おいでおいでと誘う声

作者:澤見夜行

●夕暮れの邂逅
 その日は朝から、どこか落ち着きがなかった。第六感――虫の知らせと言う奴だろうか、肌が敏感になり、耳に入る音もいつもより雑音を拾うようだ。
 そのせいだろうか、今ひとつ調子がでない。
 朝、身支度を整えてる最中にコップを倒し水を浴びるし、食堂に行けば苦手な納豆がでてきた。
 気分を変えるために外へでてみれば、小銭を落として行方不明に。
 折角の休日なのにツイてない。少しの憂鬱を感じながら京極・夕雨(時雨れ狼・e00440)は夕暮れの街をサーヴァントのえだまめと共に歩いていた。
 手には買い物袋を抱えている。食材の買い出しに、と思ったが些か買いすぎてしまったようだ。ずしりと重い荷物が腕に疲労を与えてくる。
 特に急ぐ用事もなかったが、朝から続く調子の悪さからか、はたまた今にも降り出しそうな空模様を見たからなのかは分からないが、少し早く帰ろうと考えた。
「えだまめ、あちらの道を通ってショートカットしましょう」
 足早に、普段は使わない路地裏へと足を踏み入れる夕雨。
 人影のない見慣れない道に少しの興奮と不安がよぎる。住宅などもない裏道だが、だからといって、なにかあるとは思えない。心を落ち着けようと大きく息を吐いた。
 ――そのとき、不意に、音が、消えた。
 ケルベロスとして培ってきた直感が身の危険を最大級に知らせてくる。
 夕雨は買い物袋を放りだすと、愛用の番傘型の槍『からくれなゐ』を構えた。
「――……お~いで、おいで、迷子は、何処」
 足下に伸びる影法師がその者の接近を知らせる。
 視線を這わせれば、そこには異質異様な影。
「迷子のあなた、こんにちは! ボク、ニッキー! 優しく可愛い迷子の保護者だよ!」
 影が不協和音の声色で話しかけてくる。
 その頭部は熊と兎をつなぎ合わせた血塗れの着ぐるみ。鍛え抜かれた筋骨隆々の上半身を晒しだし、生々しく血に塗れた動物の着ぐるみの下半身。赫塗れた風船の紐を手に持ち差し出している。
「あなたは……!」
 その姿に夕雨の目が見開かれる。
 忘れることはない――迷子となった者を『保護』するデウスエクスの事を。『保護』された者の行方? ――そんなものは考えるまでも無かった。
「迷子の子猫ちゃん? いやワンちゃん? うーんどっちでもいいや。さぁ迷子はボクと一緒に帰りましょう。今日からボクが君のお家だよ!」
 歓迎するように両の手を広げるニッキー。だがそこには明確な殺意が発せられていた。
「冗談はその悪趣味な着ぐるみだけにしてください。生憎、私は迷子でもなければ犬でも猫でもありませんので」
 ――それに、帰る場所なら、大切な場所が確かにあるのだ。こんな変質的な者の元になど行くわけがない。
「ハハッ、さあボクと一緒に帰ろう!」
 噛み合う事のない会話。ジリジリと距離を詰めてくる異形。
 あぁ――今日は本当にツイていない。
 ……けれど、コイツを――宿敵とも言えるこの異形を野放しにすることなど夕雨にはできはしない。
 覚悟を決めた夕雨が相棒たるサーヴァントに戦闘の開始を告げる。
「えだまめ! 参りますよ!」
 返事をするようにえだまめが吠える。その音を合図に、宿敵『優しく可愛いニッキーくん』との戦いが始まった――。


 急遽集まってもらった番犬達にクーリャ・リリルノア(銀曜のヘリオライダー・en0262)が慌てた様子で説明をはじめた。
「夕雨さんが、宿敵であるデウスエクスの襲撃を受ける事が予知されたのです。急いで連絡を取ろうとしたのですが、残念なことに連絡をつける事ができなかったのです。
 一刻の猶予もないのです。夕雨さんが無事なうちに、なんとか救援に向かって欲しいのです!」
 クーリャはそのまま敵の詳細を伝えてくる。
「夕雨さんの宿敵は単独で行動しており配下などはいないのです。エインヘリアルを思わせるその強靱な肉体での肉弾戦を得意としているようなのです」
 特に注意をしたいのは相手の身体を砕き足止めする技や、まとめて捕縛し骨を破砕する抱きしめ、体内のグラビティを巡らせ回復と共に破壊力を増す行動もしてくるようだ。
「戦闘地域は都市の裏路地にあたる場所なのです。幸いなことに付近はあまり人の寄りつかない場所のようなので、避難や周辺への被害は気にせず戦闘に集中できるはずなのです」
 最後にクーリャは祈るように手を合わせると番犬達に想いを伝える。
「夕雨さんを救い、宿敵たるデウスエクスを撃破して欲しいのです! どうか、皆さんのお力を貸してくださいっ!」
 夕雨を救う為、番犬達が動き出す――。


