追憶の刻印

作者:ハッピーエンド

 雨が降っていた。
 時刻は夜。空に瞬く光の天蓋が、今いる場所が人里から離れた位置にあることを示している。
「美しい兄弟愛だったな……」
 一人の青年が、なにかを思い出すかのように虚空を見つめていた。
 サワサワと、きめ細かな霧雨が木々を揺らしている。
 雨宿りをしようと思えば可能な状況で、しかし雨に打たれるその姿は、彼の心の中が雨で濡れていることの証左にも感じられた。
「傷が、疼くな……」
 青年は自嘲気味に顔を伏せた。黄色い丸眼鏡から零れ落ちた滴は、はたして雨露だったのか、それとも―――。
「傷が……悼むんですか?」
 不意に生まれた幼い声に、青年が顔を上げる。そこには一人の少女が立っていた。
「傷が……悼むんですよね。その悼み……消してあげますよ」
 グスグス鼻をすすり、涙を瞳に浮かべながら、不思議な少女が青年へと歩を近づけてきた。
 桃色の長い髪。血のような赤いリボン。白と赤のナース服。腕と脚を覆った包帯。そして何より目立つのが、ショッキングピンクの液体が満たされた、注射器。身長ほどもある、禍々しい巨大な注射器。
 青年の視線は、注射器に注がれ、そしてすぐにその後ろに映るグロテスクなモザイクの心臓に注ぎ込まれた。
「――」
 青年の唇が、なにか言の葉を発し。
 対峙する少女が雷に打たれたように、その身体を固くした。

●欠けたピース
「! 揃いましたね。このような夜半の招集に応じて頂いたこと、感謝いたします」
 ケルベロス達が集まると、アモーレ・ラブクラフト(深遠なる愛のヘリオライダー・en0261)はハッと顔を上げた。いつも余裕を感じさせている彼の顔だが、今日は少し焦りが窺える。
「我々の善き友たる、レスター・ストレイン(終止符の散弾・e28723)氏が襲撃を受けることが予知されました。現時点で本人との連絡は取れておらず、このままでは、氏の生命は風前の灯火と消えることでしょう。
 目下、ヘリオンは全力で現場へ急行中。計算ですと、予知状況の直後に戦場へと踊り込むことが可能となります。私も共に戦場に立ちたいのですが……」
「戦いはボク達に任せて! アモーレは後方支援をお願い」
「歯がゆいところですが、馬は馬方、餅は餅屋。あなた方にお任せいたしましょう」
 アモーレは無念そうに瞑目すると、心を落ち付かせるように、ハニー・ホットミルク(縁の下の食いしん坊・en0253)が差し出した茶をすすった。
「敵は単体。目を引く出で立ちをしているため、発見は容易でしょう。敵自身が異様な空気を放っており、周囲から一般人を遠ざけておりますので、人払いの必要はありません。これは本当にギリギリのタイミングでの開戦ですので、私たちにとっては僥倖と言えるでしょう。
 攻撃方法ですが、敵はナースルックに身を包み、医療器具を使った攻撃などを加えてきます。ポジションはメディック。多彩な攻撃手段を持ち、尚且つドレインとorヒールで回復も行う厄介な相手です。自己強化の技が無いのが救いでしょうか。トラウマ攻撃と催眠攻撃を繰り出してきますので、自身や味方との戦いに持ち込まれぬようご注意ください」
 不意に耳鳴りがした。ヘリオンの高度が下がったのだろう。ケルベロス達はそれぞれ降下の準備を完了させている。アモーレとハニー、ケルベロス達は、互いに視線を絡めると、不敵に頷き合った。
「それでは皆さん! 氏を救出し、歓喜の祝杯をあげることにしましょう!」
 アモーレは飾り刀を振り掲げると、力強く仲間たちと武器を合わせたのだった。


参加者
アト・タウィル(静寂に響く音色・e12058)
羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)
桜庭・萌花(キャンディギャル・e22767)
アスカロン・シュミット(竜爪の護り刀・e24977)
レスター・ストレイン(終止符の散弾・e28723)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)
ナザク・ジェイド(美味しいは正義・e46641)

