菩薩累乗会~背中合わせに俯いた

作者:ヒサ

 住所は離れているけれど、学内では一番仲の良い、親友とも呼べるほどの友人と大喧嘩をしたのが二日前の事。
「ミサ、ミサちゃん。ご飯の時間よ」
「ごめんね、ママ。食べたくないの。……放っておいて」
 心配した親が部屋の扉を何度もノックするが、少女は応じる事すら億劫になりつつあった。
「……サキちゃんが、ユウくんとお付き合いする、だなんて」
 本格的な交際は中学に進んでからと、卒業するまでは周りの皆にはまだ内緒にしておくと二人で決めたのだと、友人は言っていた。ミサちゃんにだけ特別、と恥ずかしそうに、けれど幸せそうに、打ち明けてくれた。
 けれど少女は、大切な友人をその恋人に奪われてしまうように感じてひどくショックを受けた。考え直して欲しいと思わず訴えた。
 ──ミサちゃんもユウくんの事好きなの? だからそんな事言うの?
 友人から向けられた疑いの目は、否定して欲しいと願う怯えた色をしていた。けれど少女には何も答える事が出来なかった。大切に思う筈の友人と、その友人が大切に思う相手の両方共を貶めかねない、酷い事を言ってしまいそうで。
 傷ついた、傷つけた友人の顔を思い返しては少女は、胸を痛め涙を零す。逃げるように帰宅して以降、友人へ謝るどころか、家族に相談する勇気すら出なかった。打ち明ければ父母からすらも、お前が悪いと責められそうで怖かった。

 そう、何もする気にならぬほど落ち込みきって寝台に横たわる彼女の前に、突如派手な見目のビルシャナが現れた。驚きのあまり呆然とする少女をよそに、そのビルシャナは明るい声を発する。
「顔を上げて! あなたが落ち込む必要なんて無いわ!
 友人でも家族でも所詮他人よ、あなた自身じゃ無いわ。自分以上に大切にすべき他人なんて居ないのよ。他人の顔色をうかがって自分を偽るなんて間違っているの。
 もっと自分を好きになって。ありのままの自分が一番、あなたがあなたを大事に出来ればそれだけで良いのよ!」
 ビルシャナの声は単純な言葉に依るもの以上の異様な説得力に溢れており、少女は聴くごとに苦しみなど無かったかの如くその表情を和らげて行く。ばかりか幸福そうに強く頷き笑顔を見せた。
「……そうだね、私以外の人なんてどうでもいい。私は私だけ好きでいたら良いんだね」
 呟いた少女の姿はビルシャナとなり果てて、
「そうよ、その気持ちを忘れちゃダメよ。そうしていつか自愛菩薩さまの一部となれるよう、一緒に頑張りましょうね!」
 少女を導いたビルシャナ──『エゴシャナ』は心からの祝福を述べた。

「ビルシャナの菩薩達が『菩薩累乗会』なる作戦を進めようとしている事が判りました」
 ケルベロス達を前に、セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)はそう切り出した。
 問題の作戦は、何体もの菩薩を次々に地上へ送り込み、配下を増やし影響力を増大させて行きながら、最終的に地球全土を菩薩達の力で制圧しようというもののようだ。
「これを完全に阻止する方法は、未だ判っていません。ですが、菩薩達が力を得ないように働き掛け、進行を遅らせる事は可能です。ですので皆さんにはその為に、今活動が確認されている菩薩の配下であるビルシャナ達を倒して頂きたいのです」
 今回の相手は過剰なまでの自己愛を讃える『自愛菩薩』の配下、『エゴシャナ』であるとセリカは説明する。自信を失くしてしまっている人のもとへ派遣されたエゴシャナが対象の人間をビルシャナに変え、菩薩は最終的にその力を奪って合一しようとしているらしい。
「ビルシャナへと変えられてしまった人々は、エゴシャナと共に自身のテリトリーに留まり、自己愛の心を高めようとしています。この力はやがて自愛菩薩のものとされ、新たな菩薩を出現させる為のエネルギーになってしまうでしょう」
 そうなる前に迅速な解決を、と彼女は依頼した。続けて今回は、街中にある一軒家に住まう小学六年生の少女のもとを訪れる必要がある旨をケルベロス達へ伝える。
「エゴシャナ達が居る、彼女の自室を皆さんが訪れただけで相手は敵意を向けて来るでしょうが、自分だけが大切であるとの教義の為でしょうか、万一皆さんが撤退するとなった場合も追っては来ないようです。その点では安心ですが、二体を同時に相手取って頂かなくてはなりませんので、少々厄介かと」
 少女を先に倒した──ビルシャナとしての彼女をそのまま殺した場合、エゴシャナは撤退するようだ。エゴシャナを先に倒した場合はその後、少女を励ますなどし心を慰めた上で彼女を倒す事で、人として命を救えるかもしれないが、こちらは戦い自体の難度も含め容易い事では無いだろう。
「ビルシャナ達の作戦を阻止する、といった意味では、一体でも倒せれば良いでしょうが……勿論、二体とも倒して頂けた方がより良い結果と言えますが。
 ご家族の心境をお考え頂けるのであれば、お嬢さんの救出も目指して下さると」
 ケルベロス達が家を訪れた際には母親が家に居り、彼女が応対する。彼女がケルベロス達への協力を拒む事も、結果がどうなれどケルベロス達を責める事も無いであろうが、それでも、とセリカは言葉を途切れさせた。
「──エゴシャナが現場に留まったままでは、自愛菩薩の影響が強く、お嬢さんは説得を聞き入れてはくれないでしょう。ただ、無理をして皆さんが劣勢に追い込まれ壊滅し、となるくらいならば……殺害や撤退もお考え下さい」
 見極めを誤れば少女の家族等も含めいたずらに被害を増やすことに繋がりかねない、とヘリオライダーは目を伏せた。


