雪風に寄す

作者:譲葉慧


 開け放たれた広い畳の間には、隅々まで昼の光が射し込んでいる。
 冬の寒さは畳の間にも侵食してきていたが、その明るさが少しだけ、寒さを和らげているようだった。
 畳の間の真ん中では、袴姿の男がゆったりとした所作で舞っていた。ほんのり緑色を帯びた畳を、緩やかな足運びで擦るように踏みしめ歩み、手にした扇は薄紙のように柔らかく儚げに空を揺れる。
 およそ重力というものを感じない舞だ。
「風の一吹きで呆気なく散りそうな舞いだわ。でも、舞い手には鍛え上げられた筋力が要る。その域まで到達したには、鍛錬と……何より才能ね。それは人間としてじゃなく、エインヘリアルとして活かされるべきよ」
 気配なく突然現れた紫衣の女に舞い手の男は驚いたが、彼の人としての反応は、それが最後だった。次の瞬間には女の放った紫炎が彼の身体を舐め尽くす。
 紫の炎は、人の命を焼き尽くす死の炎であり、同時に新たな存在の生誕の炎でもあった。炎の中で、彼の身体は、人の倍もの丈を誇るそれに変容してゆく。
 そして炎が尽きた時、紫衣の女の前に、エインヘリアルが傅いていた。
「素晴らしいわ。私が見込んだ通り……生まれたばかりのあなたは飢えている。まずはグラビティ・チェインを満たしなさい。満ちた頃、私が迎えに行きましょう。あなたの闘争は、そこから始まるのよ」
 エインヘリアルは応えを返し、畳を蹴立て、襖を吹き飛ばしながら外へと飛び出した。紫衣の女は、微かに笑みを含んだ顔でそれを見届けた後、現れた時と同様に何処へともなく消えた。


 今日はとりわけ寒い日だ。冬の冷気が容赦なくヘリポートを襲ってくる。
 そんな状況でも、ヘリオンの発着状況は常と変わらず、ヘリポートにはヘリオライダー達、そしてケルベロス達が集っている。
 マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)も、軍用コートに似たものを着込み、自分のヘリオンの側でケルベロス達を募っていた。
「シャイターンによって生み出されたエインヘリアルを、撃破して欲しいのだ」
 そう切り出し、彼女は作戦の説明に入った。寒さに耐えるため動かしていた翼と尻尾がぴたりと止まる。どうやら一つのことに集中すると、他がお留守になるらしい。
「炎を操る女シャイターン達の仕業なのだが、奴らの炎には人を燃やし尽くし、エインヘリアルへと生まれ変わらせる力があるようだ。死者の泉から得ている力らしいな」
 マグダレーナは手にした報告書の束をざっとケルベロスに見せた。それは同種事件報告書だった。この女シャイターン達には、それぞれに選定する男性の基準があるらしい。
「今回エインヘリアルとされた男性は、日本舞踊の名手だ。彼は枯渇しているグラビティ・チェインを補給するため、出会った人を手あたり次第殺害しようとする。その現場に急行し、凶行を止め、エインヘリアルに引導をわたすのだ」
 そう言い、マグダレーナは地図を鞄から取り出して、ケルベロスに見せた。地図はある街の、閑静で知られる地区のものだ。山沿いに邸宅が散在しており、出歩く人は決して多くはない。
 地図の一点、山際に建つ邸宅を、マグダレーナの指が示した。エインヘリアルはこの資産家の別邸で生み出され、人を求めて動き出す出発点なのだという。
 そして彼女の指は山から麓へと道沿いに移動し、街中へと通じる道と交わった所で止まった。
「このあたりで、エインヘリアルは通行する車ごと人を襲うようだ。時刻は午前中、ヘリオンはエインヘリアルが現れるタイミングで到着可能だ。エインヘリアル確認後は、周辺に規制をかけ人と車の立ち入りを制限する。戦闘中の避難誘導は必要ない」
 ただし、エインヘリアルとの遭遇前時点では、予知と状況が変わる可能性があるため規制ができない、ともマグダレーナは付け加えた。
