悪辣の花咲きたるが如し

作者:深水つぐら

●悪辣の花
 私が一番可愛いと思っていた。
 あなたが生まれた時、悲しい思いをいっぱいしたの。
 お母さんはあなたをたくさん抱き締めた。お父さんはあなたをたくさん頬ずりした。私だって最初はあなたが可愛くて、弟という家族が増えたことが嬉しくて、たくさんお腹をくすぐった。
 毎日見ていたふっくらほっぺも、可愛いおめめも好きで好きで好きで。
 でもその身体が成長していくたびに私には我慢しなくてはいけないことが増えた。今日だって寂しいのに弟が熱を出したからお父さんとお母さんは弟と一緒に病院に行ってしまった。風邪が移るからと私はお留守番で我慢だ。
 だから。
「お願いです、私にがまんをさせないでください」
 そう美海が告げた途端、車の無いガレージの中に光が渡った。白く暖かな輝きに彼女が瞬きするのも忘れて見入る中、のそりと姿を現した者――大願天女の名を持つ怪鳥は、微笑みを携えた顔のまま少女の額に手を置いた。
『あなたの願い、叶えましょう』
 その言葉の後に淡い光が少女の身を包むと、白い翼を持つ巨大な鳥――ビルシャナの姿へと変えた。その嘴が驚きの声を上げる前に、大願天女は狂いの音を持つ知恵を告げた。
『あなたは力を得ました。その力をもって我慢の原因である弟を、そして家族を殺してしまいなさい』
 そうすれば、あなたはもう我慢をしなくていいわ。
「がまん、しなくていい……」
 呆然とした少女の鳥がか細い声で答える。その言葉に怪鳥は優しく頷いた。
 大願天女――その幻影が得ようと謀る物は人の死によって生まれるグラビティチェインの輝きであった。

●悪辣の花咲きたるが如し
 その光景が如何に異様であるかは推して知るべしである。
 ビルシャナ菩薩『大願天女』の影響で変異する者が現れた――新たなビルシャナ化の予知を告げたギュスターヴ・ドイズ(黒願のヘリオライダー・en0112)は、手帳から顔を上げるとこれから起こるであろう事件へ話を移していく。
「ビルシャナとなった人間がその力を使い襲撃事件を起こそうとしている。君らにはこれを阻止してもらいたい訳だが」
 ギュスターヴは改めて集まった一同を眺めると、その瞳に強い意志をもって口を開いた。
「この人物はビルシャナ菩薩の幻影から『願いを叶える手段を殺人しかない』と偽られている。この誤解を説得によって解き、計画を諦めさせる事ができればかの者を助けられる」
 命を救えるチャンスがあるという事。その希望をケルベロスに掴んで欲しいのだ。
 ビルシャナに目を付けられた人間――美海が出会うのは自宅のガレージだ。両親が弟と病院に泊まりとなった夜中に寂しくなり、家族と別れたガレージに来たという。シャッターが開いているのでターゲットと接触しやすい。そのまま説得する事になるが幸いなのはビルシャナ菩薩の幻影である故か、説得中に口は挟むとしてもケルベロスへの直接攻撃はできなさそうな点だろうか。しかし、失敗成功どちらにしろ戦闘は避けられない。何故ならビルシャナ菩薩も黙ってはいないからだ。
「敵の狙いは殺害によって得るグラビティチェインの奪取だ。自分の教えた解決方法が間違いであると美海が悟れば無理矢理にでも彼女をビルシャナへと変えるだろう」
 そうして戦いが始まればビルシャナと化した美海は氷の刃を持ってケルベロスへと襲いかかる。また、かの尾に結び付いた銅鐘が心を揺さぶる様な痛みを呼び起こす点が気を付けるところだろう。癒しの力もある様だが対策をしていけば大丈夫なはずだ。
 そこまで話を進めるとギュスターヴは改めて手帳に目を落としてから、はっきりと告げた。
「ビルシャナ化した場合、彼女に呼び掛けは通らない。その点に置いて手を緩めぬ様に」
 言の葉の成否に関わらず攻めねばなるまい。獲物は傀儡と拒絶にしろ成り立ち故に逃げずに向かってくるのだから。
 だからこそ伝えねばなるまい。
「美海は気が付いていない。彼女の為に母親が寂しくない様にぬいぐるみを置いていった事を。そして父親が寒くないように彼女の好きな毛布を掛けた事を。ほんの少し視えた姿から彼女も愛されている事がよくわかる」
 自分も家族と離れる事が多かった故にわかること――告げたギュスターヴは改めて集まった一同へ視線を向けて願う。
「君らは希望だ。気づかせてやってくれ」
 黒龍が祈るのはすれ違い始めた縁を繋ぎ止める事だった。


