紫に捧げる夜ノ歌

作者:成瀬

 とある大学の音楽室にて。
 助教授の座につく一人の男、ピアノを前にして一心不乱に楽譜にペンを走らせている。そうして紡ぎ出されるのは陰鬱な、けれど心の奥底が疼くような不思議な響き。ずっと聴いていると、欲望が削ぎ落とされ無気力にただ聴き続けていたくなる気もする。
「誰だ。そこにいるのは。何をしに来た」
「仄かな闇を感じさせる美しいその音楽、作り手であるあなたの才能を認めるわ。人間にしておくのは勿体無い」
「一体何を……」
「……これからはエインヘリアルとして、……私たちの為に尽くしなさい」
 呆然とした男の身は一瞬で紫色の炎に包まれた。何もかも焼き尽くされたその後に人間は存在しない。いるのは、ただ一体のエインヘリアル。三メートルはあろうかという巨躯で、命じられる侭に夜の街へと。
「私は選ばれたのか……ならば存分に、殺し奪いこの音楽を彼女に捧げよう」
 与えられた命令は一つ、人間を襲いグラビティ・チェインを奪うこと。

「有力なシャイターン、紫のカリムが動き出したわ」
 資料のファイルを開きながらミケ・レイフィールド(薔薇のヘリオライダー・en0165)がケルベロスたちを前に話し始める。死者の泉の力を使い、炎で焼き尽くした男をその場でエインヘリアルへと生まれ変わらせる事ができる。
「エインヘリアルはグラビティ・チェインが枯渇した状態よ。すぐに人間を殺してグラビティ・チェインを奪おうと動き出す。現場に急行し、撃破をお願いしたいの」
  現場は地方にある大学の敷地内、音楽棟の裏口から出てきたエインヘリアルを迎え撃つ作戦だ。夜遅い時間ということもあって、人払いの必要は無し。辺りには広い通路や外灯がある。黒のスーツをきっちりと着込んでいて、武装としては全身を包む淡い紫のバトルオーラ、とミケは説明する。
「このままじゃ、何人もの人間が殺されることになるわ。グラビティ・チェインを奪うという目的の為だけに。どうか力を貸して頂戴、あなたの力が必要なの」


参加者
アラドファル・セタラ(微睡む影・e00884)
毒島・漆(魔導煉成医・e01815)
眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
筐・恭志郎(白鞘・e19690)
月井・未明(彼誰時・e30287)
フィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)
メィメ・ドルミル(夢路前より・e34276)