 この地域は街中から遠く、地図から見ても居住者は少ないようだ。通勤通学時間帯も過ぎており、それら状況からは、通りかかる人は多くなさそうだ。
 半ば山の中の道の両脇は少し雪が積もった林で、道以外を敢えて歩く人はいないだろう。
「一度まみえさえすれば、エインヘリアルはケルベロスを襲うだろう。グラビティ・チェインの量が多いからな。彼にはもはや人であった頃の記憶はほぼ無いが、攻撃には舞い手だった頃の名残が残っている」
「そういった点が、シャイターンの選定理由なのかもしれないな」
 マグナス・ヒレンベランド(ドラゴニアンの甲冑騎士・en0278)の言葉に、そうかもしれん、と返し、マグダレーナはエインヘリアルの戦いについて語る。
「奴は、戦場では舞いのように軽い足運びで動き、両手に持った扇で攻撃して来る。攻撃には身体の動きに強く干渉する力があるように視えるな。用心してくれ」
 説明を終え、資料を片づけ鞄にしまうと、マグダレーナは居並ぶケルベロスを、搭乗者を待つヘリオンの元へと先導する。
「ここで阻止できなければ、エインヘリアルは人の多い街へと下りていく。そうなれば犠牲は免れないだろう。元は人であろうが、命を貪る者と化したのならば、誰かを殺める前に葬る。ケルベロスにしか出来ない事だ、よろしく頼む」


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
生明・穣(月草之青・e00256)
望月・巌(昼之月・e00281)
葛籠川・オルン(澆薄たる影月・e03127)
奏真・一十(背水・e03433)
山田・太郎(が眠たそうにこちらをみている・e10100)
アルシエル・レラジェ(無慈悲なる氷雪の弾丸・e39784)
ノルン・ホルダー(黒雷姫・e42445)

■リプレイ


 はらはらと舞い落ちる細雪が、気まぐれな風向きにあおられている。薄曇りの空では、雲の幕の奥ぼんやりと光る太陽が、中天へ向かいつつあった。
 林に立つ木々は多いものの、葉が落ちた枝は雪除けの要をなさず、地面にはうっすらと雪が積もっている。陰りを帯びた鈍い白色の世界は不思議なほどの静けさで、ここはまだ人里なのだということを忘れそうな程だ。
 その証ともいえる舗装された道路にも雪が積もり、轍が残されている。それは車一台分のものであり、ふわりと轍を覆う雪が、車が通りかかったのは少し前の事だと教えてくれている。
 道路の両端はいずれも、街中へと向かう下り道だが、所々で更に上にある邸宅への枝道がある。密やかにケルベロスが降り立った場所も、そういった枝道の一つだった。
 枝道の先には、某資産家の別宅がある。その家系に連なる青年が、シャイターンである紫のカリムの手により、エインヘリアルへと選定されてしまったのだ。選定自体を阻む法はなく、ケルベロスの為せるのは、新たにデウスエクスとしての生を得た彼を葬ることだけだった。
 カリムは、芸術的素養のある人物を選定している。今日エインヘリアルと化した彼も、日本舞踊の名手であるとのことだった。
 彼同様カリムに選定され、ケルベロスに討伐された人達は今まで幾人いたのだろうか。藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は彼が現れるという枝道の先を見つめた。眼鏡の奥で淡い藤色の双つが、穏やかに、しかし揺るぎない灯りを湛えている。
「……炎彩使いでしたか?」
 紫のカリムの他にも、操る炎の色を名に冠するシャイターンの女達がいる。景臣が口に登らせたのは、彼女らを指す言葉だった。
「ええ。彼女達、そういう名前でしたね」
 抑揚のない声で、葛籠川・オルン(澆薄たる影月・e03127)が応じた。景臣同様先を見つめる彼の目は、しんと静まり返る雪降る林のごとくだ。