参加者
アリス・ヒエラクス(未だ小さな羽ばたき・e00143)
メイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)
ウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)
火岬・律(幽蝶・e05593)
リヒト・セレーネ(玉兎・e07921)
筐・恭志郎(白鞘・e19690)
ミュゼット・シラー(ヴィラネル・e45827)

■リプレイ

●芽吹き
 菩薩の爪に乗る色は翡翠葛の青に似ていた。
 その指が凶行へ導こうとした時、ふと青年の声が掛かった。
「こんばんは、初めまして」
 響いた声に鳥達が振り向けば微笑みを携えた筐・恭志郎(白鞘・e19690)の姿があった。彼の人懐っこそうな雰囲気に戸惑いを見せたのはぬいぐるみを抱いた怪鳥の方だ。
「あなた達はだあれ?」
「美海さんですね。私は火岬といいます」
「かざき、さん?」
 小首を傾げた怪鳥――ビルシャナとなった美海が火岬・律(幽蝶・e05593)の言葉に瞬きをすると、今度はフリューゲル・ロスチャイルド(猛虎添翼・e14892)が柔らかそうな猫っ毛を揺らしてぺこりと会釈した。
「ビックリさせちゃってごめんね、ボク達ね、君が助けてほしいって思ってるのが聞こえたからここに来たの。ちょっとでもいいんだ、お話できるかな?」
「お話……?」
 愛嬌のあるフリューゲルの微笑みに美海はもじもじとはにかんだ。決して聞く耳を持たない感触ではないとケルベロス達がほっとしたのもつかの間に鋭い声が飛んだ。
『美海、あなたの願いを叶えに行きなさい。早く』
「……質が悪いね。願い自体は切実なだけに、やり口が実に気に食わない」
「幻影による甘言で人を惑わし不和を招くという姑息かつ悪辣な手段には怒りを覚えますね」
 溜息ひとつ吐いたメイザース・リドルテイカー(夢紡ぎの騙り部・e01026)が不満を紡ぎ、同じく口元を引き締めたウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)も赤眼の奥に燃える色を見せた。そんな彼らの前で律は菩薩と呼ばれる怪鳥から美海へ視線を戻しはっきりと告げた。
「私達はあなたの願いを叶えに来ました。もう我慢したくない、そうですね?」
 我慢。その一言に怪鳥の身が固まる。彼女の手の中で歪に皺の寄ったぬいぐるみを望んだアリス・ヒエラクス(未だ小さな羽ばたき・e00143)は改めて相手の姿をまじまじと眺めた。
「……願いを叶える、ということは果たしてそんな姿にまでなる必要があるものなのか」
 恐らく美海は自分が力を得たという事だけを理解しているのだろう。鍵爪となった彼女の手にアリスは唇を噛んだ。
(「……其れは貴女を孤独にする力。叶うのは破滅と崩壊、ただ其れだけよ」)
 言葉に出来ぬ思いに歯痒さが染みる。それを止める為に恭志郎はもう一度口を開いた。
「小さい子ひとりじゃ大変だし、寂しいのにお留守番。美海さんは、優しい頑張り屋さんなんですね」
「……頑張らなくちゃ、いけないもん……がまんしなきゃ……」
「ん、我慢をしなくちゃって誰かに言われたんじゃないよね」
 話を聞いていたリヒト・セレーネ(玉兎・e07921)は、落ち着いた様子でそう告げた。
「きっと君が決めたこと。お母さんお父さんと弟の為に……って。優しい、ね」
「うん、美海さん、いっぱい我慢してえらかったねえ」
 隣で聞いていたミュゼット・シラー(ヴィラネル・e45827)も彼女の相棒であるウイングキャットのエクロと一緒にうんうんと頷いていた。それから指を立てたミュゼットは美海に向かってにっこりと笑う。
「でも、我慢する必要はなくって。大きくなって、お姉ちゃんでもお母さんとお父さんからすれば、大切な子供のひとり。ぬいぐるみだけじゃなくって、甘える権利、ちゃあんとあるんだから」
「うんうん、いっぱい我慢した美海さんは、もう我慢しないでご両親に言っちゃいましょう」
 ぬいぐるみよりお母さんの方が良い。
 お気に入りの毛布より、ぎゅっとしてくれるお父さんの方があったかい。
 もっと構ってと、我儘を言って泣きついてもいい。
 促す恭志郎の言葉に甘い林檎の様な瞳となった美海は、戸惑っているのかちらりと後ろを振り返った。手のぬいぐるみをぎゅっと握りしめ、穏やかな微笑みを向ける翡翠葛の菩薩を窺う。
「……それは、いい、ことなの?」
『おかしな事よ、美海。あなたの願いは力でしか叶えられない。我慢の原因である弟を、家族を殺してしか叶わないのです』
 嫋やかな言葉は心底慈愛に満ちていた。呆れる程の温かさ――その嘴は殺害の賛美を謳う。
 曰く、それは我慢せずにいられる方法なのだだと。
 曰く、それはただ一つの救いの道であるのだと。
『あなたにはその為に力を与えたのですよ。さあ、早く殺しに行かねばなりません』
 蕩ける様な甘言は狂気とも言える色を見せていた。

