病魔根絶計画~いつか紺碧の大海へ

作者:神南深紅

●いつか、遠いいつか
 小ぢんまりとした個室は天井も床もくすんだ白で、ベッドを囲むようにレールが敷かれたカーテンの色だけが青と緑の間ぐらいの色になっている。この部屋には鮮やかな色がない。この部屋のかりそめの主は花粉が苦手で病室にはつきものの花もない。
「お兄ちゃん、もういいよ。お兄ちゃんだって色々忙しいでしょう?」
 小さな声で主がいう。大声を出すほどの息を吸ったり、強く吐き出すことが出来ないからだが、もし出来たとしても彼女はやっぱり小さな声しか出さなかっただろう。それほど気力が落ちていた。
「……そんなこというなよ、香澄」
 コートと制服のブレザーを脱いだ姿の兄はうつむいたまま妹のふくらはぎをマッサージする。病気になる前はスポーツが好きでクラスの人気者であった香澄だが、休学してずいぶんになる。身体が不自由になってからはずいぶんと筋肉も落ち、足も手も細くなり硬くなってしまっている。香澄はぼんやりとカーテンを見つめ、ぽつりと言った。
「海、また行きたかったな」
「行けるさ」
「……そうだね」
 兄の言葉に香澄は力なく言った。

 ヴォルヴァ・ヴォルドン(ドワーフのヘリオライダー・en0093)は『メデューサ病』の根絶に力を貸して欲しいと言う。
「もう着々と準備は進められていてな。あとは特に強い病魔を倒してもらうだけなのだ。もちろん、やってくれるであろう?」
 ヴォルヴァは信じていると言外に伝えてくる。今回、すべての病魔を倒してしまえばこの『メデューサ病』は根絶される。新たにこの病気に苦しむ患者は生まれない。
「デウスエクスとの戦いに比べれば決して緊急の依頼というわけではない。だが、寿命のある人生においては時間はかけがえのないもの。できるだけ早く助けてやりたいではないか? なぁ、諸君」
 ヴォルヴァは腰に手を当て小さくうなずいた。
「さて、諸君らに倒してもらう予定の病魔だが、石化を伴う視線……これは遠隔単体攻撃だな。それからすぐ近くの敵に頭部の蛇で襲わせるもの、そして生気を吸い取るヒール技がある。あまり小賢しい手管を使うことはなく、最も近い場所にいる者か最も強い攻撃をする者を狙ってくる。さらに『個別耐性』をゲットしておけば戦いを有利に進めることが出来るだろう」
 ヴォルヴァの言う『個別耐性』とは対象となる患者の看病や話し相手、慰問などで一時的に得られるもので、病魔から受けるダメージを軽減することが出来るのだ。
「少しでもその子の、久住香澄15歳女子中学生の気持ちをアゲてやればいい。ずっと病気に苦しめられてきたんだ。ちょっとヒネちゃいるが純粋な子供だよ」
 病魔根絶のチャンスでもあるしよろしく頼む、とヴォルヴァは言った。


参加者
マリオン・フォーレ(野良オラトリオ・e01022)
ユーリエル・レイマトゥス(知識求める無垢なるゼロ・e02403)
木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)
尾守・夜野(鞠・e02885)
朔望・月(既朔・e03199)
チロ・リンデンバウム(ウェアライダーの降魔拳士・e12915)
ダンドロ・バルバリーゴ(冷厳なる鉄鎚・e44180)
日色・勇翔(大冒険の予感・e44857)