参加者
福富・ユタカ(慕ぶ花人・e00109)
ユージン・イークル(煌めく流星・e00277)
京極・夕雨(時雨れ狼・e00440)
八王子・東西南北(ヒキコモゴミニート・e00658)
パトリシア・バラン(ヴァンプ不撓・e03793)
レオン・ヴァーミリオン(火の無い灰・e19411)
燎・月夜(雪花・e45269)

■リプレイ

●迷子の記憶
 京極・夕雨(時雨れ狼・e00440)はケルベロスとなる以前の記憶が無い。
 理由はわからない。ただ自身がケルベロスと呼ばれる存在になっていたということだけがわかった。
 当時を振り返ってみれば、帰るべき場所もわからない夕雨は不安に押しつぶされそうになりながら、その日その日を暮らしていたように思う。
 ニッキーくんの存在を知ったのも、そんな時期だった。
 迷子を保護するデウスエクス。保護されたものがどのような末路を辿るかは、考えるまでもなかったが、ケルベロスであるならば――と馬鹿な事を考えることもあった。
 それほどまでに、夕雨は帰るべき家を欲していたのだと思う。
 ――あの日、あの時の夕雨の目には、ニッキーくんと一緒に暮らす幻想が見えていたのかもしれない――。
「えだまめ! 参りますよ!」
 過去への懐旧を振り払うように、夕雨が声をあげる。返事をするようにサーヴァントのえだまめが吠えた。
 一足飛びに加速し、ニッキーくんの懐に潜り込むと、稲妻を帯びた番傘型の槍を超高速で突き上げ、神経回路へと障害を与える。
「どうしたの? 怖がらないで? さあ風船を受け取りなよ!」
 不協和音の声色は背筋に悪寒をもたらす。相手を殺害することしか考えていないように思える右手の強振をかがみ込むようにして躱すと、そのまま後退して間合いを離した。
 受け取ってもらえなかった風船をどこか悲しそうに見つめるニッキーくんが夕雨に語りかける。
「迷子は怖いよね、不安だよね。でも大丈夫、ボクと一緒に帰れば全て解決さ!」
「確かに、昔の私はあなたに会いたいと思ってた時期も多少はありましたがね」
 本音を漏らす夕雨は抜け落ちた記憶へと手を伸ばす。
 過去の記憶は変わらず迷子のままだ。けれど今は――。
「帰るべき場所も、大切な仲間も、失いたくない記憶も――全部あるのですよ」
 その言葉を肯定するように、空から夕雨の仲間達――番犬達が降り立った。
「夕雨殿! 夕飯の材料は無事かっ!? あっ、無事じゃない!!」
「んー、そこはまず友人の心配をしてあげるべきじゃないかな? ……ま、信頼してるからだろうけど」
「行きなさい田吾作、出来ないとは言わせませんよ」
 降り立ちそうそうに騒がしい福富・ユタカ(慕ぶ花人・e00109)とレオン・ヴァーミリオン(火の無い灰・e19411)。夕雨の前にサーヴァントの田吾作を放り投げて障害物とするマリオン・オウィディウス(響拳・e15881)にクスりとすると、待ち構えるニッキーくんを地獄の眼で貫き見通した。
「優しく可愛いニッキーくん――あなたは此処で倒します」
「ハハッ! 照れ屋さんだね!」
 武器を構える番犬達に、殺意高めるニッキーくんが襲いかかった――。

