春霖

作者:藍鳶カナン

●春霖
 冬の終わりとも春の始まりともつかぬ夜だった。
 潮香る夜気は冷たく重く身体に纏わりつくようで、なのに何処か柔くゆるむ。
 胸の裡を騒がすような波の音。あてどなく、けれども波の音に誘われた風情でひとり歩むスプーキー・ドリズル(バラージ・e01608)の眼の前に広がったのは、夜の海だった。
 気づけば無意識に辿っていた海への路。
 潮の気配は彼にとって慕わしいものだが、夜空にかかった月は今にも雨雲に覆われそう。大気の冷たさと重さは潮の気配に雨の気配を滲ませている。程なく降り始めるだろう。
「……僕は、どうかしているのかな。雨の夜に出歩こうと思うだなんて」
 あの霧雨の夜からこのかた、雨の夜には胸が疼くばかりなのに。
 街灯が等間隔に燈る海沿いの道路からは、いつしかひとの気配だけでなく、車の行き来も絶えていた。静まり返った道路から砂浜へ降りれば、夜の海から寄せる波の音が彼を迎えてくれる。波音が過去の記憶を連れて来る気がしたのと。
 彼の背後から銃声が響いたのは、ほぼ同時のことだった。
「――!!」
 彼の頬のすぐ脇を掠めた弾丸が波飛沫を散らした瞬間、血のごとき紅の彩を爆ぜさせる。被弾による出血ではなく何らかのグラビティ。咄嗟に愛銃を抜いて振り返ったスプーキーの表情はひどく険しいものへと塗り替わっていた。
 今の銃撃は『外れた』のではなく。
「俺がわざと『外した』んだって気づいた顔だね。そうだよ、真っ向からやりあって顔見て殺さなきゃ、面白くないからね?」
 彼が双頭銃口を向けた先で、拳銃を手にした青年が愉しげに笑う。
 その姿を映したスプーキーの瞳に、驚愕と、嵐の海のごとき激情が宿る。
「貴様……! その、姿は……!!」
 彼が対峙した『敵』は、骨の竜翼と尾を、そして、黒き角を持っていた。明らかな殺意を向けてくる『敵』。なのに愛銃のトリガーにかけたスプーキーの指が止まった。さながら、躊躇いという名の飴に固められてしまったかのごとく。
 彼の頬を雫が伝う。
 頬を濡らしたのは血でも涙でもなく、音なく降り始めた雨。
 春霖(しゅんりん)。静かに、けむるように降る春の霧雨。長く、長く降り続ける雨。

●宿縁邂逅
「緊急事態。今すぐ手を貸せるってひとは、僕のヘリオンにお願い」
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が皆へと語った事件予知は、スプーキーが宿敵と思しきデウスエクスに襲撃されるというもの。予知が出た直後に遥夏はすぐさま彼と連絡を取ろうと試みたが、
「どうしても繋がらなかったんだよね。事態は一刻を争う。僕が現場まで全速でヘリオンを飛ばすから、あなた達にはスプーキーさんの救援をお願いしたいんだ」
 時刻は既に夜、現場到着時にはけむるような雨も降り始めているが、海沿いの道路に燈る街灯の光が浜辺まで確り届いて照らしてくれる。また、敵が何らかの手段で他者を遠ざけたらしく、一般人が現れることはない。ゆえに人払いは不要、戦いに全力をそそいで欲しいと遥夏は告げた。
「相手は死神らしいね。狙いに絶対の自信があるみたいだから、ポジションはスナイパー。独自の銃撃グラビティを使ってくるよ。あと、範囲魔法。多分催眠だね」
 一対一では到底敵わぬ相手。加勢する者がなければ彼の命は奪われるだろう。だが、
「大丈夫。絶対間に合わせてみせるよ。そしてあなた達がいればスプーキーさんを救援して敵を撃破できる。そうだよね?」
 さあ、空を翔けていこうか。夜の海が波音を奏で、春の雨が音なく降る浜辺へ。
 静かに、けむるように降る霧雨の中、恐らくは運命の嵐に呑まれているだろう男の許へ。


参加者
ルトゥナ・プリマヴェーラ(慈恵の魔女・e00057)
呉羽・律(凱歌継承者・e00780)
