誰ソ彼ノ死屍

作者:秋月きり

「……様」
 夕暮れ。黄昏時。
 街を歩く天崎・祇音(霹靂神・e00948)は振り返り、周囲を見渡す。
(「……誰も、いないのじゃ」)
 誰かに呼ばれた気がした。心に泡立つ声は誰のものだったか。懐かしいような、何処となく悲しいような。
 緩やかな思考は突如、途切れる事となる。――誰もいない?
 時刻は黄昏時。夕焼けに染まる街はしかし、彼女を残し、人っ子一人いなかった。帰路を急ぐ子供も、買い物に向かう人々も、そして、忙しく走り抜ける車すらも。いつもならば賑やかな筈のこの場所は、今や、静けさのみが支配するゴーストタウンの如き場所に転じていた。
「――レイジ」
 異変に自身のサーヴァントを呼ぶ祇音に対して、聞こえた音は二つ。一つは主に応じるボクスドラゴンの鳴き声。そして。
「……うふふふ」
 囁くような声だった。蠱惑的な微笑だった。そして、妖艶な笑みだった。
 いつの間にか出現した少女は日本刀を抜き放ち、祇音に笑い掛ける。獅子を思わせる外見も相俟って、その所作は獲物を見定めた肉食獣を思わせた。
「……そんな、まさか」
 祇音は息を呑む。次に零れ出た台詞は、彼女が良く知る人物の名前。……その筈だった。
「禍音……なのか?」
 少女は答えない。少女の緋眼はただ無機質に、祇音を映している。そこに宿る感情を、ついぞ、祇音は見つける事が出来なかった。
 そして少女は言葉を口にする。
「――やっと」
 紡ぐ笑みはぞっとする程の狂気を孕んでいた。

「祇音の襲撃が予知されたわ」
 ヘリポートにケルベロス達を招集したリーシャ・レヴィアタン(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0068)が零した声は、焦燥感に塗れていた。
「連絡を取ろうにも、彼女とは既に連絡が取れない状態よ。こうなったら一刻も早く現場に駆け付けるしかないわ」
 今ならばまだ、最悪の事態になる前に到着出来る筈と断言し、リーシャは説明を続ける。
「祇音を襲撃したのは死神の一員ね。彼女はその外見に見覚えがある様だったけど」
 とは言え、二人の関係性は判らない。それを追求する意味もないだろうと、リーシャは首を振る。
「死神は日本刀のような得物を持っているわ。あと、ウェアライダーの特性があるのか、頑健さと俊敏さも特徴と言えば特徴ね」
 加えて、炎と岩石を操る特異な能力も有しているようだ。死神を制する為には、破壊と防御に特化した異能を打ち砕く手段が必要かもしれない。
「襲撃場所は繁華街なんだけど、どうも死神に人払いの能力があったのか、人一人いない様子なのよね。だから、周囲を気にせず戦う事が出来るわ」
 建物を破壊しても戦闘後にヒールを施せば問題ない。故に、戦闘にのみ集中して欲しいと告げる。
「……もしかしたら、祇音にとって思う事がある相手かもしれない。だけど、現れたデウスエクスは彼女を殺し、グラビティ・チェインを奪おうとしている、それだけの存在よ」
 だから、デウスエクスを倒し、彼女を助けて欲しい。そこに如何なる結末が待とうとも、それを忘れないで欲しい。
 リーシャはその言葉と共に、ケルベロス達を送り出す。此度もいつもの出来事であると告げる様に。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」


参加者
天崎・祇音(霹靂神・e00948)
叢雲・宗嗣(夢う比翼・e01722)
戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭いモブ・e02253)
楠・琴葉(明日を掴む笑顔・e05988)
深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)
一色・紅染(脆弱なる致死の礫塊・e12835)
安海・藤子(道化と嗤う・e36211)
アルシエル・レラジェ(無慈悲なる氷雪の弾丸・e39784)

