きみに伝えたい

作者:小鳥遊彩羽

 校舎裏にひっそりと佇むその桜は、生徒達にとても愛されていた。
 膨らみかけた蕾は、卒業式の頃には綻んでいるだろうか。
 幾度も巡る季節の中で、たくさんの生徒達がこの桜にたくさんの願いを掛けた。
 テストで良い点が取れますように。部活の大会で良い結果を残せますように。
 ――そして、あの人に想いを伝えられますように。
 その日も、一人の女子生徒が桜の元へやってきた。
「……守矢先輩……」
 女子生徒――藤咲・美羽(ふじさき・みわ)は、桜の側で想い人の名を紡ぐ。
 次に逢えるのは、来月に控えた卒業式の日だ。
「先輩に、……好きですって、伝えられますように」
 それはとてもささやかでありふれた、けれど、少女にとってはとても大事な願いだった。
 だが――。
 風が吹き、悪戯な花粉が桜に宿る。そして、次の瞬間。
「……っ、きゃああああっ!」
 攻性植物となった桜は美羽を飲み込み、まだ蕾だった桜の花を一斉に咲かせたのだった。

●きみに伝えたい
 願掛けの桜として親しまれていた一本の桜の木が、攻性植物になる事件。
「……トキサさん」
「うん、――でも、あかりちゃんが予期してくれたからこそ、被害を防ぐことが出来る可能性が生まれたんだよ」
 ほんの少しばかり哀しげに、小さく尖ったエルフ耳を伏せる新条・あかり(点灯夫・e04291)に、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)は大丈夫だと言うように穏やかな声で告げる。
 何らかの胞子を浴びて、攻性植物となった桜の木。
 桜はすぐ側にいた女子生徒を襲って取り込み、宿主にしてしまったのだという。
 急ぎ現場に向かい、攻性植物を倒して欲しいとトキサは言った。
 攻性植物は一体のみで、配下はいない。
 だが、取り込まれた少女は攻性植物と一体化しており、普通に攻性植物を倒すだけでは、少女の命も失われてしまう。
「それを防ぐために、攻性植物の桜にヒールをかけながら戦う……ですよね?」
 確かめるように呟いたフィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)に、トキサはしっかりと頷いた。
 攻撃と回復を繰り返すことで、ヒールグラビティを敵にかけても、ヒールでは回復しきれない、所謂ヒール不能ダメージというものが少しずつ蓄積していく。それを用いて粘り強く攻性植物を攻撃して倒すことが出来れば、攻性植物のみを倒し、宿主とされた少女を救出することが可能だ。
 ただし、攻性植物が僅かでも生きている段階では、攻性植物と宿主を切り離すことは出来ない。宿主の少女を救出できるのは、あくまでも攻性植物を倒した後だ。
「この桜を、助けることは出来ないけれど……でも、叶うなら。少女――美羽さんの命だけでも、助けてあげてほしい。……頼んだよ」
 以上で説明は終わりだとトキサは緩く息を吐き出し、あかりを見やる。
「伝えたい想いを伝えられないまま、この世界にいられなくなるのは……きっと、とてもつらいことだから」
 あかりは静かに呟いて、行こう、と仲間達に呼び掛けた。


参加者
草火部・あぽろ(超太陽砲・e01028)
ムギ・マキシマム(赤鬼・e01182)
キルロイ・エルクード(ブレードランナー・e01850)
琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)
天見・氷翠(哀歌・e04081)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)
斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)

