つばめがみた空

作者:小鳥遊彩羽

 新条・あかり(点灯夫・e04291)はその日、いつもより少しだけ帰りが遅くなった。
 両手に提げた買い物袋の中には、今日の夕飯の材料と、花やハーブの種がいくつか。この種を植えるためのプランターはどんな形が良いだろう――なんてことを考えつつ、『家』への近道のためにいつもと違う道に入ったのは、おそらく偶然だった。
 ――否、あかりはすぐに、それが必然だったと知る。
「……っ」
 迷い込むように足を踏み入れた、路地裏。
 そこに、あかりの行く手を遮るように立つ一人の男がいた。
 正確には、待っていたと――そう言っても、過言ではないだろう。
「あな、たは……」
 あかりは目を見開き、膝を震わせながらもその男の姿を確かめるように目を凝らす。
 白衣を着た、灰を纏ったような風貌の男。
 その男は、あかりが良く知っている人物だった。
 ――先程まですぐ側にあった日常の喧騒が、何故だかひどく遠い。
 男は微かな笑みを浮かべ、あかりへと手を差し伸べる。
 ついてこいと、言うように。
 けれど、あかりは知っていた。
 その手は、決して取ってはいけない、自分を殺すためのものだと――。

●つばめがみた空
「皆、集まってくれてありがとう。緊急事態だ」
 トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はつとめて冷静に、ケルベロス達へ呼び掛ける。
 トキサが予知したのは、あかりが宿敵の襲撃を受けるというもの。
 すぐに連絡を取ろうと試みたがどうしても繋がらず、一刻の猶予もない状態だという。
「トキサさん……!」
 フィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)の悲痛な声に、トキサはしっかりと頷いて応え、続けた。
「今から急いで現場に向かえば、まだ最悪の事態は避けられるはずだ。だから、何としてもあかりちゃんを助けてほしい」
 場所はとある街の路地裏。何らかの力で現場から遠ざけられたのか周囲に一般人の気配はなく、そこにはあかりと、彼女の宿敵である医者のような格好をしたダモクレスの姿しかない。敵は命中と回避に長け、その風貌から想像できるような、主に毒を用いた攻撃を行ってくるとのことだ。
「そのダモクレスがあかりちゃんとどんな関わりを持っているかまでは、わからなかったけれど、……彼が、あかりちゃんに対して明確な殺意を抱いているのは間違いないだろう」
 例えどのような相手であろうと、敵はデウスエクスに他ならない。会話らしい会話もおそらくまともに成立しないだろうとトキサは言い、そして、間もなく現場の近くに到着すると続けた。
 トキサは改めて、ケルベロス達を見やる。
「あかりちゃんにとっては、もしかしたら苦しい戦いになるかもしれない。けれど、デウスエクスの手に渡すわけには絶対にいかないし、それは、俺よりも皆のほうが強く思ってると思う。だから、皆で力を合わせて、――無事に、全員で、戻ってきてね」


参加者
新条・あかり(点灯夫・e04291)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
狼森・朔夜(迷い狗・e06190)
空国・モカ(街を吹き抜ける風・e07709)
紗神・炯介(白き獣・e09948)
月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)
比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)
一都橋・結以(サクリファイス・e25377)