■リプレイ

●誰ソ彼ノ死屍
 ヘリオンの窓から見える景色は、紅く染まっていた。
(「早くっ」)
 夕日に焼ける景色を見下ろす一色・紅染(脆弱なる致死の礫塊・e12835)は珍しく焦燥感を露わにしていた。
「落ち着けよ」
 同じ窓を覗く戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭いモブ・e02253)の手には唐揚げが握られている。むしゃりと口に運び、咀嚼する事数度。ごくりと喉を鳴らしながら嚥下すると、新たな唐揚げに取り掛かる。
「いや、お前が落ち着き過ぎだろう」
 ある種の尊敬と疑念が入り混じった視線を向け、叢雲・宗嗣(夢う比翼・e01722)は苦笑する。仲間の連絡が途切れて数刻。その安否に気を急いてしまう事は仕方ない。まして、彼は――。
「義妹に手を出すとはいい度胸だ」
 ボクスドラゴンの紅蓮を伴う深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)から零れた声は、怒りに染まっていた。何者かが可愛い義妹を襲撃しようとしている。実際は予知の範疇だが、それでも彼女にとっては憤慨物だった。
「縁は巡る、ね」
 しかも、良くない方向に、と安海・藤子(道化と嗤う・e36211)は嘆息する。以前、自身が巻き込まれた事件で彼女に助けて貰った事がある。ならば、今度は自分の番だと気概を抱き、ヘリオンに乗り込んでいる。
「私は皆と違って彼女と深い縁があるわけではありません」
 アルシエル・レラジェ(無慈悲なる氷雪の弾丸・e39784)の言葉は何処か無機質に彩られ、しかし、その感情を彼自身が否定する。
「だが、見殺しにするなんて言う選択肢はありません」
 依頼で何度か顔を合わせた。同じ師団に所属している。助ける理由なんてそれで十分との言葉は、言い訳の様にも聞こえて。
 そして、彼らの会話を聞き届けていたかの様に、ヘリオンが空中で停止する。ゆるりと開く降下ハッチから流れる風は、冬と春の境に相応しく、冷たくも暖かかった。
「行きましょう。放っておけないもの」
 自身の胸に手を当て楠・琴葉(明日を掴む笑顔・e05988)は友人の様子を想起する。何かの思い悩むような、しかし無理矢理、表情を取り繕っていた彼女を思うと、胸の中で何かが燻る。それを拭い去るには彼女に会う必要があった。
「……何事も無ければいいけど、おそらく、それは無理だから」
 空中へ躍り出す間際、零れた紅染の言葉はケルベロス達の耳朶を強く打っていた。

「我、志士なり……。我、死屍なり……。我、獅子なりっ!」
 その詠唱を知っていた。その技を知っていた。その一撃を知っていた。
 獣の如き踏み込みから突き出された日本刀の一撃は、炎と岩石を纏い、天崎・祇音(霹靂神・e00948)を強襲する。激しい衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がった祇音の身体は、やがてビルに叩き付けられ動きを止めた。ぜえぜえと零れる喘ぎ声は、肺が大量の空気を求めての事だった。
 全身が痛い。特に衝撃を受けた胸が痛い。この痛みは物理的な物か、それとも。
「あら? まだ生きてる?」
 その事が意外と少女――死神は笑い掛ける。ころころと鈴を転がしたような声色は、祇音の知る彼女と同じ音で紡がれていた。
「そう。ボクスドラゴンを盾にしたのね」
 疑問が氷解した、との言葉に返す言葉が見つからなかった。死神の一撃を受けた祇音が無傷なのは、その切っ先を、間に飛び込んだレイジが受け止めたからだった。
 だが、今やその竜体は何処にも無い。死神の一撃によって消滅してしまったのだ。
「レイジ……」
 胸に残る痛みは、小さな体を受け止めたが故。腕に残る煌きは、己のサーヴァントの残滓だった。
 トルマリンの指輪から生み出された光剣を構える祇音はしかし、その後の動作に移れずにいた。出来る訳がない。だって、目の前にいる彼女は。
「禍音……何故……!」
 だが、その応えはない。笑みを浮かべたまま、日本刀を振り被る。白銀の軌跡を残し、切っ先は祇音の喉を切り裂く――。
 刹那、金属音が響き渡った。
「祇音、良かった」
 白刃を受け止めたのは、割って入った紅染のケルベロスチェインだった。安堵の声もそのままに、鎖で魔法陣を描く。
「……紅染?」
 到着したのは彼だけではなかった。彼を含め、見知った顔は計7人。集ったケルベロス達は祇音の無事に喜びの声を上げていた。
「何故、じゃ?」
 紅染の呼びかけも、自身を庇うルティエや藤子の所作も、そして、宗嗣や久遠、琴葉の安否を問う声も、自分には大切なものだった筈だ。
(「何故、皆がここにいる……?」)
 抱く困惑は声とならず、思考の海に消えていく。何故皆が、そして彼女が、ここにいるのだろう?

