春華桃の嵐

作者:皆川皐月

●乙女の宴
 赤鳥居に連なる提灯に賑やかな祭囃子。
 晴れて良かったと微笑みあう声に、ひらり舞う桃と名残りの白梅。
 差す陽光は春の柔らかさを持った佳き日。
 八重咲の桃花が甘やかな香りで賑わう人々を迎えたここは、桃の節句祭の真っ最中。
 どん、どん、と鳴る大太鼓。ひゅるり奏でる笛の音。
 舞う巫女達がお参りに訪れる人々を寿いだ。
 晴れ着の少女達が華やかに行き交い、名物の百雛段飾りにはカメラを持った人々。
 抹茶香る茶席に、赤屋根並ぶ露店の数々。賑やかな客寄せ。
 初節句だろう、母親に抱えられた幼子が笑っている。
 微笑み淡く装い様々な雛人形が、その全てを見守っている―……はずだった。
 空を裂き花を散らす影。石畳を割る音。
『サァ!サァサァサァ、オマエたちの、グラビティ・チェインをヨコセ!』
『オマエたちがワレらにムケタ、ゾウオとキョゼツは、ドラゴンサマのカテとナルのダ!』
 劈くような悲鳴。逃げ惑う足音。
 無残に散らされた桃が踏みにじられ、甘やかな色を失って。
 噎せ返るような血の匂いが春の風を穢し、被ってゆく。
 泣き叫ぶ幼子ごと母親が貫かれた。直後、慟哭した父親の首が飛ぶ。
『ヒヒヒヒヒ!グアハハハハハハハ!!』
 引火した炎が全てを焼いて行く。
 全ての命が死に絶えた後、残ったのは品無き笑い声。

「皆さん、お集まりくださりありがとうございます」
 いつもと変わらずにファイルを抱えた漣白・潤(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0270)と、今日はその隣に空野・紀美(ソラノキミ・e35685)がきりりと目尻を吊り上げ資料の束を握っていた。
 皆々、挨拶が済んだところで席に着くと一人一人に紀美が資料を配る。
「今回、空野さんが危惧されていた通り、雛祭りに賑わう神社が竜牙兵の襲撃を受けることが予見されました」
「もうっ、ぜったいさせないんだからー!」
 頬を膨らました紀美の様子に、潤も静かに頷いた。
「現場は千葉県の百段雛飾りが有名な神社です。当日は桃の節句祭で賑わっていて、参拝や観光の一般人の方が多いのですが……」
 竜牙兵が出現する前に周囲に避難勧告をすると、この予知はズレる。つまり、竜牙兵は他の場所に出現してしまう為に事件を阻止する事ができず、被害が大きくなってしまうと潤は説いた。
「幸いにも、竜牙兵到着の少し前に現場へ到着出来ます。皆さんが竜牙兵を惹き付ければ、現場にいる警備員の方々が一般人の避難を請け負ってくださいます」
 一般人の安全が確保される旨の言葉に、皆の肩がそっと下りる。
 説明は続き、現場に現れる竜牙兵の仔細へと移った。
「襲撃に関与する竜牙兵は、攻撃に長けバトルオーラと簒奪者の鎌が一体ずつ。回避能力が高いゾディアックソードが二体……全部で四体の攻勢です」
 竜牙兵が撤退することはありませんが、連携して動こうとするようですのでお気を付けください、と潤が言葉を重ねればペンの走る音。

 じいっと資料を読んでいた紀美がパッと顔を上げた。
「ねえねえ!ここの神社、今桃の節句祭をしてるんだよね!」
「はい……あっ、無事に討伐が完了したら、ヒールと一緒にお祭りを楽しむのも―……」
 わくわくしていた紀美の顔に、ぱぁっと花のような笑顔が咲く。
「よぉっし、がんばっちゃうんだから!」


参加者
四乃森・沙雪(陰陽師・e00645)
奏真・一十(背水・e03433)
ロウガ・ジェラフィード(金色の戦天使・e04854)
幸・公明(廃鐵・e20260)
セレス・アキツキ(言霊の操り手・e22385)
宝来・凛(鳳蝶・e23534)
空野・紀美(ソラノキミ・e35685)
堂道・花火(光彩陸離・e40184)

