秘密

作者:藍鳶カナン

●菫
 静かにひんやりたゆとう朝靄も、昼頃には春霞と名を変えるだろうか。
 そんな風に思えた早春の朝のこと、誰もいない森の奥でひっそりと変事が起きた。
 朝靄かかる森の奥にひろがるのはふうわり霞みがかった菫色の花景色。
 純白のペンキが剥げたと思しき古い木製看板に砂糖菓子工房と綴られた先には、甘く香る菫の花々が咲き溢れる庭があった。スイートバイオレット――匂い菫と呼ばれる可憐なその花々は、手入れされたものではなく、零れ種などで勝手に増えたものと一目で知れる。
 自由気侭に咲き競う菫の花々の中には工房のリーフレットらしきものが埋もれていた。
 秘密の菫、と謳われた看板商品と思しき品は菫の砂糖漬け。
 褪せた写真の下、秘密のレシピでひとつひとつ手作りされた逸品と綴られていたけれど、それらに見向きもせず、かさりかさりとリーフレットを踏み越えていくものがあったのだ。
 冷たく煌く宝石――コギトエルゴスムに機械の蜘蛛脚を生やした、小型のダモクレス。
 小さな機械の蜘蛛は菫の庭の奥、隠れ家みたいな工房へ辿りついた。
 ひとの気配が消えてから相当な時が経っているだろう工房の扉脇を登った宝石がちかりと光る。機械の蜘蛛脚がそっとつついたのは、扉に設置されていた電子錠。
 型の古い電池式、後付けタイプの電子錠は、無残に壊されていた。
 実を言えば扉も少し開いていた。
 誰かが電子錠を壊して、それが開閉を担っていた扉の鍵を抉じ開けたのだろう。まるで、主のいない砂糖菓子工房に眠っている秘密のレシピを暴こうとしたかのように。
 だが小型ダモクレスは工房内に侵入することなく、壊されたままの電子錠に融合する。
 やがて誕生したのは、鍵めいたかたちの剣を手にした青年姿の機械人形。
 彼は歌うように呟いた。
 ――僕ノ秘密ハ奪ワレテシマッタヨ。
 ――ダカラオクレヨ、君ノ秘密ト、ぐらびてぃ・ちぇいんヲ!
 それは意志ある言葉でなく、決まりきったメッセージを機械的に繰り返すだけのもの。

●秘密
 朝靄のかかる森の奥で誕生した機械人形のダモクレスは、このまま放っておけば人里へと向かって多くのひとびとへ襲いかかるはず。
「けど今から急行すれば敵が菫の庭にいるうちに捕捉できる。誰もいない森だし、近隣への避難勧告も手配するから、あなた達にはこのダモクレスの撃破をお願いしたいんだ」
 予知を語った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)はケルベロス達を見回して、迷わぬ眼差しでそう告げた。
 主がいなくなってかなりの時が経ったと思しき砂糖菓子工房の庭。
 往時は大切に育てられていたろう匂い菫、スイートバイオレットも、今は誰の手も借りず自由気侭に咲き誇っている。戦闘で花々は荒れるだろうが、手を貸さずとも零れ種で増え、次の冬から春にはまた数多の花を咲かせるだろう。
「結構厄介な敵でね、花を気遣って戦う余裕はないと思う」
 狼耳をぴんと立て、遥夏は更に言を継ぐ。
 機械人形は鍵のような剣で傷を開きっぱなしにする斬撃を揮う。状態異常を締め出し傷に鍵をかけるヒールグラビティを揮う。
「そして、多分これが一番厄介かな。精神に作用する範囲魔法で、心をこじ開けられ秘密を引きずり出されるような悪夢を見せて来るよ。ポジションはジャマーだろうね」
 対策がなければ精鋭ぞろいの面子でも危ういことになる。
「……身体の傷より心の傷が疼く戦いになるかもしれない。けれど、あなた達ならそれにも打ち勝って確り敵を撃破してくれる。そうだよね?」
 挑むような笑みに確たる信を乗せて、遥夏はケルベロス達にヘリオンの扉を開く。
 さあ、空を翔けていこうか。朝靄かかる森の奥、菫の花が咲き溢れる、秘密の庭へ。


参加者
フェクト・シュローダー(レッツゴッド・e00357)
落内・眠堂(指括り・e01178)
エリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)
木戸・ケイ(流浪のキッド・e02634)
ノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)
ダンサー・ニコラウス(クラップミー・e32678)
天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)

■リプレイ

●ひらかれる
 静かに、ひそやかに。
 冬の眠りからめざめた樹々が深呼吸するような早春の香りがした。ふうわり揺蕩う朝靄は白くけぶる紗で森の秘密を覆い隠すよう。人の秘密はパンドラの箱。内緒の手紙。女の子の部屋。まるで何かの寓話を唄うかの如きダンサー・ニコラウス(クラップミー・e32678)の声が秘めやかに朝靄へ融け、
 ――開けてはいけない。でも知りたい。菫のように甘い誘惑、かも。
 淡く擽るような響きを帯びれば、朝靄の紗が緩むように菫色の花景色が広がった。
 霞がかった菫色、自由気侭にスイートバイオレットが咲き溢れる庭で、
 ――僕ノ秘密ハ奪ワレテシマッタヨ。
 ――ダカラオクレヨ、君ノ秘密ト、ぐらびてぃ・ちぇいんヲ!