■リプレイ

 季節外れの花を咲かせ、喜びに打ち震えるように幹を震わせる桜の木。
 ただ、その木は既に桜とは呼べぬほどに変貌しており、それはまさしく攻性植物――デウスエクスに他ならなかった。
 攻性植物となった桜がグラビティ・チェインを求めて動き出したその直後、幾つもの人影が行く手を遮るように現れた。ケルベロス達である。
「みんな大好きな、すてきな桜だったんだろうに。でもこうなっちゃった以上は、仕方ないよね……」
 リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)は寂しげに言葉を落とす。桜の根元は不自然に膨らんでいて、おそらくはそこに宿主とされた少女が囚われているのだろう。
「美羽ちゃんは、ぜったい、助けなきゃ。……きっと桜さんも、望んでないはずだもん」
 確かな想いを言葉にしたリィンハルトに、そうだなと頷く声。
「恋が叶うかどうかは本人次第だが、こんな理不尽な終わり方があるか」
 キルロイ・エルクード(ブレードランナー・e01850)は拳銃形態のガジェットを構え、素早く引き金を引いた。
 放たれた弾丸が攻性植物の根の部分に突き刺さり、動きを大きく鈍らせる。
 そして、キルロイは少女が囚われているであろう場所を見つめ、告げた。
「必ず生かして返してやる。 待ってろよ、嬢ちゃん」
 哀しげな眼差しを攻性植物へと向けながら、天見・氷翠(哀歌・e04081)は薄く青味掛かった一対の白翼を広げ、黒鎖を手繰って守護の魔法陣を描き出し、まずは前衛の防御を固めることに注力する。
「桜さんも、救えたら良かったのにね……」
 叶わぬとわかっていても、願わずにはいられない。
「フィエルテさんも、お願いね」
「はい、お任せくださいっ」
 氷翠の声に頷き、フィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)は避雷の杖で前衛の前に雷壁を編み上げる。二人は共にジャマーの一角として攻性植物の回復を引き受けていたが、序盤は仲間達の能力の底上げを図ることで戦線を支えるための壁を構築した。
「……いくつもの願いを、想いを受け止め、生徒達を見送ってきた桜の木か」
 ムギ・マキシマム(赤鬼・e01182)はじろりと睨むように桜を見やり、握った拳に力を込める。
「ああ認めねえ、そんな桜の木が生徒を喰らうだなんて、そんな結末は俺が認めねえ。――止めてみせる、その為の筋肉だ」
 この身を盾とし、仲間達を守ってみせる。ムギは想いを込めたケルベロスチェインを前衛へと展開させた。
「鎖よ描け、守護の力は此処にあり。死掠殲団の意地を見せてやろう。いくぞ、あかり!」
「うん、ムギさん。絶対に止めてみせよう。……全て、雪の下に隠してあげる」
 振り返れば新条・あかり(点灯夫・e04291)が頷いて答え、後衛陣へとあたたかな雪の癒しを齎した。
 心と身体の傷を隠し、同時に潜在能力を引き出して。そうして援護を受けた後衛陣が、桜だったそれへ狙いを定める。
 すると攻性植物が大きく震え、満開の花弁を払い落とした。夜空に舞う桜の花弁は思わず見惚れしまいそうだったけれど――。
 次の瞬間、攻性植物を中心として突風が起こり、桜の花弁が後衛へと襲い掛かった。
 すぐにムギが、そして斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)が、襲い来る花弁の前に身を晒す。
「アップル、頑張るのよ!」
 琴宮・淡雪(淫蕩サキュバス・e02774)が声を掛けると、テレビウムのアップルも気合の入った表情を顔の画面に映しながら桜の花弁を受け止め、さらに画面をフラッシュさせて攻性植物の意識を引き付ける。
 淡雪は素早く霊力を纏う紙兵の護りを前衛陣へ送ると、あかりをちらりと見やった。
 今回のこの事件は、彼女が切っ掛けを掴んできた事件。だからこそ無理に気負ったりしていないだろうかと淡雪はハラハラしていたのだが、
「大丈夫だよ、淡雪さん。デウスエクスは倒すし、美羽さんも必ず助ける。――皆が一緒だから、大丈夫だよ」
 あかりの言葉に、淡雪は安堵の笑みを覗かせて。
「それでこそあかり様ですわ。……頑張りましょうね」
 すると、近射程のため前衛に届けることの出来ない暁天の陽光の代わりに、オーロラめいた優しい光が前衛陣に癒しと浄化を齎した。
「俺の力じゃ加減が効かねえ……代わりに全員纏めて支えてやる。頼むぜ、皆」
 普段は攻撃手として前線に立つことが少なくない草火部・あぽろ(超太陽砲・e01028)は、今回はメディックとして仲間達を支える要だ。
「願掛けの木をエサにするのはよくねぇな、デウスエクス。……返してもらうぜ!」
 ――それは、沢山の想いに寄り添ってきた桜。
 蕾が綻び花ひらく度、笑顔を咲かせる人も居たに違いないと朝樹は想う。
「……泪の桜雨と散らす前に、最後の尊き願いを。少女を助け出しましょう」
 だからこそ、と、伸ばした指先に綻ぶ薄紅の霧と霞柵が作り出す紅霞楼。それは少女の身の痛みであり、心の痛み。囚われた少女の血色の涙に代わって贈られる、紅華の幻想。
 触れることも逃れることも出来ない霞みの檻に囲まれて攻性植物の動きが僅かに強張ったのを視界に収めつつ、リィンハルトが相棒たるブラックスライムを解き放つ。
「むーちゃん、お願いね」
 リィンハルトの声に応えるように、捕食モードへと変じたブラックスライムがくあっと大きく口を開けて攻性植物を呑み込んだ。

