失伝救出~癒やしの風よ、絶望を払え

作者:天枷由良

 町が焼かれている。人が焼かれている。五感全てに死の気配を感じる。
 それでも彼は、瓦礫の合間から黒い竜の暴虐な振る舞いを見つめることしかできない。
 なぜなら。
「あんな、あんなものに、勝てるはずがないのじゃ……」
 相手は強大な力を持つドラゴン。飛び出していったところで何が出来よう。
「何も出来やしない。わしには……どうすることも……」
 古木で作られた杖を抱えて、小さな身体を丸めて。
 彼は、ドワーフの青年は、全てが過ぎ去るのを待つしかない。

 やがて大きな翼を広げた黒竜は空へ飛び去っていく。
 残されたのは瓦礫の山と、肉の焦げる臭い。そしておびただしい数の遺体。
「……だれか、だれか生きているものはおらんのか……?」
「――たす、け……」
「っ……!!」
 震える身体を杖で支えて、微かな声を頼りに崩壊した町を行く。
 そして残骸の中から伸びる細い腕を見つけた瞬間、彼は隠れ潜んでいたことを詫びるかのように力を絞り出す。
「わしが……わしが助けてやるのじゃ! 必ず、必ず……!」
「……あ、りが……と……」
 まだ喋っている。動いている。生きている。
 だが――掴んだばかりの腕は、すぐに力を失くしてだらりと垂れる。
 垣間見た、そこには少女の顔。光の消えた瞳が示すのは紛れもない、死。
「あ……ああっ……」
 戦うことも出来ない。救うことも出来ない。
 無力感に苛まれて、ぽろぽろと零れる雫が瓦礫を打つ。
「……ここに彼らがいたなら……いや、彼らのような力が、わしに……わし、に……?」
 一体、何を言っているのだろう。
 デウスエクスに抗える存在など、この世界に有りはしないのに。
 青年は杖を取り落として頭を抱えた。
 その心は、深い絶望に塗りつぶされようとしていた。

●ヘリポートにて
 ケルベロスの前に立ったミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)は、恭しく一礼をしてから「初めまして」と切り出した。
 それもそのはず。居並ぶ戦士は皆々、力に目覚めたばかりの者たち。先の寓話六塔戦争の勝利によって新たに仲間入りを果たした、失伝した職能(ジョブ)の系譜に連なる面々だ。
 いわば新米ケルベロスの彼らだけが召集されたのには、理由がある。
「ジグラットゼクスの一塔『ポンペリポッサ』の策に囚われた、貴方たちと同じ失伝ジョブの力を持つ人。その行方を、また新たに一つ予知することができたわ」
 彼らが閉じ込められているワイルドスペースは特殊なもので、失伝ジョブを持つケルベロスでなければ入ることすら叶わない。その内部では大侵略期の残霊によって悲劇が繰り返され、囚われた失伝ジョブの人々は絶望に心を折られる寸前である。
「此処で助けられなければ、彼らは『反逆ケルベロス』になってしまうわ。多くのケルベロスが貴方たちを救い出してくれたように、皆の力で囚われた人を助けましょう」

 今回予知されたワイルドスペースには、心霊治療士の青年ドワーフが一人囚われている。
「彼はドラゴンが町を焼き、人々を虐殺する光景を何度も見せられているわ。いくら治癒術の得意な心霊治療士でも死人までは救えないのだと、無力感を抱かせることで絶望の底に叩き落とそうとしているのでしょうね」
 此処では悲劇を生むドラゴンさえ倒せば、青年に希望を与えることが出来るだろう。
 敵は強大な力を持つ種族だが、残霊であるため本物ほどの強さは持たない。失伝ジョブに目覚めたばかりのケルベロスたちでも、八人がかりなら何とかなるはずだ。
「攻撃方法はシンプルなものよ。主力となるのは破壊をもたらす火炎の息吹。それに素早い爪撃と、頑強な尻尾での薙ぎ払いを混ぜてくるわ」
 この内、火炎と薙ぎ払いは広範囲に及ぶが、共に肉体の力強さを拠り所とする攻撃である。一方、敏捷さに頼った爪の一撃は単体しか狙えないものの、ケルベロスが纏う加護や呪的防御といったものまで容易く砕いてしまう。
「ケルベロスとして目覚めて間もない段階で、残霊とはいえドラゴンを相手取るのは不安かもしれないけれど……ぎりぎりのところで踏みとどまっている心霊治療士の彼を救うためにも。そして、このような悲劇を幾度も乗り越えて戦い続けたであろう、失伝ジョブの先達たちのためにも。皆の全力を、振り絞ってちょうだい」
 ミィルは説明を締めくくり――すぐさま言い忘れたことを思い出して、ケルベロスたちを呼び止める。
「これはあくまで可能性、だけれど。皆が勇敢に戦えば、救出対象の彼も自分で絶望を振り払おうと勇気を出してくれるかもしれないわ」
 繰り返される悲劇の流れからして、ワイルドスペースに突入したケルベロスたちの戦いを、青年は見ているはず。
 それを少しでいいから心に留めてほしいと結び、ミィルは今度こそ説明を終えた。


