菩薩累乗会~生きるも死ぬも叶わずに

作者:質種剰


 薄暗いアパートの一室。
「……また、独りか……」
 ベッドの上で汚れた天井を見詰め、無為に時を過ごしている女がいた。
 サイレントにしたスマホのロック画面には、同僚からのメッセージ受信を知らせるバナーが連なっていたが、見る気にもなれない。
 会社は休み続けていた。
 冷蔵庫の中はそろそろ食べ尽くした。
 溢れそうなゴミ箱の底には、青いベロアの小箱が沈んでいる。
「……一緒に暮らすの、家族になるの、何より楽しみだったのに……」
 突然の婚約破棄から2週間、一体いつになったら立ち直れるのか、女本人にも解らない。
 すぐに死のうとも思ったが、婚約指輪を投げ捨てた瞬間、全ての気力を使い果たして死ぬ事も何も出来ずにいる。
「私、女として価値が無いのかな……」
 完全に自信喪失する女の目から涙が零れた、その時。
「自分が一番大事、大事なのは自分だけ!」
 ピンク色の羽毛鮮やかな鳥が、やたら明るく断言した。
「例え婚約者だろうと否定される謂れはない。だって、婚約者は所詮他人。他人は大事では無いのだから」
「え……?」
「他人の評価の為に自分を偽るのは間違っているわ。もっと、自分を好きになって」
 呆気にとられる女をよそに、エゴシャナは唄う。
「ありのままの自分が一番だから、他人の評価なんて関係ない」
 良い事を言っているように聞こえる教義を。
「一番大事な自分が、自分だけを最高に評価したのならば、それが、あなたの評価」
 つまり、あなたは、最高なのよ。
 エゴシャナの言葉に女はうっとりと聞き入って、
「そうね、他の人間なんて関係ない。だって、私さえ私を大好きなら良いのよね!!」
 あっという間にビルシャナ化してしまった。
「おめでとう、これから私と一緒に、自分を愛するエゴの気持ちを高めて、自愛菩薩さまに近づこう! いつか、自愛菩薩さまの一部となれるように、自分を愛し続けるのよ!」
 女が教義にすんなり同意したのは、エゴシャナの言葉に『自愛菩薩』なるビルシャナの加護が働いていたせいである。


「ビルシャナの菩薩達が恐ろしい作戦を企てていると予知したでありますよ」
 小檻・かけら(清霜ヘリオライダー・en0031)が説明を始める。
「その恐ろしい作戦とは『菩薩累乗会』——強力な菩薩を次々に地上へ出現させ、その力を利用して、更に強大な菩薩を喚び出し続け、最終的には地球全てを菩薩の力で制圧するというものであります」
 この『菩薩累乗会』を阻止する方法は、現時点では判らない。
「皆さんが今できる事は、出現する菩薩が力を得るのを阻止して、菩薩累乗会の進行を食い止める事だけなのであります……」
 現在、活動が確認されている菩薩は『自愛菩薩』。
 自分が一番大事で、自分以外は必要ないという『自愛』を教義としている菩薩だ。
「自愛菩薩は、配下のビルシャナであるエゴシャナ達を、なんらかの理由で自己を否定してしてしまった状態の一般人の元へ派遣します。そこでエゴシャナの甘言によって一般人がビルシャナ化すると、最終的にその力を奪って合一せんと目論んでるであります」
 ビルシャナ化させられた一般人は、自分を導いたエゴシャナと共に自宅に留まり続け、自分を愛する気持ちを高め続けている。
「このままですと、充分に高まった力を自愛菩薩に奪われて、新たな菩薩を出現させる糧となってしまうでありましょうね」
 そうさせない為にも、なるべく早く事件を解決する必要がある。
「さて、皆さんに倒して頂きたいのは、派遣されたエゴシャナと、エゴシャナによって開眼した元人間ビルシャナの2体であります」
 エゴシャナは、敏捷に長けた『自己愛賛歌』を歌って広範囲の敵複数人に威圧感を与え、破壊力のある攻撃をしてくる。
 また、『自己肯定感ノクターン』で敵1人へトラウマを刻むべく頑健な斬撃も見舞ってくる。
「他には……ええと『承認欲求ワルツ』にて敵複数人へ敏捷性のある魔法を放ち、捕縛を狙ってくるであります」
 一方の元人間ビルシャナは、『引き裂かれたウェディングベア』を投げつけて攻撃してくる。
 頑健さに満ち、敵単体の傷を抉り拡げる射程自在のグラビティだ。
「それに加えて、『途切れたエタニティリング』なる斬撃もありますね。敵単体の服を破いてきますのでお気をつけ下さいませ。ちなみに理力に秀でたグラビティであります」
 かけらはそこまで言うと、少し考え込んで、