『炎彩使い』は、炎の色同様、選定する者の基準もそれぞれで違う。ある者は財力が、ある者は容姿に優れていたため、そして今日相対する彼は芸術の才があったため魅入られ選定されてしまったのだった。
「『彼』は、この国の舞い手、文化の継承者です。もし……」
 そこでオルンは言葉を切った。――その先は、もはや言っても詮無い事だった。
「……『彼』はその死の瞬間まで、舞の名手だった。そうでなくてはいけません」
 途中で何かを呑み込んだように口を噤んだオルンが再び語る、まるで繋がりのない言葉に秘められた言外の思いは、景臣もまた共有するものだった。
「そうですね。人に死をもたらす程の舞いを愉しむのは、僕達だけで充分でしょう」
 炎彩使いはその行状に対して、報いを受ける時が来ているのだ。現にもう幾人かは既にケルベロスに居所を突き止められ、討伐されていた。この戦いの後ならば、紫のカリムを捉える機もあるかもしれない。
「今は採れる手は一つだけか。残念だが、こればかりはな」
 喪われた命への痛惜を措くように、奏真・一十(背水・e03433)がごちた声が、人一人、車一台通る気配もない静けさの中、積もる雪に吸い込まれるように消えた。


 色合いは地味ながら、グラビティの力か、おぼろに光る袴姿、そして、積もりたての雪を撫でるような足取り。飢えを満たすために進む道行ですら、あくまでも舞いであるかのようだ。林の木々と丈比べできるほどの背だが、その体躯が繊細さを損なうことはない。
 枝道を降りて来る彼が、いつから道路に待ち受けるケルベロスに気付いていたのかは知れない。だが、互いを視界に捉える位置に至ってもなお、飢えに任せて襲い掛かって来るような真似はせず、彼は悠々と歩みを進めている。
 その振る舞いが、エインヘリアルとしての矜持か、あるいは原型となった青年から受け継いだ性によるものかは知る由もないが、彼の眼差しを、アルシエル・レラジェ(無慈悲なる氷雪の弾丸・e39784)は、小さな安堵の思いとともに撥ね返した。
 彼はケルベロスを極上の獲物と認めている。万が一誰かが戦場に紛れ込んだとしても、獲物を放ってまでして危害を加える事はないだろう。戦いの余波からは、戦場周辺を警戒している嘉神・陽治(武闘派ドクター・e06574)が守り通してくれるはずだ。
 そしてとうとう、彼の流れるような歩みが、ケルベロスの間合い、その境界を侵した。音もなく開かれた扇が孕む風が、周りに降る雪を気まぐれに散らす。
 仰々しさのまるでない、何気ない一連の動きは、己の力を誇示する必要がないからか。ノルン・ホルダー(黒雷姫・e42445)は彼の正面に足を踏み出した。
「私はノルン。貴方の名前は?」
 正直、胸が躍っていた。彼が強いことは予知内容を聞いて知っていたことだ。強者との戦いはノルンの望むところだった。だが、現実に正面に立って彼を見上げ、放たれる存在感を感じた時はじめて、彼女の心に芽生える欲求が糧を得、胸が躍ったのだ。
 強くなりたい――強者と見えたい。今、求めている相手が目の前に立っている。勿論彼は倒す。その戦いを己に刻む為のよすがとして、名を尋ねたのだ。
「殊勝だな、定命の者。己にもたらされる死の名を尋ねるとは。私の名はヴェトルという。覚えてゆくとよい」
 尊大な口ぶりで、ヴェトルは扇をゆるりと翻した。飢えているとはいえ、格下の獲物に先んじて喰らいつく気はないらしい。後手に回るのは厄介だと、遠慮なくノルンは雷を掌に呼び寄せ、一挙にヴェトルに向けて放つ。
 ヴェトルに向け、生明・穣(月草之青・e00256)は小さく一礼し、望月・巌(昼之月・e00281)とウイングキャットの藍華へと呼びかけた。
「巌、藍華……行こう」
 攻撃の機を窺うためヴェトルを注視しているが、すぐ側に彼らが居るのはわかっていた。そして、言葉にこもる穣の思いをわかってくれていることも。果たして、巌から応えがある。