参加者
雨宮・和(シャングリラの灯火・e44325)
九十九・九十九(ドラゴニアンの零式忍者・e44473)
ニコラス・アストン(星を見る人・e44540)
アデライード・バスティア(仮初の自鳴琴・e44632)
ファン・ユウ(竜潜炎・e44939)
リーネ・シュピーゲル(オラトリオのパラディオン・e45064)
アメリー・ノイアルベール(本家からの使い・e45765)
メアリー・ジャクソン(ヴァルキュリアのパラディオン・e45767)

■リプレイ


 砕け散る石造りの家々。焼け焦げる血と肉の臭い。事切れた名も知らぬ人。
 それら全てを掻き分け、見送って。彼らは闇色の絶望と相対した。
「――――♪」
 真っ先に放たれたのは怒りや憎しみでなく、メアリー・ジャクソン(ヴァルキュリアのパラディオン・e45767)の高らかな歌声。
 段々と熱を帯びていく声は、戦いの激しさを予期しているようであり。
 また、命の灯火が消えていくばかりの世界において、極めて異質であった。
 何事か、と。絶望が歌声に向き直る。それを見やって不敵に笑い、アデライード・バスティア(仮初の自鳴琴・e44632)が口を開く。
「デカいだけあって、攻撃がよく当たりそうだ」
 強気な振る舞いは意図的だが、虚勢ではない。
 先だって挑んだ悪夢にも同じ形の絶望が座していた。そしてアデライードは、仲間と共にそれを打ち破った。
 たった一度の経験といえど、己が内より目覚めた力を実感することは出来ただろう。
 ならば臆する必要などない。
「来い、可愛がってやろうじゃないか――爬虫類!」
 集めた力を大きな霊弾として撃ち出す。
 プラズムキャノン。心霊治療士なら誰しもが扱えるエクトプラズムの一撃が、黒竜目掛けて飛んでいく。
「ケルベロス参上! 竜よ、私達がお相手します!」」
 合わせて、アデライードと同じ戦場を経て来たニコラス・アストン(星を見る人・e44540)も、堂々と声を張り上げる。
 まさにロマンスグレーと呼ぶべき紳士然とした彼の顔から、普段の穏やかな笑みは失せている。そこにあるのは俄に形を変えた装備の一つ、漆黒の外套を飾る銀の輝きと同じような鋭さと、五十年以上の生で育んだ胆力。
 そしてニコラスもまた、心霊治療士の一人。何処かで見ている『彼』に希望を示せるようにと願いながら、押し固めたエネルギーの塊を解き放つ。
 ――刹那、黒竜の咆哮が轟いた。
 お前たちは何なのだ。この世界に君臨する我に挑もうと言うのか。そう問い詰めるような叫びと共に薙ぎ払われた太い尾が、迫る霊弾を力尽くで消し去ってしまう。
 残霊とはいえ、その迫力は凄まじい。敵が故郷を滅ぼしたものと同種なことも相まって、シャーマンズゴーストの『ぷー』を伴う雨宮・和(シャングリラの灯火・e44325)は思わず身をこわばらせた。
 だが気圧されたままではいられない。二本のナイフを手に竜を見据えると、傍らに立っていた厳しい三白眼のファン・ユウ(竜潜炎・e44939)が言い放つ。
「我らはケルベロス。地獄の番犬であり、貴様を倒す者だ」
 その名を聞いた竜は――しかし態度を変えることなく。辛うじて残り、逃げ惑っている人々も恐怖を露わにしたまま。
 過去の惨劇を繰り返すだけの残霊にとって、ケルベロスは未知以外の何物にもならないのだろう。
 それでも。この世界の殆どには意味をなさなくても。
「これ以上の狼藉は許さないのです。わたしたちケルベロスが、あなたを倒します」
 アメリー・ノイアルベール(本家からの使い・e45765)が、きりりと少女らしからぬ佇まいで啖呵を切った。
(「初めての実戦ですが……故郷の家族の皆、メメは頑張るのです」)
 全ては『彼』に希望を示すため。