●萼落
 その狂色を夢紡ぎの騙り部がひとつ、色を乗せて遮る。
「もう我慢したくない、と言っていたね。弟君のことは好きだけど、構ってもらえなくて寂しいんだね」
 振り返った美海にメイザースは微笑んでさらに穏やかな言葉の色を乗せた。
「自分の気持ちを我慢して、そうやって大事にしてくれる優しい君のことを弟君もきっと大好きで、今頃会いたくて寂しい思いをしているかもしれないよ」
「……そうかな」
「弟さんは貴女にとってただ邪魔なだけの存在ではないはずです。生まれたばかりの弟さんを初めて見た時の気持ちを、貴女が感じた弟さんへの愛情を思い出してください」
 続いたウィッカの言葉に美海はこくんと唾を飲み込んだ。その固唾が言えぬ言葉だとすれば、紡がせる為に手引きをせねばなるまい。アリスは改めて美海を望むと彼女の記憶の扉を開けていく。
「弟に初めて触れた日の喜びを。両親が貴女に向けてくれた愛情を。その総てを忘れてしまった訳ではないでしょう」
 毎日見ていたふっくらほっぺ、可愛いおめめも大好きで。
 僅かに赤い目が揺れた。
「弟さんも、美海さんのこと好きだと思うなぁ」
 そう告げたミュゼットは自分の弟や妹もそうだからと続けた。彼らは普段反抗期らしいのだが、お菓子を作ったり遊んであげたりと世話を焼いた時にある言葉をくれるのだという。
「ありがとうお姉ちゃん、っていってくれるの。だから、離れ離れで今頃寂しい思いしてるんじゃないかなぁ」
 覗き込むミュゼットに美海は俯く。そんな彼女の様子に律は息を吐くと翳る深紫の瞳を斜に向けた。
「我慢はしなくていいですよ。むしろ何で今までしてきたんですか?」
 ぽんと放り込んだ強い言葉に美海の顔が上がる。一瞬煮え滾る焔が見えた気がしたが、律はそれさえも飲み込む様に言葉を切った。
「ご両親を困らせたくなかった。弟が辛いのも解っていたから、ですよね。つまり、貴方は我慢がしたかったのではない」
 それほどまでに家族が大事だった。それを示すには我慢をするという以外に術を知らなかっただけ。
「わ、たし」
 ふらりと怪鳥の身が揺れた。
 その姿にフリューゲルは過去の自分を見ている気になった。彼自身は自ら忘れ子となる事で現実と自身を繋ぎ止めたが、その時に感じた我慢と寂しさは忘れがたい。だからこそ、美海の力になりたいと想いを込めて口を開いた。
「いっぱい我慢したんだね。でもすごいな、そんなに我慢できるなんて、家族の事大好きなんだね」
 大好きだから頑張って我慢して、大好きだから我慢できなくなった。それは彼女が自分の気持ちに気が付き、同時に傷ついた事なのかもしれない。
「気が付いたなら自分の気持ちをね、見ないフリしたらダメなんだよ。もっと苦しくなっちゃう」
 苦しみから解放される方法を死という『力』で叶えてはいけない。それは本当の気持ちを見失わせる。フリューゲルの言葉に続き、ウィッカは別の視点から美海へと言葉を届けていく。
「それにご両親は貴女が弟さんの風邪をもらって辛い思いをしてほしくなかったんです。少しわかりにくいかもしれませんが美海さんへの愛情は変わっていませんよ」
「そうだね。そんなお母さんやお父さん、それに弟君が、もし、いなくなったらどうだろう。一人になってしまったら、きっと君はもっと寂しいんじゃないかな」
 続いたメイザースの言葉に美海はもう一度唾を飲み込んだ。
 夕陽の色をした目が淡く緩く揺れている。瞳が涙の海に溺れたのだと知るとぱちりと瞬きが落ち、ころころと星の様な雫が散った。
「君と弟君は違うから。ご両親の接し方も違うかもしれないけど、だからって君が一番じゃなくなった訳じゃない」
 両親と過ごした時間――リヒトが思い出す様に促せば、もう一度ころりと星が散った。思い出は言葉であり、行動であり、しっかりと美海の心にあったはずなのに、我慢という壁が真実を見えづらくしたのかもしれない。
 美海の本当の願いは何なのか。
 自分を犠牲にしてまで守りたかったもの。それは彼女にとっては家族なのだと律は告げる。
「それは弟と両親を殺すことでは手に入りませんよ。あの鳥は嘘つきですね」
 その指摘に美海を朧気に包んでいた光が揺らいだ。
「お母さんとお父さんがすき……弟も、すき。だから、いなくなると、寂しい……」
 それは毒林檎を食べていたお姫様が、ころりと果実の欠片を吐き出した様な。ころころりと零れた美海の本心――その星を、『天罰の光』が穿った。
 誰もが守る暇も有らばこそ。美海の背に打たれた光を望んだ菩薩は残念そうに首を振ると寂し気に告げた。
『残念な子、お前は願いを叶えられたのに』
「……欺瞞ね。結局は無辜の人々を駒にせんとしているばかり」
 アリスの言葉に菩薩の幻影は扇を開くとそ知らぬ振りを決め込んだ。その様にオラトリオの口元が笑う。
「悪い夢にはおやすみしてもらわないとね」
 言葉の後に立つのは瞳から海を無くした怪鳥――『美海』であったビルシャナは、傀儡としてケルベロス達へ殺意を向けた。