「あまりにも理不尽だが、怒りをぶつける相手は紫のカリムだ、コイツじゃねえ。嘆いてももう命は戻らねえ。なら、ちゃっちゃとやっちまおうぜ」
 後ろは頼んだ、と言い置き、巌は穣の横を抜けヴェトルへと迫る。
 自分への攻撃を一通り許してから、ヴェトルは目前のケルベロス達に向け、攻撃を仕掛ける。所作のはじめは綿雪の降るように緩慢であったが、それが身を切る吹雪の鋭さに変じ、生じた雪の花がケルベロスに吹き付ける。現とも幻ともわからない白花は、生ける者に縋りついて咲き、その身体を内から縛めるのだ。
「さぞかし名のある舞い手だったのだろうな」
 ヴェトルの一挙一動を見た、山田・太郎(が眠たそうにこちらをみている・e10100)が語りかける。
 白花の舞から仲間を庇った景臣と一十の身体のあちこちに雪の花が咲いていた。人の体温を得て更に美しく咲きほこる様が、彼らがいかに危険な状態にあるかを逆に教えてくれている。
 ヴェトルの舞はケルベロスの動きを留めるということは聞いていた。そして搦め手で攻めるということも。舞いの一指しで生じた雪の花の量からして、搦め手とは、生み出した雪の花や風によるものなのだろう。
 長期戦になればなるほど、雪風の影響が増してゆく。それを生み出す扇は、早々に折ってしまうに限る。
「山田信刀山田太郎、推して参る」
 太郎がまとうオウガメタルが、鋭く目を射る銀閃を放つ。一瞬の閃きが白花に晒された仲間達を覆い、受けた傷を癒すと共に五感を高めた。攻めるにしても、闇雲に攻めるのは下策というものだ。まずは下地を整え、しかる後に攻めに転ずるのだ。
 間髪入れず、オルンはライトニングロッドを掲げた。ウィッチドクターの杖はグラビティの力を生命を支える雷へと変じる力を持つ。仲間の頭上をなぞる様に一振りしたライトニングロッドに追従するように、雷の幕が下りる。青白く光る小さな雷は、相容れぬ雪の花に触れ、ばちばちと音を立て、花を散らす。
 だが、それでも雪の花はすべて消えない。ボクスドラゴンのサキミが、世話が焼けると言わんばかりの眼差しで一十を見、空気中の水を集めて霧に変え一十への裡へと送り込んだ。まるでため息が聞こえてきそうな仕草だが、サキミの操る水には、不調を浄め、一十を守る力が込められている。
 オルンとサキミの施した技によって、雪の花の半ばは消え去っていた。この体制ならば、攻め手の仲間が攻撃の機を逸する場面は少ないはずだ。
 ならば、この戦いに今必要なものは何だろうか。景臣は逐一、目まぐるしく動く戦場の様子を観ていた。戦況に応じ、常に最良の手を打つために。
 短期決着を狙う仲間達は果敢に攻めている。また、ヴェトルの動きを封じる技を多用し、その手数自体を減らそうと試みてもいる。だが、やや有効打に欠けているようだ。
 舞藤と此咲、景臣が抜き放った二刀が、仄かな紅に燃えている。それは雪よりも風よりも、もっともっと冷たい炎、そして先程身に受けた雪の花と同じく、人の温もりを糧として命尽きるまで燃える炎だった。
 ヴェトルを斬りつけた傷口から流れ込んだ朧紅の炎は身体を駆け巡り、その足運びを乱すだろう。
 景臣の攻撃に被せるように、マグナス・ヒレンベランド(ドラゴニアンの甲冑騎士・en0278)が竜砲弾を撃ち込み、更に身を躱すヴェトルの足取りを縛める。
 ゲシュタルトグレイブの石突き近くを握り、遠間からアルシエルは攻撃を仕掛ける。有効最大射程ぎりぎりからの突きに、間合いを測りかねたヴェトルの反応が僅かに遅れ、隙を生んだ。その狭い隙を穂先が掻い潜り突き通す。麻痺の力を持つ雷が傷口でちりちりと音を立てた。
 ヴェトルを弱体化させるだけではいけない。彼は弱体化から脱する術を持っているはずだ。時の運も絡むが、脱せられれば元の木阿弥、避けるべき長期戦へと化してしまうかもしれない。自分達の強化との両輪で戦況は安定するはずだ。