■リプレイ

●悼みを厭う少女
 空が涙を零す夜。男は過去の痛みを追想し、少女は悼みに引かれて訪れた。
 悼みを消すという少女の申し出に、その男、レスター・ストレイン(終止符の散弾・e28723)は息を呑む。
「一体キミは誰なんだ。その物騒な注射器とモザイクは……新手のドリームイーター?」
「スカーレス・レッド……。あなたの救難信号に呼ばれて来ました……」
「救難信号? そんなものを出した覚えはないが……。傷無しの赤。それがキミの名前か」
「傷無し……?」
 少女の瞳が、不本意そうに歪められた。その左手が首筋の包帯を撫でる。
「傷跡を残さない赤……それが私です……」
 スッと、少女の右手がレスターに伸ばされた。
 暫時、ゾクリッとレスターの全身から冷や汗が吹き出し――、
 次の瞬間、血液が沸騰した。
「可哀想に……。こんなに悼みを抱えて……」
 言い知れぬ恐怖がレスターの全身を絡め取る。体中の細胞が、緊急アラートを掻き鳴らしていた。やばい、やばい、やばい、ヤバイ――、
 身体が動かない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。不意に意識も遠のいた。このままだと、俺は……。
 ――意識が分断される、まさにその瞬間。救いは天より舞い降りた。
『召しませ、Sweet Temptation♪』
 甘声と共に魔力の迸りが少女を襲った。
 身を堅くした少女は、天空を見やる。飛来する複数の影。地響きと共に影が大地に降り立った。
 一つの影が、ググッとバネのように跳躍。蒼穹の影が懐へと飛び込み、氷結の杭を振り抜いた。武骨な衝撃音が響き、少女の身体が宙を舞う。
「……微力なのですが言い訳には致しまセン。旅団の皆様の分も友の為に、全力を尽くさせて頂く、所存デス」
 影は、そのままレスターを庇うように少女の前に雄々しく立った。
 レスターは、薄れゆく意識の中で確信した。来てくれたのだ。彼らが。先ほどの甘声に、この聞きなれたイントネーション。姿を見ずとも、誰が来てくれたのか分かる。桜庭・萌花(キャンディギャル・e22767)と、エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)だ。ということは、おそらく彼らも。
「援軍……? なんで……?」
 少女は空中でクルリと翻り、膝を折って着地した。しかし息はつけない。
「妹が世話になっていてな。彼を好きに弄らせる訳にはいかないな」
 今度は翼をもった大小の影が2つ。少女の上から舞い降りた。
「まずは脚を止める」
 長身のドラゴニアン、アスカロン・シュミット(竜爪の護り刀・e24977)が、滑らかな動作で右掌から気弾を撃ち抜いた。少女が咄嗟に構えた注射器と気弾が火花を散らせる。
 少女はワルツを踏むように力を受け流し、クルリと左腕をアスカロンへと伸ばした。
「離れろ!」
 現出した氷の騎兵が少女に躍り掛かり、少女は後方へと弾き飛ばされた。騎兵の先には小柄なドラゴニアン、ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)。力強く手を伸ばしている。
「さて、仲間のピンチに駆けつけるヒーローとなりますか」
 声と共に金色の矢が虚空より現れ、五月雨のように少女に飛来し、飛沫を上げる。
 軌道の先には、眠そうな目に、跳ねた癖っ毛のレプリカント。アト・タウィル(静寂に響く音色・e12058)。不敵とも取れる表情で、ふふ、と笑っている。
 苦痛に顔を歪めた少女は、それでも軽やかに跳躍すると、立ちはだかるエトヴァをかわす様にレスターの腕へと手を伸ばそうとした。
 ――瞬間、雷光が駆け抜けた。
 少女を跳ね飛ばし、雨に濡れる地を滑り、栗色の髪の乙女が立ちはだかる。その乙女、羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)は、肩越しにレスターを一瞥。その五体が満足な様子を確認し、薄く笑った。と同時に、彼の表情が強張っていることに気づく。
「貸しを作りに馳せ参じました。お返しは、高くて美味しいお酒が良いです」
 いつものレスターを呼び起こすべく、おどけてみせた。安心して欲しい。これだけの仲間が、あなたの力となるため、やってきたのだから。
 スカーレスは痺れる右手を開閉し、バックステップで一度距離を取ることにした。
「6人も……」
 増えた人数を勘定する。
「数を数えるのは苦手か?」
 もう一つ、影がレスターと少女との間にスルリと割り込んだ。
「先日貰った菓子の礼だ。力を貸そう」
 極端に白い肌をした細面の男。ナザク・ジェイド(美味しいは正義・e46641)。礫のようにシュッとカプセル投げ放つ。
 煙を受けて少女の顔が歪んだ。
「7人……」
「いいや、総勢13人と2匹だ」
 言葉と共に大地に飛沫が上がり、また7体の影が戦場へと舞い降りた。
 撫でつけた白髪の大男、尾方・広喜。
 儚げな金髪のオラトリオ、グレッグ・ロックハート。
 中性的な黒い長髪の女性、簾森・夜江。そのウイングキャット錫丸。
 漆黒の衣に身を包んだレプリカント、ジェミ・ニア。
 緑のシャドウエルフ、ハニー・ホットミルク。そのボクスドラゴン、チョコ・クッキー。
 皆、膝をついたレスターの前に立ちはだかっていた。
「レスター、大丈夫か?」
「あぁ、ありがたいよ。俺は友人に恵まれたな」
 レスターが雨で濡れた前髪をかき上げながら、フラフラと立ち上がった。幸い技の発動前に駆け付けられたので、ダメージはないようだ。
「おにーさんは、もながいないと、どうしようもないからなぁ」
 最前列で敵を警戒しながら、桃色の髪をしたギャルが、ニシシと笑う。
「そ・れ・と・も~。ごめぇん、逢引のお邪魔だったー?」
 ゆらりと視線を少女へと移し、
「さ、お嬢さん、おにーさんばっかじゃなくて、あたしとも遊んでよね?」
 軽い口調でニッコリ笑顔。しかし、デコデコの武器を握る腕は、強く握りしめられている。
「……あなたも、悼みを抱えているようですね……」
 少女が震える瞳で、萌花を見つめた。
「あなたも……あなたも……そこのあなたも……。悼みますよね……消して……あげますよ……」
 レスターが、口を開いた。
「キミはどうして泣きそうな顔をしてるの? 敵でもデウスエクスでも、泣いてる女の子を見るとこっちまで哀しくなる」
「俺たちの油断を誘おうということか?」
 ナザクが鋭い瞳で少女を射貫いた。
 少女は考え込むように口を結び、次に口を開けた時、その口調は先ほどまでとは打って変わって別のものとなっていた。
「いいわ。どうせもう抗戦のレスポンスを返されているわけだし」
 涙がピタと止まり、背筋がシュッと伸び、怯えた瞳は冷めた瞳へと変貌を遂げた。
「演技……だったのか?」
「……」
 その問いに、少女は暫し逡巡し、
「そういことです……ね」
 そう、答えた。