 歌うように呟いたのは、鍵めいた剣を携えた機械人形。
「っと、あいつか!」
「だね! 人様の秘密を欲しがるなんて、いい趣味とはいえないなぁ」
 今もここが稼働していたなら、と。
 一瞬砂糖菓子工房の看板に気を取られた木戸・ケイ(流浪のキッド・e02634)が身構え、雷杖を手にしたフェクト・シュローダー(レッツゴッド・e00357)が即座に地を蹴ったが、眩い雷光が迸るより彼女めがけた鍵の剣が朝靄を裂くほうが速い。
 けれど朝靄と甘い菫の香に散ったのは、
「……秘める理由があるから秘密になるんだろうに、腹を裂いてまで暴きてえものかね」
「ありがと眠堂くん! まあこの子も大事な秘密を取られちゃったのかもだけど!」
「それでも――機械ごときが、人の心を暴こうと、するな」
 躊躇わず剣閃に跳び込んだ落内・眠堂(指括り・e01178)の血の匂い。フェクトの雷撃に続きノチユ・エテルニタ(夜に啼けども・e22615)がその手のバトルガントレットに地獄の炎を燃え上がらせた一撃を喰らわせれば、防具で威を殺してなお鮮やかに腹を掻っ捌かれた傷はそのままに、眠堂が袱紗から護符を滑らせる。
 真白な両手の護符に金彩が流れた途端に顕現するのは黄金の融合竜。
 輝く竜に続き、膨れ上がる漆黒が朝靄を染めた。
「喰らいつけ!!」
 機械人形を丸呑みしたのは狙い澄ましたケイが解き放つ貪欲なる漆黒、同じく狙いを研ぎ澄ませばエリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)の緑眼に蝶の魔術式が浮かび、
 ――《我が邪眼》《閃光の蜂》《其等の棘で影を穿て》。
 己が影より溢れさせた針持つ蝶の群れで敵の機動力を殺ぎ落とした瞬間、
「花を散らすのは忍びないのですが、せめて星の輝きで彩らせていただきましょう」
「ん。いいこと言うね、ハティ。ダンもきらきらさせたい、かも」
 散り舞う小花を月長石の双眸へと映したハティ・フローズヴィトニル(蝕甚・e21079)が前衛へ三重の星の聖域を展開、後衛へはダンサーの剣先が輝く星座を描きだす。唯ひとりの中衛たるハティへは何故かカメラを携えたシャーマンズゴーストが祈りで加護を齎すという隙の無い態勢で、
「……見事な連携だな」
 感嘆を洩らした天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)はエクトプラズムでなく癒しのオーラを眠堂へと注ぎ込んだ。花を散らさぬよう早期決着をと思うが、そう容易い敵でもない。
 敏捷性に優れるらしい敵はスイートバイオレット達が気侭に咲き溢れる庭を自在に駆け、鋭く斬り裂いた傷を鍵の歯で更に開く斬撃を揮って、胸の奥までも捻じ込まれてくる不快な魔力で心の扉を抉じ開けんとする。
 朝靄を貫いた流星、ノチユの蹴撃を機械人形が鍵の剣で防いだ刹那、爆ぜた煌きより音に反応したように敵を指すエリヤの杖から時をも凍らす弾丸が迸った。正確に敵のこめかみを撃ち抜けば、ぞわりと朝靄を震わせた魔力が後衛陣へ襲いかかる。
 咄嗟にダンサーと彼女のシャーマンズゴーストが癒し手達の盾となったが、
「――!!」
 皆の様子を確かめ癒しの風を喚ばんとした水凪の背筋が凍った。
 今この手に備わる力はキュアウインドではなく、大自然の護りだ。勿論エクトプラズムで皆の傷を塞ぐ癒しにもメディックのキュアは乗るが、それだけではジャマーたる機械人形が広く齎す多重の悪夢に抗しきれない。
 心の層が引き剥がされる。扉が抉じ開けられる。