■リプレイ

●鮮やかな色があふれる
 事前に来訪を告げられていた久住香澄とその兄、浅葱はやや緊張しつつ彼らを迎えた。性別も年齢も人種も違う8人のケルベロス達が入ってきても、その特別に広い病室は少しも狭くない。
「今日は本当にありがとうございます。妹のこと、どうかよろしくお願いします」
 両親に代わって神妙に挨拶する兄を香澄はベッドの上で微動だにせず、その顔をぼんやりと見つめている。
「初対面だが俺たちがこれからあんたの病魔を倒すケルベロス達だ。つまりあんたの病気はこれから治るってワケだ。希望が出てきたか?」
 広い病室の隅々まで響き渡るような豊かな声量で木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)が言う。それから、ハッとしたように名前を名乗った。ブローせずに寝て起きたあと全力疾走したかのような髪は漆黒で、瞳は奥から血色が浮くかのように赤い。
「あ、香澄さんのお兄さんですね。私はユーリエルと申します」
 ユーリエル・レイマトゥス(知識求める無垢なるゼロ・e02403)は小さく浅葱を手招きすると小声で話し始める。
「私はオラトリオのマリオンです。香澄さんと同じ、15歳なんですよ。ダイビングをされたいなら、ダイバースーツは必須ですよね。是非是非私にプロデュースさせてください!」
 胸元へとこぼれる銀色の長い髪を背へと戻しながらマリオン・フォーレ(野良オラトリオ・e01022)が言う。若草の鮮やかな瞳には一点の曇りもなく、まぶしいほどの善意にあふれている。
「……やさしいのね、マリオンさん。私が、可哀想だから?」
 香澄は力なく目を伏せる。
「いえいえ、そうじゃないんです。だって香澄さんはこれから治るんです。もうダイバースーツだけじゃなくてフィンとかレギュレーターとかも必要なんです」
「あの、あのね。かつてのチロは歩くワイルドと呼ばれた程の野生児で海で素潜りしては貝や魚をゲットし、こう、むしゃむしゃと喰ったもんじゃ」
 今は漁師の皆さんにご迷惑がかかるからやってない、と言いつつチロ・リンデンバウム(ウェアライダーの降魔拳士・e12915)が必死に語る。
「お魚以外にも、海底にはきれいな色のガラスや貝殻がこう、宝石箱に収められた指輪のようにちりばめられていてね」
 チロは一呼吸置く。
「何より綺麗なのは、海面を見上げた時に波を透かして降り注ぐ、まるでシャワーの様なお日様の光なのじゃよ。もし香澄ちゃんが見たいのなら、かつてワイルドで鳴らしたチロが責任をもってご案内するよ!」
 深い海の色のような瞳が輝き香澄を見つめる。けれど、香澄は視線を落とした。
「無理よ。こんな細いし、もう動かないわ。強い薬だって……」
「ボクよりおねーさんなのに簡単に諦めるんだね? 治る機会が今あるのに簡単に諦めるんじゃないのです!!」
 とうとう我慢出来なくなった……という風に今までじっとうつむいていた尾守・夜野(鞠・e02885)は顔をあげ。香澄の言葉を遮り一気にまくしたてた。
「どうして、怒って……」
「おねーさんはまだ口も頭も動くのに。だったらせめて呼んだ病魔にざまぁみろと罵る言葉でも考えているのです!」
 もう夜野は止まらない。
「強い薬? 副作用? 生きてるじゃん! キミ 生きてるじゃん!!! おにーさんもいるじゃないか! ボクにはもう誰もいないのに!! なら生きてよ! 頑張ってよ!!! 希望に……」
「もういい」
 止まらない夜野の背後から顔と体を抱きしめ止めたのはダンドロ・バルバリーゴ(冷厳なる鉄鎚・e44180)の大きな逞しい手だった。
「それ以上自分の身を削らなくていい」
 もう若くはない男の静かな声は夜野を途中から駆り立てていた何かを鎮め、その言葉に揺さぶられた香澄の心がすっかり開いているのがダンドロにはわかる。憑魔病、ハゲロフォビア、結核など治療困難とされていた病気が根絶されたことを香澄に語る。
「だが我らができるのは『治りたい』と思う者を助ける事だけだ。深い闇に包まれた絶望の海に沈む者までは我らは救えぬ。だから約束をしてくれないか?」
 ダンドロは静かに言う。
「病気を克服して光に射す紺碧の海を泳ぎたい。絶望ではなく希望を心に留めてくれるのならば、それを成就させることを誓おう」
 自分にもそして他者にも決して甘く接することをよしとしないダンドロが香澄に問う。
「……わかった。私、治りたい」
 大きく息を吸ったのにごくごく小さな声で香澄は言った。今はそれ以上声は出せなかった。
「そうと決まったらオレ、さっそくイーゼル置かせてもらうぜ。香澄ねーちゃんがよく見える場所、ゲットしていいよな、な」
 その場のちょっと重苦しい雰囲気を意にも介さず日色・勇翔(大冒険の予感・e44857)は自分の身体と同じぐらいイーゼルをさっさと置くと、もう一度部屋の外に出て今度は立派で高価そうな画用紙をイーゼルに乗せる。
「なんだ、もうずいぶんと出来上がっているじゃないか。よく描けてるな」
 勇翔の描いた海中の絵を覗き込んだウタは関心したように言う。芸術作品というわけではないが、勇翔の年齢にしてはよく描きこまれている。
「だいたいはな。あとはねーちゃんのダイビング姿と、それからこれじゃあちょっと寂しいから色々描き足そうと思ったんだけど、オレあんまり海の中の生き物って詳しくないんだ。なぁ、どんな生き物がいるんだ?」
 勇翔はなつっこい笑顔を香澄に向ける。
「僕が身体に触れても構いませんか?」
 中世的な印象の、男物に見える服を着た朔望・月(既朔・e03199)が聞く。けれど近くで見れば月に他意はなく、また女性なのもわかったのだろう。香澄はうなずいた。
「僕も3年前までずっと病院で眠っていたんだそうです」
 どこか他人ごとの様にその前の記憶もないと月は穏やかに笑って言う。
「辛く、ない?」
 小さな香澄の問いかけにこたえる前に勇翔の声が響く。
「えー、月のねーちゃんがそこにいると香澄ねーちゃんが見えにくくなるぞ」
「それは残念ですがマッサージをするのに離れているわけにはいきません」
 柔らかな薄い掛け布の上から月はまず香澄の脚に触れる。
「海の中に行くのなら潜水をマスターしなくてはならないでしょう。香澄さんは泳げますか?」
「どう、かな? 今は……無理だけど」
「泳ぎや自転車などというものは一度覚えてしまえば出来なくなることはありませんよ、大丈夫」
「今日はメデューサ病……つまり、貴方の罹患している病が『治る病』となるのです。だからこの戦いが終わればお兄さんと一緒に海に行けますよ、大丈夫です」
 ユーリエルは優しい微笑みを浮かべて言う。傍らにいた兄の浅葱も大きくうなずいた。