 ただ一点の行動原理に基づき、細く小さなアメリーの身体から光り輝く粒子が舞い上がる。やがて緩やかに降り注いだそれが、竜との間合いを詰めていく幾人かのケルベロスに一時の覚醒をもたらす。
「強大と謳われながら道化と堕ちた事は憐れもう」
 力が高まるのを感じながら、九十九・九十九(ドラゴニアンの零式忍者・e44473)は呟いた。
 仔細あって特徴的になった声が、表情を隠す鬼面と合わせて胡乱な雰囲気を醸す。
 しかし九十九は、紛れもなく『彼』を絶望の淵から救うケルベロスだ。竜が腕を一振り、飛ばした瓦礫を力づくで叩き伏せて残骸の合間を駆け抜けると、篭手から伸びた鋭く頑丈な鉄爪で黒い鱗を剥ぎ取る。
「なれど、為す事に誇りは認めぬ」
 振り返り、次は喉笛を掻っ切ってやらんとばかりに突き出された鉄爪から、赤黒い血が一滴、足元の瓦礫へと垂れた。
「――――!!」
 再び、黒竜の咆哮が轟く。
 傷つけられた怒りと、自らに抗うことへの不満。戦闘種族たる己を頂点に置くからこその傲慢な叫びが、幾度となくケルベロスたちの耳を劈く。
 だが、その暴虐さに毅然と立ち向かって。
「もう何度も仲間が倒されているのに、まだ懲りないですか」
 リーネ・シュピーゲル(オラトリオのパラディオン・e45064)は『彼』に届くよう、声を絞り出す。
 敵を見据える瞳は蜂蜜色。薄緑のピンポンマムを結い目に左腰へと流れる一方で、前側は綺麗に切り揃えられた髪も同じ色。
 偶然にも同い年のアメリーより更に小柄で幼く、しかし武装全てをプリンセスモードへと変じた彼女の出で立ちには、己が半身と一時別れて臨む初めての戦いへの不安こそあれ、戦士としての確かな自覚も垣間見えた。
(「リーネ達が助けて貰ったみたいに、今度はリーネが助けるです」)
 だから、どうか。その為の力を少しだけ譲って欲しい。
 リーネは清らかな声を祈りに変え、天に捧ぐ。ともすれば呪いと等しきそれに、偽りの空は程なく答えを返した。
 竜が何かを感じ取ったように羽ばたく。けれども浮き上がるより先に冷たい雲が足元を凍りつかせ、巨体に大地との別離を許さない。
 その機に乗じて、ファンとメアリーもエクトプラズムの弾丸を撃った。それは大きな傷を負わせるとまではいかなかったが、竜から自由を奪い取る。
「ぷー、今よ!」
 気合を入れ直して呼び掛けた相棒が原始の炎を喚んだ後、行儀よく組んで伸ばしたままの腕を足掛かりに、和が宙へ跳んだ。
 二つの刃が閃く。ジグザグに刻まれた竜の肌からは、飛沫が勢いよく噴き上がった。


 それで勝ち誇ったり、自惚れたりはしない。
 元よりそんな性格でもないが、そもそも強大な竜を前にして一喜一憂するほどの余裕もない。
 和は地に降り立つと、すぐさま二の太刀を入れに掛かる。それよりも更に早く、敵だけを見据え続ける九十九が鉄爪を突き出す。
 だが。
「――――!!」
 血と脂で汚れた牙を剥き、竜が猛烈な勢いで灼熱を吐きつけた。
 あっという間に飲み込まれる二人。なおも破壊の波は留まることなく、町もろとも最前に立つケルベロスたちを焼き払っていく。
「これが……」
 個体最強を自負するドラゴンの力か。
 ならば癒し手を引き受けた自分が攻撃に回る機会は、もうないだろう。そう感じながら、メアリーは希望の為に走り続ける者達の歌――スカイクリーパーをバラード調に歌い上げた。
 清浄なる響きは焼けた肌を癒やし、立ち直った前衛のケルベロスたちはニコラスやリーネ、アメリーなどから攻守両面の援護を受けつつ、再び攻めかかっていく。
 しかし竜も、鋭い爪で強烈な一撃を返す。「好きに戦え」と半ば自律的な判断を求められたことで動きの鈍ったサーヴァントが真っ先に餌食となり、腹に大穴を穿たれたぷーは崩れ落ちて残骸の陰に消えた。

