ある晴れた日に

作者:OZ


 くらい、くらい夜の果てに夜明けを見た。
 闇に煙っていた道を照らす陽光に、どうやらその人物は正義を見たらしかった。
 わたしは、と最初、その声は震えていたが、すぐにその震えは小さくなった。
 夜明けの正義を宣言します、と。
 その声は告げた。
 ひとしずくだけ涙が散って、大きな、大きな羽根が舞った。


 どうやら寒いらしい。九十九・白(白夜のヘリオライダー・en0086)は冷えた指先を握り込みながら、ケルベロス達を見遣った。
「……なんか俺、ほぼ毎回ビルシャナについて話してるような気がします」
 それかドリームイーター、と白は少しばかり笑って、それからどこか妙に穏やかな調子でいつも通りに一言を告げる。
「仕事です。ビルシャナの。――とは言っても、俺がこのパターンのビルシャナ事件をお願いするのは初めてですね」
 かじかみつつある指先で、メモの頁を捲る。
「この頃出現し始めた『大正義』タイプのビルシャナです。個人的な考えにおいての大正義を目の当たりにして――」
 白は少しばかり、その時点で目を眇めた。
「……その場でビルシャナ化する、みたいですね。個人の事柄について絶対的なこだわりを持ち、それが『大正義』であると信じる。……うーん」
 正義、ともう一度白は零した。
「随分と多様なものだと思うんですけどね、俺は。正義って」
 まあそれは置いておくとして。そう続けた白は、ヘリオライダーの顔へと戻る。
「まあ、やはり増えるみたいなので。……大正義を信じる心を以てして、一般人を信徒とし、新たなるビルシャナを生む……なので、まあ、皆さんにやっていただくことは相変わらずひとつなんですけどね」
 撃破の二文字をあえて告げずに、白は苦笑した。
「この大正義ビルシャナは、大体が出現したばかりで配下はいません。ただ、出現する場所が問題で、一般人が溢れてる場所でビルシャナ化したなら、その大正義に影響を――感銘を受けて、信徒と化す人もいるでしょう。……場合によっては、最悪そのままビルシャナが増えます」
 ただ、と言葉は続く。
「皆さんが戦闘行動を取らない限り、イニシアチブはこちらにあると考えてください。このタイプのビルシャナは、自分自身が掲げる大正義に対して、賛成であろうと反対であろうと、『意』を唱えられれば反応します。それでも、皆さんの『意』が本気のものでない限り、ビルシャナの正義の矛先は一般の人間に向けられるでしょう。……どんなものを掲げていようと、ビルシャナにとってはそれが心底の正義、みたいですね」
 白は最初と同じように、冷えた指先を握って開く動作を繰り返した。
「場所はちょっとした観光地です。……朝日を見るちょっとした軽登山、がウリの。狭くはないですが広くもない、街の高台、くらいを想像してください」
 一息。
 冷え切った空気の中に、話し手の名前と同じ白さが吐息として溶ける。
「……今回皆さんに相手取ってもらうビルシャナの正義は、『夜明け』。くらがりの中を進んできた人が――成ってしまった、の、かと。……俺は思いました」
 多くを語らず、それきり暫く黙ったヘリオライダーは、ふいと視線を動かして、蹲っていた人影を見て、ふと笑った。
「……あなたも行くんでしょう?」
 その言葉に視線をちらと投げて、夜廻・終(en0092)はいつも通り、幽かに頷いた。


参加者
雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)
シグリット・グレイス(夕闇・e01375)
木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)
水無月・一華(華冽・e11665)
ドミニク・ジェナー(激情サウダージ・e14679)
凍月宮・花梨(魔剣使い・e39540)
ココ・チロル(一等星になれなかった猫・e41772)

