病魔根絶計画~冬の日を終わりへ

作者:秋月きり

 咳の音が聞こえる。
(「また眠れてないのかな……」)
 椅子に座ったまま微睡んでいた春香は冬真の背をさする為、ベッドに近づく。独白する自身も最近、あまり快適な睡眠をとれていなかった。
「大丈夫。薬を飲み続ければ治るってお医者さんも言っていたから」
 かつては国民病と呼ばれた結核も、今や抗結核薬の開発により、死病と言う訳ではない。医者の説明やたくさんの医療書、インターネット上の知識がそれを教えてくれていた。
 咳を繰り返していた恋人は春香の言葉にコクリと頷く。
 その顔は消耗しきっていた。1歳しか違わない筈の彼はしかし、この数日で10も老け込んでいるように見えた。
 どうして、と言う思いは拭えない。
 どうして彼は病魔に侵されてしまったのだろう。
 治る、とお医者さんは言ってくれた。その為に努力を惜しまないと支えてくれている。だけど、もし……との不安は拭えない。咳を重ねる彼を失った後の事など、春香には想像すら出来なかった。
「大丈夫、だから……」
 まじないの様に言葉を繰り返す。それに縋るしか、彼女に出来る事はなかった。

「今回、みんなにお願いしたいのは病魔退治よ」
 リーシャ・レヴィアタン(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0068)の依頼は、その文言から始まった。
「と言うのも、病院の医師やウィッチドクターの努力で、『結核』と言う病気を根絶する準備が整ったからなの」
 ヘリポートに集ったケルベロス達――中でも、グリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)は目を輝かせる。
 ウィッチドクターでもある彼女はその努力が並みならない物である事を知っていた。――それを可能にする大変さも同様に。
「現在、この病気の患者達が大病院に集められ、病魔との戦闘準備が進められているわ。でね、みんなには、この中で特に強い『重病患者の病魔』を倒して貰いたいの」
 そして、今回、重病患者の病魔を一体残らず倒す事が出来れば、結核は根絶され、新たな患者が現れる事も無くなる、と言う事だ。過去二回に渡って行われた病魔根絶計画がそれを示している。
 勿論、敗北すれば病気は根絶されず、今後も新たな患者が現れてしまう事になってしまう事は忘れてはいけないのだが。
「デウスエクスとの戦いを考えれば、決して緊急の依頼じゃないわ。だけど、この病気に苦しむ人たちを無くす為、是非ともこの作戦を成功させて欲しい」
 そこまで告げたリーシャは、手にした資料に視線を落とす。
「出現する病魔は病気そのものを表した攻撃、それと自己を活性化する回復を行うようね」
 病魔と言えど、デウスエクスに似た力を行使する存在だ。
「それと、この病魔に対する『個別耐性』を得る事で、戦闘を有利に運ぶことが出来るわ」
 その個別耐性だが、病魔に侵された患者を看病したり、話し相手になる、慰問して元気づける等の方法で、一時的に得る事が出来る様だ。個別耐性を得る事が出来れば、病魔から受けるダメージを減らす事が可能となる。戦いを有利に進める為には是非とも個別耐性を得て欲しい、とリーシャは告げる。
「今回、結核の病魔を根絶するチャンスが巡って来たわ。この機会を逃さず、確実に撃破して欲しい」
 ケルベロス達にならそれを託すことが出来ると、リーシャは真摯な表情で頷く。
「はい。それでは……」
 その期待に応えるべく頷くグリゼルダ。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
 冬色に染まりつつある空気の中、二人の声が唱和した。


参加者
星黎殿・ユル(聖絶パラディオン・e00347)
フォート・ディサンテリィ(影エルフの呪術医・e00983)
愛柳・ミライ(宇宙救済係・e02784)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)
八尋・豊水(ハザマに忍ぶ者・e28305)
霧山・和希(碧眼の渡鴉・e34973)
エレアノール・ヴィオ(朱の鉄鎧・e36278)
アグニス・ディーヴァ(火神の歌姫・e39384)

