花とショコラに誘われて

作者:朱乃天

 風にふわりと舞って鼻を擽る魅惑的な匂い。
 花とショコラが醸す甘い香りに包み込まれた空間は、恋人達が愛を語り合う世界。
 華やかなムードが漂うその日はバレンタインデー。花のテーマパークとされる公園は、色とりどりの花で装飾されたイベント会場として、多くのカップル達で賑わいを見せていた。
 入り口となる花のアーチを潜り抜け、最初に目にする光景は、一面に敷き詰められた花のカーペット。
 その先にある広場には、イベントのシンボルとも言える、大きなハートの形のフラワーオブジェが設置されている。
 片や脇の小路に視線を移すと、並んでいるのは白やピンクの花で作られたウサギ達。
 可愛らしい案内役に誘われて、奥に進むとメルヘンチックなお菓子の家に巡り会う。
 中に立ち寄れば、振る舞われるのは、身も心も蕩けるような甘美な風味のチョコレート。
 それを一口食べたなら、幸せの味が口一杯に広がって。夢のような世界に包まれながら、恋人達が過ごす至福のひと時は、平穏な日常のままで終わる筈だった――。
 バレンタインデーの祝福を引き裂いたのは、上空から飛来して地面に突き刺さった巨大な三本の牙。それらは鎧兜を纏った竜牙兵へと姿が変わり、人々に刃を向けて襲い掛かる。
「オマエたちの、グラビティ・チェインをヨコセ」
「オマエたちがムケタ、ゾウオとキョゼツは、ドラゴンサマへのカテとなるノダ」
 ショコラの甘い香りが、咽せ返るような死の臭いに満たされて。
 公園内に咲き誇る美しい花達は、無残に散らされ、鮮やかな朱に染められてしまう。
 恐怖に怯え悲鳴を上げて逃げ惑う人々を、竜牙兵達は哄笑しながら蹂躙し続ける。
 やがて会場内は肉片と臓物が溢れる血の海と化し、骨の尖兵達の耳障りな雄叫びだけが、惨劇の舞台と化した公園に轟くのであった――。

「竜牙兵にとっては、花やチョコより血の世界の方が好みというわけか。流石に見過ごしてはおけないね」
 バレンタインデーのイベントを開催している会場が、竜牙兵に襲撃されるという事件。
 ラウル・フェルディナンド(缺星・e01243)は何となく嫌な予感がしていたのだが、それが現実に起きてしまうというのであれば、その胸中は複雑だ。
 しかしラウルのおかげで事前に予知できたのもまた事実であると、玖堂・シュリ(紅鉄のヘリオライダー・en0079)は改めて礼を述べつつ、事件について説明をする。
「竜牙兵が出現するのは、会場入り口にある花のアーチの手前辺りだよ。付近には来場客もいて、このままだと多くの人が惨殺されてしまうんだ」
 敵の凶行を止めるには、ヘリオンで現場に急行して駆け付けなければならない。だが竜牙兵が現れるより前に避難勧告を出してしまうと、竜牙兵達は襲撃場所を変えてしまうので、事件を阻止することはできなくなってしまう。
 そこで敵が襲撃するタイミングを見計らい、出現直後に突撃を仕掛けるのが、今回の主な作戦内容だ。
 ケルベロス達が戦場に到着さえすれば、避難誘導は警察達が行ってくれるので、後は戦闘だけに専念すれば問題ない。
「今回戦う竜牙兵は、全部で3体。2体は攻撃重視で簒奪者の鎌を持っていて、残り1体はゾディアックソードで後方支援をしてくるよ」
 戦闘が始まれば、敵はケルベロス達と戦うことを優先して攻めてくる。更に撤退する意思はなく、1体になっても最後まで戦い抜くつもりのようである。
 花に彩られた童話の世界のような祭典が、血染めの残酷劇に塗り替えられるようなことだけは、断じて阻止しなければならない。