●手折る
 自分には弟は無い。
 ましてや一般的に言われる様な家族や両親という形のものも無かった。生物学上の母と父――血の繋がりのある個という無機質な感覚が近いだろうか。ただ、彼岸へと渡った母を知る事はあっても、此岸へと残る父とは折り合いが悪い。
 その感情を持つだけでも進歩と言える気がする。
 遠い個の記憶を眼球の奥に封じ、再び瞳を開けた律は眼前に吠える怪鳥をねめつけた。己と違い少女の欲するものは我慢ではなく、自分も愛されていると知って得る安堵だ。しかし、それが受け手に届かなくては寂しいすれ違いにしかならない。
 律の足が地を蹴り、その後ろをアリスが追った。
 幽蝶の男が振るうのは如意棒の捌撃、孤高の鷲が振るうのは流星の煌めきと重力の蹴撃。
「導きや悟り等と、もっともらしく語るその口……永遠に塞いであげるわ」
 轟音と共に穿たれた身を、ビルシャナは苦悶の声と共に曲げていく。声は美海の心の叫びの様な気がしてアリスは一度目を閉じた。
(「もっと伝えていい、もっと甘えたっていい。そんな力に頼らなくても、貴女が想う気持ちを言葉にすれば其の想いに応えてくれる」)
 それは伝えたい人にはっきりと。家族ならなおさら――。
 燃え猛る声を射る如く、間合いを詰めたウィッカが二振りの喰霊刀の斬撃を放てば怪鳥の身が血を吹いた。そこから流れた吼えに導かれ、周囲へ氷の輪が生まれていく。
 その氷、極寒の刃。
 舞い散る残氷の中で顔を隠したリヒトは、ビルシャナの頬に流れる一筋に気が付いた。それは間違いなく美海の抗いだ――その姿にリヒトは自身の底に眠る『ごめんね』という言葉を思い出していた。
 それは彼と兄を残して逝った両親の残した愛のかけらだった。記憶は朧気だがその時に感じた大事な感情を忘れはしない。
 美海もそれを知ったからこそ抗っている。
 唇を噛み締めるとリヒトの手が素早く得物を振った。途端、殺神ウイルスを満たしたカプセルがビルシャナへと叩き付けられ、その手足を赤色へと変える。
「行けた、回復力が低い間に叩き込んで!」
「ん、いっくよ!」
 応えたフリューゲルが歌うのは、追憶に囚われず前に進む者の歌――どんな悲しみでもいつかは必ず癒えると叫ぶ『声』だった。同時にウイングキャットのクロエの爪が怪鳥の足を止め、その間にミュゼットの放つオーラの花と、メイザースの黄金の果実が傷を受けた最前線の者を癒していく。
 その最中で、恭志郎は視界の端に捕らえた見覚えのあるフォルムに息を飲む。それは美海の抱いていたぬいぐるみだった。何度も握られていたその手から見えた美海の心に恭志郎は心当たりがあった。
 幼い恭志郎は物心付く前に他界した両親を恋しがった事があった。
 なんでパパとママいないの――なんて、今では育ててくれた祖父母の間の笑い話で、覚えてもいないが当時の自分が寂しさから漏らした本音だという事はわかった。
 誰かに会えない不安は愛情に飢えている表れでもある。だが、自分が祖父母に愛されていた事を知った様に美海にもそれを実感してもらいたい。
 だからこそ助けなくちゃ。
 そうして己が手に携えた白綴に懸けて青年は走る。
 息を食み、喉を凍ます。転げ落ちる固唾の痛みを知らず、肺を夜気が回った。ならば瞬く間に刀を開こう。
「ほんの少しの間だけ、貴方の目にも映るよう――」
 其は一牙。
 多弁翳華と光が踊る。幾夜の贄と花が舞う。
 誰かが犠牲になって得る物なんてそんな寂しい事をさせたくはない――恭志郎の想いが怪鳥の胸を貫くと傀儡の光がぷつり、と切れた。