■リプレイ

●真冬の色は儚く
 そこは昏く、暗く、息苦しく。
 まだ日中と言うのに、病室内は闇夜の如く暗雲に包まれていた。
(「冬真さん、春香さん……」)
 おそらく、それはこの病室にいる二人の気持ちを示しているのだろう。締め付けるような胸の痛みを覚えたアグニス・ディーヴァ(火神の歌姫・e39384)は気丈にも微笑を形成する。訪問者である自分達が暗い顔をすれば、彼らに気持ちが伝播してしまう。それは、此度の任務において、失敗と同義であった。
「どなた……ですか?」
 10人のケルベロスを迎え入れる女性、春香の声は訝し気に響く。不信が八割、疑問が残りと言った処だろうか? 施術黒衣を纏ったフォート・ディサンテリィ(影エルフの呪術医・e00983)はともかくとして、残りの9名は医療従事者とは考えにくい容姿をしていた。警戒の声は致し方ない。
「私たちはケルベロスです」
 不信感を拭う為、グリゼルダ・スノウフレーク(ヴァルキュリアの鎧装騎兵・en0166)が誰何に応じる。彼らが一様に携えたコートはその証。何より、一般人と一線を画した雰囲気が、それを是と告げていた。
「……」
 表情の変化は劇的だった。疲労に染まる少女の顔は、花の様に色を取り戻す。その様子を見送るグリゼルダもまた、笑顔でそれに応じた。その移り変わりは仲間達の活躍を賞賛されているようで、むしろ誇らしく感じていた。
「どうもどうも今日は」
 軽い口調の挨拶と共に櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)が病室に侵入する。無論、それを止める理由は春香に無い。
「大丈夫。長丁場にしないから」
 それでも瞳を揺らす春香に、星黎殿・ユル(聖絶パラディオン・e00347)が微笑する。確かに患者と交流し『個別耐性』を得る事は大切だ。だが、とは言え、患者を害するつもりもない。可能な限り拙速に行う。それが彼女の決意だった。
「失礼します」
 エレアノール・ヴィオ(朱の鉄鎧・e36278)はぺこりと一礼し、二人の後に続く。
 視線の先、病室の主はベッドの上で、ケルベロス達に視線を向けていた。
 それが何処か悲しげで、寂しげで。
(「こんな、辛い思いを」)
 やせ細り、衰弱した冬真を前に、霧山・和希(碧眼の渡鴉・e34973)は浮かぶ憤りを飲み込む。無辜の人々を傷つけるデウスエクス、そして病魔を許せないと抱く怒りは、およそ正統な物だった。
「お話を聞かせて貰いたいのです」
 愛柳・ミライ(宇宙救済係・e02784)の言葉に、上体を起こした冬真はこくりと頷く。そこに浮かぶ色は、紛れもなく信頼だった。

