積み上がった参考書は乱暴に崩され、明かりもついていない部屋に、少年は一人うずくまる。高校で一番の成績を取れば、きっと彼女は振り向いてくれる。そう思い勉学に励んできた彼の心は「ガリ勉とか引くわ」という彼女の一言にへし折られた。模擬試験の志望校A判定も、今はむなしい。
「僕から勉強を取ったら、何が残るって言うんだ……」
かけた眼鏡の厚いレンズに涙が落ちる。再びにじむ視界にふと、薄桃色の何かが映った。
「それは愛すべき自分自身よ」
かわいらしく、優しげな、ピンク色の鳥。暖かな羽毛が、少年の冷えた体と心を包む。
「どんな努力も、勉強だってしなくていい。人の意見なんて気にしないで、自分を愛してあげて」
少年は魔法にかかったかのように、ぼんやりと鳥――エゴシャナの言葉に聞き入る。
「大事なのは自分だけ。一番大事な自分に愛されれば十分なの」
少年はゆっくりとうなずき、立ち上がる。
「そうだ……僕はもう最高の自分なんだ。彼女なんてもうどうでもいい。僕は、僕だけを愛するんだ」
部屋の明かりをつけた少年の姿は、ビルシャナのそれに変わっていた。
まずいぞ、とアレス・ランディス(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0088)は渋面を作る。ビルシャナの菩薩が大規模な作戦行動を取ることが予知された。その名も『菩薩累乗会』。強力な菩薩ビルシャナを地球上に出現させ、その力でさらに強力な菩薩を呼び出し……その繰り返しにより地球を制圧するという恐ろしい作戦だ。
「すまんが、阻止する方法はまだ不明だ。今は、活動中の菩薩を食い止めることに専念するしかない」
今回予知されたのは、自愛菩薩が起こす事件だ。文字通り、自分を愛し他者を無視することを教義としているという。配下のエゴシャナを自己否定に陥った一般人の元へ向かわせてビルシャナ化させ、最終的には自愛菩薩と融合させることで力を手に入れる作戦のようだ。
「被害に遭った一般人は、エゴシャナと共に自宅に籠もっている。外で暴れはせんが、菩薩を強化しないためにも、対処が必要だ」
続いてアレスは、今回相手取るデウスエクスの説明を始める。
「敵はビルシャナ二体。エゴシャナと、一般人が変化したものだ」
一般人が変化した自己愛ビルシャナは自室を自分の一部と認識し、そこに踏み込んできたケルベロスを攻撃すると予測されている。
「エゴシャナは人の心を操ることに長けている。もう一体は自分の身を守ることを重視するようだな」
エゴシャナの攻撃には、グラビティの威力をも鈍らせる力がある。一方、自己愛ビルシャナは守りを固めることに重点を置くようだ。
自己愛ビルシャナ倒すと、エゴシャナは逃走し自愛菩薩の強化を阻止できる。しかし、一般人を救出しようと考えるのであれば、先にエゴシャナをその場から排除する必要がある。
「エゴシャナを黙らせれば、お前たちの声も届くかもしれん」
その場合、二体のビルシャナと戦う作戦と、上手く一般人を説得する言葉が必要になるだろう。単純に倒すよりも、厳しい戦いになる。
「自己愛も必要だが、向上心や他者への配慮も、生きていく上では必要だろう。だが年頃ということもあって、難しいな」
自己愛と自己否定。傾ききった天秤の行く末が、ケルベロス達に託された。
参加者 | |
---|---|
守屋・一騎(戦場に在る者・e02341) |
日生・遥彼(日より生まれ出で遥か彼方まで・e03843) |
イスズ・イルルヤンカシュ(赤龍帝・e06873) |
ガロンド・エクシャメル(災禍喚ぶ呪いの黄金・e09925) |
四方・千里(妖刀憑きの少女・e11129) |
赤鉄・鈴珠(ファーストエイド・e28402) |
ウルトレス・クレイドルキーパー(虚無の慟哭・e29591) |
横星・亮登(地球人の零式忍者・e44125) |
●踏み込む番犬たち
突入したケルベロス達に気づき、二体のビルシャナが顔を上げる。一体はピンク色のエゴシャナ。そしてもう一体は。
