ちょきちょき。ちょきちょき。
患者、錦戸サンゴの脳内ではいつもハサミの音が鳴り響いていた。
きっかけは本当に何気ないことだった。体育の授業で行われていた持久走。
「一緒に走ろうね」
そう約束した友人が自分を置いて先に行ってしまった。
ちょっとしたからかい、冗談のつもりだったと笑う友人。
謝罪がおざなりに思えた。周りがみんな自分の敵に思えた。
ちょきちょき、ちょきちょき。
ぷつん、と頭の中で何か糸のようなものが切れた気がした。
それからは、人を疑うようになった。自分に近づく人間は口当たりのいい言葉を言って、利用しているように思えた。
手芸部に所属していた彼女はそれなりの人気者で友達にも後輩にも恵まれていたが、その変わりように周囲も距離を置くようになった。
ちょきちょき、ちょきちょき。
「私に利用価値が無くなったから、離れていったんだ」
彼女の被害妄想は加速していく。
そして、とある調理実習の日に、事件は起こった。
「錦戸さん、悪いけど野菜切って――」
ちょきちょき、ちょきちょき。
ぶすり、と柔らかい感触がした。
彼女はクラスメイトの腕を取ると、差し出された包丁をその腹部に突き立てていた。
制服が、赤く染まっていく。悲鳴と怒号。騒然となる家庭科室。しかし、彼女にはそんな喧噪よりも、ハサミの音の方がうるさく思えた。
●
「人のことを先生と呼んで近寄ってくる人間は、基本こちらを利用しようとしている気がする」
星友・瞬(ウェアライダーのヘリオライダー・en0065)も若干病魔に蝕まれているような気がした。
「幸か不幸か、俺はハサミの音は聞こえないが……もしこの幻聴が聴こえたら、その人物は『回帰性懐疑症候群』に冒されている」
それは病魔が人間にもたらした精神病の一種だ。絆や愛といった目に見えない繋がりを信じられなくなり、それらを嫌悪するようになると同時に、酷いハサミの音の幻聴や寒気といった症状をもたらす病気である。
「現在、この病気に罹患している者は大病院に集められ、治療および病魔との戦闘準備が進められている。ケルベロスたちの皆には協力して、重篤の患者に巣食う病魔を倒してもらいたい」
今回の討伐で病魔を根絶することができれば、この世から回帰性懐疑症候群を消しさることができるだろう。しかし、一体でも病魔を取り逃せば今後も犠牲者は増え続けてしまう。
「今回、君達が担当してもらいたいのは錦戸サンゴ、女性。15歳の中学三年生。手芸部に所属しており人間関係は基本良好、成績は体育が5段階評価で2以外はだいたい3~4の平均的な生徒だった」
クラスメイトの誕生日には自作のあみぐるみをプレゼントするなど、サービス精神もあり人気者だったという。もっとも、男子に媚びていると女子の一部グループには嫌われていたようだが……。
とはいえ積極的ないじめなどが見られたわけではなく、このまま無事に中学校を卒業できる見込みだった。
彼女に巣食う病魔は無数の裁縫で使われる糸切りバサミと、×印が刻まれた眼球で構成されている。
糸切りバサミは宙を自在に飛び回り、一列に標的を切り裂いて回り、眼球と目が合ったものは精神的なダメージを受けてしまうだろうと瞬は語る。
「この病魔に対抗するポイントは、患者のケアにある。看病したり励ましたり……患者を癒すことで一時的にだが巣食う病魔への耐性を得ることが可能だ」
個別耐性を獲得するとこの病魔から受けるダメージが減少するので、戦闘を有利に進める事が出来るだろう。
「どうか、皆の手で病魔から彼を救ってほしい。よろしく頼む」
瞬はそう締めくくり、深く頭を下げるのだった。
参加者 | |
---|---|
明空・護朗(二匹狼・e11656) |
マヒナ・マオリ(カミサマガタリ・e26402) |
信田・御幸(真白の葛の葉・e43055) |
ヴィクトル・ヴェルマン(ネズミ機兵・e44135) |
ベルガモット・モナルダ(茨の騎士・e44218) |
葛飾・万次(画狂浪人卍・e44970) |
コスモス・ベンジャミン(かけだし魔術士・e45562) |
ディース・ノウェム(星屑投影機・e47172) |
●疑心暗鬼を生ず
「ども、ケルベロスです。キミが掛かってる病気をボコりにきた」
丁寧語とタメ口が混ざった明空・護朗(二匹狼・e11656)の言葉を聞いて、サンゴは一言、はあと答えた。
