除するぞ」
 何ら迷うこともなしに、気弾を放つ櫻田・悠雅(報復するは我にあり・e36625)。こちらの想いを届かせるためにも、余計な登場人物には早々に退場してもらわねば。
「クソッタレが……。さっさと道を開けやがれ!」
 振り下ろされた相良・鳴海(アンダードッグ・e00465)の大鎌が、幻花衆の命を奪い彼の糧へと変える。それでも顔色一つ変えない幻花衆であったが、しかしケルベロス達にも退けぬ理由がある。
 罪と罰。狭山・春人を再び人間へと戻すための、短くも長い戦いが幕を開けた。

●届かぬ力
 古びたアパートの室内に、刃の音が響き渡る。まずは邪魔な幻花衆を倒すべく奮闘するケルベロス達であったが、彼らは思いの他に苦戦していた。
 春人を護る任を言い渡されているだけあって、幻花衆の守りは堅い。おまけに、集中攻撃で強引に突破しようとしても、デラックスひよこ明王が回復を施し邪魔をする。
「ふふふ……まだです。まだ、倒れてはなりませんよ」
「僕に近寄らないで! 僕を許してよ……」
 後方からフォローするひよこ明王に、感情のままにケルベロス達の妨害をする春人。彼らに対する抑えが殆どなかったことも相俟って、戦いは完全な泥試合となっていた。
「櫻田、左右から一気に畳み込もう」
「ああ、任せておけ」
 互いにタイミングを合わせ、同時に仕掛ける樒と悠雅。どれだけ回復を積まれても、敵の体力とて無尽蔵ではない。技の威力を重視して攻め続ければ、いずれは壁も突破できると信じ。
「その加護、打ち砕く」
「ただ、全てを切り裂くのみ」
 固く鋭い竜の爪が、研ぎ澄まされた刃の一閃が、ついに幻花衆を斬り捨てた。
「はぁ……はぁ……。ったく……手間かけさせやがって……」
 肩で息をする鳴海。彼自身は攻撃と回復の両立が成されているため、そこまで深手を負ているわけではない。だが、長引く戦いによる消耗は隠し切れず、それは前衛に立つ者達の方がより大きかった。
「皆、しっかりするのだ。まだ、戦いは終わっていないのだ」
「ラグナル、お前もフォローに回れ」
 灯音が薬液の雨を降らせ、晟がボクスドラゴンのラグナルに命じることで、なんとか体制を立て直すケルベロス達。しかし、戦いが長引けばダメージが蓄積するのは彼らも同じ。ビルシャナが2体も健在な以上、これ以上の長期戦は苦戦も必至だ。
「さあ、皆様。これからが本番ですぞ」
 ひよこ明王に向けてガトリングガンを連射し、果敢に仕掛けながら赤煙が告げる。幻花衆と違い、今度は攻撃も全力で通るのは救いだ。まずはこいつを撃破しなければ、春人への説得もままならない。
「もう一押しだ。黒岩君、行けるか?」
「勿論ッスよ! 悪いひよこは、丸焼きにしてやるッス!」
 晟の言葉に白が頷き、互いに繰り出す脚の一撃。燃え盛る蹴撃が三日月状の炎を飛ばせば、それは空中で交差し十字の形に敵を焼く。そこを逃さず、オルトロスのマーブルが睨み付けることで、炎は更に拡散し。
「人の心を悪用するなんて許さないよ!」
 リナの繰り出すは、全てを貫く雷の槍。鋭い閃光が空間を貫き、それはひよこ達の群れに護られた、ひよこ明王の本体に突き刺さったのだが。
「やりますね、ケルベロス。ですが、まだまだですよ」
 不敵な笑みを浮かべながら、ひよこ明王は瞬く間に吹き飛んだひよこ達を集め、自らの護りを固め直してしまう。おまけに、その隙を突く形で春人が攻撃を仕掛けてくるため、ひよこ明王だけに集中できない。
(「しまったな……。やつを攻撃するための手段を、私も用意しておくべきだったか……」)
 歯噛みする樒。攻撃の要でありながら接近戦に特化しすぎた彼女の技では、後方に立つひよこ明王まで攻撃が届かない。同じく、遠距離を攻撃できる術を1つしか持っていないリナや、同じ性質の技しか繰り出せない鳴海もまた、ひよこ明王に攻撃を見切られてしまっていた。
「そんな……。狙いが定まらない!?」