 途端にエリヤの扉から炎が引きずり出された。
 押し寄せる煙と降りしきる煤が視界を覆って熱風が肺を灼き、困惑と恐怖と炎の熱が脳を蕩かし意識を混濁させるような感覚。それらに『また』襲われて――。
 けれど喪ったはずの悪夢に呑まれかけた刹那、清冽な水が彼の裡に注がれる。
「でかしたポヨン! あんたの悪夢は消えたか、エリヤ?」
「……うん、消えた。あり、がと」
 悪夢が消えた途端、呼吸とともに涼やかな朝靄の匂いと甘い菫の香りが流れ込んできた。注がれた冷たさは癒し手として奮闘する水のボクスドラゴンが齎す水属性の癒し。
 なんで、僕、焼かれて――と彼の唇が動いたのは見えていたが、ケイはすぐさま記憶から切り捨て、冴える技量が凍気を引く斬撃で敵をも斬り捨てる。
 他人の秘密を識るつもりはない。識った者に生じる責任は、興味よりも遥かに重い。
 仲間に頷き、デリカシーに欠けた御方だ、と機械人形へ冷たく微笑したのはハティ。
「他者の秘密を見たいというならば、それ相応の対価を払って頂かなくては」
 ――ね?
 戯れに問うよう狼の尾を揺らして、彼が解き放った流体金属の粒子がケルベロス達の牙を幾重にも研ぎ澄ます。この機械人形を人里へ解き放つわけには、いかない。

●あばかれる
 深窓の姫君の間へ押し入り、几帳を跳ね上げるが如き、無粋な力だった。
 朝靄そのものを生き物のように蠢動させる、生理的嫌悪をも伴う魔力。眠堂の胸へと捻じ込まれた力が彼の奥に秘められたものを暴きにかかる。冷たい朝靄、深い森の香り、足元に咲く数多の菫。遠き日の光景に連なるそれらが彼に罪を囁きかける。
「……錯覚、だよな」
 だがそれを解する理性も眩暈に呑まれ、花々が己の足へと絡みつく感覚に溺れて、恐怖が背筋を這い登り――。
 ――……、……。
「やめろ、僕を責めていいのは――」
 花の名とも別の名ともつかぬ音を紡いだ眠堂の声、それにノチユの声が重なった。
 彼もまた悪夢の渦の中、咎めるような無数の眼差しと、赦さないと繰り返す無数の囁きに苛まれ、深い後悔に囚われながらも贖罪に生きられぬ己を突きつけられる。
 厳格な父の教育ゆえに衰弱し病床に縛られて、弱さゆえに唯ひとり生き残り。
 家族も、焦がれたひとも、自分の傍から消えて。
 やめて、ぼくを、
 ――すてないで。
 だが、悪夢の底に取り残されたノチユを仄光る何かが抱擁する。
 菫の花々の下、大地に輝く守護星座が眠堂を解き放つ。
「惑わされるな。何かは知らぬが、あなた方に見えているのは悪夢にすぎぬ」
 癒し手の浄化を乗せて水凪が前衛陣へ差し向けたエクトプラズム、そして序盤にハティが展開した星の聖域に悪夢を祓われ、迷わず彼らは攻勢に出た。朝靄を裂いたのは鋭い突き、
「……ほんと、ふざけた機械だな」
「憐れみをかける余地がねえって意味ではありがたいけど、な」
 機械人形の腕をノチユの指天殺が掠めると同時に眠堂の護符に稲妻が奔り、雷鳴の咆哮を轟かせた雷獣が稲妻の波濤となって襲いかかる。爆ぜる雷光、爪の一閃、弾けた機械の腕の装甲が銀の彼岸花の如く咲く様に、ノチユの碧眼が紅を帯び、ハティの唇が笑みを引いた。
「見つけた。頑健と」
「破壊攻撃が弱点、ですね」
 途端、
『――僕ノ秘密ハ奪ワレテシマッタヨ』
 機械の口から零れたのは、幾度も繰り返されたお定まりのメッセージ。
 けれどまるで彼の意思が覗いたかにも思え、フェクトは友達を慰めるよう笑んだ。
「そっか、弱点も君の秘密だもんね。でも、神様が君を祝福してあげるから」
 ――秘密を奪い奪われる連鎖は、ここで終わらせようね!