 攻撃と攻性植物への回復を繰り返しながら巡る戦いの中、不意に攻性植物が蠢き、体の一部を変形させた。
 直後、そこに収束した光が一直線にあぽろへ向かって放たれる。
「――朱里!」
 光が届くより速く目の前に飛び込んできた流・朱里の姿にあぽろは目を瞠り、けれどすぐに彼が次に選ぶ手を察して隣に立った。
「超太陽砲術式、流用展開――」
 朱里が掲げるのは黒い手袋型の神器。そこにあぽろの手が添えられ、合わさった二人の力が再生の陽光を放つ盾となる。
 視線を交わし、あぽろは攻性植物へと向き直った。こちらの癒しは今のところ足りている。ならばとあぽろは己の身に宿した半透明の御業を解き放った。
「とっとと目ぇ覚ませ! 告白もできずに死にたくねえだろ!」
 叱咤激励の声と共に、御業がその想いを込めたかのような力で攻性植物を鷲掴みにする。そこへ踏み込んだリィンハルトが、稲妻を帯びた超高速の突きを繰り出し、攻性植物を穿った。
 捕縛とパラライズが幾つも重ねられた攻性植物は、それだけでだいぶ動きが鈍っているようにも見えて。
「まだ大丈夫だと思うけど、先に私が回復するね」
「うん、お願い、氷翠さん」
 あかりの声に頷き、氷翠はすっと息を吸い込んだ。
「……世界も心も引き裂いて、争いは続く……誰も、何も、喪われないで欲しいのに……」
 氷翠は透き通るような声で、あらゆる喪失や争いの悲しみを、痛みと愁いを紡ぐ。その旋律に呼応して現れた無数の水の粒が、仄かな光を帯びて月を形作り、涙を零すように光の粒となって桜の元に降り注いだ。
 氷翠の繊細な優しさは、この地球や地球に息吹くいのちだけでなく、敵にも向けられていた。
 彼らが地球とここに生きる命を脅かす存在である以上、この手で倒さなければならないことに変わりはないけれど、せめて安らかに眠ってほしいという願いを、そっと心に灯しながら、氷翠は歌い続ける。
「とことん付きあってやるとも、俺の筋肉が何のためにあるのか教えてやる」
 攻性植物が僅かに気力を取り戻したのを確かめて、ムギは縛霊手で力任せに殴りつけると同時、網状の霊力を放射して攻性植物を縛り上げた。
「――……!!」
 衝撃に攻性植物の体が歪み、声にならない悲鳴のようなものが響く。
「燃えろ、燃え続けろ」
 キルロイの声が落ちると同時、足元から吹き出した赤黒い劫火が攻性植物の半身を焼いた。
 普段よりも長期戦で、疲労こそ重なってはいるものの、戦いの流れはこちらに傾いている。キルロイは軽い笑みを絶やさぬまま、攻性植物を、そして信を置く仲間達を見やる。
 ――自らの手で散らした恋は胸の奥に秘めたまま。けれど、だからこそ、ここで少女の命を散らせるわけにはいかないと、キルロイは強く想っていた。
 アップルが凶器を手に攻性植物へ躍りかかっていくその動きに合わせ、淡雪も星の煌きを宿した重い一撃を、淡蘇芳色のエナメルピンヒールの踵に乗せて叩き込んだ。
「早く起きなさい。素敵な守矢先輩に愛を伝えるんでしょう? 貴女がそんなに寝坊助さんですと、先輩は卒業して思いを告げられないまま終わってしまうわよ!!」
 攻性植物の中で眠る少女に、淡雪は鋭く声を飛ばす。少しでも彼女を繋ぎ止めるために、取り戻すために。声に乗せた想いに、攻性植物が離してなるものかと蠢いた。
「――させませんよ。そろそろ大人しくしてくださいね」
 朝樹が手の中のスイッチに軽く指を滑らせた次の瞬間、攻性植物の体に貼り付けられていた不可視の爆弾が一斉に爆ぜた。
「必ずお助け致します。……まだ、貴女は成し遂げていないのでしょう?」
 朝樹は微笑んで、少女へと告げる。励ましの声を、諦めぬことへの想いを、それによって少女が、絶望の淵でも希望を手繰り寄せられるようにと。
 花や幹の状態を確認しつつ、まだ手番を残していたあかりとフィエルテは互いに目を合わせ、深く頷き合う。
「きっと、後もう少しだ。……頑張ろう」
「はい、あかりさんっ」
 二人で魔術切開を施せば攻性植物は活力を取り戻すが、既に塞ぎ切れない傷が増え始めていて。そこに、玉榮・陣内が追撃を加える。木香薔薇の花輪で飾られた尾を揺らしながら翼を広げて澄んだ風を送る猫をあかりの傍に置き、陣内は空の霊力を帯びた武器で攻性植物の傷跡を斬り広げた。
 枝だったものの一部が衝撃で折れ、地面に落ちる。それはもう癒し切れない傷の名残だ。
「桜、さくら――」
 あかりは、慈しむように桜を呼んだ。
 色々な想いを受け止めてきた、一本の桜。少女の想いもまた、受け止められるだけのはずだった。
 けれどもささやかな不運と偶然が、桜を桜ではない存在に変えてしまった。
 だから倒さなければならない。それは決して変えられない。それでも、あかりは想いを届けずにはいられなかった。
「――これは、『あなた』の本意じゃないでしょう?」