●誰ソ彼ノ志士
 日本刀が翻る事数度。だが、その一撃は重く、鋭い。
(「頑健さと俊敏さが特徴、か」)
 流水を思わせる一撃を縛霊手で受け止めた藤子はヘリオライダーの忠告を想起する。
 成程、と唸ってしまう。速と手数はウェアライダーにも似た特性。攻撃の軽さはクラッシャーの恩恵で補っている。この敵は、自身の能力を把握し、それを生かす術を身に着けているのだ。
「……神罰、遂行」
 己が身体に岩を纏い、防御を強化する死神へ、ルティエは狼の爪を以って対抗。だが、岩石に阻まれ、有効打に繋げられない。
「厭らしい」
 死神と言う種族の陰湿さを現している様だった。
 そこに紡がれる追撃は雷を纏う一撃だった。突き出された宗嗣の漆黒の刀身はしかし、死神の肩口を浅く切り裂くだけに留まる。
 重ねて放たれる久遠による電光石火の蹴りは、死神の身体を捉え、虚空へと弾き飛ばす。――否。
「後方に逃げやがった」
 ネコ科を思わせる動きに、思わず唸ってしまう。
(「流石は天女様の因縁の相手だな」)
「感心している場合か!」
 紙兵を散布する藤子の怒号に苦笑いしてしまう。ああ、確かに見惚れている場合ではなかった。
「叩き潰す!」
 宣言は両の手に西洋剣を抱くアルシエルから零れる。十字架を描くように放たれた斬撃は天地揺るがす超重量となり、死神の身体を襲撃した。
 それは宣言通りの圧壊であった。だが、その一撃すら身軽に躱した死神は、ふふりと笑みを浮かべる。それは獲物を前にした獅子の浮かべる笑みと相似していた。
(「似ている――」)
 魔法の木の葉を自身に施す紅染は、死神の様相に己の唾を飲みこむ。無邪気とも呼べる笑みは確かに、彼女と同じ物だった。
「祇音ちゃん!」
 流星煌く飛び蹴りを死神に見舞う琴葉が呼ぶは、立ち竦む友人の名だった。
 7人のケルベロスと1体のデウスエクス。
 その攻防を前にして、だが、祇音は動けないでいた。

(「やめてくれ」)
 それは懇願だった。
(「やめてっ」)
 祇音の内で何かが叫ぶ。目の前の戦いを止めなければならない。それが出来るのは自分だけだ、と。
 仲間の攻撃で禍音は傷付き、だが、それ以上に禍音の攻撃で仲間達が傷付いている。その誰しもが、何の為に戦っているのか。それを理解出来ない彼女ではなかった。
「やめろーーっ!」
 叫びはしかし、誰の耳にも届かない。否、届けたいのは叫びではない。届けたい唯一の物、それは、彼女の願いだった。
(「何故、皆、争うのじゃ? だって、禍音は、禍音はっ」)
 大切な妹、なのに。
「禍音っ、やめるのじゃ、禍音っ。皆、判ってくれる。なぁ、一緒に、帰ろう。なぁ。……一緒にっ」
「本当、甘い」
 意味を為さない言葉の羅列はしかし、白銀の刀身によって切り裂かれる。
「帰る? 否、貴方は逝くのよ」
「祇音っ!」
 切っ先を防いだ紅染の声が酷く遠くに聞こえた。皆の声も、禍音の言葉も、何もかもが己を抉っていく。無数の針を突き立てられる様だった。
「禍音っ」
 縋るように叫ぶ。
 彼女の慟哭はしかし、妹へ届く兆しを見出す事は無かった。