 一十は重ねた薬包紙で厳重に包まれた粉薬を取り出した。包みを解かれた粉薬は、薬包紙の折り目をさらりと滑り落ちる。彼だけがその由来と処方を知る妙薬は、ごくごく少量の散布にも関わらず、仲間達へと芳香を届ける。
 戦場に不似合いなほどに柔らかく穏やかな香りは、刺激とは縁遠い心地よさで鼻腔を抜けるが、その薬効は、心身を鎮めるように見えて、実は神経の集中を促すというものだ。相反するような服用感と薬効故に、それは劇薬でもあった。
 太郎も仲間達の感覚を更に研ぎ澄ますため、再びオウガメタルの光を放つ。仲間達の支援を受け、ヴェトルの脇側へ回り込んだノルンが、大きな扇の取り回しで出来た隙から、星剣を突き込んだ。獅子座の力を帯びた刀身は、先にアルシエルが穿った傷を重ねて抉り、傷口に爆ぜる雷が勢いを増す。
「なかなかに足掻いてくれるではないか……」
 追撃を避け、飛び退いて離れたノルンに向け言葉を投げると、ヴェトルはひたりと動きを止め、扇を一度閉じた。静かに佇む彼の身体を包む光がじんわりと強さを増し、傷口が塞がってゆくと共に、幾重にも彼を縛めていた軛を融かしてゆく。
 だが、軛は全て払われたわけではない。それは、また仕掛ければよい。手数はケルベロスの方が上だ。
「縛めるは藍の檻」
 穣は藍色の礫を生成し、狙いすました一撃を放つ。藍色の軌跡は、癖のない真っ直ぐであるにも関わらず、避け難い勢いでヴェトルへと迫る。それを追うように、巌も距離を詰め、礫の着弾と同時に攻撃を仕掛けた。
 インターネットを利用した情報操作は、緒戦では五分五分以下の賭けに近い手であったが、今の状況なら試みる価値がある。なんやかんやで発生した追尾型のビームが、ヴェトルの丈高な身体を包み込んだ。
 この手応えなら、勝利への道筋が見えて来たといえるだろう。だが、ヴェトルとて、ここで勝利して生き延びなければ、デウスエクスとしての生を始める事ができない。
 ヴェトルが不利だからと逃走を図ることはあるまい、一十はそう感じていた。彼の語りは尊大であり、その身熟しにはその言葉を納得させてしまうほどの静かな雅がある。
 緩やかで微かな舞の動きでそれを表現しきるためには、鍛錬と、何よりも才能を要する。それらを揃えた者の矜持が彼の本質、人であった時から受け継いだものなのだ。それを半ば一十は確信していた。矜持持つ者が、己が人生を、敗走という汚点から始めることを許せるだろうか?
「ヒトである間に見たかった」
 一十は誰知れず呟いた。そう、誰一人聞くことがなくて良いのだ。その望みを叶えられる者は、もう居ないのだから。
 ヴェトルは、狙いを太郎に定め、扇の縁に宿る凍える風で切り裂いた。手応えから、自分の攻撃が最も強力に入る相手を見切ったようだ。攻撃の幾らかは、間に割って入る仲間達に阻まれるが、構わず攻撃を続けている。
 庇って負傷した仲間は、他の仲間へ任せ、オルンはライトニングロッドを構えた。太郎の傷口へロッドの先端を押し当てる。雷の発する衝撃が手に伝わるが、構わず荒療治を続ける。治しきれなかった傷を塞ぐため、景臣も快復の気を放ち援護する。それでも完全ではなく、グラビティでも癒せない傷もかさんでいた。
 だが、ヴェトルの攻撃を耐える備えをした上で、守りの態勢をとる仲間達が3人いた。仲間を庇いあう彼らの動きが、仲間全体の負傷度合いを減らしている。
 これ以上戦いが長引けば、長期戦へとなる。丁度今がその分かれ目の時、攻めの機は今だ。攻め手の仲間達も一身にヴェトルへと仕掛ける。そしてヴェトルの生み出す雪風が再び太郎を捉えた。可能な限り回復したとしても、次撃は耐え切れない。
 だが、ヴェトルもまた、傷ついている。血を流し、痛みに耐える状況でありながら、歩みの一歩、指先の動き一つまで逸れが一切ない。が、序盤は使用した癒しの朧光はもう使っていなかった。今は何より、傷がどうこうよりも攻撃する手数の方が欲しいようだった。
