失伝救出~落陽の時

作者:譲葉慧

 傾きかけた陽の光が、木々の梢の間から射し込み、古びた石壁を薄茜色に照らしている。
 年代を経てはいるが、石壁と鉄製の扉は人の手であちこちに修理や強化がなされており、どっしりとしたその構えは、見るからに守るに易く攻めるに難い。
 だが、森の中から現れた者達は、それらを目前にしても欠片の躊いもなく、骸骨姿を堂々と晒し、扉前へと向かってゆく。一体が剣と短剣を両手に抜き放つと、他の骸骨も追従するように抜刀する。
 招かれざる者を前に、鉄扉が開かれた。扉の向こうには、甲冑をまとった騎士達がいた。隙間なく整列した彼らは、勢いよく突進し、攻め寄せる骸骨と扉前でぶつかり合う。重厚な甲冑と剣が正面からかち合い、激しい金属音を立てる。
 騎士達が押し返し、戦線が扉から少し離れたところで、扉は元の通りきっちりと閉じられる。
 再び扉が開かれるのは、この戦が決着した時のみだ。

「危ない!」
 鋭い角度で抉り込まれる短剣を、一人の甲冑騎士が仲間の代わりに片手半剣で受け止めた。短剣の勢いは削がれたものの、甲冑の隙間を斬られ血の玉が宙に飛ぶ。
 絶望的な戦いだった。闘っている相手は竜牙兵、デウスエクスだ。数では甲冑騎士の方が勝っているが、グラビティの力は竜牙兵の方が数段上であるのは、最初からわかっていたことだった。
 改めて今、身をもって知ったはずなのに、それでも何故か、その時彼は絶望しきってはいなかった。こんな時はきっと、必ず――だが、その先に続く言葉が思い出せない。
「……マグナス!」
 自分を呼ぶ同朋の声が、彼の意識を引き戻す。
「マグナス、ここはやはり保たん! 私はあれを使う……後を頼むぞ!」
 そう言い、その甲冑騎士は、歯に仕込んだ薬物をかみ砕き、竜牙兵の只中へ飛び込んでゆく。
 もはや人とは思えない同胞の狂った咆哮に、マグナスの思いは心の隅へと追いやられてゆく。戦わなければ。戦うためだけに自分は存在しているはずではないか。

 壮絶な消耗戦の末、戦闘は終わった。倒された竜牙兵は消滅し、地面に倒れているのは甲冑騎士達ばかりだ。
 生き残った甲冑騎士達は、黙々と同朋の手当を始める。
 マグナスは、狂戦士と化した同胞の兜を外した。血走る目を剥いた断末魔の表情を見、無言のままその眼を閉じさせる。彼は覚悟していたのだ。度重なる劇薬投与の限界が来ることを。
「生き残れる者はいるか?」
 手当て中の同胞に問うと、皆、否と答える。外法の紋を全身に施した者は、その反動で全身が萎び、肉体改造を究めた者は、穴という穴から血を流しつづけている。
 ありとあらゆる法を用い生死の狭間を乗り越え、甲冑騎士になっても、そうまでしても、デウスエクスと互角ですらない。
 そして、いつかは必ず、代償を払う時がくる。倒れている同朋達のように。
 落陽が、生者と死者を等しく照らし、黒々とした影が地に伸びる。
 それは長い長い夜を告げる先触れであった。


 ヘリポートは発着するヘリオンや、作戦説明を行うヘリオライダー達が慌ただしく出入りしている。いつも通りの光景だ。
 マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)も駐機中のヘリオンの側で、ケルベロス達を募っていた。
「ワイルドスペースに囚われた失伝ジョブ者の救出作戦に参加できる者はいないだろうか?」
 寓話六塔戦争で、悪い魔女ポンペリポッサにより囚われていた失伝ジョブの人達が救出された。だが、戦で得た情報によると、一部の失伝ジョブ者がワイルドスペースに囚われたままなのだという。