「それともし無事に解決できたなら、キミ達もイベントを楽しんでいったらどうかな?」
 折角のバレンタインデーなのだから、ゆっくり過ごしていったらいいと思うと、シュリはケルベロス達に提案をする。
 会場の中心となるのは、花びらを使って大きな絵に仕上げたフラワーカーペット。
 カラフルな彩で作られた花の絨毯は、見る者の心まで華やかな気分にしてくれる。
 奥の広場に飾られているのは、ピンクのハートのフラワーオブジェ。
 脇の小路を進んで行くと見えてくる、お菓子の家のような建物は洋菓子店だ。
 花やハートの形をしたチョコや、ホットチョコレートでひと息ついて身も心も温かく。
「そんな光景を想像するだけでも胸がときめきますね。大切な人と過ごすひと時は、きっと素敵な想い出になるでしょう」
 この日新たに生まれるだろう、多くの恋物語に想いを馳せながら。
 マリステラ・セレーネ(蒼星のヴァルキュリア・en0180)は、花とショコラの薫る園にて巡る安らぎの時を心待ちにした。


参加者
ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)
神乃・息吹(虹雪・e02070)
夜刀神・罪剱(星視の葬送者・e02878)
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
輝島・華(夢見花・e11960)
小鳥遊・涼香(サキュバスの鹵獲術士・e31920)
ユノー・ソスピタ(守護者・e44852)

■リプレイ


 バレンタインデーに集う恋人達の甘いひと時が、竜牙兵の手によって、死の香漂う殺戮劇に塗り替えられようとする。
 この祝福されるべき日が血で染められるのを防ぐべく、竜の尖兵達の前に立ち塞がるのは9人のケルベロス達だった。
「楽しいイベントを台無しにするなんて、無粋なことはさせないのよ。それに……この後、イブもデートの予定が控えてるんだから、早々にご退場願いたいわね!」
 竜牙兵が人々に刃を向けようとしたその瞬間――ヘリオンから降下してきた神乃・息吹(虹雪・e02070)が、竜牙兵の注意を引き付けるように声を張り上げながら、気炎を上げて宣戦布告する。
「もしやキサマら、ケルベロスか!? こんなトコロにまでアラワれるとはな……ならば、まずキサマらからキりキザんでやろう!」
 思いもよらぬケルベロス達の出現により、竜牙兵の意識は必然と彼等の方に向けられる。
 突如として戦場と化した現場は騒然とするものの、すぐに警官達が対応してくれて。それ以上大きな混乱が起きることはなく、順調に避難誘導が進められていく。
「うわわわ……何だろうこの幸せ空間……! これは何としても守らなくっちゃ!」
 小鳥遊・涼香(サキュバスの鹵獲術士・e31920)が発した台詞は、会場に集った人々だけでなく、さり気無く恋人アピールしていた息吹も含まれていたのかもしれないが。
 何れにしても、恋人達の祭典を竜牙兵の手から守ることが使命だと。涼香の手から展開された鎖によって、描かれた魔法陣から、加護の力を齎す光が溢れ出る。
「楽しい時間の邪魔は誰にもさせません! 必ず守ってみせます!」
 輝島・華(夢見花・e11960)の小柄な体躯が高く飛び上がり、妖精の靴に煌めく虹を纏わせて、敵の脳天目掛けて加速を増した蹴りを見舞わせる。
「楽しい筈のイベントを悪意で壊そうとするのは許せないな。速やかに終わらせる為にも、私がお前達の相手を引き受けよう」
 華と共に盾役を担うユノー・ソスピタ(守護者・e44852)が、威嚇するかのように大袈裟な立ち回りで剣を振るい、眼前に立つ敵の意識を引き付けようと試みる。
 竜牙兵達は二体が前衛に立ち、一体が後方から支援する形の布陣を敷いている。
 そこでケルベロス達は敵の連携を崩すべく、華とユノーの守り手二人が敵の攻撃手を抑えている間、残りの者達で、癒し手の竜牙兵に火力を集中させる作戦に打って出た。
「花とショコラの甘い馨、芳しい世界に血の腥さなど必要無かろうよ。心がときめくような光景を、さて呼び戻そうか」
 ネロ・ダハーカ(マグメルの柩・e00662)が詠唱する魔法の言霊。古の呪詛を宿した禍々しい光が放射され、竜牙兵の全身を蝕んでいく。
「……別にバレンタイン自体に興味は無いが。だからってそれを血で染め上げるのを、見過ごすこともない」
 戦場を駆ける夜刀神・罪剱(星視の葬送者・e02878)の両脚が、炎を纏って燃え上がる。
 標的たる回復役の竜牙兵を見据えつつ、遠距離から放った罪剱の蹴りは紅蓮の弾となり、炎の渦を描きながら竜牙兵を狙い撃つ。
「甘やかな物語の頁を閉じてしまうお前らは、この場に相応しくねぇからな。此処で終いにしてやるよ」
 ラウル・フェルディナンド(缺星・e01243)が普段の穏やかな印象とは異なる険しい顔付きで、乱暴に言葉を吐き捨てながら竜牙兵と対峙する。
 構えた巨大な槌が大砲状に変形し、充填させた魔力を一気に発射。竜が吼えるが如き砲撃が、後方の竜牙兵に直撃して轟音を響かせる。
「――鉛から天石に至り、情に餓えた獣よ喰い破れ」
 緑がかった薄灰の髪を靡かせながら、アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)が唱える一節は、凍える季節に憧れ抱き、永く夢見た――殲滅の魔女の物語。
 右腕に発動された黒と灰色の紋章が、滲んで霜のように包み込み。そこから冷気が膨れ上がり、氷霧の狼と化して敵に飛び掛かる。
「寂寞敷きて氷り花、悔恨滲みて冱てる霧、心は永劫充たされる事無く――寂寥の凍咬」
 冬の気配を纏いし獣が喰らいつき、冷えた心の残滓を傷痕として刻み。餓えた『凍え』は熔けることなく、竜牙兵を魂諸共食い散らかしていく。
「ググッ……このままではミがモたぬ……。だが、キサマらのオモいドオりにはさせん!」
 本来ならば前衛の支援を行うはずであった癒し手の竜牙兵。だがこうも集中的に狙われてしまっては、それどころではない。剣に宿した星の力を自身に使って傷を癒し、我が身を守ることだけで精一杯の状況だ。
 しかしそうはさせじと、ケルベロス達は更に苛烈に攻め立てる。敵の回復手段を早期に断つことが、この戦いにおける流れを引き寄せることになるからだ。