(「……ああ、本当に忌々しい」)
 何度目かの身を焦がす炎を耐え凌いだ後、ファンが苦虫を噛み潰すような声音で小さく零す。
 もはや町とは呼べない瓦礫の山に胸が痛む。しかしそれよりも、なによりも。先人たちが文字通り命を賭して紡ぎ繋いだ歴史の一端が、卑劣な策略の道具として扱われていることが不愉快で堪らない。
「ああ、本当に気に食わん!」
 はっきりと言い切れば、両手を形成する地獄の黒炎が揺らめいた。
 それが手であることにまだ違和感はある。
 けれど、今は意識と現実の食い違いなど些細なこと。これが絶望を焼き尽くす力となるのなら、胸の奥底より湧く怒りを焚べて、更に強く、強く燃え盛ればいい。
「貴様に勝てる者はここにいる。絶望を払拭する手段持つ者は――ここに!」
 握る九尾扇に炎が乗り移り、一振りで空を迸って竜を包んだ。
「天蠍宮の大天使よ、彼の者にさらなる罰を与えるです……le Scorpion」
 すかさずアメリーが唱えて、魔力で巨大な蠍の幻影を生み出す。炎が作る影から躙り寄ったそれが竜を貫くと、傷口は毒に侵されるようにじわじわと広がっていく。
 攻撃は確実に効いている。まだ力に目覚めたばかりの自分たちでも、この竜に勝つことはできる。
 驕りでなく、不屈の精神で以ってケルベロスたちが己を鼓舞した、その時。
「――――!!」
 竜の爪が空を裂き、アメリーの小さな身体を瓦礫の中へと押しやった。


(「なんて強さ……」)
 意識が朦朧とするなか、その身で感じた竜の力にアメリーはそう思うしかない。
 仲間たちが声を荒げ、再び竜に挑んでいく姿が薄ぼんやりと見える。
「……ケルベロスは絶対諦めないのです」
 そうしてたくさんの敵に勝ち、たくさんの人を救ってきたのだから。
 自分も戦いに戻らなければ。何とか起き上がろうとしていると、いつの間にか一行の最年長が傍に駆け寄っていた。
「すぐに治療を」
 ニコラスはアメリーを抱き起こし、身に纏った闘気を分け与える。
 しかし、傷はあまりにも深い。戦列に戻れたとして、もう一度手痛い一撃を喰らえばどうなることか。
 治癒を続けながら、ニコラスは考えざるを得ない。

 ――そこへ、こつんと瓦礫を打つ音が聞こえた。
 破滅や破壊をもたらす重たいものでなく、こんっ、という軽い音。
 目を向ければ……そこには青年と呼ぶには些か小さい人影。
「……なぜ、わしは忘れていたのじゃ」
 古木の杖を手に、青年は言った。
「ケルベロスという存在を。おぬしらのように、勇敢な者たちのことを」
「貴方は……」
 それが『彼』なのだと。理解したニコラスに青年は問う。
「わしにも、あるのじゃな? その力が」
「ええ。だから私達は来たのです。未来の仲間を取り戻すために」
「……ならば」
 青年は杖を瓦礫に打ち付けた。
 ぼろぼろの衣服が波打ち、一陣の風が吹き抜ける。
「今度こそ救ってみせよう! 竜よ! わしはもう、おぬしに屈したりはせん!!」
 幻といえど、幾度となく取りこぼした命のために。
 強い願いは杖から零れ落ちてアメリーへと渡り、傷を幾らか塞いでいく。
「ありがとう、ございます……」
 アメリーは自力で立ち上がると、礼を述べた。
「とても心強いです。一緒に頑張りましょうね」
「……うむ!」
 答える青年。
 そこに一度態勢を立て直すべく集ったケルベロスたちが、次々と声をかける。
「君の行いに感謝を。此度は自分達が来た、故に間に合う。間に合わせる」
 そして生かそう。今、生きている皆を。
 語り終えた九十九は青年が頷くのを見て、再び竜に向かっていく。
「ただ殴り合うだけが戦いではない。治療も救助も立派な役割だ」
 殴るのは自分に任せておけと、アデライードも続く。
「今、自分に出来ることに徹底しなさい」
 ややぶっきらぼうに言いつつも、和は青年に攻撃が及ばないよう竜の動きを見張った。
「では、共に戦いましょう」
 しかし無理はなさらず。
 メアリーが息を吸うのに合わせて、青年も杖を構えた。