 更なる攻防を経て、戦いは終盤に差し掛かろうとしていた。
「もう少しだから耐えてろよ……暇なら本番のイメトレでもして待ってな!」
 極光めいた光の癒しを前衛へと届けながら、あぽろは戦いが始まった時からずっと、こうして美羽に声を掛け続けていた。
 攻性植物の動きは格段に鈍り、ケルベロス達もまた、戦いの終わりがもう間もなく訪れるであろうことを察していた。
 ゆえに、リィンハルトは攻性植物の状態を探るべく、敢えて威力の低い技を選択した。
「無禮に罰を。注げ、懲の禮雨」
 リィンハルトはそれを享受するように、空へと手を掲げた。
 魔法の力で降る血のような雨に打たれた攻性植物が、力なくその場にくず折れる。
「嬢ちゃん、もうすぐ出してやるからな」
 同じように、攻性植物の状態からこれ以上は危険だろうと判断したキルロイは、ガジェットから魔導金属片を含んだ蒸気を噴出し、怒りで攻撃を引き受け続けてきた淡雪のテレビウム、アップルに向ける。
 すぐにあかりが攻性植物へ魔術切開を施す。まだ手応えがあるのを見て取ると、ムギは自らの右腕に地獄の炎を溜め込んだ。
「さようならだ、願いを受け止めし桜の木よ、お前が生徒達を見送ってきたように、今度は俺達がお前の旅路を見送ろう。怪物としてではなく、人々に愛されたただの桜の木として、安らかに眠るといい――!」
 それは、まさに自らの筋肉を弾丸と変えるムギの技。地獄の炎が爆ぜると同時、音速を超えた弾丸の如き拳が攻性植物を撃ち貫いた。
「今までお願いを聞いたり見守ってくれて、ありがとう。私も、生徒さん達も、ずっと覚えているから……ゆっくり、休んでね」
 とうとうその場に倒れ伏した攻性植物へ、氷翠が悲しみの歌と月の光の癒しを届け、あかりとフィエルテも揃ってウィッチオペレーションに臨んだが、癒しは当に限界を超えていた。
「そろそろでしょうか? では……」
「はい、朝樹さん、お願いしますっ!」
 フィエルテの声に頷き、朝樹は再び薄紅の霧で攻性植物を覆った。
「望まずに散り逝く憐れな桜。高天原で再び咲き誇れるよう、死出への餞を贈りましょう」
 薄紅の霧、纏い付く霞柵。逃れえぬ混沌の先にあるのは、ここからでは手の届かない、遠い遠い世界。
 触れられぬ霞みの檻に覆われ、桜の花弁が一斉に散る。
 攻性植物の体が静かに解けて、在るべき場所へと還ってゆく。
 ――何れの世か、再び天地(あめつち)に慈しみの花を咲かせ給へ。
 桜の御霊の清浄を願い、朝樹は小さき声の祈りを風に乗せた。
 そうして、薄紅の霧さえも消え去った後には――。
 異形となった桜から解き放たれた、一人の少女の姿が残されていた。