●誰ソ彼ノ獅子
「腑抜けてるんじゃねーぞ!」
 叱咤の声が耳を打つ。涙で濡れた目の見上げた先には、二振りの星座剣を構えるヴァルキュリアの少年の姿があった。
「アル、シエル?」
 衝撃が胸を打つ。記憶の中にある彼は確か、物腰柔らかな好青年然していた筈だ。
「相手は死神で、んで、アンタの前に現れたって事は、奴が誰なのか、明白だろう?!」
「じゃが!」
 彼の声を否定する。答えは判っている。それでも、現実を直視出来ない自身の弱さも判って欲しかった。
「彼奴は禍音なのじゃ! 私の……私が殺した、私の妹なのじゃ!」
「うるせぇ!」
 駄々っ子のような文言を一喝する。その嘆きが判るとも判らないとも言えない。そんな家族をアルシエルは有していなかった。
 だが、それでも、大事な事は判っているつもりだった。
「だったら猶更だ! 『失ったはずのもの』と今ここにある、アンタが培ってきた絆と……どっちが大事なのかくらい、判ってんだろ?」
「――っ?!」
 叫びは、衝撃となって祇音を打ち据える。
 震える視線の先に傷つく仲間達がいた。防御を引き受ける紅染と藤子は血に染まり、立つのもやっとの風体だった。その傷を癒す久遠と紅蓮も息が上がっている。それだけではない。攻撃を続ける宗嗣、琴葉、ルティエの三者も傷だらけで、いつ倒れてもおかしくない状況だった。
「あ……。あ……っ」
「目の前のあれは何だ? デウスエクス――俺達が倒すべき敵だ!」
 その叫びは祇音の迷いを切り裂いていた。
「うぁぁぁぁあっ!」
 叫び声が上がる。獣の咆哮の様に聞こえるそれは、祇音の口から迸っていた。
 同時に振るわれるは雷神の名を持つ喰霊刀。その切っ先は死神の切っ先を捉え、鋭い金属音を辺りに響かせた。
 火花すら散りかねない拮抗の中、それは笑う。
「ああ。来るのね。姉様。そうして、私を二度も殺すの?」
 それは耐え難い程の悪意だった。邪悪を象った表情で、それは祇音を嘲笑する。
 その顔は、どうしようも無い程、大切だった妹なのに――。
「禍音ーっ!」
 故に、祇音は叫ぶ。これを妹と認めてはいけない。これは、自分の愛した妹ではない。
「天崎っ!」
 悲痛な表情でその叫びを見守るのは宗嗣だった。そんな声を、そんな哀しみを抱かせない為に戦っていた。その筈なのに。
「あまり無理はするな」
 片膝をつく久遠はそれでも、祇音の背を押す為にニヤリと笑みを浮かべ。
「祇音ちゃん!」
「祇音!」
「――祇音」
 琴葉とルティエ、紅染の呼びかけは、悲哀混じりに紡がれた。
「ようやく復帰したか? ならばもう少し頑張りが必要だな!」
 そして藤子は歓喜の声と共に、詠唱を紡ぎ始める。
「我が言の葉に従い、この場に顕現せよ。そは静かなる冴の化身。全てを誘い、静謐の檻へ閉ざせ。その憂い晴れるその時まで……」
 喚び出すは巨大な氷塊。彼女の詠唱の下、それは竜の身体と化し、その牙と爪で死神の身体を蹂躙していく。
「悪いね。そこが君の、凶事だ!」
 そこに続くは宗嗣の燃える斬撃だった。神速の如く放たれた抜刀術は死神の鎧を打ち砕き、その白い肌に血の筋を刻んでいく。
「祇音ちゃんは大切な友達で仲間だから……絶対にやらせない……!」
 動きを止めた死神に食らい付くのは、黄金色の輝きだった。琴葉が放つ殴打は死神の身体を打ち据え、苦痛の呻きと共に踏鞴踏ませる。
 だが、それも一瞬にして払拭された。如何に攻撃を重ねようと、目の前に立つものはデウスエクス。まして、それが強靭さを特性にしているのであれば。
 追い打ちを掛けるアルシエルの弾丸も、紅染の冷凍光線も日本刀の一閃で撃ち落とした死神は笑う。その笑みは、ひどく陰湿な、邪悪な物のように思えた。
「やれやれ。死んだ妹君をサルベージしたのか、それともサルベージした体を奪ったのかは知らんが」
 仲間に治癒を施す久遠は眉を顰め、大方の事情は分かったと肩を竦める。目の前のあれが本当に祇音の妹かは不明だ。だが、その検証の暇は無いと捨て置く事にした。
「我、志士なり……。我、死屍なり……」
 そして、死神は詠唱を始める。その技は幾度となくケルベロス達が目にした禍津日神の刃だった。
 だが。
「我、狼なり……我、大神なり……」
 祇音もまた、詠唱を紡ぐ。死神の繰り出す技を彼女は知っていた。ならば、対抗手段を知る事もまた、道理であった。
「我、獅子なりっ!!」
「我、大雷鳴……!! 轟け…っ!!」
 禍津気と雷撃がぶつかり、弾け飛ぶ。死神の領分は根の国。地の力を操る死屍の業ならば、それに対する祇音の一撃は天からの霹靂――神鳴りの一撃だ。
「相殺した?!」
 信じられない物を見たと、ルティエが目を見開く。だが、その驚愕は次の瞬間、笑みに変換されていた。
 戦っているのは愛らしい義妹だ。そのぐらいの事をやってのけるだけの力がある事を、彼女は知っている。
「我牙、我刃となりて、悪しきモノを縛り、その罪を裁け」
 ならば、自分はそこに繋げるだけだ。
 肉食獣の笑みを浮かべたまま、自身の右腕を形成する地獄を紅色の飛電に転じ、凶事を喰らう牙を作り上げていった。
「紅月牙狼・雷梅香」
 静かに紡がれたそれは、死神に食らい付き、その身体を切り裂く。肉の焦げる臭いと、死神の悲鳴が辺りを覆っていった。
「――禍音っ」
 引き絞るように。葬送り出す様に。
 祇音の生み出した電撃は、妹の姿をした悪鬼を貫く。
 断末魔の叫びの中、零れた彼女の涙は地面に零れ、小さな染みを残し消失して行った。