 そしてケルベロスたちは、竜との応酬を繰り返す。
「あと一息です!」
 メアリーが渾身の想いを込めて叫び、両腕を高く掲げて歌い始めた。
 声が風に乗って、傷だらけの身体に力を蘇らせる。
「――――!!」
 今度は竜が哮る。響き渡る希望の歌を掻き消し、絶望に屈せよと哮る。
 牙の隙間から、解き放たれる瞬間を待つ炎が見え隠れする。
「盾であることの役目は違えん!」
 弾かれたように開いた口からいよいよ破壊の波が溢れ出した時、ファンが九十九の行く手を遮って最前に立った。
 和も肩を並べて盾となり、アデライードを守る。やがて灼熱を潜り抜けた彼らが息も絶え絶えに膝をついた瞬間、庇われた二人は力を振り絞って走り出す。
 竜は迫り来る者たちを睨めつけ、咆哮で威嚇しようと構えた。
 そこに迸る一条の光。じわじわと半身を蝕んでいくそれを辿った竜の視線が、ニコラスの鋭い眼差しと交わる。
 飲まれたのは――竜のほうだ。ぴくりとも動けなかったその一瞬、リーネが弓にエネルギーの矢を番えて放てば、竜の眼には己が振りまいていたはずの深い絶望が滲んだ。
「終わりだ!」
 エクトプラズムを溜めに溜めたアデライードが竜の顎下に飛び込む。
 同時にアメリーの腕から伸びる何本もの蔦が、翼ごと黒い巨体を縛り付ける。
「弾けろ……!」
 至近距離で破裂するエネルギーの塊。よろめいた敵の喉元に組み付き、九十九が両手の鉄爪を閃かす。
「竜の名を持つ神よ――絶望よ。地獄に堕ちろ」
 繰り出された怒涛の連撃が、肉を食い千切るように裂いた。
 竜が倒れる。
 闇色の絶望は、そのまま瓦礫の中へと沈んでいった。


「この様な所、長居は無用です。急いで撤退しましょう」
「ああ、飲み込まれてはかなわんからな」
 メアリーとファンが口々に言う。
 黒竜は絶望の根源でこそあったが、この世界の主ではない。ワイルドスペースは未だ崩壊する気配を見せず、留まり続ければケルベロスたちは再び悪夢に囚われてしまう。
「走れるか?」
「お、おお……」
 残霊の人々に気を取られていた青年が、アデライードの問いに答えて頷く。
「では、脱出です」
 リーネが、ぱたぱたと小走りで駆け出した。
 まるで小鳥が羽ばたくようなその背中を追って、ケルベロスたちは悪夢の檻を後にする。
(「――確かにあった時代、先人たちの悲しみ。それを、俺は忘れない」)
 去り際。振り返ったファンは、見渡す限りの惨状と決意を心に刻んだ。

 そして無事に目的を果たしたケルベロスたちは、帰路の途中で小休止を挟んだ。
 絶望から脱したとはいえ、まだ青年は疲労の色が濃い。
「ドワーフのお兄さん、大丈夫です?」
 実は自分も初陣だったのだと明かしつつ、ポーチから雪玉のような丸い菓子を取り出すリーネ。
 そこにアメリーが温かいココアを添えて。どちらも受け取った青年は一口味わうと、深く深く息を吐いた。
 やや俯き加減の背中を、穏やかな笑みを湛えたニコラスがそっと叩く。
「何と礼を申せば、よいのやら」
 少し声を震わせつつ、青年がそう言ったところで。
「……そういえば、お名前はなんというのですか?」
 アメリーが、ふと思い出したように尋ねた。
 確かに予知から此処まで、一度たりとも青年の名を聞いていない。
「おお、そうじゃったの。助けて貰いながら名乗りもせんとは失礼した」
 両手のものを脇に置いた青年は、ゆっくりと八人のケルベロスたちを見回してから名を口にする。
 次いで、年齢を告げた時。
「あ、え!? ごめ……ごめんなさい!」
 ドワーフの外見は十歳程度で止まる故、すっかり年下の少年だと勘違いしていた和が慌てて頭を下げた。
 思わず、青年は笑いをこぼす。
 その両眼には、八人のケルベロスから与えられた、確かな希望の光が宿っていた。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年1月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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