 年末頃から彼らの救出作戦が行われ、新しい年を迎えた今も作戦継続している。
 マグダレーナは呼びかけに応じてくれた目前のケルベロス達に、感謝する、と短く言葉をかけ、まず作戦の大筋を説明し始めた。
「ポンペリポッサは、失伝ジョブ者をワイルドスペースに捕え、手駒とする為に洗脳しようとしているのだ。その為に施された仕掛けが、大侵略期の残霊達だ。過去に非業の死を遂げた残霊と共に、その絶望の道行を辿らされる。心が折れるまでずっとだ」
 一刻も早い救出を、と逸っているらしいケルベロスに、マグダレーナは黙って頷いてみせ、先を続ける。
「このワイルドスペースは、失伝ジョブの者の為に作られている。それ故、救出に入ることができるケルベロスも失伝ジョブ者に限られているのだ」
 寓話六塔戦争後、失伝ジョブに目覚めるケルベロスが現れはじめた。今も、ヘリポートに多くの失伝ジョブケルベロスが訪れており、各々の戦いへと発っている。
 目前の失伝ジョブケルベロスへ、マグダレーナは自身が視た戦場の様子を語る。
「私に視えた様子では、戦場は森の中、ある施設に巡らされた防壁の唯一の出入り口、扉前だ。そこで、10体の竜牙兵と、20名の甲冑騎士が交戦している。失伝ジョブ者は甲冑騎士のうち5名。残りは皆、過去の残霊だ」
 ワイルドスペースに入れば、交戦開始と同時に戦場に介入できるはずだ、そうマグダレーナは付け加えた。
「5人の失伝ジョブ者は、ワイルドスペースの力で、悲劇の登場人物である、大侵略期の甲冑騎士だと思い込まされている。彼らを絶望から解き放ち、希望を取り戻してくれ。そうすることでワイルドスペースから救出可能となるのだ」
 マグダレーナは、そこで言葉を切り、ケルベロス達の目を見ながら、言い含めるように、気持ちゆっくりと語る。
「ワイルドスペースの力はケルベロスにも及ぶぞ。長居すれば、失伝ジョブ者と同様に残霊化した悲劇に取り込まれてしまう。作戦完了後は速やかに脱出してくれ」
 そして、マグダレーナは鞄から資料を取り出し、既に交戦した者もいるかもしれないが、と言いつつ、ケルベロスに見せた。資料には一般的な竜牙兵の姿が描かれている。
「奴らは、ゾディアックソードと惨殺ナイフで攻撃してくる。その動きだが……接近戦で戦線維持する者が5体、残り5体は間合いを大きく取っている。視える限り、攻撃に偏重しているな。この布陣は、残霊の甲冑騎士には脅威だ。可能ならば彼らも守ってやってくれ。失伝ジョブ者の絶望を払う助けになるはずだ」
 質疑応答も終え、ケルベロスが資料を確認し終えたところで、マグダレーナは資料をしまうと、ヘリオンの壁をぽんと優しく叩きながら、搭乗口を開くよう呼びかけた。
「残霊の甲冑騎士たちの戦いと死は、過去に実際にあった出来事なのだろう。その過去を覆すことはできないが、失伝ジョブ者を救うことで、彼らの志を未来へと繋ぐことはできる。彼らの絶望と死を過去に打ち捨てたままにはできん。……よろしく頼む!」


参加者
ベルガモット・モナルダ(茨の騎士・e44218)
槙島・蒼依(蒼穹の心・e44292)
鹿島・信志(亢竜有悔・e44413)
ソーンツァ・フォミナ(地球人のガジェッティア・e44416)
本屋・辰典(断腕・e44422)
蔓荊・蒲(サクヤビメの選択者・e44541)
毛利・周(黒鋼の騎士・e44554)
賛然・スラッグ(己に問え・e45240)

■リプレイ


 傾いた陽の射し込む茜色の森が、徐々にその姿を顕わにする。最初は霞のようにおぼろげで現と思えなかった風景が、実体を持ったそれへと変わってゆくのだ。そして変化を終えた世界の只中に、ケルベロス達は立っていた。