スプーキー・ドリズル(バラージ・e01608)
イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)
シド・ノート(墓掘・e11166)
渡羽・数汰(勇者候補生・e15313)
アイラ・ロークトゥカ(皓月の蕾・e33705)
クラリス・レミントン(銀ノ弾丸・e35454)

■リプレイ

●春霖
 逢いたい、と。
 幾度希ったことだろう。幾夜夢に見たことだろう。
 足元に寄せる波のように繰り返し胸に燈した愛しい姿。遠い街灯の光がけむるように降る霧雨を仄かに煌かせる夜、スプーキー・ドリズル(バラージ・e01608)の眼前には、何度も思い描いた息子の姿そのものが投影されたかのごとき『敵』がいる。
 敵だと理解しているのに指が動かない。動かし方も呼吸も瞬きさえも忘れかけた、刹那。
 眼前の敵の足元、波と砂が派手に爆ぜた。
「立ち止まるなスプーキー! 君の舞台に凱歌を添えに来た!!」
「ああ、僕ら皆で護りに来たぜ! きみの命も身体も、心も!!」
 呉羽・律(凱歌継承者・e00780)の予想通りサイコフォースは躱されたが、スプーキーに活を入れ敵を跳び退らせるには十分すぎるほど。間髪を容れずに霧雨を裂いた黄金の輝き、イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)の気咬弾が敵に喰らいつけば、
「そういうこと! 迷子が見つかったなら、あとは君が迎えに行ってあげるだけだよ」
 良く通る舞台役者と歌姫の声に続き、シド・ノート(墓掘・e11166)は旧友の背を叩いた手をそのまま霧雨の宙へと滑らせ、繰り返し綴るだいじょーぶの文字を拡散させて不可視の防護障壁を展開する。友達の旦那さんという間柄だった彼と、いつしかこんなにも長い付き合いになっていた。
 続々と駆けつけてくれる仲間の気配にスプーキーは眦を緩め、
 ――ありがとう、皆。
「ああ、僕から家族を奪い、息子の亡骸をも奪ったこの死神を……今夜、この手で討つ!」
 次の瞬間、己の人肌を疎らに彩る竜鱗さえ凍って砕けそうな殺意を迸らせる。
 皆が躊躇を砕いてくれたなら呼吸するより容易く指は撃鉄を起こし双頭銃口は改めて敵を捉え、死神が逃れる間もなくその肩を撃ち抜いた。爆ぜた紅は血ではなく。
『ったく、折角いいところだったのに! 何だよぞろぞろ来やがってさあ!!』
 林檎飴めいた紅に肩を固められ、死神が癇癪を起こせば途端に魔法の硝煙が襲い来たが、
「これ以上……彼の息子の姿で、スプーキーちゃんを惑わせやしないわよ」
「そう。この雨の先に、彼が皆と生きていくべき明日があるんだから、ね」
 艶やかな笑みで躍り込むルトゥナ・プリマヴェーラ(慈恵の魔女・e00057)が彼を護り、夢魔の角も翼も尾も咲かせて月の斬撃をも咲かせ、心惑わす硝煙の波濤を押し返す勢いで、クラリス・レミントン(銀ノ弾丸・e35454)が前衛陣を護る紙兵を解き放つ。
 紙兵の紙吹雪を跳び越す影に燈るは流星の煌き、
「俺も助太刀させてもらうよ! 援護するから、貴方は本懐を!」
「ええ、宿縁を終わらせるためのお手伝いをするわ、おじさま!」
 確実に狙い定めた渡羽・数汰(勇者候補生・e15313)が敵の胸に星の重力を叩き込めば、アイラ・ロークトゥカ(皓月の蕾・e33705)は日長石の卵を魔法で孵す。
 ――ラウ、ラウ。お願い、ね。皆さまに力を貸してあげて。
 夜の海を霧の雨を、たちまち照らし出すのは輝ける炎の鳥。
 雨雲に月も覆われた天に咲く光環、そこから降る花時雨が全てを終えるまでスプーキーの双眸を怒りにも悲しみにも曇らせはしないと確信しつつ、律も豊かに花開かせたテノーレの声音で彼ら前衛陣に光の力を授ける凱歌を歌い上げた。
 ――鋭き光の剣歌よ……我等に勝利を与え給え!