■リプレイ

●闇の音楽家
 年も明けた1月のある日、八人のケルベロスたちは予知にあった現場へと姿を現した。
 昼間であればピアノやヴァイオリン、誰かの歌声も聞こえてきそうな音大の敷地内。今は人気もなくひっそりとしている。
 足音も僅かに歩を進めていたフィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)と、アラドファル・セタラ(微睡む影・e00884)は念の為と殺界形成で人を遠ざける。そうしてフィーラは足を止めてゆっくりと校舎を見上げた。最近、歌を聞く機会が増えたとふと思い出す。
(「感情なんて、もうなくなったとおもっていたのに」)
 優しく暖かく、けれど寂しくまた心が締め付けられるようなせつなさもある。そんな、歌。心が震え知らぬ内にひとしずく、涙が零れた時のことを。常と変わらぬぼんやりとした表情の侭、自分の目元をすいと細い指でなぞる。
(「知りたい」)
 一つの意思をもってフィーラは声無き声で呟く。音を奏でる者が何を考え、何を思うのか。そうすれば『思い出せる』かも知れない。霧の向こうにある、幾つもの記憶を。
「芸術の善し悪しはおれにはわからないけれども」
「妙な曲を作ってくれる」
 実に迷惑だとばかりに、月井・未明(彼誰時・e30287)の続きをメィメ・ドルミル(夢路前より・e34276)がぼそりと引き継ぐ。
「……メィメ」
「欲望を削ぎ落とす音なんざ、除夜の鐘で十分だ」
 欲は悪いばかりではない。人として生きる活力にもなるとメィメは考える。尻尾をぴんと立てて、未明が連れている梅太郎がそのまわりをくるりと飛ぶ。
「うん。それも今日で幕引きだ」
 一応と未明はランタンを持ってきてはいたが、真っ暗ということはない。どうやら今回は出番はなさそうだ。
「我々も合奏といきますか、ねえアラドファル?」
 ゆらゆらと揺蕩っていたアラドファルは、アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)の声にはっとする。歩きながら眠っていたわけではない。決して。……決して。こくりと頷きを返し、目元を擦る。夜は眠る時間だというのに。
 デウスエクスに狂わされる運命をひとつでも救いたいとアイヴォリーは思う。間に合ったことも少なくはない。けれど今回は、間に合わなかった。こうなってしまっては、元に戻すことはできない。
「――せめてその指が血で汚れる前に、終わらせてあげましょう」
「俺に、……俺たちにできるのは、それしかない」
 エインヘリアル化した彼もまた被害者かもしれないと、筐・恭志郎(白鞘・e19690)は表情を曇らせる。早くカリムの動きを捉えなければ。友人から貰ったカイロやもこもこ帽子が冬の冷えた空気から恭志郎を守ってくれた。愛用の形見の刀には、干支に因んだキーホルダーと、兄貴分がくれたお守り。いつの間にかこんなにも多く繋がりができていたのだと、恭志郎は赤茶色の瞳を柔らかく細める。
 この事件。全ての元凶は、エインヘリアルではなく炎使い。それでも今は、目の前にある敵を倒すのができる精一杯。だから。
「全力で、排除させていただきますよ。あぁ、もちろん。手加減など無しで」
「同情はする。だが、敵にまわったとなれば話は別だ。こっちもきっちり仕事はさせてもらうぜ」
 毒島・漆(魔導煉成医・e01815)は搏撃銃【agguato】を手に宣戦布告すると、眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)も獣が唸るよう、低音を響かせる。
「さて、始めましょうか。エインヘリアル、恨みはないが……ってやつです。初めまして。それでは、さようなら」
 銀縁眼鏡をくいと指先で直すと、気怠そうに持ち上げた銃口をぴたりと敵へ向けた。
 禍々しい気配と共に、エインヘリアルが裏口から現れた。その眼を番犬たちに向ける。暗く淀んだその瞳、溝川の底にも似ている、とケルベロスの一人は思うのだった。

