菩薩累乗会~自愛という名の慈愛

作者:雷紋寺音弥

●最低の人生
 朝方から降り続いている雨が、今も外を濡らしていた。
 曇天の空を部屋の窓から見上げ、田中・芳夫(たなか・よしお)は幾度目かの大きな溜息を吐いて、散らかった部屋の真ん中に敷かれた布団の上に寝転んだ。
 この一年、自分は自分なりに努力して来たつもりだ。しかし、現実はどうだろう。散々に浪人した結果、今年も届いたのは不合格の通知。おまけに、受験勉強を理由にして年末のシフトを入れなかったことで、コンビニのアルバイトもクビになった。
 両親からの仕送りも止まった今、せめて金だけでも自分で稼がねば。そう思って新しいアルバイトを探してみても、今度は不採用の嵐が芳夫を襲う。おまけに、近頃は面接の帰り道に近所の女子高生からキモいと陰口を叩かれ、道端で転んだ子を見掛けてを助けようと駆け寄れば、反対に不審者と間違われて通報される始末。
「……ったく、俺が何をしたってんだよ。どうせ、俺なんか生きていたって……」
 完全に自暴自棄になり、芳夫がそんな言葉を呟いたときだった。
「この世で一番大切なのは自分! 人間、誰しも自分しか可愛くないの!」
 突然、芳夫の目の前に、桃色の羽毛に包まれた鳥人間が現れた。
「他人が自分を否定したって関係ないよ。だって、他人にとって、あなたは大事じゃないんだもの」
 だから、そんな他人の評価を真に受けて、自分を偽るのは間違っている。他人の評価なんて関係ない。ありのままの自分を好きになれ。自分自身を最高に評価できるのは自分だけ。そして、その評価こそがこの世で唯一無二の、あなた自身の評価なのだと。
「……つまり、あなたは、最高。この世において、至高の存在なのよ」
「そ、そうか! 他の人間が、俺をどう評価しようと関係ない! 俺を愛することができるのは、他でもない俺自身しかいないんだ!!」
 とにかく自分を徹底的に愛せ。その言葉に耳を傾けた芳夫の姿は、いつしか目の前の鳥人間と同じ、羽毛に包まれたビルシャナのものに変わっていた。

●自己愛という名のエゴ
「召集に応じてくれ、感謝する。俺達、ヘリオライダーの予知によって、ビルシャナの菩薩連中が恐ろしい作戦を実行しようとしていることが判明したぜ」
 その日、クロート・エステス(ドワーフのヘリオライダー・en0211)よりケルベロス達に伝えられたのは、ビルシャナの菩薩達によって計画された、恐るべき地球制圧作戦の報だった。
「連中の考えた作戦は、『菩薩累乗会』。強力な菩薩を次々に地球上に出現させ、その力を利用してさらに菩薩を出現させ……最終的には、菩薩の力による物量作戦で地球全土を制圧するというものだ」
 残念ながら、この『菩薩累乗会』を阻止する方法は、現時点では判明していない。出現する菩薩が力を得るのを阻止し、作戦の進行を食い止めるぐらいしか対抗策が存在しない。
「現在、活動が確認されている菩薩は『自愛菩薩』という名前のビルシャナだな。この世で一番大事なのは自分自身。それ以外は必要ない。そんな『自愛』とやらを教義としている菩薩だぜ」
 クロートの話では、この菩薩は配下にエゴシャナと呼ばれるビルシャナ達を連れており、なんらかの理由で自己を否定してしてしまっている状態の一般人の元へ、そのエゴシャナを派遣する。そして、巧みに甘事を囁くことでビルシャナ化させ、最終的にその力を奪い合一しようとしているらしい。
「ビルシャナ化させられた一般人は、自分を導いたエゴシャナと共に自宅に留まり続け、自分を愛する気持ちを高め続けているぞ。このままだと、充分に高まった力を自愛菩薩に奪われ、新たな菩薩を出現させる糧にされるのがオチだろうな」
 それを阻止するためにも、可能な限り早く事件を解決する必要がある。人生、時には鬱屈することもあるとはいえ、その結果が菩薩の糧にされて終わってしまうというのは悲惨すぎる。
「今回、お前達に相手をしてもらいたいビルシャナは2体。1体目は、先にも説明した『エゴシャナ』だ。桃色の羽毛を持ったビルシャナで、その美声で様々な歌を紡いで攻撃して来る。もう1体は、エゴシャナの力でビルシャナになってしまった一般人……名前は、田中・芳夫とか言ったな。どこにでもいるような、平凡な浪人生の男だ。こいつは全身から発する淀んだオーラや、意味不明な恨みの呟きなんかを武器にするみたいだな」
 ビルシャナ化した芳夫は、自分が独り暮らしをしているアパートに籠っている。自愛の感情に染まった彼にとっては自室も自分の一部らしく、部屋に侵入したケルベロスに対しては、問答無用で攻撃を仕掛けてくる。
「ビルシャナ化した芳夫を先に倒せば、エゴシャナは形勢不利を悟って逃げ出すだろうな。反対に、エゴシャナを先に倒せば芳夫を救出できる可能性も出てくるんだが……まあ、こっちはなかなか難しいぜ」
 芳夫を救出する場合、適切な励ましの言葉をかけた上で、彼の変貌したビルシャナを撃破しなければならない。だが、人生のあらゆることが上手く回っていない彼には、並大抵の言葉では届かないだろう。
「人間、誰しも自分が可愛いと思う心はあると思うが、それも度を過ぎれば他人を不快にさせるエゴでしかないからな。人生ってやつに、逃げ場はない。ただ、振り返らず懸命に走り続けることが、人間が絶望に抗うための唯一の手段だと思うんだが……」
 その結果、涙が枯れることになったとしても、それでも歩みを止めてはいけない。
 最後に、そんなことを呟いて、クロートは改めてケルベロス達に依頼した。