■リプレイ

 ――ずっと、会いたかったよ。
 でも、いつかその時が来るとしたら『こうなる時』だって、――僕は、どこかで覚悟していたんだ。

「……あなたは、――くらがり、だね」
『彼』と相対したその時、新条・あかり(点灯夫・e04291)は、心がひどく凪いでいるのを感じていた。
 身体を守るように貼り付いたオウガメタルにそっと手を触れさせれば、確かな感触が伝わってくる。
「ほら、エルピス。あれが僕の――」
 言いかけた言葉が途切れたのは、目の前の『彼』――くらがりという名の男が、あかりではなく、彼女の後方を見たからだ。
 同時にこちらへ駆けてくるいくつもの足音が、あかりの小さなエルフ耳に届いていた。
 真っ先に、玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)が二人の間に割って入る。相棒たる翼猫も全身の毛をぶわっと逆立て、くらがりを威嚇して。
「タマちゃん、……皆」
「煙草を買いに行こうと思ってね」
 自分は、『たまたま』ここを通り掛かっただけ――そんな風に装った陣内だけれど、息を切らし肩で大きく息をしている姿を見れば、全速力でここまでやって来たのだろうというのは一目瞭然で。
 けれどすぐに落ち着きを取り戻し、陣内は真っ直ぐに男を見つめ、口を開いた。
「はじめまして。あんたのことは、この娘からよく聞いている。……逢いに来てやってくれたんなら、嬉しいよ」
 思い出すのは、『似てる』と言われたこと。確かに似ている、かもしれない。
 その思考の先が続くより先に、月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)が続いた。
「彼女はあたたかな『家』に帰るところだよ、無粋はいけない。……さて、これは斬ってもよい相手だろうか」
 イサギにとっては、腐れ縁たる陣内も顔なじみであるあかりも、どちらも大切な存在だ。
 あかりとくらがり。二人の間に何があったのか、詳しいことはわからない。
 察することは出来ても、詮索すべきでないとも心得ている。
 だが、くらがりがあかりに害をなすというのなら、それは、イサギにとっては敵となる。
 比嘉・アガサ(のらねこ・e16711)もまた、思うことは同じだ。
 アガサが知っているのは、くらがりがあかりにとって大切な人だったらしいこと。
 ただ、それだけだけれど、あかりの目の前にいる『あれ』は敵だとわかる。
(「だから倒す……それだけ」)
 一都橋・結以(サクリファイス・e25377)は複雑な面持ちで、あかりとくらがり、そして共に戦う同胞達を見やる。
 あかりにとってくらがりとはどういう存在であったのか。
 ――『宿敵』とは、何か。
 精神的に幼い思考ではその概念を理解することこそ出来ないものの、仲間達が秘めた想いの強さは、見えずとも伝わってくる。
 誰も傷ついてほしくない。誰も泣いてほしくない。ならば、誰の涙も見ないために出来ることをなそうと、結以は静かに、心に想いの火を灯した。
「あかりさんに危害を加える意図があるなら……敵と判断し、応戦の上排除する!」
 空国・モカ(街を吹き抜ける風・e07709)が張り上げた声に、くらがりが嘲るような笑みを浮かべる。
「……そうか、僕の邪魔をするのなら誰であろうと排除するよ。――番犬達」
「……っ」
 くらがりの声に何かを堪えるようにぐっと唇を引き結ぶあかりを、紗神・炯介(白き獣・e09948)は静かに見やる。
 ――これは、彼女の物語。
 故に、己はただその結末を見届けるだけと、炯介は敵である男へと視線を移した。
「あんたと新条がどんな関係だったのか、よくは知らない。けど、新条は私達の仲間だ」
 すると、あかりを護るように傍にいた狼森・朔夜(迷い狗・e06190)が、今にも噛みつきそうな鋭い光を讃えた瞳で男を睨み据えながら吐き捨てるように告げた。
「あんたのその手が新条を連れて行くっていうなら、意地でも邪魔してやる」