 彼も切羽詰っているのだ――そう見立てたアルシエルは、ゲシュタルトグレイブを短めに持ち、ヴェトルの懐へと駆けた。阻もうとする足捌きを掻い潜り、低い姿勢で彼の真ん前に転がり込む。地面から斬りあげられた刃は、ヴェトルの足元から肩口までを弧を描く斜めに裂いた。
「これが、私の分だというのか……」
 ほぼ同時にアルシエルの頭に扇を振り下ろそうとしていたヴェトルは、そう呟いた。そこに怒りや憎しみはなく、ただ運命に背かれ、死地に取り残された者の呆然があった。そして、アルシエルのゲシュタルトグレイブから、手応えが消える。
 ヴェトルの輪郭がぼやけ、淡い光となって曇りの雪景色へ消えてゆく。最後に残った扇も、主の死を見届けた後、ふわりとアルシエルの頭に落ち、光となって消えた。


 戦場となった道路は、さほど荒れてはおらず、ヒールを少しかけただけで見た限りは元通りになった。踏み荒らされた雪と散る血の跡だけが、戦の痕跡をとどめている。それも、勢いを増してきた雪が直に覆い隠すだろう。
 ヴェトルの絶命した場所に、オルンは立っていた。光と消えたヴェトルの居た証は人よりも大きい足跡だけだ。
 彼は人の命を糧に生まれたデウスエクスで、もう人に戻す術はなく、恐らく本人にも人の記憶はなく、戻る意思はなかった。彼はもはや救う相手ではなく、倒すべき敵であった。だから倒した。
 しかし、この事件は、本当はどこにその境があったのだろう? 紫のカリムの選定を阻むことができれば、その境目は別のところにあったのではないか? 悔悟や怒り、諸々がない交ざった感情が、じりじりとオルンを苛んだ。
「オルンさん、枝道の先の別邸を訪ねてみないか」
 堂々巡りの問いからオルンを引き離したのは、一十の言葉だった。一十は舞い手の青年が命を落とした場所へ赴き、必要ならばヒールをするのだという。
 見届けた者として、せめてその最期の場所だけでも、記憶に留めよう。シャイターンの勝手で二度死ななければならなかった舞い手の為に。一十とサキミ、オルンは枝道を上ってゆく。

 白い雪の上に、穣は一輪の山茶花が手向けた。寒々とした景色に、花弁の際のほんのりとした薄紅色がわずかに彩を加える。犠牲となった青年への思いが、寒空の下、彼をただ立ち尽くさせていた。
「穣、行こうぜ。彼の最期をご家族に伝えなけりゃな……人をその手で殺める事もなく逝ったと」
 巌は穣の肩を抱き、その身体を、そっと山茶花の標から街への道へと向けさせる。陽治も巌の反対側から穣の肩を抱き、三人で遺された家族の本宅のある街中へと下りはじめた。
「ご家族に約束しましょう。一刻も早く、この悲劇を終わらせることを」
 誓いの言葉を口に登らせた穣の、伏し目がちな横顔を敢えて覗き込むことはせず、からりと陽治は笑い、穣の背を抱く腕に少しだけ強く力を込めた。
「そうだな。けど無理すんなよ。こう言うのは抱え込まず分かち合った方が良いかんな」
 寄り添う三人に、後に続く言葉はなかった。千の言葉より何よりも、今はお互いの温もりを感じていたかった。

 吹きすさぶ雪が、林とその通る道を白く染め上げている。通りかかる者の誰もいない地に、アルシエルは一人立ち、鎮めの歌を歌う。一人の舞い手の理不尽な犠牲、彼の魂を慰めるため手向ける歌は、雪風に乗り、皆が何時か還る遠くへと運ばれていった。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年2月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 4
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