参加者
喜屋武・波琉那(蜂淫魔の歌姫・e00313)
モモ・ライジング(神薙画竜・e01721)
水沢・アンク(クリスティ流神拳術求道者・e02683)
若命・モユル(みならいケルベロス・e02816)
マサヨシ・ストフム(蒼炎拳闘竜・e08872)
美坂・真也(サキュバスの鹵獲術士・e22111)
フレック・ヴィクター(武器を鳴らす者・e24378)
風陽射・錆次郎(戦うロボメディックさん・e34376)

■リプレイ

●終わらぬ雨
 冷たい雨の降りしきる中、夕暮れ時のアパートの扉を開ける。だが、冬場にしては蒸れるような空気と共に溢れて来たのは、思わず突入を躊躇ってしまうほどの、凄まじく鬱屈した陰の気だった。
「うっ……! なに、この空気……」
 遺伝子レベルに刻まれた生理的嫌悪感を呼び起こされる陰湿な空気に、喜屋武・波琉那(蜂淫魔の歌姫・e00313)は思わず顔を顰めて口元を覆った。
「ほら、ケルベロスが来たわよ。早く追い払ってしまいなさいな」
「ああ、解ってるよ……。俺の世界には、もう誰も踏み入れさせない」
 部屋の奥で丸くなっている、灰色に淀んだ羽毛に身を包んだビルシャナ。かつて、田中・芳夫と呼ばれていたそれを扇動しているのは、対照的な桃色の羽毛を生やしたエゴシャナだ。
「そうそう♪ 世の中、大切なのは自分だけ♪ だから精一杯、自分で自分を守らなきゃ♪」
 軽快なメロディに乗せ、しかしエゴシャナが紡ぐのは孤独の詩。それは、少しでも耳にした者達の心を壊し、踏み出す勇気を奪う魔性の声。
「ふざけるな! 今まで、お前たちがたくさんの人をビルシャナに変えてきたのも、菩薩だかなんだかのためか! どれだけの犠牲が出たと思ってるんだ!」
 あまりに身勝手な理屈を述べるエゴシャナに、若命・モユル(みならいケルベロス・e02816)が詰め寄り叫ぶ。だが、そんな彼の言葉にも、エゴシャナは何ら動ずる様子さえ見せず。
「犠牲? 何を言っているのかな~? ビルシャナになっても死ぬわけじゃないし、それを勝手な都合で殺しちゃう、君達ケルベロスの方が悪者じゃないかな~?」
 人を捨てる選択をしたのは、他でもない個々人の意思である。誰のためでもない、自分のため。そして、それの後押しをすることの何が悪いのかと、エゴシャナは軽口で答えるのみ。
「このクソ鳥ィ! 人の弱った心に付け入ろうなんざクソムカつくんだよ!」
 あくまで自らの正当性を主張し続けるエゴシャナに、我慢ならず激昂して殴り掛かるマサヨシ・ストフム(蒼炎拳闘竜・e08872)。広がる網状の霊力が、まるで野鳥を捕える罠の如くエゴシャナの身体を包み込むが。
「あ~、暴力反対~♪」
 全身を霊力の網に縛り付けられてなお、エゴシャナは軽口を叩くことを止めなかった。
「えぇ……君がそれ、言っちゃうの……」
 そもそも、仕掛けて来たのはそちらが先だ。あまりに酷い屁理屈に、風陽射・錆次郎(戦うロボメディックさん・e34376)は早くも突っ込む言葉さえ失っている。
 手前勝手な理由を掲げ、自分にとってのみ都合の良い解釈で事実を歪め、人を魔性へ堕とす者。主義や主張こそ個々で違えと、このエゴシャナもまた典型的なビルシャナのそれだ。
「できれば、田中さんの家族に連絡したかったんだけど……」
「どっちにしろ、考えるのは後回しね。まずは、このピンク色の鳥をなんとかしないと」
 事前の準備をする時間がなかったフレック・ヴィクター(武器を鳴らす者・e24378)を制し、モモ・ライジング(神薙画竜・e01721)が仲間達へ目配せしつつ告げる。エゴシャナが健在である以上、これ以上の問答は意味を成さないことくらいは知っている。
「自愛だってある程度なら心の支えにはなるけれど、度を過ぎれば自分自身の可能性を閉ざしてしまうもの……」
「愛を糧にしているサキュバスとしては、見捨てられないよね」
 美坂・真也(サキュバスの鹵獲術士・e22111)の言葉に頷く波琉那。互いに愛し、愛されることで力を得る彼女達にとって、エゴシャナの存在は正に対局に位置するものだ。
「……少しだけ待っていてください。用事が済んだ後に、ゆっくりお話しましょう」
 それだけ言って、水沢・アンク(クリスティ流神拳術求道者・e02683)は衣服の袖を、右の手袋諸共に白炎で焼き捨てる。
「クリスティ流神拳術、参ります……」
 歪んだ業は、地獄の業火で浄化する。そのためにも、まずは目の前の扇動者を倒さんと、白炎に包まれた拳を握り締めた。