 花時雨に舞う炎の鳥の羽、凱歌は前衛陣の刃に光を燈し、夜の海と雨の夜に銃撃と剣戟の閃光が絶え間なく咲いては散る。霧雨に濡れ波に足を洗われ誰もが戦場を駆けて。
 撃たれたって笑顔で大丈夫と言ってみせるわ、とアイラは掌に決意を握りしめたけど、
「ジマ……!!」
 乱舞する銃弾から庇ってくれたシャーマンズゴーストの様子を見れば、敵の狙撃が完璧に決まれば防具耐性があっても自分は一撃で倒されると察した。相手は連続攻撃さえも難なくこなす腕前のはず。けれどそれでも、と己を奮い立たせて、少女は癒しと加護で懸命に皆を後押しした。戦況は危うい綱渡り。
 だがそれも、自陣への加護と敵への縛めが調うまでのこと。
 鮮烈に輝き、爆ぜる紅。
 視界を真っ赤に染めるような紅涙の銃撃を受けとめたシドへ律の癒しの気と神霊の祈りが注がれれば、一旦夢魔の霧で守勢に回っていたルトゥナが己が御業を呼び覚ます。
「クラリスちゃん、そっちからお願い!」
「うん。捕まえる、ね。――今だよイブ、強力なのを!」
 翔けた御業が死神の足を鷲掴みにすると同時、敵背後へ跳び込んでいたクラリスが渾身の力で打ち込む縛霊撃、雨に煌き咲いた霊力の網が三重に相手を縛めれば、薔薇色の霧めいた裾を舞わせてイブが一気に距離を殺した。
 死神に最大火力の攻撃を。そして。
 ――恋を知らず散った花に、手向けの口付けを。
 黒き角の下、雨に濡れた頬を両手で包んで引き寄せ、唇をかさねて与える、甘さは。
「アンナ……!!」
「!!」
 世界で唯ひとり彼女だけが揮える、白薔薇の毒を齎すグラビティ。それを識りつつも。
 思わず律が声をあげたのは既にイブへ告げた想いゆえ、そして勿論、スプーキーが内心で動揺したのは父心ゆえ。まあまあ、あの洟垂れエイジくんも生きてたらいつか彼女ができただろうしさ、と友の息子の生前を知るシドは笑って、
「そんでさ、彼女のお父さんにこうされちゃったりするわけよ」
 ――うちの娘に何をする、ってね!!
 愛娘とキスした男をぶっとばす父親よろしく、鋼の鬼を纏わせた拳で若い友に似た青年を殴りつけた。
 その光景は、過去のスプーキーが運命の嵐に遭うことなく、彼の妻も息子も健やかなまま日々を重ねていたなら、いつか訪れたかもしれない、
 微笑ましい未来を垣間見たかのような、ひとかけら。

●狂霖
 春霖。春の長雨。
 だがそれよりも長く、涯てなく思えるほど長く己の裡に降り続ける霧雨をも斬り祓うべく揮った不銹鋼の刃。されど派手にしぶく紅はやはり血でなくスプーキーの月光斬を相殺した紅涙の弾丸だったが、
「スプーキーさん、下がって!」
「貴様の思惑どおりになると思うなよ、死神!」
 敵が次撃に移るより速く飛来したのは繊月の刃に薔薇咲くイブの大鎌、続けざまに数汰が振り下ろした大鎌も死の夜を越え夜明けを呼ぶがごとき煌きを帯びて死神を喰い破る。
 おいたする子にはお仕置きだよ、と霧雨を薙いだシドの雷杖から迸った閃光が打ち据えた敵の足元へ駆けるのはクラリスの影から飛びだした真っ黒な猫、既にある災いを更に重ねる不幸を黒猫が齎したなら、
 ――おいでなさい。
 たおやかなルトゥナの手から落ちて波間に割れた硝子瓶、そこから跳ねた水の冠の芯から透ける水の虎が死神へ襲いかかった。彼女の水虎も既にある傷を更に喰い破り、災いという名の疼きを悪化させる性を持つ。黒猫と水虎が齎したものは。
『……!!』
 解き放った途端に霧雨に消えた魔法の硝煙、己の痺れに敵が舌打ちした瞬間。
 砂を蹴って跳躍したスプーキーが流星の蹴撃で死神の膝を砕いた。相手への殺意は確かに揺るがないのに、それでも間近に顔を見れば息子の心の残滓を探してしまう。
 そんな己を叱咤せんばかりに咆哮する。迸らせたのは魂からの叫び。
「貴様、何故僕の妻と子を、ハナとエイジを……僕だけ殺せば良かったじゃないか!!」