■リプレイ

●天下無敵の
 賑やかなハレの日であった。
 日々守り続けている人々の笑顔が此処にある。
「佳き催し、血祭にするわけにはいかぬな」
 肩にボクスドラゴンのサキミを乗せた奏真・一十(背水・e03433)が辺りを見回しそう呟いた時、セレス・アキツキ(言霊の操り手・e22385)が空を見た。
「来たみたい……相変わらず、無粋な事する連中ね」
 空気を裂く音。砂利を吹き飛ばし、桃花を散らし、突き立つ牙が四本。
 騒然とする周囲と、既に戦闘態勢のケルベロス。
 素早く変化した竜牙兵四体が各々武器を振り上げ叫ぶ。
『サァ!サァサァサァ、オマエたちの、グラビティ・チェインをヨコセ!』
『オマエたちがワレらにムケタ、ゾウオとキョゼツは、ドラゴンサマのカテとナルのダ!』
 それは歴戦のケルベロスにとって聞き慣れを通り越し、耳にタコの出来そうな前口上。
 どれも似たような姿で、それさえ見慣れてきたと喉を鳴らして一十が笑う。
「いやぁ、こちらもそろそろ『憎悪と拒絶!』の文句、聞き飽きたな」
『オノレ、番犬フゼイが!』
 煽られたと言わんばかりに一十に気を取られた竜牙兵の下へ、最速で踏み込んだのは四乃森・沙雪(陰陽師・e00645)。
「陰陽道四乃森流、四乃森沙雪。参ります」
 静かな声。翻る狩衣の袖。
 刀印を結んだ沙雪の指が神霊剣・天をなぞれば、刃は姿を空に溶かし非物質化してゆく。此れは霊体をのみを断つ一太刀。
 下段から逆袈裟に振り上げられた刃が、作戦通りバトルオーラ纏った竜牙兵を断つ。
『グアァァ!』
 綺麗に骨を断った刃が肋骨を散らし、肩に罅を刻む。
 仲間を傷つけた沙雪の一撃に怒った竜牙兵を、突如噴き出した青い炎が圧倒する。
 それは一十の足元から風を巻き上げ燃える炎。捩れ唸る風は鬨の声。
 帽子を押さえた一十が深く息を吸い、前を向く。
「さあ奮え、いざ揮え。恐るるに足らぬ、退くには及ばぬ、打ち破り、押し通せ!」
 立ち上った青い炎が後衛陣の元へ殺到し、各々の武器に手足に纏わりついた。
 同時、勢いに乗って肩から地面に降り立ったサキミが吐くのは水を凝縮した竜の息吹。
 沙雪に続く様にバトルオーラ纏う竜牙兵の傷を抉れば、身蝕む毒が深く侵食する。
『グウ、小賢シイ……!』
 盾役を持たない竜牙兵にケルベロスを止める術はない。
 吼える竜牙兵の姿に、ロウガ・ジェラフィード(金色の戦天使・e04854)の脳裏を過ぎるのは過去の一幕。
「あの予知のような光景など、断じて作らせてはいけない……」
 子を守り共に死した母も慟哭し死した父の姿も、要らぬ。
 今日日、卑劣な悲しみなど何一つ必要ない。
「時の理、我が刃にて封じる!!」
 炸裂し膨れ上がった氷が時を喰らう。
 凍結した足にもがく竜牙兵に宝来・凛(鳳蝶・e23534)が迫る。
「瑶、後ろは任せたで!さあ、アンタらのふざけた目論見はウチらが粉々に砕いたる!」
 覚悟しい。燃える瞳で苛烈に笑む凛の拳が、オーラ纏う竜牙兵を完膚なきまでに砕いた。
 弾け散った骨が、片端から灰と散る。
『オ、オォォォ!!!オノレェェ!!』
「にゃああっ!」
 瑶の鋭利な爪が鎌携えた竜牙兵の頭蓋に見事な三爪の軌跡を残す。
 しかし、そこに悲鳴の暇も、支え癒す暇も与えない。
「番犬がこの場にいる限り、恐怖も憎悪も蔓延なんてしないわよ」
 艶やかに微笑むセレスの黒曜の瞳は弓形に。
 指先から滴るオウガメタルが形成するのは、陽光を暗く照り返す黒太陽。
「まして……貴方達程度の力じゃ、ね?」
 絶望の黒光が星座を描かんとした二体の竜牙兵を捉え、足を竦ませた。
『小娘ェェェェ!!!』
「グラビティ・チェインが欲しいならこっちに来やがれッス!」
 竜牙兵がセレスを狙い駆け寄ろうとするも、立ちはだかったのは堂道・花火(光彩陸離・e40184)。
「全部守るッスよ……火力全開っ、手加減なしッス!」
 全力で振りかぶった花火の拳から、橙の炎が噴き上がる。
 風巻き上げる花火の地獄が、鎌携えた竜牙兵を勢いよく斬りつけた。
『ガハッ!グ、オノレ小僧!』
「せっかくみんな楽しんでるのに邪魔するとか、空気よめないよね!サイテーっ!」
 たたらを踏む竜牙兵の頭上から空野・紀美(ソラノキミ・e35685)の声。
 ふわりと春風をはらんだ紀美のストロベリーブラウンが舞う。
 空を蹴り、振り下ろした星の軌跡が、鎌携えた竜牙兵の頭蓋を躊躇なく蹴り飛ばした。
『フザケルナ!』
 竜牙兵が動く。ゾディアックソードが展開するのは竜骨座。
 片や守護星座法陣で鎌持ち竜牙兵の傷を癒し守護を与え、片や凍れる刃を真横に振る。
『凍レ!』
『死ネ!』
 息も凍る氷波が前衛を呑むと同時、虚の力纏う肉厚の刃が花火を狙った。
「そういうんはさせへんよ」
 一対の日本刀を構えた凛が割り入り鎌の刃を受け止める。
 防ぎきれぬ剣圧に肌が引き裂かれるも、全うするのは盾の役目。
「宝来さん、ありがとうッス!」
「ええよ!さあ、ウチらもお返しといこか!」