●孤独な世界
 次第に強くなる雨音が、部屋の中にまで響いて来ていた。
「うふふ……。この世界に、信じられるものなんてな~んにもないの♪ なぜなら、世界は虚構に満ちているから♪」
 雨音にリズムを合わせるようにして、エゴシャナの口から紡がれる詩。それは現実と空想の境界を破壊し、認識を歪めて力を奪う。
「皆、あれに耳を傾けたらだめだよ」
 対抗するようにして錆次郎が光り輝く粒子を広げて行くが、それでも少しばかり手が足りない。敵が2体以上存在する戦場において、前のめりになり過ぎれば却って不利だ。
「守りを固めるなら、私の方でも手伝うよ」
 見兼ねた波琉那がケルベロスチェインを展開して結界を張ったが、しかしそれは防御力こそ向上させるものの、降りかかる様々な状態異常までは除去できない。
「やれやれ……。これはなかなか、面倒な戦いになりそうだね」
 軽く髪を掻き上げつつも、軽やかなステップを踏むことで、真也が癒しの花弁を呼ぶ。しかし、そんな彼らを嘲笑うかのようにして、今度は部屋の隅にいた芳夫が動き出し。
「ふふふ……君達も思い出すがいいさ……。この理不尽な世界に溢れる、様々な悪意の記憶をね……」
 今や灰色のビルシャナと化してしまった芳夫が、不敵な笑みを浮かべながら尻尾の鐘を鳴らして来た。その音色が響き渡る度に、忘却の彼方へと封印したはずの過去が甦り、ケルベロス達の心を蝕んで行く。
「舐めんな! そんな小細工で弱音を吐けるか!!」
 それでも、懸命に幻惑を振り切って踏み出すと、マサヨシは痛烈な脚の一撃で、エゴシャナの身体を蹴り飛ばす。その行動に鼓舞されたのか、モユルもまた鋭い跳び蹴りでエゴシャナを狙うが。
「……っ!」
 代わりに攻撃を食らったのは、他でもない芳夫の方だった。積極的に庇ったというよりは、巧みに動き回るエゴシャナによって盾にされたといった方が正しい形だったが。
「仲間を盾にして逃げる気? それが、あなたの本性ってわけね」
「あはは、酷いな~♪ 私が逃げた場所に、たまたま芳夫さんがいただけでしょ?」
 斬霊刀を振るいながら問うフレックの言葉にも、エゴシャナは飄々と返すのみ。なんというか、ここまで一貫してブレない下衆だと、却って清々しいくらいである。
 互いに相手の弱みを突き合う攻防戦。芳夫を狙えない以上、ハンデはケルベロス達の方にある。だが、それでも手数を重ねれば、そうそう何度も芳夫を盾代わりに使えるわけもなく。
「私の本当の切り札、その身に刻みなさい!」
「……壱拾四式……炎魔轟拳(デモンフレイム)!!」
 モモの手甲に仕込まれた刃がエゴシャナの喉元を穿ち、白炎を纏ったアンクの拳が追い撃ちとなって襲い掛かる。歌うための器官はおろか、美しい羽毛さえも焼き尽くされ、エゴシャナの身体が崩れ落ちた。