「ちょこまかと……小賢しい鳥だぜ」
 自慢の雷槍も、それだけしか繰り出せないとなってしまえば、完全に敵を抑えるには至らない。狙撃手の正確無比な狙いを以てしても、各上の相手に同じ属性の攻撃を強引に当て続けるのは困難だ。
 手数の不足は大幅な攻撃力の低下となって、更に戦いを長引かせる要因となっていた。相手の陣形を考慮した上での技の選択。それが甘かったことは、誰の目から見ても明白だった。
「悠雅さん、お願いするのだ!」
 肉体を活性化させる電撃を飛ばし、灯音が叫ぶ。回復に特化し、攻撃するための術を持たない彼女にできることは、最も高い攻撃力を持った者に全てを託すことしかない。
「蜂の巣になるといい」
 受け取った力を余すところなく弾丸に込め、悠雅がガトリングガンを乱射する。さすがに、攻撃の中心を担っているだけあり、彼の攻撃はデラックスひよこ明王の周りを護る、ひよこの群れを吹き飛ばして行き。
「まだまだ。こちらも援護させてもらいますぞ」
 同じく、赤煙もまたガトリングガンの弾をばら撒いたことで、さすがのひよこ明王も覆わずたじろいだ。
「こ、これはいけませんね。格なる上は……」
 このままでは負けると察してか、ひよこ明王は残るひよこを爆弾に変え、ケルベロス達に投げ付けて来た。
「……ッ! させるか!!」
 間髪入れず、割って入る晟。瞬間、彼の身体に命中したひよこが大爆発を起こし、辺りは一瞬にして爆風と白煙に包まれて。
「ゲホッ……ゲホッ……。ひ、ひよこ明王は!?」
 攻撃の余波に咳込みながらも白が顔を上げると、果たしてそこには、ビルシャナと化した狭山・春人しか残されてはいなかった。

●母の面影
 己の危機を察してか、それとも春人ではケルベロスに勝てないと踏んだのか。
 本来であれば、春人の死を以て逃走するはずだったひよこ明王は、一足先に撤退した。度重なる激戦の果て、幻花衆を撃破した上で敵を追い払えたのは、さすがと言ったところだろうか。
 だが、その代償として、ケルベロス達もまた無事とは言えない状況であるのも事実だった。現に、晟や白といった前衛で守りを担っている者達の身体には、回復しきれない無数の傷が限界近くまで蓄積しつつあった。
「古来より人間は『罪の意識』に苦しめられてきたっス。神というのは人を律するための存在でもあるけれど、同時に罪を許すための存在でもある。……だけれども。ただ、そこにあるだけの神によって与えられる『許し』というのは、本当の意味での『許し』……人の救済たり得るんスかね?」
 それは単なる言い訳だ。本当の救済を与えることができるのは自分自身。そして、その罪によって傷つけられたものだけだと白は告げるが、ビルシャナと化した春人は困惑した様子で首を傾げるだけ。
「神様……? 救済……? 何を言っているのか、よく解らないよ」
 中学生の春人にとって、宗教や魂の救済のなんたるかを説いたところで、少々話が難し過ぎたようだ。
「偽りの懺悔で何が救われる? 虚しさが募るのではないか? 自らが何を望んだのか、それを忘れてしまったのではないか?」
「罪の意識から逃げても向かう先が破滅なら、生きるために罪の意識と向き合うべきだよ。戦うべき相手を間違えたら駄目だよ。それから助けを求める相手もだね」
 ならば、より本質に近い部分を問い質せばと悠雅やリナが問い掛けるも、やはり春人は俯いたまま答えない。抽象的な言葉だけでは、心に響かせるのも限界か。
「まあ、お前にも色々と言い分があるんだろうが……」
 一度、そういったものを全て脇に置いて考えろと、今度は鳴海が春人に告げた。今の彼に必要なのは、単純にして明解な問い。まずは彼の中に残る罪悪感と、最後の良心に訴えねば。
「腹の底から悪くないって思うなら、もう俺から言うこたねぇ。まとめてケリをつけてやる。だが、悪いことだと思えるならそのモノサシを曲げんじゃねぇ」