参加者
三和・悠仁(憎悪の種・e00349)
椏古鵺・笙月(蒼キ黄昏ノ銀晶麗龍・e00768)
ノル・キサラギ(銀架・e01639)
華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)
天照・葵依(護剣の神薙・e15383)
ウエン・ローレンス(日向に咲く・e32716)
藤林・絹(刻死・e44099)
ラスタ・ハンサルト(闇払い・e44772)

■リプレイ


「その公園ってここを右に出て角を曲がった……はい、判ります」
 説明を受け、ケルベロス達の邪魔にならぬようにと外出を申し出た母親と行き先について打ち合わせ、華輪・灯(幻灯の鳥・e04881)は明るく微笑んで頷いた。そう出来たのは、子を案じる母の自制心への感謝ゆえ。娘を頼むと頭を下げる彼女を危険に晒さずに済む事に、少女は安堵を抱く。
「必ず、助けます、から」
 青ざめながらも冷静にと努め靴を履く女性の横顔を、ノル・キサラギ(銀架・e01639)は真っ直ぐに見つめた。
「終わりましたら、報告に上がります」
 例えどんな結果となろうとも。そうウエン・ローレンス(日向に咲く・e32716)は約束を結び、公道へ続く門を彼女の為に開く。再度深く頭を下げた後は振り返る事無く去った母親を見送って後、ラスタ・ハンサルト(闇払い・e44772)は第三者の立入を阻む為、敷地の周囲にテープを巡らせる。
「すまない、待たせたな」
 その作業を手伝い裏から回った天照・葵依(護剣の神薙・e15383)が戻ってから、全員でミサの部屋を訪ねた。
 扉を叩く。返事は無い。即座に仕掛けられても対応出来るようにと警戒しつつ、魔斧を片手に用意した三和・悠仁(憎悪の種・e00349)が逆の手を扉に掛けた。施錠はされていない。
「入って来ないで」
 けれど、それで良かった室内、それゆえに守られてしまっていた世界からはまず、拒絶の言葉が返った。
「──ごめんなさい、入ります。私達、ミサさんを助けに来たんです」
 幼さを残す声の主に、灯がそう返した。扉を開け放つ。二体のビルシャナが返した視線には、強い敵意。
「ミサ、耳を貸しちゃダメよ。あいつらは敵だもの」
「あなたの敵ではあるかもしれませんが、僕達はミサさんを傷つけに来たわけではありません」
 エゴシャナの声にはウエンが落ち着いた声で反論を。
「嘘だよ、入って来るもん! 私の世界に他の人は要らないのに!」
 しかし怯え交じりに叫ぶミサは、ビルシャナの影響を強く受けている様子と嫌でも判る。
「そうよ、他人はあなたの悟りを邪魔する奴ら」
「悟り? あなたの言葉は単なる呪いです。そんなものを振りまくなど迷惑です」
 ミサへ向けたエゴシャナの声を藤林・絹(刻死・e44099)が遮り咎める。見据える瞳は凪いでいたが、断ずる声は吐き捨てる如く。それに対する反駁は、
「邪魔者を屠るまで大人しくしていておくんなしな? 貴女様も喰われたくはなかろう」
 艶やかに、けれどゆえにこそ現のものでは無いかのような、危うい微笑みと共にミサを見つめる椏古鵺・笙月(蒼キ黄昏ノ銀晶麗龍・e00768)が阻んだ。少女がびくりと怯み視線を逸らす──物言いたげな、聞き入れ難い様子ではあったけれど。
 エゴシャナへと戦いを挑まんとするケルベロス達の眼前には少女が出てこなかった事に彼らはひとまず安堵する。敵との距離は、踏み込み振るう刃が届かぬほどでは無い。
 とはいえ、楽観は出来ない。
「ライア、君はアナスタシアの手伝いに専念を」
 例えば、原始の炎を喚べばミサまでも巻き込みかねない。案じてラスタが指示を出した──ケルベロス達は、路に迷い心を閉ざしたこの少女を、何としても救いたいと願っているのだから。