■リプレイ


 叫ぶような夜明けだった。
 地平線のさらに遠くから、光がやってくる。善悪も関係なしに全て焼き尽くそうとするその光は、断罪の炎にも似ているように思えた。
「……くそ、始まってやがる」
 シグリット・グレイス(夕闇・e01375)が不快そうに顔を顰めた。
 正義を。
 そう声がした。
「狂気も、後悔も、なにひとつ感じない。……彼、あるいは彼女にとって――その胸に抱いた『正義』は、正しく、信じるに値するものなんだろうな」
 駆ける速度をぐんと上げて、アルスフェイン・アグナタス(アケル・e32634)が口にする。目指す地点にて起こりはじめたざわつきが、薄氷のような空気を通してケルベロス達に届いていた。
「大正義ビルシャナ、か。ふとした瞬間に目を奪われたり、感動したり……それ自体は分からなくもないけどね」
 でも、と雨月・シエラ(ファントムペイン・e00749)が言う。
「ビルシャナにまでなっちゃうのはやりすぎかな」
「何ともやり難い相手だね。まぁ、どんな相手であれ、私達ケルベロスが負けるわけにはいかないよ」
 凍月宮・花梨(魔剣使い・e39540)が橙の髪色を宙に躍らせながら応じた。
「いつだってね」
 眼前を見据えて駆ける花梨の視線は、今回の目標よりもずっと遠くを捉えている。
 届くざわめきが、戸惑いと恐怖の色を混ぜ始める。
 その戦ぎを感じて、ドミニク・ジェナー(激情サウダージ・e14679)はぐっと腹に力を入れた。
「……ああ、ッとに……」
 囁くような悪態。
「きれいなもンだよ、ほンとになァ」
 眩すぎる光が影をも照らす。
 隠れる闇すらありはしないのだとドミニクに知らせるように。


 開けた高台の最奥に――見方を変えるならば最も前に、それはいた。
「ビルシャナ!」
 木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)が声を張った。
「ほんと、夜明けっていいよな。あんたの主張に全面的に賛成だぜ」
 その声は歌うようによく通った。ビルシャナがケルベロス達に視線を向ける。
 ドミニクと夜廻・終(よすがら・en0092)、そして水無月・一華(華冽・e11665)がその場に居合わせた人々へと避難を呼びかける。戸惑いながらも、明らかな異形の姿を目の当たりにしているという事実は揺るがないのだろう。人々のざわめきは一瞬大きくなったが、ケルベロスという名乗りの効果は、それよりも遥かに大きかった。
「あなたたちは、」
 ビルシャナの声は震えない。
「光、……正義なのですね。彼らにとっての。世界にとっての。そして――」
 笑ったのだと、そう誰もが感じた。
「わたしにとっても」
「……? お前にとっての大正義とやらは、夜明けじゃないのか」
 シグリットが問う。
「如何にも。……けれど、それだけではない。わたしの中にある正義は如何にも、その通り。けれど――、そう、けれど、です」
 それだけではない、と。
 ビルシャナは繰り返した。
「……私もね、キミの思いを否定できない」
 シエラが口を開く。
「日が昇る瞬間は私も、好き。朝日が夜闇を溶かしていくような……長く昏い夜が終わって、新しい一日が始まるんだ。心が洗われるような、そんな思いに満たされる」
「……そう、それこそ、そのとおり。正義か、そうじゃないか。……そんな風に、断じることができる、ものでしょうか?」
 ココ・チロル(一等星になれなかった猫・e41772)は問う。
「夜明けは確かに、美しい、です。昇る朝日は、新しい一日の始まり。新しい気持ちで今日もまた、がんばろうと、思わせてくれる力が、あります。けれど、」
 そこまで告げて気付く。ビルシャナと同じ言葉を使ったことに。
 しかしココはそこに目を瞑る。
「……けれど、夜もまた、暗く悲しいだけではなくて、孤独を隠し、優しく包んで、夜明けへ連れて行ってくれる時間と、私は、思います」
 ビルシャナの眼は穏やかだった。
「……そうだな。俺も宵は好きだよ。巡るからこそ好いというものだ。――盲目の徒には分からぬようだが」
 アルスフェインの言葉に、ビルシャナの眼が、更に深く、穏やかに笑う。
 意図が掴めずに目を眇めたアルスフェインに向けて、ビルシャナは口を開いた。
「わたしは、あなたたちには……盲目に、見えてしまうのですね。……ああ」
 それは、とても悲しい。
 ビルシャナはそう呟いた。羽毛に覆われた、かつて人のものだった手のひらをじっと見つめ、握り、開く。
「……わたしは、ほかの正義を否定しませんよ」
「っ、なに、言って――」
 避難誘導を済ませた三名が集う。声を荒げそうになったのは終だった。ドミニクがそれを制する。その様子を見て、ビルシャナは再び微笑んだ。
「例えば昔の小説の……ドラキュラなんかにとっては、闇夜こそが己を守る正義でしょう。日中に生きる生き物が畏れる闇こそが。……正義というものは、当人が見ている物事の一方に過ぎない。……ですからこれは、優先度の違いです。わたしにとって、夜明けは。……ほかの誰かがいちばんにしている正義よりも、わたしにとって、いちばんにしたい、しなければならない正義だった」
 誰だってそうでしょう? そうビルシャナは続ける。
「正義は、正しさはいつだって暴力的だ」
「そんな、こと――」
 花梨の声がほんの幽かに震えた。
「……だって現に、あなたたちはここにいる。正義の権化として、ひと以外のものに成ったわたしを、ひとにとって都合よくできている正義において、倒すために。……わかりません。どうしてです? 何故――」
 鳥の瞳が、瞬きをする。
 涙が落ちた。
「正しさの在り処は、ひとによって違うのに」