「自愛菩薩の教義は耳触りこそ良いですけれど、自分だけが大切なんてことは、社会では許されないでありますよ。それを理解させられれば、元人間ビルシャナの救出も可能かもしれませんね」
 そう告げた。
「ですが、エゴシャナが戦場にいる限り、自愛菩薩の影響力が強く元人間ビルシャナの説得は不可能であります。彼女の救出を目指すならば、先にエゴシャナを撃破するか撤退させる必要がありましょう。ご注意くださいませね」


参加者
天崎・ケイ(地球人の光輪拳士・e00355)
クロコ・ダイナスト(牙の折れし龍王・e00651)
トリスタン・ブラッグ(ラスティウェッジ・e01246)
氷霄・かぐら(地球人の鎧装騎兵・e05716)
リュセフィー・オルソン(オラトリオのウィッチドクター・e08996)
ニルス・カムブラン(暫定メイドさん・e10666)
獅子谷・銀子(眠れる銀獅子・e29902)
月白・鈴菜(月見草・e37082)

■リプレイ


 寂れたアパート。
 8人は、エゴシャナによって無理やりビルシャナ化させられた被害者を救い出すべく、彼女の部屋へ乗り込む。
「だ、だれ? 貴方達……今、とても気分がいいの。邪魔しないで」
 被害者ビルシャナが恍惚とした表情で言う。
「煩いネズミどもの事は気にしなくていいわ。あなたはその調子で自愛の気持ちを高めよう!」
 エゴシャナはいやに甲高い声を出した。
「女性として、一番弱っているところを狙い撃つなんて最低」
 率先して被害者の居室へ踏み込み、猛然と怒り出すのは獅子谷・銀子(眠れる銀獅子・e29902)。
 赤茶のウェーブヘアや適度に引き締まったボディーライン、美しい脚線美が健康的な色香を漂わせる、大人っぽい現役警察官だ。
「苦しむ人をさらに踏みにじる奴が一番嫌いよ、ピンク鳥」
 被害者と未だ結婚の目が見えない自身の思いを重ねてでもいるのか、銀子はすっかりエゴシャナに対して怒り心頭。
「獅子の力をこの身に宿し……以下略、さあ、ぶっ飛べっ!!」
 詠唱と共に、胸元を中心として全身へ紋——魔術の力を忍びの技術で変換した紋様を刻めば、
「修行の成果、受けてみなさいっ」
 爆発的に向上した筋力や身体能力を活かして、エゴシャナへ獣の如く肉弾のラッシュを浴びせた。
「うぅ……年齢=非リア歴なわたしにとって、振った振られたは……どっちにしろ羨ましい経験です……」
 クロコ・ダイナスト(牙の折れし龍王・e00651)は、本心から瞳を潤ませる。
 可愛らしい外見だけ見れば充分モテそうなクロコだが、今まで縁がなかったのは、やはり内向的過ぎる性格のせいか。
 というのも、右腕を失ったショックで地獄に目覚めたが、戦いに敗れたトラウマから普段は大層臆病な性格になってしまったらしい。
「なんであれ、婚約破棄されて……絶望の淵にある女の人の心を利用するだなんて……最低最悪な奴ですね……許せません」
 悲運のブレイズキャリバーは、エゴシャナへ真っ直ぐな怒りをぶつけるべく、地獄化した右肘を引いて構えるや、
「右腕を失えど龍王と呼ばれし我が闘気に一片の衰え無きことをその身で味わうがいい!」
 龍王の闘気渦巻く右腕を振り上げて、エゴシャナの頭を力一杯殴りつけた。
 続いて。
「増えやすいのがビルシャナの怖い所だと思ってたけど……考えてみれば他のデウスエクスとも戦わなきゃいけないんだし、戦闘も出来て当然よね」
 予め念を押されたエゴシャナ達の戦闘力の高さについて、そう冷静に推察するのは氷霄・かぐら(地球人の鎧装騎兵・e05716)。
 慎ましやかな品の良さと年相応の明るさや親しみ易さを併せ持つ、癒し系の少女だ。
「さてと、最善の結果を得るためにしっかり頑張りましょう」
 かぐらは女性ビルシャナの動きに注視しながらも、小型治療無人機の群れを操って前衛陣の守りを固めた。
「最初からとっととビルシャナさんを攻撃するのは、ちょっと慣れないのですっ」
 ニルス・カムブラン(暫定メイドさん・e10666)も、強いビルシャナを2体も相手取るのは初めての経験とあって、その表情からは緊張が看て取れる。
 実は隠れ巨乳な上に、幾らヤケ食いしても足りない燃費の悪い体質と判明した、健啖家のメイドさんだ。
「ともあれ、強敵から先に倒すのは戦術の常道。ザヴォちゃん、油断せずに行きましょう!」
 エゴシャナへこちらの作戦——女性を後々説得して人間に戻す事——を悟られぬよう演技して、Dwarven Hammer Ver.Busterの狙いを定めるニルス。
 ドガガガガガ——!!