「誰だ、素晴らしい僕の心の領域に土足で踏み込んでくる奴は!」
「ケルベロスっスよ」
守屋・一騎(戦場に在る者・e02341)は銀の瞳をすうと細め、戦闘態勢を取る。子供っぽい表情、演技と自覚する軽薄さはなりを潜め、一人の戦士としての顔に変わる。
「自分が一番大事、ね……その考え方、分からなくもない……」
事実、デウスエクスと戦うのは自分のため。狩るべき獲物を前にした四方・千里(妖刀憑きの少女・e11129)の目の色が変わった。
「ある意味悟りを開いている連中かと思っていたが、随分とゲスい真似するじゃないか」
相棒であるエレキベース【BIC4003/UC Model】を構えるウルトレス・クレイドルキーパー(虚無の慟哭・e29591)に、わずかのためらいも無い。人の傷心を利用する下劣なデウスエクスを前に、淡々と、戦闘準備を整えていく。
一方でエゴシャナのやり方に怒りをあらわにするのはイスズ・イルルヤンカシュ(赤龍帝・e06873)。燃えるような赤髪は、そのまま彼女の心情を表しているかのようだ。
「虫唾が走る……貴様の思う通りには、進まぬぞ!」
「好きに言いなさい。どれだけ傷つけられ、何を失ったとしても残る自分自身を愛すること、それこそが自愛菩薩さまの教え、幸福になるための真理なのよ」
「ダウト、よね」
エゴシャナにかぶせるように、日生・遥彼(日より生まれ出で遥か彼方まで・e03843)は指摘する。自分を愛するように仕向けるのも、自愛菩薩のため、すなわち他人のためだ。被害者はデウスエクスのために利用されているに過ぎない。
「自己愛もまた、人の持ち物。持つことは悪くないけど、こんな風に利用しようとするのはねぇ」
黄金の竜派ドラゴニアン、ガロンド・エクシャメル(災禍喚ぶ呪いの黄金・e09925)とミミックのアドウィクスは、ケルベロス達の間を抜けて前に出る。鷹揚にして揺るぎない足取りだ。
その後ろからのぞき込むように様子を見て、入ってきたのは横星・亮登(地球人の零式忍者・e44125)だった。激しい怒りによって力に目覚めた零式忍者である彼は、しかし今、変化させられたビルシャナに同情すら覚えている。主にフラれた、という点に対して。
「お前の相手は後だ、ちょっと待ってろよ!」
「あとで、お話しましょう」
赤鉄・鈴珠(ファーストエイド・e28402)は最後尾から、初動の準備を整える。
「何なんだよ……無視するなら勝手にしろよ、でも僕の領域に入ってくるな!」
自己愛ビルシャナの叫びを無視して、ケルベロス達はまずエゴシャナにその矛先を向ける。
●自己愛は何処へ向かうのか
ウルトレスのエレキベースが激しくかき鳴らされる中、室内を紙兵が飛び交う。その発生源は鈴珠の縛霊手だ。紙兵に混じって、部屋に散らばった小テストの答案が舞う。解答用紙には丸ばかりなのに、何故か物寂しく見えた。
(もしかして、さいしょから自分に自信がなかったんでしょうか)
勉強しか出来なかったのか、それとも他に選択肢が無かったから、勉強するしかなかったのか。問いかけるにはまず、エゴシャナを倒さねばならない。
「ああもう、僕の部屋になにするんだよ!」
自己愛ビルシャナは叫びながら、紙兵をたたき落としにかかる。振り回した腕にもグラビティが宿り、紙兵の守りを打ち消す。闇雲に暴れるビルシャナの腕がウルトレスにあたりかけるが、そこに飛び込むはミミックのアドウィクス。エクトプラズムで盾を生み出し代わりに衝撃を受け止めると、くるんと一回転して着地した。
「悪いけど、速攻でいくよ」
アドウィクスが生み出す武装を切り替えて、主たるガロンドと共にエゴシャナに突撃する。間髪入れず、ガロンドの【怨嗟紡ぎし黄金腕】が桃色の鳥を打ち据えると、霊力が網となってエゴシャナを捕らえた。
「他人を攻撃するなんて、気にしてる証拠よ! もっと自分を見て、愛してあげなきゃ」
エゴシャナの主張は変わらず、グラビティを宿してケルベロス達の頭に響く。どこか神経を逆なでされながら、一騎は得物に地獄の炎を纏わせた。