『そう訊かれても、ね?』
 大袈裟に瞬き小首を傾げて見せる死神の様子は、問われたことを心底不思議がるようにも訊かなくても解ってるでしょと甘えるようにも見え――スプーキーの胸の奥で熾火のごとく燻り続けていた疑念が、心を炙る熱と炎となって甦る。
「まさ、か……エイジに成り替わって、僕の――」
 ゆっくり瞠目し、掠れた声を洩らす彼の心を炙る疑念を読み取ったのは、最も付き合いの長いシドだった。彼の声もまた、掠れて、渇いて。
「ひょっとして、自分がスプーさんの息子になってみたかった……とか、そういうこと?」
「彼はさぞや暖かくていい父親だったろうしね、死神の目にも羨ましく見えたってわけか」
「そんな……!!」
 得心したらしい律の声音は深く染み入るよう。彼もスプーキーに逢えば己の父親に思いを馳せる一人で、父親へ複雑な思いを胸に抱くクラリスの声音は悲痛な色を帯びた。
「それでスプーキーから家族を奪った挙句、今度は彼をだなんて……絶対に、させない!」
「ええ! 大切なひとの命も、亡骸までも奪って弄ぶあなたを、絶対許さないんだから!」
 戦場に束の間訪れた凪を終わらせたのは少女達、夜闇と影に紛れるよう馳せたクラリスが死角から斬撃を放つと同時、指輪から光の剣を顕現させたアイラが真っ向から斬りかかる。二人の胸に燈ったのは彼と三人で出掛けた飴の市。暖かに見守ってくれた眼差しを、まるで娘を持った父親のようと感じた日。
 あのとき、彼は。
 いったい、どんな気持ちで。
 彼を慕うがゆえに苛烈な少女達の猛攻を浴びつつ、死神は不服そうに口を尖らせた。
『どうして俺が責められなきゃなんないのか、わかんないな』
「それが貴様ら死神の感じ方か! 心の在り方か! そうやって……」
 彼ら彼女らの嘆きも怒りもまったく理解できない、理解しようと努める気さえ無いことが明らかな死神の声音と表情が、数汰にも激昂を招く。
「命だけでなく、残された者の想いまで踏み躙るのが死神の遣り方か!!」
 ――全てが静止する永劫の無限獄にて、魂まで凍てつけ!!
 爆ぜんばかりの憤りとともに生み出すのは絶対零度すら突き抜けるような極限のマイナスエネルギー、死の夜を越えるための刃に乗せ絶大な威で敵の脇腹を氷結、粉砕すれば、
『な……!』
「おっと。スプーキーさん似のエイジくんの声で、それ以上の戯言は言わせないぜ」
 相手の反撃も反駁も無数の銃声と弾丸に呑み込まんばかりにイブのガトリング連射が叩き込まれた。何をするのが彼にとって最善なのかはわからないけれど。
 あの夏の霧雨の日に出逢った、大切な友にして同志を。
 ひとり雨に濡れたまま放っておける、僕じゃないから。

●沃霖
 絢爛たる照明、荘厳なる音楽に彩られた舞台で、幾つもの悲劇も喜劇も演じてきた。
 けれど、それでも。
「悲劇と呼ばれるものは好きではなくてね。特に、家族の悲劇は忌避すべきものだ」
 素の彩のまま灰の瞳を剣呑に煌かせた律は星の刃に空の霊力を凝らせ、軽やかな足取りで死神の懐に躍り込む。僅かな妬心があるのも認めつつ、けれど悲劇の幕引きのために揮った斬撃は、敵に刻まれた数多の縛めを更に跳ね上げて。
『くっそ、またかよ……!!』
 銃を握る手が動かぬ様に死神が毒づいた。今度はパラライズではなく、
「スプーキーちゃんの林檎飴……toffee(トフィー)ね」
 鮮紅で敵の肩を染めていた飴のごとき石化、それが肘をも固める様に微笑み、ルトゥナは霧雨を裂いて描いた月の斬撃を死神の手首へ見舞う。
 あと何度斬れば、あと何度撃てば、相手が倒れるのか。
 眼力で識る命中率とは異なり、正確な数値でそれを識ることは叶わない。
 だから何ひとつ余さず相手のすべてを見て取って、経験で培った勘で推し量るしかない。
 眼の前の敵の肉体が傷ついていく様を、血にまみれていく様を、一切眼を逸らすことなく観ることは、きっと彼にとっては胸を裂き、心に爪を立てるにも等しいことだろう。