 まるで大地をも断ち割るかの如き絶大な威力の射撃をぶち込んで、エゴシャナの可愛らしく跳ね飛ぶ足へ直撃させた。
 トライザヴォーガーも主の意思に忠実に、激しいスピンをかけて車体を傾け突撃、エゴシャナの足を轢き潰している。
「何をするんです!?」
 被害者ビルシャナは、エゴシャナが集中攻撃を受けているのを見て、援護しようとでも思ったのか、ウェディングベアを投げつけてきた。
「くっ……すぐ助けてあげるから」
 銀子がウェディングベアの見た目をしたグラビティに腕を切り裂かれるも、キツく歯を食いしばって、その激痛に耐えている。
 一方。
「ビルシャナは人の心につけこんでくるから質が悪いですね……」
 天崎・ケイ(地球人の光輪拳士・e00355)は深い溜め息をついて、被害者ビルシャナを見据えた。仲間がエゴシャナへ集中できるように、彼女の抑え役へ回るつもりで。
 平和な田舎町で生まれ育つも、強くなろうと自ら闘いに身を投じ、今は光輪拳士として戦場に身を置く地球人の少年。
「貴女にはここで踏みとどまっていただきますッ!」
 鋭く叫んで、背負った後光——阿頼耶識を具現化した曼荼羅型のそれを一気に広げるケイ。
「自分を愛する事も大事ですが、人が人である為には、それだけでは生きられませんッ!」
 被害者ビルシャナの投げつけるウェディングベアの狙いがやけに正確な為、恐らくスナイパーだと踏んでの阿頼耶光だ。
「戻ってくださいッ! 人間にッ!」
「ウっ……!」
 眩い光線が被害者ビルシャナの鳩胸を貫き、強烈な痺れを残す。
「天崎さんは有難うございます。その調子でお願い致しますね」
 トリスタン・ブラッグ(ラスティウェッジ・e01246)は、単身で生かさず殺さずという難しい役回りを引き受けてくれたケイを労ってから、自分もエゴシャナへ向き直る。
 かなりの強面ではあるが、そんな見た目に反して性格はとても大人しく、慣れない子育てに奮闘する良きパパだ。
「Deprived force type Grendel」
 右腕へ忌まわしき沼の巨人から奪い取った力を宿して、エゴシャナへ一気に肉薄するトリスタン。
 ——バキャッ!!