●春の香は未だ、感じずとも
 それでも、病室を包む重苦しい空気は完全に払拭出来たわけではない。ただ、闇の中に一筋の光明を見えた。少なくとも、グリゼルダはそう感じていた。
「咳で喋るのが辛いでしょう? このフリップとペンを使ってちょうだい」
 時折、咳を零す冬真に、八尋・豊水(ハザマに忍ぶ者・e28305)が渡したのは、大判のフリップボードとマーカーであった。言葉を紡ぐのに難儀する者への気遣いに、冬真の表情がほっと和らぐ。
「ありが……」
「いいのよ。そっちを使ってね」
 それでも礼を口にしようとする様に、豊水は慌ててフリップボードを指し示した。
(「優しい人……なのね」)
 そうでなければ、恋人もここまで献身的に彼を支えるだろうか。その思いが胸を締め付ける。
(「本当なら、マスクを取って会話したかったけど」)
 それはケルベロス達の決意。必ず結核の病魔を倒す。だから、感染など恐れはしない。その思いはあった。
 だが、彼の人となりを担当ドクター、そしてナース達から聞く内に考えを改めていた。
 マスクを外し、決意を見せた所でおそらく、彼は喜びはしない。むしろケルベロス達に気を遣わせる結果になっただろう。――大切なのは、思いを伝える事。手段はいくらでもあった。
「それでは……」
 アグニスがマーカーを受け取り、フリップボードに何かを書こうとする。
「アグニス君。僕らは別に普通に喋って大丈夫だよ?!」
 彼女をユルが慌てて制する。あ、との息を飲んだ後、周囲を見渡すと、誰しもああ、と頷き、そしてぷっと噴き出す。
「判ります。緊張しますよ、ね」
 初々しいなぁ、とグリゼルダがアグニスの肩を叩く。実はアグニスにとって、今回が初陣だと言う。自分もケルベロスとして、初めて死神と戦った時はかなり緊張していた。気持ちは凄く判る。
 羞恥で頬を染めるアグニスだったが、彼女の行動によって空気は一変していた。もしもこれが意図した結果であるなら、なかなかの策士だと思う。
「病魔を倒す、と言う事については理解しているで御座るね?」
 和やかな空気をそのままに、フォートが今後を説明する。ケルベロス達による病魔召喚と、病魔の撃破。病魔そのものを倒す事は容易ではないが、それでも乗り切るとの決意を告げる。
「病魔は倒せない敵ではないで御座る。インフルエンザ、五月病、憑魔病、ハゲ、そして、今回の結核……。彼奴らは勝てる相手で御座るよ」
「そうそう。焦らなくても今晩、根絶しちゃうのです」
 ミライもまた、言葉を肯定し、笑顔を向ける。冬の次は必ず春が来ると決まっている。だから、ゆっくりでいい。今、彼の言葉で、色々聞かせて欲しい。春が来たら――病魔を倒したら、どうしたいかを。
(「長い入院生活に、不安が拭えないのはよく判るのです」)
 実は入院生活が長かったミライである。二人の気持ちを痛い程理解してしまう。
「結核が治ったらどうしたいか、聞かせて貰えませんか?」
 ミライに同調した和希の台詞に、冬真のペンが走る。
 フリップに描かれた文字は、簡潔だった。
 出掛けたい。
 聞けば、今年の春の桜も、夏の山も海も、そして秋の紅葉も、全て病室の窓から眺めただけだったらしい。病気が治ればいつか。半ば諦めていた想いはしかし。
「やっぱり、お二人で、ですよね?」
 エレアノールの問い掛けは輝く眼で。その問いに同時に頬を染め、視線を交わしては逸らす二人の挙動を、可愛らしいと思ってしまう。
「昔は良く二人で出掛けていたのかな?」
 千梨の言葉に返って来たのは首肯だった。ほぅっと目を細め、羨望の眼差しを送ってしまう。独り身のやっかみと言えばそうかもしれないと笑い、思い出話に耳を傾けていた。
(「二人には幸せになって貰わないと、な」)
 まだ輝かしい未来が待っている二人だ。心の底からそう思い、迎えさせようと誓う。
「……なるほど。お話を聞いたからには、叶えて差し上げなくてはなりませんね」
 決意は和希の口から零れた。
「すぐにきっと良くなるわ」
 豊水は柔らかく笑い、断言する。それを自分達が成すと告げて。
「私を助けてくれたのはケルベロスの歌だった。だから、今度は私が貴方達の為に歌いたいの。――ケルベロスとして」
 ミライの決意は、幼き自分を助けてくれた誰かに対する恩返し。それは信念として、彼女に刻み込まれている。
「大丈夫です。絶対に大丈夫です。断言します。大丈夫です」
 二人の些細な、だが大切な夢を守る為、そしてそれを夢で終わらせない為に此処に来たとエレアノールは強く告げる。それは言い聞かせる訳でも言い含める訳でも無い。そう、これは彼女にとって、決定事項なのだ。
「二人とも良く頑張ったな。その辛さ、後はケルベロスが引き受ける。次の夜は……明日を夢見てゆっくり眠れるとも」
 千梨の声は優しく、それを受けた二人の表情が安堵に染まり。
「笑顔になれれば、みんな嬉しいから。そのお手伝いは最後まで、しっかりさせて貰うよ。だから、安心してね」
 任せていて、とアグニスが微笑する。彼らの言葉に表情を和らげた二人は、やがて、自然に頭を垂れていた。
「宜しくお願いします」
 春香の言葉に、任せて、とユル、そしてグリゼルダが自身の胸を叩く。

