失伝救出~落日の残照~

作者:吉北遥人

 誰かの叫び声がうるさくて目が覚めた。
 飛び起きてから、その叫びが自らの喉から出ていたことに気付いて、うんざりしたように息を吐く。
「夢でよかった……」
「……襲われたのか? デウスエクスに」
 隣で寝転がっていた兄弟子に首肯を返し、法衣の少年は畳から起き上がった。
 ひどく現実味ある夢だった。デウスエクスが寺に突然現れて、皆を殺して回り、最後には自分も死んでしまうというものだ。
「俺もしょっちゅう見るぜ、そんな夢。このご時世だ。仕方ないさ」
「仕方ない、のでしょうか……あの方々がいてくれたらデウスエクスなど――」
「『あの方々』? 誰のことだ?」
 胡乱気に兄弟子が繰り返し、少年がはっと声を詰まらせる――自分は何を言っているんだ?
「デウスエクスを殺せる奴でもいるのか?」
「いえ、まだ寝ぼけてたみたいです。すみません……それより、そろそろ和尚様たちのところへ戻らないと」
「おお、そうだな。……おらっ、おめぇはいつまで寝てんだ!」
 まだ鼻ちょうちんを膨らませていた弟弟子を、兄弟子が叩き起こした。三人揃ってから、寺の外へ向かう。
 今頃は修練の真っ最中だ。それを怠ったりなどするから悪い夢を見たのだろう。つまりバチが当たったのだ。
「和尚様、遅くなって申し訳ありません……」
 境内では年少の門徒たちが套路を行い、不揃いなそれを、熟練の僧侶たちが丁寧に正している。全体を監督する位置に立つ最高齢の僧侶に、少年は恐る恐る頭を下げた。
 きっと、和尚様は自分たちを叱るだろう。でもすぐにいつもの慈愛あふれる笑顔で、修練に加わるよう自分たちに促してくれるはずだ……。
 だが、少年たちに返って来たのは、期待していた反応ではなかった。
 風を切る音が聞こえたと思った直後、和尚の首が血の糸を引いて舞った。
「え……」
 血しぶきの向こうに、赤く濡れた斧を引っ提げた星霊甲冑の巨漢を少年が見とめたとき、境内で悲鳴があがった。時同じくして現れたもう二人の巨漢――エインヘリアルと呼ばれるデウスエクスたちが、門徒たちに襲いかかったのだ。
「逃げろ!」
 達人級の拳士である僧侶たちまでもがあっさりと殺される光景に、兄弟子が叫んだ。呆けていた少年と弟弟子が我に返り、三人ばらばらの方向へ逃げる。
 だが、少年の逃走劇は長くは続かなかった。
 壁際に追いやられ、巨漢に戦斧を突きつけられる。さらに二人の巨漢まで追いついてきた。そいつらが手にしている生首は――。
「…………」
 もう、自分しかいないんだ。
 死ぬのも、逃げるのも。
 みんなの仇を討てるのも。
「うあああああああ!!」
 直後、脳天めがけて振り下ろされた斧刃を、少年は素手で受け止めていた。
 エインヘリアルたちが一瞬たじろいだとき、少年の背には『阿頼耶識』――武道家の到達点たる曼荼羅型の後光が発現している。
 そして少年に起きた異常はそれだけではなかった。全身が眩く発光し、涙が瞬時に蒸発する。
「ああああああああ!!」
 暴走する阿頼耶識に少年の視界が白く染まり――そしてすべてが燃え尽きた。