●病魔根絶
「よろしいですね。では始めます」
 施術黒衣をまとった担当ウィッチドクターが香澄の身体から病魔を引きずりだす。赤い瞳がギョロリと動く巨大な頭部、髪の様に無数に生えて青白い蛇のような形状のモノが繊毛の様にうごめく。
「にしてもメデューサ病とは言い得て妙だの」
 感心したかのようなダンドロの声。
「というか顔が! 顔がすげぇ怖い!」
 思わず言ってしまったマリオンを誰も責められないだろう。
「てめぇは気に喰わないけど……こうして病魔って形でぶん殴って治せるならそれも悪かないか」
 素早くウタが体制を整える。
「覚悟しな」
 その言葉が唇からこぼれたときにはもう床を蹴っていた。体当たりするかのような勢いのまま放たれた飛び蹴りには流星の煌めきと重力がこもっている。いきなりのクリーンヒットに動きが鈍る。
「おねーさんの気持ち、ボクはまだ確かめたわけじゃないけど……」
 夜野の小さな声は誰かに聞こえただろうか。本当に根絶させたい病気がある。けれど、まだそれはなしえることができない。ウィッチドクターの力もケルベロスの力も万能ではなく、ケルベロスであってさえ叶わぬ願いがある。夜野のまだ年若い心を揺さぶる大きな波を無理やり抑え、前衛の前に雷の障壁を創り出しその状態異常への体制を増す。
「ボクはケルベロスだから、ケルベロスだから」
 満月のような眼が雲に隠れる様に伏し目がちになる。
「僕と一緒に、『櫻』も前に出てください」
 対デウスエクス用のウイルスカプセルを投げる月の脇を滑りぬけ、ビハインドの『櫻』が体当たりを敢行する。月と『櫻』の同時攻撃に病魔がひるむ……その隙にユーリエルの装甲がまばゆく輝き、放たれたオウガ粒子が前衛の超感覚を覚醒させる。視線の端では担当ウィッチドクターと浅葱が香澄を連れて病室の外へと退避してゆくのが見えている。
「よかった。私の言葉を信じてくれたのですね」
 ユーリエルは浅葱に香澄の避難を頼んでいた。同時にそれは浅葱の安全にもつながる。これで心置きなく戦える。
「絶望の未来なんてオレが塗り替えてやるぜ!」
 勇翔はペイントブキを手に『空中に浮かぶ道』を描き、その上を滑走して敵に突撃する。
 そのタイミングで病魔が攻勢に出る。頭部でうごめく蛇のような部分が前で戦う者たちに襲い掛かった。鋭く細い牙のようなモノが皆の腕や脚に噛みついてくる。夜野のライトニングウォールのおかげか持続的なダメージは現れないし、深刻ではないがそれぞれが傷を負う。
「ここは力を合わせて頑張ろうぜ! お前ら体型に凹凸が無いから、ダイビングとか得意だろって、旅団のキノコも言うてたしな!」
 狂月病の事はあまり気にしてない様に見えるチロは大好きなマリオンににかっと笑う。
「あのキノコ野郎……いつか沈める。けど、差し当たって今のこの怒りは病魔にぶつけましょう」
 にこやかに、そして軽やかに古代語を紡ぐマリオン。すると魔法の光が放たれて石化が得意だろう病魔に石化を狙った攻撃が仕掛けられる。だが、病魔の動きに目立ったぎこちなさはない。
「チロの手から逃れた獲物はいなーい!」
 その手の先から魂を喰らう降魔の一撃が放たれ、相棒である『ハムス犬』は咥えた武器で鋭く切り裂く。
「哀れなゴルゴンの名を持つモノよ。その名とともに倒れるがいい」
 呪詛のこもる武器はそれゆえ美しい軌跡を描き、斬撃を病魔に放ってゆく。蛇のごとき部分が斬られ、ボトボトと床に落ちる。
 その後も病魔の攻撃は防御を固めた前衛に痛烈なダメージは与えられず、ヒールを担当するはずのメディックも攻撃に加わったケルベロス側が戦いを有利に進めてゆく。
「踊ってもらうぜ? お相手は地獄の焔摩だけどな」
 ウタの得物からは断罪の業火が放たれ、稲妻を帯びた目にも止まらぬ夜野の技が病魔を突く。
「そろそろ倒れてよぉ。ボクは病院に長く居たくないんだよねぇ」
 まだうごめく病魔頭部の蛇も、そこから落ちた蛇の残骸も回避しながら夜野が飛びのき、入れ替わるように月が卓越した技量で見惚れるような一撃を放つ。同時に『櫻』も斬撃を放ち、病魔の巨大な頭部のような身体がザクザクと切り裂かれ、細切れになってゆく。
「『ワイルドハント因子:起動』……蝶よ、意思を、熱を、そして命を奪え。『C・バタフライ』発動……」
 ユーリエルの藍色の髪、その一房が薄水色へと変わる。絶対零度の凍気から生み出された蝶の群れが病魔に取り付き、その全てを吸いつくそうとする。