●負に勝る正
 森林に光が弾けた。強化の光が煌めき、銃撃のフラッシュが瞬く。敵に肉薄し斬り結び、息もつかせぬ連携を叩き込んでいく。
 圧倒的な数の差は、そのまま覆せぬ力となって敵を呑み込んだ。だが、少女も決して弱くはない。
「過去の幻影に怯えなさい!」
 ビシュッと大回転させられた注射器から、ショッキングピンクの粘液が後列へと降り注ぐ。
「この痛みは……」
「嘘だろ、おい」
 実に半数の仲間が、正体不明の傷みに膝を付いた。代わりに、少女のダメージが癒されていく。
「思い出したかしら? 抗えない悼みを」
 少女の身体が妖気に満たされ、虚空へと浮かび上がる。
「そんなに傷が好きなら、あたしがたっぷり与えてあげる」
 萌花の振るった大鎌が、少女を斬り裂き、その生命力を吸い出した。まるで、奪われた仲間の生命力を奪い返す様に。
「癒えないくらいに、さぁ、どうぞ、あたしをその身に刻んでちょうだい?」
「癒えない傷なんて、私の最も忌むべきものを!」
 怒りに伸ばされた左腕が、萌花の首を握り潰した。いや違う。咄嗟に跳び込んだラルバの腕を握り潰していた。
「あなたでも、いいわ」
 ゾクリッ。一瞬でラルバの意識が宙を舞った。光が腕から頭へと昇っていき、今見ていた景色は眼から転がり落ちる。代わりに浮かんだ情景は――。
「師……匠……? あ、あ、ああ、あああ、ああああああ!!」
 狂乱の表情で、少年はすぐ近くにいたアスカロンにナイフを抜いた。
「いけません」
 ラルバのこめかみを、疾風の速さで撃ち出されたオーラの礫が撃ち抜く。アトだ。眠たそうな顔をして、機を見るに敏な動きをする。
 催眠が解け、ラルバはそのまま糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
 優しくその身体を抱き止めたのは、金髪のドラゴニアン。
「……師匠は?」
「……」
 アスカロンは応える代わりに、優しくラルバの背を撫でた。
「そうか……」
 少年は、気合いを入れるように自身の頬を両手で張った。
「師匠……。俺は、仲間の笑顔を護り抜く!」
 その瞳は、先ほどよりも更に強い光を灯していた。
「なぜ? なぜ悼みに震えないの? なぜ、解放を乞わないの?」
 少女に動揺が走った。番犬の攻撃を受け流しながら、苛立つように注射器を振り回している。
「荒治療はごめんだぜ。それに、お前に頼らなくても、俺は、それにレスターも、きっと自分で傷を治せるさ」
 ラルバのナイフが、少女の腕に、癒し難い傷を刻む。
「く……」
 少女は、懐からメスを取り出した。治癒の構え。
 その一瞬の隙を突くように、上段からの斬撃。青白い光が少女を斬り裂き、少女の手から回復の力を四散させた。
「生憎、俺の家族は俺以外、回復魔法に精通しててな……だからこそ、その対策もある程度は体が覚えてるさ!」
 アスカロンだ。
「回復の手段。悪いが潰させてもらうぞ」
 同時に、ナザクもカプセルを投射。少女の回復を阻害した。
 シャッと少女は自身の頭部に線を引く。が、幾分かの麻痺や凍結は治癒したものの、思うような回復ができずに怒りの目を走らせた。
「私の治療を邪魔するなんて……」
 少女は濡れた大地を蹴りつけると、猛然とアスカロンへと右手を伸ばした。
「その技は……いけない!」
 弾かれたように跳び込んだのは黄色い眼鏡の男。レスターは、身体を思い切りひねると、ゼロ距離で少女のボディにバスターライフルを叩き込んだ。少女の身体が揺れ、
「ようやく、捕まえました」
 驚くほど冷静な声で、少女の右腕が、シッカリとレスターの右腕を掴んでいた。
 怒りはブラフ。
 ――ゾクリッ。
 紫電が弾ける。
「あなたは……!? いやだ! やめて! ああ! あああ!! ああああああ!!!!!」
 痛ましい咆哮。その目は限界まで見開かれ、こめかみの血管が今にも破裂しそうなほど脈動している。
「いけない!」
 神速の稲妻となった紺が、レスターの身体を敵から奪い取った。しかし、先ほどとは違い、レスターを攻撃の傷みが蝕む。
「これがあなたの最後の悼み……。後は安らぎに変わるわ。良かったわね……」
 少女が目を瞑った。どこか寂しそうに。