 真っ向から跳躍して振りかぶるのは竜の槌、けれど神様めざして修業中の少女が揮うならそれはまさしく神の鉄槌。何者も逃さぬ加速を得た一撃が絶大な威力で機械人形の胸を叩き潰せば、
『ダカラオクレヨ、君ノ秘密ト、ぐらびてぃ・ちぇいんヲ!』
 ぎゅり、と軋み混じりの声が洩れるとともに、かちり、と施錠の音がする。
 状態異常を三重に締め出し傷に鍵をかけ、機械人形は己の損傷を修復にかかったが、
「君がまた自由に動くなら、僕がまた足を止めるだけ、だよ」
「ええ。幾ら締め出して鍵をかけようと、こちらもまた力を捻じ込み傷を開くだけです」
 闇色のフードの裡で鍵の音に耳をそばだてたエリヤのローブに魔術回路の光が奔り、彼の影から羽ばたいた異形の蝶達が針雨の如く降りそそげば、ハティの刃が月追う狼の憎しみを描きだす。刻まれるのは陽も月も狼に呑まれ星さえ落つる、永遠の静寂にも似た、すべてが停まる終焉の呪い。
 肉を裂かれ骨を露出され、装甲を裂き内部機構を露出して。
 秘密を暴かれ弱点を暴いて。まるで相手を暴き己を曝け出す戦いであるかのようだけど。
 もしかすると、戦いってみんな、そうなの、かも。
「ダンはダンサー。ダンサー・フォン・ニコラウス」
 ――ね、あなたの秘密を暴いてあげる。
 名乗りをあげ軽やかに跳躍すると同時、妖精靴の中でダンサーの足がトナカイのそれへと変わる。獣の蹴撃に重ね、存在そのものを透かした神霊の爪が機械人形の魂を斬り開いた。
 暴いて暴かれ、曝け出して。
 ――僕ノ秘密ハ奪ワレテシマッタヨ。
 ――ダカラオクレヨ、君ノ秘密ト、ぐらびてぃ・ちぇいんヲ!
 鍵を抉じ開けられたケイの心の扉、それを内側から跳ね飛ばさんばかりの勢いで、無数の手が溢れだす。誰とも知れぬ有象無象の手が彼に縋りつき絡みつく。
 神輿として担ぎ上げ、傀儡にして利用せんとする数多の手。
「だから俺は……」
 捨てて、逃げて、流浪のキッドになりたかったんだ。
 だが波濤に呑まれる前に、二重の浄化を乗せた水凪の癒しの気で有象無象の手は霧散し、箱竜の水の癒しが冷たく頬に弾けた。謎の多い相棒だけれど、今何を言いたいのかは。
「ああ、わかってるさ」
 笑ってみせると同時にケイが抜刀するは不知火の太刀、朝靄ごと機械人形を斬る居合いの一閃が奔れば、舞い散る桜吹雪が敵を呑み込み燃え上がる。
 ――わかってる。いつかちゃんと向き合わなきゃならんってことは。

●こわされる
 ――秘密を持つ者へ羨望を抱いてしまうのは。
 幾ら手繰れど宝石化する以前の水凪の記憶には、完全な空白しか見出せないから。
 空白の記憶すべてが詳らかになった時の己を垣間見られるかと淡い期待も抱いたけれど、機械人形が齎す悪夢は相手を害するためのもの。
 善きものが得られるはずもない。
 朝靄をぞわりと震わす魔力が前衛陣へと押し寄せる。小さな身体を張ってノチユの分まで魔力を引き受けたダンサーの胸に捻じ込まれた力が心の扉を開け放つ。途端に溢れだすのは朝靄よりも冷たく真白な、銀世界。
 幼いトナカイの少女。頭のツノもまだコブみたいに小さな少女を置き去りにした荷馬車の轍はもう雪に覆われて、名もなき小さな命には追いかけることさえできはしない。
 けれど、雪の下に何かが輝いた。
「これって……星の光、かも」
 星の聖域に救われ神霊の祈りに癒され悪夢を振り払ったダンサーの瞳に映ったのは、立ち尽くすフェクトの姿。心の扉というより子供の頃の玩具箱を乱暴に開け放たれる心地がした瞬間、暖かくもおぼろげに、家族の姿が見えた気がして。
「……え? なんでこれが悪夢なの?」