「ワレらのタタカいはこれからだ。キサマらのチをモラうとするぞ、ケルベロス!」
 竜牙兵達もまた、容易く引き下がるつもりは毛頭ない。前衛の二体が、大鎌に虚ろう力を纏わせて、守り手二人を刃で斬り付け生命力を啜り喰らう。
「治療は任せて下さい。貴方達が負った傷の悼みは、私の力で癒します」
 マリステラ・セレーネ(蒼星のヴァルキュリア・en0180)の切なくも優しい歌声が、敵に奪われた体力を取り戻すように新たな力を呼び起こす。
「こっちも行くよ! さあ、妖精達の祝福を受け取って!」
 続けて涼香が癒しの魔力を宿した矢を番え、放つと同時に仲間へ破邪の力を纏わせる。
「この場所に、血の臭いは似合わないわ。人の恋路を邪魔したら、ケルベロスに食い千切られるんだから」
 息吹が縛霊手の掌を竜牙兵に向けて突き出すと、破壊を齎す巨大な光の帯が射出され、竜牙兵の群れを纏めて呑み込んでいく。
「初めての一緒の戦い、私と頑張ろうね、ブルーム」
 花咲く箒のようなライドキャリバーに跨りながら、華が舞うかの如く風を巻き起こし、相対する竜牙兵達を一網打尽に薙ぎ払う。
「あまり動かれると目障りだ。少し大人しくしてもらおうか」
 ユノーが土蔵篭りの呪力を瞳に籠めて行使する。宝石のような青い輝きは、魔性の化身を思わせる程麗しく。射殺すような視線で見つめると、竜牙兵は畏れを抱いてたじろいでしまう。
「バレンタインに招かれざる客の居場所はねぇ。お前らに相応しい場所は、俺達の手で送ってやるよ」
 戦場を包む緊迫感が、ラウルの心を高揚させて非情の戦士に変えていく。薄縹色の双眸を閉じて意識を集中し、高めた精神力をぶつけるように念じると、後衛の竜牙兵の肩が突然爆ぜて吹き飛んだ。
「私は血より花とチョコの方が断然好きだわ。幸せな時間、至福のひととき、返して貰うわよ!」
 アリシスフェイルが金色の輝き灯した瞳に強固な意思を込め、闘気を練って魂喰らう気の弾丸を撃ち放つ。
「花を愛でる心算がないのなら、その穢れし魂共々朽ち果てたら良いさ」
 魔女が紬ぎし真黎の頁――ネロの身体を覆う黒い残滓が槍と化し、微睡む寓話は竜牙兵の腹部を残酷なまでに抉り穿つ。
 癒し手の竜牙兵に容赦なく攻撃を浴びせ続けるケルベロス達。竜牙兵は回復力が追い付かない程著しく消耗し、命はもはや尽き欠けようとする寸前だ。
「――貴方の葬送に花は無く、貴方の墓石に名は不要」
 討つべき敵を捉える罪剱の瞳は、黄昏を抱いたように儚げで。巨大な鎌を振り翳して生じた斬撃が、前衛の竜牙兵の間隙を縫いながら、咎人を葬り去らんと斬り裂いて――。
 竜牙兵は二度と命の時を刻むことなく、力尽き果てその場に崩れ落ち。ケルベロス達はまず最初の一体を撃破した。
 狙い通りに癒し手を先に倒したことにより、後は残りの二体に専念しさえすれば良い。
 ケルベロス達は尚も手を緩めることなく攻め続け、戦いを優位に進めるのであった。