●居場所はここにある
「本当に強そうデスネ。自由にさせたらマズソウデス」
 パトリシア・バラン(ヴァンプ不撓・e03793)が先陣を切る。そのグラマラスな身体を弾ませながらニッキーくんに肉薄すると、電光石火の蹴りを見舞う。
 ニッキー君の鍛え抜かれた身体にめりこんだ蹴りの反動そのままに、さらに身体を回転させ、螺旋を込めた掌を押しつけ身体の内部から破壊すると、止めに高速の重撃拳を打ち込む。
 パトリシアの連撃にニッキーくんの身体が吹き飛ぶが、倒れはしない。砂埃を上げながら、その着ぐるみの足で器用にバランスをとった。
「元気があっていいね! でもでも邪魔はしちゃだめだヨ!」
 ニッキーくんはそういうと狙いを夕雨に定める。なんとしても夕雨を連れて行こうという考えだろうか。着ぐるみを着ているとは思えない、弾丸のような速度で駆け出すと、夕雨目がけてその常軌を逸した速度で放たれる拳を振りかぶった。
「やらせは!」「しないよ!」
 ユージン・イークル(煌めく流星・e00277)と八王子・東西南北(ヒキコモゴミニート・e00658)が夕雨を守るようにニッキーくんの進路を塞ぐ。
 上段から振り下ろされる右拳をその身で受け止めるユージン、その威力と衝撃に足が悲鳴をあげる。衝撃は大地を割りクレーターを生み出す。続けて振るわれる左拳が東西南北の腹部をガードの上から直撃し、その破壊力に悶絶しながら吹き飛んだ。
「人の相棒を、勝手に連れて行こうとしてんじゃねぇぞ」
 飛び出したユタカが急所を狙う旋刃の脚を放つ。刹那の間に連続で放たれる蹴りの応酬がニッキーくんの身体を打ち付ける。割り込むように放たれる反撃の一撃をギリギリ躱すと、ユタカは一気に間合いを離して精神を集中し、ニッキーくんを爆破する。だが、これをニッキーくんはバク転するようにして躱した。
「キミはもう何処へも行けない。ここで腐れて沈んでいけ、塵でしかない我が身のように」
 レオンの手により具現化された簒奪術式は、地を這いずる影の鎖を生み出し、ニッキーくんを襲う。殴打されたニッキーくんの足に鎖が絡みつき、行動を阻害する。
「友人のさらに友人のピンチとあっちゃ、まあ見過ごせないから休日返上ってね。それじゃ僕は敵の足引っ張ることに専念するんで後はよろしく」
 仲間にそう声をかけながら、レオンは次々とニッキーくんの身体を爆破していく。続けて、爆煙の中から砂埃に塗れたニッキーくんが現れると、オウガメタルを身に纏い鋼の鬼と化してニッキーくんの身体に一撃を見舞う。次々と付与された行動阻害にニッキーくんの身体がふらりと揺れた。
 ニッキーくんに殴り飛ばされた東西南北は子供の頃行った家族旅行を思い出す。
 夢の国での楽しい一時。マスコットキャラと握手したり記念写真を撮ったり、今思い返してもほんわか幸せに包まれている、優しい思い出だ。
「――それを、アナタは! ニッキーくんは粉砕して!!」
 本来子供に夢と希望を与えるべきマスコットが鬼畜外道な殺人鬼に堕ちるとは言語道断だ。
「ヒキコモゴミニートの意地に賭けて駆逐します!」
 誓いの心は溶岩となってニッキーくんを襲う。溶岩に飲まれるニッキーくんに、さらに東西南北のやればできるという信じる心が魔法にかわり、将来性の感じる一撃を与える。
「僕の背骨は避雷針、きたれ臨界/破れ限界!」
 東西南北が続けざまに放った高圧電流はニッキーくんを感電、麻痺させる。
 身体のあちこちを焦げさせているニッキーくんは、けれど立ち止まる事なく歩みを進める。その身体を誇示するように、けれどどこか可愛くポージングすると、見る見る傷が塞がっていった。
「双子星のように寄り添うよ、キミの傍でっ☆」
 ユージンが召喚符を取り出し、子猫人形型のドリームイーターの残霊を召喚する。仲間達に寄り添うその人形が仲間達の狙いを研ぎ澄まさせる。
「無理やりでも”迷子”にしようとするその姿勢、ある意味輝かしいね。何が君をそこまで駆り立てるのかな?」
 チェーンソー剣を振るい、ニッキーくんの傷口を広げていくユージン。間合いを取ると、夕雨を見ながら悪戯っぽく口を開いた。
「ともあれ、ユウちゃん(の食材)はボクが守る……!」
「む、食材って聞こえてますよ、ユージンさん」
「おっと、いけないいけない☆」
「二人とも、晩ご飯の話はあとにしましょう。来ますよ」
 マリオンが言うと同時にニッキーくんの拳が放たれる。夕雨とユージンが吹き飛ばされるが、すぐさまマリオンが味方の士気を鼓舞する爆風を生み出す。
「何処にもないこの瞳は全てを見通します故、逃げることは不可能です」
 さらにマリオンは右目を閉じ敵の動きを解析する。解析データをまとめあげると同時に右目を開きグラビティを発散させた。癒やしの力と共に仲間達にデータが転送され命中精度を高める結果をもたらした。
「夢の国に叩き返してあげましょう。皆さん、存分に」
 マリオンは一人、絶大な破壊力をもたらすニッキーくんを前に仲間達を支えていた。
「ニッキーくん……でしたっけ。さあ、私と遊んでくださいな」
 瞑目し精神を統一していた燎・月夜(雪花・e45269)が目を見開くと同時、疾駆する藍白の影がニッキーくんの懐に潜り込みその豪腕を穿つ。『燎流剣術奥義』が一つ『散華一穿』。月夜の剣術にある独自の『居合い』の応用技は、納刀の構えから刹那の瞬きを持って放たれた。