 だって今フェクトがひとりなのは両親が妹を連れて海外赴任しているからで。
 けれど。ほんとう、は。
「……!!」
 玩具箱の底に秘めた本当の扉が開かれんとした、そのとき。
 ――ね、謳って。
 高々とダンサーが掲げた天秤が黄金の炎を燈し、癒しと浄化の輝きでフェクトを照らす。開きかけた扉を押し戻す。秘密は曖昧なままなのにそれでも心は痛くて、けれど神様少女は気丈に笑んだ。
「君もこんな風に痛かった? でも大丈夫、ちゃんと終わりにしてあげるから!」
 振り下ろす光は魔力の刃。朝靄を割るそれは海をも割る奇跡を再現し、すべてを断ち切る大いなる一撃となって機械人形の肩から腰を割る。続け様に撃ち込まれたのはエリヤが解き放つ不可視の虚無。視えざるそれはただ朝靄を虚無に還す軌跡を残し、跳び退る敵を捉えてその左肩から先を消滅させる。
 暴いて、暴かれて。
 入れ子人形を開けるように、秘密の日記を紐解くように、曝け出して。
 なおも戦い続ける機械の右腕が鍵の剣を一閃、己が腹から血が溢れ出したなら、ハティは痛みではなく己が手を濡らした鮮やかな紅に苦笑した。引きずり出されるまでもなく脳裏に明滅する記憶。自由を求めて、逃げて。
 名をくれた大切な仲間に、あのとき己が返したものは――。
「……悪夢なしでも秘密を浮かびあがらせてくれるとは、大層な高機能で」
 暴かれたくない秘密はあるものだ。常に微笑みを湛える彼にだって。
 指先が冷えていく。だが傷でなく記憶ゆえに血の気が引くのを感じつつ、ハティは終焉を迎えるべく鎖を踊らせた。三重に縛められた機械人形へと襲いかかるのはケイが振り抜いた二刀から迸った衝撃波。機体でなくその『中身』を斬る、斬撃。
「行け! 畳みかけてやれ!!」
 追撃に敵が大きく体勢を崩す。その様に彼が張った声に眠堂とノチユが馳せる。
 一足ごとに匂いたつ、菫の香り。
 一度引きずり出されたなら再び悪夢を突きつけられるまでもなく、朝靄も森の匂いも菫の香りも眠堂の胸を苛んだ。心裂く氷の刃。けれど、幾らだって傷ついてやると吐息で笑う。
「今あるものを護るためなら、俺は。過去に竦んではいられないから」
 指で枷の如く煌く指輪、心疼かせるその光ごと流体金属で拳を覆って、鋼の鬼纏う破壊の一撃で機械人形の胸を砕いた。壊れて零れて煌く部品のかけら達。ぎゅり、と軋みをあげた機械が口を開くけれど、
『僕ノ秘密、ハ』
 これはただの電子錠が人の形を取っただけ、壊すのに躊躇いは要らないだろ――と皆まで聴くことなくノチユは、訣別の瞬きを解き放つ。
 ――塵芥に消えて逝け。
 瞬くのは星の輝き、星の名を戴く青年の漆黒の髪に星屑の如き煌きを踊らせて、光は機械人形のすべてを破壊し、壊しつくして、朝靄の中に霧散させた。
 愛された記憶もないまま永劫の別離を迎えた相手。
 けれど、彼から受け継いだ血脈と星の瞬きが、今確かにノチユの敵を消滅させる。
 ひんやりとした朝靄と甘い菫の香りが胸に満ちれば、自然とその声が零れ落ちた。
「……父さん」
 朝靄はやがて春霞と名を変えて、この菫の庭を、森をひそやかに隠すように抱くだろう。
 幾つかの菫は散れども、幾つかの菫は春の終わりに種を零すだろう。
 そうして季節がめぐればまた、癒しで生まれた幻想も、ここで暴かれたものも、全て花と甘やかな香りで覆い隠すよう、自由気侭に咲き誇る。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 1
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