●自愛の果てに
 エゴシャナが倒れ、部屋に残されたのは芳夫だけ。灰色のビルシャナと化してしまった彼に向け、ケルベロス達は武器を納め、対話の姿勢を見せつつ語り掛けた。
 とりあえず、改めてお互いに話をしよう。そう言って、まずは錆次郎が自分の境遇を絡めながら語り掛けるが。
「僕も、家を追い出されて、自衛隊で世界の彼方此方の酷い事を見て、この体型と挙動不審な言動のお陰で、色んな苦労をしてきたけど、腐らず、頑張ってきたよ」
「あぁ、そう……。でも、別に俺、あんたのことになんか興味ないんだけど」
 自己愛を極めんとする芳夫にとっては、錆次郎の身の上話も興味の範疇外。ならば、せめて一度立ち止まり、落ち着いて考えて欲しいとモモは告げるが。
「何をしても上手く行かない事なんて、よくある事よ。私だって、いつもギャンブルに勝てるわけがない事と一緒」
「うるさい! それじゃ、俺の人生は行き当たりばったりのギャンブルと同じってか!? 馬鹿にするなよ!!」
 ビルシャナの力に飲まれかけている芳夫は、ともすれば言葉尻だけをとって勝手に悪意へと変換するだけだ。
「身勝手な感情に流されて君は本当に気持ち良いのかな? 安易に実現できる逃げ道にしていない? ……自分を甘やかさず本心に問いかけて欲しいんだよ」
 それでも、まずは勝手に怒って拒絶する前に、もう一度考えて欲しいと波琉那は問い掛けた。自分を大幅に変えることは無理でも、まずは出来ることから少しずつ。服装や態度を良くすることを心がけ、それを入り口として始めてみたらどうかと提案もしてみたが。
「はぁ、なんだよそれ!? それじゃ、あんたは俺が、ヨレヨレの部屋着で面接に行ったり、周りの連中を不愉快にさせるような態度を取っていたって言いたいのか!?」
 やはりというか、返ってきたのは凄まじい被害妄想の嵐だけ。極端に歪んだ自己愛は、時に他者からの愛情さえも悪意に変換してしまうというのだろうか。
 このまま、提案を続けていても駄目だ。それならば、提案ではなく共感ならどうかと、まずはマサヨシとモユルが話しかけた。
「辛いよな……。自分が何をしたわけでもなく、全部上手くいかなくて。自分では必死に現状を変えようと努力して、それでも報われなかった。でも、そんなになるまで一人で頑張ったお前はスゲェよ。他の誰が認めなくても、俺はお前がスゴイってこと認めるさ」
「自分を好きになることは悪いことじゃない。でも、それだけで閉じこもってちゃ、なんにも状況はなにも変わらないと思うぜ」
 だが、そんな凄い人間でさえも、独りだけでは生きられない。人は支え合い、助け合って生きるものだと、二人は芳夫に説いて聞かせ。
「もう一度、また立ち上がってくれ。俺が認めたお前の頑張りを無駄にしちゃいけない」
「オイラたちは今のあなたを助けにやってきた。だから信じて、少しでも希望を持って! 多少休んでも立ち止まってもいい……。それから、ゆっくりでも前に進んでほしいんだ!」
 最後の言葉は、むしろ願いにも等しかったかもしれない。それに続け、今度はアンクが二人の言葉を引き継ぐ形で、改めて芳夫に提示した。
「貴方に本当に必要なものは『友』です。それは難しい事かもしれません。ですが、それでも貴方を信じる人は居ます」
 ならばこそ、そちらも他者を信じるところから始めるべきだ。少なくとも、今この場に集まり、芳夫を救おうとしている8人からでも。
「今、会ったばかりで何を、と思うでしょうか。そうかもしれません。ですが、きっとこの先長い付き合いになりますよ?」
「さあ、どうだかな……。その『友達』って言葉でさえ、俺には信用できないよ」
 そもそも、この世に真の友情などあるのか。誰もが皆、結局は打算で誰かと付き合っているだけではないのか。
 世界に絶望した芳夫にとって、正論は単なる詭弁でしかなかった。語って聞かせる側にそのつもりがなくとも、少なくとも芳夫はそう思っているようだった。
「辛いわよね……。否定されるって、苦しくて悲しい事よ。だから、あたしは貴方を否定しない」
 やはり、一筋縄では行かないか。しかし、ここで諦めては終わりだと、フレックは諭すような口調で芳夫に告げるが。
「転んだ子供を助けようとするって、意外と皆出来ない事。それをやってきた貴方は、きっと他の人にも優しく出来る。自分を愛せるなら……貴方は他の人も愛せるのよっ! 否定される事の辛さを知る貴方が、どうして他人を否定出来るの!?」
「はっ……! そうやって、他人を信じて愛した結果、周りは俺に何を返してくれたよ!? 結局、ちょっとでも都合が悪けりゃ義理も人情も関係なく放り捨てて、悪意を返して来ただけじゃないか!」
 他人を愛したところで、自分が愛されるとは限らない。ならば、時分は最後まで自己愛を貫く。それが最も無駄のない最良の策なのだと、芳夫は言って譲らない。
 なんというか、随分と頭の固い男だった。それだけ、彼の絶望が深いということなのかもしれないが、それにしてもと真也は溜息を吐いて。
「人間、誰かしらとつながりを持たなきゃ生きていけないの。君にはたくさんの可能性がある。どうか自分で自分の未来を断たないで」
 自己愛を言い訳にしていたら、その未来さえも掴めない。本当の幸せは見えてこないと伝えてみたが、芳夫は不敵に笑うだけだった。
「そう言って、サキュバスの魅力で俺を惑わそうってのか? ……そういうセコい手が、あんた達のいう『愛情』ってやつかい?」
 これがビルシャナ化する前の状態であれば、種族固有の力でどうにかできたかもしれない。だが、ビルシャナとなった芳夫には、そんなものは効果もない。
「私達は逃げない。貴方を助ける為に、生きていればまだチャンスはある。私達は受け入れる。例え誰から見放されても、私達は貴方の味方だから! 私達は多くの人から必要とされる様に、私達も貴方の様な人が必要なの。……だからお願い、逃げないで。こっちに戻って来ておいで」
「詭弁だ、そんなのは! さっきから、あんた達は勝手に自分の都合と気持ちばっかり並べ立てて……俺がどんな人間なのか知りもしないで、受け入れるなんて気安く言うなよ!」
 懸命に手を差し伸べようとするモモの言葉さえも、芳夫は頑なに拒み続けた。具体や証拠を伴わない言葉では、彼を引き留めるのはもはや限界だった。
「どんなに優しい顔をしていたって、最後は誰でも裏切るんだ。いい加減、俺の部屋から出て行け……出て行けよ!!」
 古ぼけたアパートの一室に、芳夫の悲痛な叫びが響き渡った。