「さあ、この調子で残りも片付けてくよ!」
 味方の被害も最小限に抑えられている。体力に余裕のあるこの状況ならばと、涼香は攻めに転じて仲間の援護に加わって。黒鎖を操り、竜牙兵を捕らえて巻き付ける。
 そこへウイングキャットのねーさんが、竜牙兵の顔に飛び付き、伸ばした爪で掻き毟る。
「グヌヌッ……このテイドのコウゲキなど、キかぬ!」
 竜牙兵は締め付ける鎖を力尽くで振り払い、鎌を涼香目掛けて投げ飛ばす。
 高速回転しながら死の刃が迫り来る。その時、ユノーが咄嗟に間に割り込んで、無骨な剣を盾代わりにして飛来してくる鎌を受け流す。
「こいつはお返しだ。有難く受け取ると良い」
 ユノーはすぐさま敵に駆け寄り距離を詰め、竜牙兵の頭蓋を狙って返す刃を振り下ろす。
 竜牙兵は慌てて鎌で受け止めようとするものの、威力に押されて鎌は真っ二つに砕かれてしまう。
「――奇跡は、確かにここにありますの」
 この好機を逃すまいと、華は掌の中に魔力を集め、青い薔薇の花の形が創られていく。
 青い花弁が冬の風に舞って飛び、竜牙兵は薔薇の檻の中へと囚われて。まるで夢でも視ているかのように、魂が昇華される奇跡を目の当たりにする。
「ねぇ――。イブと一緒に、楽園から逃げ出しましょう?」
 抗う力すらなく、後は死を待つのみの竜牙兵に息吹が手を差し伸べる。彼女の掌に乗っているのは、虹色に煌めく銀の林檎であった。それは少女と同じ眸の色をして。娘は薄く微笑みながら、誘うような甘美な声で呪文を紡ぐ。
 すると果実はたちまち弾け飛び、甘い香りが満ち満ちて、天国も地獄も彼女の望む侭――魅せられる夢の世界は、未来永劫醒めることはなく。
 彼の者が食した味は、罪の味。夢の続きは、常世の果ての涯まで、いつまでも――。