 誰かの叫び声がうるさくて目が覚めた。
 飛び起きてから、その叫びが自らの喉から出ていたことに気付いて、うんざりしたように息を吐く。
「夢でよかった……」

 ……本当に?
 この夢は、何度目の……。

●悪夢を断つ剣たち
 集まったケルベロスたちに、大きな帽子をかぶった小柄なヘリオライダーが一礼した。
「ボクのヘリオンへようこそ。キミたちを歓迎するよ」
 ヘリオン内の作戦室を兼ねた談話室で、ティトリート・コットン(ドワーフのヘリオライダー・en0245)はそうソファを勧めた。
「さて……昨年末、寓話六塔戦争でケルベロスが勝利を収めたことは知っているね? その際に、敵に囚われていた失伝ジョブの人たちを救出できたことも」
 知らない、と答える者はいない。
 ここに集ったケルベロスは全員、その失伝ジョブの力を持つ者たちだ。戦争を境に突如覚醒した者もいれば、まさにその戦争で救い出された者もいる。いわば当事者なのだ。
「戦争では、今なお囚われている人たちがいるという情報も得られたね。その情報と予知により、失伝ジョブの人たちが囚われている場所がわかった。キミたちには彼らの救出に向かってほしい」
 失伝ジョブの人々は、『ポンペリポッサ』が用意した特殊なワイルドスペースに閉じ込められている。
 なんとこの空間内では、『大侵略期』に実際にあった悲劇が繰り返し再現されているのだ。
「しかも、失伝ジョブの人たちに対して『自分たちがケルベロスのいない時代に生きる人間』って誤認させる効果もあるみたいでね。囚われた『光輪拳士』の人たちも、その設定に従わされるまま過去を体験し続けているんだ」
 これにより失伝ジョブの人々を絶望に染め、反逆ケルベロスとするのが、ドリームイーターの作戦だったのだろう。
「けれどケルベロスが戦争に勝ったことでその目論見は崩れた。彼らが反逆ケルベロスになる前に助けられる。そこでキミたちの出番というわけだね」
 というのも、この特殊なワイルドスペースは失伝ジョブ以外の者は出入りができないのだ。
 必然、この作戦に参加できるのは『失伝ジョブを持つケルベロス』だけということになる。
「キミたちがワイルドスペースに入ると、山奥の広い寺社みたいな場所に出るだろう」
 拳士たちのいわゆる隠れ里だ。境内で門徒たちが修練を積んでいる最中にエインヘリアルが現れ、まず和尚を殺害する。それを皮切りに殺戮が始まる。
 光輪拳士の少年たちは抵抗するが、最終的には殺されたり、暴走した自らの光で焼け死んでしまう。
 それが延々と繰り返されているのだ。
 いずれ心が折れてしまえば、彼らは反逆ケルベロスと化してしまうだろう。
「まずは境内に向かってほしい。声が聞こえる方向だからすぐにわかると思う。そうしたら、和尚様が殺されたり年少の門徒たちが襲われたりする、その少し前の場面に立ち会える」
 エインヘリアルたちが現れるタイミングは目視できるので、割り込むなどして殺戮を食い止めることは充分可能だ。
 囚われた光輪拳士たち以外の登場人物は全員が残霊で、生きた人間ではない。だがたとえそうでも、光輪拳士たちを絶望から救うためにも、犠牲者は少ない方がいいだろう。
 敵の妨害に成功したら、敵はケルベロスたちを警戒すべき脅威とみなして優先的に狙ってくる。
「いろいろ不安もあるかもしれないけど、戦力面については安心して。敵は残霊で、実際のエインヘリアルよりもかなり弱体化した存在だ。ケルベロスに覚醒したてでも、きっちり作戦を練れば充分に勝てる相手だよ」
 囚われた光輪拳士たちが全滅する前に敵を倒しきり、たった一人でもいいから救出できたら、こちらの勝利だ。
 ただし、ワイルドスペースに長く留まり過ぎるとケルベロスたちまで悲劇の世界に呑み込まれてしまうおそれがある。探索などを行う余裕はなさそうなので、戦闘を終えたら速やかに空間を脱出してほしい。
「キミたちは希望。長く苦しい歴史の果てに現れた、希望の光そのものだ。その力をもって、どうか彼らの絶望を払ってあげて。よろしく頼むよ」


参加者
神子柴・甚九郎(ウェアライダーの光輪拳士・e44126)
八咫丸・緋桐(白亜即ち極楽浄土・e44372)
ヲル・ニゲラ(貌重ね・e44427)
アモル・ミロル(愛ゆえに盾となる・e44561)
峰・譲葉(崖上羚羊・e44916)
和銅・恭子(地球人のブラックウィザード・e44919)
斬々・マイ(くるくるバラバラ・e44965)
空鳴・熾彩(ドラゴニアンのブラックウィザード・e45238)