●『冬の日』を終わりへ
 夜の帳が孕む闇は本物の闇だった。闇に落ちぬよう、墜ちぬよう、堕ちぬように炊かれた灯火は、淡い燐光の如く病室を照らす室内灯だった。
「さて、始めるで御座るよ」
 横たわる冬真を前に、フォートが厳かな声を上げる。
「はい」
 それに応じるのはグリゼルダ、そして。
「サポートは任せて下さい」
 ぐっとアグニスがガッツポーズを形成する。
 冬真を蝕む病魔――結核に対する病魔召喚はフォートによって執り行われる事となった。グリゼルダ、アグニスはそのサポート役だ。三者だけではない。10人のケルベロス達は皆、病室内で時が来るのを待っていた。
「では目を瞑って力を抜いて……、ゆっくり、深く息を吸って……、ゆっくりと吐いて……」
 フォートの声に導かれ、冬真の呼吸が自然に深く、ゆっくりとしたものに変わっていく。睡眠斯くやの呼吸音の中、ちゃりと立つ金属音は、誰の得物によるものだっただろうか。
 やがて、同じ音を繰り返すフォートの声が途切れる。訝し気な表情を浮かべるグリゼルダとアグニスの前で、裂帛の気合の下、言葉が紡がれた。
「病に肉を与え、速やかに打ち滅ぼすべし! 病魔召喚で御座る!」
 それが合図だった。
 放出される光は、その証。病室を、そして窓の外をも照らす光量が放たれ、しかし、目を細める事すら無くケルベロス達の視線はそれを捉える。
 それは具現化された病だった。幽霊を思わせる白い外見は、過去、結核が幾多の人々の命を奪った死の病を示すようであった。穴の如き眼窩から涙を思わせる血液、或いはそれに類似する何かが零れ落ちていた。
 悲鳴にも似た咆哮と共に病魔――結核は自身を召喚したフォートを捕らえるべく、牙を剥く。吐き出す赤い霧はウィッチドクターの身体を覆い、彼の命を奪う。――その筈だった。
「今人類は鳥篭から飛び立つの。結核の無い世界に……!」
 立ち塞がったのはミライだった。付き従うボクスドラゴンのポンちゃんもまた、両手を広げ、身を挺してフォートを守護する。
「グリゼルダ! アリャリァリャ!」
 己の御業を纏う千梨の言葉に頷くのは、ヴァルキュリア、そしてレプリカントの少女達だった。用意していたストレッチャーに冬真の身体を乗せ、戦場から駆け出す。一分一秒でも早く。彼を戦場から避難させるのが二人の役目だった。
 動きに呼応してか、病魔から迸る毒はグリゼルダやアリャリァリャを襲う。だが。
「冬真さんを助けると約束しました。これ以上の攻撃は許しません」
 横合いから放たれた流星の煌きを纏う蹴りに病魔の態勢は崩され、放たれた毒霧は壁のみを焼く結果に終わる。それを為したのは和希による飛び蹴りだった。
「我が魔力、汝、救国の聖女たる御身に捧げ、其の戦旗を以て、我等が軍へ、勝利の栄光を齎さん!」
 暇を縫い、ユルが救国の聖女のエネルギー体をその身に宿す。
「何と言うかグロい姿だよね。致死率が高い病魔って皆こんな感じなのかな?」
 ばさりと大旗を振る動作と共に、不敵に浮かべた笑みはしかし、次の瞬間、真一文字に結ばれる。こいつが、冬真を、春香を、そして数多くの結核患者を侵し、悩ませていた事実に怒りの感情すら浮かび上がってくる。
「絶対に、許さないんだから!」
 その怒りはミライにも伝播していた。彼女から放たれたオラトリオの凍結弾は病魔に着弾、その身体を凝固させていく。
 続くポンちゃんの息吹もまた、その凝固を押し広げる役割を果たしていた。
「この世から去れ、病魔! ここは貴様の存在して良い場所ではない」
 グリゼルダ達によって冬真が病室から去った事を確認したエレアノールは柔らかな物腰の仮面を脱ぎ捨て、高圧的な表情で言葉を紡ぐ。共に打ち出された竜砲は病魔の身体を打ち砕き、その機動力を奪い去っていった。
「其れは幕開け、全てに繋がるただ一つの道。紡ぐ糸は縦糸、鮮やかなる光の導……」
 アグニスの澄んだ歌声は異変に喘ぐミライとポンちゃんから、毒を追い払う。
「悪いけどアナタと交わす言葉は持ち合わせていないの。早々に御退場頂けます?」
 スカーフで口を覆った豊水の挑発に病魔は何を思うのか。咆哮は未だ強く、だが、怖れるに足りないと断ずる。もっと強い恐怖を味わった者達がいる。絶望を抱き、それでも、足掻く者達もいる。ならば。
 豊水の決意は無敗の陣形と化し、仲間達に力を与えていく。それが、二人に対する答えだった。
(「アタシは番犬としての役目を果たすわ」)
 デウスエクス共々病魔を食い殺す。それが、豊水の決意であり、矜持。それに応えるかのように、サーヴァントの李々もまた、心霊現象による金縛りで主を援護する。
「基本的に無害だから安心ですよ?」
 フォートの不安な言葉と共に、戦場をえも言えぬ霧が立ち込めた。むせ返りそうな濃い煙――否、霧は仲間達を覆うと、彼らに援護の力を付与する。
「さて、病魔召喚――その真価を発揮するで御座るよ!」
 ペストマスク越しの声に、ケルベロス達は応と応え、病魔に立ち向かっていく。

 結核。有史以来人々を侵し、科学が発展した現在ですら、死者、重篤患者を生み出す死病である。人類が生み出した対抗手段――抗生物質ですら、耐性を得る事で克服してきた、人類の天敵と言うべき病気であった。
 だが、それも本日、終焉を迎える。
 ケルベロス達による病魔召喚、そして病魔根絶計画が、その夢を成就させようとしていた。