●散り花
 それからは羽根の波が生まれた。
 光を拭い、羽根を拭い、眼を閉じた少女が怪鳥の衣を脱ぎ捨てて恭志郎の手の中へふわりと落ちていく。それはまるで、我慢と言う殻を破った様にも見えて。
 そんな美海を望んだ菩薩の幻影は、翡翠葛の目に寂し気な色を映すとそっと伏せた。
「お待ちなさい、あなたの目的はなんですか」
 戦闘態勢を解かずにウィッカが問うも、当の菩薩の幻影は一瞥だけを投げて消えていく。その様にウィッカの眉根が僅かに寄った。
「菩薩に累乗会……何を考えているんでしょうね」
 誰かの心を揺さぶり続ける彼らの手段は、根深く人の心を支配する気がして恐ろしい。
 ウィッカがそう思案した時、不意にミュゼットの明るい声が聞こえた。どうやら美海が目を覚ました様でその手に猫の姿へ変身したフリューゲルが、ぬいぐるみを渡しているのが見えた。
 その姿にアリスはふと息を吐く。今回はこれで幕引きだが、どれ程に心を尽くしたとしても、言葉を重ねたとしても彼女の心に灯った寂しいという気持ちはまた湧き上がるかもしれない。儘ならぬその思いを、何度も拾い上げることになる。
(「……だけれど、其れと向き合って行くのが人」)
 それが可能かはまた別の話ではあるが――それはメイザースにとっては微かに覚えのある何かだった。
「我慢、か」
 自身のファミリアの喉を撫でながら告げると小さく自嘲する。
 ――そうだね、どちらかといえば我慢をさせてしまった方かな?
「……何か?」
「あぁいや、昔の話だよ」
 メイザースの答えに律は短く相槌を打ち胸元に手を当てて苦笑する。今、煙草を口にするのは少し野暮だろうか。
「冷えますね。春先ですけど」
 呟いた男は口寂し気に唇を舐める。彼岸の近い時分でも、今夜の夜気はまだ寒い。

作者:深水つぐら 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年3月6日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 1
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