「苦しんでるのはキミだけじゃない。そして僕らも、キミだから救いにきたんじゃない。仕事だからここにいる」
絆を断つ病魔が相手なら、そもそも絆を結ぶ必要もない。ともすればそんなビジネスライクにも思える発言だが、護朗としては精一杯に守ろうという気持ちが込められている。
「そう……まあ、お医者さんもそうよね。仕事でもなきゃ治療なんてしないでしょうし」
だが、その込められた気持ちにサンゴが気づけたかというと、微妙だったと言わざるを得ない。
「難しいことは何も、考えなくていい。キミが望む望まない関係なく、僕らはただ病魔を倒すのみなんだから」
突き放すようにも聞こえる言葉だが、他人を信じることができなくなっているサンゴにとっては心地のいい距離感ではある。
ただ、この声かけが励ましになるかというと、プラスにもマイナスにもならなかった。性格上仕方ないのかもしれない。
「貴女自身は人に対して利用価値を感じているから関わっていたんですか?」
そう切り出したディース・ノウェム(星屑投影機・e47172)の励ましは、これは完全にマイナスだった。
「貴女がそうでないのであれば、相手だってそう考えている可能性は低いのでは?」
ガラス玉のように青い瞳が、淡々と病床のサンゴを見下ろしている。
「貴女は友人の件で深く傷ついてしまったんですよね。でも、貴女の周りは本当にそういう友人ばかりだったんですか?」
「……なんなのよ、アンタ!! 説教なんか聞きたくないわよ!」
サンゴが口泡を飛ばす。しかし、ディースは表情ひとつ変えなかった。
「貴女を怒らせようとしたわけではありません。純粋に疑問に感じたのです。説教に感じたということは、本当は心当たりがあるのでは――」
「あー、はいはい。なるほどね、そうだよね。病気になってるのに怒られたくないよねえ」
サンゴとディースの間に手をブンブンと振って割って入るのは信田・御幸(真白の葛の葉・e43055)だ。
ディースは何か言いかけたが、自身の励ましが上手く行っていないことはなんとなく理解はしていた。ここは仲間に任せて引き下がる。
御幸はディースの耳元でささやきかけた。
「恐らく君の問いは正しいよ。ただね、人は正論を飲み込むのに体力が必要なんだ。今のサンゴ君にはその体力が無い」
それだけ告げると患者の扱いにはお手の物といった様子でサンゴへ問いかける。
「他にはないかい? この際だ、何もかもぶちまけてしまえ」
「うむ。答えは出ないかもしれぬが関係のないジジイに怒りやワダカマリを話して心を整理してみんか?」
同じく、葛飾・万次(画狂浪人卍・e44970)もそう切り出した。サンゴと万次は年齢も性別も全く違う。だからこそ話せることもあるのではないかという作戦は、見事に功を奏した。
「何もかもって……とにかくうるさいのよ。ハサミが、ちょきちょきって……そうやって親身になったフリして近寄ってくるのを見ると、ちょきちょきって……ちょきちょきって……」
「そう……大変だね、つらかったね」
マヒナ・マオリ(カミサマガタリ・e26402)はサンゴの言葉を聞いて、肯定の相槌を打った。
彼女も、友達のことについて質問しようと思っていた。だが、それは病状が落ち着いたらの話だ。
近づいてくる人間を信じられない……説教しても、親身になっても容易には励ますことができない。感受性豊かな人間でも接し方が難しい。それでも、肯定はしてあげたい。たとえそれでサンゴの反感を買ったとしても、否定するよりはいいと思った。
「何よ、私の気持ちなんてわからないクセに、わかったようなフリをして!」
「他人の気持ちなんかわかるわけがない……なんて答えは安直か」
ヴィクトル・ヴェルマン(ネズミ機兵・e44135)は人差し指でこめかみあたりをポリポリと掻いた。室内なので脱帽し、小脇に抱えている。
「実際、甘い言葉で近寄ってきて、美味い汁を啜るのが大好きな人間は腐る程いる……俺は日本に来る前そういう奴らの所で仕事をし、得た金を俺の家族の生活に何も言わず充てていた。汚い金だったが、俺を信じて送り出してくれた家族を、俺は信じて支えたかったんだ」
ヴィクトルは自らの過去を思い出し、遠い目をする。サンゴは黙って耳をそばだてている。それを見てヴィクトルは続けた。