 アトの放つオーラが、レスターのトラウマを弾き飛ばした。しかし、レスターは起きない。心臓をバクバクさせながら、ヒューヒューと細い息を漏らしている。尋常ではない。
 その様子を見つめ、萌花がスカーレスに魔力の弾丸を放った。
「あたしはアンタの至上にして最高の絶望なのよ。染め上げて喰らったげる。ひとつ残らずぜんぶ、ちょうだい?」
 激昂したように、少女に打ち込み纏わりつく。同時に後ろ手が仲間にジェスチャーを送った。
 あたしは囮。誰か、おにーさんをお願い!
 グレッグが、ジェミが、チョコが、積極的に敵の目に留まるように立ち回り始めた。アスカロン、紺、ナザクが、重い一撃を叩き込んでいく。囮が打たれても、アトとハニー、錫丸が瞬時に回復の光を輝かせた。
 今のうちにレスターを!
 仲間の影に護られ、一つの影がレスターに触れた。
「おい、起きろ。朝だぞ。なぁ。……ドリームイーターにくれてやるもんなんざ何もねえ。だろ? レスター」
 広喜が、力強く友人の胸を小突いた。レスターは荒い呼吸をしながら、その腕を握りしめている。
「……今も痛むような治らない傷があっても、楽しい事や嬉しい事があれば、ちっとは痛みが楽にならないかな」
 ラルバが、真摯な声音でレスターの額を撫でる。レスターの呼吸が、少しずつ、少しずつ、整っていく。
 夜江が囁いた。
「……貴方が居なくなれば悲しむ人が沢山居る」
 レスターの瞳から、地獄の炎が零れた。
「みんなデ……帰りましょウ」
 エトヴァの想いに、レスターはグッと息を呑み込んだ。そのまま長く、細く、息を吐き出していく。
 その様子を見つめ、スカーレスは哀し気に呟いた。
「あなたたちは惨い。どうして楽にしてあげないの? 私は知ってるの。人は悼みに抗えない。それでも生きるのは、単に自分で自分に幕を引くのはもっと嫌だから。人は。誰かに幕を引いて欲しがっているのよ!」
 ナザクが答えた。
「悼み、か……早急に処置をすべき傷もある。だが……そうでないものも、ある。ましてや他人の悼みを消すなど。とんだ、驕りだ」
「それは、あなたが悼みを知らないから! 喜怒哀楽全てを塗りつぶす程の悼み。それは確かに存在するのよ!?」
 スカーレスが叫んだ。アトの顔に寂し気な陰が掛かる。
「あなたの考えも分からなくはありませんが……。果たしてレスターさんも同じ考えでしょうか?」
 スッと、レスターが起き上がった。鮮やかに甦った過去の傷みも、今ぶつけられた鮮やかな想いには敵わない。この場にいる全ての仲間の献身によって、レスターは立ち上がる力を得たのだ。
「悪いけど……キミの獲物には、なってあげられない。この痛みと悼みは一緒に持っていく。誰にも渡せない、俺だけのものだ」
 その顔には、決意が浮かんでいた。
「何故……安らぎを乞わないの……? 悼みを……望むというの……? あなたの悼みは、その程度のものとは思えない……」
「今の俺には守るべき仲間と帰るべき場所がある。萌花もアスカロンもエトヴァもラルバも紺もナザクもアトも、尾方もジェミもグレッグも夜江も、みんな大事な、誇れる仲間だ」
「悼みを越えるなにかがあるというんですか……? そんなの……嘘です……!」
 混乱した表情で、少女は周囲にいた番犬を弾き飛ばした。毅然とした態度は剥がれ、目に見えて動揺している。
 注射器がビビットピンクの液体を勢いよく四方に噴射し、少女が木立の中に消えた。
「逃げた!?」
「いや、来るぞ!」
 液体が降り注ぎ、四方の木々が激しくさざめく。これでは少女の気配がまったく追えない。
 誰が指示したわけではなかった。番犬達はまるで磁石に引き寄せられるように、互いに背を預け合った。
 どこからでも、かかってくれば良い。俺たちは独りじゃない。見えない部分を補ってくれる仲間がいる。倒れそうなときに救い出してくれる仲間がいる。
 背中の体温は、雨の冷たさを吹き飛ばし、まるで一つの心臓になったような温もりを与えてくれていた。彼らは今や、30の瞳を持った一体の番犬。そこに死角など有ろうはずがない。
 木陰からメスが閃く。問題ない。しっかり見えている。レスターのバスターライフルが火を噴き、仲間たちが猛然とスカーレスに躍り掛かった。