●桃花舞う
「ではその前に、景気付けといきましょうか」
 構え直す凛と花火に幸・公明(廃鐵・e20260)が微笑むまま爆破スイッチを押した。
 炸裂した鮮やかな爆風が前衛達の氷を溶かし、背を押す。
「せっかくの行事を台無しにしようとは太いやつら、俺がぶっ飛ばすッス!」
「嫌な通り雨や暗雲はさっさと晴らすのみ。折角の晴れの日を穢す真似は許さんよ」
「にゃあ!」
 清浄なる瑶の羽搏きが凛達を癒し加護を与えれば、羽に混じってひらり赤い蝶が飛ぶ。
 火の粉散らす炎の化身。舞い踊る地獄の遣い。
「さぁ――遊んどいで」
 凛が指先に止まった蝶に、ふうと息を吹きかける。
 蝶がふわり優雅な羽音で竜牙兵に止まった。直後、劫と燃え上がる。
『ア、ア、アァァァァ!!』
 地獄の劫火。灰すら残さぬ焔が鎌を携えた竜牙兵の半身を焼き落とした。
 ふらつく竜牙兵の足元へ花火が勢いよく踏み込む。杭に纏わせるのは凛と真逆の、雪さえ退く凍気。
「いくッスよ!」
 巨大なパイルバンカーが竜牙兵を穿つ。あと、わずか。
 花火の横を通り過ぎたのは軽い足音。小さな白い四角。ちらりと覗く宝石のような牙。
「ハコさん、今日は随分と元気そうですね」
 爽やかに笑った公明を背に息も絶え絶えな竜牙兵に大口を開くハコ。色鮮やかな牙。
 見目と裏腹な強烈さでもって、ハコは容赦なく竜牙兵を噛み砕いた。
 残るは、星の刃を携えた二体のみ。
「アマテラスオホミカミ、トホカミエミタメ……」
 印を結ぶ沙雪の指が再び神霊剣・天の刃をなぞる。
 奉唱する名は天照大御神。宿すのは、張りつめる程に清廉なる破邪の力。
 沙雪の黒い瞳が、真っ直ぐに竜牙兵を見た。
「健やかな成長を願う祝いの場、お前たちに荒らさせてなるものか」
 踏み込む沙雪が砂利を踏みしめ、正眼に構えた刃で竜牙兵を肉薄する。
『オノレ!』
「逃さん。泡沫の剣戟、刹那の刃――我が放つは黄金の国の華美の舞、汝に示すは黄金の暴威!!」
 星の剣携えた二体に、ロウガの背に浮かぶ光剣が殺到する。
 降る様は星の如く。輝きに交じり硬質化した黄金の羽までもが骨を裂く。
 しかし、全ては牽制の幻。
『ギャアア!』
 二重の牽制に混ぜた封印の刃が竜牙兵を貫けば重なる悲鳴。
 散る片足。圧し折れた片腕。
 肉があれば、凄まじい血飛沫が花咲いたことだろう。
「やっぱり、桃の節句に紅の華なんて似合わないのよ。……ねぇ、嫌なもの程気に掛かる。気に掛かるから縛られる、そう思わない?」
 セレスの小さな溜息。喉を撫で唇に触れた細い指が、弱った竜牙兵を指す。
「さぁ―……貴方が厭うものを教えて頂戴?」
 セレスの言葉は刃。力の籠った言の葉が竜牙兵に楔を打つ。
 凍り付いた傷を尚増やし、他の傷を増やせば麻痺毒と強毒の巡りが早まって。
『ヴ、ヴガアアア!』
『クッ、オノレ!』
 咄嗟に守護法陣を描こうとした刃が、音も無く添えられた一対のナイフに阻まれる。
「そう急くな。終わりは近いのだ、芥も遺さず去るがよい」
 笑う一十がそこにいた。
 右のモリア、左のソリア。禍つ双子の刃が嗤う。嫌に磨き抜かれた刃が映すのは、無残に滅される仲間の姿。眼球無き竜牙兵の眼孔に宿ったのは、恐れ。
『ア、ア、ウワアアアア!!』
「ぎゃう」
 頭蓋を掻き毟り恐れ叫ぶ竜牙兵に冷たい一鳴き。押し流し骨砕く奔流。
 ツンとそっぽを向いたサキミのブレスが、容赦なく竜牙兵を破壊した。
 残る一体と囲む刃。逃げる気は毛頭無いが、骨に感じる圧だけはどうにも拭えない。
『ウオオオオオ!』
 闇雲に振るう刃に公明が張り付けたように硬く微笑み、人差し指を唇へ。
「お静かに。今日の主役は彼らです」
 静かに指差したのは頭上の桃花。
 桃色が愛らしい、甘い香りの小さな花。
「さてこの佳き日、どうぞご堪能ください」
 微笑む公明の親指が容赦なくスイッチを押せば竜牙兵の腹で不可視の爆弾が炸裂。
 勢いよく後方へ吹き飛ぶ竜牙兵の背後には、大口を開けたハコ。
 恐ろしい破砕音の後、不味いと言うようにハコが息絶え絶えの竜牙兵を上へ吐き出した。
「じゃあ、さいごはわたしの番っ!」
 瞬く藍の瞳がパチリとウインク。
 竜牙兵に照準を合わせて、向けるは金色の射手座印輝く夜空のネイル。
「ばきゅーんっ!」
 紀美が射った無邪気な矢が、一直線に竜牙兵を撃墜した。