「足を洗った今、ケルベロスとして俺は聞くぞ。お前さんを助けたいこの手を、取る勇気はあるかい?」
差し出されたヴィクトルの手。サンゴはヴィクトルの顔と手を交互に見て、手を伸ばす。
その手を握ろうとして――はたいた。
「駄目、信じられない……!」
「……ははっ、女はそれくらい用心深い方がいい。なあ、医者殿?」
はたかれた手を強引に握らせながらヴィクトルは御幸へと意味ありげな視線を送る。御幸はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
「初対面の相手を信じろというのは、病気でなくてもなかなかできることではありませんからね」
ベルガモット・モナルダ(茨の騎士・e44218)は頷き、枕元へ持参したドライフラワーのミニバスケットを飾る。
「これは?」
サンゴが興味を示すと、ベルガモットは再び口を開く。
「私が見繕いました。花、好きなんですよ」
甲冑姿の凛々しい格好のベルガモットに可愛らしいミニバスケットはミスマッチな取り合わせだったので、サンゴがくすりと笑う。
「……ああ、そうだ。盗聴器とか仕込んでないですからね」
「わかってるわよ、ケルベロスなら私のことなんて盗聴しなくても、どうせ全部調べてるんでしょ?」
「ははは……まあ、全部はわからないよ。知ってることだけだね」
実は調査していた御幸が笑ってごまかした。サンゴは花を見たことで上機嫌になったようだ、気にせずに呟く。
「花はいいわよね。私を裏切らないから」
「そうですね、植物や無機物は裏切りません……これも」
満を持してコスモス・ベンジャミン(かけだし魔術士・e45562)が取り出したのは、何体かの動物を模したあみぐるみだった。
「それは……」
サンゴの目の色が変わる。
「お友達に無理を言って借りてきたんです。サンゴさんが作ってプレゼントしたあみぐるみ」
コスモスはあみぐるみを枕元に置いて、説得する。
「サンゴさんを治すためならと快く貸してくださった子もいますし、残念ながらどこかにやってしまったという子もいました」
嘘偽りなく、正直にありのままを伝えるコスモス。
「相手がどう考えているかはわかりません。でも、このあみぐるみを作っているときのサンゴさん自身の気持ちはどうでしたか? 思い出してみてください」
「……それは、贈る人に喜んでもらいたくて、あと、もっと仲良くなりたくて……そっか、下心があって近づいてたのは私のほうだったのかもしれない。私がそうだから、向こうもそうなんだろうって思って……」
頑なだったサンゴの心が、ようやくほぐれていくのを感じて、マヒナは微笑んだ。
「誰かと繋がりたい、仲良くしたいって気持ちは、そんなに悪いことかな? ワタシは……ワタシも、いいと思うよ」
そう聞いたサンゴの表情から、険が取れたように見えた。
●挽回
「今回ばかりはちょっと怒ってるんだからね!」
護朗や御幸と共にサンゴから抜き出した病魔へマヒナは啖呵を切る。白いシーツに包まれた人型の代わりに、宙に浮いたいくつもの目玉がマヒナの方を向いた。
「はあっ!」
飛来してくる糸切りバサミを理力を込めた星型のオーラを蹴り込み、撃ち落とす。撃墜しきれなかった幾つかがマヒナの頬をかすめ、赤い血筋を作るもマヒナはその険しい表情を崩そうとはしない。
(「僕の説得は何がいけなかったのでしょうか……」)
戦闘に移行しても、ディースはまだ考えていた。コスモスの主張と自分の主張はそれほど違わないはずだ。
(「僕が機械だったから、感情がなかったから、まだわからないんでしょうか?」)
本当に機械的な感情しか持ち合わせていないのならば、こうして悩むこともないのだが本人はそこまで思い至らない。病魔の目玉が、ディースへと向く。
「しまっ――」
不信の視線がディースを貫く。はずだった。
「切り替えよう」
護朗だ。オルトロスと共に、視線を塞ぐ壁となって病魔の前に立ちふさがる。
「戦いで取り返せばいい」
それだけ言って視線を受けきると、雷を放ちハサミを撃ち落としていく。
相変わらずぶっきらぼうで言葉は足りないが、今度は気持ちがディースへ伝わった。
「――はい」
気合を入れ直し、ディースは戦闘に集中する。狙撃しやすいポジションで、しっかりと狙いを定めて水晶の炎を撃ち放つ。