■リプレイ

●悪夢への介入
 少年拳士たちが和尚のもとへ駆け寄るさなかに、そいつは音もなく現れた。
 敷地内に侵入した、星霊甲冑を纏った巨漢――エインヘリアルが、手にしたルーンアックスを横薙ぎする。斧刃は死角から、隙を見せた和尚の頸部へと精確に吸い込まれる。
 だが境内の清澄な空気を乱したのは血しぶきではなく、金属同士がぶつかる甲高い音だった。
「ざァ~んねん」
 斬々・マイ(くるくるバラバラ・e44965)がケラケラ笑った。何が起こったかわからぬげな和尚たちに顔だけをぐりんと向ける。
「はァーい。こんちわ? 守るの手間になっちゃうカラ、バックオーラーイ。ンじゃ、絶対、その場から動かないでネ」
 顔に走るバツ印のような傷を歪ませて笑う間にも、マイは戦斧を弾いた喰霊刀を素早く切り返し、切っ先を敵の顔面へと突き込んでいる。とっさの跳躍でエインヘリアルが喰霊刀から逃れるが、それを待ち受けていたかのように光弾の雨がエインヘリアルを横殴りに直撃した。
「あれは……!?」
 星霊甲冑から白煙をあげて膝を突いた巨漢に、門徒たちがざわめいた。デウスエクスが突然襲ってきたことも驚きだが、今の輝きは、武の極致たる『阿頼耶識』の光ではないか!?
 驚愕する門徒たちに、新たに二人のエインヘリアルが忍び寄った。それぞれゾディアックソードを振りかぶり、躊躇いなく幼い門弟たちに斬りかかる。
「兵法とは詭道、奇襲は定石――それなら急な助太刀もまた戦いだ」
 そのとき二つの凶刃の前に割り込んだのは全身甲冑の人物だった。無骨な騎士鎧の内から中性的な声が聞こえてくる。
 上背で劣りながらも、アモル・ミロル(愛ゆえに盾となる・e44561)がオウガメタルをコーティングした篭手で大剣を受け止め、弾き返す。
「この戦い、このケルベロスたちに任せて貰おうか!」
「よぉく頑張ったな、真面目で健気な少年僧諸君! ここまで折れずにいてくれた事への、最大限の謝礼として――」
 アモルの口上に続いて、八咫丸・緋桐(白亜即ち極楽浄土・e44372)が声を張り上げた。鋭く旋回させた長い尾で斬撃ごと巨漢たちを追い返すと、背後へ親指を立てる。
「――見せてやらぁね。我ら『ケルベロス』による、地獄の底からの大活劇!」