●ハレの日
 どん、どん、と響く太鼓の音。りゃんと鳴る鈴音。
 人々の笑い声。香る桃の花。
「おまつりだーっ!」
「お祭ッス!」
 残る戦疲れに紀美が体を伸ばせば、釣られて花火も伸びをした。
 胸いっぱいに吸い込む春の匂いと、胃を擽る香りに誰かの腹が鳴る。
「さ、心のケアに思いっきり羽伸ばそか!」
 明るい凛の言葉に、皆思い思いに散策という名の見回り仕事。

 ロウガはケルベロスカードを手に、元気に設営し直す露店主達のもとを訪れていた。
「すまない、怪我や困ったことはないであるか?」
 屋台からは砂糖の香。見れば、簡単な物から精巧な物まで様々な飴細工が並んでいる。
 老店主が振り返りきょとんとしたので、ロウガは手短に見回りの旨を伝えた。
「……と、いうわけだ」
 何か困りことは―と再び問う前に、背筋を伸ばした老人が深々と頭を下げる。
「俺達や皆の命を助けてくれてありがとう、ケルベロスさん」
 何か礼をと言った老人が思いついたように手を打つと、ロウガに好きなものを問うた。
「好きなものか?俺は太陽が―」
 好きだ、とロウガが言い切る前に老人の素早い手付きが生み出したのは、橙と黄で表裏一体の太陽。春の日に透かせば、艶やかに甘く香る。
「これは……美しいものであるな」
 代金をとロウガが言う前に骨張った皺深い手がロウガに飴を握らせる。
 老人が、退治の駄賃だと豪快に笑ってみせた。
 皆と別れた後、百段雛飾りの撮影を終えたセレスは賑やかな参道の散策中。
「うん、よく撮れたわ。さてお土産、何にしようかしら」
 限定の雛段は少し大きすぎる。つるし雛ならばコンパクトだろうか?
 季節らしく雛あられを買ってみようか?それとも旬の林檎飴は見目も味も良いだろうか?
 考えながら歩いていたセレスに、巫女服姿の女性が微笑みかける。
「こんにちは。良ければどうぞ!」
「あら、いただいてもいいの?」
 勿論です!と笑った巫女から、可愛くラッピングされた雛あられが手渡された。
 曰く、今日訪れた女性限定で配布しているという。
 ありがとうと微笑んだセレスは内心、林檎飴を買って帰ろうと心に決めた。
 思い描くのは、妹と妹同様に想う可愛い友人の笑顔。
「二人とも、喜んでくれるかしら」
 桃の節句は乙女の節句。二人のためにと人で賑わう屋台の群れへセレスは足を向ける。
 その頃、一十はサキミに袖を引かれていた。
 別れて早々に一十がカメラを取り出し只管撮影に興じた結果、サキミの機嫌は急降下。
 困ったと思いつつ、現実逃避に考えるのは現像を待つ写真達。
 豪奢な百段雛、野点の茶道家、見上げた青空と桃花―……。
「ぎゃう」
「いや、その、すまなかった」
 遠くを見た主人を、穴でもあける勢いのジト目が威圧する。
 今、サキミ姫に逆らうことは許されない。何と言っても今日は天下無敵の乙女の宴日。
「うん?あぁ、林檎飴。ほう、カルメ焼き。うん、鈴カステラ。ん、んん?クレープ?」