「……暗き道は、さぞ恐ろしかったことでしょう」
 誰もが二の句が継げずにいた中、一華が静かに口火を切った。
「……正義とは……水に同じと、わたくしは思います。形は無く匂いも無く、手に取る者一つで色も、意味たる味も変わる」
 いえ、と言葉を挟む。
「……あなたは、ほとんどこれと同義のことを仰っていたのだと思います。そして――あなたは、歩き続けていた。あなたが『夜明け』に正義を見出したのは、闇が晴れたからなどではない。暗き道を、道無き道を、今も尚歩き続けているから」
 ビルシャナはもう一度微笑んだ。
「辛くとも苦しくとも、あなたには勇気があった」
 一華の柔らかな言葉は、それでも、とても強い。
「その勇気ごと、鳥に食わせるなぞあまりに惜しい」
 だからこちらにと手を伸ばす。
 それでもビルシャナは首を横に振った。何故、と口をついて出そうになったところで、シグリットが口を開いた。
「俺に『も』、お前の夜明け――光。太陽みたいな存在がいてな。俺にはもったいないくらいの眩しすぎるそれが近くにできてから、俺はずっと白夜にでもいる気分だ」
 夜明けどころじゃない、とシグリットは薄く笑った。
「俺はずっと夜にいた。太陽がそれを照らしてくれた。……俺には分からなかったし、今だってきっと分かっちゃいない。何が正義かなんて」
「……そうだな。明けぬ夜がないってことは、必ず光が俺達を照らしてくれるんだ、ってことは。俺達の寄す処だ。救われる思いがするぜ」
 ウタが言う。
「登ってくる太陽は凛々しくてカッコいいし、光の中で空気がキンってしてくるのも、今の時期はまあ寒いけど、身が引き締まる思いがするぜ。……ほんとにな、最初に言った通り、いいもんだと思うんだぜ」
(「俺、は」)
 アルスフェインは誰にも気付かれぬように唇を噛んだ。夜明けに惹かれたことも勿論ある。『けれど』宵も好きだとアルスフェインは自認する。
(「そうだ、このビルシャナは、いや、こいつは」)
 ほかの正義を否定しない。そう言ったと、アルスフェインは脳内で反復する。そして見つける。意を唱えれば、そうヘリオライダーに言われたからこそ言葉を考えた部分は勿論ある。だが。
(「意見を、『正しいもの』として押し付けようとしていたのは、どちらだ?」)
「……ごめんなさい。それでも、やっぱり、私は」
 ココが口を開いた。
「あなたが言うみたいに、あなたの言う『夜明け』を、『いちばん』にすることは、できません」
「……悔しいな。わからなくなりそうだよ」
 ココの言葉を継ぐように、シエラが言う。
「夜明けが、光が正義だってキミは言った。でもね、思うの。その光に照らされる度に、背中に出来る影の闇は、とても深くて、色濃いものだ、って。影を生んでしまう一方からの光は、ほんとに正義なの?」
 シエラの問いに答えられる人間は、この場には誰一人としていない。
 ドミニクは、閉じていた目をそっと開いた。
「……なァ、」
 先ほどビルシャナがそうしたように、ドミニクは己の手のひらを見つめた。
「……どうしたら思えンだろう。明けた世界に、朝の中に、いつまでも居れンだって、どうしたら思える?」
 声が震えていた。
「光を、明るい世界を知って、夜の闇の深さがもっと怖くなった。オレがいつか見たように感じた光は、夜明けの光なンかじゃねェ、残照だったンじゃねェかって、その、疑念が振り払えねェンだ」
 久遠の残照が、光を閉じる前に輝くように。
「そンならオレは、いっそ、夜明けなンぞ、」
「だめだ!」
 ドミニクの独白を、叫ぶように終が止めた。
「『そんなの』はだめだ、ドミニク! 『かもしれない』なんかに、自分をころされちゃ、だめだ……!」
 終、とドミニクが名を呼ぶ。涙を一杯に溜めてドミニクを見つめた後、終はビルシャナを睨みつけた。
「わたしだって、たくさん、考えた。考えて、考えて考えて考えて、たくさん迷って、進めなくて、……っ、今だって進めないままだ!」
 誰も武器を構えなかった中で、終だけが獲物をとった。
 小さな身体に見合わないガトリングガンの先が、叫びに合わせてぶれた。
「……おまえも、考えたんだって、よくわかった。たくさん考えて、迷って、夜明けがきれいだったから、それにすがった。それは、どんな意味だって、進んだってことだ。自分で決めて、進んだってことだ……! だから、……少なくとも、わたしは、おまえのことを責めたりなんかしない。できるはずない。でも――、でも!」
 わたしたちは、ケルベロスなんだ。
 消えそうな怒鳴り声を上げた終に、ビルシャナは目を閉じる。
 頬をも覆っている羽毛は、しっとりと濡れていた。
「……ああ、やはりあなたたちは、『夜明けの正義』だ」
 ビルシャナはゆっくりと光を、胸に抱いた。
「これが、わたしの光です。……さあ、」
 どうぞ、正義の使途よ。
 微笑。それと共に、ビルシャナが抱える光が眩さを増す。
「わたしの光を、それよりも眩い光で」
「……そう、だね。私のすることは一つだけ。最初に言った通り。どんな相手であれ、負けるわけには――いかない!」
 花梨が獲物を抜く。
「言ったぞ、ビルシャナ」
 シグリットが呟いた。
「……俺は正義が何かなんて、やっぱりきっと分かっちゃいない。だが、だからこそ、いつの日か、自分の信じた『正義』が本当の正義だと証明できる日まで、俺は自分の、正義を信じよう」
「本来は俺達が守るべきだったあんたを、――俺達自身の手で倒さなきゃならないんだからな。ったく、鳥野郎どもが」
 ウタが如意棒を構え、一華もまたその動きを補佐するように動いた。ココもきゅっと唇を結ぶ。ウタは目を細める。
「せめて、夜明けの中で逝かせてやるよ」
「……ああ、その通りだ」
 アルスフェインもまた、武器をとった。
「……俺があの日見た暁明ける空は、格別なものだった。だが、俺はあれを正義とは呼ばない。俺にとって、あれは」
 一瞬だけ、息を止める。
「そこに在って、偶然出逢えたものだ」
「ビルシャナ、私は――」
 シエラが飛び込む。
 動きに合わせて空を泳いだ髪に隠され、その表情は見えはしない。
「覚えておくね、キミの『夜明け』のこと」