●選択と結末
 外は雨が降り続いていた。
 あれから、激昂して襲い掛かる芳夫相手に、ケルベロス達は仕方なく戦わざるを得なかった。実際、戦いに突入してしまうと、エゴシャナを欠いた状態の芳夫は思いの他に脆い。殆ど一方的に殴られて、気が付けば立ち上がる力も失っていた。
「きっと仲間が……優しくしてくれる人が居れば、こうはならなかったのに」
 戦いの果てに、ビルシャナとして倒れた芳夫へと、フレックは静かに手を伸ばす。だが、彼女の呟いた言葉はなによりも、彼女自身へと跳ね返っていた。
 愛情の反対は、憎しみではなく無関心。人間不信の芳夫に必要だったのは、同情でも安っぽい共感でもない。田中・芳夫という人間がどのような者なのか、実際に言葉に出して尋ね、彼を知ろうとする姿勢を見せる事だった。
 しかし、果たしてこの中に誰か一人でも、芳夫に本当の意味で関心を向けた者がいただろうか。自分の想いばかり叫び続け、相手への関心を二の次にするのは、それもまた1つのエゴでしかない。
 互いに求めるものが食い違った結果、芳夫との戦いは、エゴとエゴとのぶつかり合いにしかならなかった。その果ての結末だとしたら、これはあまりにも悲し過ぎた。
 菩薩累乗会。その初戦はケルベロス達にとって、苦い勝利という形で終わることとなった。

作者:雷紋寺音弥 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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