 右に左に屋台を回るサキミの目は輝いていた。瞬く間に一十の両手は甘味で一杯。
 軽くなる財布に比例する主人の嘆きは、届くことなく春風が攫っていった。
 囃しと掛け声が賑やかな中、公明はハコを抱えて紀美と花火と共に露店を巡る。
 先程ハコが桃の花弁を回収し終えた時、遠目に見えた中年男性の姿。
 明らかに花見場所取りであろう男性に昨年の苦行を思い出した公明が胸を押さえた。
 無意識に膝をついたところで、通り掛った二人が公明に声を掛けたのだ。
「いやあ、良い日和ですね」
「お祭りっておいしいし、たのしいよねぇ!」
「そうッスね。美味しいものとか沢山あるし……嬉しいッス!」
 少し歩いてはスマホのシャッターを切り楽し気に微笑む紀美。
 焼きそばの袋を腕に、熱々たこ焼きと奮闘する花火も年相応の笑顔。
 ハコも、ハコちゃん笑って!と紀美が一番良い桃の花と写真撮影をしてもらいご満悦。
 右に紀美の笑顔。左に花火の笑顔。手元のハコは超ご機嫌。
 齧った鯛焼きの甘さに、仕事と銘打たれたこの見回り。公明の心は安らかだった。
「本当に、良い日和だ」
 甘い春の香がふんわりと。
 思いきり羽を伸ばした瑶が桃の花弁の山に飛び込んだ。
「こら瑶、あかんやろー」
「んにゃぁー」
 舞い踊る桃色の花弁の中、戯れる凛と瑶は桃色が散る芝生の上に転がる。
 青空と桃花。幻想的に降る花弁と甘い香り。春の日差しが疲れた体に眠気を齎す。
「あかんな、眠く……うわっぷ!」
 まだ寝ちゃだめ、とでも言うように瑶が羽で花弁の波を起こす。
「なにするん、もー!」
 あかんやろー!と形だけ怒る凛を他所に周囲で遊んでいた子供達が集えば大賑わい。
 猫さんだ!かわいい!と囲む少女達に喜ぶ瑶。
 凛の瞳で燃える地獄に、カッケェ!と興奮気味の少年達。
 細やかで幸せな日常の一つが此処にあった。
 不浄祓いを終えた沙雪は首を巡らせる。行き交う人々の笑顔は戦う前と変わりない。
 全て無事に済んだのだと実感し静かに息を吐いた時、もしと声を掛けられた。
 振り返れば、宮参りか赤子を抱いた若い夫婦。
「先程はありがとうございました」
「いえ、俺達は―……」
 ただ役目を果たしたのみ。だが頭を下げ丁寧に感謝する夫婦に、折れたのは沙雪の方。
 良かったらこの子を抱いてくれませんか、との申し出を快く引き受ける。
 初めて会う沙雪に抱かれても泣かず笑う赤子の喃語と姿に、沙雪の目尻が自然と緩んだ。
「あー、あ、う!」
「どうか、健やかに育ちますように―……」

 真摯な祈りを神へ届けるように、柔らかな春の風が吹き抜けた。

作者:皆川皐月 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月6日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 1
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