 振るった拳は、毎夜1人ずつ食らう邪悪な巨人の如き確実さで、エゴシャナの顔面を捉えた。嘴のひしゃげる嫌な感触が伝わってくる。
「フン、私達の高まった自愛の気持ちは、誰にも壊せない——!」
 エゴシャナは血だらけの顔面を初めて醜悪に歪め、自己肯定感ノクターンを歌い出す。
「その程度で我に歯向かえると思ったか?」
 すかさずクロコがケイを庇って精神力を削られ、眼前に己にしか判らぬトラウマを見てしまう。
「女性の失恋後の心理に付け込んで、ビルシャナにするエゴシャナは許せませんね!」
 エゴシャナをキッと睨みつけて厳しく言い放つのはリュセフィー・オルソン(オラトリオのウィッチドクター・e08996)。
「今、回復しますね」
 リュセフィーはオーロラのような光でクロコを包み、傷を癒すと同時に顕現していたトラウマをも消し去る。
 その傍らで、
「……自分だけが大切……当たり前じゃないのかしら……?」
 月白・鈴菜(月見草・e37082)が、相変わらず無表情ながらどことなく不思議そうに首を傾げた。
 その大人しい佇まいから周りには気づかれにくいが、実際は色々とズレている上に倫理観が薄く、合理性や欲望の充足を躊躇いなく優先したりする、ミステリアスな少女。
「……その女の人だって『また』振られたらしいけど……それは相手よりも自分の結婚願望を優先していた結果のようにも思えるのだれけど……そんなにいけない事なの……?」
 なればこそ、被害者が婚約者に捨てられた原因を冷静に分析するも、結婚に焦る女性の気持ちをある意味肯定的に見ている鈴菜だ。
「……行くわね……」
 鈴菜は九尾扇を大きく扇いで時空凍結弾を精製。
 エゴシャナの潰れた顔面ヘ追い討ちをかけるように撃ち込んで、エゴシャナに流れる時間ごと奴を凍てつかせた。
 その後も被害者ビルシャナをケイが抑えながら、他の7人でエゴシャナに集中攻撃を浴びせる戦いが続いて。
 ——ボンッ!!
「よしっ、いい調子♪」
 最後は、精神を極限まで集中させたかぐらが、エゴシャナのピンク色の胴体をいきなり爆破、ついに奴へ引導を渡したのだった。


「そんな……私を救ってくれた鳥さんが……」
 被害者ビルシャナは、エゴシャナの遺体が床へ溶けるように消えたのを見て、茫然としている。
 そこで、リュセフィーがビルシャナを励まそうと声をかけた。
「婚約者に捨てられたとしても、そうやって塞ぎ込んでいてはダメですよ」
「……は?」
「今まで以上に魅力的になれば、いつか別の男性が振り向いてくれますよ」
「……どうせ今の魅力のままでダメなのはわかってるわよ、喧嘩売ってんの?」
 ビルシャナが苛苛立たしげに反論する。
「でも、ダメな私でも、私さえ愛してあげられたら大丈夫、って鳥さんは言ったわ!」
 恐らくリュセフィーは本気で励ましたつもりだろうが、他人の言葉を借りただけのような誰でも思いつく通り一遍の励ましでビルシャナ化を解く事など出来はしない。
 ましてや自愛菩薩の加護による肥大した自己愛への攻め込みが一切無いのが致命的である。
「婚約破棄が辛いのはわかる」
 一方、ビルシャナの心情を慮って、慎重に言葉を選ぶのは銀子。
「でもそんな貴方を気にかけてくれる同僚がいる。たとえ目の前でなくても沢山いる」
 予知で得た情報をしっかり使う辺り、銀子の堅実な性格がよく判る。
「もし貴方も周囲を気にかけるなら、愛してくれる人も見つかる。必ず——だから信じて戻って」
 他人にまた愛されたいなら自己愛だけ持っていては駄目だとも付け加えて、ビルシャナを大きく動揺させた。
「……みんな……私、婚約破棄を知られるのが、怖くて……惨めな思いしたくなかったけど……」
 床に転がったスマホを見下ろし、戸惑いを吐き出すビルシャナ。
「貴女はその人と家族になりたかったんですよね。それは貴女が家族の愛を知っているという事ですよね?」
 次いで懸命にケイが、家族愛について訴える。
「貴女が家族の愛をその身に受けて育ったからですよね? ならば知っているはずですッ!」
 ケイの説得は大変熱く、人の心を動かすだけの力があった。
「思い出して下さいッ! 家族の愛が……無償の愛がどれほど尊いかをッ!」
 だが。
「そうよ……私、彼と温かい家庭を築きたかった……私、本物の家族を知らないから……」
 ビルシャナの家族構成についての情報が無いままに彼女の過去を決めつけるのは、今回は上手くいったが危険な賭けかもしれない。
「あなたに価値がなかったわけじゃないと思います。相手があなたの価値に気付けなかったんです……」
 戦闘を終えた事で、また普段のおどおどした態度に戻ったのはクロコ。
「それに女の価値は失恋して……奮起した時一番高まると思います!」