「共感できないな」
猛犬のごとき勢いで距離を詰め、力の限りエゴシャナにたたきつける。燃え移った炎は一騎の苛立ちのように、ちろちろと燻っていた。
「よし、一回落ち着こう!」
亮登は瞬時に回復すべき対象を判断し、ダメージの大きいイスズに気力を送り込む。エゴシャナの勝手な主張に憤るのはイスズも同じだったが、送り込まれた気の暖かさに、冷静さを取り戻したようだ。
もちろん、回復にのみ徹するケルベロス達ではない。他人を回復する亮登に違うと首を振ったエゴシャナは、ベースの旋律がひときわ激しくなったことに注意を払わなかった。ウルトレスの繊細にして力強い運指が最高潮に達すると同時に、バスターライフルが光線を放つ。
遥彼にとって、愛とは他者に向けるものなのだろう。遥彼の持つ【愛の拘束鎖】もまた、赤い糸のように他者であるデウスエクスへと、戦いの運命を結ぶ。
「支えてあげることは悪いことではないけれど、自らの都合の為に引きずり込むのは頂けないわね」
絡みつく鎖にエゴシャナが暴れ、逃れようとする。しかし、もがけばもがくほど、鎖はより強くエゴシャナを縛り付けていく。
やっと拘束を脱したエゴシャナは、ケルベロス達に背を向ける。行先は、窓だ。逃げるつもりかと、ケルベロスの間に緊張が走る。
「逃がすと思うな!」
イスズが叫び、両手のバトルガントレットの力を開放する。『聖なる左手』の力がエゴシャナを引き寄せ、渾身の右ストレートはエゴシャナを突き飛ばした。妖刀の柄に手をかけた、千里の目の前に。
「自分が一番大事なら、お前は誰にも愛されない」
目に見えたのは一つの剣閃。斬り開かれたは四十二の傷。それこそ、千鬼流奥義 死葬絶華(センキリュウオウギシソウゼツカ)。
「じゃあね……」
囁くような別れの言葉と同時に、エゴシャナは光となって消滅した。
●愛するということ
「いいせいせきをとったら、どうしてすきになってもらえるとおもったんですか?」
初めに、鈴珠はビルシャナに問うた。彼女には分からない。好きになるのに、そんな条件が必要だという考えが。
「だって……何かで一番にならなきゃ、取り柄がなきゃ好きになってもらえないじゃないか!」
鈴珠はやはり、首をかしげる。
「じゃあ、あなたのすきだったひとが、なにがすきだったのかってべんきょうしましたか?」
「!? ……それは」
好きになるとは知ろうとすることだと、鈴珠は考える。なら彼には一番大切な勉強が抜けている。言葉と同時にするり、一枚の写真から幻影が抜け出し、ビルシャナと化した少年が目を背けていた闇にまとわりつく。
「君にはまだ成長の可能性がある……失敗したなら原因を分析して……また学び直せばいい……」
遅くはないのだと、千里は語る。暴れるビルシャナの力が、ほんの少し弱まった気がした。それは千里が送った念力の爆発によるものか、それとも。
「勉強、得意なんでしょ……?」
勉強とは自分以外を、世の中を理解しようという試み。ずっと続けてきたそれから、一度の失敗で逃げて閉じこもるのはもったいないと、千里は静かに指摘する。
「こんなに良い成績を取るなんて、すごいじゃないか」
ウルトレスは床に落ちた成績表を拾い上げる。
「か、返せよ!」
「おっと」
ビルシャナは突進。成績表を奪われ、ウルトレスは反射的にアームドフォートを発射した。無意識にその構造的弱点を見抜き、射貫く。衝撃で転がるビルシャナは、紙が傷むのも構わず成績表を握りしめた。
「そんな姿で引き籠っていたら、折角の努力が無意味だぞ。それじゃ頑張った自分を愛せてない」
説教ではない。あくまで優しく、ウルトレスは語りかける。
「ああ。成績は、自己の殻に籠もらずやってきた努力を試験官が認めた『他人の評価』だ」
ガロンドも頷く。アドウィクスの中からあふれ出す財宝の幻影、そのどれよりも、彼の頑張りは価値があるはず。ただ、最も認められたかった人に否定され、彼自身も目を背けてしまっているが。
「安易に答えを出しちゃダメ。お年頃だもの、たくさん悩んで、自分を見つめ直しましょ?」