●紫炎に焼かれて
 淡い紫色のオーラに包まれ、人間だった男は番犬と対峙する。助教授は死んだのだ。今いるのは、人間に害成す一体のエインヘリアル。何か口ずさんでいるようだが、高く低く響くそれは酷く奇妙で気味の悪いものだった。漆の放った竜砲弾を巨躯に似合わぬ動きで避け、体勢を整える。
「貪慾の名を冠する王よ、至高を御身へ」
 今夜のメインデッシュはエインヘリアル、BGMは歪んだ音楽。紫炎のオーラを添えて。今宵の一皿を果たして王は喜んでくれるのか。
 後衛についたアイヴォリーは狙いを定め、仲間の命中率を上げようとサポートにまわる。
 白綴を抜いた恭志郎がそれに続いた。一歩踏み出し横薙ぎに刀を振るうと、確かな手応えがあった。無力で独りだったあの頃とは、違う。大切な人たちの想いが血のように心を巡り、己のを守っているのが分かる。常ならば守備に重点を置いていても今回攻めの姿勢を取れたのは、一つの変化なのかもしれない。
「あんたか。変な曲ばっか作ってんのは」
 纏った鎧からオウガ粒子を放出し、メィメは前衛の仲間を回復させるが全員を援護するには至らない。
 男が唇を開く。
 落ちた林檎に逆回りの時計の針、水は器に雨は天へ。そうして皆々朽ち果てる。ありもしない終末の妄想が音により力を持ち、音符が形を持ってアイヴォリーへ襲い掛かる。
「貴方の音楽はその程度?」
 腕で黒い音符を払い除け、アイヴォリーは不敵に笑ってみせる。
「……そんなんじゃ全然、聴こえませんよ!」
 ギリギリのところで食らいはしてしまったが、身を包んだ防具のおかげで大きくダメージを減らせたようだ。声にも余裕の色が滲み出る。
「あなたは、だれを、なにをおもってこの音色を、奏でている?」
 癒し手として参加したフィーラも重ねてメタリックバーストを前衛へ放つ。
「グラビティチェインを得るため?」
 人間の頃なら、違ったのではないかと様々な感情を想像しながらフィーラは疑問を投げかける。己の探しものが何なのか、求めるものとは一体何か。忘れていた何かを、思い出せるかもしれないと一抹の希望を胸に抱いてもうひとつ、問いかける。
「ねぇ、ねぇ、教えて。あなたは今、どんなきもち?」
 しかし人間だった頃の記憶など遥か彼方、エインヘリアルはほとんど表情を変えず首を横に振った。それがわからないの意味なのか、何も感じていないのかという答えなのか。フィーラにはわからなかったけれど。
 主と同じくディフェンダーとして戦いに加わった梅太郎は、攻撃主体で立ち回りダメージを重ねていく。
 規則性の無い狂った旋律が弘幸の脳髄に響く。ずきり、と頭が痛むが覚悟していた程の衝撃ではない。僅かに口角が上がるだけ。
「同ポジ勝負ってのはどうしてこう正面から突っ込みたくなるんだろうな」
 誰に言うでもなく呟くと、弘幸は大振りなハンマーを握り直す。仲間を信頼し回復は任せることにした。己に課せられた務めを果たすのみ。踏み出したその先は敵の間合い、それでも躊躇うことなど、無い。
「図体がデカけりゃ良いってもんじゃないぜ」
 荒々しい一撃の、されど狙いは正確。研ぎ澄まされた感覚はエインヘリアルの肩口を捉え、力を増した腕が縋を振るい激しく打ち付ける。
 夜の闇を煌めくルーンが切り裂いた。呪力に包まれた斧を操りアイヴォリーが左腕へと振り下ろし、そして。
「追撃は任せます――!」
 声をかけた先は、アラドファル。
 返事の代わりに綺麗な青い髪が揺れて、駆けていくのが見えた。エインヘリアルの服が裂けて傷口が僅かに見える。
「大きな舞台でもない、沢山の観客も居ない……だが君の奏でる音楽は、俺達が最後まで付き合ってみせよう」
 少しだけ、遠くに聞こえたと思えば次の瞬間。耳元で音が鳴り響き、暴力的に思考を掻き回す。一瞬視界がぶれるが恭志郎は喉奥で声を抑え、その場に強く踏みとどまった。壁役としての力、そして防具の守護がダメージを大きく減少させる。立ち上る白き炎が陽炎めいて揺らいでも、戦意まで揺れることはない。
(「任せても平気そうか」)
 フィーラや未明、漆が比較的ダメージを負った前衛メンバーの回復へ回っているのを見て、癒しは任せても良いかとアラドファルは判断する。少なくとも、今は。
 メィメを中心とした援護で仲間たちの命中率が底上げされ、序盤は多少空振ることがあっても時が進むにつれ避けられることが少なくってきた。エインヘリアルが攻撃を仕掛ける度に、冷たい氷が体温を奪っていく。 が、その一方で仲間たちの負傷も増え、じりじりと少しずつではあるが押されてきた。
「……ッ。これは、痛み。傷。……」
 自分の両手を見詰めエインヘリアルが抑揚のない声で言う。両手を指揮者のように振るが、そのリズムは男の中にしか無い。張り付いた氷をいくらか振り払うがまだ大半は残っているし、傷口からは細く血が流れ続けていた。漆の用いた殺神ウイルスが身体にまわり、回復量自体やや落ちている。
 回復、しきれない。
 指極・玻璃絶刀刺。
 ウィッチドクターとしての知識やスキルを用いて指天殺をアレンジした、漆が持つ独自の技。グラビティ・チェインを操り己の手先を硬質な硝子に変化させると、月光を反射して鋭く光った。名医がメスを振るうが如く高速で斬撃を繰り出し、エインヘリアルの気脈をずたずたに切り裂き乱しに乱す。
「元々はただの真似事ですが、知識を応用すればこんなこともできるんですよ」
 ぴき、とエインヘリアルの腕に新しい氷が生まれた。だが、動きはまだ止まらない。フィーラは思わぬダメージを受けて片膝をつきそうになる。未明も傷が深いようだ。
「ここはわたくしにお任せを」
 ルーンアックスを振り被り高々と跳躍したアイヴォリーが、思い切り刃を振り下ろす。よろめいたエインヘリアルは低く呻いた。
「効いているようです。あともう少し」
 己の傷の痛みなど表情にさえ出さず、恭志郎が言う。
 たたみ掛けるなら、今を置いて他に無い。
「君は目を瞑るだけでいい」
 爪が飛び遊ぶように巨躯の輪郭を辿る。つらぬき、こぼれよと。瞬間的に速度を増して、危うい足取りのエインヘリアルへ。その肉厚な胴を突き破った。アラドファルの放つ爪が描く軌跡はきらきらと輝き、消えるまでの数秒を星屑に彩る。
「次の小節でこの曲もフェルマータ――さあ、お終いにしましょうか」
 攻撃チャンスを得た未明が何処か哀しげに、諦めの混じった瞳で敵を見詰める。
「選ばれたとか、随分と好意的な解釈だ。おまえに言ったところで詮無い事だが。時間は戻らないし、生き返りもしないけれど。代弁だってしないけれど、……此処で終わりにしよう」
 ロッドに意思と力を込めて掲げ、召喚した黄金の雷を放つ。びくびくと痙攣し膝をついた巨躯が、それでも地面を引っ掻き恨めしげにケルベロスたちを睨みつける。血の混じった体液を地面に吐き出し、ずりずりと前へ進んだ。
「あぁ、この音楽用語は好きだぜ」
 知り合いに世間話でもするような、場違いとも思える雰囲気で弘幸が口を開いた。
「フォルティシモ……ごく強くって意味だったよな。避けられるもんなら避けてみな」
 言い終える頃には零距離まで近付いた弘幸の左脚が、渾身の蹴りを繰り出していた。炎に焼かれるのはこれで二度目。死に損ないのエインヘリアルを、今度は地獄の業火が命ごと包み焼き尽くしていく。