 とは言え、被害者ビルシャナへ何より同情しているクロコだけに、励ます声音へも真情が滲んでいる。
「わ、わたしも応援しますから……どうか諦めないでください!」
 ビルシャナは、自分を本気で心配し、激励してくれる他人がいると幾許か理解できたのだろう。
「あ……ありがとう……?」
 我知らず感謝の言葉が零れ落ちた。
「自分が全然大切じゃないっていうのも逆に問題だから……、何事もバランスが大事よね」
 次に口を開くのは、ビルシャナ信者の説得ならば何度も経験しているかぐら。
「あと、少なくともあなたはもう愛されてるわよ。だって、わたしたちはあなたを助けたいと思ってここに来てるのだから」
 簡潔に自己愛からの解放を促し、ビルシャナが既に他者からの隣人愛を得ている事も、確かな根拠と共に伝えた。
「もう愛されてる……?」
「そうよ。ケルベロスだって無敵じゃないわ。デウスエクスとの戦いは命懸け……命を賭して助けにきたのよ」
「そこまでして、私を——?」
 にっこりと何の衒いもなく笑うかぐらを見て、ビルシャナは心底驚いたように目を丸くした。
「相手の見る目がなかったのでしょう。自分をこんなにも磨き上げられる方なら、きっと素敵な出会いがありますよ」
 トリスタンは、色恋沙汰の話を不得手としながらも、彼らしく丁寧で落ち着いた慰めの言葉をかける。
「私も自分を鍛えることに夢中でしたが、今は大きな娘を育てることに夢中へと変わりました……」
 自己愛からの脱却こそが幸せな未来に繋がるという、自らの経験を交えての説得には、十二分の含蓄がある。
「きっと誰かとの出会いが、あなたを変えてくれますよ」
「……出会い……素敵な出会い……」
 渋い大人の男であるトリスタンにそう断言されて、もしかしたらそんな事もあるかもしれない——とビルシャナは初めて前向きな考えになった。
「……自分自身を愛するのは大切でしょうけど……それは何の為なのかしら……?」
 さて、いつも依頼前に仲間から持たされる台本を完璧に暗記して喋るのは鈴菜。
「……自分だけしか好きになれないのなら……もし誰かから好意を向けられたとしても直ぐに離れていくんじゃないかしら……?」
「!」
 鈴菜は台本をしっかり読み込み、自分の言葉にして語っている為、ビルシャナの心を鋭く抉った。
「……誰かから愛されたいのなら……まず相手を評価して……大事に想ってからでしょう……?」
「……そう、ね……」
 ビルシャナががくりと膝をついて落ち込むのへ、
「……それと……自分よりも誰かを好きになれるのはとても素敵な事じゃないかしら……?」
 鈴菜はそっと手を差し伸べて、かつては一途に婚約者を想っていただろうビルシャナを褒めた。
「生きていく上で、他の方と助け合っていく事は大事です。何せ、自身の至らない所、欠けている所を判断するのに、他者の意見は必要ですよ」
 最後はニルスが、社会の中で生活する上で他者との関わりは欠かせない、と論理的に主張する。
「仮に貴女が他者の立場でお相手を指摘した時、その方が意見を受け入れてくれたら、気分は良くないですか?」
 ビルシャナと化すまでに思考の方向性を歪められた相手だから、ゼロから判断させずに答えを促す形を取るのも、実に手馴れた対策である。
「それは……確かに安心するし、良い事をした気分になるかも」
「でしょう? ——誰かを愛する事が出来る貴女です、またしても素敵な出会いがありますよ」
 優しく請け負うニルス。自己愛へかまけて他者を蔑ろにする人間ばかりだったら、どんな分野も発展しなかった、否、文明そのものが生まれたりしなかっただろう。
 太古の昔から、人は同胞と支え合って生きてきたのだから。
「かくいう私も……出会いはちょっと変でしたが、素敵な方と今は面白くやってます」
 そう屈託なく微笑む様も心底幸せそうに見えて、ニルスの持論に深みを加えている。
「私……わたしは……」
 すっと上に上がったビルシャナの瞼から、ぽろぽろと涙が溢れ出た。
「やっぱり他人に愛されたいし……私も誰かを愛したい……!」
 そう声を振り絞った刹那、ピンクの羽毛や黒い嘴が、一気に彼女から剥がれ落ちて。
「え……私……?」
 哀れにもエゴシャナの標的となった被害者女性は、無事に人間の姿へ戻ったのだった。

作者:質種剰 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月15日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 1
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