●解き放たれる者、越える者
 流れるような連携攻撃が少女を粉砕し、少女の命は風前の灯火となった。もはや終局は見えた。
 このまま倒せる。そう感じた。しかし――、
『…お前の【未来】はもう視えない』
 ナザクは喰霊刀を振るい、少女の身体をレスターの前へと跳ね飛ばした。そうするべきだと感じたのだ。

 レスターの前で飛沫が上がった。仰向けに倒れた少女の身体。
 セピアの瞳と真紅の瞳が絡み合う。
 銃を構え、撃鉄を上げる。
 琥珀色の眼鏡の裏で、瞳が揺れた。やはり、少女を撃つのは躊躇われる……。しかし決着は付けねばならない。
 苦しみながら引き金に力を込めたその時、彼は見た。
 少女の涙を。少女の、美しい『笑み』を。
 ああ、そうか……。そういうことだったのか……。
「この悼みは誰にも渡さない」
「あなたは……そうすればいいですよ……」
 彼の指が十字を切り――、
 月夜に閃光が生まれた。
「俺は、キミを悼む」
 そして、すべては雨音に消えた。

●そして少女は悼みとなった
 戦いが終わり、ヒールが終わり、雨は去った。
 レスターは恩人達に感謝を伝えて回る。一人一人丁寧に。ある者は喜び抱き合い、ある者は良かったと微笑み、またある者はポエムポエムとおちょくり、ディナーをねだったりした。
 レスターは今、木陰に寄りかかって仲間を見つめている。
 アスカロン、エトヴァ、ナザク、ジェミ、夜江、広喜は、アスカロンの妹の話で盛り上がっている。
 ラルバ、紺、ハニーは、ナザクからせしめたおやつを一緒に食べてご機嫌だ。
 アトはスカーレスを悼むようにハーモニカを奏で、その横でグレッグも偲ぶように瞼を閉じていた。
 誰に聞かせるわけでもなく、レスターは一人呟いた。
「右半身の隷属の刺青、穿たれた古傷はまだ疼くけど、キミ達と共に戦えたなら、いずれ勲章になるかもしれない」
 不意に後ろから手が回された。
「おにーさん。また一人でポエムかなぁ?」
 そこには、馴染み深いギャルが、イタヅラな笑みを浮かべて立っていた。
「まぁ、そんなところだね」
 レスターは素直に答えると、スーッと息を吸い込み、昔歌った唄を歌い始める。
 優しく悲しい子守唄。まるで誰かを寝かしつけるように。

作者:ハッピーエンド 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 3/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 10
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