 敵が呪言を紡ぐ。害される前衛へ灯と葵依が加護の術を紡ぎ、それを補強するようノルが鎖陣を敷いた。その間に悠仁や絹はエゴシャナだけを狙い攻撃を打ち込み、ラスタやサーヴァント達は自陣を支える務めを担う後衛の防御を固めた。躊躇いを振り切るかのようミサが、敵を急ぎ排除する為の要である攻め手へと蹴りを見舞いに来たのにはウエンが応じる。仲間を庇い、体で攻撃を受け止めた。咎めるでも責めるでも無く少女へ返す視線は静かに諭す如く。
 とはいえ、今のミサには届かぬと知っていた。だからこそ、彼らはその元凶を速やかに退けようとしていた。それは全て少女の為で、
「ダメ! この子が居なくなったら私──」
 だからこそ、自己愛を肯定する味方を失う事を恐れ、ケルベロス達の攻撃からエゴシャナを庇ったミサの姿に彼らは心を痛めた。
「灯、ミサを頼んで良いかな」
「はい、お任せ下さい!」
 備えてはいた為に分担は手早く。ノルは鎚を手に、灯はミサへと手を伸べた。
「痛かったですよね、ごめんなさい。でも私達、あなたには──」
 その手に花が出でる。これ以上傷つかなくて良いのだと伝えるよう、生じた光が、花の香が、ミサを包んだ。敵である筈の相手からの治癒に、少女が戸惑う。
「すみません天照さん、力を貸してください」
「ああ、任せておけ」
 一方、ウエンの依頼に葵依は腰に帯びた黒刀を抜き掲げ。
「蔦を司る申の神よ、今こそ白雪に咲き添いて、枯れたる苦界を潤わさん──いざや聞こし召せ蔦ノ花神!」
 神刀が空を裂き咲く花が舞い前線を担う者達を癒す。戸惑いから脱したミサの攻撃を前衛が防ぎに回り、けれど少女へ反撃する事だけは決して無く。彼女を仲間が抑えている間にとラスタはエゴシャナへ黒く染まる魔弾を撃った。
 それに抗うエゴシャナの詠唱に、標的の身の自由を奪う為の力が織り込まれる。ケルベロス達の攻めの間を縫い発動したそれは後衛を襲い、彼らの体を激しい痛みが貫いた。
 ミサがそうであるように敵もまたミサを気に掛け護りを優先していた様子なれど、ケルベロス達の戦法ゆえだろうか、此度の衝撃は看過し得るものでは無く。盾役達も急ぎ癒し手達を手伝い、他の者達は手を休める事無く攻撃に集中する。
「その魂に縄を」
 絹が放つ黒縄がうねり敵を捕らえる。花を纏うノルの靴が星を象る気を放ち防御を阻んだ所へ笙月と悠仁が追撃を。巫術の力が敵を追い、昏色に染まった獄炎が爆ぜ苛む。
 ケルベロス達はそう、エゴシャナだけを標的とした。
 だがそれでも。エゴシャナは広く術の力を撒くが、菩薩の力に囚われたミサは果敢に近接戦を挑み来る。少女を傷つけぬよう留意しつつ敵の攻撃に対処するのは容易い事では無かった。
「月詠、合わせろ!」
 癒し手達とサーヴァント達が加護を唱え重ねても十分とは言い難く、補佐に回る盾役達は攻めに出辛い状況が続いた。
「彼女を解放して頂きます、人は初めから独りを望むものでは無い筈です……!」
 ウエンが放つ治癒の気は、肩で息する灯を支える。主と共に仲間を護ったウイングキャットは既に力尽きていた。
 追い詰めつつはあるのだ。けれど抵抗を封じきるまではもう暫しというところ、敵は唱える教義を加護の光と変え自身とミサの体を包み癒す。
 そして続いた停滞はやがて、
「っ、だったら自由にしてあげる……!」
 疲弊したエゴシャナが絞り出すよう声を吐いた事で終わりを告げる。
「ごめんねミサ、もう一緒に往けないわ」
 敵の声に滲む苦痛が、身に負った傷ゆえか多少なりとも少女を想っての事か、それはケルベロス達には判らない。
 確かなのは、かき消えるようにしてエゴシャナがこの場を離れた事と。
「──え……」
 どこか傷ついたような、不安げな顔をしたミサが、菩薩の絶対的な洗脳から脱し掛かっている事だけだった。