 過去の光景をそのまま映し込み、延々と再生を繰り返す、失伝ジョブ者を捕えた牢獄。彼らの心を絶望で塗りつぶすためだけに作られた、特別仕立てのワイルドスペースだ。ケルベロスの中でも、失伝ジョブ者のみしか立ち入れない。
 ワイルドスペースが、自分の精神に干渉してくるのを、皆が感じていた。五体の全てから心の最奥へと沁み込もうとする、うっすらとした意思。それは明らかに害なのはわかっている。が、ケルベロスが耐えられない程ではない。
 蔓荊・蒲(サクヤビメの選択者・e44541)は、夕暮れと夜しか映さない空を見上げた。彼がこの種のワイルドスペースを訪れるのは2度目だ。探索すればここの何処かに、悪い魔女ポンペリポッサに関わる秘密を見つける事ができるかもしれない。だが、もたげる好奇心を気だるげな含み笑いに紛れさせ、見上げていた頭をゆるりと前に巡らせた。
 徐々に侵食することこそが、この世界の罠。人を取り込みたいのなら、さっさと喰らいつけば良いはずを、そうしないのは用心深い獲物を取り込む罠なのだ。
 ケルベロスの前方に、残霊達がいる。痕跡などないが、何故か皆確信していた。全身を覆う黒い甲冑を着込んだ毛利・周(黒鋼の騎士・e44554)は、揃いの黒き片手半剣を抜刀し、歩み始める。
「これで仕舞いだ」
 兜の奥に隠れたの表情は窺い知れないが、気負いのない声色には、救出と生還への確たる意思がこもっている。
「ああ、仕舞いは綺麗にゆくとしよう」
 似た佇まいで、鹿島・信志(亢竜有悔・e44413)も戦に備え、かけていた眼鏡を外した。人斬りの妖刀が戦の予感に震えるのを右の掌に感じ、彼の眼に少しだけ険が加わる。
「終わり良ければすべて良し、ってやつだよね!」
 明るく弾む声で、ソーンツァ・フォミナ(地球人のガジェッティア・e44416)は信志の前で向き直り、信志を見上げた。晴天の空を思わせるソーンツァの瞳が信志の瞳に飛び込んで来る。
 戦に臨む自分の様子を気遣っているのだとわかり、信志は口元の微かな笑みでソーンツァに応える。
 ワイルドスペースに囚われた失伝ジョブ者のほとんどは救出され、救出作戦は最終局面を迎えている。この作戦も最後の作戦群の一つだ。ポンペリポッサの失伝ジョブ者洗脳作戦を破る日は近い。過去の悲劇と絶望を繰り返す残霊達の苦しみも、もうすぐ終わる。
「誰欠けることなく、今へと帰りましょう!」
 朗らかに、本屋・辰典(断腕・e44422)も抜刀し、誰よりも早く一の太刀を加えるべく、歩みの速度を速める。その刀身が落陽に照らされ、朱色の光を返した。


 巡る壁と鉄扉の前で、鋼がぶつかり合い、甲高い音が鳴り響いた。出陣した甲冑騎士達が、自身の重量と膂力全てをかけ、竜牙兵の進撃を留め、戦線を押し戻したのだ。その間に扉は閉ざされる。
 竜牙兵とて、押されたまま引き下がりはしない。手にした剣と短剣が、甲冑騎士達へと向けられる。魔力の氷嵐が吹きすさび、短剣の切っ先が獲物の苦痛をもとめ空を切る。
 ケルベロスが戦場に到達したのは、まさにその時だった。
「甲冑騎士、毛利・周。同朋の危機に参上した」
 戦場に立つ周の名乗りが甲冑騎士と竜牙兵の耳目を一身に集める。堂々と立つ黒の甲冑騎士、周の立つ場所が戦場の中心となった瞬間だ。
 ほぼ交戦開始と同時にケルベロスは戦場に到着した。まず為すべきは甲冑騎士達の安全確保だ。槙島・蒼依(蒼穹の心・e44292)は、甲冑騎士達を見遣り、回復支援のため、負傷の多い者達を瞬時に見極めた。そして己の心の基をなす風景を、歌声に乗せてこの世界へと現出させる。