「その力封じさせて頂きます」
 続けて音速の拳を放ち付与された破壊の力を打ち破ると、反動ままに飛び退り時間を凍結する弾丸を放っていった。
「セニア・ストランジェ、助太刀する――!」
「優しく可愛い? そういうシュールな冗談、嫌いじゃないけど――君のやったことは最低だから。消えてね」
「夕雨さん、及ばずながら私もご助力致します! 援護はどうぞお任せくださいね」
 セニアとともに救援に駆けつけた霧山・優とレカ・ビアバルナが番犬達を支援するように立ち回る。癒やしと共に与えられる加護が番犬達に更なる力を与えていった。
 その破壊力に圧倒されながらも、戦いは番犬達の優勢に進んでいく。
 不利な情勢なれど変わらぬ態度で喋り駆けてくるニッキーくんはある意味不気味だ。いつまでも手放さない風船に番犬達の返り血が降りかかっていく。
 ニッキーくんが大地を駆け、一人、又一人と番犬達をその太い腕で掴んでいく。 恐るべき怪力。恐るべき膂力。
「この人数を――!?」
「ほら逃げないで、もっとこっちへおいでよ!」
 まるで巨大化したとでも言うように、前衛をひとまとめに抱きしめるニッキーくん。威力は減衰するものの、それでも全身の骨が折られていくのがわかる。すぐさまマリオンが治癒の爆風を生み出し癒やしていった。
「やれやれとんだ相手でござるな。これは帰ったら夕雨殿特製のしゃぶ肉パーティでござー」
「いやしませんけど?」
「……え? 拒否? 勝手に行きますけど???」
 死地が見えるような戦場においてでも変わらぬ二人に、番犬達は笑みをもらす。
「フフッ楽しみね。コッチも手を抜くワケにはイカナイネ! 力と技を全力で開放する喜び、叩きつけてアゲルワ! オラァ!!」
 パトリシアの全身をダイナミックに使った数々の連撃が徐々にニッキーくんの動きを鈍らせていく。
「卑怯卑劣が僕の売りでね。だから嫌がらせには最後まで付き合ってもらうとも」
 レオンが走り手にしたナイフでニッキーくんの傷口を切り増やすように刻んでいく。痛みに震えるニッキーくんはしかし、反撃の一打をレオンに放つ。
 吹き飛ばされ全身を打ち据えるレオンを見てユタカが激昂する。
「人の男を、なに傷物にしてくれてんだ――!」
 鋭き橙の眼光が一閃する。光は躱そうとするニッキーくんの胸部を貫き橙に染まった鮮血が噴き出した。ユタカの動きは止まらない。一気に間合いを詰めると二本の爪を振るいニッキーくんを微塵に切り刻む。
「ほら、受け取って!」
 身体中を鮮血に染め上げながらニッキーくんがユタカに拳を振り上げた。
「やらせない――!」
「マスコットは子供に夢を与えるもの。さぁ……帰りましょうニッキーくん――!」
 回避不能の一撃は、しかしユージンと東西南北がその身を盾に受け止める。内臓を直接叩きつけられたような重い一撃に膝が折れる。
「まだ終わらせはしません――」
 倒れ膝をつく仲間達にすぐさまマリオンが癒やしのグラビティを放つ。仲間達を倒させはしない、強い意志の力が倒れた仲間を支え立ち上がらせる。
「――カガリちゃん大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。――参ります」
 月夜はユージンの気遣いを受け取りながら、清雅な髪を靡かせて今一度、死地の見えるニッキーくんの懐へと潜り込む。一息にニッキーくんを刺し貫くと、刃から伝わる呪詛でその魂を汚染する。
 反撃に振るわれる豪腕は回避のすべがない。月夜は歯を食いしばりながら受け止めると、痛む身体を押して反撃とばかりに納刀からの一撃を見舞った。
 セニアと優、そしてレカも支援に力をいれる。
 ニッキーくんがもう一息の所まで来ている事を誰もが理解していた。
「おいで、怖がらないで、こちらにおいで」
 壊れたラジカセのように繰り返される、迷子を誘う声。その声に夕雨の心がチクリと痛む。
 ――出会ったのは今日が初めてですけど、ガタイが良くて悪趣味な人、結構嫌いじゃなかったですよ。
 きっと、夕雨の失った記憶――迷子の記憶とニッキーくんを探し求める心がニッキーくんを誘い出してしまった。
 後悔ではない。けれど『彼』とはもっと別な形で出会いたかった。過去に見た幻想がわずかに思い出される。
 仲間達の攻撃を受けてニッキーくんの身体がふらついた。番犬としての経験が、止めの牙を突き立てろと訴えかける。
「夕雨殿いまでござる」「ユウちゃんいまだ」「いまです夕雨――!」
「サア、存分にヤッチマイナー♪」
 戦場を共にする仲間達の声がその背を押す。
 ――そう、『私』の居場所はそこにある。
 清廉な狼はその地獄の瞳を見開いて、大地を駆ける。
「サア、受け取って!」
 差し出されるニッキーくんの風船を紙一重で躱し、刹那の間に獣化したその拳を全力で叩きつける。何かが弾けるような音が空に響き渡った。
「お別れです、ニッキーくん」
「――君はもう、迷子ではないんだね」
「ええ、私の居場所はここにあります」
「――……」
 そっと呟くニッキーくんが夕雨の肩をたたく。そしてゆっくりと風船を手放した。
 空高く飛んでいく風船を眺めるように、ゆっくりと大の字に倒れるニッキーくん。
 数々の迷子を連れ去り殺害した宿敵『優しく可愛いニッキーくん』はこうして倒されるのだった。