 口元に笑みを湛え、くらがりは手を伸ばす。
 刹那、掌から噴き出した黒い靄のような何かが、標的となったあかりを覆った。
「――あかりさんっ!」
 声を上げたのはフィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)だ。
 この戦いにおいて、あかりは『盾』となることを選んだ。
 それでも、くらがりの敵意が彼女に向けられるのは、胸が痛い。
「大丈夫、こう見えても僕、結構しぶといんだ」
 あかりは安心させるように口の端を微かに上げ、雷神の名を冠した杖を振るい、闇を裂く一条の煌めきを編み上げて前衛の壁と為す。
 フィエルテもすぐに雷杖を掲げ、守りの壁を後衛へ。
「皆を護るのは勿論だけど、あかりさんを一番に護るのが僕達の役目だからね」
 前衛の護りを重ねるべく、星剣で守護星座を描き出す炯介の言葉に、フィエルテははいと頷いた。
 くらがりに誰かを傷つけてほしくない。
 ――そして、もう二度と会えないであろう彼の全てを、この目に焼き付けたい。
 それが、あかりの願いだ。
 故に、彼の攻撃の全てを受け止めるつもりで、あかりは地面を踏み締める。
「君は強いね。僕は――」
 言いかけて、炯介はそれ以上を考えることを止めた。
 己の弱い心に鍵を掛け、やるべきことに集中すべく、意識そのものを切り替えて。
 あかりと前衛の皆の元へ、結以はオウガメタルの煌めく粒子の力を届ける。
 くらがりを見つめるあかりの瞳は、敵を見るそれではない。
 それだけで『二人』の間にあった何かが、感じられるような気がして。
(「……大事な人、なんだね。他の誰も、傷付けてほしくないんだ、ね……」)
 結以は思う。あかりが想いを届けるそのために、頑張って支えたいと。
「あかり、ちゃん……絶対……倒れないで」
 たどたどしくも、結以は懸命に、想いを言葉に変えて綴った。
「あなたが、全部受けたいと言うのなら……それを、応援するから。だから……みんなで、ちゃんと帰ろう」
 その言葉に、あかりはしっかりと頷いてみせた。
「うん、ありがとう、結以さん。――皆で、帰ろう」
 命中と回避に優れているというくらがりに対し、ケルベロス達はまず、自分達の護りと能力を高めることを目的として立ち回った。
 同時に、くらがりへ攻撃を届けやすくするよう、モカはイサギへ幻影を付与し、それを受けたイサギが、翼をはためかせて舞い上がった。
「動いてはいけないよ。すぐ、楽にしてあげるから」
 空中へと至ったイサギは、くらがりの元へ鋭い剣気の雨を降らせた。
 驟雨の如く降り注ぐそれを浴び、くらがりの動きが僅かに鈍った手応えを感じ取る。
 一方、朔夜はケルベロスチェインを地面に展開させて前衛を守護する魔法陣を描き、くらがりの攻撃に備えて守りを固めることに重点を置く。
 直後、吹き抜けた風が赤い花弁を散らしながら、アガサの身を覆った。
 アガサは自らの内に力が漲っていくのを感じ、オウガメタルの粒子がより一層視界を拓いてくれるまで今一度、自らに風を纏わせる。
 翼猫が一生懸命に翼を羽ばたかせる傍ら、陣内は流星の煌めきと重力を宿した蹴りの一撃を叩き込む。
「なあ、あんた。あかりに、……娘に何か言うことはないのか?」
 鋭く問いかける陣内に、くらがりはゴーグル越しの瞳を怪訝そうに歪める。
「僕には、……娘など」
 そうして、くらがりが振り向いた先。
 あかりはただ静かに真っ直ぐに、その瞳を受け止めていた。