 どこまでも澄み渡る晴れた空、何一つ混じりけのない青色が、甲冑騎士達を包む。黄昏と夜を繰り返す彼らが忘れかけていた、鮮烈な青。蒼依の最先の記憶そのものは、彼らの心を束の間、時空の牢獄から広く自由な世界へと解き放った。
「よく、頑張ったわね……貴方達の希望……今ここに、繋がったわ……後は、私達に……ケルベロスに、任せて……」
 傷ついた甲冑騎士達の傷が、癒されてゆく。そして彼ら何人かの心に残った青空のイメージが、その心の眼を開かせた。けれど、彼ら甲冑騎士は癒され、任せてと言われたとしても、簡単に退ける性分ではないのだろうと、蒼依は分かっていた。彼女の伴侶が同じ状況で退く姿が、どうも想像できないのだ。
「ボク達ならこいつらを倒せる! だから任せて見ていてほしい、みんなの希望となる、この力を!」
 蒼依の心象風景を共有し、士気の上がっている甲冑騎士達の前へ、ソーンツァは躍り出てガジェットを棒のように長く展開し、竜牙兵へと突き込んだ。先端の急速冷却機構が、傷口に氷を貼りつかせる。
 ソーンツァと同じく、防御態勢をとったベルガモット・モナルダ(茨の騎士・e44218)は、ルーンアックスの刃で襲い来る剣ごと、竜牙兵を押し返した。竜牙兵はその勢いに負け、バランスを崩しながら数歩も後退した。暗銀の甲冑に包まれた彼女の身体は、鍛え上げられているとはいえ、若い女性のそれだ。
 蒼依の言う『ケルベロス』という言葉が甲冑騎士達に通じているかどうかは不明だが、ベルガモットや仲間達、不意の援軍が、まごうことなく強者であるということは、理解しているようだ。
「助太刀感謝する! 貴殿達は強い。なればこそ、我らは共に闘いたいのだ!」
 甲冑騎士の血気盛んな言葉を聞き、賛然・スラッグ(己に問え・e45240)は作戦開始からずっと浮かべていた、斜に構えた表情を微かに変えた。いつも共にある双子の兄はいない上に、世の中ときたら、相変わらず仕様もない塵あくただらけだ。特に人の欲得などもう見飽きた。全くもってつまらない。
 だからこそ、うんざりする程の砂粒の中、土くれの中、瑣末なそれらの中に輝く一粒を見出したならば、それは手づから掬い上げるに値する。
「自分を犠牲にしてでも戦うというその意気や良し、だが死なれては面白くない。薬やら呪術やらを使うのは待て、私達がアレらを倒すまで休んでいろ」
 スラッグは甲冑騎士達をさっと見遣った。蒼依の一手のお蔭で、彼らの負傷度合いは低い。そう見立てると、彼は両手の爆破スイッチを押す。遠間の竜牙兵の間に、突如爆発が巻き起こり、残り火が骨の身体を炎上させた。
 続いて、蒲は仲間達に迫る竜牙兵へ地を震わす獣の咆哮を浴びせた。戦場を揺るがす音声と、彼自身の気迫がない交り、竜牙兵を怯ませ動きを鈍らせた。
「月並みな言い方だけど、明けない夜はないってことっすね。どうやら俺たちには絶望を打ち破る力があるみたいっすよ? 薬やらに頼らなくっても」
 本当に平凡な物言いだな。自分の語りかけを振り返り、けれど、と自分に反証する。けれど、平凡だからこそ、誰にでも届く言葉になるはずだ。
 実際、甲冑騎士達は、自重を促す蒲と仲間達の声を聞き、自分達の戦場での在り様に迷っているようだ。そこへスラッグが畳みかける。
「休息も戦略のうちだ。守りたい者がいるのだろう?」
 生き延びることもまた、戦いだ。そう説かれ、一人の甲冑騎士が、間合いを取り後方へ退いた。それに倣い、残りの甲冑騎士も後衛へと下がってゆく。