 父親が逃げ、家は貧しい。おまけに母親は病弱だ。中学生の少年が背負うにしては、あまりに重たいものを背負って来た。しかし、それでも曲がってしまったらおしまいだ。前を向いて、涙の跡を踏みしめて、まっすぐ歩くことが必要だと。
「俺はお前を救わない、俺がやるのは人のモノサシを捻じ曲げようとするクソッタレをぶっ殺す事だけだ」
 後は、全て自分次第。だが、半ば突き放すような形の言葉は、今の春人にとって受け止めるには厳し過ぎた。
「春人くん、君が困っていることを誰かに相談したかい?」
「……そんなこと、しなくても皆、知ってるよ」
 灯音の問いに、春人は俯いたまま視線を逸らした。
 世界の全てが、そこまで冷たい訳ではない。それは春人も解っていたが、しかし彼の周りに限って言えば、世界は彼の味方ではなかった。
「君が盗んだせいで、傷ついているクラスメイトがいる。君だってわかってるんだろう、春人くん?」
「それじゃ……僕は傷ついてもいいし、苦しんでもいいの? 貧乏だと、それも仕方ないのかな?」
 罪の意識から目を逸らすため、春人の意識は腐り始めていた。このままでは本当に戻れなくなると、慌てて樒が釘を刺し。
「罪悪感を一度乗り越えてしまえば、その先にあるのは犯罪の常習性だ。お前の盗みに対する心理的なハードルはどんどん低くなるだろう。その先にあるのは破滅だけだ」
 ここで甘言に身を任せれば、結果的に母親を苦しませることになる。盗みを働くだけの行動力があるのなら、アルバイトでも探してみたらどうかと尋ねてみたが。
「僕、まだ中学生だよ。アルバイトなんて……できもしないこと、無茶言わないでよ!!」
 目の前にいる者達は、無理難題を吹っかけて自分を追い詰めるだけ。そう、判断した春人の叫びが、強烈な閃光となって襲い掛かって来た。
「……っ!?」
「しまっ……! 避けられ……!?」
 やがて、光が退いたところで、辺りに広がっていたのは凄惨な光景。仲間の盾となり過ぎた結果、白は倒れ晟も限界。樒や悠雅もまた深手を負わされ、これ以上の戦いは困難だった。
「……たとえどんな理由であっても……窃盗が正当化されることはないぞ……。何よりも……このことを知った母親が悲しむことは……君自身が一番よく分かっているはずだ……」
 だが、それでも先の樒が『母親』という言葉を紡いだところで、春人の表情が一瞬だけ変わったことを、晟は見逃していなかった。
「もちろん……君を一人で苦しめるつもりはない……。謝りに行くのが怖いのであれば……私も一緒に謝罪にいこう……」
 肉体は既に満身創痍。後、一撃でも攻撃を受ければ無事では済まないかもしれない。
 それでも諦めず、晟は言った。今の叫びで足りなければ、何度でも怒りと悲しみを受けとめてやると。
 もっとも、今の晟にそれをさせることは、彼に犠牲を強いることに他ならない。さすがに、それは拙いと察し、赤煙が打って変わって諭すような口調で問い掛ける。
「狭山春人君、君は許されることで救われたかもしれません。しかし、君のお母さんはどうでしょうか? 君が罪を犯し、その罪に背を向けている事を知ったら、悲しむ事に変わりはないのではありませんか?」
 罪に背を向けたところで、それは大切な人を苦しめるだけ。なにより、息子が人であることを辞めたと知ったら、果たして母親はどう思うだろうかと。
「あ……あぁ……。母さん……ごめんよ……」
 ビルシャナと化した春人の瞳から流れ落ちる一滴の涙。それに勝利を確信し、ケルベロス達は最後の猛攻に出る。
 かくして、全ての終わった室内で狭山・春人は辛うじて、人として踏み止まることができたのであった。

作者:雷紋寺音弥 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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