●迷子はここにはもういない
「いや、だからなんでこうなるんですか」
「やらないと言っても無駄でござるよ」
 夕雨の部屋で開かれる鍋パーティー。いや、やるとは言ってない勝手に用意された鍋を番犬達が取り囲む。
「えだまめもヤードさんも食材漁らないでください。あっ、こら勝手に部屋を漁るの禁止です。追い出しますよ」
 ぷんすこ怒る夕雨の言葉を無視して参加者が好き勝手に振る舞う。
「お鍋とか、冬にピッタリですよね。私、こう見えて大食いなので、お肉は多めでお願いします」と、月夜が言えば、
「食べたいのならお金を払って下さいね」と、現金な事をいう夕雨。
 そこに「食材買ってきたよー」と、ユージンが帰ってくる。その手には鍋の食材がてんこ盛り。
「次はチーズタッカルビを食べに行きましょう」マリオンがそう提案する。
「私達も参加していいのかな」
「荷物持ったしいいよね、うん」
 レカと優も混ざって部屋はギュウギュウだ。
 騒々しくも賑やかな日常。今日一日ツイていなかったけれど、やっといつもの調子に戻れそうだと夕雨は思った。
 不意に頭の中に響く声。
 ――おいで、おいで、迷子は何処。
 ――お帰り、お帰り、迷子は家へ。
 いつか帰ってくるかもしれない迷子の記憶に、淡い期待と少しの不安を抱きながら、京極夕雨は鍋の中の牛しゃぶに箸を伸ばすのだった――。

作者:澤見夜行 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年2月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 5/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 2
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