 だが、竜牙兵達は退く彼らへ追撃を仕掛けようと動く。そうはさせない。その前進の両翼を切り崩すべく、辰典と信志が攻撃を仕掛けた。
「皆さんは、勝つことができる。生きることができる。知ってください。思い出してください。それが俺たちが戦う理由です!」
 竜牙兵の至近に迫った辰典は、自分の命数を代償に得た筋力で、片手半剣を振るった。身体の捻りの勢いも加え、あり得ない高速で竜牙兵の胴を払う。
 甲冑騎士の技を受け継いだが為に、辰典はその代償もまた、継ぐことになった。過去の彼らは随分と無茶な技を遺してくれたものだと、ずっと思っていた。先日同様の作戦で、過去の甲冑騎士達の抗いをその眼に焼き付けるまでは。
 代償を払って力を得なければ、守れなかった。その事実はとても単純で、そしてそれ故に酷い。どれだけの命が絶望の中散ったのか。それでもそんな世界で希望を繋いだ者達がいた。蒼依の呼びかけを、辰則は思い出した。希望は今ここに繋がれたのだ。
 礎となった者達に敬意を。その技を継ぐ己に誇りを。力づくでねじ込まれた片手半剣が、遂に竜牙兵の上下半身を両断し、屠った。
「我々は、今の君達からすれば、未来から来た存在……となるわけかな」
 一撃の元に仲間を屠られながら、尚も前進を止めない竜牙兵達に向けて、信志は竜人の炎を吐きかける。赤々と燃える劫火は火葬の炎たらんと竜牙兵の骨の身体を焼き焦がし、一体を灰へと帰した。
「つまり、未来はそう悲観するものではないということだ」
 粗方後退を終えたと思われる甲冑騎士に背を向けたまま、信志はごちた。秘かに伝えられた失伝を現代に継ぐ者であり、ケルベロスである。志を同じくする者同士、護る理由はそれで充分だった。言葉と戦いと、両軸揃えて彼らにケルベロスの何たるを示せばよい。相手の甲冑騎士には見えないが、信志の目つきが心もち程度に和らぐ。
 二人の猛攻に竜牙兵の前進が一瞬止まり、その間隙を縫って彼らの正面と後衛へ下がった甲冑騎士達との間に、周とソーンツァ、そしてベルガモットが立ちはだかった。甲冑騎士達への攻撃を全て阻めるわけではないが、最善は尽くしているはずだ。
 すでに数を減らした近接戦闘の竜牙兵達は、更にケルベロス達の集中攻撃に晒された。スラッグが巻き起こす爆発が、夜の街のネオンじみた派手な色彩で戦線を彩り、原理は不明ながら仲間達を鼓舞している。
「そこだっ! 砕けろっ!」
 大きく横に薙いだ周の片手半剣を、竜牙兵は辛うじて剣で受け止めたが、完全に受け切れずに上腕部を折られ、剣は大きく刃こぼれを起こした。鈍ら剣の反撃は、見た目の通り、威力が減衰している。
「神話検索、展開……再構築」
 蒲は球形ガジェット『サクヤビメ』に囁いた。淡く桜色に光るガジェットは、彼の声を認識し、内包する神話データベースから抽出した情報を元に、剣型へと変形を始める。
 草原を切り拓き、焼き討ちを脱したという剣『天叢雲』。サクヤビメが模倣した神話の武具の銘だった。草の如くに何者をも切り払う一閃を放つ、古代神話と現代兵器の融合した剣だ。はたして、一閃のもとに目前の竜牙兵にとどめを刺した。
 残るは間合いの離れた竜牙兵達だ。しかし、阻む者なき今、ケルベロスに間合いを詰められ、何体かはスラッグにより炎上させられて、消火する技を持たず消耗している。
「悪い、夢は……もう終わりよ……」
 蒼依はずっと、ケルベロスと甲冑騎士とに向けて、空の青さと広さと、そして生まれいづる心の喜びを歌い続けていた。戦いの間も刻一刻と暮れてゆく空とは裏腹に、仲間達の心には常に光に満ちた青空が宿っていたのだ。