 眩い光が、ゆっくりとその鋭い矛先を収めてゆく。
 地平線を裂いてやってきた光は、拡散して辺りを照らし、穏やかなそれになりつつあった。
 ビルシャナは仰向けにどうと倒れ、目を閉じていた。もうすぐ消えるだろう呼吸に、浅く、浅く胸が浮いて、沈む。
 誰も、何も言わなかった。
 ビルシャナが薄らと目を明ける。
「……ふふ」
 己を斃した者達をそっと視線でなぞり、ビルシャナは微笑んだ。もう、その瞳に涙はない。それから重たそうに鳥の首を動かし、日の光となったかつての暁を瞳の中に入れる。
 ありがとう、と、そう聞こえた。
「ああ……、ここは、とて、も、あたた、か――」
 薄く開いた嘴は、瞳は、それきり動かなかった。

(「……撃てンかった。……違う」)
 撃たなかった。
 ドミニクはその場にしゃがみ込んで、ぐっと拳を握る。
 ――どうすればいいのかが、わからなかった。
「どみにく、」
「つ」
 名を呼ばれたから、名を呼ぼうとした。それを乾いた音が邪魔した。叩かれたのだと気付いたのは、頬に浅い痛みがじんわりと響いたからだった。
 終だった。半ば呆然と、己を叩いた少女をドミニクは見つめる。
「……っ言った、はずだ! わたしは、どんな鬼がきみを食べに来ても、絶対にたすけるって! だ、から、だから……! 光でもない、闇でもない、ずっと続く残照でもない、鬼なんかに、食べられないで……ちゃんと、きみが、きみを生かしてよ!」
 泣かせてしまった、と認識した途端に身体が動いた。かつて、誰かにそうしたように。幼子をあやすように――まさにその通りなのかもしれないが――終を抱きしめる。ごめん、ごめんなと意識の端で言葉が漏れた。
 叫んでいた夜明けは、今はもうその声を潜めているようだった。

作者:OZ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年2月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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