●夜が明ける前に
 さらりと己の胸元に触れて、漆は服の下にある傷跡を確かめる。どうやら開いては、いないようだ。辺りのヒールには、未明やメィメたちも手を貸してくれた。燃えた後に何か残るかと探してみたが、楽譜など気になるものは残念ながら特にないようだ。あるとしたら、この戦いの記憶と経験。それはこれからの戦いでも、刃になり盾になることだろう。
「……わからなかった。みつからなかった」
 ほとんど声にもならず口の中で溶けて消えたフィーラの言葉は、ほとんどの仲間に届くことはなかったが恭志郎の耳は微かに拾ったようだ。
「探しものですか」
 大切な領域に深く踏み込んではいけない気がして、無意識のうちに控えめな問になってしまう。小さく頷くのを見て、微笑みを返した。
「見つかるといいですね。……『いつか』」
 短いそのフレーズは、己の心にとっても特別な響き。
「お疲れさん。全員、自分の足で立てるな」
 仲間たち全員を見渡して確かめると、弘幸は細く息を吐き出す。
「上等。生きてりゃそれだけで儲けもんだ。レクイエムなんざ聞きたくねぇな、ありゃ……残った者の為のもんだ」
 静かなジャズの流れる日常へ、弘幸は戻っていく。
(「……もしも彼が人間のままだったら。あの歌は、本当はどのように聞こえたのかな」)
「アラドファル?」
「何でもない。もう大分夜が遅い。とっとと帰って眠るとしよう」
 睡眠欲をこれ以上無いほど全面に押し出し、アイヴォリーの問いかけに首を振った。今は、それより眠いのだ。
 アイヴォリーは振り返って後ろを見る。
 小さく、ピアノの調べが聞こえた気がした。それは心が疼く鎮魂歌のような重く、また美しい調べ。きっと幻聴に違いないだろうけれど。その音が何故か胸に落ちて、深く染み込むのをどうしようもできなかった。

作者:成瀬 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年1月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
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