●番犬の存在
 土を削りながら後退する大剣のエインヘリアルたちを、峰・譲葉(崖上羚羊・e44916)の咆哮が襲った。カモシカの独特の高音が不可視の鞭となって巨漢たちを打ち据える。
 同時に銃弾の嵐が殺到した。空鳴・熾彩(ドラゴニアンのブラックウィザード・e45238)の制圧射撃だ。銃弾と咆哮、甲冑越しに浴びる無数の衝撃に、星霊甲冑から唯一覗く巨漢たちの口から、かすかに堪えるような響きが漏れる。
 その巨漢たちめがけて和銅・恭子(地球人のブラックウィザード・e44919)が迫撃した。
「恭子ちゃんいっくよー!」
 動物を象った仮面で顔の半分が覆われ、突撃する恭子が何を考えているかは窺い知れない。ただ狂ったような笑みを浮かべたまま腕を振るう。
「恭子ちゃんたちを誰と心得るか! かのヒーロー、ケルベロスであるぞ! がおー!」
 腕の動きに連動するようにしなったブラックスライムが、巨漢の一人に強烈なフックを見舞った。グラビティブレイクの直撃に、巨漢が大剣を持ったまま吹っ飛ぶ。命中度外視の大振りがここまで見事に決まったのは、直前にヲル・ニゲラ(貌重ね・e44427)によって肯定の加護を得ていたためだ。
「おんしらはいったい……」
 疑問を絞り出したのは先ほど庇われた和尚だ。背後の少年拳士たちを守るように腕を広げ、ケルベロスたちとエインヘリアルを見比べている。
「敵ではないようじゃが、デウスエクスではないのか?」
「私たちはケルベロス。君たちを助けに来た」
『nocturne』の弾倉を交換しながら、熾彩は淡々と応答した。
「暫く後ろに下がっていてくれ……私たちなら心配いらない。あの程度、一捻りだ」
「キミらはネ、そこで見てるとイイよ。不愉快なデウスエクスが愉快に斬り殺されるノヲさァ」
「しかし、相手はあの……」
 熾彩とマイに押しやられながらも和尚がまだ何か言いかけたとき、重い音が境内を震わせた。
 譲葉の咆哮から逃れたエインヘリアルが、疾走するとともに大剣を振り下ろしたのだ。大剣を中心に巻き起こる強烈な風に、年配の僧侶たちが幼い門弟を庇いながら後退する。
 だが風圧の発生点にいながら禿頭のドラゴニアンは微動だにしなかった。自らの肩に大剣を食い込ませながら、緋桐は陽気な笑みを保っている。
「大丈夫です、和尚様。あの方々なら」
 デウスエクスの攻撃を受けても平然としていることに、和尚が目を瞠る。その法衣の裾を少年がつまんだ。
「なぜだかわかるのです。『ケルベロス』が来たなら、もう大丈夫なのだと!」
「『さあさあ開演の時来たれり! 観客の皆々様はどうぞ安全圏までお下がりを』」
 どこか熱に浮かされたように少年が言ったとき、よく通る声が全員の耳を打った。黒マントを颯爽と翻してヲルが大仰なお辞儀をする。つば広帽子の下、白塗りの仮面に描かれているのは喜びの顔だ。
「『ここは我らが舞台、我らが独壇場! 最上極上至高の舞台をお見せしましょう!』『そして友たる番犬たちよ、共に戦う君のためこの言葉を贈ろう! 今、君は総てを許された!』」
 自分が見るかもしれなかった悪夢、そして自分たちでなければ打ち壊せない悪夢。そこから失伝能力者を救い出すため、ヲルは高々と歌うように後衛へ加護を施す。
「『彼等に証明するのです、我々の存在を! デウスエクスを噛み砕く番犬の存在を!』」
「……連中は俺たちに任せてくれ」
 ジャガーの頭を持つ神子柴・甚九郎(ウェアライダーの光輪拳士・e44126)の姿は、僧侶たちにはとても奇異に映ったことだろう。大侵略期の時点ではウェアライダーはまだ地球人の友ではないからだ。
 だが甚九郎のまっすぐな眼差し、そして背に輝く阿頼耶識には、その事実があってなお信を置きたくなる説得力があった。
「俺たちが相手だ、エインヘリアル」
 さっき阿頼耶光で打ちのめしてやった巨漢が、斧を構え直して立ち上がる。刺すように放たれる殺意を真っ向から睨み返し、甚九郎は人差し指だけで手招きした。
「お前らがウドの大木じゃないならかかって来いよ?」

●惨劇を断つ光
「わはっ、情熱的!」
 先ほど殴り飛ばしたエインヘリアルに斬りかかられ、恭子の発した声がそれだった。立て続けに襲い来る斬撃に、支離滅裂な悲鳴をあげつつ恭子が地面を蹴るが、完全には回避できていない。腕や脚を裂かれ、血が風に混ざる。
「ぷんぷん! しつこいと恭子ちゃんアングリー! 飛んでくお空はいい天気!」
 大きく振りかぶった腕に合わせ、たわんだスライムが巨漢に突き進んだ。だが相手も歴戦の勇士だ。余裕でブラックスライムをやり過ごすや瞬時に恭子の死角へと回り込む。大剣が彼女の首めがけて水平に振るわれた。
「!?」
 巨漢が驚愕を表したときには、その全身はすっぽりとブラックスライムに呑まれている。恭子はといえばそちらを見てもいない。ありえないほどの正確さだ。まるでスライムが意思を持って装着者を守ったかと思えるほどに。
 捕縛されたエインヘリアルに容赦なく光の雨が叩き込まれる。譲葉の阿頼耶光だ。
(「たとえ彼等以外のすべてが残霊であっても助ける――俺が見てきたケルベロスなら、きっとそうするだろう」)
 スライムの捕縛からなんとか逃れた巨漢が、掲げた大剣で光弾を凌ぎながら譲葉へと突進してくる。ここで止められなければ、こいつは寺の者たちを殺しにかかるだろう。
 どんなに苦しくてもケルベロスは諦めない。助けを求める人のために全力を尽くすヒーローだ。だから――!!
 その瞬間、譲葉の体が強く脈打ち、体中の血管が浮き上がった。内側から皮膚を突き破って血潮が噴出するや、その全身を朱き零の術――禍々しい羅刹の紋様が覆っていく。
「俺が、お前ら如きに、負けるものか!」
 光弾の連射が加速した。
 爆発的な怒りが乗った光の奔流は巨漢の突進を食い止めるのみならず、押し返す。大剣をも粉砕し、エインヘリアルを跡形もなく消滅せしめた。