 斯くして残すは後一体。ケルベロス達はこのまま一気に決着を付けるべく、竜牙兵に猛攻撃を仕掛けて畳み掛けていく。
「安心しな、すぐに後を追わせてやるよ」
 月彩が如き花の模様が刻まれた、銃把を強く握り締めながら。ラウルは敵の足元狙って引き金を引き、放たれた弾丸は地面に当たって跳ね返り、竜牙兵の窪んだ眼窩を撃ち抜いた。
 更に翼猫のルネッタが、ラウルと合わせるように尻尾の輪を飛ばして追い討ちを掛ける。
「この場所は甘くて華やかな、童話のような世界なの。だからこんな血生臭い戦いは、これで終わらせてもらうわよ」
 アリシスフェイルの両手に携えられた、互いに対なす二本の剣。それらを巨大な鋏のように交えさせ、蝶と星とが舞うかのように振り抜けば。刃は敵の霊体のみを斬り払い、竜牙兵に深手を負わせて追い詰める。
「祈りは済ませたか? せいぜい手向けの花くらいは、くれてやる」
 ――それは赦しを乞う告解者の如く。罪剱が剣に空の霊力込めながら、罪を断ち切るように刃を真一文字に斬り下ろす。
「呼吸をしろ、鞴を絶やすな、ネロの令だ――」
 柩の魔女の唇から囁かれるのは、炎の睦言。愛の替わりに赫灼燃ゆる焔を燈し、異形と変じたネロの両腕に、遍く総てを焼き臥す嫉妬の炎が燃え盛る。
「君らはチョコレートではないのだもの、触る手が多少燃えていたって平気だろ?」
 燈した熱を鼓動と共に口吻けするように。竜牙兵は死の恐怖に慄きながら業火の柩に焚べられて、その身は骨の髄まで灼き尽くされて灰燼と化し、跡形残らず消滅していった――。

「……まあ、安らかに眠ってくれ」
 罪剱は骸となって消え逝く竜牙兵達を一瞥すると、表情を変えることなく、ただ心の中で静かに冥福を祈った。
 戦いを終え、静まり返った戦場は、再び恋人達で賑わう花のショコラの祭典として、その本来の光景を取り戻していくことになる。
 幸せな空気に包まれた空間を、眺めるのみの罪剱の心は、何を想っていただろう。
 誰も愛さない癖に、誰も見捨てられない――だから僕は、何も手に入れる事が出来ない。

 戦いから一歩離れれば、ケルベロス達も笑顔に戻り、バレンタインデーのイベントをそれぞれに楽しんでいた。
 小路に並ぶ花のうさぎに案内されて辿り着いたのは、お菓子の家の洋菓子店だ。
 ユノーは旅団の仲間にお土産でも買っていこうかと、店に入って中を見渡した。
 販売されているのは、ハートや花の形をしたショコラがメインのようだ。ユノーは見た目が楽しめそうなものならと、目に付くお菓子を選んで購入し、袋一杯抱えて嬉しそうに微笑んだ。

 会場の至る所に飾られている花のモニュメント。涼香はデジタルカメラ片手に、それらを写真に撮りつつ会場内を見て回り。少しひと息入れようと、お菓子の家に足を運ぶ。
 店のテーブル席に腰掛けて、カメラに収めた写真の画像を確認し。ホットチョコレートを一口飲めば、口の中には蕩けるような甘さが広がって。
「……ん、あつ……でも美味しい! ねーさんも飲んでみる?」
 彼女の肩に乗りながら、写真を見ていた翼猫にもカップを差し出し、一緒にほっこり気分を味わった。

 メルヘンチックなお菓子の家に訪れたのは、華と彼女に誘われて来た景だった。
 華にとって景は尊敬し、目標としている女性であって。そんな華のことを景もまた、友達ではあるが妹みたいに可愛らしい女の子だと。
 姉妹のようにも思える2人は、一緒にホットチョコレートを飲みながら、身も心も温まるひと時に安らいでいた。
「甘くて温かくて……幸せな味ですね」
 身体の芯まで温まり、心に染み入るようにほっと息を吐き。綺麗な景色に包まれながら、幸福感に浸っている華に。景は来場している恋人達を目にしつつ、ふと思い浮かんだことを口にする。
「そういえば……華さんは意中の方は、未だ?」
 唐突に恋の話を振られた少女は、口篭ってほんのり顔を赤らめ、恥ずかしそうに俯いて。
 廻る想いは、青紫色の瞳が映す、口に運んだカップの中の世界へと――。