●オオカミは灯火の中で
「さて。どうしたものかね」
 周囲の崩壊が全て、完治している事を確認した久遠は盛大な溜め息を零した。
 街の傷跡はヒールで癒す事が出来る。幻想を孕む姿になれど、そこに支障はない。
 だが、人の心は――。
「そっとしておきなよ」
 駆け寄ろうとした仲間達を制し、藤子が首を振る。その視線が捉えていたのは、地面にぺたりと座り込む祇音の姿だった。
 そっとしておいてくれ。その台詞は祇音からも紡がれていた。故に、彼らはそれ以上、彼女に近づくことが出来ないでいる。
「……私は」
 義妹を見守るルティエからぽつりと零れた嘆きを受け止める事が出来る者はいない。肩に添えられた宗嗣と琴葉の手も、首を振るアルシエルも、ただ、彼女と共にそれを見守るだけだった。

(「私を二度も殺すの?」)
 死神の言った通りだった。震える手を見下ろし、涙を零す。二度殺した。私は禍音を二度――。
 嘆く祇音の身体を柔らかく、温かい何かが包み込む。それが紅染と理解した時、祇音はその身体を振り払おうとして、それが出来ない事を知った。
 嘆きは強く、それを一人で留める事など、出来そうになかった。
「紅染……」
 故に名を呼ぶ。愛しき伴侶の名を。自身に唯一残された、温もりの名を。
「……僕はずっと傍にいるよ」
 紡がれた言葉はそれだけだった。
 だが。
「約束、してくれるか?」
 その温もりと言葉だけは、手放したくないと、重ねた掌に力を込める。
 込み上げる涙を抑える事は出来なかった。拾い集めた形見――勾玉を抱き、祇音は嗚咽を零す。
 それは今は亡き妹への鎮魂歌のようでもあった。

作者:秋月きり 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 12
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