 大剣が地面にクレーターを作ったとき、緋桐は軽やかに宙を舞っていた。
 鮮やかな跳躍を決める一方で、その尻尾は独立した生き物のように動いている。その先端が器用に掴んでいるのはペイント用の太い絵筆だ。
「おおっと!」
 絵筆に威力はないが、エインヘリアルを激昂させるのには充分だった。兜にラクガキされた巨漢が大剣を振り回し、緋桐がバク転しながら距離を取る。そのキレのある所作からは、ついさっき肩に一撃もらった影響などまったくないように見える――。
「おや、ようやく気付いたようだね」
 顔が出ていればウィンクしていそうな調子で、アモルはこちらを向いた巨漢に爽やかに話しかけた。その最中もオウガメタルを飛ばしては、前衛に癒しと加護を付与している。
「前で守るだけが盾じゃない。味方をサポートして結果的に守ることこそが盾なんだ――さて、それを知った今、君は僕をどうするかな?」
 答える代わりに、エインヘリアルは大剣を振り上げた。ひと呼吸でアモルに肉薄するや斬撃を繰り出す。
 大量の血が噴き上がった。だがそれはアモルのものではない。寸前に割り込んだマイが素手で大剣を受け止めたのだ。グラビティで補強しているとはいえ無事で済むはずもなく、血塗れの手は無残な傷口を晒している――それなのにマイはケタケタと不気味な笑いを絶やさない。
「エサの時間だよ、小鳥たち。さ、タァンとお啼き」
 字面だけなら優しいその声は、呪詛のように昏く響いた。悪寒でも生じたのかエインヘリアルが距離を取ろうとするが、それを阻むように周囲で六色の塗料が飛沫をあげる。緋桐がばら撒いた、敵の動きを鈍らせる特殊な塗料だ。
「タァンとお食べ」
 橙、黄、緑、青、藍、紫に彩られたエインヘリアルに、刃に乗った赤が刺し込まれた。
 星霊甲冑の隙間から突き入れた喰霊刀をマイが引き抜いたときには、巨漢は声にならぬ絶叫をあげている。その体内でマイの血が凝固し、棘のように膨張しているのだ。内側から凝血の枝が星霊甲冑を突き破ってまで伸び生えてきたとき、すでに巨漢は活動を停止していた。
「ごちそうサマァ。ねェ、回復おっついてないトコある? ヒール手伝うよォ?」
「おいおいマイちゃーん、自分が一番ひどいありさまって自覚ある??」
 吹き出すように緋桐が笑って、血塗れのマイの肩を叩く。だが出血は日常茶飯事らしくマイに苦痛の色は一切ない。
 それを確認しながら、アモルは最後に残った敵へと視線を転じた。甲冑の下に不敵な笑みをたたえて。
「さあ、どうしたエインヘリアル。負け戦は初めてか?」