 病魔の毒が舞い散る。ケルベロス達を侵す赤と黒の毒素はしかし。
「アグニス様」
「うん。ボクに任せて!」
 グリゼルダとアグニスによる治癒が傷と毒を癒していく。広域はアグニスの歌が、そして傷付いた仲間へグリゼルダの緊急手術が施され、病魔の攻撃を無へと帰していく。
 ケルベロス達の中で、目まぐるしい活躍を見せるのはフォート、そして千梨と言った攻撃手だった。豊水と和希、そしてエレアノール達による援護射撃は、二人の攻撃を病魔に届けるべく、敵を梳っていく。
 そして、反撃に迸る毒撃は。
「ポンちゃん!」
「李々!」
 ミライとポンちゃん、そして李々によって、霧散の道を辿る。そして、その三者を侵す筈の毒は、それでも、最小限の爪痕を残す事しか出来なかった。
「これが冬真君と春香君に貰った『個別耐性』だよ。キミの毒はボクらに届かない!」
 ユルの言葉は誇らしげに響く。
 病魔に侵されるだけが人類じゃない。それを克服する強さもまた彼らの力なのだとデジタルの魔術師は高らかに笑う。
 咆哮が病室に響く。それは、病魔の敗北、そしてケルベロス達の勝利を意味していた。
「逃がすか!」
 逃亡を企てたのか、それとも別の攻撃に移ろうとしたのか。窓ガラスに向かうそれにエレアノールが喚んだ地獄の火球が叩き付けられる。火球は病魔を打ち砕かんと執拗に付き纏い、やがて破裂へと導かれた。
「来たれ、来たれ、来たれ……」
 和希が呼び覚ますものは破滅。闇と光が入り混じる精霊の抱擁は病魔を包み、灼き尽くすが如く、病魔そのものの存在を掻き消していく。
「紅に、惑え」
 そして病魔を結界が覆う。紡いだ主の名は千梨。舞い散る紅葉に紛れて振るわれる赤銅の爪は、確かに鬼の斬撃だった。
 滅茶苦茶に切り裂かれた病魔が悲鳴じみた叫びを上げる。
「君に出会うことを知ってた。この窮屈な鳥籠の中からずっと君を眺めてたから!」
 ミライの歌声は病魔の身体を穿ち、身体を崩壊へと導いていく。奇跡、或いは運命と呼ばれる出来事を彼女は否定する。それは必然。それは必定。ミライが望んだからこそ、訪れた未来。その到来を、彼女は信じ、そして望んでいた。
 歌声と同時に、豊水が動く。その軌跡は魔を貫く一撃――退魔の一撃だった。
「有史以前から多くの命を啜ってきた結核も今日で潰える……。冥土の土産に私の血をたーんと召し上がれ!」
 細い指先が放つ血弾は紅い螺旋に転じ、病魔を穿つ。
 それが止めとなった。
 響く声は断末魔の悲鳴。だが、それも、ゆるりと闇を孕む病室の中に溶けていく。
「終わり、ました」
 荒くなった息を整える様に、アグニスが独白する。
 それは戦の終わりを意味していた。

●番犬は新しい季節を運ぶ
 朝日が病室を差していた。昨晩まで闇の様だったこの場所は、今は光溢れる空間へと変貌していた。
 それは時間的な物だけではない。それが意味するものは――。
「ありがとう……ございます」
 涙混じりに礼を述べる春香に、返る言葉は何処か照れた色を帯びていた。
「病魔への勝利はケルベロスだけではなく、冬真殿、春香殿、そして、病院のスタッフの方々の勝利でもあるで御座るよ」
 フォートのペストマスク越しの顔は何処か笑っているように思えて。
「俺達は病魔と言う災いを斬った。後は……」
「二人で頑張って、ね」
 千梨の言葉を引き継ぎ、エレアノールが笑い掛ける。病魔に立ち向かうと言う絆で強く結ばれた二人だ。問題が起きる筈がないと強く信じる事が出来た。
 冬真と語らっていた豊水とアグニス、和希も「頑張れ」と檄を飛ばしている。病気に立ち向かう事ではない。その後の事、だ。
「ところで、病魔の起源は何処にあるのだろうね」
 ユルの神妙な言葉に、グリゼルダは眉を顰める。
 幾多の病気が地球上で発生している。その幾らかは病魔による物だろう。そうであるならば。
「私は、ケルベロスとして、皆さんと彼らの笑顔を守りたいと思います」
 二人を祝福するミライの歌声が響く中、ヴァルキュリアの少女はそう誓うのだった。

作者:秋月きり 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2017年12月14日
難度:やや易
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 2
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