 胸躍るような花の絨毯を、辿った先に待っているのは、御伽噺を感じさせるお菓子の家を模した洋菓子店。
 甘く漂う香りは夢への招待状のようであり。ラウルは誘われるが侭に、シズネと一緒に家の中へと上がり込む。
 お菓子の家は食べられないと知り、残念そうに気落ちしているシズネの口元に、ラウルが木苺纏うショコラを一粒差し出せば。シズネは子供のように、あーんと大きく口を開けてショコラを迎え入れ。幸せの味に思わず顔を緩ませる。
 可憐な花の姿や彩を宿すショコラは、口に運べばふわりと蕩けて。甘やかに残る夢のような芳香は、魔法使いが魔法をかけたかのように。先程までの沈んだ気持ちも忘れるくらい、嘘のようにすっきり晴れていた。
 彼の無邪気な姿はやっぱり可愛いと、自然と笑みが咲き溢れるラウル。
「この後2人で一緒に、御伽噺の続きを探しに行こう?」
「御伽噺の続きは、はっぴーえんどがいいなあ」
 などと言葉を交わし合い、心蕩かすショコラの世界を心行くまで愉しんでいた。

「どうしても、お菓子の家のチョコを食べたくて……!」
 アリシスフェイルは花のチョコが詰まった箱を手に、心浮かせて公園内を練り歩く。
 花にショコラに、恋人達に。園内には甘い空気が満ち溢れるが、奏多にとってはその全てこそ、むしろ苦手で居辛さすら覚えてしまう程。
 折角のバレンタインデーだから彼を誘ってみたけれど、我が儘だったみたいと困惑気味な彼女の様子に、いつも表情一つ変えない男も流石に心苦しくなってしまう。
 その時、花のうさぎに惹かれるように足を止め、つい見入ってしまう彼女の傍らで、奏多も一緒に倣って白やピンクのうさぎをじっと見る。
「……可愛いな」
 感情を表に出すことなど滅多にない彼が、珍しく零した呟きに、アリシスフェイルは一瞬目を丸くして。偶には素直に言えたりするのだと、何だか嬉しくなって彼の方を向き、少しはにかむそうに笑顔を返す。
 奏多が一番見たかったのは、彼女のその顔だったと、決して口に出しては言わないが。仄かに浮かぶ微笑みが、彼の想いを表していた。

 ハートのオブジェが見たいと、息吹が足取り軽く手を引けば。ベルノルトは少女に引かれるが侭、広場の方へと足を向ける。
 何処も彼処も花に溢れて、風が運び届ける優しい香りが鼻を擽って。イベントのシンボルとも言える、ハートのフラワーオブジェを目にすれば。わあっと感嘆の息が漏れ、暫く時を忘れる程に見惚れるのであった。
 その後も二人は公園内を散策し、途中で脇の小路の花うさぎと目が合って。追い掛けていくとお菓子の家があるのよと、白い少女が目を輝かせれば、灰色の髪の青年も応えるように笑いかけ。
 でもどうせチョコを贈るなら、手作りの方がいいかもなんて、複雑な乙女心に戸惑う少女の想いをベルノルトは察したか。
「花と香る魅惑の甘味すら、貴方に敵いはしませんよ」
 繋ぐ白磁の手の甲に、そっと口付け交わすと。少女の色白の肌が薄ら赤く色付いて、息吹は照れ臭そうに寄り添いながら、上目遣いで彼の顔をちらりと見上げる。
「もう。ベルさんは、イブを過大評価し過ぎだったら……」

「ねえ、チョコレートはお好き?」
 夜色の瞳に映る、花のオブジェに口元綻ばせ。これも何かのご縁だと、一緒にショコラを食べに行こうとマリステラを誘うネロ。
 不意に尋ねられたシスター服の少女は、こくりと一つ頷きながら。ええ、勿論です、と。
 マリステラの花咲くような微笑みに、ネロも笑顔で返して。まずは花の絨毯から歩いていこうかと、足元を彩る色とりどりの花の絵に、心も弾んで華やいで。
 花を愛で、ショコラの甘い薫りに癒されるひと時は。良き想い出として、二人の物語の頁に綴られるだろう――。

作者:朱乃天 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年2月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。