ビルシャナの顔を撫でつつ、遥彼はしっかりとグラビティをかける。盲信狂愛(コイスルオトメノモウモク)。自己愛ビルシャナとは別の方向に拗らせきった愛をぶつける。それはすなわち、ヤンデレ。病的なまでに誰かを愛そうとする彼女もまた、繊細なバランスの上に立っている。
「周りを見ろ、お前を見ている者は沢山いるはずだ!」
イスズの鋭い爪は惜しくもビルシャナの表面をひっかくに留まったが、その言葉は少年に届いている。どれだけ心を閉ざしても、本当にひとりぼっちになる人間はそうはいない。可能性に目を向けないのは実にもったいないことだ。それは、イスズのアクセサリも実は同じ。心を込めて贈られ、載霊化されたアクセサリは持ち主に合わせて強くなる。彼女にはまだ、可能性が眠っているのだ。
「お前はひとりじゃない!」
亮登は力強く宣言する。フラれ仲間が、ここにいる。差し伸べた手。いつの間にか花びらが舞っている。ケルベロス達の傷を癒やしながら、少年の心の傷をも癒やそうと試みる。何度悲しい思いをしても、亮登は決して諦めない。少年にも、出来るはずだ。
「それとも、いっそあれだ! リア充爆発しろを一緒に叫ぼうじゃねぇか!」
なおこのビルシャナ少年、学年一位の秀才である。これもしかしてモテ要素? リア充側じゃね? という考えは、頭の隅の隅っこにぐいっと押し込むことにした。
沈黙を保っていた一騎が口を開く。
「お前のそれは愛じゃない。弱い自分を見捨てるな。本当のあんたから目を逸らさずに向き合えるのはあんたしかいないんだ」
デウスエクス二体を相手取る厳しい戦いを続け、傷つき、それでもなお逃げない。黒い波紋の治療術、去ヌルコトアタハズ(イヌルコトアタハズ)の名が、一騎自身のあり方が告げる。自分から逃げるなと。
「思い通りに行かないこともあるけど、心の底から熱くなって、人に認められてる。得がたい宝だ、手放すなよ」
ガロンドの言葉に、ビルシャナは確かに頷いた。雷光の速さで繰り出された突きが最後の殻を打ち破る。
羽毛が飛び散り、光となる。そしてそれが完全に消え――あとには、一人の少年が残った。
●愛されるということ
人へと戻った少年を、遥彼は撫でる。
「見ず知らずの私だって、貴方を愛してあげられる。貴方が自分を見つけられるまで傍にいてあげる」
ね、と微笑みかけられて、少年はいささか困惑気味だ。姉のように優しいながらも、なんだかちょっと距離が近い。笑顔の奥底になにか暗いものが見え隠れするのに、少年は気づいてしまっていた。
「あなたのこと、おしえてください。ことばにできるだけでいいので」
ちょこんと座った鈴珠が少年に問うと、少年はぽつぽつと語り出す。鈴珠はその言葉一つ一つに真剣に耳を傾けた。イスズもまた、時折叱咤し激励しながら、少年の想いを聞く。
千里は物静かに、しかし確かに聞いているようで、時折頷いていた。先ほどまで闘争に燃えていた瞳は、今は落ち着きのある茶色だ。
凝り固まった感情の吐き出しか、あるいは一種の自己分析か。やがて好きだった彼女のことに話が及ぶと、少年の表情がふと暗くなった。
「はは、まあ最高なんて時と場合で変わるもんだ、次いこうぜ!」
気づいた亮登が少年の背をばしっと叩くと、ウルトレスも軽く少年の肩を叩き部屋を出て行く。一騎も少年の無事を確認し、後のことも任せられると判断し、彼らに背を向けた。
「邪魔しないように、僕らもお暇しようか」
相棒のアドウィクスを連れて、ガロンドは外へ出る。ぱたんと音を立てて閉められたドアはしかし、再び開かれる日も近いだろう。
作者:廉内球 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2018年3月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 1
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