当たらない。シーツの本体がくねり、炎弾を回避する。再び視線がディースへと向けられる。
「させません!」
瞬間、コスモスの放った電撃が目玉を直撃する。その威力で痺れ、目玉は視線に力を込められない。
「当たらなかったら、もう一度です! 狙っていきましょう!」
気づけば足元には陣が展開されている。身体の内から全てを打ち破る力が湧いてくるのを感じた。
「往くぞ。我が魔剣、その所以を知るがいい……その身を以てな!」
ベルガモットが魔剣の力を解放し、剣を病魔へと叩きつける。剣圧は黒い暴風となって病魔にまとわりつき、その動きを阻害する。
「ちょこまかと動き回る輩は、まずその足を留めさせる。年の功じゃよ」
万次も怒りを変換した雷で病魔を包み、痺れさせていく。力で劣る分、老獪な知恵と技を駆使することでチームに貢献していく。
「お手本を見せてやるよ。狙うってのは、こうやってな……」
ヴィクトルは銃の照準を病魔の目玉へと合わす。注視するということは視線が合うということでもある。
ヴィクトルの脳裏に過去の映像が過る。まず出てきたのは鼠色……暗く不吉な霧だ。ブレーキ音。衝撃。ガソリンの臭い。そして赤。
「カール……!」
目玉から精神攻撃を受けているのはわかっていた。それでも、ヴィクトルは顔をしかめ、脂汗を流す。
「全く、どこが手本なんだい」
横から差し伸べられた手から月の光が注がれ、ヴィクトルの脳裏からトラウマのイメージが消えていく。
「まあ反面教師ってやつだ、反面教師」
月の光が破壊の力を増幅する。ヴィクトルは銃把を握りなおした。
「フォイアー!」
ドイツ語とも英語とも取れる掛け声と共に、銃爪を弾く。魔導弾が目玉を石化させると浮力を失いその場に転げ落ちる。
その様子を見てもう一度、ディースは炎を放った。自身の力量に合わせて的が大きい本体を狙う。
「……っ!」
水晶の炎が今度は命中し、そのシーツを蝕んでいた。
「いいぞ、その調子じゃ!」
炎を模した背景を描き、士気を上げていく万次。
見るからに本体の動きが鈍り、目玉やハサミの多くが止まる。生じた隙を見逃さず、マヒナは奥の手を放った。
「頭上注意、だよっ!」
ヤシの木の幻影を創りだすと、ココナッツの雨を病魔に降らせる。見た目はコミカルでも、怒りに燃えたその威力はとてつもない。
ココナッツに身体を打ち砕かれ、病魔は四散するのだった。
●絆
治療を終え、サンゴは眠りについていた。
意識はまだないが、小康状態だ。命に別状はない。
「サンゴさんはまた友人と冗談を言い合えるでしょうか……」
安らかな寝顔を見て呟くコスモスに御幸はわずかに首を振る。
「どうだろうね……病魔のせいとはいえ、彼女は友達を刺してしまった。当事者同士の気持ちを慮る必要もあるし、医師としては転学を勧めるよ」
「病だからとそう簡単には割り切れない、か」
オルトロスの頭を優しく撫でながら、護朗は自らが目標としている医師である御幸の言葉に聞き入っていた。
「うむ、大切なのはアフターケア、じゃな。一度歪んでしまった心をどうなおしていくかのう……絵のように、上から新たな色を塗り足して終わりではないからな……」
万次も腕を組み、考える。歳を取っても、人の数だけ答えがある問題は難しい。
「どちらにせよ、選ぶのは彼女次第だね。そして周囲は彼女の意思を尊重することが必要だと思う」
「あー。起きたら教えてくれ。俺はちょっとヤニ吸ってくるわ」
御幸がまとめたところで、ヴィクトルは懐からごそごそと葉巻を取り出しながら喫煙所まで去っていく。苦笑して見送る御幸。
マヒナは眠っているサンゴの手を、そっと握りしめた。
「たとえ絆が切れたとしても、また結び直すこともできる……ワタシはそう信じたいな」
祈りにも似た思いを、拳を通じてサンゴへと伝える。
病魔だって打ち倒せたのだ。きっとできないことなんてない。そう、思った。
作者:蘇我真 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2018年3月7日
難度:やや易
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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