 入念に積み重ねた加護と足止めのおかげで、攻勢へと転じる頃には前衛陣の攻撃も比較的安定して命中させることが出来るようになっていた。
 その間に受けたダメージも、炯介やフィエルテが惜しみなく力を振るった他、エンチャントを重ねる際のヒールのおかげで、アンチヒールで弱められてしまったヒール以上に手数を揃えて大幅に回復させることで、結果的に事なきを得ていた。
 加えて、後方から届けられた支援と癒しも、前線で戦うケルベロス達の確かな支えとなっていた。
 ――あかりの想いが、願いが、気持ちが、届くように。悔いの残らぬように。
 少しでも彼女の手助けが出来ればと、君乃・眸は自らの周囲に光の回路を展開させ、集中力を高める力を持つ、白銀に輝くフィールドを作り上げた。
 敵が誰であれ、己のやることは変わらないと、玄梛・ユウマは自らの身を盾として、降り注ぐ毒の雨から仲間を庇う。イッパイアッテナ・ルドルフも想いは同じく。あかりが望む形で結末を迎えられるよう、ミミックと共に皆を護るべく戦場を駆けた。
 前衛陣に力を添える彩り鮮やかな風を吹かせるのは、神崎・晟の手だ。自らの属性を分け与えて回る箱竜と共に、晟の助力は前衛陣を後押しする力の一つとなった。
 ルイアーク・ロンドベルが放ったドローンの群れが、ケルベロス達を護るべく戦場を飛び回る中、アンセルム・ビドーは仲間達の能力の底上げと回復に終始し、少しでも早く攻撃に移るための時間を稼ぐ。
 時にスノー・ヴァーミリオンの満面の笑顔は、主にディフェンダーとして立ち回る者達に溢れんばかりの癒しを齎していた。
「そろそろ、頃合いかな」
 イサギは無骨な印象のある直刃の日本刀に空の霊力を宿し、くらがりに刻んだ傷跡を正確に斬り広げた。
(「あかり君の思いが届くよう祈りたいが、祈りほど私に似合わぬ行為もないだろう」)
 イサギが歩んできた人生の中では、思い出すような相手もなく。そんな風に生きてきたこと自体には後悔はないが、今のこの身は、奇跡のように出会った愛しい者達の為にある。
 だからこそ――。
(「私は刀の一閃となり、ただひたすらに斬ることでしか証を示せない」)
 それでも、イサギはふと想いを過ぎらせる。
 ――愛しい私の光も、私が消えたなら、あんな風に思ってくれるだろうか。
 そんな感傷は無意味だと、イサギはゆるく首を振った。
 あの子を決して悲しませないと、とうに決めたのだから。
「――行け」
 すると、朔夜の御業を介して召喚された霊体の狼が、くらがりを鋭い牙で咬み裂いた。
 狼の姿は、まるで朔夜自身を表しているかのように荒々しく動き、咬み跡に取り憑いた霊力の残滓は、隙あらば傷口を広げようと侵食を始めて。
 攻撃を繋ぎ、続いてくらがりへと肉薄したのはモカだ。
「さあ、あかりさんに危害を加えようとしたこと、すぐに後悔させてやる」
 冥闇に誘うその手に囚われた刹那にモカを襲った、モカに良く似た誰かの幻影を振り払い、モカはくらがりへ螺旋を籠めた掌を触れさせる。
「ぐっ……!」
 モカの掌が離れた直後、内部から爆ぜる衝撃に大きくよろめいたくらがり。
 そこに、それまで力を溜めていたアガサが、旋風のような刃のような電光石火の蹴りを叩き込んだ。
「あんたの養い子は、もうとっくにあんたの手を離れてしまったよ。もっともっと愛情を注いでくれる相手を見つけたからね」
 アガサが示すのは、あかりから付かず離れずの距離を保ちながら戦っている陣内だ。
「でもね、だからといってあんたが要らなくなったわけじゃない。だっていちどは家族になったんだから」
「…………」
 くらがりは答えの代わりに毒の雨を降らせ、それでもなお、アガサの言葉に耳を傾けていた。腐臭すら感じる雨を浴びながら、アガサは話を続ける。
「もしも、まだ少しでもあんたの中に親らしい心が残っているのなら。……子の幸せを願い、喜ぶのが親の務めってもんじゃないの?」
「……君達は僕に何を求めているんだ、ケルベロス」
「別に、何も。ただ放っておけなかっただけだよ。ここで終わるなら、わだかまりは何も残さないほうがいいんじゃないの、お互いに」
 アガサはかつての自身の境遇をあかりのそれと重ね、だからこそ何としても、くらがりにとってもあかりにとっても、ちゃんとした決着と結末を迎えて欲しいと願っていた。

 炯介が星剣で守りの星を描き、フィエルテが極光のヴェールで仲間達を包み込む。陣内の翼猫も一生懸命翼を羽ばたかせて、毒気を祓う風を呼ぶ。
「ありがとう、皆」
 深呼吸を一つ、あかりは全身を覆うオウガメタルのエルピスを鋼の鬼と化し、くらがりへ拳を叩きつけた。
 あかりの瞳に映るくらがりは、最後に会った時と変わらない姿で、顔で、声で、あかりの知っているくらがりと同じはずなのに、どこかが違う。
 それが『心』だと察するのは、難しいことではなかった。
 今の彼は、ダモクレスなのだ。それ以上でもそれ以下でもなく、あかりがケルベロスで、くらがりがダモクレス――デウスエクスである以上、待ち受ける結末は一つしかない。
 そう思えば、いつもは滅多に動かないあかりの表情が、今にも泣き出しそうな子供のように揺れて。
 それでも、陣内は諦めたくなかった。
 雷の力を帯びた得物で神速の突きを繰り出し、胸倉を掴まんばかりの勢いで迫って。
「この娘はずっと『家族に見捨てられたと思いたくない』と祈り続けてきた。だから『くらがりは父親ではない』と言っていた」
 だけど、本当は――。
「本当は『父親に愛されていた』と信じたかったはずだ」
 陣内は、なおも詰め寄る。
 もう二度と会えない人に訊くことは叶わないと知っているから、これが最初で最後だと。
「あんたの口から、あかりのことを『家族だと思っていた』と、『手離したくはなかった』と言え。……言ってくれ。言うんだ!」
 ――けれど。
「それに、何の意味があるんだい?」
 陣内にそう答え、くらがりはあかりへと視線を移す。
「だって今の僕は、君の知っている『僕』ではないのだから」
「――嫌だ」
 あかりはぶんぶんと首を横に振る。
 彼が纏う白衣からは懐かしい煙草の匂いがして、鮮やかに蘇る光景があった。
 そこは、永遠に帰ることの出来ない場所。
 届かないとわかっていても、あかりは声を震わせて叫んだ。
「あなたは僕を拾い育ててくれて、僕に名前をくれて、植物の名を、珈琲豆の挽き方を教えてくれた人で、……」
 声を振り絞り、普段は表に出すことのない感情を剥き出しにしながら、胸の奥で渦巻く想いの全てを声に変えて。
「あなたは、唯一人の家族だったんだ。ずっとずっと、一緒に歩いていけると思ってたんだ、……っ、」
 開きかけた口から、すぐに言葉が出てこなくて。
 一度喉の奥に呑み込んでから、あかりは、再び口を開いた。