「さぁミサ、あとは貴女様だけざんし」
 ケルベロス達は武器を下ろし、少女へと向き直った。
「怖い思いをさせてごめんなさい。あなたときちんと話したかったんです」
 彼女の前にウエンが屈む。たじろぐ少女は、怯えと疑心を露わに彼らを見た。
「大丈夫だよ。俺達は──」
「嘘っ」
 彼女と目線を合わせるべく跪いたノルが差し伸べた手を、鳥翼の手が払いのけた。
「嘘だよそんな事する理由が無い! 皆、自分だけが大事なんだもん」
 その腕は、グラビティの力を乗せ拒絶を示す。
「──自分を大切にする、その点に限れば自己愛も結構!」
 追撃を制するよう葵依が声を張り上げると、少女が驚き竦む。
「自分を愛する事は周囲の人を愛する事に繋がる。自分を大切に出来ずして他人へ愛情を注ぐなど難しいだろうからな」
 悠仁が治癒の鎖を引く。絹が鞘に納めた刀に触れ纏う力の流れを操る。しかし残る痛みに頓着する間も惜しみノルは、ミサが拒むより早くその手を取った。
「『コードX-0』」
 青年から光が生じる。鏡のように少女のもとにも。それは幼い体に残る傷を癒す輝き。
「──俺達に、きみの手を握らせて」
 祈りは願いに。独りにはしないと、ケルベロス達は怖がる少女へ手を伸べる。