「ここらで一回、俺の力を見せてやるぜ!」
 勇翔はエクトプラズムで疑似肉体を作り、ちまちまと攻撃され続けてきた味方の外傷を塞いでゆく。それをマネたわけでもないだろうが、病魔も傷だらけになった自分の身体をヒールしてゆく。
「勇翔さんのヒールで間に合ってますね。それでは……」
 マリオンの武器からは『物質の時間を凍結する弾丸』が放たれ、その弾丸を追い抜くような勢いで接敵するチロは獣化した拳を振るう。もちろん『ハムス犬』も攻勢に出ている。
「喝!」
 ドラゴニックハンマーの強烈な一撃が病魔に叩き込まれる。病魔の全身が打ち震え、端から崩壊してゆく。
「そらよっ」
 ウタは真正面から『ワイルドウィンド』を力任せに振った。病魔の崩壊はその攻撃に崩壊の度合いを増し、そして病魔の残骸は床に堆積し消えていった。
 香澄を蝕んでいた『メデューサ病』は完治した。

「回収完了。これでもう、この病は私のデータの中だけの存在となりました」
 ユーリエルは静かに目を伏せる。データの回収まで終わらないと戦いが終わった気がしない。それよりも前に香澄は検査や診察でどこかへ連れていかれ、いつ戻るともしれない。
「じゃお先にねぇ。本当に病院は苦手だから」
 皆に挨拶をすると逃げるように夜野はその場を立ち去ってゆく。不審に思われないギリギリの速度だ。
「あ、みなさん、妹のために本当にありがとうございました」
 兄の浅葱は夜野の背に、そして皆に深く頭を下げる。
「そなたも辛かったろうに。深い絶望の中、よう頑張ったのう」
「この絵やるよ。香澄ねーちゃんに渡してくれ」
 ダンドロは浅葱をねぎらい、しぶしぶ勇翔は海の絵を浅葱に渡す。
「僕たちはこれで。妹さんによろしくお伝えください」
 月はちらっと勇翔の絵に目をやる。いつの間にかウェットスーツで泳ぐ香澄の姿が描かれている。
「俺は部屋のヒールをして帰る。お疲れさん!」
 軽く会釈してウタは戦場であった病室へと戻る。
「チロの知っている兄弟と違う……! これが真の姿?」
 チロの日常が崩壊しそうで思わず浅葱から数歩離れ、とうとう脱兎のごとく走り出す。
「チロちゃん、待ってください~。あんな怖い顔の敵とも素手で殴りあえるのにどうして逃げちゃうのですか~」
 チロを追ってマリオンもバタバタと走り去る。
「帰るとするか」
 ダンドロは淡く笑みを浮かべ、すぐに消して歩きだした。

作者:神南深紅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年1月5日
難度:やや易
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 3
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