 ――『おとうさん』

 その想いに、父を呼ぶ声に。
 炯介はひどく心が痛むのを感じたが、それでも表情を変えることなく彼らの姿を見つめ。
 同じように、あかりを痛ましげに見つめる朔夜の心に過るのは、過去の記憶。
 届かないとわかっていても大切な人を呼び続ける友の声が、あかりのそれと重なる。
「ああくそ。届け、届いてくれよ。聞こえてんだろ? 新条のこの言葉が」
 朔夜の想いごと声に換え、御業の狼が咆哮を上げて喰らいついた。
(「こんな思いは、――もうたくさんだ」)
 あかりが本当に望む未来は、きっと奇跡が起きなければ叶わないことだろう。
 そして、そんな奇跡が起きないとわかっていても、朔夜は願わずにいられなかった。

 やがて、ケルベロス達の全霊を込めた反撃に、くらがりがその場に膝をつく。
 くらがりに、最早抗う力は残されておらず。
 あと一手。それで全てが終わると、誰もが悟っていた。
 イサギは刀を鞘に収め、モカも手を引く。
 くらがりとあかり――二人の姿を交互に見やり、アガサは開きかけた唇を閉じた。
「前を向いて。僕は君の決意を支えよう」
 どうか、悔いのないように。
 そう、ささやかな願いを込めて炯介は想いを紡ぎ、雪のような光の粒子を降らせた。
(「僕には、それしかできないから」)
 淡い輝きは溶けるように染み込むように、あかりの傷を優しく癒していく。
 結以とフィエルテも避雷の杖をあかりへと差し向け、雷光に添えた力を託す。
「うん、……大丈夫。――大丈夫だよ」
 託された力を手に、あかりは静かにくらがりへと向き直った。
 くらがりへと伸ばしたあかりの手に咲く、醜悪な程肥大化した深紅の薔薇。
 その花びらがくらがりを飲み込もうとした瞬間、陣内の手があかりの手を掴んだ。
「心配しなくていい。あかりのことは俺が引き受けた。――この先、ずっとだ」
 くらがりへそう言葉を手向け、陣内は静かに、傍らのあかりを優しく見つめる。
「――陣、」
「泥と血に塗れても、千年先まで共に。――そう言ったのは君だ」
 ならば幕引きは二人でと、笑みすら覗く陣内に、あかりは小さく笑おうとして、僅かに瞳を潤ませる。
「……最後まで、泣かないって決めてたのに、な」
 そして、巨大な真紅の薔薇に飲み込まれたくらがりは、望むものを望むだけ手に入れることが出来るという、泡沫の夢を見る。
「――……、あか、り、……」
 彼がはたしてどんな夢を見たのかはわからない。
 けれど、夢から解き放たれ崩れ落ちたくらがりは、どこか穏やかな表情で永遠の眠りについたかのように見えた。

 その場に零れ落ちた小さな花の種を、あかりはそっと拾い上げ、握り締める。
 ――ねえ、くらがり。
 いつか、王子さまとツバメの物語を読んでわんわん泣いた僕に、それは『いとおしい』という感情だと教えてくれたね。
 つばめは、帰る空を見つけたよ。だから、もう大丈夫。
「ありがと。僕のたった一人の、家族だったひと――」

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 15/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 7
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