 斧と薙刀がぶつかっては弾き合い、また衝突する。
 このエインヘリアルは他二人よりも強いようだった。熾彩が繰り出す月光斬をルーンディバイドで相殺し、巧みに攻撃を凌ぐ。
 だがさしもの勇士も不可視の魔法には反応が遅れた――星霊甲冑の脇腹が、あたかも見えないスプーンでくり抜かれたように消滅する。
「!?」
 それがヲルの放った虚無魔法だと巨漢が認識するより早く、その懐に甚九郎が潜り込んだ。光を纏う拳が巨漢の顎を打ち上げる。
「すごい……そうだ、これがケルベロス……!」
 少年が感嘆し、兄弟弟子たちも興奮したように唸る。
 なぜ彼らを忘れてしまっていたのだろう。今なら世界の希望である彼らのことをはっきりと思いだせる。同時に、今の技が光輪拳士のものであることも一目瞭然だった。ケルベロスならその技でもデウスエクスに立ち向かえて、人々を守れるのだ。ケルベロスなら……。
「オレたちだけじゃない。あんたらにも、戦う力があるんだ!」
 まるで心を読んだようだった。渾身の右フックで巨漢を突き飛ばすと、普段の穏やかな声音に戻った甚九郎が少年たちに呼びかけたのだ。
「まー見て分かるだろうけど、オレ自身の精神修養が完璧だなんて思わない。それでも阿頼耶識に至り、この通り焼かれることなく使いこなせてる……あんたらも同じだぜ?」
「私たちが……」
 やや気恥かしげに語る甚九郎へ礼をするかのように、三人の兄弟弟子――いや、光輪拳士たちは胸の前で掌を合わせた。
 次の刹那、その背に後光、阿頼耶識が現れる。
「ならば私たちも戦います。あなた方とともに、人々を守るために!」
 阿頼耶識が発光する……が、光弾は放たれない。よく見れば少年たちの額を滝のような汗がつたっている。繰り返し味わってきた悪夢がまだ尾を引いているのだ。またこの力が暴走してしまったら……。
 少年の肩に皺だらけの手が置かれた。和尚だ。ただ前を凝視する少年たちを慈しむように笑みをたたえていて――その姿が青く霞んだ。
「!?」
 ケルベロスたちの驚きをよそに、和尚はすでにその輪郭を失いつつあった。和尚だけではない。すべての僧侶、門弟たちが同様に姿を薄れさせ、残霊へと帰りつつある。そして阿頼耶識の輝きに残霊の淡い光が混ざり合い――。
 次の瞬間、無数の阿頼耶光が光輪拳士たちから放たれた。残霊とともに繰り出された新しいグラビティが、エインヘリアルを貫く。
 幾度も殺戮を行ってきた斧の巨漢は光に呑まれ、跡形も残らなかった。

●未来へ
 背の阿頼耶識が消えてから、光輪拳士たちはようやく、薄れていく僧侶たちに気付いたようだった。
 だがもう彼らは、自分たちが悪夢から目覚めたのだと気付いている。ただ尽きぬ恩を告げるかのように、掌に拳を合わせ、消えゆく者たちに深く頭を下げた。
「ま、お疲れサマ? しんどかったと思うケドさ、助かって良かったネ?」
「よかったねー。兄弟、仲良くなのは大事です!」
「もう兄弟弟子ってわけじゃねぇけどなぁ」
 マイに続いて恭子と緋桐が明るく笑いかけ、光輪拳士たちもつられたように笑みを見せた。
「あなた方に満腔の感謝を。これよりは私たちも、ともに戦います」
「ああ! オレ神子柴甚九郎! あんたらの名前も聞かせてくれよ。これから一緒に戦う『仲間』なんだしさ!」
「はい! 私はレイ――」
 少年が答えようとしたとき、境内の空気が妖しく渦巻いた。
「次の惨劇か」
「早いね、もう繰り返すのか」
 熾彩とアモルが呟いたように、また残霊たちが過去を再現しようとしている。その前に……。
「積もる話もあるだろうが、まずは離脱だな」
 悪い夢はもう終わったよ――譲葉がそう言って、皆が走り出す。もといた自分たちの世界へと。
「『かくして阿頼耶識に至る者たちは救われた』『彼らの行く末は――』」
 フッと、ひとつ息をつき、ヲルはマントをはためかせた。
「『それでは、次の幕までしばしのお別れを』」

作者:吉北遥人 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年1月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 9/感動した 2/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
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