 けれど彼は成し遂げるはずと信じてイブは己が手を止めた。
 ――どうか、心置きなく決めてくれ。
 悲劇の終幕が迫るのを肌で感じて、誰もの間に戦闘の緊迫感をいっそう張り詰めた緊張が奔る。徒に触れれば弦が弾けそうなそれを迷わず破ったのは敵の銃声、波間の石に、遠くの街灯に乱舞した銃弾がスプーキーの背を撃ち抜く寸前に、
「シドおじさま!!」
「ありがと、大丈夫だよ。――ほらいけよ、スプーさん。君の家族が待ってる」
 己が身を挺したシドの背が二度跳ねた。けれど笑みを含んだ声で友の背を押す。
 アイラが喚ぶ火鳥が背から傷を癒し、赫翼の輝きで世界を照らしてくれる。だから瞬きも堪えて見届ける。きっと世界の誰より自分が見てきた、友の悲しみと苦しみの、区切りを。
 この夜もっとも豊かに高らかに、律が魂から歌い上げる凱歌が、シドを癒しスプーキーの愛銃に眩い光を燈す。彼と死神を見れば数汰の胸には亡き師の面影が蘇り、そして、暖かな日常をくれる家族を思えば、彼が愛する家族と過ごした日々も思われて。
「スプーキーさん、決着は貴方の手で!」
「中身が死神でも、身体はエイジちゃんなのよね。貴方がその子の身体を、還してあげて」
 穏やかな声でルトゥナも彼を促した。
 皆の声に頷いた。アイラがくれた力で視界はこよなく澄んで、愛銃には律の凱歌が燈した光が煌々と輝いて。だからスプーキーの瞳は、眼前の相手の姿を鮮明に映した。
 心に灼きつけた。
 貴様のことは決して赦さない。そして……生涯忘れはしない。
「――迎えに来たよ、エイジ。遅くなってすまない」
 愛銃に、終幕を告げる弾丸に、全身全霊を込めた。
 妻子の仇を縊り殺したいと思う心も、国を護る軍人で在りながら家族を護れなかった己を責める強い罪悪感も、家族への、溢れんばかりの愛情も。
 響いた銃声は、ひとつ。
 一発の銃弾が、正確に相手の額を撃ち抜いた。
 衝撃で僅かに宙に浮きながら、青年の肉体が背から波間へ、落ちるより速くスプーキーは砂を蹴った。何かを考える間もなく力尽きたその身体を掻き抱いた。強く、強く、思うさま抱きしめた彼の腕の中で、亡骸がゆっくり霧散していく。
 理性では錯覚だとわかっていたけれど。
 その感覚は、まるで、抱いた身体が自分の裡へとけこんでいくようで。
「エイジ! ハナ……!!」
 腕の中の重みが消えればそのまま膝をつき、声も涙も抑えることなく慟哭した。
 涙は解き放つためのものだから、我慢しない方がいいの。
 誰かも、そう言っていたから。
 夜を濡らす霧雨はいまだやまず、けれど何処か優しい暖かさを帯びたようにも思われた。
「……でも、さ」
「うん、僕も同じ。……お疲れ様。スプーキーさん」
 彼をそのままにはしておけなくて、シドが傘を差し掛ければ、膝をついたままの彼の隣に屈んだイブが、柔らかなタオルでそっと彼を包み込む。今はまだ掛ける言葉が見つからず、離れたところから見守っていたクラリスの頭を、ルトゥナが優しく抱き寄せた。
 彼にとって、忘れえぬ夜になるだろう。けれど、
「きっと大丈夫よ。明けない夜がないように、止まない雨はないんだもの」
 心地好く燈るルトゥナの声に小さく笑み、彼女の肩に頭を預けたまま、クラリスは夜空へ瞳を向ける。まだ頬を霧雨が濡らすけど、空の雨雲は薄れ、月が透けて見えた。
「エイジさん、漸く自由になれた?」
 空へ手向けた言の葉は、届くかは判らない問いと、そして。
 ――心配しないで。あなたのお父さんは、たくさんのひとに愛されてるよ。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 9
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