 ケルベロス達はすぐに、少女の容態を確かめる。
 息があったことに安堵して、あぽろがすぐさま豊穣の極光を導いた。夜明けを映す芽吹きの陽光に包まれて、程なくして少女――美羽は意識を取り戻す。
 仮面越しに少女を見守っていたキルロイの眼差しが、ふと和らいだ。
 ケルベロス達の姿を見て不思議そうに目を瞬かせる美羽に、あぽろは明るく笑い掛ける。
「お目覚めの気分はどうだい、お姫様? ――なんてな、痛むところはねえか?」
「はっ、はい、あの……桜は……?」
 次第に落ち着きを取り戻したらしい美羽が、おずおずと窺うように視線を向けてくる。
 互いに顔を見合わせるケルベロス達。すると、翼を仕舞った氷翠がそっと美羽の傍らに膝をついた。
「ごめんね、……桜さん、助けられなかったの」
 少女が願いを掛けた桜が、攻性植物となってしまったこと。そして、攻性植物となった桜が、少女を取り込んだこと。
 ――そして、ケルベロス達の手で、桜が倒されたこと。
 一つ一つしっかりと、美羽は相槌を挟みながらケルベロス達の言葉に耳を傾け、話が終わると、静かに頭を下げた。
「……もし辛くても、どうか覚えていてね」
 美羽の背をゆっくりと撫でながら、氷翠は静かに続ける。
「桜さんの姿が見えなくても、お願いが叶うことも、きっと見守ってくれてるから」
 大切な人に想いを伝えずに逝こうと想っていた。だからこそ、抱えたままでいることの苦しさを氷翠は知っている。
「大丈夫だ、君ならきっと想いを伝えられる。だって君はこうして此処に生きているんだから」
 ムギが力強く告げると、リィンハルトがそっと美羽の瞳を覗き込んで。
「美羽ちゃんはどこまで覚えてるかな。……ね、きっと桜は君の願い、聞いてたと思うんだ」
 桜のことが怖くなったりはしていないだろうか。リィンハルトの案じるような瞳に映る美羽は、堪えきれずにぽろぽろと涙を零し始めて。
「まずは気持ちを伝えることだけ考えろよ。その後のことは、後で考えりゃいいさ。……デウスエクスに打ち勝つほどの想いだ、絶対伝わるさ」
 頑張りな、とあぽろは背を押すように想いを託す。実家の神社の祭神は縁結びこそ出来ないけれど、きっと、彼女にはもう必要ないだろう。
「桜の木は無くなってしまったけど……藤咲様の物語はこれからでしょう? 落ち込まないでくださいましね……それでもまだ気になさるなら、これから藤咲様が素敵な桜を咲かせればいいじゃない」
 そう言って、淡雪は用意していた桜の苗木を取り出した。
 新たな苗木を桜が元いた場所に植えながら、朝樹は美羽へ語り掛ける。
「祈りには、自身の力では及ばぬことへの神頼みと、為してみせるという誓いとがありますね。……貴女の願いは、何方ですか」
「……私、は」
 小さな苗木を見つめながら想いを巡らせる美羽を見やり、朝樹は穏やかに紡いだ。
「桜へ託した想いは、胸の裡に勇気の蕾として灯っている筈。――どうか花咲かせて下さいませ」
「っ、……はい」
 きっと大丈夫だと思い、リィンハルトは新たな苗木が植えられた土をそっと撫で、幾つもの願いを聞き届けてきたであろう桜へ想いを馳せる。
(「おつかれさま、ゆっくり休んでね」)
(「……おやすみなさい」)
 氷翠もまた、攻性植物と桜の双方に、穏やかに眠れるよう祈りを託した。
 戦いの跡にはヒールが施され、小さな桜を守ろうとするかのように幻想色の花が綻んで。
 身体についた小さな花弁を左手に乗せ、陣内はあかりに見せる。
 押し花にしようかという提案に、あかりは緩く首を横に振り。
 巡る新しい命に、また皆が想いを託せるように。桜の伝説の守は彼女に託したいと、互いの身体にくっついた小さな心臓の形のような花弁を、あかりは一枚ずつ丁寧に拾い集める。
「それに、僕の願いはもう叶っちゃったし」
「――もう? 全部?」
 片眉を上げる陣内に、あかりは柔らかく目を細める。
「全部、じゃないよ。半分。……残り半分は、一緒に叶えたいな。――陣、あなたと」

 そして、あかりは小さな手の中に集めた桜の花弁を美羽へ手渡す。
「桜と一緒に、ケルベロスからの祝福を持って行ってね。……大丈夫、きっと伝わるよ」
 美羽は託された花弁をそっと包み込むように握り締め、はい、と声を震わせながらもしっかりと頷いた。
 綻ぶ想いはきっと、桜が咲く頃に届くことだろう――。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年2月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
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