「──大切なサキの幸せを心から願えないのが、苦しいんだね」
 事情と経緯は把握している旨を伝えた上でのノルの言に、少女は目を瞠った。何故判るの、と言いたげに。
「親友がいなくなりそうで、悲しくて、独りにしないでって……叫びたいんですよね」
「でも彼女を想うと……想うからこそ、何も言えなかった。だからこそ、彼女を傷つけてしまった事がお辛いんですよね」
 灯とウエンが継いだ言葉に、ミサは顔を歪めて俯いた。
「自分の気持ちを伝える事は、……怖い、ですよね」
 彼らほどには距離を詰められぬまま、けれど少女が望めば容易く目が合う位置から、悠仁が声を掛けた。
「私もよく、解ります」
 その声に滲むのは後悔。怒りは胸中に押し込めた。かつて彼の傍に在った幸福は、それが変質する事を恐れたがゆえに、未熟な形のままで奪われてしまった──永遠に。
「……あの、ね。私もミサさんと同じだったんです」
 ミサと同じ経験をしたのだと、親友に恋人が出来た時の出来事を灯が語る。当時既に今のミサより年長で、ケルベロスでもあったのに、と自嘲交じりに、けれど愛しげに微笑んだ。
「うん、ミサがサキを大好きなのも、だから苦しいのも、俺達にだって解るよ。きっとミサのご家族も」
 今のミサへ至った自責は、決して特異なものでは無いのだと。少女の早さに合わせてゆっくりと伝えて行く。
「自分だけを愛していれば、そうした苦しみとは無縁で居られるでしょう」
 絹の声は淡々と、けれど可能な限りに優しくとばかり、そうっと紡がれた。
「ですが、思い返してみて下さい。ミサさんの思い出の多くは、他人と共にあるのではないでしょうか。それは悲しいものばかりでは無かったのではありませんか」
 伸べた幼い手は、床に座り込んだミサのそれに届くより前で止まり、床へ触れる。
「それは、独りでは得られなかった。誰かと共にあったからこそ大切なものなのではないでしょうか」
 床板に水滴が零れ微かな音を立てる。瞬き雫を散らすミサの目は、引きつる息を殺して澄ませる耳は、ケルベロス達が彼女へ贈る全てをしかと受け取っていた。
「誰かを愛する事は、自分だけを想うよりずっと苦しくて、でも、ずっと温かくて幸せな事だよ」
 彼女の苦しみを、彼女が他者を愛し得るがゆえとノルは肯定する。
「そんなあなたが大切に想う方が、そんなあなたを育てた方々が、あなたを責めたりなんてしないと僕は思います」
 母親も心配していたと、ウエンが。
「きっと、あなたが苦しんでいる事をこそ、辛いと思っておいでですよ」
「そうですよ。サキさん、ミサさんだけに秘密を教えてくれたんでしょう? それって、サキさんに恋人が出来ても、ミサさんの事が『特別』だからですよ。
 好きって気持ちは、向ける人の数が増えたって、一人一人の分は減ったりしないんですから!」
 口々に励ます。彼女達が強く想い合っていた事、愛されていたミサは今も決して孤独では無い事。そしてミサ自身もまた、他人を愛する力を未だ失ってはいない筈と──今の彼女は、ビルシャナに魅入られたが為に極端に誇張された一面に過ぎないのだから。
 だから、ケルベロス達はミサへ請う。
「君が抱える苦しみを、友人へ教えてあげてはくれないかな」
「そうざんしな。今ならまだ間に合う」
「ええ、……今、ミサさんが踏み出してくれなくては、サキさんに想いを伝える機会が、失われてしまう」
 悠仁の目がミサの小さな姿をじっと見つめる。もしもの時は、彼らの手で機会を奪わなくてはならない。彼の獄炎が憂いに儚く揺らめいた。
(「ミサが逃げるという事は、サキの想いからも逃げ続けるという事」)
 多くを語る事は仲間に任せたまま、笙月は静かに嘆息した。
(「ミサ自身がミサの存在を軽んじるその果ては──」)
 伝わっている、響いている事が判るからこそ、ケルベロス達の言葉は徐々に速度を緩め、尽きて行く。最後にはミサが選んでくれなければ、最初の一歩はミサの足で無ければ、意味が無い。
「大丈夫ですよ。寂しかったんだ、ごめんねって、……大好きだよって、伝えれば良いんです」
「あと、これからも一緒に居て欲しいとも、言うと良いざんしな」
「……まだ不安なら、ミサが必要としてくれるなら、俺達も手伝うよ」
「君の気持ちはきっと伝わるよ。友達の事も友達の恋人の事も大切に思える君なんだからね」
「交わした想いも、築いた繋がりも、簡単に崩れてしまうようなものでは無い筈です」
「きっとサキさんも、あなたを傷つけてしまったと悩んでいるのではないでしょうか。ですから、ミサさんから気持ちを伝えて、サキさんを安心させてあげて欲しいんです」
 やがて沈黙が下りる。もう覗き込まずとも、ケルベロス達の目にはミサの瞳が涙に濡れている様が見えていた。新たに湧くものは既に無く、揺れる瞳には拭いきれぬ不安だけ──彼女の心はもう、前を向いているのが見えたから。
「君の想う、君を想う、大切な人達を、どうか──信じて」
 丁寧に繕う事も忘れた悠仁の声が、熱を持って真摯に響いた。


「──少しだけ我慢出来るか? 一杯サキを想うんだ」
 華に似た艶やかさはなりを潜め、言い聞かせる笙月の声は揺るがぬ父親のよう。
「うん、頑張る。……痛く、して」
 ミサが目を閉じた。罰を望む少女に憑いたモノだけを祓う為、ケルベロス達は得物を再度手に取った。
 そして。

「……そうだね、君が周りを見る事を忘れなければ、案外近くに運命の人が見つかるかもしれないよ」
 公園への短い道を歩きながら、ミサを占ったラスタは片目を瞑って見せた。
「近く……?」
「ミサさんを悩ませないで下さい。……繊細な問題なんですから」
「はは、ごめんね」
 強く繋がれた手に引っ張られながらの絹の批難は変わらず平坦だったが、微かに逸らした視線は恋愛事に恥じらう少女のそれだった。
 ほどなく公園の入口に着いて、敷地へ入る前に足を止めたミサが大きく吐いた息は震えていた。が、ここからはまず一人で行くのだと、願ったのは彼女自身だった。
「見て、てね」
 少女達の手に縋る事を止めて彼女は一度、ケルベロス達を振り返る。
「うん。ミサが頑張る所、見てるよ」
「僕達はここで待たせて頂きますね」
「大丈夫です。……彼女もあなたを、待ってる」
 まずは母と向き合う為にと踏み出す少女の背を、彼らは見守った。
(「彼女達が、幸せに居られるように……」)
 二人がぶつかるように抱き合う様を──重なる泣き声が止むまで。

作者:ヒサ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 2
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