 いつしか、攫われた失伝ジョブ者は現代の姿に戻り、残霊の甲冑騎士達は、蒼依の歌を共に歌っていた。ケルベロスの言葉と戦いの姿とが、彼らを導いたのだった。
 ここを最後と、蒼依は前に立つ仲間達に向けて歌い上げる。あの遥かな空へ往けとばかりに。
「ねえ、俺の目を見て」
 スラッグは、無造作に竜牙兵達の前に立つ。彼の瞳には、人が抱えうるどの様な狂気をも凌ぐ、形容の言葉すらない何かが湛えられている。それを見た竜牙兵の目に恐れが灯り、糸が切れたようにばたばたと崩れ去る。やつらの狂気が如何ほどか知ったことではないが、自分達のそれには到底及ばないという証左だ。デウスエクスは実につまらない代物だ。
 次々と竜牙兵が仕留められ、残された最後の一体を捉えたのは、信志の喰霊刀だ。刀の呪詛に侵された彼の右腕から、一筋血が伝う。
 飢えた刀は残霊であろうとも構い無しに喰らいつかんと宙に軌跡を描いた。禍々しい本性を持ちながら、その軌跡は流れるように鋭く、そして端正な美しさすら兼ね備えている。竜牙兵は死への恐怖に満ち満ちた末期の表情を一瞬浮かべ、夕暮れの光の中霧散した。


 残照が遠くで一日の最後の光を届けていた。空の一端はすでに夜色が染みた薄青色だ。この世界からの退き時が迫っていた。ケルベロスは、失伝ジョブ者と甲冑騎士達の手当を行い、撤退準備を整えた。
「あの甲冑騎士達は、かつて、ケルベロスが居なかった世界で戦っていた方々です」
 彼らに伝えたいことはないか、辰典は、救出された5人の失伝ジョブ者に、そう尋ねた。5人の中から、マグナスと名乗る青年が進み出て、甲冑騎士達に、万感を込めて彼らの意思を伝える。デウスエクスに蹂躙される者のいない世界の実現、その為に戦う、と。
 身体が限界を迎えるか、心が折れるか。その危うい境界に立ちながら戦ってきた甲冑騎士達は、犠牲者のいない今日の勝利に希望の糸を見出し、晴れやかな様子だ。
「いつかまた、共に戦う日が在ることを」
 再会の約束をケルベロスと交わし、蒼依の蒼穹の歌を歌いながら、甲冑騎士達は名残惜し気な風情で壁内へと帰ってゆく。周は彼らに深々と一礼した。やがて鉄扉が完全に閉じられ、歌声も遠ざかり、世界に静寂が戻って来た。
 いつか、また。果たし得ない約束を交わした彼らは、ケルベロスが未来の人間であることを分かっていなかったのかと、信志は訝しみ、すぐに思い直した。きっとそうではない。二度と会えない事を彼らは知っていた。彼らにとって、あの約束は、未来への希望そのものであったのだ。
 辰典もまた、甲冑騎士の約束を心に刻んでいた。失伝ジョブ者に甲冑騎士への語りかけを提案したが、彼自身は華たるべき言葉をもたなかった。
 充分だったのだ。死して残霊と化した彼らの技は、ケルベロスが現れ、デウスエクスへの反攻が始まった現代で蘇った。託されたその力を彼らに示し、希望を灯すことができたならば、それで、充分だ。
 いつか、また。……でも、今は良い夢を。心の中でそれだけ呼びかけ、辰典は帰還してゆく仲間達の背を追った。
 帰還の道すがら、消えゆく残霊達の為に蒼依が歌う、晴れ渡る青空の歌が、落陽の時を迎えた世界に希望という名の余韻を遺していった。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年1月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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